第三話
クルツで僕が暮らすようになって十五日。
さすがに元勇者だけあって警戒する人も多いけど、僕ものんびり暮らすことが可能ではある。
腕は完治した、病院のフレッド先生もその回復の速さには驚いた。
どうやら、教会から僕に与えられた祝福の内には自己回復力を高める作用も含まれていたらしい、それに特別製の包帯とフレッド先生の魔術の相乗効果でここまで早く治ったんだろうと推察していた。
けど、十五日も動かせないと悲しいくらいに握力が落ちる。
今まで両手なら振りまわしても息一つ乱れなかったアルマダが、やたら重く感じる。
クロードさんは徐々に取り戻すしかないと言っていたけど、僕としては早く姉さんを迎えに行きたい。そういうわけで、斡旋された仕事の内一番体力を使いそうな南部開発局に回してもらった。
「今日から皆さんと共に働くことになりました、ロイドです。」
「はい拍手。」
棟梁と呼ばれていたのは僕より若い青年だった。
ランスという名前で、クロードさんの三男。
僕より三つ年下、南部開発局で働いている面々の中でも一番若い。
僕のために用意された新品の斧をもらい、木を伐ってみる。
勢いをつけて、一閃。
ガッ
思った以上に頑丈な木だったのか、刃が良く通らない。
もう一回振りかぶり、力いっぱい切りつける。
ガッ
全然切れない……
周囲のみんなの様子を見てみる。
「ほらダニエルそっちに切り倒すな、お前ら倒した木は材木にするんだから丁寧に扱え。」
指示を飛ばしながら自分の担当した木をランスが切りつけている。
しかも、僕より後に始めたはずなのにもうだいぶ切り進んでる。
他のみんなも、僕よりずっと作業は進んでる。
振りかぶって、もう一回切りつける。
ガッ
やっぱり手に強い抵抗が帰ってくるばかりで前に進まない。
「下手。」
「ド下手だにゃ。」
聞きなれない声に振り向くと、すぐそばに灰色の毛をして出るところの出た体つきをしたのと黄毛で凹凸の乏しい体つきをしたのの二人のワーキャットがいた。
二人とも、僕のことを見て下手だと言っているらしい。
「おい……」
ランスが近づいてきた。
「シェンリ、クリム、お前らどうして俺の職場にいる?」
ものすごく機嫌の悪そうな表情で、ランスは二人をにらむ。
「知り合い?」
「「「婚約者」」」
三人が同時に言う。
「誰が誰の?」
「こいつら二人がそれぞれ俺の」
「姉妹ドンブリ」
よく言いたいことが分からない。
姉妹二人がそれぞれ一人の男と婚約?
それって要するに堂々とした二股っていうこと?
「あ〜、そうかあんたクルツの住民になったばっかか、クルツでは重婚や近親婚が法的に認められてるんだ、重婚の場合相手を平等に愛さなかったらそれだけで重罰だけどな。」
ランスがとても面倒くさそうに説明する。
「で、ランスはうちらとちょっと前に婚約した。」
「念願叶ったにゃ、あとは式と子供。」
楽しそうに言う猫姉妹。
「ところでロイド、あんた今までどんな戦い方してたんだ? いくら良い剣使っててもここまで刃物の扱いが下手とか信じられんぞ。」
「え……そんなに下手?」
「うん、刃が立ってないし断面が汚い、下手すぎる。」
ずけずけ強烈なことを言ってくれる。
「力任せに切ればいいってもんじゃないんだよ、それに刃を立てて綺麗に切った方が力の通りもよくなる、こんな…風に!」
カコッ
ほぼ水平に、僕が切り込んでいた個所が大きくへこむ。
斧の性能差ではないだろう、ランスの使っている斧は僕のよりもずっと古い。
刃もあちこち欠けているし、切れ味も相当悪くなっているだろう。
「刃を立てる、力の通りを良くする……」
ためしにやってみる。
ランスと同じような動きで振りかぶり、勢いよく切る。
ガゴッ
全然刃は思い通りに木を伐ってくれない。
「……のんびりやれ……時間はまだ二週間あるんだろ?」
「うんまぁ……」
ランスが呆れている、僕に向けた呆れだとしても気持ちは痛いくらいわかる。
体に染みついた力押しの習性がどうしても前に出てきてしまうんだ。
息を整えて、もう一回。
ガゴッ
うまくいかずにもう一回。
ガゴッ
何度も何度も繰り返す。
僕の練習のついでになるからとランスは切る木を三つ指定してくれて、ついでに薪割りをしてくれと僕に頼んだ。
それが僕に練習台を与えるためなのか、それとも他の目的なのかまでは分らないが。
何のコツもつかめずに三本目を切り倒したころには、夜になっていた。
疲れてその場で横になる。
魔物を倒したくて、殺したくてがむしゃらに剣を振っていた七年前。
今はただ、この土地で生きていくためと、大切な人に会うために鍛えている。
けれども、なぜか今の方がずっと晴れやかな気持ちがする。
