第八話「ドラゴニアの青い竜」
ドラゴニア城がある皇都の霊峰から西へとワイバーンの翼で一時間半ほど飛んだところに広がる峻険な山岳地帯は、ニナーナ山地と呼ばれ、人を寄せ付けない手付かずの自然が色濃く残る場所として、自然派の魔物夫婦には人気のアウトドアスポットとして知られている。
ニナーナ山地の奥深く、一本の入り組んだ深い渓谷があり、そこは「嘆きの渓谷」という名がつけられていた。
アルトイーリスは、その嘆きの渓谷の最も奥にある洞窟前の岩棚に着地した。
「夜にこれだけ長く飛ぶのは久しぶりだ。星空の中を飛ぶのもたまにはいいもんだな」
タンデムハーネスの金具を外しながら金髪オッドアイのドラゴンは、目的を忘れているかのように楽しそうな感想を漏らした。
一方、アルトイーリスに抱えられて一緒に飛んできたザックは、唇を真っ青にしてガタガタ震えていた。
通常、空を飛ぶ場合は防寒対策をしっかりするのが常識であった。正式な竜騎士になれば『赤竜の外套』という、保温性どころか、それ自体が熱を発するという便利なマントがドラゴニアの女王陛下より下賜されるのだが、候補生のザックがそれを持っているはずはなかった。
「ああ、すまん。急いでいたので防寒のことをすっかり忘れていた」
ザックの様子を見て、舌を出して頭をかいた。
「死ぬかと思った」
ザックはとにかく身体を動かして下がった体温を復活させようとしていた。
「そう簡単には死なんから安心しろ。この国は魔物の魔力が豊富だからな」
「それでも空の上は魔物の魔力が薄いと聞いたことがあるんだが?」
「……生きていたんだから、オールオッケー。細かいことを気にしていると逆レイプされるぞ」
ザックはこれからの訓練では自分で気をつけるようにしなければ、うっかり魔物基準で訓練を進められるということを魂に刻み込んだ。
「まあ、それだけ喋れるようになったなら大丈夫だな。ユニはその洞窟の中にいる」
竜灯花の明かりが灯る巨大な洞窟の入り口を指差した。
「ここはユニが竜騎士団に入団する前まで住んでいたところだ。ずっと一人でな」
ザックはここまで飛んでくる間、かなり手前から人の気配など微塵もしないことを思い出して静かに頷いた。
「じゃあ、しっかり説得して来い。私は皇都に戻っているからな」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! そこに居なかったらどうするんだ? こんなところに置き去りにされたら帰れないぞ」
飛び立とうとするアルトイーリスを慌てて止めた。
「だから、言っただろ? ユニはその洞窟の中に居る。私のドラゴンセンスがそう感知した。だから大丈夫だ」
当たり前のことを言わせるなと面倒そうに答えた。だが、彼の中ではアルトイーリスの評価がイマイチで、さっきのようなポカをしそうなところは信用できなかった。
「もし万が一、中にいなかったり、――こっちの方が可能性高いが、説得失敗して逃げられたら、洞窟の中で待っていろ。明日の晩になっても戻ってこなかったら探しにきてやる」
アルトイーリスは腰に手を当てて胸を張り、「完璧だろ?」と態度で言っているのが聞こえてきそうだった。
「忘れないのはもちろんだが、『帰ってこないのはイチャイチャに夢中になっているからだ』とか勝手に解釈をするなよ?」
ザックはそれでも不安があり、一応は釘を刺した。
「あ、当たり前だ。お前は私をなんだと思っているんだ?」
ムッとしたというよりも、痛いところを突かれたという表情にザックの不安は増大した。
「意外とやるらしいけど、結構うっかりさん」
「くっ! その評価、いつか覆してやるからな」
ザックの評価に歯軋りしながら宣戦布告のように指差した。というか、その台詞でその評価を現時点では認めていることになっていることに気付いていない彼女が評価を覆す日は遠そうだった。
「さて、今度こそ、本当に行くぞ。もう私に用事はないな?」
アルトイーリスが軽く身体を動かしてストレッチすると翼を広げた。
「あと一つだけ」
「まだあるのか?」
ザックの言葉にアルトイーリスはうんざりした顔をした。
「ありがとう。俺のために色々してくれて。死ぬ気で頑張ってくるから、ユニのことは任せてくれ」
真顔でお礼を言って、頭を深々と下げた。それに意表を突かれたのか、ときめきに顔を赤くした。そして、それを見せないようにすぐに横を向いた。
「あ、当たり前だ。わ、私は、竜騎士団の騎士団長だぞ? 団員の幸せを女王陛下と同じぐらい深く望んでいるのだ。恋の橋渡しができるのなら本望だ。礼など言う暇があるなら、想い竜に愛をささやけ。バカモノが」
「わかった」
ザックは強がりを言う金髪の竜に笑みを浮かべた。
