連載小説
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醜い世界と再会の二人
<<注意!>>この回では魔物娘要素が殆どありません。それをご了承の上でお読み下さい。

***

――今も夢に見るほど忘れえぬ思い出、それは誰もが何かしらのものを持っている筈だ。
それが良いものか悪いものかはともかくとして――

男の名は龍堂凱(りゅうどう・がい)。
事の始まりは彼がまだ、魔物娘達の世界に行く遥か前にまで遡る。

だがこの当時、凱は別の姓であり、その名前を竜宮凱(たつみや・がい)と言った。
凱は幼少の頃、運動音痴だったのだ。
それ故にスポーツの出来る周囲は保護者一丸となって彼をいびり、イジメては笑い物にして楽しんでいた…。
悔しくて少しでも逆らえば総出の報復…、屈辱に塗れた毎日を耐える日々だった。
その心は怒りと悔しさ、憎しみと怨みが混然一体となって渦巻いていた。
片思いの女子の前で幾度も恥をかかされ、やがてその女子からも嘲笑された。
挙句の果てには実の母親である知加子に無能呼ばわりされ、暴言と共に暴力まで振るわれる有様だったのだ。

――お前なんか産まなきゃ良かったよ

知加子はそんな侮蔑の言葉を吐き捨て、それでもついて来ようとする凱に何の遠慮も無くハイヒールによる蹴りを見舞った。
ハイヒールの靴底が凱の喉元を直撃し、彼はそのまま蹴り飛ばされる。
知加子はその姿を嘲笑しながら高笑いすると、三歳上の姉・さおりを引き連れて颯爽と家から姿を消した。
さおりも凱を無能と忌み嫌って散々にいじめ抜き、父・隆哉の叱責にも猛然と反抗し、母と一緒に凱を虐待し続けた。
後に分かった事だが他の男、それもホストの所に走り、父母を通じて離婚届を叩きつけていた。

さおりが実はホストとの子であったのが判明したのもこの時である。

凱が中学を卒業する事には、全ての人間は敵となった。

その根底にあったのは、凱が中学入学から間もなくして別の世界からやってきた【魔物娘】という存在の認知だ。
既に10年以上も前から現代社会に潜伏していたと言う彼女達は心優しく、あり得ない程に能力も高く、何より美しい。

魔物娘の存在の影にもたらされたもの――それは差別と偏見、そして陰湿なイジメだ。

加害者達も周到だった。
次々と悪質かつ陰湿な罠で陥れて、凱を魔物娘に近づけさせなくした上で徹底的な憂さ晴らしをしたからだ。

魔物娘達も次第に凱に近寄らなくなり、やがて存在を認知さえしなくなった。
高校生になってからも凱を知る者達によって悪評があっという間に広がり、体育会系の部は挙ってあの手この手でイジメを仕掛け、保護者達は彼が運動音痴である事をネタに父親を通じて厭味の応酬を放っていた。

それ以外の残りは関われば巻き込まれる事を予め見越し、連中の取り巻きになる者さえいた。
言い方を変えるなら、彼らも立派な加害者である。

尤も…、そういう者ほど罪の意識そのものが低いのだから、性質が悪い。

教師連中に至ってはそんな凱を
―――イジメられるお前が悪い
―――運動音痴に生まれた自分自身を恨んで死んだらどうだ
など、擁護どころか関わりたくない、と悪口雑言の連発。
モンスターティーチャーとも言うべき、その無責任・無能ぶりは凱をますます追い詰めた。

凱がこれらの事を後年、「教師とは所詮、数の暴力と権力には勝てない、ただの木偶の坊であり無能の極みに過ぎなかった」と述懐した程に。

父以外で唯一の支えだった教師にも裏切られ、抵抗しても多数による報復の繰り返し…。
そんな日常への恨み、怒り、憎しみ、そして自分自身に対する悔しさをぶつける場も無い。

しかもこの全ての裏で糸を引いていたのが元母と元姉であった事を知るのは、遥か後の事であったが…。

そんな凱を黙って受け入れてくれたのがたった一人の肉親である父親だけだった。
父も外様だからという、たったそれだけの下らない理由から長年、批判の嵐に晒された。
少しでも関わった者は「制裁」と称した近隣一丸の嫌がらせを受け、
多くの家庭がそれに耐えられず批判の側に回るか、町を出ていかされた。