「……何をしている?」
頭上で声がした。
起き上がって見てみると、ルビーだった。
この十五日間、ルビーは何度も僕の様子を確認しに僕のところを訪れていた。
「訓練だよ、ランスに教えてもらって刃物の扱いの。」
「野山に横になることが? 自然と一体化する訓練とでも言うのか?」
「いや、今は休んでるんだけど……」
普通に話せるようになるまで一週間かかったけど、僕たちは今はこうやって日常会話をこなすことならできるようになった。
今でもたまに彼女に逆鱗に触れて殺人眼光を飛ばされるけど、それさえなければルビーは結構いい子だ。
頭もいいし、ちょっと高圧的だけど僕のことを心配してくれている。
「技を鍛えるのはいいことだと思うぞ。お前の戦い方は愚かとしか言いようがなかった。」
「そんなに?」
「身体能力に自信があるのは分ったが、自分より高い体力の相手に真正面から正直に挑んでどうする、殴られるために戦うようなものだ。」
ああ……君もそのこと思ってたんだ…
僕の個人での戦い方は極めて単純、祝福と運動能力を強化する魔術を組み合わせて一時的に非常に高い運動能力を得てから、力押し。
もともと体力には自信があったし、祝福の力で運動能力はさらに高まっているから、それだけでもかなりの力になる。
実際、ルビーに負けるまでその戦法で負けなしだった。
けど、そんなゴリ押し自分より強い相手には通じない。
「僕もそれを自覚したから、まず刃物を上手に扱えるようになろうと思って、落ちちゃった筋力を取り戻す目的もあるけど。」
「……安心しろ、お前は私が守ってやる。」
ルビーは真剣にそう言った。
「別に僕の問題なんだから、ルビーがそこまで真剣なることもないのに。」
「私がお前を半殺しにしなければお前は姉と一緒にいられた。」
ルビーは何か少し気まずそうに言う。
もしかして責任を感じてるのかな。
「けど、君が僕を倒さなかったら僕たちはずっと魔物を敵と思い続けて、罪もない魔物を殺していたかもしれない。」
「それは……そうかもしれん。」
かもしれないんじゃなくて、実際にそうだ。
かなり乱暴な手段ではあったけれど、ルビーのおかげで僕は王国や教会の都合のいい操り人形としての勇者ではなく、人としての勇者になれた気がする。
「さてと、僕は薪割りして来るから、ルビーは早く帰りなよ?」
「……分った。」
その一言の返事を終えると、ルビーは大きな翼を広げて静かに飛び立った。
僕は薪割り用の切り株の前に立ち、薪を置く。
勢いをつけて、振り下ろす。
ガゴッ
「……まだまだ、要練習だね。」
斧にはまってしまった薪を見ながら、そう呟いた。
三日後。
「筋は良かったみたいだな。」
コンッ
僕の降った斧はランスほどではないけど上手に木を伐ってくれるようになったと思う。
薪割りの技術ばっかり上達してもいいことがないような気もするけど、刃物の扱いの点では通じるものがあるから、たぶん剣の扱いも少しは良くなっていると思う。
それになんというか、腕が前よりずっとスムーズに動く。
前は無駄なところにも肉がついてたのかな。
「近いうちにまた訓練日だから、誰かに組み手付き合ってもらえ。」
僕のすぐ近くで監督していたランスが言う。
「そうするよ。」
「棟梁、ちょっと来てくれ、ドイロも」
「ロイドです。」
声をかけてきたのは作業員の一人、確かダニエルという名前。
「どうした?」
「洞窟があった、今ナルッカとメッケスが様子を見に行ってる。」
「中がどうなってんのか分かんねぇのに何で俺が来るまで待てないんだよ……すぐ行く。ロイドに剣持ってきてやってくれ、それとライアも呼べ。」
「分った。」
ダニエルを行かせたら案内する人がいないんじゃないかと思ったのに、ランスはダニエルが来た方向に向かって当たり前のように歩いて行く。歩きながら何か書いてる。
そういえば、先に入って行ったナルッカとメッケスが担当してた方向だからこっちであってるのかな、ランスって結構落ち着いてる。
しばらく行くと、確かに洞窟の入口がある。
段差になっている部分の下に、ぽっかり空いた人も通れそうな大きな穴。
「ふむ……」
「ランス、アタシに何か用か?」
いつの間にかライアが来ていた、早耳だ。
「父さんにこの書状を届けてくれ。」
ランスはついさっきまで書いていた書類をライアに手渡す。
「運送料は?」
「経費で落ちる。」
さすが南部開発局統括。
「ほらロイド、剣。」
ライアがついでに僕にアルマダを渡してくれる。
受け取ると、少しだけ重く感じられる。
そう言えば、腕が完治して一回持ってからずっと使ってなかったな。
ためしに一回、誰もいない方向に向けて振ってみる。
ヒュン
あれ?