「帰りは気をつけてな。ぼーっとして方向間違えたりしないようにな」
「馬鹿にしすぎだぞ。このあたりは私の庭のようなものだ。そこで迷子になどなるか。そろそろ、私は行くぞ。二人揃って皇都に戻ってこいよ」
軽く吼えるように言うと、再び青みを帯びた翼を広げた。地面を蹴って宙に浮き上がると、力強い羽ばたきを一つして、重力の鎖を断ち切って空の住人となった。
ザックはそれを見送り、回れ右して洞窟の入り口を見つめた。
「ここまでお膳立てをされて失敗したんじゃ、合わせる顔がないな」
一つ気合を入れると、洞窟の中に踏み込んだ。
洞窟はちょっとした家が中に建てられるほどの高さと幅があった。自然の洞窟を利用しているが、人間が歩きやすいように通路がつけられていたり、足元を照らすように魔灯花が等間隔に置かれていた。
新魔王時代、つまり人型になったドラゴンであったとしても、彼女たちにはこんなものは不要だろう。例えるなら、健康な若者が家の階段にスロープをつけるようなものである。
「人里離れた場所で人が来るのをどこか期待しているってことか」
ザックはユードラニナの心そのものだと思った。
街の一区画を通り抜けるぐらいの距離を歩いて、三階建ての建物ほどある崖の下に行き着いた。崖の上は天井が明るくなっているので、おそらく、崖の上にユードラニナがいるだろうとザックは確信に近いものを感じた。
通路をそのまま進むと、崖を上るための階段がわざわざ設置してあり、しかも、手すりまでついていることに、ザックは笑みを漏らした。
ユードラニナの心配りの手すりを持ちながら一段、また一段、階段を上った。
階段を上がりながら、ユードラニナにどう声をかけるか考えたが、どうにも考えがまとまらなかった。そうこうしているうちに、残りの段数が少なくなって、最後の踊り場にたどり着いてしまった。
「でたとこ勝負」
踊り場で少し足を止め、あれこれ考えるよりも、自分自身をそのまま、ユードラニナにぶつけることにした。
「よく考えたら、そんなこと、今までしたことないな」
ザックは裕福ではない生活をしていたが、貧窮するほどではなかった。それはわずかな失敗もしないように慎重にしていたからだった。
稼ぎが薄くてもより安全な方を選択する。彼のような低所得者は一度の失敗で這いあがれない崖の下に容易に転落してしまう。
選択に自分の意志はなく、自分の想いを表に出すことは封印してきた。
ザックは、ユードラニナと初めて出会った歓迎晩餐会、あのテラスで見た彼女の後姿を思い出した。思い起こすと、あの後姿に魅了されたのだった。
「一目……いや、二目惚れだな」
それ以降の選択は、それまでのザックとかけ離れたものばかりだった。だけど、それが面白くて、柄にもなく、自分の人生にわくわくしていたことに気付いた。
「やっと、俺も人間になれたってことかな?」
ザックは自分に苦笑を浮かべ、そのきっかけをくれた竜に感謝と想いを告げようと、改めて覚悟を決めた。
階段を上がりきり、崖の上を見ると、ちょっとしたコンサートホールぐらいの大きさがあった。壁際には巨大な水晶柱が花のように咲き乱れ、水晶の花の根元に置かれた竜灯花の光を受けて光り輝きホール全体を照らしていた。
天井は夜空が見えているかのように色とりどりの輝きが散らばっていた。もし、ザックの目が恐ろしく良かったなら、それらが魔宝石を岩に埋め込んだものと気付いて驚いただろうが、そこまで目は良くなかった。
だが、例え目が良くても、天井に宝石の星々があることすら気がつかなかっただろう。
ホールの奥には紺碧の鱗に覆われた巨大な竜が静かに横たわっていた。
水晶の光を受けて青く輝く鱗は宝石のようでもあり、どんな鋭い槍であっても傷つけることは出来ないだろうと思わせる硬さを感じさせた。
逞しい凶悪な尾の先が小さく動いた。それだけの動きであっても、人がその近くにいたなら軽く吹き飛ばされているだろう。
大きな口から外にはみ出した鋭い牙はどんな鎧でも噛み砕き、その口から吐き出される炎は鉄の城さえバターのように溶かしてしまうだろう。
正真正銘の暴力の化身。恐怖の象徴。人間たちの魂に記憶された暴君。ドラゴンの姿がそこにあった。
青い巨竜の頭の上に生えた黒い角は右側だけ根元から折れていた。そして、その下のカーバンクルのような赤い瞳が悲しみに満たされ、ザックの方に向けられた。
「ユニ!」
ザックはしばらく見とれていたが、ここに何をしにきたかを思い出して竜の名を呼んだ。
「ザック。来るな。私は見てのとおり、ドラゴンだ。恐ろしいだろう? 怖いだろう? だから、もう、私に近寄るな。騎竜は……他の娘を選べ」