それほどに凱の住む町は狂っており、腐っていた。

人間の連帯感はこういう所で遺憾無く発揮される――

凱はそんな現実を日常として目の当たりにしてきた。

人間への虚しさや厭世感もこの頃には芽生えていたのだ。

そうして遂に隆哉にも陰湿極まりない嫌がらせが激しさを増し、無実の罪を着せられ、会社勤めを続ける事が出来なくなったのだ。
すまない、と詫びる父に凱は何も出来ない自分の無力さを思い知らねばならなかった…。
そして父は「餞別」と言って、ひとつの桐箱を凱に与えた。
その中にあったのは黒真珠と言うにはあまりに大きく、その奥底で何かが脈打つ感覚を覚える、不思議な水晶球だった。

間もなく隆哉は病に倒れてしまい、周囲は父子をますます嘲り笑った。

凱の境遇は相変わらずだったが、それでも父は病を押して子を守った。
周囲の者達はそれが腹立たしくて堪らなかったのか、嫌がらせを公然と行うようになり、
教師や警察まで堂々と参加した程の凄惨な状況に発展し、それでも三年間耐え抜いて卒業したのは父がいたからなのだ、と凱は後に回想している。

そんな中で凱は、龍堂瑞姫(りゅうどう・みずき)と言う名の少女と出会う。
きっかけは父の入院している病院での事。
入院した父の見舞いに訪れた際にすれ違った、ただそれだけの事だった。
けれどこの二人にとっては、それだけの事と済ませられるものでは無い。

互いの心に電流のようなものが走ったからだ。

振り返り、原因となった人物を見つめ合う二人。
片や、ちょっと小太りこそしているが、しなやかな動きを身に付けつつある高校生の少年。
片や、幼い顔立ちと白金の髪を持つ、中学生になったばかりであろうアルビノの少女。

お互いに言葉をかけようとするが言葉が同時に出てしまって会話にならず、傍から見れば初々しいカップルと言った所か。
それでも少しずつ、二人は互いを理解しようと話す機会を増やした。
瑞姫はやや病弱な体質でもあった事から、病院に居る期間が比較的長かった。
その事も幸いしたのであろう、凱も父の見舞いに訪れる時には二人分の見舞いの品を持つようになった。

この前後、凱はある夢を頻繁に見るようになった。

それは瑞姫と同じ、白い髪の少女が泣いている姿。
体の所々を泥や墨で汚され、見るも無残なものだった。
尚も振りかかろうとする悪意を払おうとするも、抑え付けられて指すら動かせず、ただ見させられるだけ。

そうして夢から覚めるのだ。

何かが引っ掛かる、そう思っていてもイジメによるフラッシュバックに潰され、思い出す事が出来ない。

凱にとっての苦悶の日々はその後、卒業式の日まで続く事になる…。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

やがて迎えた高校の卒業式。
それは凱にとってあまりにも無味乾燥の世界だった。

周りは泣いている。

一体何に泣いているのか――
凱はそれが不思議でならなかった。

そして彼は、自分だけが社会そのものから置き去りにされた事を改めて思い知らねばならなかった。

人間の汚さと醜さを幼い頃から見させられてきた彼からしてみれば、人間全てが、都合のいい憂さ晴らしの道具を探すだけの木偶人形に映った。

彼は誰からも声をかけられなかった。
誰からも存在を認識されていなかった。

魔物娘達にさえで、だ。

周りには見せつけるようにイチャイチャしているカップルばかり。
男子では凱だけが彼女のかの字、いや、人の気配すら無かった。

何とも悪い方向での奇跡的な確率によって、凱はあぶれたのだ。

だが彼にして見れば、そんな事は最早どうでも良かった。
煩わしい集団生活がようやく終わった―――たったそれだけがその心にあるのみだったから。

凱の眼は、この世に生を受けてからずっと地獄を見続けてきた者が持つという死生眼(ししょうがん)にも近かった。
夢や希望は狭い世界の悪意によって粉々に砕かれ、永久凍土の如く冷たく凍てついていたその眼の中にあるのは、永久(とこしえ)の闇しかない。

校門を出ようとした時、一人の教師が行く手を塞ぐ。
謝罪の言葉を言いながら土下座した姿に、目の前が血のように赤く染まる。
怒りと怨み、憎しみがこれでもかと噴き出し、教師をあらん限りに罵り、

卒業式を終えた日の夕方近く、家に帰ると病院からの留守電が入っていた。

その内容は父が危篤である事のみ。
急いで病院に行くも既に隆哉は死の床にあった。
だが、彼は凱が来た事を知るや最期の力を振り絞り、息子に伝える。

「……ずっと、辛い、思いを、させて……、すまない」

その言葉に凱は改めて父の思いを知り、頭を横に数度振りながら涙する。

「俺の、机の……引き出しに、お前に、あてた、手紙が、ある。心して……それを……読むんだ。お前の、これからを、記して……ある」
「父さん……」

凱は父の手を握りながら呼びかける。
病身になろうと自分を守ってくれた父の体は死の病によって、見る影も無いほどに痩せ衰えていた。
父の前だけは心に光を取り戻す事が出来た。だがそれはもう叶わぬ事となる。
魔物娘の台頭がもたらした人間達の差別によって、間もなく死する身にまでさせられたのだから。

