連載小説
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ある貴族とお守りと交錯する思い
 次の日の朝。

 洞窟から出て空をを眺めると、天気は完全に晴れとなっていた。
 雨の残した痕として水溜まりやぬかるんだ地面、それに草葉の上にたまった雫が光を反射していて、シーフォンは思わず目を細める。
 隣で彼にぴったりと寄り添うタマノもまた同じような反応をした後、彼の服を少し引き、顔をこちらに向けさせて唇を軽く合わせた。

「おはようのキス、というやつじゃ」

 言ったタマノの顔は真っ赤になっていた。
 今さらこんなことで、というような気もするが、彼女にも彼女なりに恥ずかしさの感性があるのだろうと勝手にシーフォンは納得する。

「そんなに恥ずかしくなるなら、やらなきゃいいだろうに……」

「い、いいんじゃ。……これから、慣れるんじゃからの!」

 言ったタマノの可愛さにシーフォンは不覚にも叩きのめされた。
 なのでぶっきらぼうに口付けを返し、手を伸ばしてタマノと手をしっかり繋ぎ、指を一本一本絡めていく。
 そして、

「さあ……、行くぞ」

 と促した。
 応答として、微かにタマノが繋いだ手を握り返してくるのを、シーフォンは感じた。
 


           ******



 しばらく歩いて、そろそろ少し休憩でもしようかと考えていたシーフォン達の足下で、……何かが跳ねた。
 見るとそこには小さな石のようなものが。
 赤く、しかしどこか黒ずんでもいる鉱石のようなそれは、チカチカと明滅を繰り返している。

「なんだ、コレ……?」

「……っ!? 駄目じゃ!! よくわかりんせんが妖力を感じんす……ぬし様っ!!」

 不用意に近づいたシーフォンにタマノが抱きつき、覆い被さる。
 その瞬間、明滅していた鉱石の光がいっそう増し、弾けた。

「くぅ……っ!? 何て威力なんじゃ……!! 防御の結界を張るだけで力がすっからかんじゃ……っ!!」

「くそ……っ! タマノ!!」

 巻き起こる破壊の渦の中で、タマノはしばらく踏ん張ったあと、渦の終息と共にぐったりと倒れ臥した。

「タマノ!? 大丈夫かっ!?」

「はっ……、はぁっ……! 怪我こそしとらんが……、妖力が尽きんした。それよりぬし様こそ、大丈夫かや……っ?」

「俺は大丈夫だが、くそ……っ、また護られてしまった……! 情けない、俺が……俺が護るって決めたのにこのザマか……!?」

 声をあげて嘆くシーフォンを、タマノはゆっくりと、力無くだが確かな温もりと愛情を込めて抱き締めた。

「いいんじゃ。気にせずともよい。それは……いいんじゃ……」

「タマノ……!」

 しかしその次の瞬間、聞き覚えのある声がシーフォン、タマノ、二人の耳を震わせた。

「ほう……、今の魔力爆弾を防ぎきったのか……。よく頑張った、と言いたいところだが、どうやらそれで精一杯のようだな?」

「お前は……っ!?」

「「……ヴィクセンっ!!」」

 やや遠くに立つ、ヴィクセンと呼ばれたその男は不敵に笑いながら言った。

「盗賊の持ち物を……根こそぎ奪いに来たぞ。当然の正義を行うだけだ、異存はないだろう? なぁ、今は形無き大貴族アルセルノ家の長男……『スティッシー・イル・フォン・アルセルノ』殿?」

 名前を呼ばれたシーフォンと、ヴィクセンの視線が重なる。

「ヴィクセン……貴様……!」

「おや? どうしたスティッシー。何が気に入らないんだ?」

「だから、軽々しく呼ぶなっ!! その名前は、あの家に置いてきたんだよ……、名乗るのはその資格を取り戻してからと決めている!!」

 睨み付けるシーフォンの顔を見て、ヴィクセンは笑う。

「ああ、そうだったな……たしか魔物に襲われたんだったか? ふっ……クハハハハハッ!!」

「……何がおかしいっ!?」

「いや、なに、簡単なことだ。『偶然』魔物に襲われたお前の家の近くに『偶然』いた私は、『偶然』アルセルノ家の宝物庫に入って、あるものを探し始めたのだが……まあ『偶然』見つからなかったよ」