鋭い牙の生えた口を動かしてはいなかったが、ホールが振動して、その空間全てからユードラニナの声が聞こえた。
「ユニがドラゴンなのは最初から知っている。魔物に精通しているわけじゃないが、ドラゴンを見誤るほど魔物オンチじゃないぞ」
ザックはユニの方に近づいていった。
「ち、近づくな! それ以上、こっちに来るな!」
巨竜が怯えるようにひ弱な人間に向かって吼えた。
「嫌だ。だいたい、他の娘を選べって、竜騎士団には竜しかいないぞ? ユニがドラゴンだから拒否したら、どの娘も選べないぞ」
「では、竜騎士をやめればいい。だから、私は反対したのだ」
泣きそうな声で叫んだ。それをザックは苦笑いで受け止めた。
「俺はユニがドラゴンだろうとなんだろうと、ユニを選ぶ。なんでかわからないが、俺はお前がいい」
「言うな! それ以上、近づくんじゃない。私は……」
ユードラニナは一瞬言いよどんだ。しかし、すぐに決心して、言いよどんだ言葉を放流した。
「私は人を殺した竜なのだぞ!」
ザックはユードラニナの告白に初めて足を止めた。
「魔物が人を殺すなんて無理だろう? そんなに俺のことが――」
「違う!」
ザックの言葉を最後まで言わせないようにユードラニナが涙を滲ませて叫んだ。
「お前――ザックのことは好きだ。愛している。こんな気持ちは初めてだ。だから、近づかないでくれ。頼む!」
ユードラニナは首を下げて、頭を地上に落とした。
「意味がわからないのだが? 話を聞かせてくれるか?」
ザックは歩みを止めて、とりあえず、ユードラニナの話を聞くことにした。
「ここが嘆きの渓谷と呼ばれているのは知っているか?」
ユードラニナは少し迷ったが、呟くように話し始めた。
「ああ、来るときに騎士団長から教えてもらった」
「その名の由来は?」
「聞いてない」
ザックが首を振ると、ユードラニナは少し遠いところを見るようにザックから視線を外した。
「……その昔、まだ、この国がドラゲイ帝国と呼ばれていた頃、この渓谷に力の強い、右の角だけが大きな巨大なドラゴンが住んでいた。ドラゲイの皇帝は自らの力を示すために、そのドラゴンを屈服させようとして、この渓谷に大軍を送り込んだ。だが、ドラゴンの力は強く、兵たちは渓谷の川の水を赤く染める以外のことはできなかった。何度目かの侵攻で、皇帝はついにこの渓谷に住むドラゴンの討伐を断念した」
ユードラニナの語る話にザックは、はるか遠い地の昔の人間のしたこととはいえ、その愚行を同じ人間として恥じた。
「それ以来、この渓谷に送り込まれた兵たちの怨嗟の声がいまだに渓谷を吹き抜ける風に乗り聞こえてくるという逸話が生まれた。それがこの渓谷、嘆きの渓谷の由来だ」
ユードラニナはそこまで話してから少し沈黙したが、意を決するように話を続けた。
「嘆きの渓谷のドラゴンは、魔王が代替わりしたとき、多くの人の命を奪った右の角を折り、殺した兵たちの冥福を祈り、この地で静かに朽ちることを誓った。そのドラゴンこそが、この私。ユードラニナなんだ」
言い終わって、「これでもうわかっただろう」とばかりに重たく沈黙した。
「なるほど」
ザックは腕組みして頷いた。その頷きにユードラニナは胸が締め付けられて、奥歯をかみ締めた。
「つまりは、自分が旧魔王時代からの生き残りの年増だから、若い俺とのコンビに気後れしているというわけだな」
「ちガーウゥッッ!」
ザックの解釈にドラゴンの咆哮が洞窟どころか、山さえも震わせた。もし、ザックが竜の気当たりを無効化するスキルがなかったなら、気絶してしばらく目を覚まさなかっただろう。
「デオノーラ陛下は私よりも年上だし、他にも年上は何人かいるし! あっ、あと、ラシアだって私とほぼ同い年だ! 年増なんかじゃない!」
ザックが咆哮で鼓膜が破けたのじゃないかと顔をしかめている間、ユードラニナは自分よりも年上も沢山いると熱弁を奮っていた。
「年の差なんて些細な問題だ。魔物夫婦ではよくあることだろ?」
耳がまだ大丈夫なのを確認してザックは平然と年の差婚を肯定した。
「そうだが……いや、そうじゃない。問題はそこじゃない。問題は私が――」
言いかけたユードラニナにいつの間にか彼女のすぐそばまで近づいていたザックがドラゴンの口に人差し指を押し当てた。
「はるか昔に討伐に来た兵士たちを殺した。だろ?」
「そうだ。殺された兵士たちは家族もあったはずだ。愛する人もいただろう。そんな彼らを殺した私が騎竜になって幸せになることなどできない」
ユードラニナは諦めと悲しみに染まった声で覚悟を口にした。
「じゃあ、どうして竜騎士団に入ったんだ?」
ザックは当然の疑問を問いかけた。
「そ、それは女王陛下が、どうしてもとお願いに来たから仕方なくだな……しがらみというか、恩義があるからな」
