連載小説
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04.蟻さんの闘い
 あっちむいてちょんちょん、こっちむいて――
「レイ君、乗り心地はどうですか?」
「ああ、凄くいいよフィー」
「きゃっ、恐縮ですぅ」
 深く暗い迷いの森の中、彼女たちは陽気な歌声と共に規則正しく行進を続けている。
 迷いの森。その呼び名は伊達ではなく、高くそびえ立つ木々は陽の光を完全に遮り、目
印も無く暗い森の世界は方向感覚を容赦無く狂わせる。足下は短い下草や苔に覆われてい
て、露に濡れた地面は人の足などたやすく滑らせることだろう。
 しかし、蟻たちの歩は一切ぶれない。鋭い甲殻の足で緑の下の土を踏みしめ、苔むした
丸太も難なく乗り越えていく。流石はこの森を「ちょっとその辺」と気安く呼んだだけの
ことはある。フィーの背に乗る僕も、殆ど揺さぶられることなく快適な乗り心地だ。アイ
とは違う、癖の無い柔らかなショートヘア。そして彼女の頭の二本の触覚。この三つだけ
が、歩みと共に小刻みに揺れている。
「それにしてもレイ君は面白い人ですね、外回りに同行したいなんて」
「僕たち人間にとってはここはやっぱり迷いの森だから。安全に見て回れるならやっぱり
見てみたいものだよ」
「ふーん、そういうものですか……はっ! もしやここの暗さにかこつけて昼間っからこ
っつんこをするつもりなんですかっ? レイ君ってばもう、やんやん」
「……いや、しないからね。君達はそればっかりだな」
「ふふふ、そりゃあこんな魅力的な男の子が私たちの側にいますから、頭の中がピンク色
のお花畑にもなりますよ。ナナちゃんなんか凄かったんじゃないですか?」
「ああ……あの子は凄いね。凄いムッツリだ」
ナナの昨日の痴態を思い出して何ともいえない気分になると、フィーはそれを見透かした
かのように明るく笑った。
「そろそろ開けた場所に出ますよ」
頭を傾けてフィーの横から前方をのぞき込むと、確かに視界の先に木々の無い広い空間が
あるのが目に入った。眩しい陽の光が注ぎ、そこだけまるで別世界だ。中央には小さな泉
があり、それを囲むようにツル状の植物がいくつか伸びている。
 ペースを乱さず進んでいた蟻たちの先頭が広場へと足を踏み入れたその時。突然足下が
ふらつき、視界がぶれた。
「うわっ」
思わず小さな叫び声をあげると、他の蟻たちの戸惑いの声も次々と聞こえてきた。気づい
た時、視界にあったのは森の地面。身体を動かそうとしても、何かに引っかかって身動き
がとれない。
 首だけを何とか動かして周囲を見渡すと、何とか状況を把握することが出来た。どうや
ら行進していた蟻たち皆まとめて、跳ね上げ網の罠に引っかかって見事捕まってしまった
らしい。他の蟻たちが、白い網に吊されてもがいているのが見えた。
「やったかかった! ……って何よ、またあんたたちじゃないの」
樹上から澄んだ女性の声がしたかと思うと、巨体が地面へと落下してくる。その大きさと
は裏腹に、着地する際の音はとても静かだ。
 上半身は、美しい妙齢の女性。尖った耳の少し後ろ、左右で二つに括った銀色の髪と、
蟻たちとはまるで異なる豊かでたわわな二つの実りが僕の目を引いた。
 下半身は、巨大な昆虫の胴体。蟻たちと姿は似通っているが、その大きさは蟻たちより
遙かに大きく、四対の甲殻の足もとても太く力強い。上半身の付け根、腰のあたりにふさ
ふさの毛が生えている。
 彼女はおそらくアラクネだ。魔物としては非常に有名で、教会ではやはり人を襲って喰
い殺すとされていた蜘蛛の魔物。ジャイアントアントと比べると、何から何まで大人サイ
ズだ。
「おいこらクモやろー! 降ろせー!」
「ここは私らの通り道なんだからかかって当然だろこのあほー! 降ろせー!」
吊された網の隙間から伸ばした手を激しく振るって、罠を仕掛けた張本人に猛抗議する蟻
たち。あまり仲はよろしくないらしい。彼女はそんな蟻たちを眺めながら、口元に手を当
て優雅に、そしてあからさまに馬鹿にするように微笑んだ。
「あらやだ、何て品の無い蟲なのかしら。これだからアリンコは……ああ臭い臭い、汗臭
い」
「うっせーばかクモー! いいから早く降ろせー!」
「臭いとか言うなー! この匂いレイ君に効果覿面だったんだぞーっ! 降ろせー!」
「うるさいわねぎゃあぎゃあと……ん? レイ君?」
口元を押さえ煩わしげにしていたアラクネが、僕の名前が出た途端動きを止めた。それか
ら視線を徐々にスライドさせ……糸の網の中で、僕と目が合う。
「あらあらあら、あらあらあらあら!」
嬉しそうな顔で手を叩いて、吊された僕の真下へと移動するアラクネ。見上げる彼女と、
