連載小説
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02.蟻さんに抵抗
 あの後およそ一晩中言葉にするのも憚られる行為に没頭し、最中に意識を手放した。
 目覚めると既に部屋は綺麗に掃除されていて、僕の衣服や敷かれている布も綺麗な物に
交換されていた。残っているのはごく僅かな残り香だけだ。
 大きく、そして長いため息を一つ。
「神よ……淫欲に溺れた我が身をお許しください……そして願わくば欲望に打ち克つ強い
心をお授けください……」
足が動かない為、座り込んだ状態で上半身だけを起こして神への祈りを捧げた。
   :   :
 昼間。といっても僕には時間を確認する術が無いので彼女の言っていることが事実であ
ればだが。僕は食料を運んできた一匹の蟻と共に、食事をとっている。
「いただきまーす」
芋を手に、笑顔でそう言った彼女の名前はトーコ。襟足付近、後ろ髪の生え際で束ねられ
たまるでハムスターの尻尾を思わせるような短いポニーテールと、元気いっぱいの明るい
笑顔が印象的な子だ。彼女が笑う度に、ひこひこ揺れる髪と触角が可愛らしい。
 しかし一方の僕は、あまり満面の笑顔を作ることが出来ない。目の前に並べられた食料
を見ながら、曖昧に笑うに留まる。
 芋、芋、芋。今日は果物が無く、全て芋だ。当然生のまま。しかし食料を提供して貰っ
ている立場で文句を言う訳にもいかず、生の芋を齧っていく。皮が堅く、とても食べ辛い。
 隣の蟻へと視線を向けると、僕が悪戦苦闘している皮を丸ごとゼリーか何かのように容
易く齧り取っていた。強そうな歯で全く羨ましい。
 トーコの食べっぷりを眺めていたその時。芋の食べかすが彼女の唇の端にくっついた。
僕がそれを指摘しようとする寸前で、彼女もそれに気付く。
 何の気なしに舌を伸ばし、唇をねぶるように動かして欠片を舐め取ったトーコ。
 その光景に、昨晩の出来事が鮮明且つ強烈に脳裏をよぎった。顔を赤く染め情欲に滾っ
た表情のトーコが、僕の前に跨るようにして「そこ」へ唇を……。
 頭を強く振って煩悩を振り払う。忘れろ、忘れろ、忘れろ! しかし僕の想いとは裏腹
に、トーコの指が僕の腹を艶めかしい仕草でくすぐった。
「あれぇ、レイ君昨日のこと思い出しちゃった? 顔赤いよ?」
さっきまでの無邪気な笑みは、もうどこにも存在しない。目を細め、三日月のように歪ん
だ口元で、トーコは悪魔じみた蠱惑的な笑みを見せた。そうして僕の腹、へそのすぐ下を
指ですくい取るように撫で回し……すぐに指を離す。無意識に、名残惜しさの呻きが漏れ
そうになる。
「もっと欲しくなっちゃった? しょうがないな……みんなには、ないしょだよ?」
トーコが笑顔で僕の服をはだけさせ、そして下半身へと手が伸びた瞬間。突入してきた他
の蟻たちによって、彼女はあっという間に部屋の外へと拉致されていった。
 ちょっとぐらいいいじゃん、レイ君の方から求めてきた、上だけ上の口だけだから……。
扉の向こうから聞こえてくるトーコの叫び声は、あっという間に遠くなりそして消えてい
く。
 後にはただ悶々とさせられた僕と、齧りかけの芋だけが残った。
   :   :
「ふう、ふう……」
深呼吸を三回。ニ十分の瞑想を終えて、精神を研ぎ澄ます。
 感覚からいけば、恐らく今は夜の筈だ。つまり、仕事を終え汗だくになった蟻たちが戻
って来る頃合。昨日はあんなことになってしまったが、今日はそうはいかない。
 敬虔なる神のしもべである僕が、あのような不埒な行為に溺れる訳にはいかないのだ。
 遠くから、甲殻の足音が聞こえてくる。普段より早いテンポで足音は近づいてきて、扉
が勢い良く叩き開けられた。
「うひゃー今日も疲れたー!」
「レイくーん、きた……よ……あれ?」
飛び込んできた先頭の蟻が、僕を見て目を見開き、硬直した。後ろの蟻たちも部屋に入っ
ては僕の顔を見て、次々と驚きに目を見開いていく。
 僕はそれを、真剣な表情で出迎えた。
「皆お疲れ様。さあ食事をしたら眠ろうか。それが清く正しい生活だよ」
各々顔を見合わせて、口々に戸惑いの言葉を交し合う蟻たち。その中で、一匹の蟻が蟻た
ちを代表するかのような形で前へと進み出た。この子は確か、アイ。やや外側に跳ねた癖
のある髪をさっぱりとしたショートヘアにしている、目もぱっちりと開いた明るい印象の
子。大抵まとめや話の進行は、アイの役だ。
「あの、レイ君?」
「何かな」
「その、口元のそれ何?」
アイが、戸惑いがちに僕の口元を指差した。
 今僕の口元には、灰色の布が巻きつけられている。足の包帯を少し拝借したものだ。気
分はまるで砂漠の暗殺者。
「これは匂い対策です」
見方を変えればお前たちが汗臭いんだという失礼な意思表示にも見えるが、あの匂いを嗅
いでいると頭がぼんやりして決意が揺らいでしまう。失礼になることを覚悟の上で、僕は
口元を布で覆った。
「あ、そ、そう……。それで、今日のこっつんこは?」
「しません」
僕がきっぱりそう言い切ると、蟻たちが一斉にざわめく。ある者は狼狽、ある者は悲しみ。
アイはその中で、気丈に笑顔を取り繕っていた。
「そ、そっか、じゃ、じゃあちょんちょん、ちょんちょんがしたいんだね? やだもうレ
イ君ったら」
「しません。こっつんこだろうがちょんちょんだろうが何だろうが、そのような淫らな行
為をするつもりは全くありません」
半ば嘆願じみたアイの言葉を一言で切り捨てると、彼女の中で何かが決壊したらしい。悲
鳴のようなかすれ声で、アイは叫んだ。
「しゅ、しゅーごー! しゅーうーごぉー!」
蟻たちが僕から離れて、見慣れた円陣隊形を組む。彼女たちの悲しむ顔を見るのは少し心
苦しいが、今日は僕は鬼にならなければならない。
(なんで? レイ君なんで?)
