連載小説
[TOP][目次]
5.ノックアウトと来訪
「知ってのとおり、人間の男性が多く保有する『精』と呼ばれる生命エネルギーは我らのもつ『魔力』と強く結びつく関係にある。その特性は『魔力』と同じ、当人の意思や感情を乗せて様々な形で現れる。
 しかしこの世界においてそれを意識的にできる人間は皆無と言っていい。
 極限状態で発現することはあってもそれらは『奇跡』と分類され、『精を駆使した技術』という認識にはならないのだ。それが退化の結果なのか意図的にそう設定されているのかはまさしく神のみぞ知る話。我らのあずかり知らぬところだ。
 留意すべきは無意識の危険性である。
 己の内にある『精』を意識していなくとも人はそれを放つことができるし、あらゆる特性を付与できる。無論、できると理解しているほど変化の幅は広がるが、心から願うだけでも凄まじい出力を発揮する場合がある。その力は決して侮れん。
 例えば……そうだな。
 熟練のダークメイジが『絶対に孕みたくない』と子宮に何重もの防護壁を張ったとしても、凡庸な男が『絶対に孕ませてやる』と膣を抉じ開けて放った精はそれを容易く突破できようという、」
「教官! 女が組み敷かれている前提では無理がありませんか!」
「誘い受けだよ! ぜったい口元にやけてるよ!」
「破られる度に絶頂するギミックつけてそう……」
「そんな簡単に孕めるなら苦労しねえし! 旦那の気合いが足りないってか! なめんなコラッ!」
「サカるな貴様らッ! ものの例えだ! 座れッ!」
 バシバシと鞭を振るうダークエルフの教官と色めき立つ訓練生たち。
 それらの騒ぎを遠目に、教室の後ろでくぁっと欠伸をしているのは尾瀬桜羅だった。運動ジャージに身を包み椅子にだらしなく腰掛けている。
 高校入学を間近に控えた春休み。現代に潜む過激派魔物勢力による工作活動を阻止するべく発足された秘密組織の集中講義が行われていた。
 今の講義は「精と魔物の関係について」。幼い頃から潜入活動を経験している桜羅からすれば既知の上、退屈でしかない内容だった。
「眠そうだねぇ」
 不意に横から声が掛かる。
 桜羅が声の方向に顔を向けるも誰もいない。それに驚きもみせず、桜羅は奥歯を噛み締めて大口を閉じた。
「身が入らん。まだ戦術指南のがマシだ」
「武闘派だね。まあ精と魔力なんて幼稚園の頃から聞いてる話だけどさ」
 何もない空間から声だけが聞こえる異常な状況だが桜羅は気にもかけない。それが当然と会話を続ける。
「そっちは体術訓練だろう。サボりか」
「どっこい私だけ別メニューさ。わざわざ実体作って組手する意義はありますかって抗議したらば時間いっぱい逃げてみろと言われてね。外は使い魔が追ってくるから避けてきたんだ」
 言われて廊下を見ると、大の字型の紙人形がふよふよと風に揺れていた。普段からあるものではない。ターゲットを捉えるべく教員が放ったものだろう。
 廊下と教室ではテリトリーが別れているのか、開きっぱなしの窓から入ってくる様子はなかった。
「匿ってとは言わない。しばらくここに居させてよ」
「知らん。バレようが関わらんからな」
「ヘーキヘーキ。これで何度凌いだと思ってるんだい?」
「ふん」
 興味ない、とそっぽを向く桜羅にクックと喉を鳴らして笑う声。そういえば、と思いついたように繋いだ。
「君ってばいつも人の擬態してるよね。たまには耳とかだしてリラックスでもしたらどう、」
 言葉が続く前にビュンと風切る音がした。
「なぎゅ!?」
 教官の振るった鞭が何もない空間に巻き付く。魔力で質量を増やしたのであろうそれは教壇から教室の後方まで大きく伸びていた。
「『捕らえろ』」
 教官が詠唱すると教鞭がひとりでに動き始める。さながら意思をもった蛇のように何かの上を這い回った。
「あっ♥ やっ♥」
 やがて、宙に浮いた亀甲縛りが出来上がる。その輪郭から人体に近いものが空間に浮いているのだと分かった。細身の女性の身体だ。突如として現れた淫猥なオブジェにまたしても訓練生たちがざわめく。
「騒ぐな! 貴様らも縛られたいか!」
 それらを黙らせ、教官は鞭を引いた。
「幽体だからといって油断するな幽谷幽子(カソダニ ユウコ)。透明だろうが魔力を抑えんことには気配が駄々洩れだぞ」
 空中の亀甲縛りがふよふよと教壇の方へ引き寄せられていく。
「『捕まえたら好きに使って良い』と連絡があってな。ちょうど幽体のサンプルが欲しかったところだ。私の攻めで透明化を解かなかったら逃がしてやる」
「ひええ」
 ダークエルフの教官が亀甲縛りにされたゴーストを抱きすくめるのを遠目に見ながら、桜羅は後ろ髪を結い上げた自分の金髪をくしくしと弄った。心底どうでもいいという顔で。

 桜羅にとって自身の戦闘技術を磨くこと以外は些事である。組織に属するのだって力を振るうための方便だった。この社会において魔物としてのスペックを存分に発揮できる機会は少ないのだ。
 『男』に対する興味関心が同年代のそれと比べて低く、同時に精に対する認識も浅い桜羅。それからしばらくして、彼女はその恐ろしさを身をもって味わうことになる。


 ○


 桜羅は動けなかった。
 自分の身体に起こった異変を把握し、その原因を知っていてなお動けなかった。常在戦場という母の教えを忠実に守っていた彼女にとって、思考と行動が同時に静止するなどあり得なかった事態だ。
 それほどの衝撃。甘い痺れが全身を襲い、鼻から息を吸うたびに弾けるような恍惚感が脳を支配する。余分な動きをしないのはむしろ呼吸に集中する為と言えたし、無意識のうちに身体はその快感を十全に味わおうと動いていた。
 鼻腔を満たす匂いは反射行動を大いに狂わせる。口は溢れそうなほど唾液を分泌させ、心臓は早鐘を打ち肌を火照らせる。秘所は順々に収縮を繰り返す蠕動の予行練習を始め、閉じていた膝はゆっくり開かれつつあった。
 原因は明らか。
 桜羅の喉から胸元までぶっかけられた精液である。
(これは、なぜだ?)