口の中でもごもごと竜騎士団にいる理由を歯切れ悪く言った。
「じゃあ、どうして家に魔界葡萄畑を作っているんだ?」
ドラゴニアでは、魔界葡萄畑を育てて、おいしい魔界ワインをつくるのは、いい花嫁のステータスであった。
「夫婦でワイナリーを開きたかったんだろ?」
結婚して二人して一緒にワイナリーを経営するのは、家の庭に白いブランコを置くぐらい竜たちにとってあこがれの結婚生活の夢でもあった。
そのため、独身の竜たちは自分の作ったワインに自分の名を入れて出荷し、おいしいワインが造れる竜が恋人募集中だとアピールしていた。それらはドラゴニアワインと呼ばれ、美味ではあるが、どれもが人生的にフルボディで、飲むのに覚悟のいるワインになっていた。
「ドラゴニアワインの意味は、その……教えてもらった」
ザックはここに来る途中、アルトイーリスからワインの意味を教えてもらった。そして、迎賓館で「ユニの作ったワインが飲みたい」と言ったことを思い出し、極寒の上空で顔を熱くしたのだった。
「ワイン造りは、しゅ、趣味だ。私は自分の作ったワインは出荷していないぞ!」
出荷はしていないが、竜騎士団の若い竜たちが持ち出して、飲み代のツケ払いの代わりに渡していたので流通はしていた。そして、それをユードラニナは黙認していた。
ちなみに、ユードラニナのワインは一部のワイン通の間では出荷本数の少ない幻のワインとして人気があった。
「じゃあ、どうして、ドランスパンを上手く焼こうと練習している?」
ドラゴニアではドランスパンを上手く焼くのもいい花嫁の条件といわれていた。そのことは今日、竜騎士団の敷地内を捜索している時、寮の賄をしてくれているキキーモラに教えてもらっていた。
「りょ、料理が好きなんだ。それに第零特殊部隊の訓練内容には花嫁修業も入っているからだ! 任務だ。仕事だ」
なんとか言い訳できたとユードラニナはほっとした。
「本当は?」
「もし、私が赦される日が来たときにいつでも嫁げるように――だぁ! ち、ちがうんだ。そんな事は思ってない!」
安心したところを絶妙のタイミングで訊かれて本音が零れた。それにわたわたしているドラゴンをザックは微笑ましく見ていた。
「赦されてるよ、ユードラニナは」
ザックが軽くユードラニナに告げたが、その言葉に急に彼女の瞳が憤怒に燃えた。
「軽々しく言うな! お前に何がわかる!」
「ユニも、何がわかっているんだ?」
ザックの返しにユードラニナは頭に血を上らせた。
「私は――」
「確かに、殺された奴らにすれば、殺した奴が幸せになるのは腹が立つだろうな」
ザックの言葉が胸に突き刺さり、頭に上った血は胸の傷で血圧を下げた。
「だが、腹立てることができるんなら、そいつらも負けずに幸せになろうとするさ」
「殺されたんだぞ? 死んでいるんだぞ? 幸せになれるわけないだろう」
ユードラニナは力なくザックの楽観的な言葉を否定した。
「何も思わず、何もできないならユニを恨むこともできないよ。そうできるなら、自分が幸せになる方法を考えてるよ。もし、それでも恨んでいるなら、復讐に来ているはずだ。ユニは住処も変えずにいたようだが、誰か来たか?」
ユードラニナは沈黙した。
「主神教の教えだと、魔物に殺された人間は天国に行けるらしい。教団の教えを守った人間も天国に行けるらしい」
「それがどうした?」
「ユニが殺した人間の家族も愛する人も、とっくの昔に天国で再会してる。知ってるか? 人間の寿命は短いんだぞ」
「だが!」
ザックは鼻の頭に手を置いて彼女の反論を封じた。そして、優しく哀愁を帯びた微笑を浮かべた。その表情にユードラニナは何も言えなくなった。
「わかってる。どんなに言葉を重ねても、どんな上手い言い訳を並べても、ユニの後悔は消えないことぐらい」
「ザック……」
竜の赤い瞳に涙が揺れた。
「だけど、あえて言う。俺が赦す。ユニの罪を赦す。殺された奴らや、その家族や子孫じゃないのは不満かもしれないけどな」
「ザック……」
竜の姿が揺らいで、青い鱗を纏った藍色の髪をしたドラゴンへと姿を変えた。
「そいつらが化けて出てきたら、俺も一緒に謝ってやるから。今はそれで納得してくれないか?」
ザックはユードラニナを抱きしめた。突然のことに「あっ」と小さく声を上げただけで、そのまま抱きすくめられた。
「一人の謝罪より二人の方が二倍の謝罪になる。俺にもユニの罪を半分持たせてくれ。俺の半身になってくれるか?」
腕の中でユードラニナが小さく頷いた。そして、潤んだ瞳でザックを見上げた。
二人の唇が重なった。千の愛の言葉を重ねても、一度のキスには届かない。お互いの想いを唇を通して、言葉以外のもので伝え合った。
