4.人生において重要なのは、勢いである。
「ど、どうだったでありますか?」
警察署の前の階段に座り込む俺に、少女が心配そうな顔で尋ねる。
「死んではいない。まだな。」
マルコは背中を深く刺され、未だに意識不明の状態。
得物は今までの犯行に使われたものと同じ。要するに犯人が刺したのだ。
そして、その原因を作ったのは…。
「俺か。」
「え?」
「マルコが刺されたのは、俺の所為だ。」
あの羽織を、マルコに貸さなければ、今頃生死の境を彷徨っていたのは、俺だ。
アイツを見当はずれの犯人探しに付き合わせなければ。
アイツを、突き放していたら。
アイツは、マルコは、
「あ、主殿の所為などではないでありますよ!悪いのは犯人でありま…。」
「違う!」
マルコが俺を慕っていたんじゃない。
俺が、マルコに依存していたんだ。
あれだけ、助けてもらっておきながら。
自分の弱さを、肯定してもらっておきながら。
「俺は、アイツを、守れなかった。」
言い訳もできない、情けない理由で。
何も、変わっちゃいない。
事態は、ただ悪化しただけだ。
恐らく、殺人は続く、これからも、ずっと。
俺は、一体何をしていたんだ。
「俺には、何も、守れないのか。」
俺は懐から銃を取り出す。
「主殿…?」
そのまま、ゆっくりとこめかみに銃口を押し当てる。
ひんやりとした鉄の感触が、やけに心地よく、現実離れした安らぎを覚える。
ああ、これで、もう、何も、見なくていいのか?
俺は、引き金に指を掛ける。
バン。
鈍い音と共に、世界がゆっくりと横転していく。
どさり、と俺の体は地面に倒れた。
「何やってるのでありますかーっ!!!」
とび蹴りを喰らった。と分かるまで数秒かかった。
「おま、何を!?」
「それはこっちの台詞であります!」
少女が涙目で叫ぶ。
「前から思ってたけど、主殿は阿呆であります!アホの子でありますよ!」
「アホ…。お前いい加減にしろよ…。」
「だってアホでありますもの!」
「んだとこの野郎!」
俺は頭ごなしに怒鳴りつけた。
「だって、だって、主殿は分かってないでありますよ!」
少女は目を伏せて、言った。
「小生は、主殿がいなくなったら、どうすればいいのでありますか…!?」
「知るかよ…。そんなもんお前の身勝手じゃねえか。」
「だったら、勝手に何もできないと思うのも主殿の身勝手であります!」
は…!?何だそりゃ!?
「マルコ殿は、殺された人たちは、守ってもらえなかったからって、今、主殿が死んで、喜ぶと思うのでありますか!?」
「そういうことを言ってるんじゃねえ!これは俺の問題なんだよ。何にも知らないで、勝手な口を利くんじゃねえ!」
「勝手で結構でありますよ!」
少女が腹の底から搾り出すように、叫ぶ。
「小生は、勝手であります!他の人が、主殿をどう思おうが、知らないでありますよ!ただ、小生は、小生は。」
まるで、殴りつけるように、声を吐き出す。
「主殿が、大好きなのでありますよーーーっ!」
空気が、音を立てて、変わった。
「主殿の、顔も、体も、手も、足も、声も、心も、全部大好きなのでありますよーっ!」
少女は投げつけるように言葉を吐き、大きく息を吸う。
「小生は、売られたのであります。」
ぽつり、と少女が口を開く。
頬を、雫が伝い、ぽとりと落ちた。
「元の主殿は、大切に、使ってくれたでありました。九十九神になったら、恩返ししようと思ってたでありました。でも…。違ったのであります。あの人は、小生を大事にしてたのではなくて、壊すほど、汚すほどにも、気に留めていなかっただけなのであります!」
まるで、あふれ出るかのような、嗚咽交じりのか細い声。
「通りすがりの、見も知らない異人さんに売られたときは、何が起こったのか理解できなかったでありますよ。船の中で、夜毎に泣いたでありますよ…。この国に来ても、珍しがられはしたであります。でも、皆、それだけであります。小生は、小生でなくて、反物や、浮世絵と同じ、見世物の一つだったのであります。飽きたら、もう、誰も小生なんか見ないのであります…。小生は、いらない子だったのでありますよ。」
ぽつり、ぽつり、
少女の涙を隠すように、雨が降り出した。
「それなのに、主殿はっ、小生を、見つけてくれたであります!格好いいって、言ってくれたのでありますよ?嫌いにならないって、捨てたりしないって、言ってくれたのでありますよ!?小生が、どれだけ救われたと思っているのでありますか!?」
少女と目が合う。
深く透き通った、夜の水面のような目
「どの口が、何も守れないとか言うのでありますか…?」
声を出そうとしても、喉から出てこない。
彼女の目に、射すくめられたかのように。
「主殿が、主殿だけのものだと思うのは、身勝手であります!」
声が、言葉が、胸を貫く。
前髪に溜まった雨粒が、ぽと、と額にすべる。
「小生は、主殿に近くにいてほしいのであります!主殿が欲しいのであります!いつまでも、見ていたいのであります!見ていて欲しいのであります!」
闇夜に残響が染み込んでいく。
言い切った少女は、はあはあと肩で荒い息をした。
俺は、言い知れぬ感情にとらわれていた。
ガキの頃、殴り合いの喧嘩の後のような、空白。
先刻と似通っているようで、正反対の、清涼感。
そうだよ、俺は何を迷っていたんだ。
「警部!」
声の方向を振り向くと、例の若い警官が立っていた。
「マルコ部長から、意識を失う前に、伝言を預かりました!」
伝言?
