第一話
「クルツ自治領」
そう名乗る、魔物と手を結んだ背信者たちの集団があることを僕が知らされたのは一週間ほど前のことだ。
今までもさんざん魔物をひきいて町を攻撃してきたために教会騎士団が攻撃していたのだが、失敗に終わっていた。しかし最近になっていくつもの町や村がクルツの魔物により壊滅させられ、事態を重くみた王国上層部が今回大規模な討伐作戦を行う次第となった。
王都防衛の目的で駐屯していた王都を出て、僕がその背信者たちの巣窟を壊滅させるための戦いに参加することが上の意向で決定していた。
教会騎士団の大隊五百名と、攻城鎚五機、投石機十両、王国騎士団二百名という大軍団、今までの三百名規模からすると倍の兵力だった。
「敵戦力は城壁の内部で待ち構えるクイーンスライムと、遊撃のために出現するオーガやミノタウロス、人間の混成部隊、そして城壁の上に現れる赤いドラゴンだ。」
作戦の総指揮官マクワイア元帥から僕に下された命令は、そのドラゴンの討伐だった。
「正直なところ、最上位の魔物たるドラゴンとの一騎打ちだ、如何に君が有能な勇者でも、勝算は多くない。」
そうだ、僕は勇者。
クルツに魔物が集まり徒党を組んだ今では、過去の勇者たちのように華々しい功績を上げる機会は乏しく、たまに浄化任務にあたったり辺境の山賊を壊滅させていただけだったが、今回の任務はレベルが違う。
最近滅ぼされた村の近くにある森を抜けると、舗装された山道に出る。
しばらく歩くと、今度は前方にうずたかい城壁が見えて来る。
「これが、クルツを守ってきた城壁ですか……」
「そうだ、中に待ち構えるクイーンスライムや遊撃部隊の手によって今まで何度も教会の信仰を阻んできた忌々しい壁。」
総指揮官であるマクワイア殿の隣で、僕は軍団の最前列を歩いていた。
「いよいよだな。ロイド」
「いよいよですね。」
背中に携えた名剣アルマダを確認する。
王国最上位の鍛冶屋三人がその技術の粋を集めて作り出した無二の名剣。
少し重いから両手でないと満足に扱えないが、強度と切れ味は超一流。
「作戦開始は翌朝だ、第一師団第二師団第三師団は投石機の組み立て、それ以外の部隊は幕舎を立てろ。それとロイド、お前は。」
「分っています。」
僕の任務は全軍の旗印としての役割とドラゴン討伐。
そしてドラゴンが現れるのは城壁の上。
つまり、僕は城壁を上って待機しておかないといけない。
城壁を上って行けるのなら内側への侵入も少数ならできそうだけど、騎士団の大隊が侵入しない限り中から滅ぼすのも無理らしい、前に試したんだそうだ。
ほとんどとっかかりのない城壁に登る唯一のルート、それは岩壁だった。
「一晩かければ……どうにかいけるかな?」
一晩本当にかかった。
朝にはどうにか城壁の上で待機することができたとはいえ、死ぬかと思った。
大きな指令用の太鼓の音が鳴る。
投石機から巨大な岩が十個同時に放たれて、せん滅作戦が始まる。
放たれた大きな岩が、空中で雷に打たれて砕ける。
城壁から敵の指揮官らしい男と、それに率いられた魔物と人間の混成部隊が顔を出す。
数は四十ほど、それが騎士の大部隊と格闘戦を開始する。
先陣を切るのは指揮官とオーガとミノタウロスの三人。
「強い……というか、何なんだあれ……」
三人とも僕より明らかに強い、騎士たちを張りぼてのように叩きのめしている。
「戦見物なら、余所でしろ。」
凛とした声音のその言葉に振り向くと、そこには長い赤い髪に、意志の強そうな赤い瞳をした、露出の多い格好の妙齢の美女が……いや違う、赤い翼と体の各所を覆う鱗がそれが人外であることを物語っている。
彼女がドラゴンだ。
あわてて飛び退くと、アルマダを構えて袈裟がけに切りつける。
ドラゴンはそれを、片腕で受け止めた。
片腕で、剣をつかんだとかそういうのではなく、鱗におおわれた腕で当たり前のように王国一の名剣を防いでいた。
(んなッ!?)
