這い上がる阿呆と堕ち行く阿呆・前編
――龍堂凱はこの世の地獄の片隅を見た人間だった。
周囲に見下され、嘲られ、無実の罪を着せられ、理不尽な暴力を受け、遂には家族と信じた女達に裏切られた。学校でも誰も助けてくれず、それどころか凱へのいじめを学校側が推奨し、周囲はこれを楽しんだ。
それを救ったのは瑞姫を始めとした魔物娘達。
自分に見向きもせず、助けもしなかった者達に救われた事は凱の心をかき乱した。
父をも亡くし、恩師も同然だった薙刀の師範とも別れ離れ。
誰も頼れない人間社会での瑞姫との再会から、運命の歯車は回り出したのだ。
自分を裏切った……いや、正確には初めから凱の存在そのものを認めていない元母と元姉。
凱はこの怪物達と対峙し、決着をつけなければならなかった。
そして、その機会は向こう側からやってきた――
*****
瑞姫にまつわる一連の事件で、凱の所在が知れ渡っていたのは以前語った通りだ。
とある平日の昼、特別クラスの職員室に一本の外線電話が入った。
応対したのはダークプリーストのマリアナだったが、凱を出して欲しいと言う女性の声に「ここにはおりませんが伝言はできますよ」と返すと、女性はマリアナに伝言を要求し、その内容を伝えると一方的に電話を切ってしまう。
訝しく思うマリアナではあったが、彼女は伝言の内容を記したメモを携えて学園長室へ向かった。
メモを受け取ったエルノールは他言無用と念押ししてマリアナを帰すと、すぐに凱を呼び出す。
数分後、エルノールの下に来た凱にメモを渡し、意味を問うた。
メモはこのように書かれていた。
―――――
父の遺産について大事な話がある。
今週末の23時、横浜の関内(かんない)駅近くにあるホストクラブ「ドリームダイヤ関内店」に一人でこい。
店に入ったら「越前(えちぜん)さおりに呼ばれた」と言え。
案内させるように当日伝えておく。
警告しておくが、お前に拒否権はない。
協力者を同行させたら、その場でお前は逮捕かリンチだ。
サツはこっちの味方だからチクっても無駄だ。
―――――
それは奇しくも先日の朱鷺子宛ての手紙と似ていたが、凱は書かれた人物の名に青筋を浮かばせる。
「あのクソアマァ……」
「兄上、落ち着くんじゃ、敵の術中に嵌まるだけじゃぞ。朱鷺子の時のお主を思い出せ」
努めて凱を宥めるエルノールではあったが、過去を知っているだけに彼女自身も心中穏やかではない。だが、「協力者を同行させたら」の文を目にしたエルノールは、何故か口角を上げる。
「ほうほう、そうか。ククク……、良い案が浮かんだぞ」
顔こそ笑っているが、目が全く笑っていない。
そんなエルノールの姿に、凱は憎き女と会う事以上の恐ろしい何かを感じずにはいられなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
当日――
エルノールと瑞姫は「用事があるから」と昼には煙のように姿を消していた。
ロロティアやマルガレーテも理由は何も聞いておらず、朱鷺子も瑞姫にはぐらかされたまま。亜莉亜は職員室で残務処理に追われていたので、二人が出かけた事自体把握していない。
凱も瑞姫に念話を送っていたが、遮断されているようで音沙汰を確認出来ない。
そうこうしている内に夜となり、凱は指定されたホストクラブに出向かねばならなかった。
*****
22時――
凱はそれなりのカジュアルな服で関内駅に降り立った。
週末だけあって、この時間でもかなりの賑わいだ。
男達は居酒屋やキャバクラを渡り歩き、カップルは洒落たレストランで食事し、女達はホストクラブで浮かれまくる。
凱の目にはそんな人間達が、金と酒と色に踊り狂う猿の群れに見えて仕方がなかった。
ため息をつきつつ財布からメモを取り出し、指定された店の場所を確認する。なお、財布には20万円入っており、日中にあらかじめ引き出しておいたものだ。
財布とメモをポケットに突っ込むとかなりの速足で歩き出し、およそ10分少々でドリームダイヤ関内店の前に辿り着く。
「……ここか。趣味悪そうなカッコしてんなぁ、どいつもこいつも」
