連載小説
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メイドは未来の良妻賢母?
王魔界に帰還したマルガレーテは早速、魔王城に向かった。

挨拶もそこそこに自室に入ると、鍵付きの金庫に仕舞い込んでいた豪奢なベルを取り出し、これを鳴らす。
このベルは特定の人物を呼ぶ為の特別製で、それ故にいざという時の為として他の者の目につかないよう、厳重に仕舞い込んでいたのだ。

ベルが鳴って数秒後。
ドアのノック音が響き、やわらかで優しげな女性の声が遅れて伝わる。

『お呼びでしょうか、主(あるじ)さま』
「お入りなさい」
『失礼致します』

ドアが開けられ中には入ってきた者――それはキキーモラであった。
座るようマルガレーテが促すと、キキーモラは一礼をしてこれに従う。
着席を確認すると「言わねばならない事がある」と前置きした上で告げた。

「ロロティア・アンバー。今この時をもって、メイド長の任を解きます」
「っっ?!」

突然の解任通告に、ロロティアと呼ばれたキキーモラも動揺を隠す事など出来ない。
だが、彼女の動揺に構う事無く、マルガレーテは続ける。

「解任に伴い、新しいメイド長を貴女自身で選出なさい。それが終わったら、すぐに荷物をまとめなさい」

一体どう言う事なのか、ロロティアの思考が追い付かない。

「わたくしと一緒に人間界に来て貰います」

この言葉にロロティアは固まってしまう。
マルガレーテも話が急過ぎたと感じたのか、ロロティアを落ちつかせ、話を続ける。

「貴女を引き合わせるに相応しい者達がいますわ。その為には、此処でメイド長をしているままでは何かと動きづらいでしょう? ですので急ではありますけど、メイド長の任を解き、わたくしが今後居を構える場所でメイドをして貰いたいと思い、この話をしましたの。ロロティア。貴女の意見を、聞かせて貰えるかしら?」

逡巡の後、ロロティアが口を開く。

「その世界で私にメイドをせよとは……。 主さまは私にどうせよと仰せなのですか!?」

人間界でメイドをせよ、と言われても迷いが見える眼差しに、遠回しな物言いは無駄だとマルガレーテは察した。

「ロロティアの夫となるに、相応しい相手が見つかりましたわ。そして、その方の妻となって貰いたいの」
「…………」

言葉を失って俯いてしまうロロティアに、マルガレーテは更に告げる。

「その方は既に五人もの魔物娘を婚約者に迎えています」

尚も黙るロロティア。

「わたくしは婚約者の一人として、貴女に引き合わせたいと思っていますの」
「……っ! 婚約者!? 主さまに夫となる方が?!」
「ええ。貴女もその方の婚約者、いいえ、妻となるに相応しいと思い、この話をしましたの」
「そう……ですか」

観念したかのような仕草のロロティアに対し、マルガレーテの口調は真剣だ。

「もし、貴女にとってその方が夫となるに相応しくないと思ったら、遠慮する事は無いですわ。正直に仰いなさい。あの方はわたくし達の言葉と意思を尊重して下さるから、強引に引きとめるような無粋な真似は決して致しません。わたくしが保証しますわ」
「……主さまが、そこまで仰せであるなら、私も会ってみたいです」
「よく、言ってくれました。では、新しいメイド長の選出にかかって下さいませ」
「畏まりました。直ちにメイド達を集めます」

ロロティアはマルガレーテと共に人間界に行く事を了承し、早速、自分の後任を指名する作業に入る。
その背を見送るマルガレーテも安堵した様子であった。

ロロティアが後任を選出し、マルガレーテと共に凱の下に赴くのは、それから一週間近く経っての事である。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

マルガレーテとの契りを結んてから約一週間。

凱は今、特別寮のリビングでエルノールと共に居る。
『引き合わせると約束した者を連れて、こちらに戻る』とエルノールを介して連絡が来たのだ。
しかも関係者全員、特別寮に来て欲しいと言ってきたのである。
要求に従うとなればスケジュールの制約は必ず出る。
そこで、「都合を合わせられるのは午後四時以降となる」との旨をマルガレーテに伝え、了承させた。

