03.蟻さんに騎乗
ナナに傍について貰って、慎重に足の包帯を解いていく。包帯を全て解き終え、添え木
を外すと数日ぶりに自分の足と対面することが出来た。
こうして見ると、意外と普通だ。所々切り傷らしきものがあるものの、それ以外は特別
骨折の跡のようなものは見受けられない。本当は軽症だったのだろうか?
僕の考えを読んだかのように、ナナが小さく笑う。
「ここに運ばれてきた当初は、本当に酷かったんですよ。この傷の跡なんか、全部砕けた
骨が皮膚から突き出て出来たものだったんですから」
思わず言葉を失い、控えめに微笑んでいるナナの顔を凝視した。
前言撤回。魔法の薬とやらの力が、とんでもなかっただけのようだ。
薬の染み込んでいる内側の包帯を巻き直し、表面を乾いた新しい包帯で緩く巻いて覆っ
た。添え木が無くなったので、これで足のちょっとしたリハビリが始められるだろう。
「……ある意味、そんな惨状を見なくて済んだのは幸運だったかもね」
そんな軽口を叩きながら、足を少しずつ動かし始めた。数日のブランクがあるおかげで少
々動かし辛いものの、痛みは殆ど無い。決意を足に込めて、地面を踏みしめる。しかし。
「い、づっ!」
「レイ君!」
足に体重の負荷をかけた途端、痛みが足を走り抜けた。痛み自体はさほどではなかったも
のの、思わずバランスを崩し真横に倒れこむ。
斜めに姿勢を崩した状態で、小さくため息を一つ。流石にまだ痛い。
しかし、不意の痛みで失敗したが慎重にやれば立ち上がる位は出来る筈だ。杖があれば
歩くのだって出来るだろう。そう冷静に自分の足の具合を分析してから、倒れた筈なのに
自分の身体が地面に触れていないことに気付いた。
「あ、あのう」
見上げると、顔を真っ赤に染めたナナの顔。肩の感覚に注意を向けると、柔らかいクッシ
ョンに持たれかかる感触。どうやらナナが全身で受け止めていてくれたらしい。
「ああごめん、ありがとうナナ」
崩した足を元の姿勢に戻し、地面に座り直した。骨が突き出ていたという足の傷を手で弄
っていると、ナナの返事が無いことに違和感を覚える。
「ナナ? どうしたの?」
彼女へ目を向けると、ナナは顔を真っ赤にして俯いていた。両手を揃えて、服の裾をきつ
く握り締めながら。触角も、節が折り畳まれまるで縮こまるように頭に張り付いている。
「す、すいません、何だか恥ずかしくって」
ナナの言葉の意味を飲み込むのに三秒。そして、僕の口から笑みがこぼれた。失笑だ。
「何言ってるんだか、昨日もあんなに激しかったのに」
ナナは普段僕に対しておどおどしている割に、夜の乱れっぷりは蟻たち全員の中で一番だ。
その豹変ぶりは凄まじく、僕は絞り殺されるのではと本気で恐怖したほど。
そんなナナが昨日ならともかく、今日になってまでまだこんなことで恥ずかしがってい
るのははっきり言って今更だ。
僕の言葉に、ナナは両手で顔を伏せて蹲ってしまった。あまりきつく言うつもりはなか
っただけに、少しだけ罪悪感が募る。
「ごめんナナ、ちょっと嫌味っぽかったね」
「レイ君だって、き、昨日あんなに恥ずかしがって抵抗してたじゃないですか……!」
蹲ったままのナナからの一言に、僕は小さく笑いながら頬を掻いた。
「僕はなんだかもう慣れちゃったよ」
「……そう、なんです?」
顔を両手で覆っているナナが、指を広げてその隙間から僕を見た。恥ずかしさはいくらか
収まったようで、指の間から見える表情は純粋に疑問に思っている顔だ。
「まあ全く気にならないってほどじゃないけどね」
二日連続であれだけもみくちゃにされて、身体の端から端まで見せられ見られ舐められれ
ば多少接触した程度なんともない。それに僕自身結局のところ抵抗は無意味だと悟ったの
で、下手に避けるよりはさっさと慣れてコントロール出来るようになった方がいいだろう。
そう思った末の結果だった。