 1度目の搾精では匂いを嗅いでも興奮しなかった。手にこびりついていた精液を嗅いでみても「こんなものか」と流せる程度で、仲間から盗み聞いたところの「ザーメンやばい」という話は間違いだったと認識を改めたばかりであった。
 桜羅が計り間違えていたのは男側の意識である。
 無理やりに搾り取られた場合と、女体に夢中になって全力で出した場合とでは濃さも性質もまるで異なる。魔物が男を誘惑して自分を求めるように仕向けるのは効率からではない。"美味さ"が段違いだからだ。
 冷静な思考が削がれつつある桜羅は思い至らなかったが、いま龍馬が吐き出した精液は桜羅に向けて放たれたものだった。特定の相手に向けて協力的かつ下心増し増しで放った精は"抱きたい"という指向性をもって女体を誘惑する効力に満ちており、それをまともに食らった桜羅はひとたまりもない。
 全力のセックスアピールを前にして、心よりも先に身体が受け入れ始めてしまっていた。下着は既に濡れそぼり行為への期待に本能が沸き立つ。
 今すぐに両手で精液をかき集め、肺を満たすまで嗅ぎつくしたい。肌にはりついたものを舐め取りたい。尿道に残ったものまでヂュウヂュウと啜りたい。
(やめろ……っ!)
 誘惑を投げ捨て欲望と闘う。
 桜羅は龍馬に掴まれていた右手を振り払って身体を引き、スポブラを脱ごうと肩に手をかけた。もっとも精液を浴びた胸元から剥いでいく狙いだ。
 肩紐をずらして締め付けを緩めれば、たっぷりとした乳房が形作る谷間に隙間が生まれる。すると谷間に溜まっていた熱い精液が汗と共に滴り落ち、火照った素肌をねっとりと伝う感覚に桜羅は腰を震わせた。
(し、下に……!)
 ヘソの辺りを撫でられるとどうにかなってしまいそう。なので桜羅は慌ててお腹に手を当てて防いだ。白濁汁の進軍はそこでせき止められる。安堵し、すっかり重くなったスポブラをベチャリと床に捨てた、が。
 シュッコシュッコと擦る音に気づく。
 桜羅は自覚が足りなかった。己の肢体の魅力が如何ほどかを。
 抱きたい、抱こう、抱いてやると欲望を募らせている男の前で素肌を晒すなど愚の骨頂である。それも紅潮した顔でおもむろに下着を脱ぎ捨てるなど。
 男からして見れば、大口を開けていたところに極上のおかずが一口サイズに切り分けられて運ばれてきたようなもの。かぶりつく以外の選択肢はない。
 龍馬は桜羅に振り払われたその左手で陰茎をしごき、自ら欲望を昂らせていた。予め「精液を出せ」と要求されていたこともそれを後押しする。
 何かと女性側が大変らしい顔射だけは回避できたのだから"もう我慢しなくて良い"。龍馬の頭の中はそれだけだった。
 女の目前で自慰行為に励むことへの抵抗などとうに超越し、露わになった褐色巨乳の乳輪を目に焼き付けながら一心にしごいてしごいてしごいて、そして。

 バビュッ! ビュビュルルゥゥ! ドビュルルルルゥゥッ!

