Please My Grave On Lycoris
全てのモノに、死は訪れる。
この世界の法則であり、恐らく僕達が存在するこの世界以外の世界でもそうだ。
そして人の場合、好きな人物や有名な人物が死んだ時、残された者は喪失感に打ち拉がれるだろう。
それが身内や血縁なら尚更だ。
そして、僕は今日。
初めてその喪失感を知った。
僕と同じ、花の好きな彼女が死んでしまったのだ。
////_////
僕はしがない医者をやっていた。
巷ではそれなりに有名ではあったが、それでも街医者レベルの実力しか持ち合わせていなかった。
それが、彼女を死なせる理由であったのかもしれない。
彼女が罹ったのはちょっとした肺炎の筈だった。
僕自らが彼女を検診し、その病院の院長達や他の職員に聞いても皆首を縦に振った。
そしてある程度入院させて完治させようとした。
しかし、異常はその日の深夜に起きたのだ…!
『く、クロッカス先生!!』
「どうしたんだい、そんなに慌てて。もしかして三四一号室のお爺ちゃんの入れ歯でも取れたかい?」
『ち、違います!!、先生の彼女さんの容態が…!』
「…何だって?」
『先生の彼女さんの容態が、急変したんです!!』
////_////
僕はその後、急いで彼女を再検診したが異常は見当たらなかった。
しかし、それでも彼女はゆっくりと衰弱していった。
所謂「未知の病」だった。
全く何もわからない、もしかしたら別な何かが影響しているのかとも考えてみたが、体中を調べても分からない。
そして。
「あぁ、何も出来ない僕を…、僕を、許してくれ。リコリス…!!」
『別に、怒ってもいないし、怨んでもいないよ』
「だけど…!!、あぁ、神よ!主よ!、何故私達にこんな事を!?、私達が何をしたと言うのですか!?」
『…神様なんて、居ないよ。今の世界には、魔物を殺す事しか考えないような、奇特な神様ぐらいしか』
「!、リコリス…」
『…ごめんね、クロッカスは主神教だったね。ごめん』
「いや、そんなことはどうだって良いんだ!、君は、生きることを考えて…」
『ううん、もう無理だよ。だって、実はもう、目も見えないような状態なんだ』
「…!?、そ、そんな!?、だって病源は肺じゃ…」
『どういう原理かは分からないけど、じわじわと体中が動かなくなってるの。可笑ぃぁ病気だぇ、…口も、ぉう、うぉぁあい』
「り、リコリス!?、駄目だ、死んじゃ駄目だ!!」
『ぅロッぁス…、わぁぃの、ぉと、…忘れ、なぃ、で…』
「駄目だ、駄目だ!、リコリス!!、リコリィィィィィィィィス!!」
////_////
彼女が死んでからは、僕は人形になった。
形容ではないんだ、誰かに引き摺られてしか移動も出来ず、喋りもせず、ただ息を吸うだけ。
彼女の葬式にすら、看護婦と院長の手を借りてやっと出席できたぐらいだ。
彼女の遺体は町の外れにある「ネクロ墓場」に埋められた。
その時だけ僕は自分の体を使って動いた、彼女の墓に、彼女の好きだった花を置くために。
ただ、その時の僕の歩き方はまるでデッドマンズウォーキングだったらしいけど。
そして、彼女の死体が埋められた直後のまだ柔らかい土の上に、ありったけの「彼岸花」を乗せる。
死人花、地獄花、捨子花なんて呼ばれるこの花を何故彼女が好きなのかは分からないが、恐らく花言葉が好きなのだろう。
確か彼岸花の花言葉は…、情熱、独立、あきらめ、悲しい思い出…?