「『遅れて行くんで、先に、やれることだけでもやっといてください。』と警部に。」
…。何だそりゃ。
気づくと、俺は笑い出していた。
「警部…?」
俺はこみ上げてくる笑いをこらえながら言う。
「そんなこという暇があったら、犯人のヒントでも寄越せ!と枕元で言っとけ!」
「は、はい!」
警官は大慌てで来たほうへ引き返していく。
ったく。どいつもこいつも、俺を買いかぶりすぎだよ。馬鹿。
こんなに目算大きく見積もられちまったらよ。
「主殿、もうだいじょうぶでありますか…?」
俺はパンパンとズボンの埃をはたき、立ち上がる。
「ちょっと、やり過ぎちゃったかもしれないでありま…。むうっ!?」
腰をかがめ、顔を低い位置に。
俺の唇の下には、少女の唇。
捺印するかのように、ぐりぐりと、押し付けた。
「―――っ!?ぷはっ!」
息を止めていたせいか否か、少女の顔が真っ赤に染まる。
「な、ななな、何を!?主殿!?」
「証拠だ。」
俺は、少女と同じ目線で言った。
「俺はもう、お前からは逃げない。お前は俺のもので、俺はお前のものだ。俺はお前を、できる限りの全力で守ってやる。だから。」
俺はゆっくりと立ち上がり、闇に向かって歩を進める。
「背中は任せたぞ。」
見誤られちまったからには。
演じるしかねえだろ。でかい背中をよ。
「分かったか!?」
「…。了解であります!」
少女のりんとした声が、雨雲の去った、澄んだ夜空にこだました。
「警部さん。あの相棒の方が刺されたと窺いました。」
署につくと、そこにはエドモンドとクリスの姿があった。
「本当に、痛ましく思ってます。」
「本当にそう思ってんなら、話題に出してくれないほうが有難いな。」
こいつはどうも苦手だ。
「ときに、貴方を見込んで一つ頼みたいことがあるんですが。」
まっすぐな目で俺を見つめるエドモンド。
何が苦手って…。
「今すぐ、保護していただけませんか?」
こういう所が。
「直接無関係の彼が狙われたということは、情報をリークしたことがバレた可能性が高い。そうなれば次狙われるのは我々であるかもしれない。そうなったときにクリスを、あとついでに僕の命を守れるのは、あなた方だけなんですよ!」
クリスの前で体裁は保っていても、言っていることは結局死にたくないから守ってくれと言ってるにすぎない。
「あのな、直接事件に巻き込まれてもいない人間を保護するというわけには…。」
「何故ですか!?我々は当事者です。犯人が関係者であり、我々は情報を開示しました。警察は協力者を見捨てるというのですか!?」
詐欺師みたいな理論展開だ。こいつは本当に聖職者なのだろうか。
そもそも、例の説が破綻した時点でこいつらの情報は屑だ。マルコが刺されたのさえ人違いだったのだから、こいつらが狙われる危険性など芥子粒ほども無いように思える。
「みっともないでありますよ。男だったら自分と自分の女くらい自分で守るものであります。」
エドモンドが一瞬あたりを見回す。
「その女の子は?」
「…。迷子だ。」
説明が面倒くさかった。
「とにかく帰れ。ただでさえ一人有能な人材が抜けてばたばたしてるんだ。」
「そんなに怖いなら、ウチで毛布かぶってればいいのでありますよ!」
おい、お前じゃないんだから。
「…。その手があったか。」
え!?何言ってんのこの男!?
