第三話「故郷はドラゴニア 〜〜ドラゴニアぷち観光案内〜〜」
竜皇国ドラゴニアと聞けば、外界と隔絶した陸の孤島、霊峰そびえる僻地と想像する人間が大多数だろう。その想像は確かに間違いではない。だが、今の時代は親魔物国家の主要都市間で転送ゲートを設けていることがほとんどであった。それを使えば、陸路で一ヶ月以上かかる旅も、ゲートの乗り継ぎを含めて一日ほどでドラゴニアに到着することができた。
「本当は、ドラゴニアとの国境付近の都市までは転送ゲートを使って、最後は飛行船でドラゴニア入りするのが観光客に人気の入国ルートなのだ。竜騎士団でも、その飛行船護衛の任務で一緒に飛んだりもするから尚更な」
ザックはあっけなくたどり着いてしまったドラゴニアに、少し拍子抜けしていたので、その説明には納得した。
確かに、旅をした気分があまりないのは、遠路はるばるやってきた観光客とすれば旅の達成感を得れず、なんだかありがたみが薄れてしまう。せっかく旅してきたのに、それはもったいない。
とはいえ、転送ゲートのターミナル駅を出て目に映る街並みは、ザックが住んでいた街とは大きく違って異国情緒に満ち溢れていた。
「ここが、ドラゴニア……」
まず目に入ったのは、峻険な山へと一直線に続いている恐ろしく幅広い通りであった。そして、通りは山の中腹付近あたりからは魔力の雲に覆われて所々見えなくなっていた。頂上ともなると完全に覆い隠されて、山の頂きは全く見えなかった。
「目の前のこの幅広い道がメインストリートの竜翼通りだ。この竜翼通りは、番いの儀凱旋パレードを行ったり、有事の際には、ここを滑走路にして出撃する。メインストリートだけに飲食店やお土産物、色々な店が立ち並んでもいるので、観光客も多いスポットだ」
ユードラニナが目の前の幅広い通りの説明をした。竜騎士団に所属する独身の竜たちは観光ガイドとしても登録しているものも多く、彼女もガイドはしていないが、一応、その講習を受けているということだった。
「そして、この道が続く先、魔力の雲に隠れて見えないが、山の頂にあるのがドラゴニア城。我らが敬愛する女王陛下の居城だ。城に着くまでの雲に覆われた周辺からは竜たちが多く住む住居区域になっている」
通りが伸びた先にある高くそびえた山を黒曜石のような輝きをした爪で指差した。
ターミナル駅のある麓付近は人間の世界と変わらない青空と緑の広がる明緑魔界だが、あの雲の中は暗黒魔界になっているのは想像するまでもなかった。おそらく、頂上ともなると、かなりの魔力濃度になっているだろう。
「居住区のあたりは濃厚な魔物の魔力で覆われているので、一人で迷い込んだら貞操の保障はできない。非常に危険な地帯だ。よく憶えておけ」
ザックはその説明に生唾を飲み込んだ。ここは親魔物国家ではなく、魔物国家であることを再認識した。
「とはいえ、麓のあたりは普通の親魔物国家とさほど変わらない魔力の濃度だから心配する必要はない」
続く言葉に少しほっとした。確かに、竜翼通りを歩いている魔物や人間たちが観光やデートを楽しんでいる姿は親魔物国家でよく見かける光景だった。
「だが、竜翼通りから一歩、裏通りに入れば、その限りではない。竜の寝床横丁をはじめとするアンダーグラウンドの場所が点在する。危険極まりないから慣れないうちは一人で出歩くのは危険だということも忘れるな」
「安心させるのか、脅すのかはっきりして欲しいな」
心配と安心が二転三転する説明にザックは苦笑を漏らした。
「私が言いたいのは! お店も多くて、にぎやかな場所だから油断しがちだが、すぐそばに危険もあるということだ。それに、ここはショッピングをする観光客には一番の観光スポットでもある。人が多いからはぐれないようにしろ!」
ユードラニナはザックの手を握り、少し不器用に手を引いた。大きな彼女の手に包まれるように握られた手が少し熱く感じ、ザックは「竜の体温は高めなのかな?」と、どうでもいいことを考えながら、手を引かれるままに彼女について行った。
通りではザックたちと同じように照れながらも男性の手を引いている竜たちが多数いた。おそらく、彼女らが竜騎士団に所属している観光ガイドなのだろう。騎士団長であるアルトイーリスの姿を認めると、彼女に向かって小さく敬礼していた。
「本当に騎士団長なんだな」
ザックがすごく失礼なことを考えていると、一向は竜翼通りに面した質素な建物に入った。
建物は、通りに並ぶ他のお洒落なものとは違い、質実剛健で丈夫さが最優先、漆喰で外壁を白くしているのがせめてもの化粧という無骨な外観をしていた。さらに、他と違って屋根がなかった。正確に言えば、陸屋根と呼ばれる、屋上がほぼ平らで、排水のためのゆるい水勾配があるだけの屋根であった。
建物の中は薄暗くひんやりとしていて、ベンチが置いてあり、少し休憩できるようになっていた。観光客向けの無料休憩所で、休憩以外にも我慢できなくなった魔物がちょっと隠れていいことをするために建てられたものだった。だが、その使用率が高いのは夜で、昼は大抵閑散としているらしい。