店の前にあるパネル、つまりホスト達の写真を見て、凱は思わずぼやいてしまう。すると、それを聞きつけたのか店のドアが開き、美形なれど派手派手しい服とアクセサリーに身を固めた男が、凱を睨みつけながら話しかけてきた。
「おい、うちの自慢のホストを趣味悪いだと? お前、いい度胸だな」
「ほう? テメェ、ここの犬か」
「……ケンカ売ってんのか? お前――」
「あら? もしかしてあの方じゃない?」
「そうだわ、間違いない。あの人!」
犬呼ばわりされて凄んだホストと臨戦態勢の凱を、女の声が遮った。
凱とホストが声のした方に目を向けると、女性が二人立っている。
一人はやや茶色の髪にゆるふわな雰囲気のウェーブロング、豊満な肢体を持ったパンツスタイルのキャリアウーマン。
もう一人は黒髪黒目のストレートロング、豊満と言うよりはスレンダーな身体をワンピースで包んだ女子大生だ。
キャリアウーマンの女が凱の方に近寄り、話しかけてきた。
「この間は妹がお世話になりました。是非、お礼をさせて頂きたいのですが……」
「え……? ……え?」
凱は話した事も、ましてや見た事すらない女に困惑する。
一方、自分の客だと思っていたホストも茫然としている。
「あの、俺、これからこの店に入らなきゃいけないんで……。――おい、越前さおりに龍堂凱が来たと伝えろ。この店に来いと言われたからな」
「チッ! オーナーの令嬢がいってたガキはお前かよ……。来い、こっちだ」
「あら、そういう事でしたら、私達もこの方の同伴でお邪魔しましょうか」
「はい。わたし、この人と一緒にお酒飲みたいです!」
「……ちょっと、待っててください」
不満と困惑が入り混じる顔をしながら、ホストは店の中に戻り、数分して戻ってきた。
「どうぞ、お二方もご一緒で構わないとのことです」
言葉こそ丁寧だが、このホストからは不承不承な感情がにじみ出ていた。
女性を二人連れている凱を見た客の女達は、彼の服装が野暮ったく見えたのだろう、口々に悪口雑言をささやき合っていた。
一つの扉の前に着くと、ホストは扉をノックする。
『誰?』
「例のガキと同伴を申し出た姫たちをお連れしました」
『通して』
「失礼します。――ほら、入れ」
凱と二人の女性が扉をくぐると、案内したホストはドアを閉めながら出て行く。三人が入ったのはVIPルーム。豪華な装飾と家具をセットしたカラオケルームと思ってくれればいいだろう。
三人の前には腕と足を組んでふんぞり返る、高級ホステスのような出で立ちの女が座っている。
「座りな」
あからさまな命令口調で三人に着席を促すと、口を開く。
「久しぶりだな、凱」
「ああ、久しぶりだぜ、さおり。まだ生きてやがったとはな」
凱の挑発も同然の言葉に顔を女は引きつらせる。
この女こそ、凱の元姉・越前さおりなのだ。
「本題から話そうじゃないか。おめーの持ってる金、全額こっちに寄越しな。あ、手続きなら、うちの弁護士が全部済ませるさ」
「はあ?」
「は、じゃねーよ。おめーは一言、うんと言えばいいだけだよ」
一方的な態度のさおりに、キャリアウーマンの女が口を開く。
「あの、そのような話をこのような所でなさるのは……いささか不仕付けではありませんか?」
「同伴できただけのあんたらに何がわかんの? 大人しくうちの一流ホストの、一流の酒をたっぷり味わいなよ」
さおりはそう言いながらスマートフォンを取り出し、どこかに電話する。
「ああ、あたし。空いてるホスト三人くらい、VIPルームに寄越して。それとドンペリプラチナを三本。――ああ、よろしく」
電話を切った途端に邪悪な笑みを浮かべ、勝ち誇るさおり。
間もなく五〜六人のホストが入って来て、ボトルや氷を次々と置いていき、三人のホストが女性達の側についた。
そうして、さおりは畳みかける。
「これでおめーは逃げられねぇ。同伴のお嬢ちゃんたちも運がなかったねぇ。ま、身体で返してもらうからいいけどさ。あっはっはははは」
「たったそれだけの為に、こんな所に呼びやがったのかよ。下らねえ」
「ついでだから話してやると、ゴミ。母さんはな、『親の勝手とくっだらねぇメンツのせいで、つまらん男と結婚させられて不幸になった』っていつもいつも泣いてたんだ。ほんっとーに母さんが可哀そうだったよ」