そんなばかげたことがあってたまるかと思ったが、事実こいつは片手で受け止めている。
ゆらりと、ドラゴンの右手が上がる。
危険だと判断してあわてて後ろに引くと、一瞬前まで僕の居た空間を拳が通過していた、
目にもとまらぬ速さで。
「……私と戦うために待っていたのか、律儀なことだ。」
ドラゴンが強い魔物であることは知っていたつもりだった。
けれど、どこかで僕は油断していたんだと思う。
「負けるわけがない」なんて、思ってたんだから。
「ロイド・ストライ、勇者だ! お前に決闘を申し込む!」
それでも、僕は逃げるわけにはいかない。
魔物たちをこの王国にとどめておけば、僕の町のような悲劇がいつ繰り返されるかもわかったものじゃない、だから、クルツは今滅ぼす。
「エルビティステア、見ての通りのドラゴンで、皆ルビーと呼ぶ、その決闘、受けよう。」
ルビーと名乗るドラゴンは堂々としたふるまいで僕の決闘を受けた。
「ところで勇者だと名乗ったが、他のお仲間は?」
「王都で僕の帰りを待っている、この任務は僕一人でこなす。」
圧倒的に強い相手との戦いで仲間を死なせたくないから、他の皆には王都で待機してもらっている、皆弱いわけじゃないけど、僕よりは明らかに劣る。
「自信があるようだ、勝敗条件は相手に負けを認めさせたらで良いか?」
「もしくは、死んだらだ。」
「立会人不在とは締まらんが、仕方あるまい。」
勝敗の取り決めをすると、僕はもう一度剣を正眼に構える。
ルビーは腰に手を当てた姿勢で僕に向かい合っている。
「構えないのか?」
「必要がない、私はいつでも臨戦態勢だ。」
「そうか、なら、遠慮はしない。」
大きく振りかぶりながら突進する、
振り下ろすように見せて剣を右にながし、剣の重さに引きずられながら普段より早い速度で相手の左側に回り込んで、薙ぎ払う。
しかし、やはり当たり前のように片手で防がれる。
尻尾がうなりをあげて襲ってくる。
ガギィン
剣で防ぐが、凄まじい衝撃で手がしびれた。
これがドラゴンの力、最上位の魔物は伊達じゃない。
少し距離をとって今度は魔術。
作り出した火の玉で攻撃するが、尻尾一振りの風圧でかき消された。
だが、はなからあんなのに期待してない。
魔術で筋肉の稼働力を強化して、一気に加速して強烈な一太刀をお見舞いする。
その一太刀の軌道に、拳が現れる。
ゴギィン
アルマダとドラゴンの拳が衝突した。
ギギギギギギギギギ ギィン
耳障りな金属音が数秒続いてから、力負けした僕が弾かれて終わる。
かなりの距離を飛ばされたけど、城壁からは落ちてないし怪我もない。
「ふむ……その剣へし折ってやるつもりだったが、意外に頑丈だ。」
淡々としていながら、確かにこれは残念と思っている口調だ。
相手の拳から血が出ている、どうやらいくらドラゴンでもこの姿の時に魔術での強化に加えたこの剣なら全く傷をつけることが不可能というわけではないようだ。
「どうして竜の姿にならないのか疑問に思うか?」
ドラゴンは旧魔王の時代の姿に一時的に戻ることで、人を模した姿をしている時よりはるかに強い戦力を得る。
確かに、疑問ではある。
けど、僕にとっては都合がいいことだから気にしないことにしていた。
「興味もない。」
「そうか。」
今度はルビーが仕掛けて来る。
一歩前に出ながらの右の中段突き、凄まじく早いそれを右に動いて避けると、今度は後ろになった右足をうねる様に回転させて無駄のない回し蹴り。
剣で防いで、それでも腕が折れそうな衝撃に耐える。
もう一度突っ込んでくる、正面から突っ込んでくるルビーの胸を狙って突きを仕掛けると、一瞬で体が九十度ひねられて刃の通る道には空気しか残されなくなる。
気にせずルビーの逃げた方向に切り払うと、彼女はその場で宙返りをするようにしてアルマダの一閃をひらりと避ける。
このパワーに防御力の上なんて動きだ……
着地したルビーの顔面を狙い蹴りを仕掛ける、と見せかけて、つかまれたらたまったものじゃないから途中で足を引っこめて回転しながら剣一閃。
手応えはなく、どうやら避けられたようだ。
どこに行ったのかと確認しようとあたりを見回すが、見えない。
「遅い。」
背後から声がしたと理解するほんの一寸前に背中に鈍い感触。
そして浮遊感と、背中に走る鈍痛と共に回転する視界。