彼女の思い出には、悲しいことがあったのだろうか。
それとも私達の恋愛を情熱とでも言いたかったのだろうか。
それは無い、か。キスすらした事が無い様な純真無垢な御付き合いだったしな。
…あまりここで物思いに耽っていても、彼女に迷惑だな。
せめて安らかに眠ってくれ、我が最愛の番、リコリス…。
////_////
僕の家は一人で生活するには広く、二人で生活するぐらいで丁度良いマンションの一部屋だった。
これから、きっと一生をここで一人で過ごす事になるのだろうなと思うと、彼女を思い浮かべてしまう。
彼女がいつも読んでいた花の本、彼女のベッドの近くにちょこんと置いてある彼岸花の花瓶。
これらは撤去せずに残しておきたいとも思うが、その一方でコレを置いておきたくないとも思ってしまう。
これを見るたびに彼女を思い出してしまうのでは、きっとまともに仕事なんか出来ないからだ。
彼女が居た時は違和感無く咲いていた一輪の彼岸花、それすらも、僕には今は疎ましい。
「…リコリス」
彼女の名前を思わず呟いてしまう。
彼女の名前と同じ花、彼岸花。
彼女の赤かった瞳と、彼岸花の色が重なる。
リコリス、僕は、これから生きていける自信が無いよ。
思えばいつもいつも君に料理を作ってもらっていた。
君がいつも話しかけてくれたから、僕はいつも明るい気分で仕事に行けた。
そういえば君とはもう7年もの付き合いなんだったね。
僕がまだ学生の頃からの付き合いだった。
その7年間を思い出すだけで、僕は、胸が圧し折られそうになる。
僕は。
君の事を。
無ければならない者だと思っていた。
僕が君に抱いていたのは恋愛感情なんかじゃない。
もっと強く、君と一緒に居たいと思っていた。
君が居れば他に何も要らないとも言えるほどに、君を想っていた。
なのに。
なのに、なぜ?
何故君は死んでしまったんだ。
僕は、もう。
「どうしようも、ないじゃないか」
僕はもう、生きていけない。
君の居ない世界に居たくない。
君を失ってしまった世界は要らない。
だから僕は。
君の後を。
追うよ。
皆にも謝らなきゃな。
特に、院長は僕の腕を信頼してくれていたみたいだし。
でも、もういらないんです。
愛する者一人救えないような駄目人間は、もう必要ないんです。
さようなら、そして。
今会いに行くよ、リコリス。
そう心の中で呟き、包丁で喉元を貫こうとした。
その時、我が家の呼び鈴が鳴ったのだ。
ちりん、ちりりりん。この独特なリズムは院長のだろう。
僕は今生の別れを告げるために扉を開ける。
そこに居たのは院長ではない。
まして知らない顔でもない。
だがしかしここに居る筈もない。
其処に立っていたのは、生前の姿をより美しく磨き上げたような。
体の端々に彼岸花を染料として扱ったような紅色の。
彼岸花の花束を抱いた「リコリスの姿をした魔物」が立っていたのだ。
「…ははは」
『クロ…?』
「幾らなんでも焦がれすぎだろう、僕。来客をリコリスと勘違いするなんてね」
『ち、違う!、私よ。リコリスよ!!』
「…やめてくれ、僕はもう彼女が居なければ何も出来ないんだ。…だから」
『だから私がリコリスだって…!』
「僕はこの世界から旅立とうと思うんだ、彼女の居る世界にね」
『私はここにいるってば!!、良く見て、ほら!』
「さようなら、そっくりさん。僕はこのまま、この舞台から降りさせてもらうよ」
『―っだめ!!、クロッカス…!』
彼女の言葉を聞き終わる前に僕は。
その首に包丁を深く深く突き立てる…。
『駄目って、言ってるでしょうがぁぁっ!!』
…はずだった。
僕が突き下ろした包丁は彼女の右手と言う抵抗に阻まれ、ぼたぼたと赤い雫を垂らし続ける。
彼女の右手を痛々しく貫き通した包丁は、やがて彼女の手が引かれる事で動く。
彼女は右手に突き込まれた包丁を勢い良く引き抜き、後ろへと放り投げ…。
その血塗れの右手で、僕の頬に平手打ちを喰らわせて来た。
「なっ…、あ、貴女は何を!?、今手の治療を…」
『クロッカス!!』
「は、はいっ!?」
『あんた、何時からそんな風になったのさ。私が惚れたあんたはそんな諦めの良い奴じゃなかったよ!?』
「な…、貴女は、何を…!」
そこでやっと、僕は気付いた。
彼女の左腕には、「彼岸花の花束」が有るのだ。
僕があの店で買った証拠のある、花束が。
そして目の前に居るのは。
アンデッドの部類である…、グールだった。
「り、リコリス?」
『っ…、お、遅いよ、ばかぁ…!!』
恐る恐る彼女の名を呼ぶと、先程までの怒気は何処へやら。
僕が知る、生前の彼女の泣き顔になった。
本当に、彼女だと言うのか。
もしそうだとして、どうして彼女は魔物になっているのか。
この辺りには魔力溜まりも何もない、そもそも魔物すら居ない。
この街は親魔でも反魔でもない、拮抗状態の村だったのだ。
しかしこの村に来ようとする魔物は悉く追い出される。
その筈なのに。
…まさか、その追い出されていった魔物達の残留した魔力?