「さ、ナナ、ちょっと支えてよ。立つから」
顔を上げて、立ち上がったナナの両手に捕まってゆっくりと立ち上がる。
思ったより痛む。痛みを覚悟すれば立てないほどではないが、歩くのは杖があっても少
し厳しいかもしれない。
「……生まれたての、小鹿」
「いやそこまでプルプルしてないから」
「そーれ、あんよが上手、あんよが上手……」
「ナナ、ここぞとばかりにさっきの仕返ししようとしてない?」
三つ編みを揺らして、ふいと顔を逸らすナナ。しかし、こらえ切れず笑顔がはみ出ている。
僕も釣られて笑って、それから僕は腰を降ろした。
「ちょっと辛いけど一応歩けなくもないかな。ナナ、歩く時の杖代わりに出来るようなも
のって無いかな?」
怪訝そうな顔をして、僕を見返すナナ。
「レイ君、歩く、つもりですか? まだ、危ないですよ」
「……ずっとこの部屋にいるのも暇だからね。巣の中とか、外の景色とかちょっと見てみ
たいんだ。皆が普段どうしてるか、とか」
嘘は言っていないが、さりとて本当のことも言わず。そんな返答だったが、ナナは特に僕
の発言を気にした様子も無さそうだった。少しの思案の後、彼女は顔を赤くして切り出す。
「あ、あの、それなら……私に、乗ります?」
「……は?」
え、なんだって?
「わ、私も種族柄力はある方ですからレイ君一人乗せて運ぶくらいなら全然問題無いです
しよければその」
顔を背けたり横目で見たり、胸の前で指をせわしなく絡めたり。落ち着かない様子でそわ
そわしながら、早口でナナはまくしたてた。思わず口をぽかんと開けたまま、それを呆然
と見つめる。
「の、乗るって言っても、ど、どこに?」
「ここに」
ぽんぽんとナナは自身の後部、蟻の胴体の上に手を乗せた。本気で言ってるのだろうか。
「えーっと、その、申し出は嬉しいんだけど、ちょっと申し訳ないというか」
「いえそんな、申し訳ないなんて、全然そんなことないですっ。……むしろ昨日も一昨日
も私がレイ君の上に乗ってばかりだから、今度はレイ君に上に乗って欲しいななんて、き
ゃっ」
頬に手を当て、上半身だけをくねくね動かしながら恥ずかしがるナナ。うなじに吐息がと
か、肩をなぞる手がとか、のし掛かられる感覚がとかの言葉をぶつぶつ呟いている。煩悩
が口から全開だ。
今ようやく分かった。この子ただのムッツリだ。
「何だか別の意味で乗らされることになりそうだから止めておきます」
「えっ……あっ? あっ! い、いえ違うんです! さっきのは言葉の綾というか、その、
考えてたことが口から洩れちゃっただけというか……」
「やっぱり考えてはいるんだ。ナナはすけべなんだね」
「ち、違うんですぅー!」
ムッツリで、そしてからかい甲斐がある。それが、ナナという子に対する僕の評価になっ
た。
: :
からかうのも程々にして、結局素直に彼女の申し出を受けることにした。彼女の手をと
り足を震わせながら立ち上がる。
「それで、どうやって乗ったらいいかな」
ナナと相談しながらいくつか乗り方を試した末、乗馬のような形で足を開いて跨るのが一
番しっくりくることが分かった。しゃがんでいる彼女の両肩に後ろから手をついて、足の
間に上半身を挟む。僕の足がぎりぎり地面に着きそうだったが、立ち上がれば一応大丈夫
そうだ。もし邪魔になるようなら、ナナの方で両脇に抱えて貰えばいいだろう。
「あっ」
「うん? どうしたのナナ?」
僕が問いかけると、ナナは顔を赤くしてにやっと笑った。
「こ、腰の後ろに膨らみが……こ、これがいわゆる「当ててんだよ」なんですね……はあ
はあ」
息も荒くにやついた顔で一人笑うナナ。一方の僕はどん引きだ。
「……君だんだん本性が出てきたね。今のは聞かなかったことにするから。さ、立ってみ
てよ」
僕が促すと、ナナもすぐに気持ちを切り替えて立ち上がった。一切のふらつきも無く、す