今までに振ったどんな時よりもスムーズに動かせた感じがしたぞ。
今度は連続で二回。
ヒュヒュン
気のせいじゃなく動きが良くなってる。
「うん、やっぱり。かなり綺麗に動かせるようになってる。」
成果は確実にあったようだ。
「もともとがダメすぎたからなぁ……」
隣でランスが呟く。
我ながら今にして思うとどうしてあそこまで下手にしか剣を使えていなかったのか不思議でしょうがない。
ちゃんと刃物の基礎中の基礎を身に付けただけでこう変わるとは。
「さてと、用意も済んだし行くか。」
ランスが洞窟の中に歩み入る。
僕もそれに続く。
洞窟は一本道。
魔法でランスが明りを作り出す。
しかし明りで先を照らしてみても全然先の様子が分からない。
かなり長い洞窟のようだ。
途中で複雑に曲がりくねり、上に上がり下にさがり。
「ナルッカ、メッケス、聞こえたら返事をしろ!」
ランスが洞窟の奥に向かって呼びかける。
返事はない。
「どこまで奥に行きやがったんだあいつら。」
この洞窟がどこに繋がっているのか明確じゃない限り、安心して奥まで進んで行けるような環境ではないと言える。
下手をすればどこかの街中に繋がっている可能性だってあるわけだ。
王国内ならほぼ、親魔物派のクルツの民が歓迎されるような環境ではない。
「この洞窟、どこに向かってるんだろうね。」
歩きながら思ったことを言ってみる。
「……ツィリアやルビーから聞く限り、この方角には海があるんだそうだ。といっても基本的に崖と山を越えなくちゃいけないからクルツから直接行くのは無理らしいけど。」
「海か……見たことないな、どこまでも続く塩水の水たまりだっけ?」
「俺も見たことないけどルミネさんからそう聞いてる。」
王国の中で海に面した土地は少なくないけど、僕はそっちに行ってみたことはない、勇者として旅をした期間も短いから、王国内ですらいったことのない土地の方が多いくらいだ。
「ルミネさん?」
「会ったことないか? 魔物の領主でサキュバスのルミネさん。」
「あ〜 会ったことないけど予想はついた。」
たぶん訓練場に来ていたサキュバスの女性だろう。
とても大人な色香のある魔性の女性と言ってしっくりきそうなサキュバスだった。しかもただ下品に色気を振りまいているわけじゃなく、どこか高貴さを漂わせていた。
「娘がネリス、ルミネさんと違って普通の村娘みたいな恰好を好きでしてるから角隠ししてあるとただの美人な村娘にしか見えない。特徴はそんなに大きくないけど形の良い胸とオレンジ色の髪。」
「ふーん、たぶんあのこかな?」
訓練場で見かけた、銃を扱う青年のそばで彼を応援していたオレンジ色の髪の少女。彼女がネリスで間違いないと思う。
「それにしても、魔物と人間の領主をわざわざ分けてあるのはなんで?」
腕が完治するまでの間にツィリアさんからクルツの法律やクルツが出来上がるまでの本は読ませてもらった、その中には当然制度について疑問に思うような供述もいくつかあった。
「魔物と人間じゃ寿命も特性も違うからな、人間と付き合っていける人間と、魔物と同じ時間を生きられる魔物で領主を分けた方が都合が良かったんだ、結果として圧倒的に人口の多い人間の領主側の方が負担が多いけど。」
「人間の領主が初代領主クロードの名前を継承するのは?」
「王国への反抗心の表れだよ、王国で忌み嫌われる名前を意図して使うことで『自分たちは王国に従わない』って意志を明確に表そうとしたんだ。」
「なるほど。」
確かにクロードの名前は王国では忌み嫌われている名前の一つだ。
それを自らの領主の一人の名前にすることは王国への反抗心を示す手段として有効だと思う。
かなり進んで行くと、前方に何かが見える。
「ん?」
「あれ……」
僕たちは同時に足をとめた。
前の方を見てみると、そこにはナルッカとメッケスがいる。
そして、その足下には、水たまりがある。
「やっといやがったか、ここで行き止まりみたいだな。」
「いや、棟梁ちょっと待ってくれ。」
ざばん
水面から、帽子をかぶった女性が顔を現した。
ただし、下半身は人型ではなく魚のようになっている。
「メロウ? 文献でしか見たことないけど。」
「あら? またお客さん?」
メロウもこちらに気づいたようだ。
頭の中までピンク色といわれる、猥談や恋を好むマーメイドの一種。
特徴はマーメイド以上に積極的な性格とかぶった帽子。
この帽子にメロウが海で生きていくために必要な魔力が入っている。
「ああ、この洞窟の先にある町から来た。」
「へぇ〜この先に町があったんだ。」
「知らなかったのか? 二十年前からあるんだが。」
