第十話「未婚の叫び 〜〜いい男を紹介せよ〜〜」
ザックは柔らかな感触と心休まる香りに包まれていた。
その楽園のまどろみから目を覚ましたザックは、彼の腕の中で穏やかな寝息を立てる青い竜を見て少し驚いてから微笑んだ。夢の楽園はいまだに自分の腕の中にある。
昨夜、ユードラニナに改めて告白して、受け入れてもらった。その後の記憶を反芻すると、下半身に血液が集まりそうだった。昨日の晩から何回したのか記憶も不確かなぐらいしたのに、まだ下半身は飽き足りないのかと、ザックは我ながら呆れた。
だが、正直なところ、この快感に飽きることは永遠にないかもしれないとザックの上半身も思っていたので、下半身を責めるつもりはなかった。
ザックはこんな穏やかな目覚めはいつ以来だろうと思い出してみたが、物心ついたころから困窮した生活で心休まる暇がなかったと思い出し、人生初の穏やかな目覚めをかみしめることになった。
「……ザックぅ……」
少し身体が離れたことを敏感に感じてか、ユードラニナが寝言でザックの名を呼んだ。
「はいはい。ザックはユニのそばにいますよ」
ユードラニナの耳元で起こさないように小さい声で寝言に返事をすると、彼女の寝顔が緩んで、幼子のような笑顔を浮かべた。
「ちくしょうめ。かわいいじゃないか」
ザックはいつも堅物のような引き締まった表情が多い彼女の、無防備な笑顔に胸がきゅんとしてしまった。
「これが父性というものか?」
ザックの年齢など誤差の範囲ぐらい長寿のドラゴンに対して思うことではないが、感じてしまったものはしょうがない。
ふとザックは、あることを思いつき、そっと寝ている彼女を起こさないように彼女のそばを離れた。
ズボンとシャツ、ベルトだけを身につけて、上着はユードラニナにかけた。上着に染み付いたザックの匂いに反応したのか、彼女は上着を抱き込むようにして体を丸くして、幸せそうな寝息を立てていた。
ザックはユードラニナに無言で軽く謝ると、出口にの方に向かって歩き出した。
洞窟の出口の前にある岩棚に出ると、西の空が赤く染まり、夕闇迫る時間になっていた。
さっきまで寝ていたとはいえ、昨日の夜から、ほぼ一日中していたのかと知って、ザックは自分の体力に驚いた。「愛の力って、すごい」と自分の火事場の精力に感心していた。
もっとも、している最中、ユードラニナがザックに体力回復の魔法を何度もかけていたことを後で知ることになったが。
「さて」
ザックは腰に下げた鉈の鞘から笛を取り出した。随分と年季が入っている上に、手作り感満載の粗末な笛であった。
笛を縦に構え、山間の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んで、吹き口に唇を当てた。
ザックが吹き口に息を入れると、笛の見た目から想像できないほど、澄んだきれいな音が渓谷に響いた。
ザックの指が笛の穴の上を踊り、ゆったりとした穏やかなメロディーが流れた。それが渓谷にこだまし、沈みゆく太陽の残滓と輝きを増し始める星々の情景に溶け込んでいく。川のせせらぎも、曲に合わせるかのように静かに穏やかに聞こえてくるようだった。
曲の中盤から、曲調が急に明るく、にぎやかになった。
すでに太陽は沈み、空は藍色に染まっていたが、満天の星空が観客のように、曲はきらきらとした音で紡がれていった。
演奏しているザックも興が乗り始めたのか、体が拍子をとって揺れ始めて、曲自体もどんどんと盛り上がっていった。
そして、クライマックスを迎えて、曲は散華するかのように終わった。
かすかな余韻が消えるのを耳にしてからザックは笛から口を離し、息を整えるように長く細い息を吐き出した。
そこに背後から拍手が聞こえて、ザックは驚いて振り返った。
ユードラニナがザックの上着を羽織って、感心した表情で拍手をしていた。
「あ、えーと、ごめん、ユニ。起こした?」
ザックの問いにユードラニナは軽く口を尖らした。
「ザックがそばを離れたら……その……寝てられないじゃないか」
ちょっとむくれたようにユードラニナは横を向いた。
「それは、その……ごめん」
ザックの謝罪にユードラニナは首を振った。
「それより、今の曲、いい曲だな。初めて聞く曲だが、なんていう曲だ?」
「これは……」
ザックは笛を少し見て、背後の渓谷の方に視線を向けた。
「俺の故郷に伝わる、鎮魂の曲なんだ」
「鎮魂……」
ユードラニナの羽織っている上着をつかむ手に軽く力が入った。
「俺の親父に子供のころに教えてもらった。序盤はまだわかるが、中盤以降は鎮魂曲とは思えないだろ?」
ザックは自虐的に肩をすくめた。
「親父が言うには、いつまでも悲しんでいたら、死んだ奴らが浮かばれない。明るく楽しく生きていけ。それが死んだ奴への最高の供養だってね。この曲はそういう意味らしい」
「私は……そうできるだろうか?」
ユードラニナが不安に揺れる少女のような瞳でザックを見た。
はるか昔、しかも正当防衛とはいえ、ユードラニナは人間を数多く殺した。その過去は最強を誇るドラゴンでも重荷であった。
「できるさ。俺が一緒なんだから」
ユードラニナを抱き寄せて、髪を軽くなでた。
「親父が言ってたんだが、生きてる人間は、生きる義務がある。どうせ生きるのなら、よりよく生きよう。俺とユニ、二人一緒に」
「うん」
ユードラニナは小さくうなずくと涙目になった目でザックを見つめた。その表情にザックはたまらなく愛おしくなり、彼女の唇を奪った。
そして、沈静化していたお互いの愛の炎が激しく燃え上がりかけた。
「あー、おっほん!」
羽ばたきとともに、わざとらしい大きな咳払いが上空から聞こえた。
二人が上を見上げると、金髪オッドアイの青い竜が岩棚の上空にホバリングしていた。
「アリィ!」
「騎士団長!」
その竜の名と役職を二人は口にした、
ドラゴニア竜騎士団団長、アルトイーリスは、静かに岩棚に着地した。
「……約束通り、今日の夜になっても帰ってこなかったから、迎えに来た。いちゃいちゃして、帰るのを忘れたから戻らないというのは無しと言われたからな。……まあ、騎竜と竜騎士候補生が仲良くいちゃいちゃするのは、大変に喜ばしいことなんだが、多方面に色々と迷惑をかけていることを忘れてもらっては困る。というか、独身の私にイチャイチャしているところを見せつけるなんて、ちょっと酷いんじゃないか? 私だって、私だって、騎竜に選んでもらいたいんだぞ!」
アルトイーリスはオッドアイの瞳から涙をあふれさせた。そして、その場にうずくまって、本気で泣き始めた。
彼女の言うことは反論のしようもなく、ザックとユードラニナは何と答えていいかわからず、二人そろって彼女に土下座して謝った。
「やだあ! いい男紹介してくれなきゃ、やだぁ!」
最終的には、アルトイーリスは手足をばたつかせて、駄々をこねまくっていた。
結局のところ、二人がパトロールなどしている時にいい男を見つけたら、優先的にアルトイーリスに紹介するということでなんとか機嫌を直してもらった。
「うむ。この件は、竜騎士団のみんなには極秘事項ということで頼む」
アルトイーリスは団長の風格を再び身にまとい、二人に口止めした。ザックは、極秘にするのは「駄々をこねたこと」なのか、「いい男を優先的に紹介すること」なのか確認したかったが、「両方」という大人の解釈で訊くのをやめた。
「では、本部への帰投は明日の朝まででいい。いくら火照った体でも、夜の飛行は体が冷えるだろうからな」
アルトイーリスはにやりと余裕の笑みを浮かべた。だが、ザックたちはそれを微妙な笑みで流した。
「えー、それから、帰投後は団長執務室に出頭するように。じゃあ、私はこれで戻る」
翼を広げ、アルトイーリスはそそくさと飛び上がり、文字通り舞い上がっていった。
その姿を見送り、ザックは少し顔をひきつらせた。
「あれって、すんごく、期待しているよな?」
「ああ。ザックには聞こえなかったかもしれないが、デートに来ていく服とか買いに行った方がいいかな?とか、とっておきの魔界ワインを蔵から出しておかないととか、飛び去りながら、すごく浮かれて独り言を言っていた」
ユードラニナもザックと同じ表情をしていた。
「そうか……。大変なことになったな」
「ああ。すまんな。私がいちゃついたばっかりに」
「いや、ユニだけのせいじゃない。俺もいちゃつきたかったし」
ザックはすまなそうにするユードラニナに、少し照れて頬を指でかいた。
「ザック……」
「まあ、とりあえずは」
ザックはそう言うと、ユードラニナを抱き寄せた。
「朝まで、いっぱいしようか」
ザックの提案に対してユードラニナは、その場でザックを押し倒して、行動で返事をした。
その夜、嘆きの渓谷は嬌声の渓谷となった。
騎士団長の執務室は、ドラゴニアを象徴する竜騎士、そのトップにふさわしく、豪華な内装となっていた。
毛足の長いワーシープの羊毛を使用した絨毯が敷き詰められ、巨大な魔界豚から一枚モノで切り出した革張りのソファーがどっしりと据えられ、水晶を削りだした透明な天板を使ったテーブルがその前に置かれていた。ほのかな香りを放つ香木を使ったチェストがあり、その上にある花瓶は二重構造で外側は透かし彫りを施してあった。窓枠すらも細かい彫刻を施した上に金箔押しがされてあり、天井は桟で区切られたマス目に微細なフレスコ画が描かれていた。
もし、この執務室を再現しようとすれば、小国であれば数年間分の国家予算を必要としただろう。庶民派のザックにすれば、自身に内蔵されている値打ち物スカウターの計測上限値をぶっちぎって突き破っているので、感覚がついていっていなかった。
よく考えてみれば、独身寮の一室が王侯貴族レベルなのだから、団長執務室は推して知るべしではあったが、独身寮の部屋でさえ十分に貧乏人の想像を停止させるものがあったので、ザックに推測を期待するのが酷である。