っと甲殻の足で立ち上がる。多少よろけるのを覚悟していたが、そういった様子は全く見
せていない。
「大丈夫? 重くない?」
「大丈夫ですよ。レイ君こそ足は痛くないですか?」
僕が全く問題ないことを告げると、ナナは頷いて部屋の中を歩き回り始めた。
先端の尖った鋭い甲殻の足が、土を刺すように踏み歩いていく。かしょかしょ、かしょ。
その乗り心地に、思わず感嘆のため息が洩れた。
正直に言って、蟻の乗り心地は大したことはないだろうと思っていた。良くて馬並、悪
ければそれ以下だろうと。
しかし実際はどうだ。彼女の歩みには殆ど上下の揺れが無く、なめらかに進んでいる。
馬どころか、下手な馬車よりずっと心地よい。これが六脚の安定感なのだろうか。
「レイ君、どうですか?」
「驚いたよ、凄く乗り心地がいい」
「そうですか、よかった」
そう言って、ナナは笑顔で振り向いた。その拍子に背中のすぐ後ろにいる僕と鼻が擦れ合
うほどの距離で視線が交錯して……ナナは顔を赤くしてすぐに前へと向き直ってしまった。
「や、やっぱり恥ずかしい」
難儀な性格だなあこの子。
: :
今僕がいるこの蟻の巣は、現在三階立ての層になっている。まず入り口から真下に向け
て深く広い縦穴が掘られ、そこに螺旋階段が削り出されている。ここが中心になって、高
さの異なる場所に扉が三つ。それぞれ地下一階、二階、三階の廊下に繋がる扉だ。廊下は
縦穴を囲む輪になっていて、それぞれの部屋へと繋がる。
僕はその地下三階の、食料庫や倉庫がまとまっている箇所の空き室にいたらしい。今は
ナナの背に乗って、三階の廊下を進んでいる。廊下内は閑静としていて、蟻の姿は全く見
えない。
「なんか誰もいないね」
「今は、昼間ですから。皆お仕事中です。外に食べ物を探しに行くか、四階を作る為に中
央の穴を深くするか」
「なるほど」
彼女たちは仕事熱心なんだなあ。
そうこうしている内に、縦穴に繋がる扉の前まで到着した。内側に開いて開ける扉をナ
ナが引いて開けると、視界が開ける。
「おお……」
中央の穴は想像以上に広かった。穴の直径は二、三十メートルはあるだろう。そこに手す
りの無い螺旋階段が掘られていて、視界はとても広い。階段の縁から、天井も穴の底も見
渡せるほどだ。僕がいた部屋同様、階段のあちこちに白い花が光源として活けられている。
「ほいさっさ、ほいさっさ」
下を見ると、二人の蟻が大きな金属のバケツのような物を前後に二人がかりで抱えて上が
ってくるのが見えた。バケツらしきものの中には、土が山盛り入っている。重さにすれば
一トン以上あるのではないだろうか。それを二人で抱えたまま、テンポよく階段を登って
いる。
「お、ナナ、それにレイ君じゃん。どしたの? 怪我はもう大丈夫?」
バケツを抱えて登ってきたのは、アイとココノだ。登る途中で向こうもこちらに気づき、
挨拶を交わした。
「巣の中を見て回りたくて、ナナに言って乗せて貰ったんだ」
「そっかそっか」
「ナナ、抜け駆け……?」
どこか満足げなアイとは対照的に、ココノの声色は低い。バケツを挟んだ後ろにいるので
表情は伺えないものの、機嫌があまりよさそうではない。ぼそりと呟かれたその一言に、
ナナは慌てて返事を返した。
「ち、違うよ! 乗せてるだけ、乗せてるだけだから!」
「ふうん……」
「ほら、まだ仕事中だから行くよココノ!」
ココノは未だに疑り深そうだったが、アイに威勢良く急かされて渋々追求を諦めたようだ
った。軽い挨拶の後、僕らと別れた二人は再び階段を登っていく。
「あれ、何運んでたの?」
「掘り進んだ土砂ですよ。巣の外に出して、またすぐ戻ってくると思います」
「へー、あんな重そうなもの抱えてひょいひょい階段登れるのは凄いね。ジャイアントア
ントって皆あれくらい出来るの?」
「大体、皆そうですよ。あそこまで軽快に階段を登れる子は、少ないですけどね」