「分かりました!一時退却します。行くよクリス。」
「は、はい。」
去っていくエドモンドと、それに寄り添うようについていくクリス。秘書っていう距離感じゃないな。あの男の何処がいいのか俺には皆目検討がつかない。
「あの男の何処がいいのでありましょうね?あの人は。」
少女がボソッと言う。
なんとなく親近感。
「まあ、魔物は恋をすると判断力など消し飛ぶでありますからな。」
確かに。それは身をもって実証済みだ。
「しっかし、どうしたらいいものやら。」
俺はぼりぼりと頭をかく。
意気揚々と現場復帰したものの、頼みのクララ嬢はバカップル現在進行形。もはやすがる藁すら残されていない。
「結婚式、という主殿の考えは間違っていないような気がするでありますけど…。」
「しかしな…。名簿の残りを調べても特にヒットはなし。出入りのスタッフといっても細かいとこまで突き詰めると山ほどいるからな。まさか全ての人物に護衛をつけるわけにも…。」
何も思い浮かばない。
「あー、コーヒーでも飲んでくるか。」
「あ、小生、イチゴ牛乳がいいであります。」
ちゃっかりついてくる少女。
署にそんなもん置いてたかな。
何人かの捜査員とすれ違いながらロビーへ向かう。
そのとき俺たちは、このあとロビーで待ち受けている災厄に気づくよしも無かった。
ソファーに並んで座る二つの影。
あれは、まさか…。
「おや、警部さん!また遭いましたね!」
そういって、クリスの肩を抱いたエドモンドは、イチゴ牛乳のストローを吸った。
なんだか胃が痛い。
「…。なんでまだここにいる?」
「保護していただきました!」
近くでうろたえる婦警のほうを指差すエドモンド。
「おい、何の関係もない一般人を保護してどうする?」
「い、いえ、あの、違うんです。」
婦警は必死で否定しつつ言う。
「迷子だと、主張されまして。」
「そうです。夜道は危ないので保護してください。」
その手があったか、ってそっちか!
「そんな年の迷子がいるか?」
「子供が売春で警察にお世話になる時代ですよ?大人が迷子で世話になってもいいと思いません?」
やっぱり詐欺師だ。それも相当に安い。
「いや、僕はどうなってもいいんですけどね。クリスが危ないでしょう?クリスを守るためにやむなく僕が付き添っているだけで。」
「分かった。じゃあクリスは泊めてやる。お前出てけ。」
入り口から押し出されそうになるのを必死で食い止めるエドモンド。
「いや、違う!ちょっと、ちょっと、待て!話し合おう!仲間だろ!?」
勝手に仲間にされている。
仲間同士ってのは殺意を抱いていてもいいのだろうか。
「あ、あのっ!」
クリスがおずおずといった。
「エドも、一緒に、お願いします…。一緒に、いて欲しいんです…。」
「クリス!」
身を翻し、クリスを抱きしめるエドモンド。
「愛してるよ、クリス!」
「私もよ…!エド…!」
「あ、悪い。手が空いてたらこいつら留置場にぶち込んどいて。」
声を掛けられた婦警は、またおろおろとしている。
なんだか急激に疲労した気がする。
こいつらは事の重大さを理解しているのか?
「主殿!イチゴ牛乳が売り切れてるであります!」
お前もか。
「あ、僕の飲む?」
「結構であります!小生は新品か主殿の使ったストローしか使わないのであります!」
「あ、じゃあ、私欲しい…。」
カオスだ。
「分かったからお前ら。ロビーで騒ぐな。待合室開けてやるから、大人しく入ってろ。」
俺は二人を奥の小部屋に叩き込む。
「あれ、警部さん!?どちらへ!?」
「ちょっと現場を見直してくる。何かしら分かるかもしれないしな。」
「え!?じゃあ、二人だけ!?やめて!置いてかないで!」
俺の腕を掴むエドモンド。
「この留守の隙に殺人鬼が乗り込んできたらどうしてくれるんですか!?」
「警察に乗り込んでくる馬鹿がいるか!?」
「あったことも無いのに馬鹿かどうかなど分からないでしょ!?」
「主殿、こんな男ほっといて行くでありますよ!」
少女が反対から俺の手を引っ張る