――第一章 了
ニナーナ山地の奥深く、一本の入り組んだ深い渓谷があり、そこは「嘆きの渓谷」という名がつけられていた。
アルトイーリスは、その嘆きの渓谷の最も奥にある洞窟前の岩棚に着地した。
「夜にこれだけ長く飛ぶのは久しぶりだ。星空の中を飛ぶのもたまにはいいもんだな」
タンデムハーネスの金具を外しながら金髪オッドアイのドラゴンは、目的を忘れているかのように楽しそうな感想を漏らした。
一方、アルトイーリスに抱えられて一緒に飛んできたザックは、唇を真っ青にしてガタガタ震えていた。
通常、空を飛ぶ場合は防寒対策をしっかりするのが常識であった。正式な竜騎士になれば『赤竜の外套』という、保温性どころか、それ自体が熱を発するという便利なマントがドラゴニアの女王陛下より下賜されるのだが、候補生のザックがそれを持っているはずはなかった。
「ああ、すまん。急いでいたので防寒のことをすっかり忘れていた」
ザックの様子を見て、舌を出して頭をかいた。
「死ぬかと思った」
ザックはとにかく身体を動かして下がった体温を復活させようとしていた。
「そう簡単には死なんから安心しろ。この国は魔物の魔力が豊富だからな」
「それでも空の上は魔物の魔力が薄いと聞いたことがあるんだが?」
「……生きていたんだから、オールオッケー。細かいことを気にしていると逆レイプされるぞ」
ザックはこれからの訓練では自分で気をつけるようにしなければ、うっかり魔物基準で訓練を進められるということを魂に刻み込んだ。
「まあ、それだけ喋れるようになったなら大丈夫だな。ユニはその洞窟の中にいる」
竜灯花の明かりが灯る巨大な洞窟の入り口を指差した。
「ここはユニが竜騎士団に入団する前まで住んでいたところだ。ずっと一人でな」
ザックはここまで飛んでくる間、かなり手前から人の気配など微塵もしないことを思い出して静かに頷いた。
「じゃあ、しっかり説得して来い。私は皇都に戻っているからな」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! そこに居なかったらどうするんだ? こんなところに置き去りにされたら帰れないぞ」
飛び立とうとするアルトイーリスを慌てて止めた。
「だから、言っただろ? ユニはその洞窟の中に居る。私のドラゴンセンスがそう感知した。だから大丈夫だ」
当たり前のことを言わせるなと面倒そうに答えた。だが、彼の中ではアルトイーリスの評価がイマイチで、さっきのようなポカをしそうなところは信用できなかった。
「もし万が一、中にいなかったり、――こっちの方が可能性高いが、説得失敗して逃げられたら、洞窟の中で待っていろ。明日の晩になっても戻ってこなかったら探しにきてやる」
アルトイーリスは腰に手を当てて胸を張り、「完璧だろ?」と態度で言っているのが聞こえてきそうだった。
「忘れないのはもちろんだが、『帰ってこないのはイチャイチャに夢中になっているからだ』とか勝手に解釈をするなよ?」
ザックはそれでも不安があり、一応は釘を刺した。
「あ、当たり前だ。お前は私をなんだと思っているんだ?」
ムッとしたというよりも、痛いところを突かれたという表情にザックの不安は増大した。
「意外とやるらしいけど、結構うっかりさん」
「くっ! その評価、いつか覆してやるからな」
ザックの評価に歯軋りしながら宣戦布告のように指差した。というか、その台詞でその評価を現時点では認めていることになっていることに気付いていない彼女が評価を覆す日は遠そうだった。
「さて、今度こそ、本当に行くぞ。もう私に用事はないな?」
アルトイーリスが軽く身体を動かしてストレッチすると翼を広げた。
「あと一つだけ」
「まだあるのか?」
ザックの言葉にアルトイーリスはうんざりした顔をした。
「ありがとう。俺のために色々してくれて。死ぬ気で頑張ってくるから、ユニのことは任せてくれ」
真顔でお礼を言って、頭を深々と下げた。それに意表を突かれたのか、ときめきに顔を赤くした。そして、それを見せないようにすぐに横を向いた。
「あ、当たり前だ。わ、私は、竜騎士団の騎士団長だぞ? 団員の幸せを女王陛下と同じぐらい深く望んでいるのだ。恋の橋渡しができるのなら本望だ。礼など言う暇があるなら、想い竜に愛をささやけ。バカモノが」
「わかった」
ザックは強がりを言う金髪の竜に笑みを浮かべた。
「帰りは気をつけてな。ぼーっとして方向間違えたりしないようにな」
「馬鹿にしすぎだぞ。このあたりは私の庭のようなものだ。そこで迷子になどなるか。そろそろ、私は行くぞ。二人揃って皇都に戻ってこいよ」