いや、それでもこの辺りに来るのはスライム等ばかりの筈。
それほどに大きな魔力を持っているのだろうか…?
『クロ…?』
「え、あ…。なんだい?」
『どうしたの?』
「い、いや、君は死んだ筈じゃ…、どうして、ここに?」
『ひっどーい!、何よその言い方ー!』
「あ。あぁ、違うんだ!、只どうして君が魔物になったのかなと思っただけで…」
『知らないわよそんな事!、…あ、でも』
「でも?」
彼女の左腕の中で、紅い彼岸花がふわりと揺れる。
そして、その紅い花に、また重なる紅い皮膜付きの腕。
『彼岸花、かもね』
「え?」
『彼岸花の花言葉、なんだったっけ?』
「…あきらめ、情熱、悲しい思い出、独立…?」
『…もう、肝心な所ばっか抜けてるじゃない』
落胆したように肩を下げるリコリス。
しょうがないじゃないか、僕は花は好きだけど花言葉には詳しくないんだ。
「その肝心な所って?」
『…あのね、後の花言葉は…』
「?」
『想うは貴方一人、また会う日を楽しみに』
「え?」
『そして』
そう言って彼女は、左腕の中の花を僕に押し付けてくる。
彼女の目には涙が溜まっており、今にも零れそうで。
彼女の表情は、やっと言えるのかとでも言いたげにギクシャクした笑みを浮かべている。
そして。
『…再会、って言う意味があるの』
「そ、そうなんだ…」
『そうよ、…それなのに』
「それなのに…?」
『何で、死のうとなんかしたのよぉ!!、バカッ、クロの馬鹿ぁ!!』
「え、わっ、っとと」
今度は感極まったのか勢い良く抱きついてくる。
本当に感情表現豊かな子だ。
この子の笑顔に何度救われ、この子の泣き顔に何度困らされた事か。
だが、今回は困りはしない。
何故なら、今回の原因は僕なのだから。
『せっかく、せっかくまた会えると思ったのに!大好きな人の死体なんか見たいと思う!?』
「い、いや、そんな訳ないけど…」
『でしょ!?全く、何でこんな事しようとしたのよ!?、仮に私が天国に居たとして、大好きな人まで上がって来たら喜べると思う!?』
「あ、あー…」
『あー、じゃないわよ!?全く、後10秒来るのが遅れてたら…、ああああゾッとする!!』
「り、リコリス!」
『何よ!?』
「僕は生きているし、君も生きている!…のかな?、と、とにかくそれで良いじゃないか!?だからまずは君の右手を…」
『何よ、この手!?治す気なんかないわよ、夫を守った名誉の傷よ!?』
「い、いや、夫ってのは分かるけど、そんな理由でその傷を…」
『えっ!お、夫?っやん♪、クロったらやっとその気になってくれたのね!』
「あ、ま、まぁそれはいいから…!」
『どうする?今日はもうご飯にする?それともお風呂?いやいややっぱりワ・タ・シ?…な〜んちゃって〜!』
「あーもう落ち着いてくれっ!!」
…この後、10分位こんなやり取りが続きましたとさ…。
////_////
10分後、やっと彼女の暴走を諌める事が出来てから。
彼女の傷を包帯で巻き、彼女と暫く話していた。
「…そういえば、この花どうしようか?」
『え?、花瓶にでも入れておこうよー、捨てたりするのも勿体無いじゃん』
「そうだけど、一応死人花とか呼ばれてるし…、ねぇ?」
『いや別に私もう死んでるし』
「ああそうだったね…、あ、そうだ」
『へ、どうかした?』
「いや、言い忘れていたなと思って。…リコリス」
『うん?』
「おかえり」
『…っ!!、…た』
「た?」
『ただいまぁ〜!!、うわぁあぁああああぁああぁ…!!』
「っちょ、リコリス!?、ど、どうs…うわぁ!?」
彼女が帰ってきたことをもう一度噛み締めようとしたら、彼女が号泣しながら抱きついてきた。
何を言っているかどうかは分からないと思うが、つまりはそういう事だ。