「私、陸に上がったことないもの、尺取り虫みたいにくねくね進んでたらお肌が荒れちゃうわ。」
言いたいことは何となくわからないでもない。
「ところであなた。」
メロウがこちらに向かって指を向ける。
指差されているのは僕。
「僕?」
「そうあなた、見た目結構タイプなんだけど、お姉さんといいことしない?」
誘うような目つきで、というか実際誘っている。
僕が答えるより一瞬前に
「ならん。」
背後から声がした。
ルビーの声だ。
振り返ると、オーガも裸足で逃げ出しそうなものすごい形相でルビーがメロウをにらんでいる。
「あら? 彼の気持ちは貴方の決めることじゃないでしょトカゲさん?」
ぶちん
何かが切れる音がした。
というか、プライドの高いドラゴンに向かってまさかトカゲ呼ばわりとは。
「命が要らんらしいな半魚」
殺意と表すのが生ぬるいほどの怒気を放つルビーの手にはこぶし大の石。
振りかぶって、メロウに向けて投擲。
凄まじい速さで直線に突っ込む、当たろうものなら頭蓋が砕けるだろう。
メロウはそれを大慌てで水に潜って回避する。
どぱぁん
こぶし大の石が出すとは思えないような派手な水しぶきをあげて着水する、メロウにあたりはしなかったようだが、その恐怖は心に刻まれただろう。
「何するのよ貴方! 当たってたら死んだわよあれ絶対!」
顔だけ出してメロウがもう一度文句を言う。
「当たって死ねばよかった。」
さらっとひどいことを言うドラゴンだ。
「最低! 野蛮!」
「下品で低俗な半魚に言われると不愉快だな、もう一発。」
「よせ。」
ルビーが足下から石を一個拾い上げようとするのをランスが止める。
すっかり機嫌を悪くしてしまったメロウの説得はランスに任せて僕たち四人は洞窟を出た。あのまま僕やルビーが洞窟奥にいたらもっとややこしいことになりかねなかったからだ。
「あの洞窟が海へとつながっているのは間違いなさそうだな、でなければメロウが住み着くなど考えられん。」
「そういうものなの?」
「そういうものだ。」
「そうそう、そうなんだよ、あそこの水塩水だったんだ。」
ナルッカが口をはさんでくる。
「重要なことなの?」
「非常に重要だ、でなければわざわざ統括のランスが残る必要もあるまい、このクルツは外界と大きな山脈によって隔てられた山奥に存在している。」
「ああ……塩か、確かにここじゃ貴重品だよね。」
クルツ自治領は塩を採取することは困難な環境にある。それがあの洞窟内の水を利用できれば塩不足が解消できるわけだ。
「けどあの洞窟、どこの海から繋がってきてるんだろ。」
「さぁな、そんなことはどうでもいい話だ。」
心底機嫌悪そうにルビーが言う。
あそらくまだメロウとの喧嘩を引きずっているんだろう。
それよりも気になるのが、僕がメロウに誘われた時の彼女の反応だ。
まるでメロウを威嚇するような彼女の態度。
自分の物を取られそうになった人のする顔。
まさか僕、ルビーに気に入られた?
って、そんなことはないよね、きっと。そうなる要素がない。
ちなみに四時間ほど後にランスが戻って来た。
メロウはコーラルという名前であることは判明したが、あの洞窟の水は使ってはいけないことが決定されてしまった。あと、洞窟へのルビー出入り禁止。
数日たって、訓練日。
僕の組み手の相手は、何とランス。
「けど、ランスって強いの?」
「誰と比較するかの比較対象による。」
「僕。」
「ならたぶん互角だな。」
僕の武器は木製の両手剣、ランスの武器は木製の片手で楽に扱える小さな斧。
普段ランスが木を切るとき使っているのと同じ大きさだ。
審判はクロードさん。
「構え、始め!」
試合開始
力の面でも動きの面でも出来る限り無駄を削った剣の一薙ぎを中段に。
けどランスは当たり前のようにそれをよける。そのまま後ろ向きに走って距離をとる。
「展開、五門の土槍」
コートの地面が盛り上がったかと思ったら、五本の小さな槍が出現する。
「魔法!?」
この王国では、魔術と魔法は体系で区別される。
細かな理屈までは専門家じゃないから僕も知らないけど、こういった現象を発生させられるのは魔術じゃなくて魔法の領域のはずだ。
「攻撃、対象ロイド」
作られた槍が僕に向かって突っ込んでくる。
けど、防げない速さじゃない。
冷静に槍を一本ずつ剣でたたき落とす。
強度は無いようで、あっさり砕けて助かった。
「甘いんだよ。」
ゼロ距離、ランスが僕の背後に立っていた。
ドムッ
背中を一発殴られる。
「有効」
一本の判定が出なかったから負けではないと言え、油断した。
武器できていたら一本だっただろう、となると油断されてる?