「そうなんだ……」
「さ、次はどこに行きましょうか?」
: :
巣の内部の探検が終わった頃には、皆の仕事も終わったようだった。部屋に戻って一息
付くと、すぐに大勢の蟻たちが部屋に集結した。甘ったるい汗の匂いが、部屋内に充満す
る。
僕は覚悟を決めてそれを出迎えたのだが……今日は少し様子が違う。
「それでね、これを食べると……」
「ほうほう、それはそれは……」
僕そっちのけで、部屋内でいつもの円陣を組んで何やら真剣な顔で相談している蟻たち。
かと思えば一斉にこちらを見てはにやっと笑い、そしてまた相談に戻る。
「どれにする?」
「わたしはこれが……」
「私は……」
「ねえ、全部っていうのは?」
「それは勿体な……あっ、ココノ!」
我先にと飛び出してくるのは、いつもココノだ。手には何やら怪しげなキノコが握られて
いる。
「ね、ねえココノ……そのキノコ、何?」
「たべて」
恐る恐る尋ねた僕の言葉など聞いていないかの如く、ココノは手にしたキノコを僕の口元
めがけてねじ込もうと押し付けてきた。流石に得体の知れない生のキノコを何の説明も無
く食べさせられるのは勘弁して欲しい。
「いや、ちょっ、待って、説明を、せつめ……うわっ何このキノコ、気持ち悪っ!」
間近で見るとよく分かる、キノコの筆舌に尽くしがたいグロテスクっぷり。思わず顔を背
けた僕の頬に、尚もキノコは押し付けられる。
「何これ、なんか気持ちいい……キノコ押し付けてるだけなのに」
「凄いね……」
「やらしいね……」
「ちょっ、見てないで誰か助けっ、というか、説明をっ」
なんか気持ちよくなってるココノと、それをうっとりした顔で見ている他の蟻たち。彼女
たちに、僕の懇願は届かない。
「しょうがないから説明だけはしてあげるねレイ君……おお……いいぞココノ、もっとこ
う、鼻の横にすり付ける感じでずりずりと」
説明するとは言ったものの、やはり止める気は毛頭無いらしいアイ。僕はそれに何か言う
余裕も無く、ココノが押し付けてくるキノコを必死で避けている。
「今日はさー、いつもあたしたちに服とかスコップを譲ってくれる狸さんと会う日だった
んだよ。あの狸さんなんか外国から来たらしいんだけど、気前よくてさ。あたしたちが土
掘った時に出てくる綺麗な石ころ集めて持って行くと喜んで服とかスコップ揃えてくれる
の。オウゴンヤーとか、ナンヤコレオリハルコンヤーン、とか叫びながら。綺麗なだけの
ただの石ころなのに変な狸さんだよね」
「いや、それ、ぼったく、んごおっ」
「それでさ、今日の当番はフィーだから行って貰ったんだけど、その時巣に男の子が来て
るって話をしたら、キノコ詰め合わせセットをサービスとして貰ってきたって訳」
「もご、んご、もぐふぅ」
「あたしたちも初めて見るキノコなんだけど、場所によっては沢山生えてる物で、食べ物
として色んな人や魔物に好かれてるんだって」
「んごも、もご、もぐ、もご、もぐ……」
「それもその筈、このキノコたちは夜のこっつんこやちょんちょんに彩りを与えてくれる
素敵キノコらしいのだ! ……これはもうレイ君に食べて貰うしかないよね?」
「ぶっふぉ! ちょっ、夜の、って」
「あ、吹き出したら駄目じゃんレイ君、勿体ない。ココノ、ちゃんと全部食べさせたげて」
「あい、さー」
「よーし食べた、食べたね? さあものどもっ、お楽しみのこっつんこタイムだーっ!」
「ひゃっほーい!」
かけ声と共に、すぽぽぽんと服を脱ぎ捨てていく蟻たち。そして僕はキノコを食べたこと
で身体に異変が起こり……。
それはもう、すっごいキノコでした。
を外すと数日ぶりに自分の足と対面することが出来た。
こうして見ると、意外と普通だ。所々切り傷らしきものがあるものの、それ以外は特別
骨折の跡のようなものは見受けられない。本当は軽症だったのだろうか?