「……まさか、」

「どうした? 私はそこら辺にいた魔物に声を掛けて、少し話をしたあとに硬貨を恵んだだけだぞ?」

「っ……!! 貴様かぁぁぁっ!! 貴様が俺の家族を、家を壊したのかっ!!」

 怒りのままに、シーフォンは短剣を抜き、そのままヴィクセンの元へと駆けた。
 ヴィクセンの方はというと、ただその顔に浮かべる笑みをいっそう大きくし、スラリという効果音と共に、自分の得物である細剣を抜いた。
 武器のリーチが長いヴィクセンが、シーフォンを一瞬上回った速度で攻撃。
 相手の慣性を最大限に利用する、カウンターの突きが放たれた。

「くっ!?」

 辛うじて切っ先を弾くことに成功する、突っ込む速度を若干落としたものの止まらずに彼へと向かっていった。
 放たれた斬りが、しかしヴィクセンに防がれる。

「貴様の家を襲ったのには、色々と理由があるのだよ、こちらにもな!!」

「(返しが速い!?くそ、武器の相性が悪すぎる!!)」

「やはり貴様が持ち出していたか、その短剣。道理で見つからないわけだ……アルセルノ家の宝剣であり、手にするものに莫大な力を与える魔剣だそうだな」

「魔剣、……? これがか?」

「……どういうことだ?」

「俺の家では代々長剣を守り継いできたと、そう聞いている」

「…………、まあいい、どうせ貴様のように魔力が感じられないほど小さい奴の相手など、すぐに勝負が着くだろうさ。もとより期待などはあまりしておらんよ」

「魔力……、妖力か。その言いぶりだと、まるで自分が妖力を扱えるとでも言いたげに聞こえるが?」

「そう聞こえなかったか? お前も彼女と旅をしているなら少しは解るだろう? 魔物娘と交われば、その魔力を少しずつ男は自分のものにできる。俺は金で雇った奴等に無理やり魔物を捕まえてこさせて、毎日拘束して犯してるからな」

「貴様……そこまで気が狂った奴だったのか……! ひとつ訊くが、タマノにはなぜ声を掛けた? 他の魔物と同じように犯して自分の力に変えるためか?」

「いや、彼女にはもっと利用価値がある。三本の尾……おっと、今は四本になっていたか。種族としては半人前にもかかわらずどうしてかあれだけの力を扱えているのだ。育てればゆくゆくは戦争を起こすのに使える」

「戦争だと…………!? 何が目的だ!!」

「弱い貴様に言う必要などない。私はただ、目的のために戦うだけだ。力はそのための道具だ」

「ふざけるなっ!! 今のを聞いて、覚悟したぞ。どれだけお前が手練れであろうと、妖術が使えようと関係ない。……俺がこの手で決着をつける」

 そしてシーフォンは力を使って動けないタマノのそばに寄り、声をかけた。

「タマノ、見ていてくれ。コレが俺の再興劇の、大事な一歩になる筈だ」

「ん……了解じゃ。しかと見届けさせてもらうとしようかの」

 そしてタマノは小さな動作で首飾りを外し、シーフォンの首に腕を回し、着けてやる。

「御守り、じゃ」

「よし……行ってくる」

 タマノに少し離れるように言い、シーフォンはヴィクセンに向き直る。

「律儀に待ってくれるとは思わなかったな」

「私はそこまで野暮ではないぞ?」

「……爆弾擬きをいきなりぶっ放してきたやつのどの口が言っているんだ?」

「なに、あれは力試しだ。あの程度で死なれるとこちらも興ざめというものだ」

「黙れっ!」

 シーフォンが地を蹴る。

「また、まっすぐこちらに来るか……全く、詰まらんな」

 駆け出したシーフォンの足は、しかし泥に絡み付かれて、身動きを封じられる。

「なんだ、これ……!?」

「確かにさっきの間、お前達の邪魔はしていないが、小細工をしていないとは言っていないぞ?」

「くそっ……貴様、どこまでも腹が立つ……!」

「この辺りの大地に魔力を流して、発動するとある程度操れるようにした。雨で地面が軟らかくなっていたから、思った以上に楽な作業だったよ。……まあ、とりあえず吹き飛んでおけ」