さおりはそう言って言葉を区切ると、今度は般若のような形相で噛みつくような声を上げる
「その原因作ったのはな、くたばった小汚ねークソジジイと、ゴミ、おめーなんだよ。だから、おめーはあたしと母さんに全財産を渡す義務がある。これはおめーがやるべき償いだ、拒否権はねーぞ。こうして生かしてやってるだけでもありがたいと思いな」
完全に上から目線の元姉。
ホスト達も笑いを噛み殺しながら、凱に蔑みの目を向ける。
その薄汚い性根を真正面から見せられ、凱の怒りは蓄積して行く。
「だったら、知加子のクソババアに伝えやがれ。子を笑顔で捨てるクソ親は子に捨てられる。俺が小さい時、俺に何と言って逃げたかをよーっく思い出してみやがれ、と。あと、越前だか便所コオロギだかのチンカス野郎にも伝えとけ。ホストなどという女の金と身体を貪るだけの、底辺チンピラの仕事を誇りにして威張ってるクソ野郎はお呼びじゃねえ。金はびた一文やらん。それにテメェも俺にとっちゃ何の関係もない。むしろ害虫だ、消えろクズが」
この返答に、周りのホスト達の目に殺気が宿り、さおりも狂ったような大声で喚き散らす。
「あ゛あ゛?! ゴミが何偉そうにほざきやがる! 母さんを呼び捨てするたぁ、てめー何様だ! てめーには情ってもんがねーのかぁ!」
「は? んなもん、とっくにねえわ」
「全部言うからな! 父さんの仲間がてめー懲らしめにいくからな! 覚悟しとけや! そん時なって謝ってもおせぇからな、ゴミが!」
「言いてえ事はそれだけか。ったく、知加子のクソババアもそうだが、テメェも思い通りにならなきゃすぐそれだ、昔っからな。テメェらにやられてきた数々の仕打ち、俺は一度たりとも忘れてねえぞ。テメェらがやった事を棚に上げて、図星を突かれりゃクズとかゴミ呼ばわり。大した度胸だな、さおり。言うなら勝手にしろや」
「ざけんな、こんガキャァ!」
冷酷な目で言い返すと、怒鳴って殴りかかって来たさおりを返り討ちにして鼻を砕くと、ホスト達も立ち上がって凱に挑みかかる。
が、彼らは凱の両隣の女性達に返り討ちにされた。決して広くない室内であるのに、彼女達は見事にドンペリを避けて打ちのめしたのだ。
「……こんな店じゃ、この人と楽しく飲めません。が――ね、姉さん、他行きましょ?」
「そうね。あ、ボトル返して出ましょうか」
三人はボトルを一本ずつ携え、受付の黒服にこれを返した。
ところが黒服やホスト達は「出されたものは開けてなくても払え」とVIPルーム使用代にホストの接待料金、そしてドンペリプラチナ三本を合わせて300万もの支払いを要求する。
しかし、姉と呼ばれた女がおもむろに取り出したボイスレコーダーを取り出して反撃する。
「この店はぼったくり営業だけじゃなく、性風俗の斡旋までするんですね。出るとこ出ましょう、受けて立ちますよ? 巻き込んでくれた以上は、ね。」
黒服の一人がボイスレコーダーを取り上げようとしたが、これは凱が阻んだ。
「証拠隠滅か。やましい事してるから、こんな真似出来るんだな。おい、その犬。ここのクソ店長出せ」
騒ぎを聞きつけてやって来た店長らしき男も顔に怒筋を貼り付けているが、ボイスレコーダーを再生されると嘘のように手を引いた。
「こういう手合いはホストに限らず多いものですから、こうして普段から対策しているんです。悪しからず」
「わ、わかりました……。お、お代は……結構、です」
凱が店を悠々と店を出ると、二人の女性も揃って出てきた。
その女性達に、凱は深々と頭を下げる。
「巻き込んでしまって、すみませんでした。そして、ありがとうございました」
「いえいえ、こちらが勝手について行ってしまっただけですよ」
「さあ、顔を上げてください。どこかで飲み直しましょう」
女性二人は苦笑しながら、凱に頭を上げるよう促し、一緒に歩き出す。ところが――
「いたぞ! あいつだ!」
遠く背後から響いた声に三人が振り返ると、如何にもヤクザと言わんばかりの集団が凱を指差し、一斉に駆け出した。
「「こっち!」」
女二人に手を引かれながら凱は走り出し、人気の無い裏道を巧みに通って、どうにか追跡集団を振り切る事が出来た。