「せっかく実力の拮抗した相手との組み手だ、すぐ終わらせちゃお前の訓練にならないだろ。」
剣を振って反撃すると、ランスはそれを斧で受け止める。
そして今度は蹴りを僕の腹に入れて来る。
それを後ろに跳んで避けると、
「起動、泥の手」
地面からぬっと現れた手が、僕の足をつかむ。
「うっわっ」
転びそうになったところにランスが突っ込んでくる。
それを剣のカウンターで追い払って、足をつかんだ手を蹴り壊す。
大して速くないし、力もそこまで強いわけじゃない。
けど、戦い方がうまい、魔法と物理攻撃を組み合わせてこちらの注意を巧みに逸らして攻撃してくる。
選ばれた勇者なんて言われて天狗になってた自分が良く分かる。
高次に鍛えられた人が山ほどいる土地では、僕はこんなに弱いのか。
「確かにお前は強いよ、運動能力も高いし、体全体の扱い方もかなり良くなった。でも一人での実戦経験が足りなさすぎる。」
「だから鍛えてくれるってこと?」
「ま、練習相手にはなるだろ。」
確かにそうかもしれない。
「じゃ、お言葉に甘えて。」
その後僕たちは六回ほど練習試合を行って、ランスの優勢勝ちがほとんどだった。
最後一回だけ、僕が一本を取って勝った。
少しは強くなれたのかな。
さすがに元勇者だけあって警戒する人も多いけど、僕ものんびり暮らすことが可能ではある。
腕は完治した、病院のフレッド先生もその回復の速さには驚いた。
どうやら、教会から僕に与えられた祝福の内には自己回復力を高める作用も含まれていたらしい、それに特別製の包帯とフレッド先生の魔術の相乗効果でここまで早く治ったんだろうと推察していた。
けど、十五日も動かせないと悲しいくらいに握力が落ちる。
今まで両手なら振りまわしても息一つ乱れなかったアルマダが、やたら重く感じる。
クロードさんは徐々に取り戻すしかないと言っていたけど、僕としては早く姉さんを迎えに行きたい。そういうわけで、斡旋された仕事の内一番体力を使いそうな南部開発局に回してもらった。
「今日から皆さんと共に働くことになりました、ロイドです。」
「はい拍手。」
棟梁と呼ばれていたのは僕より若い青年だった。
ランスという名前で、クロードさんの三男。
僕より三つ年下、南部開発局で働いている面々の中でも一番若い。
僕のために用意された新品の斧をもらい、木を伐ってみる。
勢いをつけて、一閃。
ガッ
思った以上に頑丈な木だったのか、刃が良く通らない。
もう一回振りかぶり、力いっぱい切りつける。
ガッ
全然切れない……
周囲のみんなの様子を見てみる。
「ほらダニエルそっちに切り倒すな、お前ら倒した木は材木にするんだから丁寧に扱え。」
指示を飛ばしながら自分の担当した木をランスが切りつけている。
しかも、僕より後に始めたはずなのにもうだいぶ切り進んでる。
他のみんなも、僕よりずっと作業は進んでる。
振りかぶって、もう一回切りつける。
ガッ
やっぱり手に強い抵抗が帰ってくるばかりで前に進まない。
「下手。」
「ド下手だにゃ。」
聞きなれない声に振り向くと、すぐそばに灰色の毛をして出るところの出た体つきをしたのと黄毛で凹凸の乏しい体つきをしたのの二人のワーキャットがいた。
二人とも、僕のことを見て下手だと言っているらしい。
「おい……」
ランスが近づいてきた。
「シェンリ、クリム、お前らどうして俺の職場にいる?」
ものすごく機嫌の悪そうな表情で、ランスは二人をにらむ。
「知り合い?」
「「「婚約者」」」
三人が同時に言う。
「誰が誰の?」
「こいつら二人がそれぞれ俺の」
「姉妹ドンブリ」
よく言いたいことが分からない。
姉妹二人がそれぞれ一人の男と婚約?
それって要するに堂々とした二股っていうこと?
「あ〜、そうかあんたクルツの住民になったばっかか、クルツでは重婚や近親婚が法的に認められてるんだ、重婚の場合相手を平等に愛さなかったらそれだけで重罰だけどな。」
ランスがとても面倒くさそうに説明する。
「で、ランスはうちらとちょっと前に婚約した。」
「念願叶ったにゃ、あとは式と子供。」
楽しそうに言う猫姉妹。
「ところでロイド、あんた今までどんな戦い方してたんだ? いくら良い剣使っててもここまで刃物の扱いが下手とか信じられんぞ。」
「え……そんなに下手?」
「うん、刃が立ってないし断面が汚い、下手すぎる。」
ずけずけ強烈なことを言ってくれる。
「力任せに切ればいいってもんじゃないんだよ、それに刃を立てて綺麗に切った方が力の通りもよくなる、こんな…風に!」
カコッ
ほぼ水平に、僕が切り込んでいた個所が大きくへこむ。
斧の性能差ではないだろう、ランスの使っている斧は僕のよりもずっと古い。
刃もあちこち欠けているし、切れ味も相当悪くなっているだろう。
「刃を立てる、力の通りを良くする……」
ためしにやってみる。
ランスと同じような動きで振りかぶり、勢いよく切る。
ガゴッ
全然刃は思い通りに木を伐ってくれない。
「……のんびりやれ……時間はまだ二週間あるんだろ?」
「うんまぁ……」
ランスが呆れている、僕に向けた呆れだとしても気持ちは痛いくらいわかる。
体に染みついた力押しの習性がどうしても前に出てきてしまうんだ。
息を整えて、もう一回。
ガゴッ
うまくいかずにもう一回。