僕の考えを読んだかのように、ナナが小さく笑う。
「ここに運ばれてきた当初は、本当に酷かったんですよ。この傷の跡なんか、全部砕けた
骨が皮膚から突き出て出来たものだったんですから」
思わず言葉を失い、控えめに微笑んでいるナナの顔を凝視した。
前言撤回。魔法の薬とやらの力が、とんでもなかっただけのようだ。
薬の染み込んでいる内側の包帯を巻き直し、表面を乾いた新しい包帯で緩く巻いて覆っ
た。添え木が無くなったので、これで足のちょっとしたリハビリが始められるだろう。
「……ある意味、そんな惨状を見なくて済んだのは幸運だったかもね」
そんな軽口を叩きながら、足を少しずつ動かし始めた。数日のブランクがあるおかげで少
々動かし辛いものの、痛みは殆ど無い。決意を足に込めて、地面を踏みしめる。しかし。
「い、づっ!」
「レイ君!」
足に体重の負荷をかけた途端、痛みが足を走り抜けた。痛み自体はさほどではなかったも
のの、思わずバランスを崩し真横に倒れこむ。
斜めに姿勢を崩した状態で、小さくため息を一つ。流石にまだ痛い。
しかし、不意の痛みで失敗したが慎重にやれば立ち上がる位は出来る筈だ。杖があれば
歩くのだって出来るだろう。そう冷静に自分の足の具合を分析してから、倒れた筈なのに
自分の身体が地面に触れていないことに気付いた。
「あ、あのう」
見上げると、顔を真っ赤に染めたナナの顔。肩の感覚に注意を向けると、柔らかいクッシ
ョンに持たれかかる感触。どうやらナナが全身で受け止めていてくれたらしい。
「ああごめん、ありがとうナナ」
崩した足を元の姿勢に戻し、地面に座り直した。骨が突き出ていたという足の傷を手で弄
っていると、ナナの返事が無いことに違和感を覚える。
「ナナ? どうしたの?」
彼女へ目を向けると、ナナは顔を真っ赤にして俯いていた。両手を揃えて、服の裾をきつ
く握り締めながら。触角も、節が折り畳まれまるで縮こまるように頭に張り付いている。
「す、すいません、何だか恥ずかしくって」
ナナの言葉の意味を飲み込むのに三秒。そして、僕の口から笑みがこぼれた。失笑だ。
「何言ってるんだか、昨日もあんなに激しかったのに」
ナナは普段僕に対しておどおどしている割に、夜の乱れっぷりは蟻たち全員の中で一番だ。
その豹変ぶりは凄まじく、僕は絞り殺されるのではと本気で恐怖したほど。
そんなナナが昨日ならともかく、今日になってまでまだこんなことで恥ずかしがってい
るのははっきり言って今更だ。
僕の言葉に、ナナは両手で顔を伏せて蹲ってしまった。あまりきつく言うつもりはなか
っただけに、少しだけ罪悪感が募る。
「ごめんナナ、ちょっと嫌味っぽかったね」
「レイ君だって、き、昨日あんなに恥ずかしがって抵抗してたじゃないですか……!」
蹲ったままのナナからの一言に、僕は小さく笑いながら頬を掻いた。
「僕はなんだかもう慣れちゃったよ」
「……そう、なんです?」
顔を両手で覆っているナナが、指を広げてその隙間から僕を見た。恥ずかしさはいくらか
収まったようで、指の間から見える表情は純粋に疑問に思っている顔だ。
「まあ全く気にならないってほどじゃないけどね」
二日連続であれだけもみくちゃにされて、身体の端から端まで見せられ見られ舐められれ
ば多少接触した程度なんともない。それに僕自身結局のところ抵抗は無意味だと悟ったの
で、下手に避けるよりはさっさと慣れてコントロール出来るようになった方がいいだろう。
そう思った末の結果だった。
「さ、ナナ、ちょっと支えてよ。立つから」
顔を上げて、立ち上がったナナの両手に捕まってゆっくりと立ち上がる。
思ったより痛む。痛みを覚悟すれば立てないほどではないが、歩くのは杖があっても少
し厳しいかもしれない。