軽く吼えるように言うと、再び青みを帯びた翼を広げた。地面を蹴って宙に浮き上がると、力強い羽ばたきを一つして、重力の鎖を断ち切って空の住人となった。
ザックはそれを見送り、回れ右して洞窟の入り口を見つめた。
「ここまでお膳立てをされて失敗したんじゃ、合わせる顔がないな」
一つ気合を入れると、洞窟の中に踏み込んだ。
洞窟はちょっとした家が中に建てられるほどの高さと幅があった。自然の洞窟を利用しているが、人間が歩きやすいように通路がつけられていたり、足元を照らすように魔灯花が等間隔に置かれていた。
新魔王時代、つまり人型になったドラゴンであったとしても、彼女たちにはこんなものは不要だろう。例えるなら、健康な若者が家の階段にスロープをつけるようなものである。
「人里離れた場所で人が来るのをどこか期待しているってことか」
ザックはユードラニナの心そのものだと思った。
街の一区画を通り抜けるぐらいの距離を歩いて、三階建ての建物ほどある崖の下に行き着いた。崖の上は天井が明るくなっているので、おそらく、崖の上にユードラニナがいるだろうとザックは確信に近いものを感じた。
通路をそのまま進むと、崖を上るための階段がわざわざ設置してあり、しかも、手すりまでついていることに、ザックは笑みを漏らした。
ユードラニナの心配りの手すりを持ちながら一段、また一段、階段を上った。
階段を上がりながら、ユードラニナにどう声をかけるか考えたが、どうにも考えがまとまらなかった。そうこうしているうちに、残りの段数が少なくなって、最後の踊り場にたどり着いてしまった。
「でたとこ勝負」
踊り場で少し足を止め、あれこれ考えるよりも、自分自身をそのまま、ユードラニナにぶつけることにした。
「よく考えたら、そんなこと、今までしたことないな」
ザックは裕福ではない生活をしていたが、貧窮するほどではなかった。それはわずかな失敗もしないように慎重にしていたからだった。
稼ぎが薄くてもより安全な方を選択する。彼のような低所得者は一度の失敗で這いあがれない崖の下に容易に転落してしまう。
選択に自分の意志はなく、自分の想いを表に出すことは封印してきた。
ザックは、ユードラニナと初めて出会った歓迎晩餐会、あのテラスで見た彼女の後姿を思い出した。思い起こすと、あの後姿に魅了されたのだった。
「一目……いや、二目惚れだな」
それ以降の選択は、それまでのザックとかけ離れたものばかりだった。だけど、それが面白くて、柄にもなく、自分の人生にわくわくしていたことに気付いた。
「やっと、俺も人間になれたってことかな?」
ザックは自分に苦笑を浮かべ、そのきっかけをくれた竜に感謝と想いを告げようと、改めて覚悟を決めた。
階段を上がりきり、崖の上を見ると、ちょっとしたコンサートホールぐらいの大きさがあった。壁際には巨大な水晶柱が花のように咲き乱れ、水晶の花の根元に置かれた竜灯花の光を受けて光り輝きホール全体を照らしていた。
天井は夜空が見えているかのように色とりどりの輝きが散らばっていた。もし、ザックの目が恐ろしく良かったなら、それらが魔宝石を岩に埋め込んだものと気付いて驚いただろうが、そこまで目は良くなかった。
だが、例え目が良くても、天井に宝石の星々があることすら気がつかなかっただろう。
ホールの奥には紺碧の鱗に覆われた巨大な竜が静かに横たわっていた。
水晶の光を受けて青く輝く鱗は宝石のようでもあり、どんな鋭い槍であっても傷つけることは出来ないだろうと思わせる硬さを感じさせた。
逞しい凶悪な尾の先が小さく動いた。それだけの動きであっても、人がその近くにいたなら軽く吹き飛ばされているだろう。
大きな口から外にはみ出した鋭い牙はどんな鎧でも噛み砕き、その口から吐き出される炎は鉄の城さえバターのように溶かしてしまうだろう。
正真正銘の暴力の化身。恐怖の象徴。人間たちの魂に記憶された暴君。ドラゴンの姿がそこにあった。
青い巨竜の頭の上に生えた黒い角は右側だけ根元から折れていた。そして、その下のカーバンクルのような赤い瞳が悲しみに満たされ、ザックの方に向けられた。
「ユニ!」
ザックはしばらく見とれていたが、ここに何をしにきたかを思い出して竜の名を呼んだ。
「ザック。来るな。私は見てのとおり、ドラゴンだ。恐ろしいだろう? 怖いだろう? だから、もう、私に近寄るな。騎竜は……他の娘を選べ」
鋭い牙の生えた口を動かしてはいなかったが、ホールが振動して、その空間全てからユードラニナの声が聞こえた。
「ユニがドラゴンなのは最初から知っている。魔物に精通しているわけじゃないが、ドラゴンを見誤るほど魔物オンチじゃないぞ」