ガゴッ
何度も何度も繰り返す。
僕の練習のついでになるからとランスは切る木を三つ指定してくれて、ついでに薪割りをしてくれと僕に頼んだ。
それが僕に練習台を与えるためなのか、それとも他の目的なのかまでは分らないが。
何のコツもつかめずに三本目を切り倒したころには、夜になっていた。
疲れてその場で横になる。
魔物を倒したくて、殺したくてがむしゃらに剣を振っていた七年前。
今はただ、この土地で生きていくためと、大切な人に会うために鍛えている。
けれども、なぜか今の方がずっと晴れやかな気持ちがする。
「……何をしている?」
頭上で声がした。
起き上がって見てみると、ルビーだった。
この十五日間、ルビーは何度も僕の様子を確認しに僕のところを訪れていた。
「訓練だよ、ランスに教えてもらって刃物の扱いの。」
「野山に横になることが? 自然と一体化する訓練とでも言うのか?」
「いや、今は休んでるんだけど……」
普通に話せるようになるまで一週間かかったけど、僕たちは今はこうやって日常会話をこなすことならできるようになった。
今でもたまに彼女に逆鱗に触れて殺人眼光を飛ばされるけど、それさえなければルビーは結構いい子だ。
頭もいいし、ちょっと高圧的だけど僕のことを心配してくれている。
「技を鍛えるのはいいことだと思うぞ。お前の戦い方は愚かとしか言いようがなかった。」
「そんなに?」
「身体能力に自信があるのは分ったが、自分より高い体力の相手に真正面から正直に挑んでどうする、殴られるために戦うようなものだ。」
ああ……君もそのこと思ってたんだ…
僕の個人での戦い方は極めて単純、祝福と運動能力を強化する魔術を組み合わせて一時的に非常に高い運動能力を得てから、力押し。
もともと体力には自信があったし、祝福の力で運動能力はさらに高まっているから、それだけでもかなりの力になる。
実際、ルビーに負けるまでその戦法で負けなしだった。
けど、そんなゴリ押し自分より強い相手には通じない。
「僕もそれを自覚したから、まず刃物を上手に扱えるようになろうと思って、落ちちゃった筋力を取り戻す目的もあるけど。」
「……安心しろ、お前は私が守ってやる。」
ルビーは真剣にそう言った。
「別に僕の問題なんだから、ルビーがそこまで真剣なることもないのに。」
「私がお前を半殺しにしなければお前は姉と一緒にいられた。」
ルビーは何か少し気まずそうに言う。
もしかして責任を感じてるのかな。
「けど、君が僕を倒さなかったら僕たちはずっと魔物を敵と思い続けて、罪もない魔物を殺していたかもしれない。」
「それは……そうかもしれん。」
かもしれないんじゃなくて、実際にそうだ。
かなり乱暴な手段ではあったけれど、ルビーのおかげで僕は王国や教会の都合のいい操り人形としての勇者ではなく、人としての勇者になれた気がする。
「さてと、僕は薪割りして来るから、ルビーは早く帰りなよ?」
「……分った。」
その一言の返事を終えると、ルビーは大きな翼を広げて静かに飛び立った。
僕は薪割り用の切り株の前に立ち、薪を置く。
勢いをつけて、振り下ろす。
ガゴッ
「……まだまだ、要練習だね。」
斧にはまってしまった薪を見ながら、そう呟いた。
三日後。
「筋は良かったみたいだな。」
コンッ
僕の降った斧はランスほどではないけど上手に木を伐ってくれるようになったと思う。
薪割りの技術ばっかり上達してもいいことがないような気もするけど、刃物の扱いの点では通じるものがあるから、たぶん剣の扱いも少しは良くなっていると思う。
それになんというか、腕が前よりずっとスムーズに動く。
前は無駄なところにも肉がついてたのかな。
「近いうちにまた訓練日だから、誰かに組み手付き合ってもらえ。」
僕のすぐ近くで監督していたランスが言う。
「そうするよ。」
「棟梁、ちょっと来てくれ、ドイロも」
「ロイドです。」
声をかけてきたのは作業員の一人、確かダニエルという名前。
「どうした?」
「洞窟があった、今ナルッカとメッケスが様子を見に行ってる。」
「中がどうなってんのか分かんねぇのに何で俺が来るまで待てないんだよ……すぐ行く。ロイドに剣持ってきてやってくれ、それとライアも呼べ。」
「分った。」
ダニエルを行かせたら案内する人がいないんじゃないかと思ったのに、ランスはダニエルが来た方向に向かって当たり前のように歩いて行く。歩きながら何か書いてる。
そういえば、先に入って行ったナルッカとメッケスが担当してた方向だからこっちであってるのかな、ランスって結構落ち着いてる。
しばらく行くと、確かに洞窟の入口がある。
段差になっている部分の下に、ぽっかり空いた人も通れそうな大きな穴。
「ふむ……」
「ランス、アタシに何か用か?」
いつの間にかライアが来ていた、早耳だ。
「父さんにこの書状を届けてくれ。」
ランスはついさっきまで書いていた書類をライアに手渡す。
「運送料は?」
「経費で落ちる。」
さすが南部開発局統括。
「ほらロイド、剣。」
ライアがついでに僕にアルマダを渡してくれる。
受け取ると、少しだけ重く感じられる。
そう言えば、腕が完治して一回持ってからずっと使ってなかったな。
ためしに一回、誰もいない方向に向けて振ってみる。
ヒュン
あれ?