そして、その立派で執務室の主、竜騎士騎士団長のアルトイーリスは、重厚な分厚い木製の執務机越しに出頭してきた竜騎士候補のペアと向かい合っていた。
「ユニ、騎竜の申し出をされて逃亡するなど前代未聞だ。事情は知っているので断るのはわかっていたが、もう少しマシな断り方ができなかったのか?」
アルトイーリスは一応、騎士団長らしく、ペアの竜、ユードラニナに詰問した。
「アリィ、本当にすまん。何しろ、申し込みされたのは初めてだったので、断り方など考えてもいなかった」
ユードラニナは本心から申し訳なさそうに謝った。
「まあ、そうだな。だが、迷惑をかけたことは違いなのだから、捜索に当たった竜たちにちゃんと謝って、酒でも奢っておくように」
それ以上の処罰はしないとアルトイーリスは二人に言い渡した。昨日の密約があるので、処罰はないことは分かっていたが、ザックがほっと安堵の息を漏らした。
「わかった。皆の都合のいいときに酒宴を開かせてもらう。秘蔵の酒も開けるとしよう」
「それは皆が喜ぶな」
アルトイーリスはユードラニナの言葉に微笑んだ。彼女の貯蔵する酒はちょっとした宝物庫として酒好きの竜たちには知られている。
「とりあえず、それぞれには謝って回ることにする」
「ああ、そうしてくれ」
心配というよりも顛末を知りたくてウズウズしている独身どころか既婚の竜たちを思い浮かべた。
「俺も一緒に謝るよ」
「ザックは何も悪くないんだ。お前が謝る必要はない」
ザックの申し出にユードラニナは速攻で却下した。
「何を言う。ペアを組んだんだから、一心同体だろ?」
「ば、ばかもの。そういう恥ずかしい台詞をこんなところで言うんじゃない」
顔を赤らめながらも嬉しそうに身体をモジモジさせていた。
「おっほん」
アルトイーリスは思わず咳払いをした。
「私がヨダレをたらさないうちに桃色空間をしまいこんでくれ」
「す、すまん。注意の途中だったな。つい……」
ユードラニナが慌てて彼女の方に身体を向けて謝った。
「いや、騎竜と竜騎士が仲睦まじいことは竜騎士団のみならず、ドラゴニアとしても非常に喜ばしいことだから、気にすることはない」
アルトイーリスは首を振って、注意した自分が間違っていたと発言を訂正した。
「さて、本来なら、ザックはすぐに基礎訓練に入ってもらうつもりだったが、竜騎士どころか、ドラゴニアにも不案内であるのは不便だろう。今後のことも考えて、皇都の簡単な地理と有名な観光地ぐらいは把握しておいて損はない。ザック・ユニペアには、特別任務として皇都のパトロールを命じる」
背筋を伸ばして、アルトイーリスはザックたちに特別任務を与えた。昨日帰ってから、一生懸命に偽装方法を考えていたのだろう、確かに筋は通っている。その出来の良さにドヤ顔をしていなければ、後ろに隠れた極秘任務に気づく者はいないだろう。
「ザック・ユニペア。皇都パトロール任務に就きます」
本当の思惑はどうあれ、一応は命令なのでザックとユードラニナは命令を復唱して敬礼した。
「では、よろしく頼んだぞ。本当に、ほんとに、マジで、よろしく頼んだからな!」
必死なアルトイーリスにザックは「最後まで体面保とうよ」と思ったが、口にはしなかった。
竜騎士団本部で各方面に謝罪して回って、冷やかされて、うらやましがられているうちに時間は過ぎて、二人がパトロールという名のいい男探しのために本部を出たのは、もう昼下がりになっていた。
「ユニ。言っておくが、俺はここに来て数日で知り合いは全くいない。というか、前に住んでいたところにも、それほど知り合いはいないし、いい男となると全くいない」
歩きながら隣のユードラニナに自分が当てにならないことを告げた。
「ザック。私も言っておこう。私はこれまで、人間、男女含めて、まともに会話したのはお前だけだ」
ユードラニナは自分も当てにならないことを告げた。ザックはアルトイーリスたちから聞いていたので驚きはしなかったが、一縷の望みが断たれたと軽く絶望感を味わった。
「それで、何か作戦はあるか?」
「私たちに知り合いがいないなら、誰かほかの人に紹介してもらうしかないだろう」
ザックはなるほどと感心した。しかし、いい人がいるのなら、すでに誰かに紹介している可能性も高い。望みは薄いが、他に方法はない。
「今、向かっているところが、その知り合いなんだな。誰なんだ?」
本部を出て、竜翼通りを迷わずに歩いていくユードラニナにザックは一応、聞いておくことにした。
「すぐに会いに行ける中で一番古い知り合いだ」
代替わり前から生きているユードラニナの知り合いなら、彼女と同じく代替わり前からの生き残り、古竜と呼ばれるドラゴンだろうと、ザックは想像した。
それだけのドラゴンならかなりの実力者だろう。そのドラゴンにいい男の心当たりはなくとも、知っていそうなドラゴンを紹介してもらうことはできるかもしれない。
ザックたちは竜翼通りをかなり登ってきて、魔物の魔力が可視化して、うっすらと靄がかかったようになってきた。
「このあたりは既婚者の住宅街で、正規の竜騎士の家もたくさんある」
家の様式は様々で、豪華なものもあれば、やけにかわいいものもある。家主の趣味が前面に出ているのだろう。中には、岩山の洞窟風というものもあった。
「ドラゴンは独居性が強い種族だから、他と合わせるよりも、自分の好きな風にするのが強い。特に家は城と同じだから、こだわりが強い」
ユードラニナはザックに周辺の家がバラバラなことの理由を説明した。
「この統一感のなさが逆に面白いと、建築に興味がある人間たちには人気の観光スポットになっているらしい」
解説をしつつも、彼女自身はあまり建築に興味ないらしく、あっさりとしたものだった。
観光ガイドのマニュアルでは、多様性ある建築物は、空の職人とも呼ばれる『竜工師』というワイバーンと人間の夫婦たちによって建てられていること。そして、竜工師たちはその多様な建築物の経験を基にドラゲイ帝国時代の建造物の修復や補強をしているということの説明をすることになっているのだが、ユードラニナは観光ガイドに無頓着なのか説明をすっ飛ばしていた。
「洞窟暮らしが長いみたいだしな」
ザックは、ユードラニナの建築物に興味なさそうな、ざっくりした説明をそれっぽい理由を勝手に推測して、勝手に納得していた。
「住宅街はこれで案内できたな。それでは、少し距離があるから飛ぶぞ」
ユードラニナはザックをいきなりお姫様抱っこすると羽ばたいて、あっという間に空に舞い上がった。
「ちょ! ドラゴンポートは? ハーネスは?」
いきなりで驚いたザックがユードラニナにしがみついた。
「ドラゴンポートは前時代の姿じゃなければ、推奨であって絶対じゃない。タンデムハーネスも距離のある時や落下の危険があるときの物だ。私がザックを落とすなんて、自殺するよりも難しいからな」
ザックはユードラニナの答えに自分の知識を修正した。しかし、それはそれとして、男がお姫様抱っこされるのは、かなり恥ずかしいと、顔を赤くした。
「ふふ。こうしてみると、かっこいいザックがかわいく見えるな」
赤面しているのに気づいたユードラニナが笑顔を見せた。ザックはますます顔を赤くした。
「勘弁してくれよ。俺にも一応は、男としてのプライドがあるんだから」
「ふふ。私にもドラゴンとしてのプライドがある。プライドというのは、なかなか厄介なものだな」
ザックはユードラニナの言葉に「まったくだな」と答え、笑った。
「さあ、着いたぞ」
飛行時間は数分ほどだろう。羽毛のように優しく着地すると、ザックを地面に降ろした。
「えーと……」
ザックは目の前にあるものを見上げた。そして、猛烈に悪い予感がした。
ザックの目の前には、赤みを帯びた黒い石が積み上げられた城壁の間に、ドラゴン、ワイバーン、ワーム、龍、リザードマン、サラマンダーなど竜族と呼ばれる魔物たちが人間と仲睦まじく愛し合う彫刻を大量に施した城門がそびえたっている。
門の周辺の地面は、赤と黒の大理石が格子模様に敷き詰められていて、スロープと階段を作っていた。
門の両脇には妖艶なリザードマンが二人、武器を持ちながら観光客を品定めしながら立哨をしている。
「ここが、ドラゴニア皇国の皇城、ドラゴニア城だ。言うまでもなく、一番の観光スポットだな」
ユードラニナの言葉にザックの推測が正しいことが明らかになった。
「なあ、ユニ」
さっさと門に向かおうとするユードラニナの手をつかんで止めた。
「なんだ、ザック?」
ユードラニナは手をつかまれて振り返り、首をかしげた。
「一応、聞いておこうと思うんだが、これからユニが合おうと思っている知り合いって……」
「この城の主、ドラゴニア皇国の王、魔王の娘、赤き竜王、デオノーラ陛下だ」
何をいまさらと言うようにユードラニナが答えた。
「……ユニ」
ザックはユードラニナの肩に両手を置いて俯いた。
「ん? ああ、心配するな。デオノーラは今でこそこの国の女王に就いているが、私とはそれ以前からの古い付き合いだ。今は一応、立場があるだろうから公式の場では女王陛下と呼んでいるが、プライベートでは、デオ、ユニと呼び合って酒を酌み交わしている仲だ。昔からデオの妄想も酒の肴によく聞いているぐらいだぞ」
ユードラニナが何かを察してザックに語った。しかし、彼女が察したことはザックが懸念していることと見当違いだった。ただ、彼女の語る内容は、それはそれで「ドラゴニア、大丈夫か?」という懸念も浮かんだが。
とりあえず、今はその懸念は一度、忘れることにして、ザックは自分の抱いた最初の懸念を話すことにした。
「ユニ、俺が聞いた話では、ドラゴニアの女王陛下は独身ということだが?」
「ああ、そうだが? 妄想話も男との出会いや、愛を深め合う過程、結婚式、結婚生活、子育てとかだぞ」