蹴られたか殴られたか、はたまた尻尾ではじかれたか、すっ飛んでいることを理解した。
地面に背中からたたきつけられると、やっと視界の回転も止まる。
「うっわ……効いた。」
冷静にそう呟きながら起き上る、骨はどこも折れてないみたいだけど、それにしたって人間一人を軽くぶっ飛ばす威力は信じがたい。
もう一度向き直る、余裕の笑みを浮かべたルビーはとんでもなく綺麗だけど、だからって見惚れている場合じゃない、彼女は魔物、倒すべき敵だ。
「降参する気はなさそうだな、まあ、諦めるまで殴るだけだが。」
隙の大きな攻撃をしたらさっきのような手痛い一撃で返される。
だからできるだけ隙を作らず、相手に隙を作らせないといけない。
とはいえ、機動力も僕よりずっと上の相手、下手な攻撃ではだめだ。
剣を構えて前に突っ込む、突進力に任せた勢いのある突き。
やはり当たり前のように避けられるが、避けた方向に魔力を使って障壁を作る。背中に当たった壁に一瞬だけ気を取られたルビーの胸を狙って、剣で切り払う。
しかし、浅い。
「おや……」
すぐに距離をとって向き直ったが、その時に気づいた。
薄皮一枚切った感触だと思っていたが、違う。
彼女の胸を覆っていた布が切れている。
そして豊満な乳房が露わになっている、やってしまった。
あわてて顔をそむける、初めて見る肉親以外の女性の胸だった。
「ふふふ……どうした? 女の胸を正視するのは初めてか?」
からかうような声音で、というか実際からかっているんだろう、ルビーはそうたずねて来る。
「甘く見るな、僕だって女性の胸くらい見たことはある。」
(姉さんのだが)
何となくここでそうだと言ってしまうのは負けを認める気分だったので、そう返す。
「ふむ、まぁ勇者だし、見た目もなかなか好青年のようだから恋人くらいいてもおかしくないか、それも懇ろな仲の。避妊しているんだろうな、妊婦連れで勇者の仕事など出来んだろう。」
「違う! 恋人はいない!」
なんだか嫌な方向に邪推されてしまっているせいで、思わず否定してしまう。
「違う? では何だ? まさかお前……娼婦を買ったことが……」
「そんなことをするわけがないだろう!」
さらに嫌な方向に邪推されてしまい、それを否定することでどんどん深く墓穴を掘っていることに自分でもこのとき気付けなかった。
「買ったこともない、恋人もいない。まさか貴様……襲ったのか? 勇者の職権を乱用して……」
「馬鹿なことを言うな!」
空を漂う雲よりも白い目で見つめられて、この日最大の墓穴を掘る。
「では何だ、正直に申してみよ。」
とても嫌な笑顔でルビーは僕に言ってくる。
「……見たことがあるのは、魔術師として僕と共に旅をする姉の物だ…」
「なるほど、近親相姦。」
「断じてそんなものではない!!」
姉のことが嫌いなわけではないが、そういう目で見れないことは確かだ。
こいつの相手、疲れる。
「ふふふふふふふ、本当お前はからかい甲斐があるな。」
魅力的な笑顔でそんなことを言われても、全然くらっと来ないぞもう。
相手の顔だけ見つめていればいいことが分かった。
胸を見ないように、胸を見ないように。
たまにそっちに気を取られそうになるのはオスとしての無意識の反応か。
「もうお前の遊びに付き合うのはやめだ」
「そうか」
一瞬でルビーが目の前に立っていた。
驚きのあまり硬直した僕に向かって、ルビーの拳が突っ込んでくる。
やたらゆっくりに見える。
顔面に当たるのが分かる。時が止まるような錯覚の中で、それでも僕はそれが絶対によけられない一撃だと経験で理解していた。
ゆっくりゆっくり、確実に迫ってくる。
思い出すのは、彼女の髪と同じ色の炎に包まれる故郷の姿。
そして、顎に当たる。
その瞬間、長く引き伸ばされていた時間が元に戻って、
僕は体を一回転させて頭から地面にたたきつけられていた。
「遊びに付き合わないのなら、お前で遊ぶのはやめにしよう」
首の骨が折れていないのは奇跡かもしれないし、こいつはわざとおれない加減で殴ったのかもしれない。
どちらかは分からないけれど、僕の全身からは力が抜けていた。
力を入れようとしても入らない。
うつ伏せに横になった体勢から身を起こすことも、それどころか指も動かせない。
「ふむ、我ながら見事な力加減だな。」
ルビーの声が耳元から聞こえた。