「え、お前、大丈夫なのか?あの現場だぞ。」
「大丈夫って…。あ。」
少女の顔が青白くなっていく。
「あああ、ど、ど、どうしたら…。お、思い出しちゃったであ、あり、あります。」
無意味に足をばたばたさせる少女。
「で、でもっ、小生は主殿の後ろを守ると決めたのであります!怖くなど…。」
一瞬考えて、
「…。やっぱ怖いでありますぅ…。怖いでありますよぉ…!」
頭を抱えて震える少女。
「…。分かった。連れてはいかん。その代わりお前に重要な任務を課す。」
「じゅうようなにんむ!?なんでありますか!?」
少女の目が輝く
俺は腕を引っ張り上げて、言った。
「こいつらの護衛(ベビーシッター)を頼む。」
互いに顔を見合わせる少女とエドモンド。
「コイツじゃ不安です。」
「コイツとじゃ不安であります。」
うん。息ぴったりだ。ほっといても大丈夫だろう。
「頼んだぞ。」
それだけ言って、俺は足早に外へと足を向けた。
乾いた足音が、この後俺を待ち受ける運命を暗示するように、不気味に廊下にこだました。
夜空の下、俺は白い息を吐きながら歩いていた。
うう、やっぱ雨の後は冷えるな。
曇って星も無い夜。手元のランプ頼みの道のりは、嫌が上にも思考力が鋭敏になる。
ランプを使う、なんてのもずいぶん久しぶりだ。
あの少女がウチに訪れてからまだ三日と経っていないというのに、なんだか随分と近い間柄になったような気がする。
この二日間は、あまりにも色々なことがありすぎた。
事件の行き詰まりも、被害者のことも、新たな手がかりも…、マルコのことも。
普段なら、見なかったことにして、押し潰していたことを。
全部、あの少女に、気づかされた。
自分でも気がつかないうちに、俺は他人からどれほど助けられていたのだろう。
その恩義に、報いるためにも。
この事件は、俺の手で解決しなければならない。
初めから見直してみよう。
花屋、デザイナー、ケーキ屋、イベント会社。
これらのキーワードから、俺は結婚式という共通項を見出した。
まず考えられるのは、この前提が間違っているということ。
だとしたら、他に何も思い浮かばない以上、絶望的だ。
当たっているとして考えると、結婚式場の利用者に怪しい人物はいない。
だとしたら、他に接点があると考えられるのは、同じく出入りをしているいくつもの業者、もしくは…。
だとしたら動機は?
まあ、いくらでも考えられる。殺人犯の考えることなど俺たちにはわからないかも知れんし、好人物と噂の人間が本当に善良だったとは限らない。
刺され方から言っても…。
ん?
今、奇妙な違和感が頭の中をよぎった様な…。
何だったんだ?
まあいい、とにかく現場検証だ。
そう思いなおし、見覚えある細い路地に入った。
人気の無い通りに、張られたテープだけが夜風にはためく。
レンガの壁に残された赤黒い染みだけが、過去に起こった悲劇の名残を残している。
ごめんな、守ってやれなくて。
俺は静かに手を合わせる。
これで許されるとは思わないが、やらずにはいられなかった。
目をつぶると、辺りの音がやけに大きく聞こえる。
ぱしゃん。
ん?
微かに聞こえた水音に振り返る。
と。
そこには、人影が一つ立っていた。
頭まで深いローブですっぽりと覆い、歳さえよく分からない。
顔はよく見えないが、蝋人形のような白い肌が目立つ。
そして、一番目に付いたのは、その手に握られた、
まぶしい光を放つ、ジャックナイフ。
一瞬の間、お互いに何が起こったのか分からなかった。
が、次の瞬間、気づかれたと分かったローブの影が、猛然とこちらに突っ込んできた。
間一髪、身をかわす。
やばい、やばい、やばい!
生まれて初めて感じた、本当の命の危機に、俺の心臓は大型バイクのエンジンのように鳴動している。
驚くこともできないほどの、恐怖。
体制を立て直し、間合いを計る影。
どうする?どうする!?
ぴっ、とナイフを払い、すばやくこちらに近づいてくる人影。
もう、逃げ場はない。
腹をくくるか?
