そしてハッピーエンドへ
そして、夜明けである。
「私は天に帰ります」
ロスヴァイセは、もう立てるほど回復している。
登り始めた朝日を背にして、ロスヴァイセはそう言った。
「天に帰り、事の次第を報告し、去就は全て私の主に任せます。もし再びの討伐を命じられ、私の心がそれに不服を挟まなければ、もう一度貴方達を倒しに参ります。
今度は負けないよう、万全に周到を重ねて」
きっぱりとした言い様であったが、心の整理がはっきりとついていないことは、言葉から窺えた。
フリストがなにか言おうとするのをヘルゲが制して、
「お願いがあります」
一歩前に出て言った。
「どうぞ。私を倒したお二方です。多少の無理は聞きましょう」
「もしも罰を命じられたら、どんな手段を使っても天を降りてください」
なにを言うのか、とロスヴァイセは目を丸くした。
フリストは、察して満足げに微笑した。
「私などが言うと、傲慢で失礼なようですが、ヴァルキリーはもう少し自分のことを考えるべきだ」
「か、考えていますとも。あ、あなたなどに一体なにが」
多少、図星を突かれている。
先夜のヘルゲの言葉で、自身が滅私に走り過ぎていたことを自覚したロスヴァイセには、ヘルゲの言に共感する部分がある。
が、かといって滅私の徒である自分に誇りを持っていないわけではない。複雑な心境ではある。
この時は、純粋に自分を案じてくれることが、多少なりとも嬉しい。
「ブリュンヒルデ辺りが聞いたら大変なことになりそうですね。ラーズグリースやかつてのわたくしも、きっと怒ったに違いない。
ですがロスヴァイセ、ヘルゲの言う通りです。こうなったわたくしだから、判ることがある。自分の人生を救いなさい。それが、生まれてきた義務です。
義務を果たしなさい、堅物。命として、女として生まれたからには、それが他人の前に立つ最低条件です」
そっと、フリストがロスヴァイセの頬を撫でる。
優しい手つきだった。かつて教導した時にも見せたことのない、優しい微笑と仕草であった。
(ああ、フリストは確かに変わられた・・・・・・。
けれど、それを善か悪か、語るにはまだ私は幼い。心というものを知らなすぎる)
優しさ、というものに、半生で触れ得たかどうか。ロスヴァイセにも自信はない。
ただ、撫でてくれるのは気持ちがよく、心が穏やかになる。こういう穏やかさの中で微睡めるなら、それが天地に於いて最高の贅沢ではないか、と想像が広がった。
「そうですとも。男は綺麗な人が泣いているより笑っている方が好きだ。美人に生まれたのなら、楽しそうに笑うことが義務みたいなものですよ」
「け、軽薄な。そんなことを言う人なのですか、あなたは」
ロスヴァイセが顔を紅潮させて呆れた。
美しいと言われて焦るほど、ロスヴァイセの心は初心である。
「と、とにかく、私は天に戻ります。全てはそれから。今は、それ以外に考えられない」
「また会いましょう、ロスヴァイセ。次は楽しそうな貴女を期待します」
微笑む二人に、嬉しいような情けないような、複雑な表情を見せて、ロスヴァイセは飛び立った。
その姿を、流星のように翔ける後ろ姿を見送って、フリストが、
「ところでヘルゲ。憎からず思う人から距離を取った友人とは、誰のことです?」
「え?」
「いえ、ロスヴァイセに言っていたことが、少し気になったもので」
「ああ、ファーヴニルのことです。まあ私の思い違いかもしれませんが」
「思い違いではないでしょう。あれは確かに、貴方のことを気に掛けている。なるほど、誰かと思えばあの邪竜でしたか」
納得したように頷くフリスト。
事情が分からぬまま首を傾げていると、
「ヘルゲ、そろそろ貴方の精力にわたくしの方が音を上げつつあります。如何でしょう、愛妾の一人や二人を持たれては。ちょうど思い当たる節が二人ほどあるのですが」
ヘルゲは、天地の別たれる様を見たように驚いた。
「な、なにを・・・・・・!? わ、私は貴女一筋ですよ、フリスト!?」
「そのお言葉は飛び上がりたいほど嬉しいのですが、お聞きください。
ロスヴァイセが襲ってきた時のことを思い出してください。わたくしは何度気をやったのか知れない。床入りの度に気死してしまっては貴方にも迷惑になります」
「お、お待ちを・・・・・・。わ、私の一存で決めてしまえることでは。第一貴女にもファーヴニルにも、ロスヴァイセにも失礼でしょう・・・・・・」
「おや、わたくしはその二名の名を挙げてはおりませんが」
こうなるともう、猫に嬲られる鼠のようなものだ。ヘルゲは真っ赤になって俯いて、フリストは悪戯っぽく笑っている。
堅物にしては、珍しい。フリストにとって、二人の関係は主従だが夫婦でもある。こういう会話を気軽に出来なくては、夫婦とは言えまい。