 さながら破裂かという発射音とともに先ほどの射精をさらに上回るほどのおびただしい精液が放たれた。のたうつ蛇のごとき精液の帯はうねりながら宙を舞い、桜羅の下腹へ次々に着弾しては炸裂する。僅かに開かれていた膝の合間にも容赦なく飛び込んだザーメンは愛液で内側から濡れていたパンツを包み込んだ。
 文字通り浴びるような男性ホルモンに勘違いしたマンコはパンツごと呑み込むように口をパクつかせ、膣は種を子宮まで導こうと蠕動運動を開始する。それだけに飽き足らず自ら迎えに行こうとグニグニと子宮口が下がり始めたところでようやく、
「かひっ♥」
 桜羅の脳が絶頂を検知した。
 プシッと密封された炭酸水を解き放った時のような音で膣口から白濁した本気汁が飛び出す。布地に染み込めない分がパタパタと精液をまといながら床に滴り落ちた。いわゆるボクサーパンツはパンティと違ってまた卑猥で、陰唇が当たる部分を中心にしてじんわりと色が滲んでいく。
 ガクガクと空腰を振ってしまうのは本能の仕業。全身から力が抜けた桜羅は膝を立てたままドテリと後ろの壁にもたれ掛かる。
 曝け出した乳房とぐしょ濡れのパンツに精液を浴びせられ、M字に足を開いた姿で急所を晒す。絶頂の余韻で意識がおぼろげな様はまるで凌辱直後のようだった。
(じょ、状況を……)
 白んだ頭でなお、実戦で鍛えた桜羅の思考は現状を分析せんと努める。
 だが物心ついた頃に母から教えられた絶頂も、ムラついた夜にひとりで慰めた時の絶頂も、今ほどの衝撃には遠く及ばない。一撃の重みがまるで違う。ボディブローを食らった時のようにジンジンと腫れるような快感が抜けず、内臓の奥まで熱が沁みて全身に巡っていく。体温の上がった身体はますます鋭敏になって次の絶頂を容易にするだろう。
(これは、むりだ)
 はひゅ、はひゅ、と一向に整わない呼吸を繰り返しながら桜羅は判断を下す。
 これ以上の性行為は手に負えない。状況をコントロールできない。取り返しがつかなくなる前に止めさせて立て直しを、と対応を練るまでは良かったが。
 肝心の相手の動きに気を配る余裕がないのが致命的だった。
「――えっ」
 視界が暗く覆われてようやく反応する桜羅。
 龍馬は右腕を壁につき、桜羅に覆いかぶさるように身を倒していた。散々に精液をかけているというのに桜羅の身体にだけは触れないよう気を付けているのが滑稽である。
「まだ……出せます」
 絶頂で思考が鈍っていた桜羅以上に、興奮で前後不覚になっている龍馬の頭はシンプルかつ身勝手なロジックを組み立てていた。すなわち、
 ・精液は出せるだけ出した方が良いらしい
 ・正面から手コキしたのだしぶっかけは許容している筈だ。
 驚きに目を丸くしている桜羅の顔など意識にも入らず、むき出しの乳輪と濡れそぼったパンツをオカズに一心に息子を扱きだす龍馬に迫られて、桜羅は生まれて初めて、異性への恐怖を覚えた。
「まて、ま――ッ♥っ!?」
 あげようとしたのは悲鳴か嬌声か。桜羅はハッとした表情で己の口を塞ぐ。プライドがそのどちらをも許さなかったのだ。
 狼狽した桜羅の様子など認識できない龍馬は、壁にもたれて腰を落とし、一心不乱に陰茎をしごく。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……!」
 彼にはあられもない格好の桜羅しか見えないのだ。
 トップスを脱いで色よい乳輪を晒し、M字に広げた股間には精液をべったりと貼り付かせた卑猥な姿。褐色肌に白い精液をまぶしたコントラストが反則的だ。
 童貞であればいっそ引くくらいのエロさだが、そうまで乱れさせたのが己の行いというならば話は別。ますます調子づいた彼を止められるものなどいない……筈だったのだが。
「ッ、なんでっ……!」
 龍馬の顔が困惑に歪む。
 二度目の、行為開始からの累計で言えば三度目の射精をしようかというところで『待った』が掛かった。いくら刺激を与えようと肝心のものが出てこないのだ。残り少ないインクをチューブから絞り出すかのごとくガッシュガッシュと扱くも、出ない。普段なら痛いくらいの勢いでも高まった性感はそれすら快感に変えてくれるが、射精にまで至らないのだ。
「さっきは出せたのにッ……」
 つい先ほど桜羅の下半身に向けてぶち撒けたばかりだった。にもかかわらず今は根元から紐で縛られたようかのようにせき止められている。
 魔力のことなど何も分からない龍馬では無理もないが、つい先ほどの射精は桜羅の魔力が僅かに残っていたため可能だった。それを吐き出した今、肉棒に溜まった呪いの魔力は精の解放を妨害する。
「くそっ……!」
 悪態を吐く。延々と寸止めを食らって苦しくとも、扱く手を止められないのは悲しき男の本能だった。
 だが絶頂に至る為なら雄はどんな障害をも乗り越える。興奮に湯だった頭であっても冷静に、龍馬の頭は解決案を導き出した。
(『私の身体にだけ、それを解放することが許される』……聞いたぞ確かに)