ユードラニナは休憩所の隅に置かれているチェストを開けて、中から帯と金具が複雑に絡み合ったものを取り出した。ザックはその道具の少し怪しい気配に後退りしそうになったが、あっさりとユードラニナに手を掴まれた。
「さあ、行くぞ」
手を引かれて、屋上へと上がる階段を上った。
屋上には、大きくドラゴンの頭文字を丸で囲んだマークが書かれていたのが最初に目に付いた。
外周には腰壁が立ち上がっていた。だが、足首よりも少し高い程度の高さで、人などの落下防止には役立ちそうにもない。屋上の雨水を壁面に垂れ流さないための腰壁であった。
「ここは休憩所としての役割以外に、竜の離着陸地点として指定されている一つだ。足元に書かれているマークは、その意味を表している」
ユードラニナが屋上に書かれた大きなマークを指差した。
「ドラゴンポートという。ドラゴンポートは、ここのように竜騎士団が管理している場所以外にも民間施設にも多数ある。旧魔王時代の姿での離着陸は、ドラゴンポート以外は基本禁止されている。今の姿であっても、できるだけドラゴンポートを使うように通達されているのだ」
説明をしながら、ユードラニナは例の謎の道具を身体に装着していた。
「あの道具はタンデムハーネスといって、竜が飛んで人を運ぶときに使うものだ」
不安がっているザックにアルトイーリスが道具の用途を教えた。
「え? 背中に乗せて飛ぶものなんじゃ?」
ザックは話に聞いたのと違って軽く驚いた。
「竜騎士や番いの場合はな。竜が背に乗せるのは主と認めたもののみだ」
「自分の騎竜にそれを認めさせるのが、竜騎士候補生の唯一無二の竜騎士昇進試験というわけよ」
同行していた他の竜たちに説明されて、ザックは初めて知って感心した。
よく考えてみれば、竜騎士について何も知らないまま志願したことを今更ながら実感して、我ながら考えなしだと自嘲した。
「まあ、そんなわけで、主人と認めていない人を運ぶときは抱えて飛ぶことになるんだけど……。ドラゴンは翼を羽ばたいても腕は使えるから人を抱えて飛ぶことができるんだけど」
ワイバーンが腕と一体化した翼を広げた。大きな翼でドラゴンよりも飛行能力がある反面、飛行中は腕を使えない。
「抱えるとなると、脚でカニばさみしなくちゃいけないの。それって、なんだかアレでしょ?」
絵面を想像すると、かなり間抜けだし、ワイバーンに攫われた人間にしか見えないだろうと納得した。
「そういうワイバーンたちの不満の元に開発されたのが、このタンデムハーネス。これであれば、両手が羽ばたいていても人間と広範囲で密着できるという優れものだ。温かい体温を感じれる。匂いも嗅ぎ放題。これを世界三大発明に入れていいと思う」
ワイバーンが力説した。
「でも、ユニはドラゴンなのに? なんでタンデムハーネスをつけるんだ?」
説明と異なるところに気付いてザックがごく自然な疑問を口にした。
「ああ、それね。実はね……。ドラゴンは飛んでても両手が使えるけど、人間を抱きかかえていると照れちゃって、パニックを起こす子が多くてね。空中で手を離してしまうことがよくあったの」
ワイバーンの説明にザックは顔を引きつらせながら血の気が引く思いがした。
「あ、心配しないでね。そのドラゴンさんは、ちゃんと落とした人を地面に落ちる前に助けあげてるから。大丈夫」
青ざめた顔のザックにワイバーンが手を左右に振って重大事故にならなかったし、そんな事には絶対にならないと主張した。
「全然、大丈夫じゃないでしょう、それ」
顔を引きつらせながら、「そういう問題じゃない」とツっこんだ。
「でも、そのスリルが病みつきになるって、わざと落として欲しいとお願いされているんですよ。助けあげるのは失敗しない自信はあるけど、万が一を考えてそんなことしないけど」
「当然です」
少しは節度があるとわかりザックはほっとした。
「ちゃんと落ちても大丈夫なように衝撃吸収の魔方陣を展開したところでしか落としてないんだよ」
朗らかに言うワイバーンにザックは軽くめまいがした。
「ドラゴンフリーホールというアトラクションで、今、ドラゴニアでホットスポットになっているんですよ」
「魔方陣ギリギリで助けると、その人と恋が実るって、みんなギリギリ攻めるんだよねー」
「そうそう。それで時々、キャッチ失敗して魔法陣に突入させちゃったりして」
「それはそれで、レアな体験だって大喜びする人もいるんだよね。すごいよね」
魔物以上に人間は化け物かもしれない。ザックはいまだに魔物に征服されていない人類のしぶとさの一端を理解した気がした。
そんな話をしていると、タンデムハーネスの装着を終えたユードラニナがやってきた。
「言っておくが、さっきの話に出てきたドラゴンは私じゃないぞ。そもそも、私は人を運ぶのは今回が初めてだからな」
ユードラニナが胸を張って落下させた犯人じゃないと言ったが、ザックの不安はますます募るだけだった。そして、確かに、それならハーネスは必要不可欠だとも思った。
「ザック。お前にもハーネスをつけるんだから、こっちへ来ないとどうしようもないぞ」