「かの者を連れて来ると言うとったが、どんな者じゃろうなぁ?」
「それは《マルガレーテ(彼女)》に委ねるしか無いでしょうね」

凱はラジオを聴きながら緑茶をすする。
対するエルノールは凱が作ったおかきに加え、白桃・牛乳・寒天を使ったフルーツ羊羹をお茶請けにしながら、緑茶を堪能している。
そうやって二人は他愛も無い会話に興じているのだ。

「兄上、今日の夜の献立は決めておるのか?」
「エルがそう言うのなら、いっそ《特別寮(ここ)》に入ればいいんでは?」
「そうは言うてもな。学園長としての仕事っちゅうもんは意外と忙しいもんなんじゃ。そう簡単に離れられんわ」
「中央塔に近いと言ってもすぐに来れるもんじゃないのは確かか。中央塔の内部に設ければよかったのかもしれないね」
「それは今の段階では不味かろう。中央塔は中等部と高等部の者達も来るし、学園全体の会議室もある。わしらの行為を万が一にも見られたら、この学園は潰されてしまうぞ。しかも、兄上の悪評を流す者が中等部と高等部から、教師陣を通じて出始めておる。出所を突きとめる為に今は泳がせるしかないが、奴等に攻撃材料を与える真似はしたく無いんじゃよ……」

おかきをバリボリ頬張りながら、愚痴をこぼすエルノール。

「兄上の作るお菓子もやっぱりなかなかの物じゃ。うちの支部でも作れるように教え込まねばならんのう」
「そうして頂けたら助かりますよ」
「空いてる時間があるんじゃから、それを使えば良かろう。支部の者を此処に来させれば良い」
「この寮は俺一人で運営するようなもんですから、掃除もあるんですがね……」

そんなやり取りの中、授業を終えた瑞姫と朱鷺子が帰ってきた。

「ただいま、お兄さん」
「たっだいま〜」
「あっ、またお菓子作ってたの? もう……」

膨れっ面になる瑞姫の姿に苦笑する朱鷺子。

「大丈夫だよ。皆の分も――」

言い終える前にインターホンが鳴らされる。

「来たのかな? 見てきます」
「わし等は此処で待っとるとしようか」

凱はエルノールの返答を背中で聞きつつ、ラジオのスイッチを切る。
寮の玄関に行き、覗き窓を見ると、特別クラス学生寮の寮母を更に温和で優しくしたような雰囲気のキキーモラがいた。
黒い服にメイドキャップとメイドエプロンという、いかにも模範的なメイドと言える出で立ちだ。
マルガレーテはそのキキーモラの横に立っている。
亜莉亜も一緒にいた。途中で合流したのだろう。

「はーい、今開けますよ」

ゆっくりと玄関ドアを開けると、確かにメイド姿のキキーモラだったが、凱はその姿に一瞬硬直する。
我々が認知するメイドとは一線を画す大きな特徴が一つ、件のキキーモラにあったからだ。

それは身に纏っているメインの服。
彼女は黒無地の和服の上にメイドエプロンを着ているのだ。
明治末から昭和初期に登場した「女給」の服装と殆ど同じである。
キキーモラは凱の姿を確認すると、恭しくお辞儀し、名乗った。

「お初にお目にかかります。私はマルガレーテさまにお仕えしております、ロロティア・アンバーと申します」
「は…初めまして。龍堂……凱、です」

ロロティアは優しい笑みを浮かべ、凱に話しかける。

「あなたがマルガレーテさまの……。主さまより僅かですがお話は聞いておりました。実は――」
「そこからはわたくしがお話しますわ。我がメイドのロロティアを、この特別寮に置いて頂けませんこと?」

一瞬考え込む凱だったが、手早く返答する。

「……俺個人としては異存は無いが、皆に引き合わせたい、と言っていたのはこの…ロロティア…さんの事、だろ?」
「あ……、そうでしたわね。わたくしとした事が、つい……」
「早く入るですよー」
「どうぞ、中へ」