見下ろす僕の視線が交錯した。
「いやーん、何よ大当たりじゃない! 可愛い男の子ね! レイ君っていうの?」
「は、はあ……どうも……」
一転してテンションが最高潮に達する彼女と、いまいち乗り切れていない僕。そして。
「あほクモー! レイ君は私たちのだぞー!」
「手出したら許さないかんなー! おい! おい聞いてるのかあほーっ!」
先ほどよりも一層激しく抗議とも罵倒ともつかない叫び声をあげる蟻たち。
 アラクネは尚も叫び続ける彼女たちを完全に無視して、絡め取られた糸の網の中から丁
寧に僕だけをより分け手元へ引き寄せようとした。しかし。
「……ちょっと離しなさいよアリンコ」
「いやですぅー、べーっだ」
網に絡め取られたフィーが、僕の身体をがっちりと掴んで離さない。僕を挟んで、二人は
鋭く睨み合った。
「いいじゃないほらちょっとだけ、ちょっとだけ味見したら返すから! ちょっと貸しな
さいよ!」
「いーやーでーすぅーっ! クモに男の子を取られたら二度と帰ってこないっておかーさ
んが言ってましたー!」
僕を綱代わりにして、激しく綱引きをするフィーとアラクネ。正直ちょっと、いや大分痛
い。もうちょっと平和な方法で解決してくれないかなあ。でも言っても聞いてくれそうに
ないなあ。
「ふ、ふぐう……この馬鹿力クモ女……!」
「ふふふ、所詮は一匹のアリンコ。このあたしに腕力で勝とうとするのが間違いなのよ。
ほーらほら、さっさと諦めてこの子を渡しなさい」
綱引きが始まったのも束の間、サイズ差からくるパワーバランスは明白だ。じりじりと、
フィーの拘束から引き剥がされていく僕。肩がみしみし言ってるが、僕にはどうすること
もできない。
「いぃやぁでぇすぅ! レイ君は私たちの巣に舞い降りた一人の天使なんですーっ! あ
なたみたいな寝取りクモ女になんて絶対渡しませんーっ!」
「あーらやだ寝取りなんて人聞きの悪い、この子まだ関係初めて数日でしょう? 臭いが
薄いわよ。これじゃあまだ誰のものって訳でもないじゃない、あたしが貰っても正当、正
当」
悲痛な叫び声をあげるフィーとは対照的に、アラクネはどこまでも余裕綽々だ。
 しかし彼女たちのやり取りを他人事のように現実逃避して、ずっと横を眺めていた僕に
は分かる。このままのペースでいけば、フィーが綱引きに負けるよりも早く他の蟻たちが
罠から抜け出すであろうことを。
 既に叫ぶのを止めて罠から抜け出すことに集中していた他の蟻たち。その中の一人が、
寝返りをうってベッドから転げ落ちるかのように吊られた糸から脱出した。どしゃっ、と
いう若干情けない音と共に、地面へ落下する。
 脱出した一人はすぐに体勢を立て直すと、未だ気づかない無防備なアラクネの背中に飛
びかかった。
「うおしゃあーっ!」
昆虫の下半身で背中に組み付き、アラクネのツインテールに両手をかける蟻。身体を激し
く揺さぶってバランスを崩しにかかりながら、ツインテールを引っ張り続ける。
「あっ? ちょっ、痛っ! 髪の毛引っ張るんじゃないわよこのあほちびアリ!」
「うっせーばかー! レイ君は渡すもんかーっ!」
無我夢中で髪を引っ張り続ける蟻によろけ、僕を掴んでいた手を離してその場でたたらを
踏んだアラクネ。姿勢を正して背中の蟻を振り払おうと後ろの蟻に手を伸ばすと、今度は
新たに脱出した一人が真正面からアラクネに飛びつく。彼女の頭が、アラクネの豊かな胸
の間に埋もれて見えなくなった。
「かかれかかれーっ!」
こうなってしまってはアラクネに為す術はない。もがいている間に次々と蟻は糸の網から
脱出し、アラクネに飛びついていく。三人、四人、五人。フィーを除いた今この場にいる
全ての蟻がアラクネに飛びついた所で、彼女はごろごろ転がって僕たちから距離を取った。
転がったことで全ての蟻たちがアラクネから離れたが、皆即座に起きあがって彼女を威嚇
している。その展開は正に、大人数で大人に群がる子供の喧嘩。
 蟻たちを睨むアラクネの身体は、既にぼろぼろだ。束ねていた髪は乱れ、片方はほどけ
ている。手袋も片方地面に脱げ落ちているし、身につけている方も大きく破けている。そ
して大きな胸には、いくつかの歯形。身体中泥まみれになりながら肩で荒々しく息をする
様には、最初に会った時の優雅さはどこにもなかった。
「こ、今回は見逃してあげるわ! 次会った時は覚えてなさいよこのあほアリども! ぐ
るぐる巻きの糸玉にして木から吊して泣きべそかかせてやるんだから!」
捨て台詞を残して、半泣きで逃げていくアラクネ。彼女の姿が見えなくなると同時に、フ
ィーと僕が糸の網から逃れ地面へ着地した。
「なんだったんだあのアラクネは」
誰に言うでもなく、僕は呟く。それから蟻たちに目を向けると、彼女たちは一様に下を向