 ヴィクセンが手を下から上に掬い上げる動作に連動して地面が隆起し、シーフォンを高く打ち上げた。
 そのまま地面に叩きつけられた彼の肺の空気が強制的に、呻き声とともに外に押し出された。

「ぬし様……っ!!」

「ぐ……っ! いい、から……タマノは、見ていてくれ……っ!!」

 タマノの手前、精一杯強がりをシーフォンは見せるが、戦況はどう考えてもこちら側が劣勢だ。

「(どうする……? 飛び道具か、せめてリーチの長い武器があれば、もう少し違ってきそうだが……。この短剣でも投げるしかないのか?)」

 そう考えて、シーフォンはそれをすぐに振り払う。

「(いや、駄目か。やつはこの剣を狙って俺を襲ってるようだ。そうなってしまったら、奴の目的の内の一つが達成され、無力な俺と動けないタマノだけが残ってしまう。それだけはなんとしても避けるべきだ……)」

 手の中にある短剣をその思いとともにしっかりと握り直す。
 すると、先日と同様の光が、短剣を包み始めた。その白光を見て、彼は心が奮い立つのを感じた。

「(行くしかない……か!)」

 再び突攻をシーフォンはかけにゆく。
 足を阻もうと迫る泥の魔手を飛んでかわすと、空中で動きが慣性のみとなった彼を、今度は岩槍が狙う。

「はぁっ!」

 固い岩の塊であるそれを、シーフォンが『斬った』。
 光の軌跡がわずかに残り、フラットな切断面を彩る。

「ほう……、切れ味が格段に上がっているな。 それが魔剣の力なのか? まともに受けたら、私の剣も刃こぼれでは済まないかもしれないな」

「(なんだ今の……? 『斬れる』と思ったら簡単に斬れたぞ? しかも、全然手ごたえがなく……。切れ味云々よりも、光自体が力を持つ、って感じがするな……)」

 正直この効果は嬉しいが、あと少し足りない。
 ヴィクセンに近付くことはできても、肉薄したとまでは言えない距離で、いいようにあしらわれている。

「結局のところ、刃に触れなければどうということもない」

「(く……っ、どうする!? このままだと消耗してこっちが敗けだ。一撃で決めるには、懐に潜って斬り込むしかないが……、どうやって……!?)」

 際限なく伸び続ける岩を斬り飛ばしながら、しばらく考えていたシーフォンだったが、不意にあることに気付いて、手元の白光を見る。

「(これが……本当に家宝の宝剣だったとしたら……! 多分、いける。……だがもし俺の力が充分でなかったら、やられるのは俺だ。できるのか、俺に……?)」

 自問に気を割きすぎて、背後から来た岩への反応が一瞬遅れる。
 振り向きざまになんとか斬り払うが、岩の欠片が散り、彼の胸を服ごと掠めていった。
 そして、破れた服の隙間から、紅色の首飾りがのぞき出した。

「…………!」

 シーフォンは剣を持っていないほうの手でそれに触れ、丁度ヴィクセンを挟んで向こう側に位置するタマノを一瞬見やる。
 そのたった一秒にも満たない瞬間ですら、彼女と目が合った。

「(何を弱気になってるんだ、俺は? タマノはずっと俺を見ていてくれているんだ。格好悪いところなんて、もうこれ以上見せられない。それに、俺には――――)」

 着けていた首飾りを外し、短剣の柄に巻いて、両手で挟むように持ち、言い放つ。

「――――こんなにも近くに、タマノがいてくれる」

 見えない何かを断ち切るように、両手上段に構えた剣を降り下ろす。
 剣の輝きが強くなる。

「もう、これで最後にしよう、ヴィクセン」

「……いいだろう。こちらも地面を動かす魔力が尽きたからな」

 あれだけの時間、大地一帯を操っていたヴィクセンの魔力には、驚くものがある。
 だがそれもようやく尽き、残るは二人がそれぞれ持つ剣だけだ。
 シーフォンの額から、大粒の汗が一粒垂れ、地に落ちると同時、