三人をリビングへ通し、待機している別の三人とも顔を合わせる。

「ほう? マルガレーテが引き合わせたい、と言っておったのはキキーモラじゃったか」
「キキーモラって確か、魔物娘の中でもとりわけ家事に優れた者が多いと言う……」
「その通りじゃ、瑞姫。じゃが、いくらキキーモラとて、初めから全てを持っておるとは限らん。メイド専門の養成学校に行かねば、さしものキキーモラとて立派なメイドにはなれん。ぐうたらな奴もかなり稀におるからのう」
「そんなに……家事、上手なの……?」
「ロロティアはわたくしに仕える者達の中でメイド長を務めておりました。この度、皆様にお引き合わせするにあたってメイド長の任を解きましたが、この特別寮のメイドとして置いて頂きたいのです。メイドとしての力は、わたくしの命と名誉に賭けて保証致しますわ」

朱鷺子の疑問にマルガレーテは答える。
自らの命とプライドを賭けると言い切ったのだ。
マルガレーテがロロティアに対して全幅の信頼を置いている、何よりの証拠だった。
返礼するかのように、瑞姫達も自己紹介を始める。

「初めまして。龍堂瑞姫です。お兄さんとは……義理の妹です」
「三日月……朱鷺子……だよ」
「鬼灯亜莉亜ですー。キマイラだけど、普段はあたしが主体ですよー」
「わしはエルノール。風星学園の学園長じゃ」
「皆さま、ご丁寧にありがとうございます。私はマルガレーテさまにお仕えしております、ロロティア・アンバーと申します」

それぞれに自己紹介を終えたのを見て、凱は話を切り出す。

「皆はこの……、ロロティアさんをメイドとして置く事に、賛成か反対か、遠慮無く言って欲しい」

真っ先に答えたのは瑞姫だ。

「わたしは賛成します。わたしがお兄さんだったら、きっとここに置くから」

残る者達も続く。

「うーん、……ボクは……特に異存ない、かな?」
「あたしは、メイドがいてくれたら助かると思うですよー」
「三人とも賛成か。わしも異存はないが、授業にも出て貰う事が条件じゃ。瑞姫と朱鷺子の講師として、な」
「……っ。……分かりました。それが学園長さまの意向とあれば、お受け致します」

ロロティアはエルノールの条件に思わず硬直するものの、これを了承し、お辞儀する。
その姿勢は流麗で、一般的に認識するメイドとは違う、和服が持つ貞淑さと妖艶さを同時に醸し出していた。

「その為の制服はわしが負担しよう。ただ、計測はせねばならん。この後、みんなを連れて行くが良い。わしと兄上はまだ仕事があるから一緒に行けぬが、場所は鬼灯教諭が知っておる」
「学園長さまの指示に従います」

唯々諾々と従うロロティアの姿に、凱は「これがメイドと言うものなのか?」と疑問に感じた。
本来のメイドは奴隷の一歩手前と言っても過言ではない。
違いと言えば、メイドは「外部から迎え入れられた家族の一員」と言われるところだろう。
メイドは原則的に住み込みが前提であり、現金による報酬はあっても微々たるものだった。
その代わり、衣食住が完全保障され、場合によっては学校に通わせる等の形での報酬も歴史的には特段珍しいものではなかったらしい。
「外部から迎え入れられた家族の一員」といえる根拠の一つにもなる。

現代日本で独り歩きのように発展した、サブカルチャーとしてのメイドとは全くもって違う。
けれど良い面もあれば悪い面もあるもので、社会的保障がある分、メイドによる窃盗や殺人が横行したのもまた、皮肉な現実だ。