「お前を、一人に、させやしない……。強く……強く生きるんだ、いいな!」
「……うん……!」

涙声で返事をする凱に隆哉は微笑んだ。最期の言葉を添えて……。

「凱……。……もう……他人の為に、泣くな。……あの子の為に、流せ。あの子と、手を、取り合って……強く、生きろ……!」

それが父・隆哉の最期の言葉だった。
その言葉と共に父の体から全ての力と共に温もりが消えた。

「はい、ご臨終ね。ったく、仕事じゃなかったら、おめえらなんぞ看たくもねえわ」

医師のいかにも面倒臭そうに、「仕事だから、やってやってるんだぞ」とあからさまに不満げな表情での投げやりで無造作。
しかもあからさまな嫌味を添えた宣告。

凱は全てが終わったのだと嫌でも悟った。

良く見渡せば、病院内にも魔物娘が溢れている。
患者としてだけでは無い。
患者の恋人や妻、看護師として働く者もいる。

当たり前であるかのように笑顔を振りまき、凱達父子には何の見向きもしていない。

臨終の宣告が聞こえているのに―――!

―――俺達父子が地獄を歩かされている中で! こいつらは太陽の下を当たり前のように歩き、のうのうと幸せというものを貪ってたのか!

凱の心は破綻寸前になった。
その心中に憎悪と言う名の暗い炎が狂ったように燃え上がる。

――この世の全ての命が憎い!
――世界にのさばる人間と魔物娘が憎い!
――力の無い俺自身がもっと憎い!

彼の命を繋ぐたった一つの原動力、「全てに対する憎悪」が宿った瞬間だった。
同時に、凱に流れていた涙は止まった。
この瞬間を境に彼の目から涙が流れなくなった。
泣く事が出来なくなってしまったのだ。

最初の怒りの矛先は医師に向けられた。
嫌味たっぷりに見下す顔に凱の拳が渾身の力で突き刺さる。
殴り飛ばされた医師は力の限りに何十発も顔を殴られ、鼻と全ての前歯を砕かれた。
この世のものとは思えぬ怒りの形相に医師は失禁し、騒ぎを聞いて駆け付けた警備員に尋問された凱は、己が言葉の暴力で父の死を汚した事を怒りと共にぶちまけた。
あまりに怒り狂う凱を目の当たりにした警備員は、事の次第を知るに至り、「もうこんな事はするな」と父の葬儀の手続きをするよう促し放免した。

病院からの事務的で無機質な忠告を受け、凱は父の亡骸を直葬にして弔う事となった。
しかし、火葬するにしても死後24時間を経過しなければ行えない事もあり、止むなく凱は自宅に帰宅した。
孤独と沈黙が住み慣れた家に流れ込む。

けれど、凱は父の遺言に従い、父が使っていた机の引き出しを開ける。
するとそこには凱にあてた手紙、書類が入っているであろう大きな茶封筒、白い封書が入っていた。
凱が手紙を取り出し、その封を開けて中身を広げる。

『この手紙を見ると言うことは、俺は死んだと言うことになるだろう』

序文が示すのは、父が既に死期を悟っていた事であった。
凱はそれにいきなり驚かされる。

『だが、お前に何も無い状態で死ぬことはしない。
 お前には遺産として、今後の生活に困らないように預金口座を遺しておいた。
 金額は見てのお楽しみだが、決してお前に苦労をさせない額は遺したつもりだ。
 手続きもお前の証明を示すだけにまで済ませてあるから、書類を持って銀行に行くと良い。
 これは司法書士を通した上での遺産相続の手続きの一つだ。
 必要な書類は大きい茶封筒に入っている。一緒に入れた鍵は金庫のものだ。
 お前に渡す通帳はその中にある。
 その司法書士は俺が唯一信頼している友人だ。
 書類と一緒に名刺が入っているから、そこに電話して手続きしてもらえ。
 お前に苦しみばかり与えてしまった事が最大の心残りだった。
 だが、お前が薙刀の道場に通い、真剣に励んでくれた事を誇りに思っている』