「うおぉぉぉっ!」

 シーフォンが動き出した。
 ヴィクセンの方は、初めての交錯時と同じように、カウンターの構えをとる。
 二人とも退かずに、影が重なる瞬間―――。
 シーフォンが袈裟掛けで肩から下へ斬ろうとしているときには、ヴィクセンは既にシーフォンの胴を一文字に断つ軌道に入っていた。

「ふははっ! 私の勝ちだ、スティッシー!!」

 ヴィクセンが高らかに笑う。
 そして、空に飛沫く紅い水は、一方からのみ流れた。



           ******



「ぐっ……!」

 シーフォンが腹を手で押さえるが、その指の隙間からは紅色が染み出していた。

「ヴィクセン……」

 足がもつれるが、シーフォンは気にせず振り返る。

「……勝負、ありだ」

 言ったシーフォンの視線の先に、ヴィクセンは倒れていた。剣を持つ腕は斬り落とされ、上半身から下半身にかけても大きな斬り傷がある。
 ……が、しかし、傷口から血は流れていなかった。
 なぜなら切断面は焼け焦げ、血が流れる前に傷を焼き塞いでいたからだ。

「……確かにこれはどうやら、アルセルノ家の宝剣だったようだ。まさか、妖力を纏って伸びる長剣だったとは思わなかったがな……」

 彼が手に持つ長剣はヴィクセンの細剣を上回る長さを持ち、刃の役割は今までの白光とは異なり、タマノの首飾りと同じ色を示した真紅の輝きが果たしていた。

「これで……第、一歩……だ……」

 そこまで言って、シーフォンもまた倒れ臥し、呼応するように剣の輝きも失われた――。
 
 

             ******

 

「れろっ……んっ、ちゅくっ、……はぁっ……れるぅ……っ」

 鬱蒼と木々が茂る森の中。意識を取り戻したシーフォンの目に最初に入った映像は、消毒のためか斬られた腹の部分を一心に舌で清めているタマノ、というものだった。

「タマノ……、くすぐったいぞ……」

「……! ひっく、ぬ、ぬし様ぁ……!!」

 シーフォンの覚醒に気がついた途端、堰を切ったように涙で顔を崩し、そっと胸に覆い被さる。
 涙を拭うタマノの手を見ると、どうやら血が固まっているようだった。

「お前、その手……! 心配、かなりかけたみたいだな……済まなかった」

 恐らくシーフォンが戦っている間じゅう手を握りしめていたら爪が食い込んだのだろう。

「初めは本当に、死んだかと思いんした……! じゃがぬし様や、思ったよりも傷が深くなかったのは、どうしてじゃ? どう見てもあの時ぬし様は完全にあやつの間合いじゃったろ?」

「ああ、あれか……。実は俺、もう少し遠くから斬っていたんだよ」

「……どういうことじゃ?」

「剣にタマノの首飾りを巻いたら、急に刀身が熱くなり始めてな……、それこそ、熱気で汗が垂れるくらいにだ。ヴィクセンに向かって走ってるときにはもう持てないくらいの温度だったんだが、そこで初めて、ある程度熱気を操れるのに気がついて、とっさに俺の前に集めたんだよ。……そしたら、陽炎がうまい具合に発生してくれてな。お陰でヴィクセンは間合いを見誤って、俺は致命傷を受けずに済んだ、って訳だ。……もう少し早く気がついていれば、手を火傷することもなかったんだがな……。」

 火傷で少し赤くなった手を隠し、シーフォンが言う。

「だが、この御守りには本当に色々と助けられた。……ありがとうな、タマノ」

「ん……、礼など要りんせん。ほれぬし様、まだもう少し横になっていなさんし。わっちはまだ心配なんじゃからの?」

「……済まない、そうさせてもらうとする」

 もう一度横になろうとしたシーフォンの姿勢を、タマノが引き戻した。

「ぬし様、頭はこっち、じゃ……」

 そうして正座になったタマノの太股の上に頭を降ろされる。
 言うまでもないが、彼にはそれに抗う体力も精神力も……そもそも、抗う気すらないので、すんなりと柔らかいそれに身体を預けた。



 
              ******


 
 