どうやら彼女も、また僕に会えて嬉しくて、そして生きて(?)帰ってこれた事に感動しているようだ。
やれやれ、彼女も僕も、ここまでベタ惚れだったとは…。
『…ねぇ、クロ』
「ん、なんだい?、って言うか泣き止んだなら離れて『抱き心地が凄く良いからやだ』…さいですか」
『…あ、あのさ。分かってると思うけど、私魔物になっちゃったんだよね』
「そうだね」
『そのー、魔物になっちゃったからにはね、やらなきゃならない事があるよね?』
「?」
『あー、あの、だから…、べ、ベッド行こ?』
「へ?、まだ寝るには早いよ?」
『…っ、分かんないかなー!?、魔物がベッドいこって誘ったらエッチしましょうって事でしょうが!!』
「…え?」
『…あ、い、今のは忘れてっ!!、そうよね、流石にまだキスもしてないのに突然そんな…きゃー恥ずかしいっ!////』
「分かったよ、ていうか分かってるよリコリス」
『キャー掘り下げないでっ!、これ以上羞恥に晒されたら私おかしくなるっ!…って、え?』
「それじゃあベッドに行こうか、大丈夫。君は魔物でも僕の妻で、一番大事なリコリスさ」
『え、ぁえ、うぁ…』
「今夜中は君と一緒に居たい。良いかい、リコリス?」
『え、そりゃぁ勿論…、って毎日一緒に寝てたじゃない!!』
「今日は少し意味合いを変えて、ね」
そのまま彼女の手に自らの左手を重ねる。
手に触れるは彼女の血で湿った包帯、そして彼女の熱。
永遠の番となる、と言う意味合いを込めたその左手に、彼女は。
戸惑いながらも力強く、しっかりと握り締めてくれた。
『…え、えーっと、その』
「?」
『あ、愛しています、クロッカス…』
「…僕もだよ、リコリス」
『…そ、それじゃあベッドに…』
「うん、今夜は良い夜になりそうだね」
『…ばか////』
////_////
この後、どうなったかは僕の口から語るべきではないね。
只一つ言える事は、僕達の住んでいた街は、反魔成分なんて僕以外に欠片もなかったって事かな。
皆魔物に友好的で、僕以外に魔物を蔑ろにする人なんか居なかったそうだ。
こう考えると、僕はとても情けなくなってくる。
だって僕の妻は魔物だからね。
彼女は今も僕の妻として、良くやってくれてる。
苦手だった看護学も、気付けばマスターしていた。
まぁ、強いて嫌な点を上げるとすれば、患者がリコリスを邪な目で見ることぐらいかな。
そして、今は言える。
彼女を死なせないでくれた運命よ。
彼女を魔物として蘇らせてくれた魔の者々よ。
本当にありがとう、とね。
『クロー!急患来たよー!』
「うんわかった。今行くよ」
それでは、僕は仕事に戻るよ。
こんな昔話を聞いてくれてありがとう。
ああ、そこの花束は持って行ってくれて構わないよ。
この病院では、診察の後に彼岸花を贈るんだ。
もちろん、花言葉の意味も添えてね。
それでは、「また会う日を楽しみに」
【私の墓に彼岸花を】END
この世界の法則であり、恐らく僕達が存在するこの世界以外の世界でもそうだ。
そして人の場合、好きな人物や有名な人物が死んだ時、残された者は喪失感に打ち拉がれるだろう。
それが身内や血縁なら尚更だ。
そして、僕は今日。
初めてその喪失感を知った。
僕と同じ、花の好きな彼女が死んでしまったのだ。
////_////
僕はしがない医者をやっていた。
巷ではそれなりに有名ではあったが、それでも街医者レベルの実力しか持ち合わせていなかった。
それが、彼女を死なせる理由であったのかもしれない。
彼女が罹ったのはちょっとした肺炎の筈だった。
僕自らが彼女を検診し、その病院の院長達や他の職員に聞いても皆首を縦に振った。
そしてある程度入院させて完治させようとした。
しかし、異常はその日の深夜に起きたのだ…!