殉職は、二階級特進。
ジョナサン警視正か、悪くない。
と、死を覚悟した、そのとき。
声が、きこえた。
“小生、なんだか、ムラムラしてきちゃったであります。”
この馬鹿。
こんなときに、何言ってやがる。
「はっ、馬鹿馬鹿しい。誰がこんなとこで死んでやるか。」
俺は、笑った。
一か八か。
「そこ、どけええぇぇぇぇ!!」
懐から銃を取り出し、影に突きつける。
びくっと、影が怯んだ、その隙を突き、俺は路地の出口まで死ぬ気でダッシュ。
影に襟を掴まれそうになったが、すんでの所で避けた。
そこからは、しばらく記憶が無い。
気がついたら、俺は歓楽街の雑踏の中にいた。
背中にじっとりと張り付いたシャツが、夜風に吹かれ、体をじわりと冷やす。
荒い息が、息つく間も無く押し出されてくる。
ふっと体の力が抜け、俺は電柱に寄りかかるようにして地面に座り込んだ。
「ぇ…。」
大きく咳き込んだ後、まるでこぼれ出すかのように、言葉が出てきた。
「危っねえぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
冷や汗まみれの俺の叫びは、酔っ払いたちを振り向かせつつ、眠らぬ街にこだました。
警察署の前の階段に座り込む俺に、少女が心配そうな顔で尋ねる。
「死んではいない。まだな。」
マルコは背中を深く刺され、未だに意識不明の状態。
得物は今までの犯行に使われたものと同じ。要するに犯人が刺したのだ。
そして、その原因を作ったのは…。
「俺か。」
「え?」
「マルコが刺されたのは、俺の所為だ。」
あの羽織を、マルコに貸さなければ、今頃生死の境を彷徨っていたのは、俺だ。
アイツを見当はずれの犯人探しに付き合わせなければ。
アイツを、突き放していたら。
アイツは、マルコは、
「あ、主殿の所為などではないでありますよ!悪いのは犯人でありま…。」
「違う!」
マルコが俺を慕っていたんじゃない。
俺が、マルコに依存していたんだ。
あれだけ、助けてもらっておきながら。
自分の弱さを、肯定してもらっておきながら。
「俺は、アイツを、守れなかった。」
言い訳もできない、情けない理由で。
何も、変わっちゃいない。
事態は、ただ悪化しただけだ。
恐らく、殺人は続く、これからも、ずっと。
俺は、一体何をしていたんだ。
「俺には、何も、守れないのか。」
俺は懐から銃を取り出す。
「主殿…?」
そのまま、ゆっくりとこめかみに銃口を押し当てる。
ひんやりとした鉄の感触が、やけに心地よく、現実離れした安らぎを覚える。
ああ、これで、もう、何も、見なくていいのか?
俺は、引き金に指を掛ける。
バン。
鈍い音と共に、世界がゆっくりと横転していく。
どさり、と俺の体は地面に倒れた。
「何やってるのでありますかーっ!!!」
とび蹴りを喰らった。と分かるまで数秒かかった。
「おま、何を!?」
「それはこっちの台詞であります!」
少女が涙目で叫ぶ。
「前から思ってたけど、主殿は阿呆であります!アホの子でありますよ!」
「アホ…。お前いい加減にしろよ…。」
「だってアホでありますもの!」
「んだとこの野郎!」
俺は頭ごなしに怒鳴りつけた。
「だって、だって、主殿は分かってないでありますよ!」
少女は目を伏せて、言った。
「小生は、主殿がいなくなったら、どうすればいいのでありますか…!?」
「知るかよ…。そんなもんお前の身勝手じゃねえか。」
「だったら、勝手に何もできないと思うのも主殿の身勝手であります!」
は…!?何だそりゃ!?
「マルコ殿は、殺された人たちは、守ってもらえなかったからって、今、主殿が死んで、喜ぶと思うのでありますか!?」
「そういうことを言ってるんじゃねえ!これは俺の問題なんだよ。何にも知らないで、勝手な口を利くんじゃねえ!」
「勝手で結構でありますよ!」
少女が腹の底から搾り出すように、叫ぶ。
「小生は、勝手であります!他の人が、主殿をどう思おうが、知らないでありますよ!ただ、小生は、小生は。」
まるで、殴りつけるように、声を吐き出す。
「主殿が、大好きなのでありますよーーーっ!」
空気が、音を立てて、変わった。
「主殿の、顔も、体も、手も、足も、声も、心も、全部大好きなのでありますよーっ!」
少女は投げつけるように言葉を吐き、大きく息を吸う。
「小生は、売られたのであります。」
ぽつり、と少女が口を開く。
頬を、雫が伝い、ぽとりと落ちた。
「元の主殿は、大切に、使ってくれたでありました。九十九神になったら、恩返ししようと思ってたでありました。でも…。違ったのであります。あの人は、小生を大事にしてたのではなくて、壊すほど、汚すほどにも、気に留めていなかっただけなのであります!」
まるで、あふれ出るかのような、嗚咽交じりのか細い声。
「通りすがりの、見も知らない異人さんに売られたときは、何が起こったのか理解できなかったでありますよ。船の中で、夜毎に泣いたでありますよ…。この国に来ても、珍しがられはしたであります。でも、皆、それだけであります。小生は、小生でなくて、反物や、浮世絵と同じ、見世物の一つだったのであります。飽きたら、もう、誰も小生なんか見ないのであります…。小生は、いらない子だったのでありますよ。」
ぽつり、ぽつり、
少女の涙を隠すように、雨が降り出した。
「それなのに、主殿はっ、小生を、見つけてくれたであります!格好いいって、言ってくれたのでありますよ?嫌いにならないって、捨てたりしないって、言ってくれたのでありますよ!?小生が、どれだけ救われたと思っているのでありますか!?」
少女と目が合う。
深く透き通った、夜の水面のような目
「どの口が、何も守れないとか言うのでありますか…?」
声を出そうとしても、喉から出てこない。
彼女の目に、射すくめられたかのように。
「主殿が、主殿だけのものだと思うのは、身勝手であります!」
声が、言葉が、胸を貫く。
前髪に溜まった雨粒が、ぽと、と額にすべる。
「小生は、主殿に近くにいてほしいのであります!主殿が欲しいのであります!いつまでも、見ていたいのであります!見ていて欲しいのであります!」
闇夜に残響が染み込んでいく。
言い切った少女は、はあはあと肩で荒い息をした。
俺は、言い知れぬ感情にとらわれていた。
ガキの頃、殴り合いの喧嘩の後のような、空白。
先刻と似通っているようで、正反対の、清涼感。
そうだよ、俺は何を迷っていたんだ。
「警部!」
声の方向を振り向くと、例の若い警官が立っていた。
「マルコ部長から、意識を失う前に、伝言を預かりました!」
伝言?