ユードラニナはザックを引っ張り寄せて、ハーネスをザックの身体に装着していった。
ただ、その装着する向きは、ちょうど向かい合わせに抱きつくような格好であった。その格好にザックは困惑した表情を浮かべた。
「逆。じゃないよな?」
ユードラニナの豊かな胸が目の前にあり、さすがのザックも赤面した。
「本来は同じ方向を向いてつけるのだが、ザックは高いところに慣れていないだろう? だから、下を見ないで済むようにしたのだ。これは教則本に書かれている通りにだからな」
「それはご配慮、感謝します」
ザックは確かに空を飛んだことはないし、空飛ぶ乗り物にも乗ったことはない。高いところは仕事で行くこともあるが、足がすくむほどではないにしても人並みには恐いと感じる。そうなると、この向きは理にかなっていると思えた。
「では、行くとするか」
アルトイーリスが真面目な顔をすると、隊員たちの顔つきが引き締まった。ザックも目の前にオッパイという間抜けな視界だが空気を読んで気を引き締めた。
「竜騎士団第零特殊部隊、これより騎士団本部へ帰投する。順次離陸後、上空にて旋回待機。全騎集合の後、Lフォーメーションの編隊飛行を行う」
命令が下されると打ち合わせもなく、すでに決まっていたのだろう順番に従い次々と離陸していった。そして、最後、ユードラニナとザックを残すのみとなった。
「万が一の安全確保のため、腕で私の腰に抱きついておくように! いいか? 空は危険があるのだから、必ず私の指示に従うように!」
ザックは言うとおりユードラニナの腰に手を回して抱きついた。その途端、ユードラニナは少し身体を硬直するようなそぶりを見せたが、深呼吸を数回して、緊張を解いた。
「初めて人を運ぶので緊張しているんだろうな」
ザックはそう思いつつ、こういう時に「リラックス」など声をかけるのは逆効果と思った。
「準備オッケーだ。よろしく頼む、ユニ」
ザックはユードラニナを全面的に信用しているということを声に含むよう、準備が整ったことを告げた。
「わかった。では、テイクオフ!」
ユードラニナは掛け声と共に地面を軽く蹴った。それだけなのに、人を抱えているとは思えないほど高々と飛び上がり、翼を広げて空の住人となった。
足元に地面のないという心もとなさと、駈け足の馬に乗っているときに似たうねりのある揺さぶりがあり、ザックは自然と腰に抱きついている手に力が入った。それに反応するかのようにユードラニナは身体を一瞬痙攣させたが、失速するなどはせずに順調に高度を上げて行った。
上空で旋回待機していた先に離陸していたワイバーンたちが、ニヤニヤしながらも編隊のフォーメーションを作りはじめた。初の飛行で余裕の無かったザックは気がつかなかっただろうが、地上から空を見上げた観光客は軽く歓声を上げていた。イーリス隊が作る、ハートマークの編隊飛行に。
足が地面につかない状態に慣れてきたザックは、少し余裕ができて、肩越しに下をちらりと覗き見た。
ドラゴンビューから見たドラゴニアは、ドラゴニア城のある山頂をおそらく中心に竜翼通りのような幅広い通りが麓に向かい放射状に伸びていた。そして、その通り同士をあみだくじのように大きな道路が繋いでいる。
通りと道路に囲まれた区画の中には、はっきりとは見えないが、幅の狭い道が迷路にようにめぐらされているようだった。
そういった奥まった裏通りのあたりは、魔物の魔力が靄のように立ち込めている箇所がいくつもあったのが見えた。おそらく、先ほど説明された危険痴帯というのがそういった所なのであろうとザックは自分の目で見て納得した。
しかし、眼下に広がるドラゴニアの街並みは、地上で見るよりもザックの目に美しく感じた。ドラゴンの鱗のような瓦屋根。あちこちにある陸屋根のドラゴンポート。屋敷らしき庭に広がる魔界葡萄畑。そこここから離陸するワイバーン。着陸しようとするドラゴン。何もかもが新鮮で、つい一昨日までは下町の地べたを這いずり回っていたことが嘘のように感じられた。
自然豊かな山の麓に広がる美しくも活気ある街並みにザックは見とれ、高さのことなど忘れてしまっていた。
「どうだ? ザック」
羽ばたきの騒音に負けない大きな声でユードラニナがザックに訊いた。
「気持ちいいな」
ザックの返答を聞いて、少し飛行が乱れた。しかし、ザックはなぜだか不安は感じなかった。
「空を飛ぶというのは、こんなに気持ちのいいものなんだな。竜騎士を改めて本気で目指したくなった」
「あ……ああ、そうだな。空を飛ぶのは爽快だな」
ザックが更に続けた言葉に、少しばかり残念そうな声でユードラニナは答えた。
「やっぱり、ユニは俺が竜騎士になるのが反対なんだろうか?」
ザックはそう思ったが、空の上で口論するのは、このすばらしい景色を前にもったいなく感じ、口にはしなかった。
「我が祖国、ドラゴニアはどうだ?」
もう一度、ユードラニナがザックに改めて訊いた。ザックは先ほどの質問の意味を勘違いしていたとわかり、少し照れながらも本音で返事した。