いて小さく震えているのが分かった。まるで泣いているかのような仕草に、僅かに不安を
覚える。
「ちょっと皆、どうしたの?」
しかし僕が声をかけたのも束の間、彼女たちの大きな叫び声が森に響いた。
「アラクネに勝ったぞー!」
「あの忌々しいクモやろーを初めて追い払ったぞー! やったーっ!」
「ばんざーい! ばんざーい!」
「わーい!」
初めは彼女たちだけでハイタッチと万歳を繰り返し、それから僕を万歳に誘い、最終的に
は何故か僕が胴上げされている。胴上げされ途切れ途切れになりながらも、僕は何とか疑
問を蟻へとぶつけた。
「ちょっと、なんで、こんなことに、なってるの? あの、アラクネと、何か、あったの?」
笑顔で胴上げを続けながら、蟻たちが口々にアラクネのことを語る。
「あのアラクネなー、いっつもああやって私たちのこと罠にかけてからかってくるんだよ」
「こないだなんか森で触手拾ったからって糸で縛ったあたしたちを散々おもちゃにしてく
れてな!」
「全くあのいたずら者には困ってたんですよ、でも今日初めて一矢報いることが出来まし
た!」
「……あ、そ、そう、でさ、いつに、なったら、この、胴上げ、終わるの?」
十分くらい続きました。
   :   :
 アラクネ騒動もひとまずの収まりを見せ、僕たちの行は広場の泉で一息ついていた。泉
の周りのツルは全て芋のツルで、一本引っこ抜くと十個近い芋がついている。蟻たちはそ
れを手分けして引っこ抜いては持ってきていた籠に納め、それが終わると各々芋を一つ掴
んで泉の周りに座り込んだ。泉の水で芋を洗い、がじがじとかじりつく蟻たち。僕も続い
て、気合いを入れて歯を立てる。
「この辺なー、なんでか知らないけど芋がすぐ実るんだよ」
「へー、そうなんだ」
「一日で大体六、七十個くらい?」
「……え、そんなに? 凄いね」
「でしょー? 誰かここでこっつんこしてるのかもね」
「精気が満ちると植物がよく育つって言うしねー」
「なー。私たちもここでこっつんこしていく?」
「駄目よ、まだ昼間でしょう? お仕事終わってからじゃないと」
「ちぇー、フィーは厳しいなー」
話が怪しい方向へ進みそうだったので、さりげなく距離を取りフェードアウトして周囲の
景色を見渡した。確かにこの泉一帯は植物が大量に生い茂っていて、実り豊かな場所だ。
陽の光の有無だけでは、ここと苔や下草しか無い外側との差を説明出来そうにない。かも
しれない。
 ぼんやりと辺りを見回していると、とある植物が目に入った。他の草に紛れるようにし
て生えている、淡い黄緑色の、葉の広い草。
 その姿を確認した瞬間、僕の目は釘付けになった。目を見開いたまま、息が詰まる。
 数十秒の間それを凝視し続けてから、ふらつく足で何とか立ち上がった。未だに視線は
植物と、その周囲から外せない。
「レイ君?」
「どしたの?」
ふらふらとよろけつつも、その草へと向かって歩み寄る。寸前で足がもつれて転んだが、
それでも視線は微動だにせず、固定されている。
 これだ。これこそ僕が探していた、弟の病を治す為の薬草だ。迷いの森の奥地にしか生
えないという、幻の薬草の一つ。少し視線をずらせば他にも極めて稀少で、金持ちたちが
ありったけの金を積んで欲しがるような薬草たちがまるで雑草のように雑多に生え並んで
いる。ここにある分を採集して帰るだけで、家族全員が当分飢えずに暮らせるレベルだ。
「その草がどうかしたの?」
「あーこの草、よく生えてるよね。食べてもおいしくないし使い道のない邪魔な雑草」
「そうそう、あんまりこればっかり生えてると邪魔だから抜いちゃったりして」
震える手でそっとその薬草を掴んで、根本から引き抜く。引き抜いて懐にしまっていた小
袋に入れるその瞬間まで、引き抜いた草があっという間に枯れて崩れ去るという恐怖の幻
想が頭にこびりついて離れることはなかった。他の薬草たちも、懐にしまえるぎりぎりま
で採集しては小袋に詰めていく。
 採集した薬草が詰まった小袋を懐にしまうと、ようやく身体から緊張が抜けた。緊張と
ともに身体の力も抜け、腰砕けになってその場にうつ伏せに倒れ込む。
「ちょっとレイ君! 本当にどうしたの?」
「この雑草そんなに大事なものだったの?」
ここで初めて、彼女たちが僕を心配して周りに集まってきていたことに気付いた。何とか
笑顔を取り繕って、その場はごまかした。
 フィーの背に乗って帰る途中も、小袋をしまった懐をきつく押さえる両手は少しも緩め
ることが出来なかった。
14/01/19 22:15更新 / nmn
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