今までに振ったどんな時よりもスムーズに動かせた感じがしたぞ。
今度は連続で二回。
ヒュヒュン
気のせいじゃなく動きが良くなってる。
「うん、やっぱり。かなり綺麗に動かせるようになってる。」
成果は確実にあったようだ。
「もともとがダメすぎたからなぁ……」
隣でランスが呟く。
我ながら今にして思うとどうしてあそこまで下手にしか剣を使えていなかったのか不思議でしょうがない。
ちゃんと刃物の基礎中の基礎を身に付けただけでこう変わるとは。
「さてと、用意も済んだし行くか。」
ランスが洞窟の中に歩み入る。
僕もそれに続く。
洞窟は一本道。
魔法でランスが明りを作り出す。
しかし明りで先を照らしてみても全然先の様子が分からない。
かなり長い洞窟のようだ。
途中で複雑に曲がりくねり、上に上がり下にさがり。
「ナルッカ、メッケス、聞こえたら返事をしろ!」
ランスが洞窟の奥に向かって呼びかける。
返事はない。
「どこまで奥に行きやがったんだあいつら。」
この洞窟がどこに繋がっているのか明確じゃない限り、安心して奥まで進んで行けるような環境ではないと言える。
下手をすればどこかの街中に繋がっている可能性だってあるわけだ。
王国内ならほぼ、親魔物派のクルツの民が歓迎されるような環境ではない。
「この洞窟、どこに向かってるんだろうね。」
歩きながら思ったことを言ってみる。
「……ツィリアやルビーから聞く限り、この方角には海があるんだそうだ。といっても基本的に崖と山を越えなくちゃいけないからクルツから直接行くのは無理らしいけど。」
「海か……見たことないな、どこまでも続く塩水の水たまりだっけ?」
「俺も見たことないけどルミネさんからそう聞いてる。」
王国の中で海に面した土地は少なくないけど、僕はそっちに行ってみたことはない、勇者として旅をした期間も短いから、王国内ですらいったことのない土地の方が多いくらいだ。
「ルミネさん?」
「会ったことないか? 魔物の領主でサキュバスのルミネさん。」
「あ〜 会ったことないけど予想はついた。」
たぶん訓練場に来ていたサキュバスの女性だろう。
とても大人な色香のある魔性の女性と言ってしっくりきそうなサキュバスだった。しかもただ下品に色気を振りまいているわけじゃなく、どこか高貴さを漂わせていた。
「娘がネリス、ルミネさんと違って普通の村娘みたいな恰好を好きでしてるから角隠ししてあるとただの美人な村娘にしか見えない。特徴はそんなに大きくないけど形の良い胸とオレンジ色の髪。」
「ふーん、たぶんあのこかな?」
訓練場で見かけた、銃を扱う青年のそばで彼を応援していたオレンジ色の髪の少女。彼女がネリスで間違いないと思う。
「それにしても、魔物と人間の領主をわざわざ分けてあるのはなんで?」
腕が完治するまでの間にツィリアさんからクルツの法律やクルツが出来上がるまでの本は読ませてもらった、その中には当然制度について疑問に思うような供述もいくつかあった。
「魔物と人間じゃ寿命も特性も違うからな、人間と付き合っていける人間と、魔物と同じ時間を生きられる魔物で領主を分けた方が都合が良かったんだ、結果として圧倒的に人口の多い人間の領主側の方が負担が多いけど。」
「人間の領主が初代領主クロードの名前を継承するのは?」
「王国への反抗心の表れだよ、王国で忌み嫌われる名前を意図して使うことで『自分たちは王国に従わない』って意志を明確に表そうとしたんだ。」
「なるほど。」
確かにクロードの名前は王国では忌み嫌われている名前の一つだ。
それを自らの領主の一人の名前にすることは王国への反抗心を示す手段として有効だと思う。
かなり進んで行くと、前方に何かが見える。
「ん?」
「あれ……」
僕たちは同時に足をとめた。
前の方を見てみると、そこにはナルッカとメッケスがいる。
そして、その足下には、水たまりがある。
「やっといやがったか、ここで行き止まりみたいだな。」
「いや、棟梁ちょっと待ってくれ。」
ざばん
水面から、帽子をかぶった女性が顔を現した。
ただし、下半身は人型ではなく魚のようになっている。
「メロウ? 文献でしか見たことないけど。」
「あら? またお客さん?」
メロウもこちらに気づいたようだ。
頭の中までピンク色といわれる、猥談や恋を好むマーメイドの一種。
特徴はマーメイド以上に積極的な性格とかぶった帽子。
この帽子にメロウが海で生きていくために必要な魔力が入っている。
「ああ、この洞窟の先にある町から来た。」
「へぇ〜この先に町があったんだ。」
「知らなかったのか? 二十年前からあるんだが。」
「私、陸に上がったことないもの、尺取り虫みたいにくねくね進んでたらお肌が荒れちゃうわ。」
言いたいことは何となくわからないでもない。
「ところであなた。」
メロウがこちらに向かって指を向ける。
指差されているのは僕。
「僕?」
「そうあなた、見た目結構タイプなんだけど、お姉さんといいことしない?」
誘うような目つきで、というか実際誘っている。
僕が答えるより一瞬前に
「ならん。」
背後から声がした。
ルビーの声だ。
振り返ると、オーガも裸足で逃げ出しそうなものすごい形相でルビーがメロウをにらんでいる。
「あら? 彼の気持ちは貴方の決めることじゃないでしょトカゲさん?」
ぶちん
何かが切れる音がした。