どうやら、意図的に僕を生かしているらしい。
「どうだ? 降参しないか?」
「誰が……するか……」
絞り出すような声でどうにか言い返す。
正直なところ、さっきの一発だけでも僕の戦闘能力を根こそぎ奪ってしまっている。
それに理解できてしまった、僕だけでは、いやたとえ姉さんたちがいたとしても、彼女に勝つことなどできないのだと。
だが、ここで勇者である僕が魔物に負けを認めればそれは軍全体の士気にかかわる、たとえ勝てないにしても、負けを認めないことならできる。
「ふむ……」
ルビーは少しだけ考えるように動いてから、
ズゴッ
僕の腹に蹴りを入れた。
体が宙を舞って、また落ちる。
全身が痛い。
痛み以外の感覚が麻痺してきた。
「私はサディストではないから、お前が負けを認めるまで殴り続けるという行為は気が引ける、早めに敗北を認めてくれると私が楽でいいんだが。」
「誰が……負けなんて認めるか……僕は負けてない。」
それでも頑なに僕は敗北を認めないという屈辱的な戦いを続ける。
「お前はどうして必死にあんな国のために尽くす? 理解ができない。」
「僕は国のために働いてるつもりはない。」
ルビーが心底呆れた顔をする。僕の隣に座り込んで、どこから取って来たのかその豊満な胸は布切れをまいて隠している。
「僕はただ、お前たちがのうのうと生きていることが許せないだけだ。」
僕は言葉に明確な敵意を乗せて彼女に言った。
「お前らが僕たちから奪っていったものを忘れない、家族も住む場所も全部お前たちが壊して奪った! 友人も親戚も、お前たちに喰い殺されて僕と姉さん以外は一人も生き残らなかった!」
僕の幼いころ住んでいた村は、魔物によって滅ぼされた。
そう、クルツの魔物によってだ。
生き残ったのは僕と姉さんだけ、他の皆は誰ひとりとして生き残らなかった、教会の騎士たちですら一人も。だから僕は自分を鍛えて、勇者に選ばれるよう努力して、そして勇者になった。
すべて、僕たちから奪い去った報いを魔物どもに受けさせるため。
「そうか、私と同じだな、私も貴様らや王国の騎士どもがのうのうと生きていることは極めて気に入らん、ここでクロに会わねばお前のように復讐に走っていただろうな。」
「何が言いたい。」
憎悪のこもった目で、というよりも憎悪しかない目で、彼女は僕を見下ろしている。
「私のお母様はお前たちに殺された。人を食ったことも、人を襲ったこともなくただのんびりと過ごして居た彼女を、戦えぬ夫を人質に取ってまで。」
「そんなことは、あり得ない。魔物は人を襲う存在だ。」
「どうやら、勇者殿は何も知らんらしい、いや知らんからこそ勇者などという正義漢を気取った愚か者でいられるのか。」
今度はまた呆れた口調に戻っている、
「貴様は、私以外の魔物と対峙したことがあるか?」
ルビーは僕にそうたずねた。
いや、まるで答えなどわかりきってるのに取りあえず確認しておくような口調だった。
「ない。王都の僕たちに連絡が届くのはいつも教会の騎士たちが討伐を済ませた後か、魔物たちが引き揚げて行ったあとだ。」
「それを疑問に思ったことは?」
彼女が何を言いたいのか分からない。
「何が言いたい?」
「勇者は教会や王国にとっては魔物を討伐するための重要な戦力だ、それを王都に留め置いて、魔物の討伐に駆り出さず騎士が仕事をこなすことはおかしいと思わんか?」
ますます持って意味が分からない。
王都に駐留している勇者がわざわざ出向くより、その地方に駐屯している騎士たちが討伐に赴いた方がよっぽど効率的だろう。
強い戦力を王国の中心点である王都に置くのはおかしなことではない。
困惑した表情の僕を見てルビーの目はますます不機嫌になる。
「やれやれ、本当にただの木偶か。」
心底呆れたようにため息をつく。
「貴様と話しているのはバカバカしくなってきた。」
そう言ったルビーが僕の右手に手をかける。
そして右腕の肘から少し先を踏み、
ばきん
軽々と僕の右腕をへし折った。
それだけではなく、
ぶちぶちぶちぶぢ
筋繊維を力任せに引きちぎられる。
「うぁああああああああああ!!」
脳を燃やすような激痛に僕の喉から悲鳴が飛び出る。
「さっさと負けを認めろ、さもなくば、二度と戦いに出れん体にする。」
「誰が……!」
腕を折られ肉まで引きちぎられても、それでも僕は負けたくなかった。