「それで俺が思うに、いい男を知っていれば、自分の夫にしないか? 独身なら」
「…………!」
ユードラニナは一拍ほど置いて、ザックの懸念を理解した。そして、それを全く思い至らなかった自分が恥ずかしくなって、思いっきり赤面した。
「まあ、対面する前でよかった」
ザックは心底そう思った。
女王デオノーラはユードラニナと同じく古竜仲間で、いまだ独り身。そこへ自分よりも縁が遠いと思われていただろうユードラニナがパートナーを見つけたのだ。祝う気持ちが大半だろうが、うらやましいと嫉妬する気持ちも少なからずあるだろう。
そして、そんな相手から「誰かいい男、知らない?」など聞かれたら、ややこしいことになること請け合いである。最低でも、いい男探しの達成人数が二人になる。
「とりあえず、聞く相手は既婚者に限定だな」
ザックは自分の考えをユードラニナに伝えた。
「ああ。それと現役の竜騎士団員も避けた方がいいだろう。一応、極秘任務だからな」
ユードラニナも落ち着いたおかげか、いつもの調子を取り戻し始めた。
「そうだな。それで、その条件に当てはまりそうな知り合いはいるか?」
ザックの問いかけにユードラニナは少し考えて、首を縦に振った。
「前の竜騎士団長で、大いなる翼と言われたシルヴィア夫妻だな。店をしているから知り合いも多いはずだ」
ユードラニナはそう言うと、再びザックをお姫様抱っこして、空へと舞いあがった。
前任の竜騎士団長、大いなる翼ことシルヴィアは、寿退団して、今は料理人の夫とともにドラゴニア料理の店『ラブライド』を経営している。
経営は順調で、チェーン店を何店舗も出すほどの盛況ぶりであった。今や、ラブライドのドラゴニア料理は観光の目玉の一つになっている。
その第一号店、竜騎士団本部と目と鼻の先にある『ラブライド本店』の前に二人は降り立った。
観光客が見守る中、ドラゴンにお姫様抱っこされた竜騎士が降り立つのは、非常に珍しく、注目を浴びた。ザックは情けないやら恥ずかしいやらで顔が真っ赤になっていた。
「竜騎士って、竜の背中に乗らないの?」
観光客の一人が素朴な疑問を観光案内をしているワイバーンに尋ねていた。
「ええと、彼は竜騎士の見習いで、候補生なんです。ほら。袖の金の輪が一本でしょ? 叙任された竜騎士は二本になるんです。それで、偉くなるほど本数が増えていきます」
ワイバーンがザックの上着の袖口にある金の輪を指さした。ザックはその説明を盗み聞きして、この輪の本数に意味があったのかと初めて知った。
「だから、彼は騎竜の背中にはまだ乗れないんです。騎竜が彼を一人前と認めたら、その背中を預けて、本当の竜騎士になるんですよ」
「へー、そうなんだ。見習いさん。頑張ってね」
観光客から励まされ、ザックは「ありがとうございます。頑張ります」と頭を下げた。恥ずかしかったが、ドラゴニアの竜騎士団に入団したからには、ドラゴニアの利益になるように立ち居ふるまうのがせめてもの矜持だと自分に言い聞かせた。
「あたしなら、お客様みたいな人なら、すぐにでも背中に乗っけちゃってもいいなーって思っちゃうんですけど」
観光案内役のワイバーンがもじもじしながら観光客ににじり寄っていった。にじり寄られた観光客はそれと同距離、後退っていたが。
ザックをその様子を横目で見ながら、人慣れしているワイバーンでがドラゴニアに観光に来ている相手ですら、なかなかハードルが高いのが現状かと、任務の困難さを改めて思い知った。
ラブライドは人気店だが、昼食の時間は終わっていたし、夕食にしては早すぎるので、テイクアウト専用の窓口は何人か並んでいたが、店内は空いていた。
「いらっしゃいませ」
ワイバーンのウェートレスがかわいい制服姿で二人を出迎えた。ユードラニナはザックの手を握って、「これは私のだ」とひそかに必死なアピールをしていた。ウェートレスの方はそれを見て、「残念」という表情を浮かべている。良くも悪くも魔界らしい光景であった。
とりあえず、ザックたちは開いている席に通された。
「ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください」
邪魔ものは早めに退散と、ウェートレスはメニューをテーブルに置いて、下がろうとした。
「すまないが、オーナーのシルヴィア夫妻はいらっしゃるか?」
ユードラニナに呼び止められ、ウェートレスはけげんな表情を浮かべた。
「もし、いらっしゃるなら、ユードラニナというドラゴンがお会いしたいとお伝え願えないか?」
「はい。わかりました」
ウェートレスは少し警戒の表情を浮かべた。
「それと、パムムを二つ。ミックスジュースのカップル用を一つ。よろしくね」
ザックがメニューを見て、さっと注文をした。
「はい。かしこまりました」
ウェートレスは注文と伝言を持って奥へと消えた。
「別に注文などしなくても」
「店に入って、注文しないのはマナーに反するよ。それに、ユニが目指しているパムムのソースの味も気になったしな」
ザックの注文にユードラニナは少し不服そうだったが、それ以上は何も言わなかった。
料理が運ばれてくるまでの間、どういった料理があるかをメニューを開いて、ユードラニナはザックに説明をした。
こういった知識も竜騎士には必要なものである。今日のように皇都デート――もとい、皇都パトロールの時に観光客に質問されることもあるので、知っておかないと答えられずに観光客をがっかりさせてしまうのである。
「チョコレーホーンというのは、そんなに人気なんだ」
「入荷したという情報が入れば、本店前に長蛇の列ができるぞ。希少性も人気の一つだが、女王陛下もお忍びで買いに来るほどの美味しさが人気の理由だな」
チョコレーホーンは、竜角糖という小さなタケノコのようなものをチョコレートでコーティングしたお菓子であった。
ただ、チョコレートにヌメリダケの成分を入れることで手に持つと滑ってしまうため、直接口でくわえて食べる。その時に、両端から二人で食べていくのが作法だと説明された。
「今度、入荷した時に食べさせてやろう。もちろん、作法通りにな」
ユードラニナの瞳がまぶしいほど輝いていた。ザックとしては、キスよりもすごいことをした相手なのに、こういうのがこれほどうれしいのだというのは新鮮な驚きで、愛おしく思えた。
「お待たせいたしました。パムム二つとミックスジュースカップル用です」
ウェートレスがテーブルにパムムとミックスジュースのコップを置いた。
ミックスジュースは結構大きめのグラスに入っていて、ストローが二本、絡み合って差してあった。ストローの形もハートマークになるように曲げてあり、なかなかに芸が細かい。ザックは「なるほど。カップル用だ」と納得した。
「えーと、それと、オーナーは、今は少し手が離せないので、申し訳ありませんが少し待っていてほしいとのことです」
ウェートレスが頭を下げた。
「いや、謝ることはない。こちらこそ、忙しいところすまないな。ゆっくり待たせてもらうと伝えてくれ」
ユードラニナの言葉に「わかりました」と踵を返そうとしたウェートレスをザックが呼び止めた。
「えーと、なにか他に御用ですか?」
ザックがウェートレスを呼び止めると、ユードラニナは絶望のどん底にいるような表情になって、涙をうっすら浮かべだした。
「ああ、些細なことなんだけど、テイクアウトでパムムの注文する人に、『つゆだく』と言っていた人がいたんだけど、何かなと気になってね。よかったら、教えてくれないかな? なあ、ユニ」
ザックは泣き出しそうなユードラニナの誤解を一刻も早く解かないとと早口でウェートレスに質問した。
「ああ。『つゆだく』ですね。ソースを多めにするというパムムの隠しオプションなんです。ソースが多いと味が濃くなるのですけど、そういうのが好きな人用オプションですね。あまり知られていないオプションなんですけど、昨日から急につゆだくが増えてるらしいです」
ウェートレスは理由は不明と小首をかしげた。ザックは礼を言って、ウェートレスを解放した。
「……ユニ。俺がお前から心変わりするなんてないから信じてほしい」
ウェートレスがいなくなってからも、テーブルの下でザックの服の裾をつまんで離さないユードラニナをなだめた。
「だって……ザックみたいないい男は、他の竜たちも好きになるかもしれないし……」
涙声で言うユードラニナの頭をザックは優しく撫でた。
「ユニは、そのいい男の俺を惚れさせた竜なんだから自信を持てよ」
ザックは自分で言っていて、恥ずかしくてしょうがないが、半ば本心でもあったので、堂々と臭いセリフをユードラニナにかけた。
「ザック」
顔を赤らめ見つめるユードラニナをザックが見つめ返す。
バカップルというのは、こうして世界中で二人の世界をビックバンしていくのであった。
とりあえず、二人の世界をビックランチして落ち着いたユードラニナとザックはパムムを食べることにした。
「ユニのパムムも美味かったが、さすがは本職といったところだな。このソース、ユニが真似できないというのも納得だ」
パムムをかじって、ザックは軽く驚いた。
「そうだろう? 今のソースも色々と試行錯誤して作ったが、これには及ばない」
ユードラニナは素直に負けを認めて称賛した。
「ユニは料理が好きなんだな」
「い、いや。そういうわけでは……ただ、今までやったことのない分野だし、その……いい人が出来たら、手料理を食べさせてやりたいし……」
ユードラニナは真っ赤になって顔を伏せた。
「ユニの手料理、楽しみにしてるよ。存分に腕を振るってくれ」
ザックは何かかわいくて、ユードラニナの頭を撫でた。
「ザックといると調子が狂う」
ユードラニナは軽くむくれてみせたが、まんざらでもない表情をしていた。
「だけど、ソースの味を盗むなら、つゆだくの方がよかったな」
「いや。味が濃くなりすぎると逆にバランスが悪くなる。そうなると逆に味が不確かになるぞ」