「くぅ……っ、あっ……! 駄目じゃ、そんなに激しく動かさんでくりゃれ……!! んっ、そこ、しびれ……てぇっ、じんじんって、しんす……!」

 苦悶に喘ぐ声を漏らしながら、タマノの顔が羞恥により赤みがかる。抵抗することがままならないという状況も、その恥ずかしさを加速させていた。
……事の始まりは数分前、再びシーフォンが目を覚ましてからだった。
 
 

              ******



「ん……、ふぁぁああ・・・。結構寝てしまっていたみたいだな……日の傾きからして、2、3時間ってところか? ……それにしても、あぁ、恐ろしくいい寝心地だったな……膝枕」

 身体を起こしタマノを見ると、彼女もまたまどろんでいたようで、揺れる頭が船を漕いでいる。
 無防備なその姿を見ているうちに愛しさと、少しの悪戯心が込み上げてきたシーフォンは、そっと彼女の耳元に近付き……吐息と共に囁いた。

「タマノ……大好きだ」

「ひぁぁぁぅっ!? ……ぬし様……驚かさんでくりゃれっ、ぞくっとしてしまいんす……。それと勿論、わっちもぬし様のこと、大好きじゃぞ?」

 シーフォンから顔を寄せ、浅く口付ける。

「ははっ……さて、体力もだいぶ戻ったし、そろそろ行くか」

 しかし、立とうとしたシーフォンの服を、タマノがキュッとつかみ、とどめていた。

「タマノ?」

「……立ち上がれん」

「は……?」

「その……足が、痺れてっ……動かせんのじゃ……っ///」

 見ると、タマノは正座をしたまま固まっていた。下がり気味の眉毛でシーフォンを見る姿が、彼の心をくすぐった。

「……すまない、どうやら本気でぐっすりと寝てしまっていたようだな……」

「それはいいんじゃ、ぬし様の寝顔は可愛いからの……んんぅっ//」

「タマノの寝顔もさっき見たが、可愛いぞ? ……とまあそれはともかく、正座を解いて血の流れをよくしないとな……」

「ぁふ……っ、手伝って、くりゃれ……?」



 ……そうして、現在へと至るわけであるが――。



「……なんというか、ある意味自業自得だな」

 慎重に、刺激を与えないようにタマノの身体を動かしながら、シーフォンがボンヤリと言った。

「わっちをこんなに心配させたぬし様が悪いんじゃ……。この代償はまた、夜にでも身体でたくさん支払ってもらいんす」

「……これこそ、自業自得か」 

 シーフォンは苦笑いを浮かべた。
 


        ******



 しばらくしてタマノの足の痺れが収まり、二人で森の中を歩く。
 ……と言うよりは、シーフォンが彼女を背に負って歩いていたのだが。

「これで夜にぬし様を強引に襲うのは無しにしてもよいかの!」

 などと悠然とのたまっているタマノだが、シーフォンは予感めいた確信を持っていた。

「強引でなくても、することはするなら変わりはないだろ……」

「細かいことを言っておると運が逃げてしまいんす、気にしなさんな」

「まったく……」

 やれやれと肩を少しすくめるシーフォンに対し、回していた腕と足に力を込めて、いっそうタマノは彼に体を密着させた。

「くふふ……っ! じゃが、悪い気はしておらんじゃろ……?」

 そう耳元で囁かれると、タマノの放つ魅力にあてられて実際、どうにかなってしまいそうになるシーフォンはただ、頷くことしかできなかった。
 タマノはその様子にくつくつと笑いをこぼしていたが、次の瞬間、先程よりもずいぶん真剣な声色になって言った。

「ぬし様、何かが見えんす。……もうちょっと高くまで上げてくりゃれ」

 シーフォンはとりあえず言われた通り、タマノを負う体勢から肩車に変えた。

「アレは……間違いありんせん、ヴィクセンの馬車じゃ。前に何度か見たことがありんす」

「ここに停めてたのか。……よし、行ってみよう」

「大丈夫かや?」

「本人はもういないのだから、大丈夫だろう。金貨の一枚でも見つかれば儲けものだ」

「何というか……呆れた根性じゃな」

「これでも家が退廃した後の生活は酷いものだったからな。意地汚くもなるさ。それに、これは泥棒行為ではないぞ? 家が襲われたときに宝物庫も荒らされたからな。元々俺の金だったものを返してもらうだけだと思ってくれ」