「……生まれたての、小鹿」
「いやそこまでプルプルしてないから」
「そーれ、あんよが上手、あんよが上手……」
「ナナ、ここぞとばかりにさっきの仕返ししようとしてない?」
三つ編みを揺らして、ふいと顔を逸らすナナ。しかし、こらえ切れず笑顔がはみ出ている。
僕も釣られて笑って、それから僕は腰を降ろした。
「ちょっと辛いけど一応歩けなくもないかな。ナナ、歩く時の杖代わりに出来るようなも
のって無いかな?」
怪訝そうな顔をして、僕を見返すナナ。
「レイ君、歩く、つもりですか? まだ、危ないですよ」
「……ずっとこの部屋にいるのも暇だからね。巣の中とか、外の景色とかちょっと見てみ
たいんだ。皆が普段どうしてるか、とか」
嘘は言っていないが、さりとて本当のことも言わず。そんな返答だったが、ナナは特に僕
の発言を気にした様子も無さそうだった。少しの思案の後、彼女は顔を赤くして切り出す。
「あ、あの、それなら……私に、乗ります?」
「……は?」
え、なんだって?
「わ、私も種族柄力はある方ですからレイ君一人乗せて運ぶくらいなら全然問題無いです
しよければその」
顔を背けたり横目で見たり、胸の前で指をせわしなく絡めたり。落ち着かない様子でそわ
そわしながら、早口でナナはまくしたてた。思わず口をぽかんと開けたまま、それを呆然
と見つめる。
「の、乗るって言っても、ど、どこに?」
「ここに」
ぽんぽんとナナは自身の後部、蟻の胴体の上に手を乗せた。本気で言ってるのだろうか。
「えーっと、その、申し出は嬉しいんだけど、ちょっと申し訳ないというか」
「いえそんな、申し訳ないなんて、全然そんなことないですっ。……むしろ昨日も一昨日
も私がレイ君の上に乗ってばかりだから、今度はレイ君に上に乗って欲しいななんて、き
ゃっ」
頬に手を当て、上半身だけをくねくね動かしながら恥ずかしがるナナ。うなじに吐息がと
か、肩をなぞる手がとか、のし掛かられる感覚がとかの言葉をぶつぶつ呟いている。煩悩
が口から全開だ。
今ようやく分かった。この子ただのムッツリだ。
「何だか別の意味で乗らされることになりそうだから止めておきます」
「えっ……あっ? あっ! い、いえ違うんです! さっきのは言葉の綾というか、その、
考えてたことが口から洩れちゃっただけというか……」
「やっぱり考えてはいるんだ。ナナはすけべなんだね」
「ち、違うんですぅー!」
ムッツリで、そしてからかい甲斐がある。それが、ナナという子に対する僕の評価になっ
た。
: :
からかうのも程々にして、結局素直に彼女の申し出を受けることにした。彼女の手をと
り足を震わせながら立ち上がる。
「それで、どうやって乗ったらいいかな」
ナナと相談しながらいくつか乗り方を試した末、乗馬のような形で足を開いて跨るのが一
番しっくりくることが分かった。しゃがんでいる彼女の両肩に後ろから手をついて、足の
間に上半身を挟む。僕の足がぎりぎり地面に着きそうだったが、立ち上がれば一応大丈夫
そうだ。もし邪魔になるようなら、ナナの方で両脇に抱えて貰えばいいだろう。
「あっ」
「うん? どうしたのナナ?」
僕が問いかけると、ナナは顔を赤くしてにやっと笑った。
「こ、腰の後ろに膨らみが……こ、これがいわゆる「当ててんだよ」なんですね……はあ
はあ」
息も荒くにやついた顔で一人笑うナナ。一方の僕はどん引きだ。
「……君だんだん本性が出てきたね。今のは聞かなかったことにするから。さ、立ってみ
てよ」
僕が促すと、ナナもすぐに気持ちを切り替えて立ち上がった。一切のふらつきも無く、す
っと甲殻の足で立ち上がる。多少よろけるのを覚悟していたが、そういった様子は全く見
せていない。
「大丈夫? 重くない?」