「そういうものか。しかし、しっかりした味なのに、食べていてもくどくないのもすごいな」
「まったくだ。長く生きている私でも、料理に関しては人間にはかなわないことが多いな」
「人間も大したもんだろ?」
「まるで、ザックの手柄のようだな」
「それをいうなよ、ユニ」
しゃべって渇いた喉を少し照れながらミックスジュースを飲んで潤して待っていた。
二人がパムムを食べ終わって、ミックスジュースを飲みほしてしばらくしたころ、奥から翼の大きなワイバーンの中でも、ひときわ大きな翼をした銀髪のワイバーンが現れた。
「ユニさん」
彼女は、微笑みを浮かべる顔は優しげであるが、どこか哀愁が漂い、男の保護欲を熾火のように刺激する。そんなタイプの美人のワイバーンであった。
「久しぶりだな、シルヴィア。元気そうで何より」
ユードラニナは立ち上がり、シルヴィアと握手を交わした。
「そちらが噂の?」
シルヴィアがザックの方に視線を動かして尋ねた。
「紹介する。私を騎竜に選んでくれた候補生のザックだ。こちらは、アルトイーリスの先代の竜騎士団長、大いなる翼、シルヴィアだ」
ユードラニナは二人をそれぞれ紹介した。
「ザックと言います。若輩者ですが、よろしくお願いします」
「シルヴィアです。よろしくお願いしますね」
握手をしてあいさつを交わすと、奥の接待室へと案内された。接待室にはシルヴィアの夫である、ラブライドのオーナーシェフであるアーサーもいた。
「それで、私たちに何か用事かしら? ペアを組んだあいさつ回りをしているようではないわね」
普段であれば夫の後ろに控えて出しゃばらないシルヴィアだが、ユードラニナのイレギュラーな来訪だったため、前に出て単刀直入に用件を訊いた。
「実は、色々とあって、ある竜にいい男を紹介せねばならなくなったのだ。だが、私は知っての通りだし、ザックもドラゴニアに来たばかり、故郷にもそれほどの男の知り合いはいないという。そこで、誰か心当たりはいないかを聞いて回ろうと思ってな」
ユードラニナが来訪の目的を告げると、シルヴィアの夫のアーサーが腕を組んでうなった。
「私もドラゴニアに来て長いからな。昔の知り合いとは縁が切れているか、魔物の夫になったものばかりだ。ラブライドに来ているシェフの見習いたちも、なんだかんだでアルバイト店員のワイバーンやドラゴンたちといい仲になっているものばかりだしな」
ザックとしてはアーサーの回答は予想通りだったが、それでも落胆した。
「一筋縄ではいかないですね」
先は長そうだとザックは軽くため息をついた。
「まあ、それに、いい男というのは魔物によって基準が変わるからな」
「そうですよね」
アーサーの言葉にザックは同意した。
人間の男性が大好きな魔物娘ではあるが、好みというものはある。極端なものだと、人間性に問題あるようなタイプが好きだったりと、人間では計り知れないストライクゾーンのバリエーションがある。
ザックたちもアルトイーリスから細かい好みを聞き出そうかと思いはしたが、それをすると選択の幅が狭まるのもまた困るのであえて聞かずにいたのだった。
「まったく、アリィにも困ったものね」
シルヴィアはほぅと悩ましいため息をついた。
「本当にな……って、アリィではないぞ!」
ユードラニナは同意してから、はっとして否定した。
「隠さなくていいわよ。あの子、普段は意外としっかりしているのに、そっち関係では斜め上に行っちゃうところあるから」
シルヴィアの言葉に、ユードラニナとザックはもう何も言えずにうなだれるしかなかった。雰囲気からすると、これと同じようなことを過去にもやったのだろう。
「いい男というのは、自分の翼で探しに行かなくちゃいけないの。出会いが転がってくるのを待っていたら、何千年もかかっちゃう。アリィはそのあたりがわかってないのね」
シルヴィアの容赦のない言葉にザックは少し、アルトイーリスに同情した。
「それに関しては、うちのシルティアちゃんも同じなんだけどね」
色っぽいため息をついて愁いを帯びた視線を下に落とした。
「シルティアはまだ子供だからな。その、男と付き合うのは、もう少ししてからでもいいと思うな」
アーサーがまあまあと宥めるように口をはさんだ。
「焦らせるようなことは言うつもりはありませんけど、あの子にも早く私のような幸せを感じてほしいんですよ。あなたはそうお思いません?」
「いや、確かに、シルティアには幸せになってほしいが、その、あの……なんでもないです」
アーサーはシルヴィアの無言の圧力に屈して撤退した。
「シルティアはシルヴィアとアーサーの娘だ。竜騎士団に入団しているが、まだ相手は見つかっていないらしい」
ユードラニナがザックにシルティアの情報を耳打ちした。
人慣れしているワイバーンといっても個体差は大きく、中にはドラゴンよりも気位の高いものもいた。シルティアはそちら側に近いワイバーンであった。
ザックは竜騎士団の男性団員獲得は慢性化した悩みというのを改めて実感した。もっとも、魔物の中でも上位に入る力を持つ竜族を恋人にしようというのは、よほど男として自信がないと難しいのも理解はしていたが。
「とりあえず、いい男のことは私に任せてくれない? アリィには、今夜、ラブライド本店に来るように言っておいてくれる? いい男を紹介できるとか言って」
にっこりと微笑むシルヴィアにザックは少し背筋が寒くなった。アーサーも同じらしく、男同士、目配せして、「女性は怒らせないようにしよう」と他山の石にした。
その日、アルトイーリスはウキウキ気分で定時に執務を終了した。そして、自宅に戻って身だしなみを万全に整えることにした。
「今回は軽い顔合わせみたいなものですから、思いっきり本気全開の盛装、特にウェディングドレスとか着て来ないようにしてくださいね。そんなのが来たら、男は空腹の狼の前のウサギよりも速く逃げますから」
ザックに忠告されて、アルトイーリスはしぶしぶ、いつもよりも少しいい私服をクローゼットから取り出した。
「どんなに早くてもウサギぐらいなら追いついて回りこめるのに」
少々見当違いの文句を言いつつも忠告に素直に従った。やはり、男からの意見は説得力があると感じていたからだった。
前が開いている膝上丈のライトブルーのフレアスカートで、ダークブルーのスケイルメイル風のビキニパンツを見せつけて、ノースリーブの襟付き白シャツを第二ボタンまで閉めて、下は開けて下乳をアピールした。露になったお腹には淫乱紋章を最後の点だけ残して書き込み、いつでも好きな時に襲ってというアピールも万全にした。
腕輪などアクセサリーをつけて、鏡の前で一周回ってみた。
「ちょっと地味かな? だが、派手にするのはよくないと言われたしな……確かに、ラブライドで食事となると、派手すぎると浮くからな」
迷いつつもアルトイーリスは、そろそろ約束の時間が迫ってきていると気づいて、剣をつかんでラブライドに急いだ。
ドラゴンの身体能力をフルに発揮すれば、アルトイーリスの家からラブライドまで数分もかからない。だが、それによって、色々と面倒ごとが起きる危険があるので、抑え気味で急いだ。夜遊びしていた観光客が竜騎士団長が起こしたソニックブームで吹っ飛ばされたなど、シャレにはならない。
ラブライドはディナー営業中で、大勢の客が食事を楽しんでいるのが表の通りまで伝わってきていた。アルトイーリスはちょっと自分に気合を入れて入店すると、勝手知ったるウェートレスがすぐに彼女を奥の個室に案内した。
「遅くなりました、アルトイーリスです」
個室の扉を開けると、微笑みをたたえたシルヴィアがいるのを見つけて、アルトイーリスは扉を閉めて回れ右をした。しかし、回れ右した行く手はユードラニナがふさいでいた。
「なんというか、すまない。アリィ。任務は失敗した」
ユードラニナは本当に申し訳なさそうに頭を下げた。
「もし、そう思っているなら、道をあけてほしいんだが」
アルトイーリスの顔が引きつったが、後ろの扉が開いて、大きな翼が手招きをしていた。
「あの翼から逃れるのは至難の業だ。ここで決着をつけるのが一番損害が少ないと具申する」
ユードラニナは手遅れだと首を振った。
「ああ! こんなことなら、月明かりでくだ巻いてる方が何百倍もマシだった!」
アルトイーリスは大いなる翼につつまれて、個室の中に消えた。
元竜騎士団団長、大いなる翼、シルヴィア。外では夫のアーサーを立てて、三歩下がって付き従う良妻賢母ぶりが知られている。しかし、ベッドではその夫を組み伏して、巧みな言葉責めで幾度となく昇天させて天国を見せるという。
アルトイーリスもその言葉責めを快感抜きで味わうことになるだろう。
それがわかったザックとユードラニナは、もし、何か出会いのチャンスがありそうだったら、優先的にアルトイーリスに知らせてあげようと考えた。でないと、ちょっとかわいそうすぎる。
「それにしても、これほどまでに貧乏くじを引き続けるって、一種の才能だな」
ラブライドからの帰り道、ザックがアルトイーリスの嫌な才能に変な関心をしていると、ユードラニナが微笑んだ。
「アリィは、今回だけじゃなく、これまでも貧乏くじを引き続けていたんだ。だが、それでもそれらを何とかしてきたんだ。努力と不屈さではドラゴニア一のドラゴンだ。だから、幸せになってほしいんだがな」
そう語るユードラニナの表情を見て、ザックは彼女の頭を撫でた。
「みんなにそう思われている竜が幸せになれないはずはないよ。きっといい人に出会えるよ」
「ああ、そうだな」
二人が見上げる夜空に笑顔のアルトイーリスが見えたような気がした。
「死んだみたいな演出するな! たとえ死んでも、ドラゴンゾンビになって、いい男捕まえてやるんだからー!」
アルトイーリスの春はまだ遠い。