「ぬし様がそう言うなら、わっちは構いんせん。そうと決まれば、出発じゃ」

「……、降りないんだな……」

「何か言ったかや?」

「……いや、何も」

 肩に跨がったまま、馬車を指さすタマノ。
 その、狐の形をした耳の聴力をもってしてシーフォンの声が聞こえていないはずはないのだが、どうやら彼女に降りる気はないようだった。
 仕方なくそのまま歩いて馬車に向かった後、タマノをなんとか降ろして、警戒しつつ車内への戸を開いた。
 一番にシーフォンの目に飛び込んできたのは、アラクネ族特有の、蜘蛛のような六本の腕をもつ女性だった。
 だが、その三対の腕は縄で縛られ、一番上の縄はそのまま壁の上部へと続いていた。
 作りの良さそうな服を着て(或いは、着せられて)いるが、所々がはだけていて、あられもない格好となっていた。

「なっ、これは…!? 大丈夫ですか!?」

 様子を見るなり、驚きつつもシーフォンは駆け寄って縄を切り、女性の拘束を解いてやる。

「(……ぬし様、初対面だと言葉遣いが丁寧じゃの)」

「(礼儀ってものがあるだろう」)

 無駄に小声で話していると、女性が訝しげにシーフォンたちを見て言った。

「あなたたちは……何者ですか? あの男……今度は私をどうすれば気が済むの? 毎日毎日私を慰みものにして……!」

「(ぬし様、もしやこの魔物娘……)」

「(そのようらしいな。ヴィクセンの言っていた……)」

 そこまで結論付けて、シーフォンは女性に向き直る。

「安心して下さい、俺たちはおそらくあなたの味方です。ヴィクセンの奴は、俺が討ちました」

 信頼を得るため、はっきりとした声音でそう彼は言った。

「あなた……名前は?」

 訊かれたシーフォンは、少し考える間を空けて、貴族だった時の名前を答えた。

「っ、ぬし様?」

「いいんだ、この方がたぶん、好都合だ」
 
 名前を聞いた女性の方は、眼を少し大きく開いて、

「『アルセルノ』……って、あの大貴族だった……」

「ええ、ヴィクセンが俺の家を襲った犯人だったから、あだ討ち、ってところですね。……もっとも、襲ってきたのは今度も向こうでしたが」

「成程ね……」

 それまで難しい顔をしていた彼女は、咳払いをして頭を振ると、一転して笑顔になった。

「ふふっ、疑ったりして御免なさいね。あなたたちなら信用できるわ。……あと、堅苦しくしなくていいわよ、私も落ち着かないし」

「そうさせてもらえると、助かる」

「無理はよくない、ということじゃな」

「これでも昔、礼儀作法を叩き込まれて育っているんだがな……」

「こっちのぬし様の方が好みじゃ」

 ふふ、と、また小さな笑い声がする。

「本当にありがとう、私もこれでようやくあの人のところに帰れるわ……!」

「あの人って? 聞いても構わないか?」

「私の旦那さまよ、だ・ん・な・さ・ま♪ さて、そうと決まれば急いで出発するわ。また会ったときは、とびっきりのお礼をしてあげるわね!」

「一人で大丈夫か?」

「一人の方が早いじゃない。……それに、あなたたち二人のお邪魔にはなりたくないもの、ね?」

 彼女はそう言うなり馬車を飛び出して外に出ようとしたので、慌ててシーフォンはそれを留めた。

「せめて、名前くらいは教えておいてくれないか?」

「あ……、そうね。思えばあなただけしか名乗ってないのは、色々と駄目よね。 私はスピカ。御覧のとおり、アラクネ族のスピカ・シーウィングよ。趣味は私の糸で洋服を作ること、かしら。ほら、今着ている服とかも私が作ったのよ。それを活かして洋服屋をやってるんだけど、あの人、私がいなくてちゃんとやってくれてるかしら……?」