周囲に見下され、嘲られ、無実の罪を着せられ、理不尽な暴力を受け、遂には家族と信じた女達に裏切られた。学校でも誰も助けてくれず、それどころか凱へのいじめを学校側が推奨し、周囲はこれを楽しんだ。
それを救ったのは瑞姫を始めとした魔物娘達。
自分に見向きもせず、助けもしなかった者達に救われた事は凱の心をかき乱した。
父をも亡くし、恩師も同然だった薙刀の師範とも別れ離れ。
誰も頼れない人間社会での瑞姫との再会から、運命の歯車は回り出したのだ。
自分を裏切った……いや、正確には初めから凱の存在そのものを認めていない元母と元姉。
凱はこの怪物達と対峙し、決着をつけなければならなかった。
そして、その機会は向こう側からやってきた――
*****
瑞姫にまつわる一連の事件で、凱の所在が知れ渡っていたのは以前語った通りだ。
とある平日の昼、特別クラスの職員室に一本の外線電話が入った。
応対したのはダークプリーストのマリアナだったが、凱を出して欲しいと言う女性の声に「ここにはおりませんが伝言はできますよ」と返すと、女性はマリアナに伝言を要求し、その内容を伝えると一方的に電話を切ってしまう。
訝しく思うマリアナではあったが、彼女は伝言の内容を記したメモを携えて学園長室へ向かった。
メモを受け取ったエルノールは他言無用と念押ししてマリアナを帰すと、すぐに凱を呼び出す。
数分後、エルノールの下に来た凱にメモを渡し、意味を問うた。
メモはこのように書かれていた。
―――――
父の遺産について大事な話がある。
今週末の23時、横浜の関内(かんない)駅近くにあるホストクラブ「ドリームダイヤ関内店」に一人でこい。
店に入ったら「越前(えちぜん)さおりに呼ばれた」と言え。
案内させるように当日伝えておく。
警告しておくが、お前に拒否権はない。
協力者を同行させたら、その場でお前は逮捕かリンチだ。
サツはこっちの味方だからチクっても無駄だ。
―――――
それは奇しくも先日の朱鷺子宛ての手紙と似ていたが、凱は書かれた人物の名に青筋を浮かばせる。
「あのクソアマァ……」
「兄上、落ち着くんじゃ、敵の術中に嵌まるだけじゃぞ。朱鷺子の時のお主を思い出せ」
努めて凱を宥めるエルノールではあったが、過去を知っているだけに彼女自身も心中穏やかではない。だが、「協力者を同行させたら」の文を目にしたエルノールは、何故か口角を上げる。
「ほうほう、そうか。ククク……、良い案が浮かんだぞ」
顔こそ笑っているが、目が全く笑っていない。
そんなエルノールの姿に、凱は憎き女と会う事以上の恐ろしい何かを感じずにはいられなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
当日――
エルノールと瑞姫は「用事があるから」と昼には煙のように姿を消していた。
ロロティアやマルガレーテも理由は何も聞いておらず、朱鷺子も瑞姫にはぐらかされたまま。亜莉亜は職員室で残務処理に追われていたので、二人が出かけた事自体把握していない。
凱も瑞姫に念話を送っていたが、遮断されているようで音沙汰を確認出来ない。
そうこうしている内に夜となり、凱は指定されたホストクラブに出向かねばならなかった。
*****
22時――
凱はそれなりのカジュアルな服で関内駅に降り立った。
週末だけあって、この時間でもかなりの賑わいだ。
男達は居酒屋やキャバクラを渡り歩き、カップルは洒落たレストランで食事し、女達はホストクラブで浮かれまくる。
凱の目にはそんな人間達が、金と酒と色に踊り狂う猿の群れに見えて仕方がなかった。
ため息をつきつつ財布からメモを取り出し、指定された店の場所を確認する。なお、財布には20万円入っており、日中にあらかじめ引き出しておいたものだ。
財布とメモをポケットに突っ込むとかなりの速足で歩き出し、およそ10分少々でドリームダイヤ関内店の前に辿り着く。
「……ここか。趣味悪そうなカッコしてんなぁ、どいつもこいつも」
店の前にあるパネル、つまりホスト達の写真を見て、凱は思わずぼやいてしまう。すると、それを聞きつけたのか店のドアが開き、美形なれど派手派手しい服とアクセサリーに身を固めた男が、凱を睨みつけながら話しかけてきた。