敬慕と親愛の同居した、輝かしい妻の表情であった。
「ふふ、失礼しました。ええ、我々の一存で決めるわけにはいかない。直接聞いてやればよろしいのです。
女の悦びを分けてやりたいという、わたくしの施しの心ですよ。男日照りのあの娘たちは、あまりに不憫なものですから」
「そ、それではわざわざ私を推さずとも、そのうち良い人が現れるのでは」
「意地悪なことを。
わたくしとしても思うところのある二人だから、命よりも大切な貴方を分け合っても良いと言っているのです。あの二人以外では、どんなことをしても貴方を繋ぎ止めようとするでしょう。
跪き、跪かせ、舐めて、舐めさせて、あらゆる手練手管と心で、貴方を引き留める。けれどあの二人なら、幸せになって欲しいあの二人だから、こう申し上げております。
それに、そのうち良い人をと言われても、わたくしには貴方以上に良い人など想像もつきません」
不意に、フリストが自身の唇を、ヘルゲに押し当てた。
「っ!?」
ヘルゲが目を丸くする。その間に、フリストはすっと身を離し、優しく微笑して、
「どうか、彼女たちを幸せにしてあげてください、我が王。それが出来る方だと、わたくしは信じます」
今度は、ヘルゲの番である。
すっと間を詰めてフリストの唇を奪い、
「必ず、その期待に応えましょう、我が妻。そして貴女にも、変わらぬ愛を注ぎます」
そっと、髪を撫でた。
「一つの器に注いで空になる愛なら、わたくしも言いません。三つの器でも零れてしまうかもしれない愛だから、申し上げることです。
けれど、ヘルゲ。そういう言葉は時と場所を選んでください。
―――――心構えがないと、嬉しくて死んでしまう・・・・・・」
恥ずかしそうに目を逸らすフリストに、胸の奥から愛しさが溢れ、持て余して衝動的にフリストを抱き締めた。
そういうヘルゲを、求められていると勘違いして、フリストが戸惑ったように、
「こ、ここでですか、ヘルゲ?」
「お嫌ですか?」
戦いの汚れのまま、傷の手当ても最小限、しかも朝日の昇った枯れ山である。雰囲気もあったものではない。
が、フリストは目を見て微笑んで、
「いいえ、求められるのは嬉しい。今のうちに、わたくしだけの貴方を堪能し尽くしてしまいたい」
甘えるように、唇を吸った。
「私は天に帰ります」
ロスヴァイセは、もう立てるほど回復している。
登り始めた朝日を背にして、ロスヴァイセはそう言った。
「天に帰り、事の次第を報告し、去就は全て私の主に任せます。もし再びの討伐を命じられ、私の心がそれに不服を挟まなければ、もう一度貴方達を倒しに参ります。
今度は負けないよう、万全に周到を重ねて」
きっぱりとした言い様であったが、心の整理がはっきりとついていないことは、言葉から窺えた。
フリストがなにか言おうとするのをヘルゲが制して、
「お願いがあります」
一歩前に出て言った。
「どうぞ。私を倒したお二方です。多少の無理は聞きましょう」
「もしも罰を命じられたら、どんな手段を使っても天を降りてください」
なにを言うのか、とロスヴァイセは目を丸くした。
フリストは、察して満足げに微笑した。
「私などが言うと、傲慢で失礼なようですが、ヴァルキリーはもう少し自分のことを考えるべきだ」
「か、考えていますとも。あ、あなたなどに一体なにが」
多少、図星を突かれている。
先夜のヘルゲの言葉で、自身が滅私に走り過ぎていたことを自覚したロスヴァイセには、ヘルゲの言に共感する部分がある。
が、かといって滅私の徒である自分に誇りを持っていないわけではない。複雑な心境ではある。
この時は、純粋に自分を案じてくれることが、多少なりとも嬉しい。
「ブリュンヒルデ辺りが聞いたら大変なことになりそうですね。ラーズグリースやかつてのわたくしも、きっと怒ったに違いない。
ですがロスヴァイセ、ヘルゲの言う通りです。こうなったわたくしだから、判ることがある。自分の人生を救いなさい。それが、生まれてきた義務です。
義務を果たしなさい、堅物。命として、女として生まれたからには、それが他人の前に立つ最低条件です」
そっと、フリストがロスヴァイセの頬を撫でる。
優しい手つきだった。かつて教導した時にも見せたことのない、優しい微笑と仕草であった。
(ああ、フリストは確かに変わられた・・・・・・。
けれど、それを善か悪か、語るにはまだ私は幼い。心というものを知らなすぎる)
優しさ、というものに、半生で触れ得たかどうか。ロスヴァイセにも自信はない。
ただ、撫でてくれるのは気持ちがよく、心が穏やかになる。こういう穏やかさの中で微睡めるなら、それが天地に於いて最高の贅沢ではないか、と想像が広がった。