「父さんは……見ていてくれてたのか……」

自分を見つめ、認めてくれていた存在の一人。
それが父親だった。

『最後に一つ、大事な事を遺しておく』

遺書の文は更に続く。

『瑞姫ちゃんを知っているだろう?』

瑞姫――病院で出会った、白い髪の少女の名

『あの子はお前が小さい頃に助けた女の子だ』

記憶の彼方に追いやられていた記憶が鮮明に蘇る。
まるで封印を解かれたかのように…。

白い髪の女の子――夢に出ていた、その幼い女の子こそ瑞姫だったのだから。

「俺は……あの子に、また、会っていたって言うのかよ!」

一度たりとも思い出せなかった事に深い後悔と怒りが湧き上がる。
文はまだ続く。

『俺はあの子の親を知っているし、会っている。
 ずっとお前の事を覚えていたぞ。
 そしてお前と瑞姫ちゃんは許嫁同士だ。
 然るべき時が来たら伝えようとしたのに、こうなってしまって本当にすまない。
 龍堂さんの家には必ず電話をしておけ。
 もう一枚の名刺に龍堂さんの家の電話番号がある。
 もし彼らの家を訪ねる時には白い封書を持っていけ。
 そして、封筒を龍堂さんのお父さんかお母さんに渡せ。
 絶対に開けずに渡すんだ。
 そうすれば後は彼らがきっと取り成してくれるはずだ』

――許嫁? 何時の間にそんな事が……?

『瑞姫ちゃんと手を取り合い、強く生きるんだ。お前の幸せをあの世で祈っているぞ。   隆哉』
  
読み終えた凱の手は震えていた。
分からない事だらけではあっても、死期を悟った父が後々の事で困らぬよう、次善策を示していたのだ。
涙は流れなくなろうとも、父の思いには感謝してもしきれない。

「手を取り合い、強く生きろ」の言葉に背中を押されるような思いだった。
早速行動に移すべく連絡を取ろうと思うも既に夜を回っており、司法書士の事務所は開いていない。
速やかに寝る事以外、凱に出来る事は無かった…。

翌日、凱はいつものように早起きしたものの、学校に行く必要も無くなった身であるのを自覚するのに少し時間がかかった。
自分で作って冷凍保存していたベシャメルソースを使ってクロックムッシュを作り、かぶりつく。
違うのは父がもうこの世にいない事。
たった一人の食事がこんなにも味気無いものである事を思い知るが、それが遅いか早いかの違いだけなのかも知れない。

〈昔の父さんもこんな気持ちだったのかな……〉

慣れろ――ただそれだけなのだから。

就職も結局決まらなかった。
高校の進路指導の教師も凱を無能者と見下し、斡旋どころか何の相談にも乗らず、ただただ罵倒するのみだった。

薙刀の師範は初老の女性だった。
彼女もまた、凱の事を認めていた一人であり、周囲の目を恐れつつも、凱にこっそりと技を教えていた。
凱は師範の気遣いに助けられ、周囲がやっている型を見て盗むやり方も取り入れ、技を次々と身につけた。
果たして技量は師範に匹敵するレベルにまで達していた。
だが、それに気付く者は亡き父と師範だけであるという皮肉。
護身術も柔術も密かに独学で習得していたものの、凱にとっては最早どうでもよくなってしまった。
一通り技を身につけたら道場を辞める事を決めていた。
今後の事を考えれば、月謝を払うどころでは無くなるのは明白だ。

朝食を済ませた凱は、父の友人であると言う司法書士・北市に連絡を取った。
彼は父の死にかなり驚いた様子だったが、人の汚さ、醜さを見続けてきた凱にして見れば、演技にしか聞こえなかった。
それを内心に収めつつ手続きの旨を伝えると「すぐにでも来て欲しい」と返答がなされた。

凱はバッグに必要書類と金庫から取り出した通帳を詰め、途上で出会うかもしれない不届き者達への警戒をしながら司法書士のいる事務所へ向かった。
幸い、事務所までの道で敵に出会う事は無かった。

出迎えた北市は父に比べて多少はマシな身なりだった。
聞けば、父・隆哉は中学生の頃に自分を助けてくれた恩人であり、恩返しの為に一念発起し、やがて大学へ進み、苦労の末に司法書士としての道を掴んだのだと言う。

だがその彼もまた、魔物娘の台頭に苦しめられる者の一人であった。

力、体力だけではなく知力までもが常人を遥かに上回るがため、司法書士としての仕事を急速に奪われていったのだ。
妻や子供もいたが愛想を尽かされた末に離婚され、弁護士と結託した姦計によって親権や財産を根こそぎ奪われたという。
凱は人間と魔物娘、双方に対する怨みと憎しみを司法書士へ徹底的にぶつけた。