その楽園のまどろみから目を覚ましたザックは、彼の腕の中で穏やかな寝息を立てる青い竜を見て少し驚いてから微笑んだ。夢の楽園はいまだに自分の腕の中にある。
昨夜、ユードラニナに改めて告白して、受け入れてもらった。その後の記憶を反芻すると、下半身に血液が集まりそうだった。昨日の晩から何回したのか記憶も不確かなぐらいしたのに、まだ下半身は飽き足りないのかと、ザックは我ながら呆れた。
だが、正直なところ、この快感に飽きることは永遠にないかもしれないとザックの上半身も思っていたので、下半身を責めるつもりはなかった。
ザックはこんな穏やかな目覚めはいつ以来だろうと思い出してみたが、物心ついたころから困窮した生活で心休まる暇がなかったと思い出し、人生初の穏やかな目覚めをかみしめることになった。
「……ザックぅ……」
少し身体が離れたことを敏感に感じてか、ユードラニナが寝言でザックの名を呼んだ。
「はいはい。ザックはユニのそばにいますよ」
ユードラニナの耳元で起こさないように小さい声で寝言に返事をすると、彼女の寝顔が緩んで、幼子のような笑顔を浮かべた。
「ちくしょうめ。かわいいじゃないか」
ザックはいつも堅物のような引き締まった表情が多い彼女の、無防備な笑顔に胸がきゅんとしてしまった。
「これが父性というものか?」
ザックの年齢など誤差の範囲ぐらい長寿のドラゴンに対して思うことではないが、感じてしまったものはしょうがない。
ふとザックは、あることを思いつき、そっと寝ている彼女を起こさないように彼女のそばを離れた。
ズボンとシャツ、ベルトだけを身につけて、上着はユードラニナにかけた。上着に染み付いたザックの匂いに反応したのか、彼女は上着を抱き込むようにして体を丸くして、幸せそうな寝息を立てていた。
ザックはユードラニナに無言で軽く謝ると、出口にの方に向かって歩き出した。
洞窟の出口の前にある岩棚に出ると、西の空が赤く染まり、夕闇迫る時間になっていた。
さっきまで寝ていたとはいえ、昨日の夜から、ほぼ一日中していたのかと知って、ザックは自分の体力に驚いた。「愛の力って、すごい」と自分の火事場の精力に感心していた。
もっとも、している最中、ユードラニナがザックに体力回復の魔法を何度もかけていたことを後で知ることになったが。
「さて」
ザックは腰に下げた鉈の鞘から笛を取り出した。随分と年季が入っている上に、手作り感満載の粗末な笛であった。
笛を縦に構え、山間の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んで、吹き口に唇を当てた。
ザックが吹き口に息を入れると、笛の見た目から想像できないほど、澄んだきれいな音が渓谷に響いた。
ザックの指が笛の穴の上を踊り、ゆったりとした穏やかなメロディーが流れた。それが渓谷にこだまし、沈みゆく太陽の残滓と輝きを増し始める星々の情景に溶け込んでいく。川のせせらぎも、曲に合わせるかのように静かに穏やかに聞こえてくるようだった。
曲の中盤から、曲調が急に明るく、にぎやかになった。
すでに太陽は沈み、空は藍色に染まっていたが、満天の星空が観客のように、曲はきらきらとした音で紡がれていった。
演奏しているザックも興が乗り始めたのか、体が拍子をとって揺れ始めて、曲自体もどんどんと盛り上がっていった。
そして、クライマックスを迎えて、曲は散華するかのように終わった。
かすかな余韻が消えるのを耳にしてからザックは笛から口を離し、息を整えるように長く細い息を吐き出した。
そこに背後から拍手が聞こえて、ザックは驚いて振り返った。
ユードラニナがザックの上着を羽織って、感心した表情で拍手をしていた。
「あ、えーと、ごめん、ユニ。起こした?」
ザックの問いにユードラニナは軽く口を尖らした。
「ザックがそばを離れたら……その……寝てられないじゃないか」
ちょっとむくれたようにユードラニナは横を向いた。
「それは、その……ごめん」
ザックの謝罪にユードラニナは首を振った。
「それより、今の曲、いい曲だな。初めて聞く曲だが、なんていう曲だ?」
「これは……」
ザックは笛を少し見て、背後の渓谷の方に視線を向けた。
「俺の故郷に伝わる、鎮魂の曲なんだ」
「鎮魂……」
ユードラニナの羽織っている上着をつかむ手に軽く力が入った。
「俺の親父に子供のころに教えてもらった。序盤はまだわかるが、中盤以降は鎮魂曲とは思えないだろ?」
ザックは自虐的に肩をすくめた。
「親父が言うには、いつまでも悲しんでいたら、死んだ奴らが浮かばれない。明るく楽しく生きていけ。それが死んだ奴への最高の供養だってね。この曲はそういう意味らしい」
「私は……そうできるだろうか?」
ユードラニナが不安に揺れる少女のような瞳でザックを見た。
はるか昔、しかも正当防衛とはいえ、ユードラニナは人間を数多く殺した。その過去は最強を誇るドラゴンでも重荷であった。
「できるさ。俺が一緒なんだから」
ユードラニナを抱き寄せて、髪を軽くなでた。
「親父が言ってたんだが、生きてる人間は、生きる義務がある。どうせ生きるのなら、よりよく生きよう。俺とユニ、二人一緒に」
「うん」
ユードラニナは小さくうなずくと涙目になった目でザックを見つめた。その表情にザックはたまらなく愛おしくなり、彼女の唇を奪った。
そして、沈静化していたお互いの愛の炎が激しく燃え上がりかけた。
「あー、おっほん!」
羽ばたきとともに、わざとらしい大きな咳払いが上空から聞こえた。
二人が上を見上げると、金髪オッドアイの青い竜が岩棚の上空にホバリングしていた。
「アリィ!」
「騎士団長!」
その竜の名と役職を二人は口にした、
ドラゴニア竜騎士団団長、アルトイーリスは、静かに岩棚に着地した。
「……約束通り、今日の夜になっても帰ってこなかったから、迎えに来た。いちゃいちゃして、帰るのを忘れたから戻らないというのは無しと言われたからな。……まあ、騎竜と竜騎士候補生が仲良くいちゃいちゃするのは、大変に喜ばしいことなんだが、多方面に色々と迷惑をかけていることを忘れてもらっては困る。というか、独身の私にイチャイチャしているところを見せつけるなんて、ちょっと酷いんじゃないか? 私だって、私だって、騎竜に選んでもらいたいんだぞ!」
アルトイーリスはオッドアイの瞳から涙をあふれさせた。そして、その場にうずくまって、本気で泣き始めた。
彼女の言うことは反論のしようもなく、ザックとユードラニナは何と答えていいかわからず、二人そろって彼女に土下座して謝った。
「やだあ! いい男紹介してくれなきゃ、やだぁ!」
最終的には、アルトイーリスは手足をばたつかせて、駄々をこねまくっていた。
結局のところ、二人がパトロールなどしている時にいい男を見つけたら、優先的にアルトイーリスに紹介するということでなんとか機嫌を直してもらった。
「うむ。この件は、竜騎士団のみんなには極秘事項ということで頼む」
アルトイーリスは団長の風格を再び身にまとい、二人に口止めした。ザックは、極秘にするのは「駄々をこねたこと」なのか、「いい男を優先的に紹介すること」なのか確認したかったが、「両方」という大人の解釈で訊くのをやめた。
「では、本部への帰投は明日の朝まででいい。いくら火照った体でも、夜の飛行は体が冷えるだろうからな」
アルトイーリスはにやりと余裕の笑みを浮かべた。だが、ザックたちはそれを微妙な笑みで流した。
「えー、それから、帰投後は団長執務室に出頭するように。じゃあ、私はこれで戻る」
翼を広げ、アルトイーリスはそそくさと飛び上がり、文字通り舞い上がっていった。
その姿を見送り、ザックは少し顔をひきつらせた。
「あれって、すんごく、期待しているよな?」
「ああ。ザックには聞こえなかったかもしれないが、デートに来ていく服とか買いに行った方がいいかな?とか、とっておきの魔界ワインを蔵から出しておかないととか、飛び去りながら、すごく浮かれて独り言を言っていた」
ユードラニナもザックと同じ表情をしていた。
「そうか……。大変なことになったな」
「ああ。すまんな。私がいちゃついたばっかりに」
「いや、ユニだけのせいじゃない。俺もいちゃつきたかったし」
ザックはすまなそうにするユードラニナに、少し照れて頬を指でかいた。
「ザック……」
「まあ、とりあえずは」
ザックはそう言うと、ユードラニナを抱き寄せた。
「朝まで、いっぱいしようか」
ザックの提案に対してユードラニナは、その場でザックを押し倒して、行動で返事をした。
その夜、嘆きの渓谷は嬌声の渓谷となった。
騎士団長の執務室は、ドラゴニアを象徴する竜騎士、そのトップにふさわしく、豪華な内装となっていた。
毛足の長いワーシープの羊毛を使用した絨毯が敷き詰められ、巨大な魔界豚から一枚モノで切り出した革張りのソファーがどっしりと据えられ、水晶を削りだした透明な天板を使ったテーブルがその前に置かれていた。ほのかな香りを放つ香木を使ったチェストがあり、その上にある花瓶は二重構造で外側は透かし彫りを施してあった。窓枠すらも細かい彫刻を施した上に金箔押しがされてあり、天井は桟で区切られたマス目に微細なフレスコ画が描かれていた。
もし、この執務室を再現しようとすれば、小国であれば数年間分の国家予算を必要としただろう。庶民派のザックにすれば、自身に内蔵されている値打ち物スカウターの計測上限値をぶっちぎって突き破っているので、感覚がついていっていなかった。
よく考えてみれば、独身寮の一室が王侯貴族レベルなのだから、団長執務室は推して知るべしではあったが、独身寮の部屋でさえ十分に貧乏人の想像を停止させるものがあったので、ザックに推測を期待するのが酷である。
そして、その立派で執務室の主、竜騎士騎士団長のアルトイーリスは、重厚な分厚い木製の執務机越しに出頭してきた竜騎士候補のペアと向かい合っていた。