ザックはユニの方に近づいていった。
「ち、近づくな! それ以上、こっちに来るな!」
巨竜が怯えるようにひ弱な人間に向かって吼えた。
「嫌だ。だいたい、他の娘を選べって、竜騎士団には竜しかいないぞ? ユニがドラゴンだから拒否したら、どの娘も選べないぞ」
「では、竜騎士をやめればいい。だから、私は反対したのだ」
泣きそうな声で叫んだ。それをザックは苦笑いで受け止めた。
「俺はユニがドラゴンだろうとなんだろうと、ユニを選ぶ。なんでかわからないが、俺はお前がいい」
「言うな! それ以上、近づくんじゃない。私は……」
ユードラニナは一瞬言いよどんだ。しかし、すぐに決心して、言いよどんだ言葉を放流した。
「私は人を殺した竜なのだぞ!」
ザックはユードラニナの告白に初めて足を止めた。
「魔物が人を殺すなんて無理だろう? そんなに俺のことが――」
「違う!」
ザックの言葉を最後まで言わせないようにユードラニナが涙を滲ませて叫んだ。
「お前――ザックのことは好きだ。愛している。こんな気持ちは初めてだ。だから、近づかないでくれ。頼む!」
ユードラニナは首を下げて、頭を地上に落とした。
「意味がわからないのだが? 話を聞かせてくれるか?」
ザックは歩みを止めて、とりあえず、ユードラニナの話を聞くことにした。
「ここが嘆きの渓谷と呼ばれているのは知っているか?」
ユードラニナは少し迷ったが、呟くように話し始めた。
「ああ、来るときに騎士団長から教えてもらった」
「その名の由来は?」
「聞いてない」
ザックが首を振ると、ユードラニナは少し遠いところを見るようにザックから視線を外した。
「……その昔、まだ、この国がドラゲイ帝国と呼ばれていた頃、この渓谷に力の強い、右の角だけが大きな巨大なドラゴンが住んでいた。ドラゲイの皇帝は自らの力を示すために、そのドラゴンを屈服させようとして、この渓谷に大軍を送り込んだ。だが、ドラゴンの力は強く、兵たちは渓谷の川の水を赤く染める以外のことはできなかった。何度目かの侵攻で、皇帝はついにこの渓谷に住むドラゴンの討伐を断念した」
ユードラニナの語る話にザックは、はるか遠い地の昔の人間のしたこととはいえ、その愚行を同じ人間として恥じた。
「それ以来、この渓谷に送り込まれた兵たちの怨嗟の声がいまだに渓谷を吹き抜ける風に乗り聞こえてくるという逸話が生まれた。それがこの渓谷、嘆きの渓谷の由来だ」
ユードラニナはそこまで話してから少し沈黙したが、意を決するように話を続けた。
「嘆きの渓谷のドラゴンは、魔王が代替わりしたとき、多くの人の命を奪った右の角を折り、殺した兵たちの冥福を祈り、この地で静かに朽ちることを誓った。そのドラゴンこそが、この私。ユードラニナなんだ」
言い終わって、「これでもうわかっただろう」とばかりに重たく沈黙した。
「なるほど」
ザックは腕組みして頷いた。その頷きにユードラニナは胸が締め付けられて、奥歯をかみ締めた。
「つまりは、自分が旧魔王時代からの生き残りの年増だから、若い俺とのコンビに気後れしているというわけだな」
「ちガーウゥッッ!」
ザックの解釈にドラゴンの咆哮が洞窟どころか、山さえも震わせた。もし、ザックが竜の気当たりを無効化するスキルがなかったなら、気絶してしばらく目を覚まさなかっただろう。
「デオノーラ陛下は私よりも年上だし、他にも年上は何人かいるし! あっ、あと、ラシアだって私とほぼ同い年だ! 年増なんかじゃない!」
ザックが咆哮で鼓膜が破けたのじゃないかと顔をしかめている間、ユードラニナは自分よりも年上も沢山いると熱弁を奮っていた。
「年の差なんて些細な問題だ。魔物夫婦ではよくあることだろ?」
耳がまだ大丈夫なのを確認してザックは平然と年の差婚を肯定した。
「そうだが……いや、そうじゃない。問題はそこじゃない。問題は私が――」
言いかけたユードラニナにいつの間にか彼女のすぐそばまで近づいていたザックがドラゴンの口に人差し指を押し当てた。
「はるか昔に討伐に来た兵士たちを殺した。だろ?」
「そうだ。殺された兵士たちは家族もあったはずだ。愛する人もいただろう。そんな彼らを殺した私が騎竜になって幸せになることなどできない」
ユードラニナは諦めと悲しみに染まった声で覚悟を口にした。
「じゃあ、どうして竜騎士団に入ったんだ?」
ザックは当然の疑問を問いかけた。
「そ、それは女王陛下が、どうしてもとお願いに来たから仕方なくだな……しがらみというか、恩義があるからな」
口の中でもごもごと竜騎士団にいる理由を歯切れ悪く言った。
「じゃあ、どうして家に魔界葡萄畑を作っているんだ?」
ドラゴニアでは、魔界葡萄畑を育てて、おいしい魔界ワインをつくるのは、いい花嫁のステータスであった。