『く、クロッカス先生!!』
「どうしたんだい、そんなに慌てて。もしかして三四一号室のお爺ちゃんの入れ歯でも取れたかい?」
『ち、違います!!、先生の彼女さんの容態が…!』
「…何だって?」
『先生の彼女さんの容態が、急変したんです!!』
////_////
僕はその後、急いで彼女を再検診したが異常は見当たらなかった。
しかし、それでも彼女はゆっくりと衰弱していった。
所謂「未知の病」だった。
全く何もわからない、もしかしたら別な何かが影響しているのかとも考えてみたが、体中を調べても分からない。
そして。
「あぁ、何も出来ない僕を…、僕を、許してくれ。リコリス…!!」
『別に、怒ってもいないし、怨んでもいないよ』
「だけど…!!、あぁ、神よ!主よ!、何故私達にこんな事を!?、私達が何をしたと言うのですか!?」
『…神様なんて、居ないよ。今の世界には、魔物を殺す事しか考えないような、奇特な神様ぐらいしか』
「!、リコリス…」
『…ごめんね、クロッカスは主神教だったね。ごめん』
「いや、そんなことはどうだって良いんだ!、君は、生きることを考えて…」
『ううん、もう無理だよ。だって、実はもう、目も見えないような状態なんだ』
「…!?、そ、そんな!?、だって病源は肺じゃ…」
『どういう原理かは分からないけど、じわじわと体中が動かなくなってるの。可笑ぃぁ病気だぇ、…口も、ぉう、うぉぁあい』
「り、リコリス!?、駄目だ、死んじゃ駄目だ!!」
『ぅロッぁス…、わぁぃの、ぉと、…忘れ、なぃ、で…』
「駄目だ、駄目だ!、リコリス!!、リコリィィィィィィィィス!!」
////_////
彼女が死んでからは、僕は人形になった。
形容ではないんだ、誰かに引き摺られてしか移動も出来ず、喋りもせず、ただ息を吸うだけ。
彼女の葬式にすら、看護婦と院長の手を借りてやっと出席できたぐらいだ。
彼女の遺体は町の外れにある「ネクロ墓場」に埋められた。
その時だけ僕は自分の体を使って動いた、彼女の墓に、彼女の好きだった花を置くために。
ただ、その時の僕の歩き方はまるでデッドマンズウォーキングだったらしいけど。
そして、彼女の死体が埋められた直後のまだ柔らかい土の上に、ありったけの「彼岸花」を乗せる。
死人花、地獄花、捨子花なんて呼ばれるこの花を何故彼女が好きなのかは分からないが、恐らく花言葉が好きなのだろう。
確か彼岸花の花言葉は…、情熱、独立、あきらめ、悲しい思い出…?