「活気のあるいい街だな。これからこの街で働くのは楽しそうだ。来てよかった」
「そうか。よかった」
ザックの答えに安堵するかのように呟いた声は小さくはあったが、彼の耳にはっきりと聞こえていた。
「さあ、そろそろ竜騎士団本部だ。着陸するから足を上げろ」
見るとすでにユードラニナたちは山の中腹辺りに向かって降下を始めていた。降下する先は、竜翼通りというメインストリートと渓谷を挟んだ小高い丘の上に建っている、大きな前庭がある宮殿のような建物であった。
ザックは翼に当たらないように気をつけながら足を上げた。
風を切り、降下をはじめると地面がスピードを上げて近づいてくるように感じ、ザックは思わず目をそらして、無意識にユードラニナにしがみついた。冷たい風とは裏腹に少し熱いぐらいの彼女の身体がザックに安心感を与えてくれた。
「ランディング!」
ユードラニナの声と共に急ブレーキをかけられたように身体が背中の方へと引っ張られる感じがして、ザックはしっかりと彼女の身体に抱きついた。
着地寸前で翼を広げて羽ばたき、エアブレーキをかけたのである。それによって、地面に着地するときは羽毛のように柔らかく、水の上に立つかのような繊細さで地面に降り立った。
「もう、足を下ろしても大丈夫だ」
ユードラニナに言われてザックは足を下ろした。踵に地面の感触を感じ、数分だけの空の旅が終了したのを実感した。
「怖くはなかったか?」
「ああ、意外と。もっと恐いかと思っていたが。なんでも経験しなくてはわからんもんだな」
ザックは自分の性格上、絶対に高所恐怖症と思っていたが、意外とそうでないとわかり、自分の知らない一面を知って少しばかりテンションが上がっていた。
ユードラニナはハーネスの金具を外してザックを自由にすると、自分もすぐにハーネスを外した。
「さて、改めて――ようこそ、ザック君。竜皇国ドラゴニア竜騎士団へ」
アルトイーリスたちがザックの前に整列して、右手を胸の前で握った。
「は、はい。何も知らない若輩者ですが、よろしくお願いします」
ザックはその格好を見よう見真似した。左手はいつの間にかユードラニナがその手を握っていた。ザックは少し困惑したが、そういう形式なのだろうと疑問を口にはしなかった。
「よし。これで入団式は終了だ」
アルトイーリスたちが右手を下ろして、相互を崩すように微笑んだ。だが、ザックはそのあっさりとした入団式に面食らった。もっと盛大なセレモニーでもあるのかと思っていたので、拍子抜けもいいところだった。
「竜騎士団は随時団員募集中なのでな。入団式というのは、今みたいな挨拶だけなんだ。まあ、正式な竜騎士となる叙任式はちゃんとした格式ある式典だから、そっちを楽しみにしておいてくれ」
アルトイーリスがいつものこととばかりに説明した。
「じゃあ、今日はもう疲れたでしょう? 寮でゆっくり休んでください。明日、竜騎士候補生のガイダンスをします」
副官のノエルが入団の書類――といっても、ザックが申込書にサインをしただけの簡単なものだが、それらが整っているので特に問題はないと、入団式をしている間に取りに行っていた寮の鍵をユードラニナに投げ渡した。
「ユニ。案内してあげて」
「わ、私でなく、他のものに――」
ユードラニナは鍵を受け取ったが眉をしかめて固辞しようとした。
「案内、して、あげて」
ノエルの笑顔が笑顔らしからぬ効果音で迫ってきた。
「……わかった」
ノエルの迫力に圧されてユードラニナはそのままザックの手を引いて、騎士団本部の裏にある騎士団員独身寮へと向かった。
イーリス隊の面々はそれを見送り、姿が見えなくなるとため息をついた。
「まったく。ずっと手を離さないくせに断らないでよね」
「まあ、ユニの場合、手を繋いでいたのに自分が気づいていない気がしないでもないけど」
愚痴を言うノエルにワイバーンの一人がクスクスと笑いながら宥めた。
「その可能性ありだよねー。素直じゃないって面倒くさいね」
「しょうがないじゃない。ドラゴンの宿命なのよ」
イーリス隊の面々はきゃっきゃと話に花を咲かせた。
「ほら、アリィ! 黄昏てないで陛下への報告書をまとめますよ」
ノエルは去っていった二人の残像を指をくわえそうな勢いで見つめていたアルトイーリスをせっついた。
「わかっている。だが、嬉しい反面、少し寂しいのだ。もう少し、黄昏させてくれ」
「うん。わかるわぁ、その気持ち」
他のイーリス隊の隊員たちは浮かれた空気を落ち込ましてアルトイーリスに同意した。全員、空元気で明るくしていただけだった。
「はいはい。それは仕事が終わった後に開く、臨時女竜会でしてください。バー月明かりに予約を入れておきましたから」
「いつもながら手回しがいいな、ノエル」
「私だって飲みたいんですよ」
ノエルがふっと遠い目をした。
「そうだな。では、さっさと仕事を片付けよう。それで、今夜は徹夜で飲むぞ!」
「おーっ!」
イーリス隊の面々は同僚の幸せを祝いつつ、自身の不幸を仕事にぶつけ、血涙を持って報告書を完成させた。そして、いつものバーで、いつものカクテル――カシドラで乾杯して、恋の勇気を補充して、次の幸運を自身が掴むため作戦会議という名の妄想を炸裂させるのであった。