「夫婦でワイナリーを開きたかったんだろ?」
結婚して二人して一緒にワイナリーを経営するのは、家の庭に白いブランコを置くぐらい竜たちにとってあこがれの結婚生活の夢でもあった。
そのため、独身の竜たちは自分の作ったワインに自分の名を入れて出荷し、おいしいワインが造れる竜が恋人募集中だとアピールしていた。それらはドラゴニアワインと呼ばれ、美味ではあるが、どれもが人生的にフルボディで、飲むのに覚悟のいるワインになっていた。
「ドラゴニアワインの意味は、その……教えてもらった」
ザックはここに来る途中、アルトイーリスからワインの意味を教えてもらった。そして、迎賓館で「ユニの作ったワインが飲みたい」と言ったことを思い出し、極寒の上空で顔を熱くしたのだった。
「ワイン造りは、しゅ、趣味だ。私は自分の作ったワインは出荷していないぞ!」
出荷はしていないが、竜騎士団の若い竜たちが持ち出して、飲み代のツケ払いの代わりに渡していたので流通はしていた。そして、それをユードラニナは黙認していた。
ちなみに、ユードラニナのワインは一部のワイン通の間では出荷本数の少ない幻のワインとして人気があった。
「じゃあ、どうして、ドランスパンを上手く焼こうと練習している?」
ドラゴニアではドランスパンを上手く焼くのもいい花嫁の条件といわれていた。そのことは今日、竜騎士団の敷地内を捜索している時、寮の賄をしてくれているキキーモラに教えてもらっていた。
「りょ、料理が好きなんだ。それに第零特殊部隊の訓練内容には花嫁修業も入っているからだ! 任務だ。仕事だ」
なんとか言い訳できたとユードラニナはほっとした。
「本当は?」
「もし、私が赦される日が来たときにいつでも嫁げるように――だぁ! ち、ちがうんだ。そんな事は思ってない!」
安心したところを絶妙のタイミングで訊かれて本音が零れた。それにわたわたしているドラゴンをザックは微笑ましく見ていた。
「赦されてるよ、ユードラニナは」
ザックが軽くユードラニナに告げたが、その言葉に急に彼女の瞳が憤怒に燃えた。
「軽々しく言うな! お前に何がわかる!」
「ユニも、何がわかっているんだ?」
ザックの返しにユードラニナは頭に血を上らせた。
「私は――」
「確かに、殺された奴らにすれば、殺した奴が幸せになるのは腹が立つだろうな」
ザックの言葉が胸に突き刺さり、頭に上った血は胸の傷で血圧を下げた。
「だが、腹立てることができるんなら、そいつらも負けずに幸せになろうとするさ」
「殺されたんだぞ? 死んでいるんだぞ? 幸せになれるわけないだろう」
ユードラニナは力なくザックの楽観的な言葉を否定した。
「何も思わず、何もできないならユニを恨むこともできないよ。そうできるなら、自分が幸せになる方法を考えてるよ。もし、それでも恨んでいるなら、復讐に来ているはずだ。ユニは住処も変えずにいたようだが、誰か来たか?」
ユードラニナは沈黙した。
「主神教の教えだと、魔物に殺された人間は天国に行けるらしい。教団の教えを守った人間も天国に行けるらしい」
「それがどうした?」
「ユニが殺した人間の家族も愛する人も、とっくの昔に天国で再会してる。知ってるか? 人間の寿命は短いんだぞ」
「だが!」
ザックは鼻の頭に手を置いて彼女の反論を封じた。そして、優しく哀愁を帯びた微笑を浮かべた。その表情にユードラニナは何も言えなくなった。
「わかってる。どんなに言葉を重ねても、どんな上手い言い訳を並べても、ユニの後悔は消えないことぐらい」
「ザック……」
竜の赤い瞳に涙が揺れた。
「だけど、あえて言う。俺が赦す。ユニの罪を赦す。殺された奴らや、その家族や子孫じゃないのは不満かもしれないけどな」
「ザック……」
竜の姿が揺らいで、青い鱗を纏った藍色の髪をしたドラゴンへと姿を変えた。
「そいつらが化けて出てきたら、俺も一緒に謝ってやるから。今はそれで納得してくれないか?」
ザックはユードラニナを抱きしめた。突然のことに「あっ」と小さく声を上げただけで、そのまま抱きすくめられた。
「一人の謝罪より二人の方が二倍の謝罪になる。俺にもユニの罪を半分持たせてくれ。俺の半身になってくれるか?」
腕の中でユードラニナが小さく頷いた。そして、潤んだ瞳でザックを見上げた。
二人の唇が重なった。千の愛の言葉を重ねても、一度のキスには届かない。お互いの想いを唇を通して、言葉以外のもので伝え合った。
――第一章 了
17/03/02 19:17更新 / 南文堂
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