少なくとも魔物娘にはそのような事は無い、と信じたいのが凱の気持ちであった。
それを瑞姫がいち早く察し、傍に近寄って話しかける。

「お兄さん。この人なら大丈夫。だって、これから家族の一員になるんだもん」
「……そっか。そうだな……」

優しく頭を撫でられながら、愛おしい人を見つめる瑞姫の姿を見たロロティアの心の奥底に、じわりと鈍い痛みのような感情が沸き上がる。

〈これは……何? こんな感じは、生まれて……初めて……〉

羨望なのか、それとも嫉妬なのか。
この時点ではまだ、彼女自身でも分からないものだった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

凱とエルノールを除く五人が制服取扱店に行った後、凱は夕食の仕込みに取り掛かり始めた。
彼の様子に、エルノールは半ば呆れたように言葉をかける。

「兄上は相変わらずじゃのう」
「料理か武術の鍛錬でもしてないと、気が晴れないんですよ」
「兄上の過去を考えれば、それも止む無し、か。ところで今日は何を作るんじゃ?」
「歓迎会も兼ねて、ケーキやビーフシチューにしようかと思ってます。ケーキと言っても、アイスケーキって言うちょっと変わったものですけどね」
「それは楽しみじゃ! では、その時を楽しみにしようかのう」
「……仕事の方は大丈夫なんですか?」
「さっきはああ言ったが、今日の分の仕事は終わらせておいた。明日からはまた書類の山じゃろうが、折角の歓迎会じゃ。わしも出ないでどうする」

そう言いつつ、エルノールはリビングにあるテレビのスイッチを入れる。
しかも彼女が入力したチャンネルはサバトが100%出資している、所謂「変身ヒロインもの」や「魔法少女もの」と呼ばれる類のアニメや子供向け番組を中心に放送する放送局のものだった。
そうして残っている菓子をつまみつつ、テレビ鑑賞にふけるのだ。

サバトらしいと言えばサバトらしいのかも知れないが……。

〈思えば、レーテの時には出来てなかったな〉

ふと、凱はそう考え、ビーフシチューの量と元々作ってあるアイスケーキの量と種類も増やした。

〈あ、スイカ余ってたな。豆乳もあるし、スイカの寒天を追加するか〉

スイカと豆乳、更には粉寒天なども取り出して切って、煮込んで、混ぜて、流して、冷やして、固めて…。
一通りの料理やデザートを作って一休みに入ると、残っていたフルーツ羊羹をゆっくりと胃の中に流し込む。
自分で作った物とは言え、ふっ、と安らぐひと時だった――

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

さて、店に向かった五人はと言うと――

「これが、制服…という物なんですね。人間界ではこういう物を着なければならないんですか?」

展示品を見て、違和感の拭えない感想を漏らすロロティアに、マルガレーテが指摘する。

「ロロティア、貴女がメイド訓練校に通った時のメイド服と同じようなものです。人間界ではこのようにしっかりした作りをしてるのが特徴ですわよ」
「…学校の制服とメイド服を一緒にするのも、どうかと思いますが…」

瑞姫の指摘については止むを得ない部分はある。
魔物娘のメイド訓練校は何もキキーモラの専売では無く、あくまでもキキーモラの比率が多いだけに過ぎない。
未来のメイドを目指して、サキュバスのみならずクー・シーやホルスタウロス、果てはドラゴンまでも学びにやってくるのだから。
その生徒達に支給されるメイド服はアラクネの糸で作られた頑丈かつしなやかで、動きを妨げない逸品なのだ。
ウールとポリエステルで織られた人間界の学校制服やメイド服と比べたら、強度も質も雲泥の差である。

それらはまだ、瑞姫と朱鷺子が教わっていない事柄でもあった。
そしてアラクネやジョロウグモが男性用に縫製する衣服には「とてつもなく重い意味と魔力が込められている」という事を、瑞姫はまだ知る由も無い…。
因みにロロティアの和服と帯はジョロウグモの糸で織られた特注品だ。

不承不承になりながらも縫製の為の計測を終え、ロロティアは溜息をつく。
マルガレーテがどうにか宥めてはいるものの、図鑑世界と人間界では勝手が違うという事でもあった。