「本当は、ドラゴニアとの国境付近の都市までは転送ゲートを使って、最後は飛行船でドラゴニア入りするのが観光客に人気の入国ルートなのだ。竜騎士団でも、その飛行船護衛の任務で一緒に飛んだりもするから尚更な」
ザックはあっけなくたどり着いてしまったドラゴニアに、少し拍子抜けしていたので、その説明には納得した。
確かに、旅をした気分があまりないのは、遠路はるばるやってきた観光客とすれば旅の達成感を得れず、なんだかありがたみが薄れてしまう。せっかく旅してきたのに、それはもったいない。
とはいえ、転送ゲートのターミナル駅を出て目に映る街並みは、ザックが住んでいた街とは大きく違って異国情緒に満ち溢れていた。
「ここが、ドラゴニア……」
まず目に入ったのは、峻険な山へと一直線に続いている恐ろしく幅広い通りであった。そして、通りは山の中腹付近あたりからは魔力の雲に覆われて所々見えなくなっていた。頂上ともなると完全に覆い隠されて、山の頂きは全く見えなかった。
「目の前のこの幅広い道がメインストリートの竜翼通りだ。この竜翼通りは、番いの儀凱旋パレードを行ったり、有事の際には、ここを滑走路にして出撃する。メインストリートだけに飲食店やお土産物、色々な店が立ち並んでもいるので、観光客も多いスポットだ」
ユードラニナが目の前の幅広い通りの説明をした。竜騎士団に所属する独身の竜たちは観光ガイドとしても登録しているものも多く、彼女もガイドはしていないが、一応、その講習を受けているということだった。
「そして、この道が続く先、魔力の雲に隠れて見えないが、山の頂にあるのがドラゴニア城。我らが敬愛する女王陛下の居城だ。城に着くまでの雲に覆われた周辺からは竜たちが多く住む住居区域になっている」
通りが伸びた先にある高くそびえた山を黒曜石のような輝きをした爪で指差した。
ターミナル駅のある麓付近は人間の世界と変わらない青空と緑の広がる明緑魔界だが、あの雲の中は暗黒魔界になっているのは想像するまでもなかった。おそらく、頂上ともなると、かなりの魔力濃度になっているだろう。
「居住区のあたりは濃厚な魔物の魔力で覆われているので、一人で迷い込んだら貞操の保障はできない。非常に危険な地帯だ。よく憶えておけ」
ザックはその説明に生唾を飲み込んだ。ここは親魔物国家ではなく、魔物国家であることを再認識した。
「とはいえ、麓のあたりは普通の親魔物国家とさほど変わらない魔力の濃度だから心配する必要はない」
続く言葉に少しほっとした。確かに、竜翼通りを歩いている魔物や人間たちが観光やデートを楽しんでいる姿は親魔物国家でよく見かける光景だった。
「だが、竜翼通りから一歩、裏通りに入れば、その限りではない。竜の寝床横丁をはじめとするアンダーグラウンドの場所が点在する。危険極まりないから慣れないうちは一人で出歩くのは危険だということも忘れるな」
「安心させるのか、脅すのかはっきりして欲しいな」
心配と安心が二転三転する説明にザックは苦笑を漏らした。
「私が言いたいのは! お店も多くて、にぎやかな場所だから油断しがちだが、すぐそばに危険もあるということだ。それに、ここはショッピングをする観光客には一番の観光スポットでもある。人が多いからはぐれないようにしろ!」
ユードラニナはザックの手を握り、少し不器用に手を引いた。大きな彼女の手に包まれるように握られた手が少し熱く感じ、ザックは「竜の体温は高めなのかな?」と、どうでもいいことを考えながら、手を引かれるままに彼女について行った。
通りではザックたちと同じように照れながらも男性の手を引いている竜たちが多数いた。おそらく、彼女らが竜騎士団に所属している観光ガイドなのだろう。騎士団長であるアルトイーリスの姿を認めると、彼女に向かって小さく敬礼していた。
「本当に騎士団長なんだな」
ザックがすごく失礼なことを考えていると、一向は竜翼通りに面した質素な建物に入った。
建物は、通りに並ぶ他のお洒落なものとは違い、質実剛健で丈夫さが最優先、漆喰で外壁を白くしているのがせめてもの化粧という無骨な外観をしていた。さらに、他と違って屋根がなかった。正確に言えば、陸屋根と呼ばれる、屋上がほぼ平らで、排水のためのゆるい水勾配があるだけの屋根であった。
建物の中は薄暗くひんやりとしていて、ベンチが置いてあり、少し休憩できるようになっていた。観光客向けの無料休憩所で、休憩以外にも我慢できなくなった魔物がちょっと隠れていいことをするために建てられたものだった。だが、その使用率が高いのは夜で、昼は大抵閑散としているらしい。
ユードラニナは休憩所の隅に置かれているチェストを開けて、中から帯と金具が複雑に絡み合ったものを取り出した。ザックはその道具の少し怪しい気配に後退りしそうになったが、あっさりとユードラニナに手を掴まれた。
「さあ、行くぞ」
手を引かれて、屋上へと上がる階段を上った。