「……見ていて腹が立つ…何も知らんくせに、何も理解してこようとしなかったくせにそれで私が与えるものには抵抗する貴様が理解できん。」
怒気を孕んだルビーの声は、そのくせどこか寂しそうだった。
その後僕は左腕も同じように折られ、両手の指も一本ずつ砕かれた。
その拷問の内に僕は気を失っていた。
敗北は、それだけでは終わらなかったが。
そう名乗る、魔物と手を結んだ背信者たちの集団があることを僕が知らされたのは一週間ほど前のことだ。
今までもさんざん魔物をひきいて町を攻撃してきたために教会騎士団が攻撃していたのだが、失敗に終わっていた。しかし最近になっていくつもの町や村がクルツの魔物により壊滅させられ、事態を重くみた王国上層部が今回大規模な討伐作戦を行う次第となった。
王都防衛の目的で駐屯していた王都を出て、僕がその背信者たちの巣窟を壊滅させるための戦いに参加することが上の意向で決定していた。
教会騎士団の大隊五百名と、攻城鎚五機、投石機十両、王国騎士団二百名という大軍団、今までの三百名規模からすると倍の兵力だった。
「敵戦力は城壁の内部で待ち構えるクイーンスライムと、遊撃のために出現するオーガやミノタウロス、人間の混成部隊、そして城壁の上に現れる赤いドラゴンだ。」
作戦の総指揮官マクワイア元帥から僕に下された命令は、そのドラゴンの討伐だった。
「正直なところ、最上位の魔物たるドラゴンとの一騎打ちだ、如何に君が有能な勇者でも、勝算は多くない。」
そうだ、僕は勇者。
クルツに魔物が集まり徒党を組んだ今では、過去の勇者たちのように華々しい功績を上げる機会は乏しく、たまに浄化任務にあたったり辺境の山賊を壊滅させていただけだったが、今回の任務はレベルが違う。
最近滅ぼされた村の近くにある森を抜けると、舗装された山道に出る。
しばらく歩くと、今度は前方にうずたかい城壁が見えて来る。
「これが、クルツを守ってきた城壁ですか……」
「そうだ、中に待ち構えるクイーンスライムや遊撃部隊の手によって今まで何度も教会の信仰を阻んできた忌々しい壁。」
総指揮官であるマクワイア殿の隣で、僕は軍団の最前列を歩いていた。
「いよいよだな。ロイド」
「いよいよですね。」
背中に携えた名剣アルマダを確認する。
王国最上位の鍛冶屋三人がその技術の粋を集めて作り出した無二の名剣。
少し重いから両手でないと満足に扱えないが、強度と切れ味は超一流。
「作戦開始は翌朝だ、第一師団第二師団第三師団は投石機の組み立て、それ以外の部隊は幕舎を立てろ。それとロイド、お前は。」
「分っています。」
僕の任務は全軍の旗印としての役割とドラゴン討伐。
そしてドラゴンが現れるのは城壁の上。
つまり、僕は城壁を上って待機しておかないといけない。
城壁を上って行けるのなら内側への侵入も少数ならできそうだけど、騎士団の大隊が侵入しない限り中から滅ぼすのも無理らしい、前に試したんだそうだ。
ほとんどとっかかりのない城壁に登る唯一のルート、それは岩壁だった。
「一晩かければ……どうにかいけるかな?」
一晩本当にかかった。
朝にはどうにか城壁の上で待機することができたとはいえ、死ぬかと思った。
大きな指令用の太鼓の音が鳴る。
投石機から巨大な岩が十個同時に放たれて、せん滅作戦が始まる。
放たれた大きな岩が、空中で雷に打たれて砕ける。
城壁から敵の指揮官らしい男と、それに率いられた魔物と人間の混成部隊が顔を出す。
数は四十ほど、それが騎士の大部隊と格闘戦を開始する。
先陣を切るのは指揮官とオーガとミノタウロスの三人。
「強い……というか、何なんだあれ……」
三人とも僕より明らかに強い、騎士たちを張りぼてのように叩きのめしている。
「戦見物なら、余所でしろ。」
凛とした声音のその言葉に振り向くと、そこには長い赤い髪に、意志の強そうな赤い瞳をした、露出の多い格好の妙齢の美女が……いや違う、赤い翼と体の各所を覆う鱗がそれが人外であることを物語っている。
彼女がドラゴンだ。
あわてて飛び退くと、アルマダを構えて袈裟がけに切りつける。
ドラゴンはそれを、片腕で受け止めた。
片腕で、剣をつかんだとかそういうのではなく、鱗におおわれた腕で当たり前のように王国一の名剣を防いでいた。
(んなッ!?)