「大丈夫ですよ。レイ君こそ足は痛くないですか?」
僕が全く問題ないことを告げると、ナナは頷いて部屋の中を歩き回り始めた。
先端の尖った鋭い甲殻の足が、土を刺すように踏み歩いていく。かしょかしょ、かしょ。
その乗り心地に、思わず感嘆のため息が洩れた。
正直に言って、蟻の乗り心地は大したことはないだろうと思っていた。良くて馬並、悪
ければそれ以下だろうと。
しかし実際はどうだ。彼女の歩みには殆ど上下の揺れが無く、なめらかに進んでいる。
馬どころか、下手な馬車よりずっと心地よい。これが六脚の安定感なのだろうか。
「レイ君、どうですか?」
「驚いたよ、凄く乗り心地がいい」
「そうですか、よかった」
そう言って、ナナは笑顔で振り向いた。その拍子に背中のすぐ後ろにいる僕と鼻が擦れ合
うほどの距離で視線が交錯して……ナナは顔を赤くしてすぐに前へと向き直ってしまった。
「や、やっぱり恥ずかしい」
難儀な性格だなあこの子。
: :
今僕がいるこの蟻の巣は、現在三階立ての層になっている。まず入り口から真下に向け
て深く広い縦穴が掘られ、そこに螺旋階段が削り出されている。ここが中心になって、高
さの異なる場所に扉が三つ。それぞれ地下一階、二階、三階の廊下に繋がる扉だ。廊下は
縦穴を囲む輪になっていて、それぞれの部屋へと繋がる。
僕はその地下三階の、食料庫や倉庫がまとまっている箇所の空き室にいたらしい。今は
ナナの背に乗って、三階の廊下を進んでいる。廊下内は閑静としていて、蟻の姿は全く見
えない。
「なんか誰もいないね」
「今は、昼間ですから。皆お仕事中です。外に食べ物を探しに行くか、四階を作る為に中
央の穴を深くするか」
「なるほど」
彼女たちは仕事熱心なんだなあ。
そうこうしている内に、縦穴に繋がる扉の前まで到着した。内側に開いて開ける扉をナ
ナが引いて開けると、視界が開ける。
「おお……」
中央の穴は想像以上に広かった。穴の直径は二、三十メートルはあるだろう。そこに手す
りの無い螺旋階段が掘られていて、視界はとても広い。階段の縁から、天井も穴の底も見
渡せるほどだ。僕がいた部屋同様、階段のあちこちに白い花が光源として活けられている。
「ほいさっさ、ほいさっさ」
下を見ると、二人の蟻が大きな金属のバケツのような物を前後に二人がかりで抱えて上が
ってくるのが見えた。バケツらしきものの中には、土が山盛り入っている。重さにすれば
一トン以上あるのではないだろうか。それを二人で抱えたまま、テンポよく階段を登って
いる。
「お、ナナ、それにレイ君じゃん。どしたの? 怪我はもう大丈夫?」
バケツを抱えて登ってきたのは、アイとココノだ。登る途中で向こうもこちらに気づき、
挨拶を交わした。
「巣の中を見て回りたくて、ナナに言って乗せて貰ったんだ」
「そっかそっか」
「ナナ、抜け駆け……?」
どこか満足げなアイとは対照的に、ココノの声色は低い。バケツを挟んだ後ろにいるので
表情は伺えないものの、機嫌があまりよさそうではない。ぼそりと呟かれたその一言に、
ナナは慌てて返事を返した。
「ち、違うよ! 乗せてるだけ、乗せてるだけだから!」
「ふうん……」
「ほら、まだ仕事中だから行くよココノ!」
ココノは未だに疑り深そうだったが、アイに威勢良く急かされて渋々追求を諦めたようだ
った。軽い挨拶の後、僕らと別れた二人は再び階段を登っていく。
「あれ、何運んでたの?」
「掘り進んだ土砂ですよ。巣の外に出して、またすぐ戻ってくると思います」
「へー、あんな重そうなもの抱えてひょいひょい階段登れるのは凄いね。ジャイアントア
ントって皆あれくらい出来るの?」
「大体、皆そうですよ。あそこまで軽快に階段を登れる子は、少ないですけどね」
「そうなんだ……」