屋上には、大きくドラゴンの頭文字を丸で囲んだマークが書かれていたのが最初に目に付いた。
外周には腰壁が立ち上がっていた。だが、足首よりも少し高い程度の高さで、人などの落下防止には役立ちそうにもない。屋上の雨水を壁面に垂れ流さないための腰壁であった。
「ここは休憩所としての役割以外に、竜の離着陸地点として指定されている一つだ。足元に書かれているマークは、その意味を表している」
ユードラニナが屋上に書かれた大きなマークを指差した。
「ドラゴンポートという。ドラゴンポートは、ここのように竜騎士団が管理している場所以外にも民間施設にも多数ある。旧魔王時代の姿での離着陸は、ドラゴンポート以外は基本禁止されている。今の姿であっても、できるだけドラゴンポートを使うように通達されているのだ」
説明をしながら、ユードラニナは例の謎の道具を身体に装着していた。
「あの道具はタンデムハーネスといって、竜が飛んで人を運ぶときに使うものだ」
不安がっているザックにアルトイーリスが道具の用途を教えた。
「え? 背中に乗せて飛ぶものなんじゃ?」
ザックは話に聞いたのと違って軽く驚いた。
「竜騎士や番いの場合はな。竜が背に乗せるのは主と認めたもののみだ」
「自分の騎竜にそれを認めさせるのが、竜騎士候補生の唯一無二の竜騎士昇進試験というわけよ」
同行していた他の竜たちに説明されて、ザックは初めて知って感心した。
よく考えてみれば、竜騎士について何も知らないまま志願したことを今更ながら実感して、我ながら考えなしだと自嘲した。
「まあ、そんなわけで、主人と認めていない人を運ぶときは抱えて飛ぶことになるんだけど……。ドラゴンは翼を羽ばたいても腕は使えるから人を抱えて飛ぶことができるんだけど」
ワイバーンが腕と一体化した翼を広げた。大きな翼でドラゴンよりも飛行能力がある反面、飛行中は腕を使えない。
「抱えるとなると、脚でカニばさみしなくちゃいけないの。それって、なんだかアレでしょ?」
絵面を想像すると、かなり間抜けだし、ワイバーンに攫われた人間にしか見えないだろうと納得した。
「そういうワイバーンたちの不満の元に開発されたのが、このタンデムハーネス。これであれば、両手が羽ばたいていても人間と広範囲で密着できるという優れものだ。温かい体温を感じれる。匂いも嗅ぎ放題。これを世界三大発明に入れていいと思う」
ワイバーンが力説した。
「でも、ユニはドラゴンなのに? なんでタンデムハーネスをつけるんだ?」
説明と異なるところに気付いてザックがごく自然な疑問を口にした。
「ああ、それね。実はね……。ドラゴンは飛んでても両手が使えるけど、人間を抱きかかえていると照れちゃって、パニックを起こす子が多くてね。空中で手を離してしまうことがよくあったの」
ワイバーンの説明にザックは顔を引きつらせながら血の気が引く思いがした。
「あ、心配しないでね。そのドラゴンさんは、ちゃんと落とした人を地面に落ちる前に助けあげてるから。大丈夫」
青ざめた顔のザックにワイバーンが手を左右に振って重大事故にならなかったし、そんな事には絶対にならないと主張した。
「全然、大丈夫じゃないでしょう、それ」
顔を引きつらせながら、「そういう問題じゃない」とツっこんだ。
「でも、そのスリルが病みつきになるって、わざと落として欲しいとお願いされているんですよ。助けあげるのは失敗しない自信はあるけど、万が一を考えてそんなことしないけど」
「当然です」
少しは節度があるとわかりザックはほっとした。
「ちゃんと落ちても大丈夫なように衝撃吸収の魔方陣を展開したところでしか落としてないんだよ」
朗らかに言うワイバーンにザックは軽くめまいがした。
「ドラゴンフリーホールというアトラクションで、今、ドラゴニアでホットスポットになっているんですよ」
「魔方陣ギリギリで助けると、その人と恋が実るって、みんなギリギリ攻めるんだよねー」
「そうそう。それで時々、キャッチ失敗して魔法陣に突入させちゃったりして」
「それはそれで、レアな体験だって大喜びする人もいるんだよね。すごいよね」
魔物以上に人間は化け物かもしれない。ザックはいまだに魔物に征服されていない人類のしぶとさの一端を理解した気がした。
そんな話をしていると、タンデムハーネスの装着を終えたユードラニナがやってきた。
「言っておくが、さっきの話に出てきたドラゴンは私じゃないぞ。そもそも、私は人を運ぶのは今回が初めてだからな」
ユードラニナが胸を張って落下させた犯人じゃないと言ったが、ザックの不安はますます募るだけだった。そして、確かに、それならハーネスは必要不可欠だとも思った。
「ザック。お前にもハーネスをつけるんだから、こっちへ来ないとどうしようもないぞ」
ユードラニナはザックを引っ張り寄せて、ハーネスをザックの身体に装着していった。
ただ、その装着する向きは、ちょうど向かい合わせに抱きつくような格好であった。その格好にザックは困惑した表情を浮かべた。
「逆。じゃないよな?」
