柚子風呂
〜心の芯から温かく〜
今日は待ちに待った柚子湯だ。久々に心が踊るのが手に取るようにわかる。長かったこの一年、真水に浸かれない私にとっては柚子風呂は最高の贅沢だ。この日だけはあちらの水を使ってくれるのだからな。ふむ、・・・出掛ける前に身嗜みを整えねば。貴族たる私がみすぼらしい姿で行くわけにはいかないのだから。
「・・・ふむ、襟元が軽く開いているパンツスーツがいいか・・それともフォーマルにすべきか・・ううむ」
やはり色はシックに黒を基調とした物が良いな。よし、パンツスーツで行くとしよう。私はデキル女なのだからな。では、いざ柚子湯へ!
「ええと、・・・石鹸などは大丈夫だな。私のお気に入りのローズマリーのシャンプーも良し。後は・・これ・・か」
そっと静かに胸ポケットにしまう。これを失うと大変な事になってしまうのだ。後は・・200円だったな。安くて本当に助かる。おかげで私も・・、んんっ!なんでもない。
「では、往くとしようか」
はぁ・・・此処に来るのも一年ぶりか。どれだけこの日を待ち望んだ事か。で、では・・・。
「いらっしゃ〜い、あら!久しぶりじゃないの」
「う・・うむ、久しぶりだな」
一年ぶりにこいつの顔を見たな。全く相変わらずのんびりしおって。
「今日が柚子湯って覚えててくれてたのね♪」
「ふんっ・・・、高貴であるヴァンパイアの私が浸かる湯だ。忘れるわけがなかろう」
「ふ〜〜ん、無理しちゃって」
「な、なんとでも言え!むっ・・・っととと!?」
私の背後からぶつかるとはなんたる無礼な奴め。一体誰だ!?
「すまない、まさか暖簾くぐって早々に誰かが居るとは思わなかったんだ」
「貴族である私に軽々しくぶつかるとは無礼な男め」
「・・・ッ!!」
な、なんだ。急にこいつの目に憎悪の炎が・・。これほどの憎しみは今までに見た事が無い。
「・・金持ち貴族の道楽は銭湯かよ。あんたみたいなのは一流のホテルでVIP様様のスイートルームで専属スタッフでも付けて優雅に楽しんでるほうが似合ってるんじゃねえのか?下々の娯楽を上から目線で眺めて悦に浸りたいってかあ?」
「・・な、・・そんな事は・・・」
「はんっ!どうだかな・・・・、チッ・・200円置いてくわ」
「ごゆっくり〜・・・」
あ、足が動かない。追いかけて一言声を掛けたかったのに。
「・・・・何故私があれほど憎まれたのだ・・」
「・・・・あっ君はね、幼い頃に両親を亡くしちゃってね。それからは孤児院で生活してたのよ。あの頃はいつも虐められてたのよ。ちょっとしたお金持ちの子にね・・。だけど、あの子は頑張って耐えて今じゃ敏腕会計士よ。貴方とは大違いね」
「・・・・」
「だから、あっ君にとっては貴族とか高貴とかお金持ちを連想させる言葉は禁句なのよね〜」
「・・・・風呂に浸かってくる」
・・・本当に私とは正反対だな。今の今まで貴族として振舞って・・、だけど今では・・。ダメだダメだ!今日は柚子湯に浸かって一年の贅沢を味わうって決めていたのだ。こんな事で気落ちしてる場合ではないのだ。
<カララララララ・・・・>
ん〜〜、柚子の香りが素晴らしい。まずは柚子がたっぷり放り込まれた湯で掛かり湯を。
「良い香りだ・・。体中に甘酸っぱい香りが纏わりついて・・」
なんと心地良い気分だろう。屋敷では味わえなかった最高の贅沢が此処にある。それに、この柚子の大きさ、手触り、色、匂い、全てが私の心を満たしてくれる。もしこれが冷えていたならば最高に美味であろう。一つ手に取り眺めてみる。
「嗚呼・・良い香りを放っているではないか・・・。もし牙を突き立てたらどのような極楽を私にもたらしてくれるのだろうか」
「ママー、あのお姉ちゃんユズ食べようとしてるよー?」
「違うわよ♪あれはちょっとした言葉遊びなの」
まぁ、本当に食べるわけでは無いが・・・。だが見れば見るほど本当に美味そうだ。いつか私の屋敷でも柚子湯に浸かれる日が来るといいのだが。
「はぁ…、気落ちしててもしょうがない。今日はたっぷりと味わっていくとするか・・」
やはり向こうの水は体によく馴染む。・・・そういえば父上と母上は元気にしているだろうか。実家を飛び出し早10数年。早く両親に良い報告を持っていきたいというのにままならないとは。
「一人は寂しいもんだな・・」
(・・・金持ち貴族の道楽は銭湯かよ)
何故急にあの男の顔が浮かぶのだ。べ、別に私はなんとも思っていないぞ。・・・はぁ、貴族か・・、私はそんな立派な人柄じゃない。確かに実家は名立たる名門だが私自身は・・。
「今日の柚子湯は少しだけ塩っ辛いな・・」
零れ出る涙を湯で洗い流し誤魔化す。いつものように薔薇の香りをふんだんに詰め込んだシャンプーを髪によく馴染ませ優しく揉むように丁寧に洗う。私自慢の長い黒髪は常に艶と輝きを持っていないとな。ああ、柚子の香りがする湯で洗い流すと美しさが際立つ。やはり髪は女の命だからな、大事にしないと。
「ふふん♪やはり黒髪は美しいな」
さて次は、体を美しくせねばな。この特注のスポンジで体中を満遍なく綺麗にしなくては。やはりこのスポンジの柔らかさは格別だ、私の体を隅々まで優しく撫でてくれてるようだ。よし、美しい肌になった。体も磨いた事だし、ゆっくり柚子湯に浸かるか。
「はぁ〜・・・極楽極楽」
そろそろいい時間だし出るとしようか。
<カララララララ・・・・>
「ふぅ・・・、良い湯であった」
年に一回しか入れないというのは少しばかりもどかしい気もするが、これはこれで一年の楽しみだ。次に来る時を楽しみに待っていよう。
ふむ、やはり柚子湯に浸かったからには風呂上りにはこれだな。
「柚子サイダーを貰うぞ」
「はいは〜〜い♪」
んぐ・・んぐ・・・はぁ。この甘酸っぱさがなんとも言えん。これを堪能したら早く帰って・・・ん?