そんなばかげたことがあってたまるかと思ったが、事実こいつは片手で受け止めている。
ゆらりと、ドラゴンの右手が上がる。
危険だと判断してあわてて後ろに引くと、一瞬前まで僕の居た空間を拳が通過していた、
目にもとまらぬ速さで。
「……私と戦うために待っていたのか、律儀なことだ。」
ドラゴンが強い魔物であることは知っていたつもりだった。
けれど、どこかで僕は油断していたんだと思う。
「負けるわけがない」なんて、思ってたんだから。
「ロイド・ストライ、勇者だ! お前に決闘を申し込む!」
それでも、僕は逃げるわけにはいかない。
魔物たちをこの王国にとどめておけば、僕の町のような悲劇がいつ繰り返されるかもわかったものじゃない、だから、クルツは今滅ぼす。
「エルビティステア、見ての通りのドラゴンで、皆ルビーと呼ぶ、その決闘、受けよう。」
ルビーと名乗るドラゴンは堂々としたふるまいで僕の決闘を受けた。
「ところで勇者だと名乗ったが、他のお仲間は?」
「王都で僕の帰りを待っている、この任務は僕一人でこなす。」
圧倒的に強い相手との戦いで仲間を死なせたくないから、他の皆には王都で待機してもらっている、皆弱いわけじゃないけど、僕よりは明らかに劣る。
「自信があるようだ、勝敗条件は相手に負けを認めさせたらで良いか?」
「もしくは、死んだらだ。」
「立会人不在とは締まらんが、仕方あるまい。」
勝敗の取り決めをすると、僕はもう一度剣を正眼に構える。
ルビーは腰に手を当てた姿勢で僕に向かい合っている。
「構えないのか?」
「必要がない、私はいつでも臨戦態勢だ。」
「そうか、なら、遠慮はしない。」
大きく振りかぶりながら突進する、
振り下ろすように見せて剣を右にながし、剣の重さに引きずられながら普段より早い速度で相手の左側に回り込んで、薙ぎ払う。
しかし、やはり当たり前のように片手で防がれる。
尻尾がうなりをあげて襲ってくる。
ガギィン
剣で防ぐが、凄まじい衝撃で手がしびれた。
これがドラゴンの力、最上位の魔物は伊達じゃない。
少し距離をとって今度は魔術。
作り出した火の玉で攻撃するが、尻尾一振りの風圧でかき消された。
だが、はなからあんなのに期待してない。
魔術で筋肉の稼働力を強化して、一気に加速して強烈な一太刀をお見舞いする。
その一太刀の軌道に、拳が現れる。
ゴギィン
アルマダとドラゴンの拳が衝突した。
ギギギギギギギギギ ギィン
耳障りな金属音が数秒続いてから、力負けした僕が弾かれて終わる。
かなりの距離を飛ばされたけど、城壁からは落ちてないし怪我もない。
「ふむ……その剣へし折ってやるつもりだったが、意外に頑丈だ。」
淡々としていながら、確かにこれは残念と思っている口調だ。
相手の拳から血が出ている、どうやらいくらドラゴンでもこの姿の時に魔術での強化に加えたこの剣なら全く傷をつけることが不可能というわけではないようだ。
「どうして竜の姿にならないのか疑問に思うか?」
ドラゴンは旧魔王の時代の姿に一時的に戻ることで、人を模した姿をしている時よりはるかに強い戦力を得る。
確かに、疑問ではある。
けど、僕にとっては都合がいいことだから気にしないことにしていた。
「興味もない。」
「そうか。」
今度はルビーが仕掛けて来る。
一歩前に出ながらの右の中段突き、凄まじく早いそれを右に動いて避けると、今度は後ろになった右足をうねる様に回転させて無駄のない回し蹴り。
剣で防いで、それでも腕が折れそうな衝撃に耐える。
もう一度突っ込んでくる、正面から突っ込んでくるルビーの胸を狙って突きを仕掛けると、一瞬で体が九十度ひねられて刃の通る道には空気しか残されなくなる。
気にせずルビーの逃げた方向に切り払うと、彼女はその場で宙返りをするようにしてアルマダの一閃をひらりと避ける。
このパワーに防御力の上なんて動きだ……
着地したルビーの顔面を狙い蹴りを仕掛ける、と見せかけて、つかまれたらたまったものじゃないから途中で足を引っこめて回転しながら剣一閃。
手応えはなく、どうやら避けられたようだ。
どこに行ったのかと確認しようとあたりを見回すが、見えない。
「遅い。」
背後から声がしたと理解するほんの一寸前に背中に鈍い感触。
そして浮遊感と、背中に走る鈍痛と共に回転する視界。
蹴られたか殴られたか、はたまた尻尾ではじかれたか、すっ飛んでいることを理解した。
地面に背中からたたきつけられると、やっと視界の回転も止まる。
「うっわ……効いた。」