 最初の行為の際に桜羅が言っていた。突飛もない話であったが極限状態に近い今だからこそ、それが偽りのない真実だと理解する。
 ならばどうするか。答えはひとつだった。
「桜羅さん、手を……」
 右腕は壁についているので扱いていた左手を止めて桜羅の身体へ手を伸ばす龍馬。彼女の手を借りればいいという実にシンプルなアイディアだ
「――っ触るなッ!」
 固まっていた桜羅がその手を弾く。瞳がじんわりと潤んでいるのは興奮か別の理由か。切れ長の目はハッキリと龍馬を拒絶していた。
「わた、私の身体に触ることは、許さん!」
 舌をもつれさせながらも毅然たる態度で告げる。
 少し前の龍馬であれば委縮していたことだろう。だが今の龍馬は捕らえた獲物を前に焦れた獣でしかなく、獣はどこまでも欲望に正直だった。
「なら桜羅さんが」
 ふてぶてしくグイっと陰茎を差し出す。雄々しく反り立ったそれは熱い血潮でドクドクと脈打ち、先端の割れ目を期待にねっとりと濡れそぼらせ、亀頭はぬらぬらと威圧的な輝きを帯びていた。
 可憐な女性の眼前に禍々しく勃起したチンコを寄せる、いわゆる"見せ槍"の構図。野太い肉棒から匂い立つような雄臭を嗅がされて桜羅の芯がますます熱を帯びる。
「――んくっ♥」
 雄の象徴たる威容を見せつけられ思わず生唾を呑む桜羅。
 まがい物とはいえ魔物の魔力を帯びて半日が経った龍馬の身体はインキュバス化が始まっており、雌を堕とそうと意識した瞬間から急速に変化が進んでいた。そうして表に出てきた精は陰茎肥大化、精液媚薬化だけに留まらず、桜羅が好む淫臭の獲得にまで至っていた。もはや雌殺しの逸品である。
「ほら」
 急かす龍馬の言葉でますます臭いが濃くなり、興奮でえずきそうなほどだ。対自分用の最強特効兵器に晒された魔物が平静を保てるわけもなく。
 暴力的なセックスアピールを間近に食らって朦朧とした桜羅の意識は本能をむき出しにした。薄い抵抗のベールがゆっくりと剥がされる。
 淡い桃色の唇がおそるおそる、全体的にグロテスクな癖に亀頭だけが初々しくピンク色な童貞の象徴に向けてゆっくりと近づいていきやがて、
 ――ちゅ
 キスをした。
 瞬間、龍馬はぞわぞわと背筋を震わせ、桜羅の方はタガが外れたように顔つきが緩まった。
 ――ちゅ
 また音を立ててキスをする。龍馬は無意識に呟く。
「もっと」
 桜羅の返事はない。だがその目は言葉以上に雄弁で、
 ――ちゅ、ちゅ、ちゅ
 キスの雨を降らした。
 同じ箇所に何度も口づけするそれは、幼き頃に教えられたキスフェラの作法を忘れた、ともすれば拙いものであったのだが、桜羅にとっては小手先の技術を取り払った感情の顕れだった。
(なんだこの感情は)
 桜羅は戸惑う。深層から抑えが効かない感情が溢れ出す。いや、元を辿れば最初の手淫の時にも覚えがある。だがあの時よりももっと深く、真に迫っている確信がある。
 亀頭に口をつける度、全身が産声をあげたかのように気分が高揚した。これこそ私の求めていたものだと。
(バカを言うな、そんなワケがあるか)
 理性が否定する。あり得ない、こんな状態で何を思っても戯言だ。
(これだ、これがずっと欲しかった)
 本能が肯定する。己が声を聴け、この高まりが嘘偽りの筈がない。
(ちがう、ちがう、ちがう、ちがう)
 理性と本能がせめぎ合う。
 相反して停止する感情とは裏腹に、火が着いた行為はエスカレートしていく。
 ――ぢゅうううぅぅ〜〜っ
 桜羅は唇をすぼめてチンポの先を吸引し出した。整った顔をぺこんと歪ませ、ねちっこいバキューム音を奏でる。
「うおぉっ」
 龍馬は低い声を漏らして思わず腰を引いた。新鮮すぎる快感に対して咄嗟に逃げてしまう防衛反応。それが桜羅を瞬く間に刺激し、
(――逃がすかっ)
 分かたれていた意識が狩猟本能で団結する。逃げ惑う獲物に追いすがり爪を突き立てるように、その両手が龍馬の腰に回された。鍛えられた両腕でがっしりと龍馬の下半身を抱え込む。
「ああっ!?」
 抱え込んだ勢いで肉棒が口の中に深々と突き刺さるが桜羅は一切怯まない。どころか、
 ――んねろっ、んろぅ、んねろぉっ
 ますます深く迎え入れられるように舌をめいっぱいに出して喉奥のスペースを開けて無理やりにねじ込み、射精に備えてせり上がった睾丸にまで舌を伸ばして舐め回し始めた。
 竿の根本まで深々と呑み込まれた感覚に惑い、下品に歪んだ桜羅の顔に異常な興奮を覚え、また急所を舐め上げられる刺激も耐えがたく、もはや射精まで秒読み。いやとうに限界点は軽く越えていて、これまで耐えられていることが奇跡だった。
 そこにダメ押しがくる。
「だへ(出せ)」
 喉奥まで肉棒をくわえ込みながら、欠片も苦しさなど感じさせない態度で桜羅が喋る。それは命令であり懇願であり魔力を乗せた振動であった。
 塞がれた栓を取り払うひと言。
 そこに実感が伴ってやってくる。
「っう゛おおぉっ」

 ぼびゅッ! どびゅぴゅるッ! びゅぐっるうぅうぅぅ!