「おい、うちの自慢のホストを趣味悪いだと? お前、いい度胸だな」
「ほう? テメェ、ここの犬か」
「……ケンカ売ってんのか? お前――」
「あら? もしかしてあの方じゃない?」
「そうだわ、間違いない。あの人!」
犬呼ばわりされて凄んだホストと臨戦態勢の凱を、女の声が遮った。
凱とホストが声のした方に目を向けると、女性が二人立っている。
一人はやや茶色の髪にゆるふわな雰囲気のウェーブロング、豊満な肢体を持ったパンツスタイルのキャリアウーマン。
もう一人は黒髪黒目のストレートロング、豊満と言うよりはスレンダーな身体をワンピースで包んだ女子大生だ。
キャリアウーマンの女が凱の方に近寄り、話しかけてきた。
「この間は妹がお世話になりました。是非、お礼をさせて頂きたいのですが……」
「え……? ……え?」
凱は話した事も、ましてや見た事すらない女に困惑する。
一方、自分の客だと思っていたホストも茫然としている。
「あの、俺、これからこの店に入らなきゃいけないんで……。――おい、越前さおりに龍堂凱が来たと伝えろ。この店に来いと言われたからな」
「チッ! オーナーの令嬢がいってたガキはお前かよ……。来い、こっちだ」
「あら、そういう事でしたら、私達もこの方の同伴でお邪魔しましょうか」
「はい。わたし、この人と一緒にお酒飲みたいです!」
「……ちょっと、待っててください」
不満と困惑が入り混じる顔をしながら、ホストは店の中に戻り、数分して戻ってきた。
「どうぞ、お二方もご一緒で構わないとのことです」
言葉こそ丁寧だが、このホストからは不承不承な感情がにじみ出ていた。
女性を二人連れている凱を見た客の女達は、彼の服装が野暮ったく見えたのだろう、口々に悪口雑言をささやき合っていた。
一つの扉の前に着くと、ホストは扉をノックする。
『誰?』
「例のガキと同伴を申し出た姫たちをお連れしました」
『通して』
「失礼します。――ほら、入れ」
凱と二人の女性が扉をくぐると、案内したホストはドアを閉めながら出て行く。三人が入ったのはVIPルーム。豪華な装飾と家具をセットしたカラオケルームと思ってくれればいいだろう。
三人の前には腕と足を組んでふんぞり返る、高級ホステスのような出で立ちの女が座っている。
「座りな」
あからさまな命令口調で三人に着席を促すと、口を開く。
「久しぶりだな、凱」
「ああ、久しぶりだぜ、さおり。まだ生きてやがったとはな」
凱の挑発も同然の言葉に顔を女は引きつらせる。
この女こそ、凱の元姉・越前さおりなのだ。
「本題から話そうじゃないか。おめーの持ってる金、全額こっちに寄越しな。あ、手続きなら、うちの弁護士が全部済ませるさ」
「はあ?」
「は、じゃねーよ。おめーは一言、うんと言えばいいだけだよ」
一方的な態度のさおりに、キャリアウーマンの女が口を開く。
「あの、そのような話をこのような所でなさるのは……いささか不仕付けではありませんか?」
「同伴できただけのあんたらに何がわかんの? 大人しくうちの一流ホストの、一流の酒をたっぷり味わいなよ」
さおりはそう言いながらスマートフォンを取り出し、どこかに電話する。
「ああ、あたし。空いてるホスト三人くらい、VIPルームに寄越して。それとドンペリプラチナを三本。――ああ、よろしく」
電話を切った途端に邪悪な笑みを浮かべ、勝ち誇るさおり。
間もなく五〜六人のホストが入って来て、ボトルや氷を次々と置いていき、三人のホストが女性達の側についた。
そうして、さおりは畳みかける。
「これでおめーは逃げられねぇ。同伴のお嬢ちゃんたちも運がなかったねぇ。ま、身体で返してもらうからいいけどさ。あっはっはははは」
「たったそれだけの為に、こんな所に呼びやがったのかよ。下らねえ」
「ついでだから話してやると、ゴミ。母さんはな、『親の勝手とくっだらねぇメンツのせいで、つまらん男と結婚させられて不幸になった』っていつもいつも泣いてたんだ。ほんっとーに母さんが可哀そうだったよ」
さおりはそう言って言葉を区切ると、今度は般若のような形相で噛みつくような声を上げる