というか、プライドの高いドラゴンに向かってまさかトカゲ呼ばわりとは。
「命が要らんらしいな半魚」
殺意と表すのが生ぬるいほどの怒気を放つルビーの手にはこぶし大の石。
振りかぶって、メロウに向けて投擲。
凄まじい速さで直線に突っ込む、当たろうものなら頭蓋が砕けるだろう。
メロウはそれを大慌てで水に潜って回避する。
どぱぁん
こぶし大の石が出すとは思えないような派手な水しぶきをあげて着水する、メロウにあたりはしなかったようだが、その恐怖は心に刻まれただろう。
「何するのよ貴方! 当たってたら死んだわよあれ絶対!」
顔だけ出してメロウがもう一度文句を言う。
「当たって死ねばよかった。」
さらっとひどいことを言うドラゴンだ。
「最低! 野蛮!」
「下品で低俗な半魚に言われると不愉快だな、もう一発。」
「よせ。」
ルビーが足下から石を一個拾い上げようとするのをランスが止める。
すっかり機嫌を悪くしてしまったメロウの説得はランスに任せて僕たち四人は洞窟を出た。あのまま僕やルビーが洞窟奥にいたらもっとややこしいことになりかねなかったからだ。
「あの洞窟が海へとつながっているのは間違いなさそうだな、でなければメロウが住み着くなど考えられん。」
「そういうものなの?」
「そういうものだ。」
「そうそう、そうなんだよ、あそこの水塩水だったんだ。」
ナルッカが口をはさんでくる。
「重要なことなの?」
「非常に重要だ、でなければわざわざ統括のランスが残る必要もあるまい、このクルツは外界と大きな山脈によって隔てられた山奥に存在している。」
「ああ……塩か、確かにここじゃ貴重品だよね。」
クルツ自治領は塩を採取することは困難な環境にある。それがあの洞窟内の水を利用できれば塩不足が解消できるわけだ。
「けどあの洞窟、どこの海から繋がってきてるんだろ。」
「さぁな、そんなことはどうでもいい話だ。」
心底機嫌悪そうにルビーが言う。
あそらくまだメロウとの喧嘩を引きずっているんだろう。
それよりも気になるのが、僕がメロウに誘われた時の彼女の反応だ。
まるでメロウを威嚇するような彼女の態度。
自分の物を取られそうになった人のする顔。
まさか僕、ルビーに気に入られた?
って、そんなことはないよね、きっと。そうなる要素がない。
ちなみに四時間ほど後にランスが戻って来た。
メロウはコーラルという名前であることは判明したが、あの洞窟の水は使ってはいけないことが決定されてしまった。あと、洞窟へのルビー出入り禁止。
数日たって、訓練日。
僕の組み手の相手は、何とランス。
「けど、ランスって強いの?」
「誰と比較するかの比較対象による。」
「僕。」
「ならたぶん互角だな。」
僕の武器は木製の両手剣、ランスの武器は木製の片手で楽に扱える小さな斧。
普段ランスが木を切るとき使っているのと同じ大きさだ。
審判はクロードさん。
「構え、始め!」
試合開始
力の面でも動きの面でも出来る限り無駄を削った剣の一薙ぎを中段に。
けどランスは当たり前のようにそれをよける。そのまま後ろ向きに走って距離をとる。
「展開、五門の土槍」
コートの地面が盛り上がったかと思ったら、五本の小さな槍が出現する。
「魔法!?」
この王国では、魔術と魔法は体系で区別される。
細かな理屈までは専門家じゃないから僕も知らないけど、こういった現象を発生させられるのは魔術じゃなくて魔法の領域のはずだ。
「攻撃、対象ロイド」
作られた槍が僕に向かって突っ込んでくる。
けど、防げない速さじゃない。
冷静に槍を一本ずつ剣でたたき落とす。
強度は無いようで、あっさり砕けて助かった。
「甘いんだよ。」
ゼロ距離、ランスが僕の背後に立っていた。
ドムッ
背中を一発殴られる。
「有効」
一本の判定が出なかったから負けではないと言え、油断した。
武器できていたら一本だっただろう、となると油断されてる?
「せっかく実力の拮抗した相手との組み手だ、すぐ終わらせちゃお前の訓練にならないだろ。」
剣を振って反撃すると、ランスはそれを斧で受け止める。
そして今度は蹴りを僕の腹に入れて来る。
それを後ろに跳んで避けると、
「起動、泥の手」
地面からぬっと現れた手が、僕の足をつかむ。
「うっわっ」
転びそうになったところにランスが突っ込んでくる。
それを剣のカウンターで追い払って、足をつかんだ手を蹴り壊す。
大して速くないし、力もそこまで強いわけじゃない。
けど、戦い方がうまい、魔法と物理攻撃を組み合わせてこちらの注意を巧みに逸らして攻撃してくる。
選ばれた勇者なんて言われて天狗になってた自分が良く分かる。
高次に鍛えられた人が山ほどいる土地では、僕はこんなに弱いのか。
「確かにお前は強いよ、運動能力も高いし、体全体の扱い方もかなり良くなった。でも一人での実戦経験が足りなさすぎる。」
「だから鍛えてくれるってこと?」
「ま、練習相手にはなるだろ。」
確かにそうかもしれない。
「じゃ、お言葉に甘えて。」
その後僕たちは六回ほど練習試合を行って、ランスの優勢勝ちがほとんどだった。
最後一回だけ、僕が一本を取って勝った。
少しは強くなれたのかな。
11/04/15 17:44更新 / なるつき
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