「ユニ、騎竜の申し出をされて逃亡するなど前代未聞だ。事情は知っているので断るのはわかっていたが、もう少しマシな断り方ができなかったのか?」
アルトイーリスは一応、騎士団長らしく、ペアの竜、ユードラニナに詰問した。
「アリィ、本当にすまん。何しろ、申し込みされたのは初めてだったので、断り方など考えてもいなかった」
ユードラニナは本心から申し訳なさそうに謝った。
「まあ、そうだな。だが、迷惑をかけたことは違いなのだから、捜索に当たった竜たちにちゃんと謝って、酒でも奢っておくように」
それ以上の処罰はしないとアルトイーリスは二人に言い渡した。昨日の密約があるので、処罰はないことは分かっていたが、ザックがほっと安堵の息を漏らした。
「わかった。皆の都合のいいときに酒宴を開かせてもらう。秘蔵の酒も開けるとしよう」
「それは皆が喜ぶな」
アルトイーリスはユードラニナの言葉に微笑んだ。彼女の貯蔵する酒はちょっとした宝物庫として酒好きの竜たちには知られている。
「とりあえず、それぞれには謝って回ることにする」
「ああ、そうしてくれ」
心配というよりも顛末を知りたくてウズウズしている独身どころか既婚の竜たちを思い浮かべた。
「俺も一緒に謝るよ」
「ザックは何も悪くないんだ。お前が謝る必要はない」
ザックの申し出にユードラニナは速攻で却下した。
「何を言う。ペアを組んだんだから、一心同体だろ?」
「ば、ばかもの。そういう恥ずかしい台詞をこんなところで言うんじゃない」
顔を赤らめながらも嬉しそうに身体をモジモジさせていた。
「おっほん」
アルトイーリスは思わず咳払いをした。
「私がヨダレをたらさないうちに桃色空間をしまいこんでくれ」
「す、すまん。注意の途中だったな。つい……」
ユードラニナが慌てて彼女の方に身体を向けて謝った。
「いや、騎竜と竜騎士が仲睦まじいことは竜騎士団のみならず、ドラゴニアとしても非常に喜ばしいことだから、気にすることはない」
アルトイーリスは首を振って、注意した自分が間違っていたと発言を訂正した。
「さて、本来なら、ザックはすぐに基礎訓練に入ってもらうつもりだったが、竜騎士どころか、ドラゴニアにも不案内であるのは不便だろう。今後のことも考えて、皇都の簡単な地理と有名な観光地ぐらいは把握しておいて損はない。ザック・ユニペアには、特別任務として皇都のパトロールを命じる」
背筋を伸ばして、アルトイーリスはザックたちに特別任務を与えた。昨日帰ってから、一生懸命に偽装方法を考えていたのだろう、確かに筋は通っている。その出来の良さにドヤ顔をしていなければ、後ろに隠れた極秘任務に気づく者はいないだろう。
「ザック・ユニペア。皇都パトロール任務に就きます」
本当の思惑はどうあれ、一応は命令なのでザックとユードラニナは命令を復唱して敬礼した。
「では、よろしく頼んだぞ。本当に、ほんとに、マジで、よろしく頼んだからな!」
必死なアルトイーリスにザックは「最後まで体面保とうよ」と思ったが、口にはしなかった。
竜騎士団本部で各方面に謝罪して回って、冷やかされて、うらやましがられているうちに時間は過ぎて、二人がパトロールという名のいい男探しのために本部を出たのは、もう昼下がりになっていた。
「ユニ。言っておくが、俺はここに来て数日で知り合いは全くいない。というか、前に住んでいたところにも、それほど知り合いはいないし、いい男となると全くいない」
歩きながら隣のユードラニナに自分が当てにならないことを告げた。
「ザック。私も言っておこう。私はこれまで、人間、男女含めて、まともに会話したのはお前だけだ」
ユードラニナは自分も当てにならないことを告げた。ザックはアルトイーリスたちから聞いていたので驚きはしなかったが、一縷の望みが断たれたと軽く絶望感を味わった。
「それで、何か作戦はあるか?」
「私たちに知り合いがいないなら、誰かほかの人に紹介してもらうしかないだろう」
ザックはなるほどと感心した。しかし、いい人がいるのなら、すでに誰かに紹介している可能性も高い。望みは薄いが、他に方法はない。
「今、向かっているところが、その知り合いなんだな。誰なんだ?」
本部を出て、竜翼通りを迷わずに歩いていくユードラニナにザックは一応、聞いておくことにした。
「すぐに会いに行ける中で一番古い知り合いだ」
代替わり前から生きているユードラニナの知り合いなら、彼女と同じく代替わり前からの生き残り、古竜と呼ばれるドラゴンだろうと、ザックは想像した。
それだけのドラゴンならかなりの実力者だろう。そのドラゴンにいい男の心当たりはなくとも、知っていそうなドラゴンを紹介してもらうことはできるかもしれない。
ザックたちは竜翼通りをかなり登ってきて、魔物の魔力が可視化して、うっすらと靄がかかったようになってきた。
「このあたりは既婚者の住宅街で、正規の竜騎士の家もたくさんある」
家の様式は様々で、豪華なものもあれば、やけにかわいいものもある。家主の趣味が前面に出ているのだろう。中には、岩山の洞窟風というものもあった。
「ドラゴンは独居性が強い種族だから、他と合わせるよりも、自分の好きな風にするのが強い。特に家は城と同じだから、こだわりが強い」
ユードラニナはザックに周辺の家がバラバラなことの理由を説明した。
「この統一感のなさが逆に面白いと、建築に興味がある人間たちには人気の観光スポットになっているらしい」
解説をしつつも、彼女自身はあまり建築に興味ないらしく、あっさりとしたものだった。
観光ガイドのマニュアルでは、多様性ある建築物は、空の職人とも呼ばれる『竜工師』というワイバーンと人間の夫婦たちによって建てられていること。そして、竜工師たちはその多様な建築物の経験を基にドラゲイ帝国時代の建造物の修復や補強をしているということの説明をすることになっているのだが、ユードラニナは観光ガイドに無頓着なのか説明をすっ飛ばしていた。
「洞窟暮らしが長いみたいだしな」
ザックは、ユードラニナの建築物に興味なさそうな、ざっくりした説明をそれっぽい理由を勝手に推測して、勝手に納得していた。
「住宅街はこれで案内できたな。それでは、少し距離があるから飛ぶぞ」
ユードラニナはザックをいきなりお姫様抱っこすると羽ばたいて、あっという間に空に舞い上がった。
「ちょ! ドラゴンポートは? ハーネスは?」
いきなりで驚いたザックがユードラニナにしがみついた。
「ドラゴンポートは前時代の姿じゃなければ、推奨であって絶対じゃない。タンデムハーネスも距離のある時や落下の危険があるときの物だ。私がザックを落とすなんて、自殺するよりも難しいからな」
ザックはユードラニナの答えに自分の知識を修正した。しかし、それはそれとして、男がお姫様抱っこされるのは、かなり恥ずかしいと、顔を赤くした。
「ふふ。こうしてみると、かっこいいザックがかわいく見えるな」
赤面しているのに気づいたユードラニナが笑顔を見せた。ザックはますます顔を赤くした。
「勘弁してくれよ。俺にも一応は、男としてのプライドがあるんだから」
「ふふ。私にもドラゴンとしてのプライドがある。プライドというのは、なかなか厄介なものだな」
ザックはユードラニナの言葉に「まったくだな」と答え、笑った。
「さあ、着いたぞ」
飛行時間は数分ほどだろう。羽毛のように優しく着地すると、ザックを地面に降ろした。
「えーと……」
ザックは目の前にあるものを見上げた。そして、猛烈に悪い予感がした。
ザックの目の前には、赤みを帯びた黒い石が積み上げられた城壁の間に、ドラゴン、ワイバーン、ワーム、龍、リザードマン、サラマンダーなど竜族と呼ばれる魔物たちが人間と仲睦まじく愛し合う彫刻を大量に施した城門がそびえたっている。
門の周辺の地面は、赤と黒の大理石が格子模様に敷き詰められていて、スロープと階段を作っていた。
門の両脇には妖艶なリザードマンが二人、武器を持ちながら観光客を品定めしながら立哨をしている。
「ここが、ドラゴニア皇国の皇城、ドラゴニア城だ。言うまでもなく、一番の観光スポットだな」
ユードラニナの言葉にザックの推測が正しいことが明らかになった。
「なあ、ユニ」
さっさと門に向かおうとするユードラニナの手をつかんで止めた。
「なんだ、ザック?」
ユードラニナは手をつかまれて振り返り、首をかしげた。
「一応、聞いておこうと思うんだが、これからユニが合おうと思っている知り合いって……」
「この城の主、ドラゴニア皇国の王、魔王の娘、赤き竜王、デオノーラ陛下だ」
何をいまさらと言うようにユードラニナが答えた。
「……ユニ」
ザックはユードラニナの肩に両手を置いて俯いた。
「ん? ああ、心配するな。デオノーラは今でこそこの国の女王に就いているが、私とはそれ以前からの古い付き合いだ。今は一応、立場があるだろうから公式の場では女王陛下と呼んでいるが、プライベートでは、デオ、ユニと呼び合って酒を酌み交わしている仲だ。昔からデオの妄想も酒の肴によく聞いているぐらいだぞ」
ユードラニナが何かを察してザックに語った。しかし、彼女が察したことはザックが懸念していることと見当違いだった。ただ、彼女の語る内容は、それはそれで「ドラゴニア、大丈夫か?」という懸念も浮かんだが。
とりあえず、今はその懸念は一度、忘れることにして、ザックは自分の抱いた最初の懸念を話すことにした。
「ユニ、俺が聞いた話では、ドラゴニアの女王陛下は独身ということだが?」
「ああ、そうだが? 妄想話も男との出会いや、愛を深め合う過程、結婚式、結婚生活、子育てとかだぞ」
「それで俺が思うに、いい男を知っていれば、自分の夫にしないか? 独身なら」
「…………!」