「その原因作ったのはな、くたばった小汚ねークソジジイと、ゴミ、おめーなんだよ。だから、おめーはあたしと母さんに全財産を渡す義務がある。これはおめーがやるべき償いだ、拒否権はねーぞ。こうして生かしてやってるだけでもありがたいと思いな」
完全に上から目線の元姉。
ホスト達も笑いを噛み殺しながら、凱に蔑みの目を向ける。
その薄汚い性根を真正面から見せられ、凱の怒りは蓄積して行く。
「だったら、知加子のクソババアに伝えやがれ。子を笑顔で捨てるクソ親は子に捨てられる。俺が小さい時、俺に何と言って逃げたかをよーっく思い出してみやがれ、と。あと、越前だか便所コオロギだかのチンカス野郎にも伝えとけ。ホストなどという女の金と身体を貪るだけの、底辺チンピラの仕事を誇りにして威張ってるクソ野郎はお呼びじゃねえ。金はびた一文やらん。それにテメェも俺にとっちゃ何の関係もない。むしろ害虫だ、消えろクズが」
この返答に、周りのホスト達の目に殺気が宿り、さおりも狂ったような大声で喚き散らす。
「あ゛あ゛?! ゴミが何偉そうにほざきやがる! 母さんを呼び捨てするたぁ、てめー何様だ! てめーには情ってもんがねーのかぁ!」
「は? んなもん、とっくにねえわ」
「全部言うからな! 父さんの仲間がてめー懲らしめにいくからな! 覚悟しとけや! そん時なって謝ってもおせぇからな、ゴミが!」
「言いてえ事はそれだけか。ったく、知加子のクソババアもそうだが、テメェも思い通りにならなきゃすぐそれだ、昔っからな。テメェらにやられてきた数々の仕打ち、俺は一度たりとも忘れてねえぞ。テメェらがやった事を棚に上げて、図星を突かれりゃクズとかゴミ呼ばわり。大した度胸だな、さおり。言うなら勝手にしろや」
「ざけんな、こんガキャァ!」
冷酷な目で言い返すと、怒鳴って殴りかかって来たさおりを返り討ちにして鼻を砕くと、ホスト達も立ち上がって凱に挑みかかる。
が、彼らは凱の両隣の女性達に返り討ちにされた。決して広くない室内であるのに、彼女達は見事にドンペリを避けて打ちのめしたのだ。
「……こんな店じゃ、この人と楽しく飲めません。が――ね、姉さん、他行きましょ?」
「そうね。あ、ボトル返して出ましょうか」
三人はボトルを一本ずつ携え、受付の黒服にこれを返した。
ところが黒服やホスト達は「出されたものは開けてなくても払え」とVIPルーム使用代にホストの接待料金、そしてドンペリプラチナ三本を合わせて300万もの支払いを要求する。
しかし、姉と呼ばれた女がおもむろに取り出したボイスレコーダーを取り出して反撃する。
「この店はぼったくり営業だけじゃなく、性風俗の斡旋までするんですね。出るとこ出ましょう、受けて立ちますよ? 巻き込んでくれた以上は、ね。」
黒服の一人がボイスレコーダーを取り上げようとしたが、これは凱が阻んだ。
「証拠隠滅か。やましい事してるから、こんな真似出来るんだな。おい、その犬。ここのクソ店長出せ」
騒ぎを聞きつけてやって来た店長らしき男も顔に怒筋を貼り付けているが、ボイスレコーダーを再生されると嘘のように手を引いた。
「こういう手合いはホストに限らず多いものですから、こうして普段から対策しているんです。悪しからず」
「わ、わかりました……。お、お代は……結構、です」
凱が店を悠々と店を出ると、二人の女性も揃って出てきた。
その女性達に、凱は深々と頭を下げる。
「巻き込んでしまって、すみませんでした。そして、ありがとうございました」
「いえいえ、こちらが勝手について行ってしまっただけですよ」
「さあ、顔を上げてください。どこかで飲み直しましょう」
女性二人は苦笑しながら、凱に頭を上げるよう促し、一緒に歩き出す。ところが――
「いたぞ! あいつだ!」
遠く背後から響いた声に三人が振り返ると、如何にもヤクザと言わんばかりの集団が凱を指差し、一斉に駆け出した。
「「こっち!」」
女二人に手を引かれながら凱は走り出し、人気の無い裏道を巧みに通って、どうにか追跡集団を振り切る事が出来た。
19/09/04 12:22更新 / rakshasa
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