「『遅れて行くんで、先に、やれることだけでもやっといてください。』と警部に。」
…。何だそりゃ。
気づくと、俺は笑い出していた。
「警部…?」
俺はこみ上げてくる笑いをこらえながら言う。
「そんなこという暇があったら、犯人のヒントでも寄越せ!と枕元で言っとけ!」
「は、はい!」
警官は大慌てで来たほうへ引き返していく。
ったく。どいつもこいつも、俺を買いかぶりすぎだよ。馬鹿。
こんなに目算大きく見積もられちまったらよ。
「主殿、もうだいじょうぶでありますか…?」
俺はパンパンとズボンの埃をはたき、立ち上がる。
「ちょっと、やり過ぎちゃったかもしれないでありま…。むうっ!?」
腰をかがめ、顔を低い位置に。
俺の唇の下には、少女の唇。
捺印するかのように、ぐりぐりと、押し付けた。
「―――っ!?ぷはっ!」
息を止めていたせいか否か、少女の顔が真っ赤に染まる。
「な、ななな、何を!?主殿!?」
「証拠だ。」
俺は、少女と同じ目線で言った。
「俺はもう、お前からは逃げない。お前は俺のもので、俺はお前のものだ。俺はお前を、できる限りの全力で守ってやる。だから。」
俺はゆっくりと立ち上がり、闇に向かって歩を進める。
「背中は任せたぞ。」
見誤られちまったからには。
演じるしかねえだろ。でかい背中をよ。
「分かったか!?」
「…。了解であります!」
少女のりんとした声が、雨雲の去った、澄んだ夜空にこだました。
「警部さん。あの相棒の方が刺されたと窺いました。」
署につくと、そこにはエドモンドとクリスの姿があった。
「本当に、痛ましく思ってます。」
「本当にそう思ってんなら、話題に出してくれないほうが有難いな。」
こいつはどうも苦手だ。
「ときに、貴方を見込んで一つ頼みたいことがあるんですが。」
まっすぐな目で俺を見つめるエドモンド。
何が苦手って…。
「今すぐ、保護していただけませんか?」
こういう所が。
「直接無関係の彼が狙われたということは、情報をリークしたことがバレた可能性が高い。そうなれば次狙われるのは我々であるかもしれない。そうなったときにクリスを、あとついでに僕の命を守れるのは、あなた方だけなんですよ!」
クリスの前で体裁は保っていても、言っていることは結局死にたくないから守ってくれと言ってるにすぎない。
「あのな、直接事件に巻き込まれてもいない人間を保護するというわけには…。」
「何故ですか!?我々は当事者です。犯人が関係者であり、我々は情報を開示しました。警察は協力者を見捨てるというのですか!?」
詐欺師みたいな理論展開だ。こいつは本当に聖職者なのだろうか。
そもそも、例の説が破綻した時点でこいつらの情報は屑だ。マルコが刺されたのさえ人違いだったのだから、こいつらが狙われる危険性など芥子粒ほども無いように思える。
「みっともないでありますよ。男だったら自分と自分の女くらい自分で守るものであります。」
エドモンドが一瞬あたりを見回す。
「その女の子は?」
「…。迷子だ。」
説明が面倒くさかった。
「とにかく帰れ。ただでさえ一人有能な人材が抜けてばたばたしてるんだ。」
「そんなに怖いなら、ウチで毛布かぶってればいいのでありますよ!」
おい、お前じゃないんだから。
「…。その手があったか。」
え!?何言ってんのこの男!?