(もしかしてわたしたち嫌われちゃった? わたしたち何か悪いことしちゃった?)
(いや……いや違うと思う! 嫌ってるって感じじゃないよ!)
(じゃあなんでだろう……)
(そういうことが嫌いとか、恥ずかしいとか、そういう感じじゃない?)
(えー、昨日あんなにあひんあひん言ってたのに?)
(そういうオトコもいる、って結構前に会った悪魔のおねーさんが言ってたよ)
(ふーん……じゃあどうするの? 無理矢理襲いかかってこっつんこしちゃう?)
(えー、それはそれでいいけど嫌われちゃったらやだなー)
(はい)
(ナナ! 何か意見が!)
(レイ君だってきっと我慢している筈です。我慢比べをしましょう)
(我慢……比べ……?)
(つまり……焦らしプレイ! そういうのもあるのか!)
(よしじゃあそれで!)
がさがさと音を立てて散開し、僕の周りを取り囲んでいく蟻たち。皆してこちらを見ては、
にこにこと満面の笑顔を見せる。どうにも胡散臭い。
「相談は終わった?」
「ふふふ、まあね」
そう言って笑ったのはトーコ。にたにたと、こちらを見ては淫らな欲望を隠そうともせず
に笑った。これ見よがしに舌なめずりを始めたので、すぐに目を逸らした。
「……さ、ご、ご飯にしましょう」
小さな声でナナが言うと、ココノが部屋の外から大きな木箱を抱えながら運び入れた。そ
の大きさは相当なもので、僕程度ならすっぽり入ることが出来そうだ。中には隙間無く芋
が詰め込まれている。今更だけど、蟻たちは皆力持ちだ。
 各々木箱から芋を取り出して、蟻たちは芋に齧りつく。僕も一個受け取って、気合を入
れて皮に歯を突き立てた。口元に巻いた布が解けないように、片手で少し持ち上げながら。
 周りの蟻たちに目を向けると、意外に皆普通に食事をしているようだった。先ほどの相
談の内容は分からなかったが、今日は諦めてくれたのだろうか。だとすればありがたい。
 ……という僕の希望的観測は、ココノがおもむろに服を脱ぎ始めたことであっさりと打
ち砕かれた。思わず口から芋の破片を噴出しそうになったのを、何とか堪える。
「な、なんっ、で、脱いで」
「暑いから」
僕が慌てて目線を逸らすと、そこにはアイの顔。一瞬きょとんとしていたが、すぐにいた
ずら真っ最中の子供のような、意地の悪い笑顔に変わった。
「いやーあたしも暑いなー、服脱いじゃお」
案の定アイもわざとらしい一言と共に服を脱ぎ捨てた。他の蟻たちもそれに続き、全ての
蟻たちが一糸纏わぬ姿となる。目のやり場が無くなってしまい、俯いて彼女たちから視線
を逸らした。
 このままでは昨日の二の舞だ。自分の心の弱さに、唇を噛み締めた。
「ねえレイ君、本当にしたくないの?」
答えなど分かっているとでも言うかのように、自信満々の声色と共に僕に詰め寄るアイ。
他の蟻たちも、僕にじりじりと詰め寄ってきているのが足音で分かる。
「ぼ、僕は清く正しい生き方を心がけてるんだ、だからこんな淫らな生活は……」
「でも昨日はあんなに気持ち良さそうにこっつんこしてたよね?」
下を向いて顔を逸らしている僕の視界に、すっとトーコが入り込んで来る。ちろちろと舌
を出して笑うその顔に気をとられた瞬間、口元の布を後ろから別の蟻に剥ぎ取られた。
 むわあ。あの甘い匂いが、僕の鼻を蹂躙する。理性が、欲望に塗り固められていく。
「これでも、まだしたくない?」
今日も駄目でした。
14/01/19 22:13更新 / nmn
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