 漏れ出せば我慢など効かせようもなかった。壊れた蛇口のようにびゅるびゅると精液が湧き出して止まらない。勢いをつけてより遠くへ子種を飛ばそうと腰が前へ突き出され、陰茎が激しく蠕動運動を繰り返す。そうしてひり出された精はしかし、彼らが目指すべき場所にたどり着くことは決してできない。
 ――ンごきゅッ♥ ごきゅッ♥ ごきゅッ♥
 飛び出たそばからすべて、桜羅の口から喉から胃へと次々に呑み込まれていくからだ。射精は喉で味わうのだと言わんばかりに、頬で待たすことなど一切なく、次から次へと喉を鳴らして呑む、呑む、呑む。空気ごと飲み込むことも全く意に介していない。
 ――んぎゅッ ぢゅッ♥ ぢゅぞッ ずぞぞぞぞッ♥
 どころか、脈動が終わった後にも唇の輪っかを竿にぴっちりと密着させて吸引。敏感な亀頭を頬の裏で擦ると、睾丸から口までの間に一切の精液を許さないというネチっこさで搾り上げた。
「うぁぁぁ……っ」
 腰を掴まれているので引けず、壁に右手をついて情けない声をあげる龍馬。快感で砕けそうな腰は限界を訴えていた。
 空いた左手が半ば無意識に、未だ刺激を与えてくる桜羅の頭を引き剥がそうと空を掴む、と。
 ふにっとした感触が龍馬の左手を包んだ。
「ん?」
 髪の毛、というには細かな毛が逆立ってゴワゴワとしており、滑らかな髪質の金髪とは似ても似つかない。ポニテの根本を握ってしまったのかと思うが片手に収まるサイズは明らかに違って、不思議に思って見下ろしたそこには。
「え?」
 獣耳。
 ちうちうと名残惜しそうにチンコにしゃぶりついている桜羅の恍惚とした顔の上、汗で額に張りついた髪のさらに上に、ピンと三角形にそびえ立つ獣耳が2つ。その片方が龍馬の左手に収まっていた。
「は?」
 しゅり、とこすり付けた指に抵抗するその感触はナマモノそのもので猫のそれと相違ない。猫耳カチューシャが頭をよぎるが下着姿で風呂場にやってきた桜羅は当然、そんな小道具は持っていなかった。それに根元に指を這わせても接合面がまるで分からないレベル。
 驚愕に突き動かされた龍馬は思わず身を引いた。すると、腰に回されていた桜羅の腕はあっさりと解かれそのままドサリと床に落ちる。支えを失った桜羅の上半身は龍馬の横にごろりと転がった。
「う、わ」
 まさか倒れるとは思わず、龍馬は桜羅を見やる。その頭には獣耳が確かについているが見るべきはそこだけではなかった。
「桜羅さん……?」
 すぅすぅと寝息を立てる桜羅の全身はコスプレ獣女とでも呼ぶべき恰好になっていた。


 ○


 龍馬の行動は迅速だった。
 穏やかに寝息を立てているとはいえ意識の無くなった女子を風呂場に寝かせておくわけにもいかず、しかも(ほぼ)全身を精液で汚してしまったのも見ていられず。
 後で怒られることは承知の上で龍馬は洗面所からフェイスタオルを拝借して桜羅の全身を拭いた。まだ出せるし下心はあったし特に汚れていた胸などは念入りに拭いたりしたが、これ以上汚すことだけはしないよう努めて熱心に作業する。
 濡れて汚れたパンツも替えてやりたいくらいだったものの、脱がそうにも脚の形状がケモ足に成り代わり太く逞しくなっていたのでどうしようもない。仕方がないのでそのまま上から拭いてみたが、軽く押し当てたらぶじゅりと汁だくな感触がして理性が飛びそうになったので即止めた。
 ひと通りの汚れを落とし終え、横たわった桜羅の肩と膝裏に手を回してぐっと抱える。170台の自分とそう変わらぬ身長に鍛えられた腹筋を見て(失礼ながら)無理かもと思っていたが、やってみると意外にすんなりと持ち上がった。龍馬は知る由もないがインキュバス化による身体能力の向上の結果である。
 風呂場から桜羅を運び出し、あらかじめ敷いておいた布団の上に寝かせる。敷くときに気が付いたが、これは今朝龍馬が寝ていた布団であった。つまりこの家には布団が一つしかない訳だが……考えないようにした。
 そうして仰向けに――頭だけ髪が引っかかるので横を向いて――寝ている桜羅の全身を改めて眺める。彼女は明らかに別の存在となっていた。
 金色の前髪には黒い紋様が貼り付き、頭には触った限りでは本物としか思えない三角形の獣耳が2つそびえ立っている。その後方には艶やかな金髪を結い上げたポニーテール、ふんわりとした獣毛と滑らかな髪の対比が美しい。
 超絶技巧の手コキを繰り出していたたおやかな手はずんぐりとした獣手にすげ替わっており、鋭く黒い鉤爪が上3本の下1本、計4本伸びている。肘から先をロングの獣皮グローブに入れ込んだような形で、二の腕から肩は小麦色の人肌が覗いていた。さながら着ぐるみのようだ。
 首元はファーマフラーを巻いたかのようにもこもことした白毛がついているが、胸元からヘソ、そして鼠径部にいたるまではツルリとした人肌のまま。しっかりと割れた腹筋は鍛えあげられた女体そのものだ。
 そして足は、手と同じように膝上から下に獣皮のブーツを履いたかのようになっており、膝から先が逆間接――に錯視される、いわゆるケモ足の形状になっているのが決定的に人体と違う点だった。足先には当然のように鋭い鉤爪がついている。
 獣毛は首元の白を除けば、黄褐色に黒の斑点模様。それを見て龍馬の脳裏に浮かんだイメージは、
「ヒョウかな」
 黄と黒を組み合わせた柄はいわゆる警戒色と言われるものでややもすれば威圧的だ。全体的にがっしりとした体格の桜羅との組み合わせは十二分なプレッシャーを生んでいる。が。