「・・・・チッ、またアンタか」
「・・・・・」
先ほどの男か・・・。どうやら私に対してかなり敵意を持ってるようだな・・。生い立ちを知ってしまったからには私からは何も言う事は無いが・・、これではなんだか気が重い。
「すまんが柚子サイダー貰っていくぞ」
「は〜い」
こいつもこれが好物なのか・・。なんだか気まずい雰囲気だし、早く帰ろう。これ以上、目の敵にされるのもなんだしな。
「んぐ・・・んぐっ・・・ぷは・・」
私は飲み終えたし早く此処を・・・むっ!?
「・・・そこの男」
「んぐ・・・んぅ?なんか用かよ・・」
「そのままで動くな」
「?」
胸ポケットからソーイングセットを取り出し解れて今にも落ちそうなボタンを縫い直す。
「お、おい・・何やってんだよ!あんたみたいな貴族がする『私は貴族では無い!!』・・・・え?」
「・・・私の生まれは確かに貴族の出だ・・。だが、私自身は・・ただの没落貴族に過ぎない・・・」
「・・・・・」
「ここから少しばかり南に向かった所に小さな山があるだろう。私はそこにある屋敷に住んでいるんだ・・・」
「ああ・・、あの時代遅れのぼろ洋館・・・ぁ」
「気にするな・・、お前の言ってる事は正しいのだからな。・・・ほら、終わったぞ」
「・・・ありがとう」
「なに、気にする事は無い。私には執事やメイドが居る訳では無いから全て自分の手でしてるだけの事だ」
「・・・・先ほどは済まない・・。あんたの事・・何も知らずにあんな暴言吐いちまって・・」
意外にも殊勝な男だ。だが、それを言うなら私も同じだ。この男の事を何も知らずに貴族だの高貴だの語ってしまったのだからな。本来なら私が先に謝罪すべき事なんだ。
「私も済まなかった、お前の事は少しばかり聞かせて貰った。お前の生い立ちを知らなかったとはいえ傷口に塩を塗り込むような恥ずべき事を・・」
口では自らの事を貴族と言っておきながら人を傷つけるのは本当の貴族がするべき事では無い。私はなんて情けない事を・・・これでは誰も私に近づこうとする者は居ないはずだな。
「・・・では、私はこれで」
「待ってくれ!!」
突然なんだというのだ、私は一刻も早く館に戻りたいのに。
「・・・・その、・・・なんだ・・。あの・・」
「要領を得ない奴だな・・?何が言いたいのだ?」
「い、いや・・・だから・・その・・」
全くもどかしい奴だ。言いたい事があるのなら言え。私は今すぐ戻って館の掃除をしなくてはいけないのだ。
「お・・俺、あんたの事を誤解してた・・・。貴族だから金持ちとか・・人を見下すとか・・・、でも・・」
・・・貴族だから金持ちで相手を見下す・・・か。確かにその通りかも知れないな。昔の私はそうであったし。
「本当はあんたも相当苦労してるんだなって・・思ったら・・。そ、その・・さっきのボタンを縫い直してくれた時の事を思ったら・・」
何故手を握ってくるのだ?
「口の悪い俺だが・・お、俺と付き合ってくれ!いや、・・付き合ってください!!」
「・・・!?わ、私はヴァンパイアなのだぞ!?人間であるお前とは対等に付き合える訳が無かろう!?」
「だったら今すぐ俺に人を辞めさせてくれ!・・・頼む」
クッ・・、ここまで言われては私としても・・、私と・・しては・・ジュルリ。嗚呼、見れば見るほど美味そうな首筋だ・・・。
「ほ、本当に・・良いのだな・・ジュルッ」
「いつでもやってくれ!って、すごい涎が出てる!自分で言っておきながら今更ながら凄い不安になってきた・・」
だ、大丈夫だ。初めてだから優しく噛んでやるからな・・・ハァハァ。で、では・・・いただきまーす。
『嗚呼・・・柚子の香りと血がブレンドされて美味しい♥』
14/12/29 00:36更新 / ぷいぷい
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