ユードラニナは一拍ほど置いて、ザックの懸念を理解した。そして、それを全く思い至らなかった自分が恥ずかしくなって、思いっきり赤面した。
「まあ、対面する前でよかった」
ザックは心底そう思った。
女王デオノーラはユードラニナと同じく古竜仲間で、いまだ独り身。そこへ自分よりも縁が遠いと思われていただろうユードラニナがパートナーを見つけたのだ。祝う気持ちが大半だろうが、うらやましいと嫉妬する気持ちも少なからずあるだろう。
そして、そんな相手から「誰かいい男、知らない?」など聞かれたら、ややこしいことになること請け合いである。最低でも、いい男探しの達成人数が二人になる。
「とりあえず、聞く相手は既婚者に限定だな」
ザックは自分の考えをユードラニナに伝えた。
「ああ。それと現役の竜騎士団員も避けた方がいいだろう。一応、極秘任務だからな」
ユードラニナも落ち着いたおかげか、いつもの調子を取り戻し始めた。
「そうだな。それで、その条件に当てはまりそうな知り合いはいるか?」
ザックの問いかけにユードラニナは少し考えて、首を縦に振った。
「前の竜騎士団長で、大いなる翼と言われたシルヴィア夫妻だな。店をしているから知り合いも多いはずだ」
ユードラニナはそう言うと、再びザックをお姫様抱っこして、空へと舞いあがった。
前任の竜騎士団長、大いなる翼ことシルヴィアは、寿退団して、今は料理人の夫とともにドラゴニア料理の店『ラブライド』を経営している。
経営は順調で、チェーン店を何店舗も出すほどの盛況ぶりであった。今や、ラブライドのドラゴニア料理は観光の目玉の一つになっている。
その第一号店、竜騎士団本部と目と鼻の先にある『ラブライド本店』の前に二人は降り立った。
観光客が見守る中、ドラゴンにお姫様抱っこされた竜騎士が降り立つのは、非常に珍しく、注目を浴びた。ザックは情けないやら恥ずかしいやらで顔が真っ赤になっていた。
「竜騎士って、竜の背中に乗らないの?」
観光客の一人が素朴な疑問を観光案内をしているワイバーンに尋ねていた。
「ええと、彼は竜騎士の見習いで、候補生なんです。ほら。袖の金の輪が一本でしょ? 叙任された竜騎士は二本になるんです。それで、偉くなるほど本数が増えていきます」
ワイバーンがザックの上着の袖口にある金の輪を指さした。ザックはその説明を盗み聞きして、この輪の本数に意味があったのかと初めて知った。
「だから、彼は騎竜の背中にはまだ乗れないんです。騎竜が彼を一人前と認めたら、その背中を預けて、本当の竜騎士になるんですよ」
「へー、そうなんだ。見習いさん。頑張ってね」
観光客から励まされ、ザックは「ありがとうございます。頑張ります」と頭を下げた。恥ずかしかったが、ドラゴニアの竜騎士団に入団したからには、ドラゴニアの利益になるように立ち居ふるまうのがせめてもの矜持だと自分に言い聞かせた。
「あたしなら、お客様みたいな人なら、すぐにでも背中に乗っけちゃってもいいなーって思っちゃうんですけど」
観光案内役のワイバーンがもじもじしながら観光客ににじり寄っていった。にじり寄られた観光客はそれと同距離、後退っていたが。
ザックをその様子を横目で見ながら、人慣れしているワイバーンでがドラゴニアに観光に来ている相手ですら、なかなかハードルが高いのが現状かと、任務の困難さを改めて思い知った。
ラブライドは人気店だが、昼食の時間は終わっていたし、夕食にしては早すぎるので、テイクアウト専用の窓口は何人か並んでいたが、店内は空いていた。
「いらっしゃいませ」
ワイバーンのウェートレスがかわいい制服姿で二人を出迎えた。ユードラニナはザックの手を握って、「これは私のだ」とひそかに必死なアピールをしていた。ウェートレスの方はそれを見て、「残念」という表情を浮かべている。良くも悪くも魔界らしい光景であった。
とりあえず、ザックたちは開いている席に通された。
「ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください」
邪魔ものは早めに退散と、ウェートレスはメニューをテーブルに置いて、下がろうとした。
「すまないが、オーナーのシルヴィア夫妻はいらっしゃるか?」
ユードラニナに呼び止められ、ウェートレスはけげんな表情を浮かべた。
「もし、いらっしゃるなら、ユードラニナというドラゴンがお会いしたいとお伝え願えないか?」
「はい。わかりました」
ウェートレスは少し警戒の表情を浮かべた。
「それと、パムムを二つ。ミックスジュースのカップル用を一つ。よろしくね」
ザックがメニューを見て、さっと注文をした。
「はい。かしこまりました」
ウェートレスは注文と伝言を持って奥へと消えた。
「別に注文などしなくても」
「店に入って、注文しないのはマナーに反するよ。それに、ユニが目指しているパムムのソースの味も気になったしな」
ザックの注文にユードラニナは少し不服そうだったが、それ以上は何も言わなかった。
料理が運ばれてくるまでの間、どういった料理があるかをメニューを開いて、ユードラニナはザックに説明をした。
こういった知識も竜騎士には必要なものである。今日のように皇都デート――もとい、皇都パトロールの時に観光客に質問されることもあるので、知っておかないと答えられずに観光客をがっかりさせてしまうのである。
「チョコレーホーンというのは、そんなに人気なんだ」
「入荷したという情報が入れば、本店前に長蛇の列ができるぞ。希少性も人気の一つだが、女王陛下もお忍びで買いに来るほどの美味しさが人気の理由だな」
チョコレーホーンは、竜角糖という小さなタケノコのようなものをチョコレートでコーティングしたお菓子であった。
ただ、チョコレートにヌメリダケの成分を入れることで手に持つと滑ってしまうため、直接口でくわえて食べる。その時に、両端から二人で食べていくのが作法だと説明された。
「今度、入荷した時に食べさせてやろう。もちろん、作法通りにな」
ユードラニナの瞳がまぶしいほど輝いていた。ザックとしては、キスよりもすごいことをした相手なのに、こういうのがこれほどうれしいのだというのは新鮮な驚きで、愛おしく思えた。
「お待たせいたしました。パムム二つとミックスジュースカップル用です」
ウェートレスがテーブルにパムムとミックスジュースのコップを置いた。
ミックスジュースは結構大きめのグラスに入っていて、ストローが二本、絡み合って差してあった。ストローの形もハートマークになるように曲げてあり、なかなかに芸が細かい。ザックは「なるほど。カップル用だ」と納得した。
「えーと、それと、オーナーは、今は少し手が離せないので、申し訳ありませんが少し待っていてほしいとのことです」
ウェートレスが頭を下げた。
「いや、謝ることはない。こちらこそ、忙しいところすまないな。ゆっくり待たせてもらうと伝えてくれ」
ユードラニナの言葉に「わかりました」と踵を返そうとしたウェートレスをザックが呼び止めた。
「えーと、なにか他に御用ですか?」
ザックがウェートレスを呼び止めると、ユードラニナは絶望のどん底にいるような表情になって、涙をうっすら浮かべだした。
「ああ、些細なことなんだけど、テイクアウトでパムムの注文する人に、『つゆだく』と言っていた人がいたんだけど、何かなと気になってね。よかったら、教えてくれないかな? なあ、ユニ」
ザックは泣き出しそうなユードラニナの誤解を一刻も早く解かないとと早口でウェートレスに質問した。
「ああ。『つゆだく』ですね。ソースを多めにするというパムムの隠しオプションなんです。ソースが多いと味が濃くなるのですけど、そういうのが好きな人用オプションですね。あまり知られていないオプションなんですけど、昨日から急につゆだくが増えてるらしいです」
ウェートレスは理由は不明と小首をかしげた。ザックは礼を言って、ウェートレスを解放した。
「……ユニ。俺がお前から心変わりするなんてないから信じてほしい」
ウェートレスがいなくなってからも、テーブルの下でザックの服の裾をつまんで離さないユードラニナをなだめた。
「だって……ザックみたいないい男は、他の竜たちも好きになるかもしれないし……」
涙声で言うユードラニナの頭をザックは優しく撫でた。
「ユニは、そのいい男の俺を惚れさせた竜なんだから自信を持てよ」
ザックは自分で言っていて、恥ずかしくてしょうがないが、半ば本心でもあったので、堂々と臭いセリフをユードラニナにかけた。
「ザック」
顔を赤らめ見つめるユードラニナをザックが見つめ返す。
バカップルというのは、こうして世界中で二人の世界をビックバンしていくのであった。
とりあえず、二人の世界をビックランチして落ち着いたユードラニナとザックはパムムを食べることにした。
「ユニのパムムも美味かったが、さすがは本職といったところだな。このソース、ユニが真似できないというのも納得だ」
パムムをかじって、ザックは軽く驚いた。
「そうだろう? 今のソースも色々と試行錯誤して作ったが、これには及ばない」
ユードラニナは素直に負けを認めて称賛した。
「ユニは料理が好きなんだな」
「い、いや。そういうわけでは……ただ、今までやったことのない分野だし、その……いい人が出来たら、手料理を食べさせてやりたいし……」
ユードラニナは真っ赤になって顔を伏せた。
「ユニの手料理、楽しみにしてるよ。存分に腕を振るってくれ」
ザックは何かかわいくて、ユードラニナの頭を撫でた。
「ザックといると調子が狂う」
ユードラニナは軽くむくれてみせたが、まんざらでもない表情をしていた。
「だけど、ソースの味を盗むなら、つゆだくの方がよかったな」
「いや。味が濃くなりすぎると逆にバランスが悪くなる。そうなると逆に味が不確かになるぞ」
「そういうものか。しかし、しっかりした味なのに、食べていてもくどくないのもすごいな」