冷静にそう呟きながら起き上る、骨はどこも折れてないみたいだけど、それにしたって人間一人を軽くぶっ飛ばす威力は信じがたい。
もう一度向き直る、余裕の笑みを浮かべたルビーはとんでもなく綺麗だけど、だからって見惚れている場合じゃない、彼女は魔物、倒すべき敵だ。
「降参する気はなさそうだな、まあ、諦めるまで殴るだけだが。」
隙の大きな攻撃をしたらさっきのような手痛い一撃で返される。
だからできるだけ隙を作らず、相手に隙を作らせないといけない。
とはいえ、機動力も僕よりずっと上の相手、下手な攻撃ではだめだ。
剣を構えて前に突っ込む、突進力に任せた勢いのある突き。
やはり当たり前のように避けられるが、避けた方向に魔力を使って障壁を作る。背中に当たった壁に一瞬だけ気を取られたルビーの胸を狙って、剣で切り払う。
しかし、浅い。
「おや……」
すぐに距離をとって向き直ったが、その時に気づいた。
薄皮一枚切った感触だと思っていたが、違う。
彼女の胸を覆っていた布が切れている。
そして豊満な乳房が露わになっている、やってしまった。
あわてて顔をそむける、初めて見る肉親以外の女性の胸だった。
「ふふふ……どうした? 女の胸を正視するのは初めてか?」
からかうような声音で、というか実際からかっているんだろう、ルビーはそうたずねて来る。
「甘く見るな、僕だって女性の胸くらい見たことはある。」
(姉さんのだが)
何となくここでそうだと言ってしまうのは負けを認める気分だったので、そう返す。
「ふむ、まぁ勇者だし、見た目もなかなか好青年のようだから恋人くらいいてもおかしくないか、それも懇ろな仲の。避妊しているんだろうな、妊婦連れで勇者の仕事など出来んだろう。」
「違う! 恋人はいない!」
なんだか嫌な方向に邪推されてしまっているせいで、思わず否定してしまう。
「違う? では何だ? まさかお前……娼婦を買ったことが……」
「そんなことをするわけがないだろう!」
さらに嫌な方向に邪推されてしまい、それを否定することでどんどん深く墓穴を掘っていることに自分でもこのとき気付けなかった。
「買ったこともない、恋人もいない。まさか貴様……襲ったのか? 勇者の職権を乱用して……」
「馬鹿なことを言うな!」
空を漂う雲よりも白い目で見つめられて、この日最大の墓穴を掘る。
「では何だ、正直に申してみよ。」
とても嫌な笑顔でルビーは僕に言ってくる。
「……見たことがあるのは、魔術師として僕と共に旅をする姉の物だ…」
「なるほど、近親相姦。」
「断じてそんなものではない!!」
姉のことが嫌いなわけではないが、そういう目で見れないことは確かだ。
こいつの相手、疲れる。
「ふふふふふふふ、本当お前はからかい甲斐があるな。」
魅力的な笑顔でそんなことを言われても、全然くらっと来ないぞもう。
相手の顔だけ見つめていればいいことが分かった。
胸を見ないように、胸を見ないように。
たまにそっちに気を取られそうになるのはオスとしての無意識の反応か。
「もうお前の遊びに付き合うのはやめだ」
「そうか」
一瞬でルビーが目の前に立っていた。
驚きのあまり硬直した僕に向かって、ルビーの拳が突っ込んでくる。
やたらゆっくりに見える。
顔面に当たるのが分かる。時が止まるような錯覚の中で、それでも僕はそれが絶対によけられない一撃だと経験で理解していた。
ゆっくりゆっくり、確実に迫ってくる。
思い出すのは、彼女の髪と同じ色の炎に包まれる故郷の姿。
そして、顎に当たる。
その瞬間、長く引き伸ばされていた時間が元に戻って、
僕は体を一回転させて頭から地面にたたきつけられていた。
「遊びに付き合わないのなら、お前で遊ぶのはやめにしよう」
首の骨が折れていないのは奇跡かもしれないし、こいつはわざとおれない加減で殴ったのかもしれない。
どちらかは分からないけれど、僕の全身からは力が抜けていた。
力を入れようとしても入らない。
うつ伏せに横になった体勢から身を起こすことも、それどころか指も動かせない。
「ふむ、我ながら見事な力加減だな。」
ルビーの声が耳元から聞こえた。
どうやら、意図的に僕を生かしているらしい。
「どうだ? 降参しないか?」
「誰が……するか……」
絞り出すような声でどうにか言い返す。
正直なところ、さっきの一発だけでも僕の戦闘能力を根こそぎ奪ってしまっている。
それに理解できてしまった、僕だけでは、いやたとえ姉さんたちがいたとしても、彼女に勝つことなどできないのだと。