「くっそエロい」
 彼女と肌を重ねた龍馬にとっては彩りにしかなり得なかった。その暴力的な肢体との組み合わせは反則的ですらある。
「人間じゃないとは思ってたけど」
 魔法だの魔力だのと言っていたから普通ではなかろうという予感はあったし、下手すればもっと人外な見た目をしているかとも思っていた。フィクションの中で見かけるような『人に近しい姿で油断させている』可能性は捨てきれないが、男からしてみればこんなエロい女の子に迫られたら感激しかない。
 というか、この状況。仕切り直した風に見えるがまだ桜羅はほぼ真っ裸である。褐色パイの上のかわいらしい乳輪は丸見えだし下着は濡れ濡れ、何より布団の上で寝息を立てて隙だらけだ。襲われる心配よりも襲ってしまう心配のが大きい。素肌にタオルを這わせた時の滑らかな感触を思い出し、股間が再戦しようぜと張り切りだしていた。
「待て待て、落ち着け」
 怪しい方向へ思考が飛びそうになったので龍馬は桜羅の右手をとった。自分のよりも二回りほど大きなその手の中心には、かわいらしい肉球がついているのだ。先ほど軽く触ったのだが、これがまた堪らない感触をしている。猫のそれと似ているがサイズは比べるべくもなく、鍛え上げられているせいか少々硬めだが確かな弾力があって心地よいのだ。
「おお……きもちいい……」
 ふにっふにっと確かめるように親指で優しく揉む。さながら桜羅に対して手の平マッサージをしているかのようだが、癒されているのは龍馬の方であった。燃えるような情熱がゆっくりと冷めていき穏やかな心地に成っていく。
 その時。
 ピクリと獣手が動いたと思った次の瞬間、開かれていた手がぎゅうと握られ、龍馬の両手の親指が内側に握り込まれてしまった。
「あ」
 気づいた時にはもう遅い。
 視線の先には目を開いてこちらを睨みつけている桜羅の顔があった。
「何をしている」
「えっ、と」
「いやいい。……そうか」
 はぁ、と深くため息を吐く桜羅である。
「情けない。気を失うとは」
「や、あの、すみません。俺が勝手したせいで」
「お前の暴走は容易に予見できた。対応しきれなかった私の落ち度だ」
 桜羅は自分の肢体が異性にとってどれだけ魅力的であるかは自覚している。人化の魔法ついでにプロポーションを隠していないのは、トラブルに見舞われようがどうにでも出来ると判断していたからだ。
 だというのに今回は手も足も出なかった、口は出したし出されたが。抵抗らしい抵抗は最初だけで、いちど状況が傾いてからは転がり落ちるように深みにハマっていったことを思い返す。自ら望んであの沼に沈んでいったのだ。
(天敵……)
 母が父をそう称していたのがずっと不思議だった。屈強な戦士たる母なら凡庸な父など赤子同然ではないかと。
 だが今なら理解できる。関係を持った男女はそういう形に収まるよう出来ているのだ。特にこの身体に流れる古き戦士の血は、夫たる男の前でだけ素顔を出すようにと教え諭されてきたのだし仕方がないことと――
(……ん?)
 当たり前のように思考した桜羅はふと、違和感に固まる。
 母と父? 女と男? 妻と夫?
(私にとってコイツがそうだと考えて――っ)
 思い至った途端、顔が沸騰しそうなほど熱くなった桜羅は顔を覆おうとして、右手を何かに握られていることに気が付いた。見れば、龍馬が両方の手で握り締めているではないか。
「な、な、な、」
 慌てて振り払う。気を失っている間に手を握るだと!? なんて女々しいやつだ! キュンとした! しかも、
(まずい! 擬態が……!)
 解けている。滅多なことでは解かなかった人化の魔法が。
 桜羅は慌てて魔法を掛け直すが上手く効かない。脚にかけたら手がそのままで、手に掛けたら頭がそのまま、頭に掛けたら足が戻ってしまった。
 パニックになりながら四苦八苦する桜羅は、興味深いものをみるように見つめてくる龍馬の視線に気づき、またもや赤面する。
「見るな!」
 見せる気はなかった。こんな姿は。
 恥ずかしさに紛れた言葉ではあった。だがこのとき龍馬は、桜羅の中に僅かな"怯え"を感じ取る。それは魔力を交わしたことで繋がった共感覚によるものであったが、当の本人には自覚がない。
 自覚がないまま、素直な言葉を告げる。
「エロいっすよ」
「――っ」
「野性味って言うのかな。カッコいいしエロいです。そのヒョウ柄」
「……」
 ぱっと晴れた顔から一転、冷めた顔になる桜羅である。
 不穏な雰囲気に慌てた龍馬はすぐに訂正した。
「失礼しました! カッコいいです! カッコいい! イカしてます!」
「……ヒョウじゃないジャガーだ。よく見ろ」
 桜羅が指差した先の模様は黒の斑紋をさらに黒が囲った、花弁のような形をしていた。さして動物には詳しくない龍馬だが憮然とした顔の桜羅を見てコクコクと頷く。
「ジャガー! なるほど!」
 赤べこのような振り子運動で頭を振る龍馬。
 桜羅は呆れて息を吐くと人化魔法の掛け直しを止め、代わりに胸元と局部を獣毛で覆って隠した。立ち上がり、愛液に塗れすぎてダメになったパンツを爪で裂いて捨てる。
 軽く身繕いをした桜羅は、布団の脇に座ったままな龍馬の正面に座り直した。片膝を立てて腰を落とし肘を乗せた格好で、真っすぐに龍馬を見つめる。
 その雰囲気にただならぬものを感じた龍馬は居ずまいを正した。桜羅は深呼吸をして口を開く。
「お前は自分の変化に気づいているか?」