「まったくだ。長く生きている私でも、料理に関しては人間にはかなわないことが多いな」
「人間も大したもんだろ?」
「まるで、ザックの手柄のようだな」
「それをいうなよ、ユニ」
しゃべって渇いた喉を少し照れながらミックスジュースを飲んで潤して待っていた。
二人がパムムを食べ終わって、ミックスジュースを飲みほしてしばらくしたころ、奥から翼の大きなワイバーンの中でも、ひときわ大きな翼をした銀髪のワイバーンが現れた。
「ユニさん」
彼女は、微笑みを浮かべる顔は優しげであるが、どこか哀愁が漂い、男の保護欲を熾火のように刺激する。そんなタイプの美人のワイバーンであった。
「久しぶりだな、シルヴィア。元気そうで何より」
ユードラニナは立ち上がり、シルヴィアと握手を交わした。
「そちらが噂の?」
シルヴィアがザックの方に視線を動かして尋ねた。
「紹介する。私を騎竜に選んでくれた候補生のザックだ。こちらは、アルトイーリスの先代の竜騎士団長、大いなる翼、シルヴィアだ」
ユードラニナは二人をそれぞれ紹介した。
「ザックと言います。若輩者ですが、よろしくお願いします」
「シルヴィアです。よろしくお願いしますね」
握手をしてあいさつを交わすと、奥の接待室へと案内された。接待室にはシルヴィアの夫である、ラブライドのオーナーシェフであるアーサーもいた。
「それで、私たちに何か用事かしら? ペアを組んだあいさつ回りをしているようではないわね」
普段であれば夫の後ろに控えて出しゃばらないシルヴィアだが、ユードラニナのイレギュラーな来訪だったため、前に出て単刀直入に用件を訊いた。
「実は、色々とあって、ある竜にいい男を紹介せねばならなくなったのだ。だが、私は知っての通りだし、ザックもドラゴニアに来たばかり、故郷にもそれほどの男の知り合いはいないという。そこで、誰か心当たりはいないかを聞いて回ろうと思ってな」
ユードラニナが来訪の目的を告げると、シルヴィアの夫のアーサーが腕を組んでうなった。
「私もドラゴニアに来て長いからな。昔の知り合いとは縁が切れているか、魔物の夫になったものばかりだ。ラブライドに来ているシェフの見習いたちも、なんだかんだでアルバイト店員のワイバーンやドラゴンたちといい仲になっているものばかりだしな」
ザックとしてはアーサーの回答は予想通りだったが、それでも落胆した。
「一筋縄ではいかないですね」
先は長そうだとザックは軽くため息をついた。
「まあ、それに、いい男というのは魔物によって基準が変わるからな」
「そうですよね」
アーサーの言葉にザックは同意した。
人間の男性が大好きな魔物娘ではあるが、好みというものはある。極端なものだと、人間性に問題あるようなタイプが好きだったりと、人間では計り知れないストライクゾーンのバリエーションがある。
ザックたちもアルトイーリスから細かい好みを聞き出そうかと思いはしたが、それをすると選択の幅が狭まるのもまた困るのであえて聞かずにいたのだった。
「まったく、アリィにも困ったものね」
シルヴィアはほぅと悩ましいため息をついた。
「本当にな……って、アリィではないぞ!」
ユードラニナは同意してから、はっとして否定した。
「隠さなくていいわよ。あの子、普段は意外としっかりしているのに、そっち関係では斜め上に行っちゃうところあるから」
シルヴィアの言葉に、ユードラニナとザックはもう何も言えずにうなだれるしかなかった。雰囲気からすると、これと同じようなことを過去にもやったのだろう。
「いい男というのは、自分の翼で探しに行かなくちゃいけないの。出会いが転がってくるのを待っていたら、何千年もかかっちゃう。アリィはそのあたりがわかってないのね」
シルヴィアの容赦のない言葉にザックは少し、アルトイーリスに同情した。
「それに関しては、うちのシルティアちゃんも同じなんだけどね」
色っぽいため息をついて愁いを帯びた視線を下に落とした。
「シルティアはまだ子供だからな。その、男と付き合うのは、もう少ししてからでもいいと思うな」
アーサーがまあまあと宥めるように口をはさんだ。
「焦らせるようなことは言うつもりはありませんけど、あの子にも早く私のような幸せを感じてほしいんですよ。あなたはそうお思いません?」
「いや、確かに、シルティアには幸せになってほしいが、その、あの……なんでもないです」
アーサーはシルヴィアの無言の圧力に屈して撤退した。
「シルティアはシルヴィアとアーサーの娘だ。竜騎士団に入団しているが、まだ相手は見つかっていないらしい」
ユードラニナがザックにシルティアの情報を耳打ちした。
人慣れしているワイバーンといっても個体差は大きく、中にはドラゴンよりも気位の高いものもいた。シルティアはそちら側に近いワイバーンであった。
ザックは竜騎士団の男性団員獲得は慢性化した悩みというのを改めて実感した。もっとも、魔物の中でも上位に入る力を持つ竜族を恋人にしようというのは、よほど男として自信がないと難しいのも理解はしていたが。
「とりあえず、いい男のことは私に任せてくれない? アリィには、今夜、ラブライド本店に来るように言っておいてくれる? いい男を紹介できるとか言って」
にっこりと微笑むシルヴィアにザックは少し背筋が寒くなった。アーサーも同じらしく、男同士、目配せして、「女性は怒らせないようにしよう」と他山の石にした。
その日、アルトイーリスはウキウキ気分で定時に執務を終了した。そして、自宅に戻って身だしなみを万全に整えることにした。
「今回は軽い顔合わせみたいなものですから、思いっきり本気全開の盛装、特にウェディングドレスとか着て来ないようにしてくださいね。そんなのが来たら、男は空腹の狼の前のウサギよりも速く逃げますから」
ザックに忠告されて、アルトイーリスはしぶしぶ、いつもよりも少しいい私服をクローゼットから取り出した。
「どんなに早くてもウサギぐらいなら追いついて回りこめるのに」
少々見当違いの文句を言いつつも忠告に素直に従った。やはり、男からの意見は説得力があると感じていたからだった。
前が開いている膝上丈のライトブルーのフレアスカートで、ダークブルーのスケイルメイル風のビキニパンツを見せつけて、ノースリーブの襟付き白シャツを第二ボタンまで閉めて、下は開けて下乳をアピールした。露になったお腹には淫乱紋章を最後の点だけ残して書き込み、いつでも好きな時に襲ってというアピールも万全にした。
腕輪などアクセサリーをつけて、鏡の前で一周回ってみた。
「ちょっと地味かな? だが、派手にするのはよくないと言われたしな……確かに、ラブライドで食事となると、派手すぎると浮くからな」
迷いつつもアルトイーリスは、そろそろ約束の時間が迫ってきていると気づいて、剣をつかんでラブライドに急いだ。
ドラゴンの身体能力をフルに発揮すれば、アルトイーリスの家からラブライドまで数分もかからない。だが、それによって、色々と面倒ごとが起きる危険があるので、抑え気味で急いだ。夜遊びしていた観光客が竜騎士団長が起こしたソニックブームで吹っ飛ばされたなど、シャレにはならない。
ラブライドはディナー営業中で、大勢の客が食事を楽しんでいるのが表の通りまで伝わってきていた。アルトイーリスはちょっと自分に気合を入れて入店すると、勝手知ったるウェートレスがすぐに彼女を奥の個室に案内した。
「遅くなりました、アルトイーリスです」
個室の扉を開けると、微笑みをたたえたシルヴィアがいるのを見つけて、アルトイーリスは扉を閉めて回れ右をした。しかし、回れ右した行く手はユードラニナがふさいでいた。
「なんというか、すまない。アリィ。任務は失敗した」
ユードラニナは本当に申し訳なさそうに頭を下げた。
「もし、そう思っているなら、道をあけてほしいんだが」
アルトイーリスの顔が引きつったが、後ろの扉が開いて、大きな翼が手招きをしていた。
「あの翼から逃れるのは至難の業だ。ここで決着をつけるのが一番損害が少ないと具申する」
ユードラニナは手遅れだと首を振った。
「ああ! こんなことなら、月明かりでくだ巻いてる方が何百倍もマシだった!」
アルトイーリスは大いなる翼につつまれて、個室の中に消えた。
元竜騎士団団長、大いなる翼、シルヴィア。外では夫のアーサーを立てて、三歩下がって付き従う良妻賢母ぶりが知られている。しかし、ベッドではその夫を組み伏して、巧みな言葉責めで幾度となく昇天させて天国を見せるという。
アルトイーリスもその言葉責めを快感抜きで味わうことになるだろう。
それがわかったザックとユードラニナは、もし、何か出会いのチャンスがありそうだったら、優先的にアルトイーリスに知らせてあげようと考えた。でないと、ちょっとかわいそうすぎる。
「それにしても、これほどまでに貧乏くじを引き続けるって、一種の才能だな」
ラブライドからの帰り道、ザックがアルトイーリスの嫌な才能に変な関心をしていると、ユードラニナが微笑んだ。
「アリィは、今回だけじゃなく、これまでも貧乏くじを引き続けていたんだ。だが、それでもそれらを何とかしてきたんだ。努力と不屈さではドラゴニア一のドラゴンだ。だから、幸せになってほしいんだがな」
そう語るユードラニナの表情を見て、ザックは彼女の頭を撫でた。
「みんなにそう思われている竜が幸せになれないはずはないよ。きっといい人に出会えるよ」
「ああ、そうだな」
二人が見上げる夜空に笑顔のアルトイーリスが見えたような気がした。
「死んだみたいな演出するな! たとえ死んでも、ドラゴンゾンビになって、いい男捕まえてやるんだからー!」
アルトイーリスの春はまだ遠い。
18/08/15 08:26更新 / 南文堂
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