日本はかつて「制服の国」と揶揄された事がある。
それは言わずもがな、中学・高校でほぼ着用を義務付けられている学校制服を始めとした、職業ごとに存在する種々雑多な制服達だ。
特に高校に至っては生徒数確保の為、大胆なモデルチェンジまで行った高校も実際にある。
海外にも無い訳ではない。日本が多過ぎるのだ。
学校や職場で(特に女性に)必須と言っても良い服装だった物が今や、「制服の写真をもっと貼って欲しい」と海外からリクエストが来るのだから、時代の流れというものはつくづく分からない。

なお、瑞姫と朱鷺子にも制服の採寸が行われた。
人間界の素材による制服では彼女達の身体に合わなくなってくる、と懸念したエルノールが裏で手を回していたからである。
瑞姫は凱から送られたばかりのメールを読んでいる。

ロロティアはふと、己の本分を思い出す。
メイドとして働くからには、此処でこんな事をしていていいのか?――
一刻も早く仕事場となる特別寮に戻り、夕食の仕込みに入らなければならない――
そう考えていると、不意に瑞姫が話しかけて来た。

「ロロティアさん、今さっきお兄さんから『食事を作ってるから、みんなでゆっくりして来い』ってメールが来てましたよ。メイドにも休みは必要だから…って…」
「めーる…って、何ですか?」

図鑑世界に携帯やスマートフォンの類いは無い。
というか技術的に作る事は不可能だ。
もっとも、遠方との会話をする為の魔道具―要するに電話や通信機器―は魔界や親魔物国家で浸透しつつある。
反魔物国家にはそのような技術は全く無いので、伝書鳩や狼煙、飛脚及び肉屋飛脚(現代で言う郵便や宅配便)、ラッパで連絡を取り合うしか無いのだが。

「それは明日からいっぱい教わると思いますよ」
「そう……ですか」

分からない事だらけの人間界でメイドとして働く事になったロロティアの未来がどうなるのか、それは今の段階では不透明と言う他無かった――

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

ロロティアら五人が特別寮への帰路につく頃、凱も料理の仕込みを終えて出来上がりを待つだけの状態にあり、エルノールと共にテレビを観ていた。

「どうじゃ兄上。サバトの資金はお主のお父上が遺した資産の何万倍もあるんじゃ。資金源は企業秘密故、明かせんがな」

下手な民放テレビ番組よりもリアリティがあり、アニメの出来も素晴らしい。
一体何処にそれだけの人員と資金を賄える術があるのかと考えれば、サバトもまた、魔物娘陣営の巨大組織の一角を担ってるのは疑いようもない事実だ。
もっとも、日本はサバトの存在を目の敵にしている勢力が多く、表立って活動出来ているのが不思議なくらいでもある。

「仮に今知ってもどうしようもないでしょうに」
「それはそうじゃが、兄上は真面目が過ぎるぞ」

呆れるように切り返すエルノールの言葉に、凱はそれ以上答えない。
風星支部のメンバーになったとはいえ、今の時点では外部協力者の立場に過ぎなかったのだから。
そこに凱の携帯が震え出した。

「ん? メール? ……瑞姫か」
「瑞姫がどうかしたのか?」
「――『今、《特別寮(こっち)》に戻ってる。ご飯が楽しみ』、だそうで」
「頃合いのようじゃな。準備にかかろうぞ」

エルノールはそう言って立ち上がり、食器を手早く用意していく。
凱もビーフシチューを温め直し、パンと米を両方出せるように準備を整える。
やがて準備が終わるのとタイミングを合わせるかのように、インターフォンがリビングに鳴り響く。

「帰って来たか」
「大丈夫じゃ、わしが出る」

エルノールは凱を制止ししながら自ら玄関に赴くと、魔力式のモニタを展開する。
これは彼女が密かに組み込んでおいた、防犯を兼ねたシステムだった。
自分の背が低くて覗き窓を見れないから、というのは公然の秘密。
モニタには外灯に照らされた、ロロティア達五人の姿がある。
これを確認したエルノールは、玄関の鍵を解除し、五人を迎え入れた。