「わっちも名乗っておらんかった。わっちはタマノじゃ、よろしくお願いしんす」

「ええ、改めて二人ともよろしくね。それじゃ、また会いましょ!」

 今度こそ捉えられない速さで、スピカは走って行った。

 まさに蜘蛛が全力で走る時のように、無駄のない、機敏な走りだった。

「恐ろしい早さじゃな……」

 タマノが口をぽかんと開ける。

 呆然と走りに見とれていたシーフォンは、タマノに少し遅れて自失から立ち直り、言った。

「何だかこう、アラクネというともう少し穏やかな印象があったんだが……、嵐のような女性だったな」

 他方、タマノの顔はあまり晴れていなかった。

「……或いは、無理しておったのかも知れんの。わっちが同じ状況になったと思うと、心がどうにかなってしまいそうでありんす」

「……そうだな、それもそうか。……ま、この話は終わりにしよう。そろそろ本命の、馬車あさりの時間だ!」

「何じゃぬし様、活き活きとしておるの……」

「え? あ、いや、つい職業柄、癖が出てな……」

 などと言う間にも手際よくシーフォンは馬車内を荒らしていく。

 その先から片付けまでこなしておるのは元貴族のプライドじゃろうか? と、出る幕を完全に失ったタマノはボンヤリと考えていた。

 しばらくして。

「…………タマノ、ちょっと来てくれ。……ヴィクセンの、そうだな……言うなれば、遺書を見つけた」

「へ……? どういうことかや?」

「俺にもなぜこんなものがあるのか、全くわからないが……とにかく読んでみるぞ」





――――――――これを読んでいるものは、おそらく私を破ったものであることだろう。そうであって欲しいものだ。

 ……私は来るべき日のために力を蓄え、反魔物領を武力によっておとなしくさせたうえで、その地の人々が見向きもせずに忌み嫌う魔物と、互いに手を取り合える世界を夢見ていた。

 どうか私の意志を継いではくれないか。

 私の持つすべてを、私を斃し、この文を読む者に与えよう……―――――――――――――




「あとは……財産の明細、か」

 そこまで読んで、シーフォンは顔を上げた。

「ヴィクセン……貴様の言うことがわからない訳ではないが、そのために反魔物派の筆頭だった俺の家を襲って、あまつさえ宝剣まで狙ってくるなど……、いささか度が過ぎたな。……まあ、財産はありがたくもらっておくとするか」

「まあ、くれるものは断っても仕方ないからの」

「それに、ヴィクセンの最後の言葉を無視するわけではないぞ? 曲がりなりにもあいつだって貴族、その誇りが込められたものではあったからな。……だが、強制された友情や愛情に意味なんてないということに、最後まで気づけていなかったようだ」

 隣で遺書を覗き込んでいたタマノの手を取る。

「俺たちは、俺たちのやり方で繋がっていければ、それでいいだろう?」

「…………そうじゃな……♪」

絡まった指をきゅっと握り返し、静かに寄り添って、タマノは頭をシーフォンの肩に預けるのだった。
13/03/25 23:34更新 / ノータ
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■作者メッセージ
補足
〜ヴィクセンの交渉術〜

「ここらで有名な大貴族アルセルノ家を知っているか?」
「ええ、それは勿論」 
「それについて耳寄りな情報がある。あの家、使用人等はすべて男だ」
「それ本当っ!?」
「軍資金をやろう。それで理想の夫を見つけに行ってみるといい。私が同じように声をかけた魔物娘が居るはずだ、夫の取り合いになることだけは気をつけておくといい」 
「……どうしてそこまでしてくれるの?」
「私の理想の世界は、魔物娘と人間が手を取り合って生きることのできるものだからな。これはその一歩だ」
「そうみたいね。魔物娘の匂いがすごいもの、あなた。さぞかし濃密な日々を……羨ましいなぁ」
「まぁ、この機会に存分に行ってくるといいさ」
「ありがとう!」

 …………こうしてまんまと家を襲わせることに成功したのでした。女性使用人の中に魔物娘が紛れることを恐れての雇用体系が、仇となったようです。
 シーフォンの家族は行方こそ不明ですが死んだりはしていませんね、たぶん。
 そしてすべてが終わったあとで、宝物庫を荒らしたり家を破壊したりしたのはヴィクセンです。

 これで一応、本編は一区切りです。
 それでは、エピローグにてまたお会いしましょう!
 …………やっぱりバトルシーンがとてつもなく恥ずかしい年頃です;

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