ユードラニナの豊かな胸が目の前にあり、さすがのザックも赤面した。
「本来は同じ方向を向いてつけるのだが、ザックは高いところに慣れていないだろう? だから、下を見ないで済むようにしたのだ。これは教則本に書かれている通りにだからな」
「それはご配慮、感謝します」
ザックは確かに空を飛んだことはないし、空飛ぶ乗り物にも乗ったことはない。高いところは仕事で行くこともあるが、足がすくむほどではないにしても人並みには恐いと感じる。そうなると、この向きは理にかなっていると思えた。
「では、行くとするか」
アルトイーリスが真面目な顔をすると、隊員たちの顔つきが引き締まった。ザックも目の前にオッパイという間抜けな視界だが空気を読んで気を引き締めた。
「竜騎士団第零特殊部隊、これより騎士団本部へ帰投する。順次離陸後、上空にて旋回待機。全騎集合の後、Lフォーメーションの編隊飛行を行う」
命令が下されると打ち合わせもなく、すでに決まっていたのだろう順番に従い次々と離陸していった。そして、最後、ユードラニナとザックを残すのみとなった。
「万が一の安全確保のため、腕で私の腰に抱きついておくように! いいか? 空は危険があるのだから、必ず私の指示に従うように!」
ザックは言うとおりユードラニナの腰に手を回して抱きついた。その途端、ユードラニナは少し身体を硬直するようなそぶりを見せたが、深呼吸を数回して、緊張を解いた。
「初めて人を運ぶので緊張しているんだろうな」
ザックはそう思いつつ、こういう時に「リラックス」など声をかけるのは逆効果と思った。
「準備オッケーだ。よろしく頼む、ユニ」
ザックはユードラニナを全面的に信用しているということを声に含むよう、準備が整ったことを告げた。
「わかった。では、テイクオフ!」
ユードラニナは掛け声と共に地面を軽く蹴った。それだけなのに、人を抱えているとは思えないほど高々と飛び上がり、翼を広げて空の住人となった。
足元に地面のないという心もとなさと、駈け足の馬に乗っているときに似たうねりのある揺さぶりがあり、ザックは自然と腰に抱きついている手に力が入った。それに反応するかのようにユードラニナは身体を一瞬痙攣させたが、失速するなどはせずに順調に高度を上げて行った。
上空で旋回待機していた先に離陸していたワイバーンたちが、ニヤニヤしながらも編隊のフォーメーションを作りはじめた。初の飛行で余裕の無かったザックは気がつかなかっただろうが、地上から空を見上げた観光客は軽く歓声を上げていた。イーリス隊が作る、ハートマークの編隊飛行に。
足が地面につかない状態に慣れてきたザックは、少し余裕ができて、肩越しに下をちらりと覗き見た。
ドラゴンビューから見たドラゴニアは、ドラゴニア城のある山頂をおそらく中心に竜翼通りのような幅広い通りが麓に向かい放射状に伸びていた。そして、その通り同士をあみだくじのように大きな道路が繋いでいる。
通りと道路に囲まれた区画の中には、はっきりとは見えないが、幅の狭い道が迷路にようにめぐらされているようだった。
そういった奥まった裏通りのあたりは、魔物の魔力が靄のように立ち込めている箇所がいくつもあったのが見えた。おそらく、先ほど説明された危険痴帯というのがそういった所なのであろうとザックは自分の目で見て納得した。
しかし、眼下に広がるドラゴニアの街並みは、地上で見るよりもザックの目に美しく感じた。ドラゴンの鱗のような瓦屋根。あちこちにある陸屋根のドラゴンポート。屋敷らしき庭に広がる魔界葡萄畑。そこここから離陸するワイバーン。着陸しようとするドラゴン。何もかもが新鮮で、つい一昨日までは下町の地べたを這いずり回っていたことが嘘のように感じられた。
自然豊かな山の麓に広がる美しくも活気ある街並みにザックは見とれ、高さのことなど忘れてしまっていた。
「どうだ? ザック」
羽ばたきの騒音に負けない大きな声でユードラニナがザックに訊いた。
「気持ちいいな」
ザックの返答を聞いて、少し飛行が乱れた。しかし、ザックはなぜだか不安は感じなかった。
「空を飛ぶというのは、こんなに気持ちのいいものなんだな。竜騎士を改めて本気で目指したくなった」
「あ……ああ、そうだな。空を飛ぶのは爽快だな」
ザックが更に続けた言葉に、少しばかり残念そうな声でユードラニナは答えた。
「やっぱり、ユニは俺が竜騎士になるのが反対なんだろうか?」
ザックはそう思ったが、空の上で口論するのは、このすばらしい景色を前にもったいなく感じ、口にはしなかった。
「我が祖国、ドラゴニアはどうだ?」
もう一度、ユードラニナがザックに改めて訊いた。ザックは先ほどの質問の意味を勘違いしていたとわかり、少し照れながらも本音で返事した。
「活気のあるいい街だな。これからこの街で働くのは楽しそうだ。来てよかった」
「そうか。よかった」
ザックの答えに安堵するかのように呟いた声は小さくはあったが、彼の耳にはっきりと聞こえていた。
「さあ、そろそろ竜騎士団本部だ。着陸するから足を上げろ」