だが、ここで勇者である僕が魔物に負けを認めればそれは軍全体の士気にかかわる、たとえ勝てないにしても、負けを認めないことならできる。
「ふむ……」
ルビーは少しだけ考えるように動いてから、
ズゴッ
僕の腹に蹴りを入れた。
体が宙を舞って、また落ちる。
全身が痛い。
痛み以外の感覚が麻痺してきた。
「私はサディストではないから、お前が負けを認めるまで殴り続けるという行為は気が引ける、早めに敗北を認めてくれると私が楽でいいんだが。」
「誰が……負けなんて認めるか……僕は負けてない。」
それでも頑なに僕は敗北を認めないという屈辱的な戦いを続ける。
「お前はどうして必死にあんな国のために尽くす? 理解ができない。」
「僕は国のために働いてるつもりはない。」
ルビーが心底呆れた顔をする。僕の隣に座り込んで、どこから取って来たのかその豊満な胸は布切れをまいて隠している。
「僕はただ、お前たちがのうのうと生きていることが許せないだけだ。」
僕は言葉に明確な敵意を乗せて彼女に言った。
「お前らが僕たちから奪っていったものを忘れない、家族も住む場所も全部お前たちが壊して奪った! 友人も親戚も、お前たちに喰い殺されて僕と姉さん以外は一人も生き残らなかった!」
僕の幼いころ住んでいた村は、魔物によって滅ぼされた。
そう、クルツの魔物によってだ。
生き残ったのは僕と姉さんだけ、他の皆は誰ひとりとして生き残らなかった、教会の騎士たちですら一人も。だから僕は自分を鍛えて、勇者に選ばれるよう努力して、そして勇者になった。
すべて、僕たちから奪い去った報いを魔物どもに受けさせるため。
「そうか、私と同じだな、私も貴様らや王国の騎士どもがのうのうと生きていることは極めて気に入らん、ここでクロに会わねばお前のように復讐に走っていただろうな。」
「何が言いたい。」
憎悪のこもった目で、というよりも憎悪しかない目で、彼女は僕を見下ろしている。
「私のお母様はお前たちに殺された。人を食ったことも、人を襲ったこともなくただのんびりと過ごして居た彼女を、戦えぬ夫を人質に取ってまで。」
「そんなことは、あり得ない。魔物は人を襲う存在だ。」
「どうやら、勇者殿は何も知らんらしい、いや知らんからこそ勇者などという正義漢を気取った愚か者でいられるのか。」
今度はまた呆れた口調に戻っている、
「貴様は、私以外の魔物と対峙したことがあるか?」
ルビーは僕にそうたずねた。
いや、まるで答えなどわかりきってるのに取りあえず確認しておくような口調だった。
「ない。王都の僕たちに連絡が届くのはいつも教会の騎士たちが討伐を済ませた後か、魔物たちが引き揚げて行ったあとだ。」
「それを疑問に思ったことは?」
彼女が何を言いたいのか分からない。
「何が言いたい?」
「勇者は教会や王国にとっては魔物を討伐するための重要な戦力だ、それを王都に留め置いて、魔物の討伐に駆り出さず騎士が仕事をこなすことはおかしいと思わんか?」
ますます持って意味が分からない。
王都に駐留している勇者がわざわざ出向くより、その地方に駐屯している騎士たちが討伐に赴いた方がよっぽど効率的だろう。
強い戦力を王国の中心点である王都に置くのはおかしなことではない。
困惑した表情の僕を見てルビーの目はますます不機嫌になる。
「やれやれ、本当にただの木偶か。」
心底呆れたようにため息をつく。
「貴様と話しているのはバカバカしくなってきた。」
そう言ったルビーが僕の右手に手をかける。
そして右腕の肘から少し先を踏み、
ばきん
軽々と僕の右腕をへし折った。
それだけではなく、
ぶちぶちぶちぶぢ
筋繊維を力任せに引きちぎられる。
「うぁああああああああああ!!」
脳を燃やすような激痛に僕の喉から悲鳴が飛び出る。
「さっさと負けを認めろ、さもなくば、二度と戦いに出れん体にする。」
「誰が……!」
腕を折られ肉まで引きちぎられても、それでも僕は負けたくなかった。
「……見ていて腹が立つ…何も知らんくせに、何も理解してこようとしなかったくせにそれで私が与えるものには抵抗する貴様が理解できん。」
怒気を孕んだルビーの声は、そのくせどこか寂しそうだった。
その後僕は左腕も同じように折られ、両手の指も一本ずつ砕かれた。
その拷問の内に僕は気を失っていた。
敗北は、それだけでは終わらなかったが。
11/04/16 18:47更新 / なるつき
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