「ただ今戻りました、学園長」
「御苦労じゃったな、瑞姫。皆も疲れたじゃろう。夕食の支度が丁度出来たとこじゃ。さ、座るが良いぞ」
「もう……、終えていたのですか?!」

素っ頓狂に近い声を上げたのはロロティア。
見れば質素ながらも食器の用意がされている。

「皆揃ったみたいだな。じゃあ出して行こうか」

興味津々の瑞姫に対し、何が始まるのかさっぱり分からないロロティア。
ロロティアが目にしたのはビーフシチューを皿によそう凱の姿だ。
「自分の役割の筈なのにどうして?」と身体がそわそわし始める。

「ロロティア。貴女は今、此処にお迎えされてますのよ? 今はご厚意に甘えても宜しいのではなくて?」

マルガレーテの言葉に、ロロティアは思わず身体を硬直させてしまう。
メイドの性と言うものか、然るべき仕事をしなければ気が済まない一方で、主の言葉は絶対との教えが身体に染みついていた。

「パンかご飯、好きな方を言ってくれ。用意するから」

最初であるのか、全員がパンを所望し、飲み物も受け取っていた。

「うむ、揃ったな。では新たな入寮者とメイドを歓迎して、乾杯!」

エルノールの音頭でコップが鳴らされ、歓迎の食事会は和やかに始まる。
ビーフシチューはなかなかに好評で、瑞姫と朱鷺子の笑顔がそれを示していた。
ロロティアも恐る恐る口にすると、目を見開く。

「え……、お、美味……しい!」

呟くように彼女の口から放たれた言葉は驚きに満ち、自分が味わった事の無かったものだった。
人間は魔物と違って調理をしなければならないが、魔物娘となった彼女達は、人間の料理を無理に摂取する必要など無い。
かと言って、夫を得るには料理をしなければならない場合もまた多い。
キキーモラであるロロティアは家事に関する技術に優れる者が多い種族であるのが幸いし、料理もそんなに抵抗感が無かった。
メイド長を任せられるだけあって、料理にも自信はあったのだ。

けれど彼女が初めて口にした味はそれ以上に、温かみを持った味だったのだ。

後に出されたデザートも魔王城では作った事も出した事も、ましてや目にした事さえ無い物ばかり。

この人の事を知りたい――
この人の味を学びたい――
この人をモノにしたい――

ロロティアの心に浮かぶ感情が恋心に変わるのに日は要しなかった――
19/01/01 19:37更新 / rakshasa
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■作者メッセージ
<中世の郵便に関するちょっとしたお話>

中世にもきちんとしてものではないにせよ郵便制度は存在しました。

ギルド(商業組合) の中で都市から都市に文書を届けたり、重要なものを運んだりする内に、
「飛脚制度」 が自然と出来上がったそうです。
飛脚と言えば日本の江戸時代などにあった、あの飛脚を連想する人も多いでしょうが、まさにそのままです。

到着の際、飛脚達は手に持っているラッパを吹き鳴らして合図を送ったとされており、
これが今日、ヨーロッパの郵便局のシンボルとして引き継がれているのだそうです。

運び手は主に騎士や修道士、学生等が担っていた、と記録にあるようです。

もうひとつ、緊急事態の際に使われた飛脚もあり、
こちらは国の戦争や決議等、重要文書を届けるという大切な役割を持っていました。

中でもギルド制度から誕生した「肉屋飛脚」は、とりわけ確実に速く届けられるというメリットがあり、
上流階級等から大きな信頼を得ていたといいます。
肉屋と言うだけあって、元々は生モノを運ぶ仕事であり、早い話が速達や宅配便に相当していました。

保冷剤などの充実した機能など無い時代ですから、鮮度の良い物を如何に速く目的地に届けるかが勝負でした。
その為には、機能の優れた馬車や馬・人を惜しみなく使ったと言われています。

かなり早い時期から発達したが故に強盗から付け狙われ、危険を伴う仕事であり、運び手に騎士もいたのはこの為です。
しかし、このような制度の発達によってルネサンス期以降の交流がより盛んになっていったのも事実でした。

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