「分かりました!一時退却します。行くよクリス。」
「は、はい。」
去っていくエドモンドと、それに寄り添うようについていくクリス。秘書っていう距離感じゃないな。あの男の何処がいいのか俺には皆目検討がつかない。
「あの男の何処がいいのでありましょうね?あの人は。」
少女がボソッと言う。
なんとなく親近感。
「まあ、魔物は恋をすると判断力など消し飛ぶでありますからな。」
確かに。それは身をもって実証済みだ。
「しっかし、どうしたらいいものやら。」
俺はぼりぼりと頭をかく。
意気揚々と現場復帰したものの、頼みのクララ嬢はバカップル現在進行形。もはやすがる藁すら残されていない。
「結婚式、という主殿の考えは間違っていないような気がするでありますけど…。」
「しかしな…。名簿の残りを調べても特にヒットはなし。出入りのスタッフといっても細かいとこまで突き詰めると山ほどいるからな。まさか全ての人物に護衛をつけるわけにも…。」
何も思い浮かばない。
「あー、コーヒーでも飲んでくるか。」
「あ、小生、イチゴ牛乳がいいであります。」
ちゃっかりついてくる少女。
署にそんなもん置いてたかな。
何人かの捜査員とすれ違いながらロビーへ向かう。
そのとき俺たちは、このあとロビーで待ち受けている災厄に気づくよしも無かった。
ソファーに並んで座る二つの影。
あれは、まさか…。
「おや、警部さん!また遭いましたね!」
そういって、クリスの肩を抱いたエドモンドは、イチゴ牛乳のストローを吸った。
なんだか胃が痛い。
「…。なんでまだここにいる?」
「保護していただきました!」
近くでうろたえる婦警のほうを指差すエドモンド。
「おい、何の関係もない一般人を保護してどうする?」
「い、いえ、あの、違うんです。」
婦警は必死で否定しつつ言う。
「迷子だと、主張されまして。」
「そうです。夜道は危ないので保護してください。」
その手があったか、ってそっちか!
「そんな年の迷子がいるか?」
「子供が売春で警察にお世話になる時代ですよ?大人が迷子で世話になってもいいと思いません?」
やっぱり詐欺師だ。それも相当に安い。
「いや、僕はどうなってもいいんですけどね。クリスが危ないでしょう?クリスを守るためにやむなく僕が付き添っているだけで。」
「分かった。じゃあクリスは泊めてやる。お前出てけ。」
入り口から押し出されそうになるのを必死で食い止めるエドモンド。
「いや、違う!ちょっと、ちょっと、待て!話し合おう!仲間だろ!?」
勝手に仲間にされている。
仲間同士ってのは殺意を抱いていてもいいのだろうか。
「あ、あのっ!」
クリスがおずおずといった。
「エドも、一緒に、お願いします…。一緒に、いて欲しいんです…。」
「クリス!」
身を翻し、クリスを抱きしめるエドモンド。
「愛してるよ、クリス!」
「私もよ…!エド…!」
「あ、悪い。手が空いてたらこいつら留置場にぶち込んどいて。」
声を掛けられた婦警は、またおろおろとしている。
なんだか急激に疲労した気がする。
こいつらは事の重大さを理解しているのか?
「主殿!イチゴ牛乳が売り切れてるであります!」
お前もか。
「あ、僕の飲む?」
「結構であります!小生は新品か主殿の使ったストローしか使わないのであります!」
「あ、じゃあ、私欲しい…。」
カオスだ。
「分かったからお前ら。ロビーで騒ぐな。待合室開けてやるから、大人しく入ってろ。」
俺は二人を奥の小部屋に叩き込む。
「あれ、警部さん!?どちらへ!?」
「ちょっと現場を見直してくる。何かしら分かるかもしれないしな。」
「え!?じゃあ、二人だけ!?やめて!置いてかないで!」
俺の腕を掴むエドモンド。
「この留守の隙に殺人鬼が乗り込んできたらどうしてくれるんですか!?」
「警察に乗り込んでくる馬鹿がいるか!?」
「あったことも無いのに馬鹿かどうかなど分からないでしょ!?」
「主殿、こんな男ほっといて行くでありますよ!」
少女が反対から俺の手を引っ張る
「え、お前、大丈夫なのか?あの現場だぞ。」
「大丈夫って…。あ。」
少女の顔が青白くなっていく。
「あああ、ど、ど、どうしたら…。お、思い出しちゃったであ、あり、あります。」
無意味に足をばたばたさせる少女。
「で、でもっ、小生は主殿の後ろを守ると決めたのであります!怖くなど…。」
一瞬考えて、
「…。やっぱ怖いでありますぅ…。怖いでありますよぉ…!」
頭を抱えて震える少女。
「…。分かった。連れてはいかん。その代わりお前に重要な任務を課す。」
「じゅうようなにんむ!?なんでありますか!?」
少女の目が輝く
俺は腕を引っ張り上げて、言った。
「こいつらの護衛(ベビーシッター)を頼む。」