彼女の思い出には、悲しいことがあったのだろうか。
それとも私達の恋愛を情熱とでも言いたかったのだろうか。
それは無い、か。キスすらした事が無い様な純真無垢な御付き合いだったしな。
…あまりここで物思いに耽っていても、彼女に迷惑だな。
せめて安らかに眠ってくれ、我が最愛の番、リコリス…。
////_////
僕の家は一人で生活するには広く、二人で生活するぐらいで丁度良いマンションの一部屋だった。
これから、きっと一生をここで一人で過ごす事になるのだろうなと思うと、彼女を思い浮かべてしまう。
彼女がいつも読んでいた花の本、彼女のベッドの近くにちょこんと置いてある彼岸花の花瓶。
これらは撤去せずに残しておきたいとも思うが、その一方でコレを置いておきたくないとも思ってしまう。
これを見るたびに彼女を思い出してしまうのでは、きっとまともに仕事なんか出来ないからだ。
彼女が居た時は違和感無く咲いていた一輪の彼岸花、それすらも、僕には今は疎ましい。
「…リコリス」
彼女の名前を思わず呟いてしまう。
彼女の名前と同じ花、彼岸花。
彼女の赤かった瞳と、彼岸花の色が重なる。
リコリス、僕は、これから生きていける自信が無いよ。
思えばいつもいつも君に料理を作ってもらっていた。
君がいつも話しかけてくれたから、僕はいつも明るい気分で仕事に行けた。
そういえば君とはもう7年もの付き合いなんだったね。
僕がまだ学生の頃からの付き合いだった。
その7年間を思い出すだけで、僕は、胸が圧し折られそうになる。
僕は。
君の事を。
無ければならない者だと思っていた。
僕が君に抱いていたのは恋愛感情なんかじゃない。
もっと強く、君と一緒に居たいと思っていた。
君が居れば他に何も要らないとも言えるほどに、君を想っていた。
なのに。
なのに、なぜ?
何故君は死んでしまったんだ。
僕は、もう。
「どうしようも、ないじゃないか」
僕はもう、生きていけない。
君の居ない世界に居たくない。
君を失ってしまった世界は要らない。
だから僕は。
君の後を。
追うよ。
皆にも謝らなきゃな。
特に、院長は僕の腕を信頼してくれていたみたいだし。
でも、もういらないんです。
愛する者一人救えないような駄目人間は、もう必要ないんです。
さようなら、そして。
今会いに行くよ、リコリス。
そう心の中で呟き、包丁で喉元を貫こうとした。
その時、我が家の呼び鈴が鳴ったのだ。
ちりん、ちりりりん。この独特なリズムは院長のだろう。
僕は今生の別れを告げるために扉を開ける。
そこに居たのは院長ではない。
まして知らない顔でもない。
だがしかしここに居る筈もない。
其処に立っていたのは、生前の姿をより美しく磨き上げたような。
体の端々に彼岸花を染料として扱ったような紅色の。
彼岸花の花束を抱いた「リコリスの姿をした魔物」が立っていたのだ。
「…ははは」
『クロ…?』
「幾らなんでも焦がれすぎだろう、僕。来客をリコリスと勘違いするなんてね」
『ち、違う!、私よ。リコリスよ!!』
「…やめてくれ、僕はもう彼女が居なければ何も出来ないんだ。…だから」
『だから私がリコリスだって…!』
「僕はこの世界から旅立とうと思うんだ、彼女の居る世界にね」
『私はここにいるってば!!、良く見て、ほら!』
「さようなら、そっくりさん。僕はこのまま、この舞台から降りさせてもらうよ」
『―っだめ!!、クロッカス…!』
彼女の言葉を聞き終わる前に僕は。
その首に包丁を深く深く突き立てる…。
『駄目って、言ってるでしょうがぁぁっ!!』
…はずだった。
僕が突き下ろした包丁は彼女の右手と言う抵抗に阻まれ、ぼたぼたと赤い雫を垂らし続ける。
彼女の右手を痛々しく貫き通した包丁は、やがて彼女の手が引かれる事で動く。
彼女は右手に突き込まれた包丁を勢い良く引き抜き、後ろへと放り投げ…。
その血塗れの右手で、僕の頬に平手打ちを喰らわせて来た。
「なっ…、あ、貴女は何を!?、今手の治療を…」
『クロッカス!!』
「は、はいっ!?」
『あんた、何時からそんな風になったのさ。私が惚れたあんたはそんな諦めの良い奴じゃなかったよ!?』
「な…、貴女は、何を…!」
そこでやっと、僕は気付いた。
彼女の左腕には、「彼岸花の花束」が有るのだ。
僕があの店で買った証拠のある、花束が。
そして目の前に居るのは。
アンデッドの部類である…、グールだった。
「り、リコリス?」
『っ…、お、遅いよ、ばかぁ…!!』
恐る恐る彼女の名を呼ぶと、先程までの怒気は何処へやら。
僕が知る、生前の彼女の泣き顔になった。
本当に、彼女だと言うのか。
もしそうだとして、どうして彼女は魔物になっているのか。
この辺りには魔力溜まりも何もない、そもそも魔物すら居ない。
この街は親魔でも反魔でもない、拮抗状態の村だったのだ。
しかしこの村に来ようとする魔物は悉く追い出される。
その筈なのに。
…まさか、その追い出されていった魔物達の残留した魔力?