「変化?」
「自覚なしか。いずれ実感するだろうが……先に言っておく。今のお前は私と同じ魔物へと変わろうとしている」
「へ? いや、まじで何も変わってないと思うんですけど」
「見た目は変わらない。体力と体質が人間を超越した存在になるという話だ。変化を終えた後は不可逆、元には戻れん」
「えーと……はい」
 分からないが分からないなりに、話は最後まで聞こうと頭を切り替える龍馬。桜羅は続ける。
「変化の原因は私の魔力だ。本来であれば、私の魔力とお前の中にある私の歪んだ魔力を混ぜ合わせて放出させれば済んだ話だった。
 しかし今、お前の身体は両方の私の魔力を受け容れ始めている。他ならぬお前の意識によってな」
「え?」
「意識的か無意識的かは問題じゃない。要点は、お前は私の魔力をすべて取り込み急速に変化しているということだ。このまま行為を続ければ戻れなくなるぞ」
 それでいいのか? と言外に告げる桜羅に、龍馬は思案する。
(人間やめる覚悟あるのかってことか)
 即断は無理だった。ので、疑問をぶつける。
「魔物になった場合で困りそうなことってありますかね」
「この世界には居られん。隠遁したがる者もいるそうだが、組織で把握した以上は移住するよう働きかけている。移住先は異世界だ」
(やべ、テンションあがる)
 異世界転居という展開に色めく龍馬である。
「その世界のこと、は別にいいや。
 俺が魔物になったとして、桜羅さんに迷惑は掛かりますか?」
「なんだその胡乱な質問は」
「や、俺の身勝手で懲罰食らってたらイヤだなぁって。組織?の規則に引っかかるとかありそうじゃないですか」
「この件についてはすべて私の裁量に任されている。その上で私はお前の意思を訊いている。これで十分だろう」
「ああ。それなら遠慮なく」
 得心した顔で龍馬は言った。

「セックスしましょうか」

 ご飯食べましょみたいな軽い調子で告げた龍馬に対し、桜羅はたっぷり3秒停止した。停止から再起動してなお、理解が追い付かずに「んんっ」と咳払いしてまた固まる。
 あからさまに動揺している桜羅に内心でほくそ笑みながら龍馬は畳み掛けた。
「実を言うとさっきからチンコがいらついて仕方ないんですよ。桜羅さんはもっと自覚してください、下乳もヘソも太股もおっぴろげたドエロコスチュームで布団の上に座るとか誘ってるとしか思えないし襲われたって文句言えないっすよ?」
「これは別にコスチュームでは、」
 返す言葉を遮って、すくりと立ち上がった龍馬は腰に巻いたバスタオルをとっぱらう。パンツは下ろしたての新品を履いていたのだが、興奮で怒張した陰茎がそれはもう見事なテントを張っていた。前合わせをズラせば亀頭がこんにちはである。
「ふぐっ♥」
 それを見た途端、強張っていた桜羅の相好が崩れる。魔物としての本能が男に欲情を向けられていること、男の欲情のきっかけになれたことを無上の喜びと認識したのだ。いくら険しい顔を取り繕うが、ひとたび上がってしまった口角は下がらない。
 その隙を見逃さず、龍馬はチンコの竿を掴んでさながら銃を構えるかのように桜羅の鼻先へ先端を突き付けた。むわりとした雄臭は半ば無意識的に発されたものだが、それがもたらす効果は十分に理解している龍馬である。
「本気で嫌だってんなら言ってくださいね。無理やりとかナシなんで。俺は素股でも全然構わないし、ケツ向けて寝てくれるだけでいいっすよ」
「ふざ、けるな……♥」
「いやふざけてないっす。ってか桜羅さんにも責任ありますからね? あんなドスケベフェラかましといて『私の落ち度だ(キリッ』とかどの面下げてって感じだしメチャクチャちんこに効いたんですけど分かりますかこの気持ち」
「知るかッ! やめろ、触るなぁ♥!」
「ほら肩押しても全然抵抗しないし。股広げちゃってません? 閉じないんすか?」
「黙れ……!」
「すんません緊張やばくて口が回っちゃう。じゃああの……痛かったら言ってください」
「――――――っぁ♥♥♥」


 ○


 じんわりと汗ばむ気温な土曜午後。
 白い日傘を差した少女が住宅街の中を歩いていた。
 色が抜けたように白い髪は首を隠す程度の長さで毛先をパッツンと横に切り揃えている。さながら日本人形のようだが高い鼻先とパッチリとした目元はおよそ日本人離れしていた。
 フリルのワンピースから覗く素肌は病的なほどに白く手足もほっそりとしているが、その足取りは軽やかで今にもスキップしそうなほどだ。左肩にはトートバッグを提げているが買い物という雰囲気ではない。
 少女の名前は幽谷幽子。尾瀬桜羅と同じく学生でありながら過激派魔物の対抗勢力に属するエージェントである。先日の桜羅が上げた功績の裏でも、その能力を活かして隠蔽工作に尽力していた。
 果たして幽子は、住宅街の一角にそびえるマンションへと足を踏み入れる。
 広々としたロビーには管理人の受付カウンターがあり、閉じられたガラス窓の向こうで机にうつ伏せになっている少女――というより幼女と呼んだ方が適切であろう者の姿が見えた。小さな背中を覆うほどのボリューミーな亜麻色の髪はさながらテーブルクロスのように広がっている。
 幽子はひとつ嘆息すると、カウンターに置いてあるチャイムボタンを押した。
 リリーン、とガラス窓越しに鳴ったのが聞こえるが、溶けたアイスのごとくグデグデと机に同化している幼女はまるで反応しない。幽子は構わず、根気よく押し続けた。