見るとすでにユードラニナたちは山の中腹辺りに向かって降下を始めていた。降下する先は、竜翼通りというメインストリートと渓谷を挟んだ小高い丘の上に建っている、大きな前庭がある宮殿のような建物であった。
ザックは翼に当たらないように気をつけながら足を上げた。
風を切り、降下をはじめると地面がスピードを上げて近づいてくるように感じ、ザックは思わず目をそらして、無意識にユードラニナにしがみついた。冷たい風とは裏腹に少し熱いぐらいの彼女の身体がザックに安心感を与えてくれた。
「ランディング!」
ユードラニナの声と共に急ブレーキをかけられたように身体が背中の方へと引っ張られる感じがして、ザックはしっかりと彼女の身体に抱きついた。
着地寸前で翼を広げて羽ばたき、エアブレーキをかけたのである。それによって、地面に着地するときは羽毛のように柔らかく、水の上に立つかのような繊細さで地面に降り立った。
「もう、足を下ろしても大丈夫だ」
ユードラニナに言われてザックは足を下ろした。踵に地面の感触を感じ、数分だけの空の旅が終了したのを実感した。
「怖くはなかったか?」
「ああ、意外と。もっと恐いかと思っていたが。なんでも経験しなくてはわからんもんだな」
ザックは自分の性格上、絶対に高所恐怖症と思っていたが、意外とそうでないとわかり、自分の知らない一面を知って少しばかりテンションが上がっていた。
ユードラニナはハーネスの金具を外してザックを自由にすると、自分もすぐにハーネスを外した。
「さて、改めて――ようこそ、ザック君。竜皇国ドラゴニア竜騎士団へ」
アルトイーリスたちがザックの前に整列して、右手を胸の前で握った。
「は、はい。何も知らない若輩者ですが、よろしくお願いします」
ザックはその格好を見よう見真似した。左手はいつの間にかユードラニナがその手を握っていた。ザックは少し困惑したが、そういう形式なのだろうと疑問を口にはしなかった。
「よし。これで入団式は終了だ」
アルトイーリスたちが右手を下ろして、相互を崩すように微笑んだ。だが、ザックはそのあっさりとした入団式に面食らった。もっと盛大なセレモニーでもあるのかと思っていたので、拍子抜けもいいところだった。
「竜騎士団は随時団員募集中なのでな。入団式というのは、今みたいな挨拶だけなんだ。まあ、正式な竜騎士となる叙任式はちゃんとした格式ある式典だから、そっちを楽しみにしておいてくれ」
アルトイーリスがいつものこととばかりに説明した。
「じゃあ、今日はもう疲れたでしょう? 寮でゆっくり休んでください。明日、竜騎士候補生のガイダンスをします」
副官のノエルが入団の書類――といっても、ザックが申込書にサインをしただけの簡単なものだが、それらが整っているので特に問題はないと、入団式をしている間に取りに行っていた寮の鍵をユードラニナに投げ渡した。
「ユニ。案内してあげて」
「わ、私でなく、他のものに――」
ユードラニナは鍵を受け取ったが眉をしかめて固辞しようとした。
「案内、して、あげて」
ノエルの笑顔が笑顔らしからぬ効果音で迫ってきた。
「……わかった」
ノエルの迫力に圧されてユードラニナはそのままザックの手を引いて、騎士団本部の裏にある騎士団員独身寮へと向かった。
イーリス隊の面々はそれを見送り、姿が見えなくなるとため息をついた。
「まったく。ずっと手を離さないくせに断らないでよね」
「まあ、ユニの場合、手を繋いでいたのに自分が気づいていない気がしないでもないけど」
愚痴を言うノエルにワイバーンの一人がクスクスと笑いながら宥めた。
「その可能性ありだよねー。素直じゃないって面倒くさいね」
「しょうがないじゃない。ドラゴンの宿命なのよ」
イーリス隊の面々はきゃっきゃと話に花を咲かせた。
「ほら、アリィ! 黄昏てないで陛下への報告書をまとめますよ」
ノエルは去っていった二人の残像を指をくわえそうな勢いで見つめていたアルトイーリスをせっついた。
「わかっている。だが、嬉しい反面、少し寂しいのだ。もう少し、黄昏させてくれ」
「うん。わかるわぁ、その気持ち」
他のイーリス隊の隊員たちは浮かれた空気を落ち込ましてアルトイーリスに同意した。全員、空元気で明るくしていただけだった。
「はいはい。それは仕事が終わった後に開く、臨時女竜会でしてください。バー月明かりに予約を入れておきましたから」
「いつもながら手回しがいいな、ノエル」
「私だって飲みたいんですよ」
ノエルがふっと遠い目をした。
「そうだな。では、さっさと仕事を片付けよう。それで、今夜は徹夜で飲むぞ!」
「おーっ!」
イーリス隊の面々は同僚の幸せを祝いつつ、自身の不幸を仕事にぶつけ、血涙を持って報告書を完成させた。そして、いつものバーで、いつものカクテル――カシドラで乾杯して、恋の勇気を補充して、次の幸運を自身が掴むため作戦会議という名の妄想を炸裂させるのであった。
17/01/19 22:34更新 / 南文堂
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