いや、それでもこの辺りに来るのはスライム等ばかりの筈。
それほどに大きな魔力を持っているのだろうか…?
『クロ…?』
「え、あ…。なんだい?」
『どうしたの?』
「い、いや、君は死んだ筈じゃ…、どうして、ここに?」
『ひっどーい!、何よその言い方ー!』
「あ。あぁ、違うんだ!、只どうして君が魔物になったのかなと思っただけで…」
『知らないわよそんな事!、…あ、でも』
「でも?」
彼女の左腕の中で、紅い彼岸花がふわりと揺れる。
そして、その紅い花に、また重なる紅い皮膜付きの腕。
『彼岸花、かもね』
「え?」
『彼岸花の花言葉、なんだったっけ?』
「…あきらめ、情熱、悲しい思い出、独立…?」
『…もう、肝心な所ばっか抜けてるじゃない』
落胆したように肩を下げるリコリス。
しょうがないじゃないか、僕は花は好きだけど花言葉には詳しくないんだ。
「その肝心な所って?」
『…あのね、後の花言葉は…』
「?」
『想うは貴方一人、また会う日を楽しみに』
「え?」
『そして』
そう言って彼女は、左腕の中の花を僕に押し付けてくる。
彼女の目には涙が溜まっており、今にも零れそうで。
彼女の表情は、やっと言えるのかとでも言いたげにギクシャクした笑みを浮かべている。
そして。
『…再会、って言う意味があるの』
「そ、そうなんだ…」
『そうよ、…それなのに』
「それなのに…?」
『何で、死のうとなんかしたのよぉ!!、バカッ、クロの馬鹿ぁ!!』
「え、わっ、っとと」
今度は感極まったのか勢い良く抱きついてくる。
本当に感情表現豊かな子だ。
この子の笑顔に何度救われ、この子の泣き顔に何度困らされた事か。
だが、今回は困りはしない。
何故なら、今回の原因は僕なのだから。
『せっかく、せっかくまた会えると思ったのに!大好きな人の死体なんか見たいと思う!?』
「い、いや、そんな訳ないけど…」
『でしょ!?全く、何でこんな事しようとしたのよ!?、仮に私が天国に居たとして、大好きな人まで上がって来たら喜べると思う!?』
「あ、あー…」
『あー、じゃないわよ!?全く、後10秒来るのが遅れてたら…、ああああゾッとする!!』
「り、リコリス!」
『何よ!?』
「僕は生きているし、君も生きている!…のかな?、と、とにかくそれで良いじゃないか!?だからまずは君の右手を…」
『何よ、この手!?治す気なんかないわよ、夫を守った名誉の傷よ!?』
「い、いや、夫ってのは分かるけど、そんな理由でその傷を…」
『えっ!お、夫?っやん♪、クロったらやっとその気になってくれたのね!』
「あ、ま、まぁそれはいいから…!」
『どうする?今日はもうご飯にする?それともお風呂?いやいややっぱりワ・タ・シ?…な〜んちゃって〜!』
「あーもう落ち着いてくれっ!!」
…この後、10分位こんなやり取りが続きましたとさ…。
////_////
10分後、やっと彼女の暴走を諌める事が出来てから。
彼女の傷を包帯で巻き、彼女と暫く話していた。
「…そういえば、この花どうしようか?」
『え?、花瓶にでも入れておこうよー、捨てたりするのも勿体無いじゃん』
「そうだけど、一応死人花とか呼ばれてるし…、ねぇ?」
『いや別に私もう死んでるし』
「ああそうだったね…、あ、そうだ」
『へ、どうかした?』
「いや、言い忘れていたなと思って。…リコリス」