「さ、次はどこに行きましょうか?」
: :
巣の内部の探検が終わった頃には、皆の仕事も終わったようだった。部屋に戻って一息
付くと、すぐに大勢の蟻たちが部屋に集結した。甘ったるい汗の匂いが、部屋内に充満す
る。
僕は覚悟を決めてそれを出迎えたのだが……今日は少し様子が違う。
「それでね、これを食べると……」
「ほうほう、それはそれは……」
僕そっちのけで、部屋内でいつもの円陣を組んで何やら真剣な顔で相談している蟻たち。
かと思えば一斉にこちらを見てはにやっと笑い、そしてまた相談に戻る。
「どれにする?」
「わたしはこれが……」
「私は……」
「ねえ、全部っていうのは?」
「それは勿体な……あっ、ココノ!」
我先にと飛び出してくるのは、いつもココノだ。手には何やら怪しげなキノコが握られて
いる。
「ね、ねえココノ……そのキノコ、何?」
「たべて」
恐る恐る尋ねた僕の言葉など聞いていないかの如く、ココノは手にしたキノコを僕の口元
めがけてねじ込もうと押し付けてきた。流石に得体の知れない生のキノコを何の説明も無
く食べさせられるのは勘弁して欲しい。
「いや、ちょっ、待って、説明を、せつめ……うわっ何このキノコ、気持ち悪っ!」
間近で見るとよく分かる、キノコの筆舌に尽くしがたいグロテスクっぷり。思わず顔を背
けた僕の頬に、尚もキノコは押し付けられる。
「何これ、なんか気持ちいい……キノコ押し付けてるだけなのに」
「凄いね……」
「やらしいね……」
「ちょっ、見てないで誰か助けっ、というか、説明をっ」
なんか気持ちよくなってるココノと、それをうっとりした顔で見ている他の蟻たち。彼女
たちに、僕の懇願は届かない。
「しょうがないから説明だけはしてあげるねレイ君……おお……いいぞココノ、もっとこ
う、鼻の横にすり付ける感じでずりずりと」
説明するとは言ったものの、やはり止める気は毛頭無いらしいアイ。僕はそれに何か言う
余裕も無く、ココノが押し付けてくるキノコを必死で避けている。
「今日はさー、いつもあたしたちに服とかスコップを譲ってくれる狸さんと会う日だった
んだよ。あの狸さんなんか外国から来たらしいんだけど、気前よくてさ。あたしたちが土
掘った時に出てくる綺麗な石ころ集めて持って行くと喜んで服とかスコップ揃えてくれる
の。オウゴンヤーとか、ナンヤコレオリハルコンヤーン、とか叫びながら。綺麗なだけの
ただの石ころなのに変な狸さんだよね」
「いや、それ、ぼったく、んごおっ」
「それでさ、今日の当番はフィーだから行って貰ったんだけど、その時巣に男の子が来て
るって話をしたら、キノコ詰め合わせセットをサービスとして貰ってきたって訳」
「もご、んご、もぐふぅ」
「あたしたちも初めて見るキノコなんだけど、場所によっては沢山生えてる物で、食べ物
として色んな人や魔物に好かれてるんだって」
「んごも、もご、もぐ、もご、もぐ……」
「それもその筈、このキノコたちは夜のこっつんこやちょんちょんに彩りを与えてくれる
素敵キノコらしいのだ! ……これはもうレイ君に食べて貰うしかないよね?」
「ぶっふぉ! ちょっ、夜の、って」
「あ、吹き出したら駄目じゃんレイ君、勿体ない。ココノ、ちゃんと全部食べさせたげて」
「あい、さー」
「よーし食べた、食べたね? さあものどもっ、お楽しみのこっつんこタイムだーっ!」
「ひゃっほーい!」
かけ声と共に、すぽぽぽんと服を脱ぎ捨てていく蟻たち。そして僕はキノコを食べたこと
で身体に異変が起こり……。
それはもう、すっごいキノコでした。
14/01/19 22:14更新 / nmn
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