「そうですとも。男は綺麗な人が泣いているより笑っている方が好きだ。美人に生まれたのなら、楽しそうに笑うことが義務みたいなものですよ」
「け、軽薄な。そんなことを言う人なのですか、あなたは」
ロスヴァイセが顔を紅潮させて呆れた。
美しいと言われて焦るほど、ロスヴァイセの心は初心である。
「と、とにかく、私は天に戻ります。全てはそれから。今は、それ以外に考えられない」
「また会いましょう、ロスヴァイセ。次は楽しそうな貴女を期待します」
微笑む二人に、嬉しいような情けないような、複雑な表情を見せて、ロスヴァイセは飛び立った。
その姿を、流星のように翔ける後ろ姿を見送って、フリストが、
「ところでヘルゲ。憎からず思う人から距離を取った友人とは、誰のことです?」
「え?」
「いえ、ロスヴァイセに言っていたことが、少し気になったもので」
「ああ、ファーヴニルのことです。まあ私の思い違いかもしれませんが」
「思い違いではないでしょう。あれは確かに、貴方のことを気に掛けている。なるほど、誰かと思えばあの邪竜でしたか」
納得したように頷くフリスト。
事情が分からぬまま首を傾げていると、
「ヘルゲ、そろそろ貴方の精力にわたくしの方が音を上げつつあります。如何でしょう、愛妾の一人や二人を持たれては。ちょうど思い当たる節が二人ほどあるのですが」
ヘルゲは、天地の別たれる様を見たように驚いた。
「な、なにを・・・・・・!? わ、私は貴女一筋ですよ、フリスト!?」
「そのお言葉は飛び上がりたいほど嬉しいのですが、お聞きください。
ロスヴァイセが襲ってきた時のことを思い出してください。わたくしは何度気をやったのか知れない。床入りの度に気死してしまっては貴方にも迷惑になります」
「お、お待ちを・・・・・・。わ、私の一存で決めてしまえることでは。第一貴女にもファーヴニルにも、ロスヴァイセにも失礼でしょう・・・・・・」
「おや、わたくしはその二名の名を挙げてはおりませんが」
こうなるともう、猫に嬲られる鼠のようなものだ。ヘルゲは真っ赤になって俯いて、フリストは悪戯っぽく笑っている。
堅物にしては、珍しい。フリストにとって、二人の関係は主従だが夫婦でもある。こういう会話を気軽に出来なくては、夫婦とは言えまい。
敬慕と親愛の同居した、輝かしい妻の表情であった。
「ふふ、失礼しました。ええ、我々の一存で決めるわけにはいかない。直接聞いてやればよろしいのです。
女の悦びを分けてやりたいという、わたくしの施しの心ですよ。男日照りのあの娘たちは、あまりに不憫なものですから」
「そ、それではわざわざ私を推さずとも、そのうち良い人が現れるのでは」
「意地悪なことを。
わたくしとしても思うところのある二人だから、命よりも大切な貴方を分け合っても良いと言っているのです。あの二人以外では、どんなことをしても貴方を繋ぎ止めようとするでしょう。
跪き、跪かせ、舐めて、舐めさせて、あらゆる手練手管と心で、貴方を引き留める。けれどあの二人なら、幸せになって欲しいあの二人だから、こう申し上げております。
それに、そのうち良い人をと言われても、わたくしには貴方以上に良い人など想像もつきません」
不意に、フリストが自身の唇を、ヘルゲに押し当てた。
「っ!?」
ヘルゲが目を丸くする。その間に、フリストはすっと身を離し、優しく微笑して、
「どうか、彼女たちを幸せにしてあげてください、我が王。それが出来る方だと、わたくしは信じます」
今度は、ヘルゲの番である。
すっと間を詰めてフリストの唇を奪い、
「必ず、その期待に応えましょう、我が妻。そして貴女にも、変わらぬ愛を注ぎます」
そっと、髪を撫でた。
「一つの器に注いで空になる愛なら、わたくしも言いません。三つの器でも零れてしまうかもしれない愛だから、申し上げることです。
けれど、ヘルゲ。そういう言葉は時と場所を選んでください。
―――――心構えがないと、嬉しくて死んでしまう・・・・・・」
恥ずかしそうに目を逸らすフリストに、胸の奥から愛しさが溢れ、持て余して衝動的にフリストを抱き締めた。
そういうヘルゲを、求められていると勘違いして、フリストが戸惑ったように、
「こ、ここでですか、ヘルゲ?」
「お嫌ですか?」
戦いの汚れのまま、傷の手当ても最小限、しかも朝日の昇った枯れ山である。雰囲気もあったものではない。
が、フリストは目を見て微笑んで、
「いいえ、求められるのは嬉しい。今のうちに、わたくしだけの貴方を堪能し尽くしてしまいたい」
甘えるように、唇を吸った。
16/09/22 11:59更新 / 一
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