『うん?』
「おかえり」
『…っ!!、…た』
「た?」
『ただいまぁ〜!!、うわぁあぁああああぁああぁ…!!』
「っちょ、リコリス!?、ど、どうs…うわぁ!?」
彼女が帰ってきたことをもう一度噛み締めようとしたら、彼女が号泣しながら抱きついてきた。
何を言っているかどうかは分からないと思うが、つまりはそういう事だ。
どうやら彼女も、また僕に会えて嬉しくて、そして生きて(?)帰ってこれた事に感動しているようだ。
やれやれ、彼女も僕も、ここまでベタ惚れだったとは…。
『…ねぇ、クロ』
「ん、なんだい?、って言うか泣き止んだなら離れて『抱き心地が凄く良いからやだ』…さいですか」
『…あ、あのさ。分かってると思うけど、私魔物になっちゃったんだよね』
「そうだね」
『そのー、魔物になっちゃったからにはね、やらなきゃならない事があるよね?』
「?」
『あー、あの、だから…、べ、ベッド行こ?』
「へ?、まだ寝るには早いよ?」
『…っ、分かんないかなー!?、魔物がベッドいこって誘ったらエッチしましょうって事でしょうが!!』
「…え?」
『…あ、い、今のは忘れてっ!!、そうよね、流石にまだキスもしてないのに突然そんな…きゃー恥ずかしいっ!////』
「分かったよ、ていうか分かってるよリコリス」
『キャー掘り下げないでっ!、これ以上羞恥に晒されたら私おかしくなるっ!…って、え?』
「それじゃあベッドに行こうか、大丈夫。君は魔物でも僕の妻で、一番大事なリコリスさ」
『え、ぁえ、うぁ…』
「今夜中は君と一緒に居たい。良いかい、リコリス?」
『え、そりゃぁ勿論…、って毎日一緒に寝てたじゃない!!』
「今日は少し意味合いを変えて、ね」
そのまま彼女の手に自らの左手を重ねる。
手に触れるは彼女の血で湿った包帯、そして彼女の熱。
永遠の番となる、と言う意味合いを込めたその左手に、彼女は。
戸惑いながらも力強く、しっかりと握り締めてくれた。
『…え、えーっと、その』
「?」
『あ、愛しています、クロッカス…』
「…僕もだよ、リコリス」
『…そ、それじゃあベッドに…』
「うん、今夜は良い夜になりそうだね」
『…ばか////』
////_////
この後、どうなったかは僕の口から語るべきではないね。
只一つ言える事は、僕達の住んでいた街は、反魔成分なんて僕以外に欠片もなかったって事かな。
皆魔物に友好的で、僕以外に魔物を蔑ろにする人なんか居なかったそうだ。
こう考えると、僕はとても情けなくなってくる。
だって僕の妻は魔物だからね。
彼女は今も僕の妻として、良くやってくれてる。
苦手だった看護学も、気付けばマスターしていた。
まぁ、強いて嫌な点を上げるとすれば、患者がリコリスを邪な目で見ることぐらいかな。
そして、今は言える。
彼女を死なせないでくれた運命よ。
彼女を魔物として蘇らせてくれた魔の者々よ。
本当にありがとう、とね。
『クロー!急患来たよー!』
「うんわかった。今行くよ」
それでは、僕は仕事に戻るよ。
こんな昔話を聞いてくれてありがとう。
ああ、そこの花束は持って行ってくれて構わないよ。
この病院では、診察の後に彼岸花を贈るんだ。
もちろん、花言葉の意味も添えてね。
それでは、「また会う日を楽しみに」
【私の墓に彼岸花を】END
12/04/22 23:09更新 / 荷重狐