互いに顔を見合わせる少女とエドモンド。
「コイツじゃ不安です。」
「コイツとじゃ不安であります。」
うん。息ぴったりだ。ほっといても大丈夫だろう。
「頼んだぞ。」
それだけ言って、俺は足早に外へと足を向けた。
乾いた足音が、この後俺を待ち受ける運命を暗示するように、不気味に廊下にこだました。
夜空の下、俺は白い息を吐きながら歩いていた。
うう、やっぱ雨の後は冷えるな。
曇って星も無い夜。手元のランプ頼みの道のりは、嫌が上にも思考力が鋭敏になる。
ランプを使う、なんてのもずいぶん久しぶりだ。
あの少女がウチに訪れてからまだ三日と経っていないというのに、なんだか随分と近い間柄になったような気がする。
この二日間は、あまりにも色々なことがありすぎた。
事件の行き詰まりも、被害者のことも、新たな手がかりも…、マルコのことも。
普段なら、見なかったことにして、押し潰していたことを。
全部、あの少女に、気づかされた。
自分でも気がつかないうちに、俺は他人からどれほど助けられていたのだろう。
その恩義に、報いるためにも。
この事件は、俺の手で解決しなければならない。
初めから見直してみよう。
花屋、デザイナー、ケーキ屋、イベント会社。
これらのキーワードから、俺は結婚式という共通項を見出した。
まず考えられるのは、この前提が間違っているということ。
だとしたら、他に何も思い浮かばない以上、絶望的だ。
当たっているとして考えると、結婚式場の利用者に怪しい人物はいない。
だとしたら、他に接点があると考えられるのは、同じく出入りをしているいくつもの業者、もしくは…。
だとしたら動機は?
まあ、いくらでも考えられる。殺人犯の考えることなど俺たちにはわからないかも知れんし、好人物と噂の人間が本当に善良だったとは限らない。
刺され方から言っても…。
ん?
今、奇妙な違和感が頭の中をよぎった様な…。
何だったんだ?
まあいい、とにかく現場検証だ。
そう思いなおし、見覚えある細い路地に入った。
人気の無い通りに、張られたテープだけが夜風にはためく。
レンガの壁に残された赤黒い染みだけが、過去に起こった悲劇の名残を残している。
ごめんな、守ってやれなくて。
俺は静かに手を合わせる。
これで許されるとは思わないが、やらずにはいられなかった。
目をつぶると、辺りの音がやけに大きく聞こえる。
ぱしゃん。
ん?
微かに聞こえた水音に振り返る。
と。
そこには、人影が一つ立っていた。
頭まで深いローブですっぽりと覆い、歳さえよく分からない。
顔はよく見えないが、蝋人形のような白い肌が目立つ。
そして、一番目に付いたのは、その手に握られた、
まぶしい光を放つ、ジャックナイフ。
一瞬の間、お互いに何が起こったのか分からなかった。
が、次の瞬間、気づかれたと分かったローブの影が、猛然とこちらに突っ込んできた。
間一髪、身をかわす。
やばい、やばい、やばい!
生まれて初めて感じた、本当の命の危機に、俺の心臓は大型バイクのエンジンのように鳴動している。
驚くこともできないほどの、恐怖。
体制を立て直し、間合いを計る影。
どうする?どうする!?
ぴっ、とナイフを払い、すばやくこちらに近づいてくる人影。
もう、逃げ場はない。
腹をくくるか?
殉職は、二階級特進。
ジョナサン警視正か、悪くない。
と、死を覚悟した、そのとき。
声が、きこえた。
“小生、なんだか、ムラムラしてきちゃったであります。”
この馬鹿。
こんなときに、何言ってやがる。
「はっ、馬鹿馬鹿しい。誰がこんなとこで死んでやるか。」
俺は、笑った。
一か八か。
「そこ、どけええぇぇぇぇ!!」
懐から銃を取り出し、影に突きつける。
びくっと、影が怯んだ、その隙を突き、俺は路地の出口まで死ぬ気でダッシュ。
影に襟を掴まれそうになったが、すんでの所で避けた。
そこからは、しばらく記憶が無い。
気がついたら、俺は歓楽街の雑踏の中にいた。
背中にじっとりと張り付いたシャツが、夜風に吹かれ、体をじわりと冷やす。
荒い息が、息つく間も無く押し出されてくる。
ふっと体の力が抜け、俺は電柱に寄りかかるようにして地面に座り込んだ。
「ぇ…。」
大きく咳き込んだ後、まるでこぼれ出すかのように、言葉が出てきた。
「危っねえぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
冷や汗まみれの俺の叫びは、酔っ払いたちを振り向かせつつ、眠らぬ街にこだました。
12/01/07 12:52更新 / 好事家
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