それは怨み節そのものであり、聞く者によっては嫉妬、または逆恨みと断ずるだろう。
北市はそれを聞いて告げた。

「これが司法書士としての最期の仕事だ。君のお父さんへの恩を今こそ返す時! 早速、手続きに入ろう!」

手続きは綿密なものとなった。
父の死と遺産の所有を知れば、親族を名乗る者や虐待した者達が何らかの手段で恐喝と搾取に出てくるのは必至。
手始めに銀行に二人で行き、口座の切り替え手続きを行った。
書類は全て、凱の父が生前に用意していた物である。
これを済ますと返す刀で事務所に戻って書類を作成し、公正証書も作った。

今度こそ、誰にも文句は言わせない――ただそれだけの一念の下に。

人、社会、法、権力――
全てが彼らを見放し、虐げ、踏み躙った。

「これが最初で最後の、世界に対する反撃の牙だ」と、この時の凱は信じていた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

それから三日後。

火葬も済ませ、骨壷が家に加わっていたが、口座変更の認可には間があった。
更にそこから最大で十ヶ月もの間、遺産相続の認可だけではなく、凱の父が遺したものに関する解約等の手続きに費やされる。
この手続きについては司法書士が全て請け負う事を申し出、彼はそれに全てを捧げた。

そして、それが二人の最後の対面となった――

凱はこの日の内に薙刀の道場を辞めた。
師範には慰留されたものの、父の死去で今後は月謝を払えなくなる事、そして町を出て行かされるであろう事を話し、互いに断腸の思いで受け入れた。
帰り際、常に凱を見下してきた師範代と一部の門下生達が、師範が止めるのも聞かず憂さ晴らし目的で勝手に因縁をつけた。
これによって遂に凱はぶち切れた。
複数の門下生達を相手に今まで独力で技を蓄積・鍛錬した技を披露し、たった一人で見事に彼らを打ちのめして見せた。
力強くもしなやかで、鮮やかに円を描くそれは舞踏ともいってもいいくらいのものであった。

振り返る事も無く道場を去った凱の背中を見た師範は逸材を棄てなければならない事を悔やみ、心の中で彼のこれからの多幸を願った。
打ちのめされた門下生達は侮蔑と嘲笑を浴びた末、逃げるように道場を辞めていった。
師範代は独断行動とこれまでの行いを師範に咎められ、決まりかけていた独立を取り消されてしまう。
怒り狂った師範代は師範のみならず門下生達に当たり散らしたために傷害罪で逮捕され、道場を破門された。

彼らのこの敗北は深い遺恨として残り、後に警察官やヤクザとなって凱と対峙する者達の一部になっていく。

その日の夜、凱は父の遺言に従って龍堂家に電話をかけた。
母親らしき女性の声が電話口に響く。

『はい、龍堂でございます』
「夜分にすみません。私(わたくし)、竜宮と申しますが、ご主人か奥様はおりますか?」
『…! 凱くん? 凱くんなのね!?』
「奥様でしたか。お久しぶりです」
『五年ぶりね。お父様の事は残念…だった、ね』
「気にしないで下さい。火葬も済ませてますから。父の遺言でそちらに電話するようにあったんですが……」
『そう。それじゃあ、明日の昼に来れるかな?』
「ええ、大丈夫です」
『分かったわ、待ってるわね』
「はい、では失礼します」

電話を切り、嘆息をつくと適当な一張羅を揃え、入浴を済ませて床に就くと泥のように眠りに落ちた。
すると彼の眠りに呼応するかの如く、凱の自室に置いてあった桐箱が唸りを上げていた。

まるで生きているかのように……。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

魔王城――最大の暗黒魔界にして、魔界の最深部・王魔界の中心にそびえる、魔王が座する巨大な王城。

その一角に城の施設とは思えない豪華な造りをした部屋と施設はある。
部屋の主は何かに反応したかのように巨大な鏡に何事か呟くと、黒い水晶球が唸りを上げる姿があった。

「黒宝玉……、ようやく見つけたぞ」

主はまるで捕食者の如き不気味な笑みをこぼしながら呟くと、再び何事か呟き、魔法を鏡に放った。

「今度は逃がさん」

そう冷徹に言い放つと、鏡の魔力を解いて椅子にふんぞり返りながら、次の行動を思案するのだった――
19/01/01 15:04更新 / rakshasa
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■作者メッセージ
再掲載ですが、文面は以前とあまり変えておりません。

魔物娘の要素が最後にしかありませんが、
物語の進行上、必要と判断したがゆえの事なので、
ご了承頂けましたら幸いです。

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