「堂磨さーん! 起きてくださーい!」
 日傘を立てかけ、チャイムを鳴らしながら窓もコンコン叩く。数分粘ってようやく、堂磨(ドウマ)と呼ばれた幼女の肩がピクリと動いた。
 くしくしと目元を擦りながら顔を上げた堂磨は、カウンターに張りついていた幽子の姿に気づく。そして緩慢な動作で窓を開けた。
 幽子は姿勢を正して頭を下げる。
「おはようございます。お昼寝を邪魔して申し訳ありません」
「どったの」
 くぁ、と大欠伸をしながら堂磨は応じた。皮肉を適当に流された幽子は笑顔を崩さないよう努めてにこやかに続ける。
「尾瀬の様子を伺いに参りました。先日の任務で"療養中"の」
 含むように言う。
 表向き、空人龍馬という男子学生への対応を桜羅自らが行っていることは伏せられている。人的被害があったこと自体は報告されているが、その対応を桜羅に一任した都合で大っぴらにするのは憚られたのだ。
 だが組織の関係者らが住まうこのマンションの管理人である堂磨には事前説明が済んでいる。ので、諸々を汲んでくれることを期待したのだが。
「だめ」
 ねむねむした口調でありながら堂磨はキッパリと断った。幽子は面食らって切り返す。
「ただの様子見ですよ」
「だめ」
「なぜです?」
「あの子はオセロメー。覗きはだめ」
「えー」
 納得できるようなできないような微妙な感覚で、幽子は空を仰いだ。
 オセロメー。とある神を信奉しその教えに忠実な魔物。勇猛苛烈な闘争心と冷徹な戦闘思想を併せ持った戦士で、色事についても一切の容赦ない野獣っぷりを発揮するという。
 だがその姿も敬虔な信徒として振舞った結果だそうで、何でも「夫に対して甘える様な行為は夫以外の者には見せてはならない」と神の教えにあるらしい。ようは人前でイチャつくなってことなのだ。
 そこから導き出される答えはひとつだった。
「セックスしてるんですか? 昨日会った男と? 昼間から?」
「言えない」
「言ってるようなものでは」
「言ってない」
 ふるふると首を振る堂磨に幽子は苦笑した。
 どうやらあの戦闘マシンは男を知ってしまったらしいと幽子は結論づける。邪魔する気は毛頭ないが、それならそれでますます顔が見たいという思いが強まった。
 根がスケベな幽子は完全に野次馬思考へシフトする。
(インターホン越しの喘ぎ声とか聞けないかな)
 幽体になれる幽子に掛かれば隣人の情事を覗くことなど造作もないのだが、このマンションにおいては話は別だ。入居者すべてが魔物かつ組織の関係者なこのマンションは、素朴な外見に反して魔術的なセキュリティが万全なのである。
 正面玄関以外からの侵入は不可能。万魔殿や不思議の国に代表される異空間ワープにも全て制限が課せられており、中に入るにはこの年中眠たげな管理人の許可を得る他ない。勤務態度が真面目とは言い難い堂磨だが、一本筋の通った頑固者である。つまりパイパンな処女である。
「顔を見るだけなら」
「だめ」
「声だけでも」
「だめ」
「部屋の前にだけ」
「だめ」
「飴ちゃんあげますから」
「ありがとう。でもだめ」
 これは無理、と幽子は肩を落とす。
「仕方ないですね……」
 目的は果たせなかったがせめてもの土産にと、トートバッグから黒いポリ袋を取り出して堂磨に手渡した。
「内製のコンドームです。こっちはデキ婚上等な世界ではありませんから、男性が遠慮しないようにって技術班が。なるはやで届けていただけますか?」
「うけたまわりました」
「お願いします。では」
 堂磨に一礼し、幽子は受付を後にした。
 外に出てからふと、桜羅が住まうマンションに振り返る。外廊下にはいくつもの扉が立ち並んでいた。
 どこかの扉の向こうであの尾瀬桜羅が、同期の誰をも寄せ付けない実力と成績を残し、見るからに男好きなスタイルなのに欠片も異性に興味を示さず、色恋沙汰から耳を塞いで過ごしていたあの尾瀬桜羅が。出会って間もない男と乱れに乱れているのだと思うと、気分が高揚するのを抑えられなかった。
(正体は隠しきれないよねぇ)
 "こちら"で生まれ育った魔物ならば一度は経験する、隠れて過ごさなければならないマイノリティな立場に押し込まれたあの感覚。未だ正体秘するべしという風潮の中にあっては、幼少期は"向こう"で過ごすよう取り計らう親は多いと聞く。幽子も桜羅も生まれから育ちまで"こちら"側だが全体でみれば少ない方だ。
 そんな中で2人とも、変にひねくれずに歩んできたという自負があった。歪んだ価値観を押し付けがちな過激派勢力の活動を正す立場にもなれたのだし、客観的にみて真面目と呼べる部類だろう。
 だが幽子は、必要のない場所でも人間の擬態を解きたがらなかった桜羅の態度が気になっていた。人化の魔法にかかる労力は皆無とはいえ、場所に即した格好をとるのが普通と言うもの。出先から家に帰ったら自然と部屋着になるように。
 桜羅のそれは自らを律しているというには余りにも不自然だったし、まるで何かを隠したがっているかのようだった。それがどう転んだのかは当人に尋ねるしかない。
(どんな経緯か聞きたいな)
 学校で会ったらどう探りを入れようかと休み明けの月曜日が楽しみになる幽子だったが結論、桜羅の顔を見れたのは火曜になってからであった。
19/07/26 17:25更新 / カイワレ大根
戻る 次へ

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33