屋敷潜入 その9 降臨 上
それはまさしく大いなる邪神を降臨させるかのような儀式そのものだった。
ロイ=ロッドケーストは床に膝をつき、両手を大きく掲げ恍惚とした表情を浮かべる。それは大いなる邪神降臨のために祈りをささげているかのようだった。
無粋な侵入者がロイの忠実なる僕を倒し、こちらへと向かっていることは知ってもいなくても、ロイにとってはもうどうでもいいことだった。
「あぁ…私の芸術作品の中で最高傑作のお前を今解き放つ時がきたとは…」
ロイの瞳は熱に浮かされたかのようにその一点の先しかもう見ていない。
ロイの視線の先には、大きな直方体の大量の水が入ったケースがある。その浸された水の中に眠る大いなる悪魔を連想させるかのような容姿。恐ろしいはずが美しいとも思わせるようなその荘厳な姿。
おそらくこの姿が表へと出れば誰もがその荘厳なる姿に人は皆跪き畏れ戦くだろう。いや、戦かない者などいない、この絶対的な存在を前にして。
眠る邪神の口元から、小さな気泡がゆっくりと浮かんでは消えることを繰り返している。
あと少し、あと少しで完全体が完成する。ほんの一時、この思案する時間までもがおしい。
どこからともなく無粋な侵入者の元と思われる足音が、あちらこちらから耳に不快に入ってくる。
なんとも無骨で愚かしい者たちだろうか。
「…来るか、この絶対的な存在にひれ伏すために…」
ロイは嘲り笑う。
「お前たちの畏れ戦く姿が手に取るように分かる…あぁ、見える、見える。すべて何もかもこの最高芸術の前にひれ伏す、生物史上の頂点に君臨するこの素晴らしき神に!!」
ロイの何かの歯車は完全に狂い、そして新たにその歯車はかみ合わさっていく。
不意にあのゴーストの自身の娘に似た亡者の姿が脳裏に過る。
「なんのつもりなんだ…私に何をさせたい?何故こんなものが浮かんでくる!?」
ロイはまるで分からない問題に悩む無垢な子供のように首を傾げる。それは一人ではない、またもう一人、と数が増えていき頭だけでなく心までもその姿に埋め尽くされていく。
「違う!違う違う!!」
ロイは、自身の周囲をしつこく飛ぶ煩い蠅を振り払うかのように手を必死で払う。
「そんな物知らない!私にはもう必要のない!!」
ロイは再び押さえつける。自身の忌まわしい記憶を、何を今更となってでてくるのかと嘆きたい。もう遅いのだ…。
「さぁ、眠りから覚めろ!!我が芸術よ!!」
硬質で何やら不思議な感触のする床を強く踏んでいく足音。
死者に哀悼をささげる喪服の様な黒いマントは羽織った黒で統一された姿と、それに相反するしなやかで優しくなるような温かみのある緑に統一された服装の姿の男女。
その後ろからつき添うように進むフワフワと浮かぶ未知なる浮遊体。一体は上品なドレスに身を纏った幼い少女、もう一人は使用人の着る服に身を纏い少女の従者といったところか。幼さがあるものどこか落ち着きのある風貌。
その一行が先を進む通路の壁は同じ色が続きどこまでも広がっている。一本道なのにまるで迷路のように感じてしまう、果たしてこの先に終点はあるのだろうか。
「!?」
「どうした?アレン」
突然アレンの足が止まりエリスはアレンの顔を覗き見る。
「…行き止まりだ」
「えっ、行き止まり?」
エリスは少し訝しげに片方の眉を吊り上げ、その先の通路を見る。
さっき巨大な化け蜘蛛を倒した空洞に繋がっていた通路の先、まるで長い糸のように続くその先は無機質な白い壁に塞がれていた。
アレンはどこかに隠し通路があるのではないかと思案し辺りに目を凝らす。天井を見ると、よく分からない細長い管の様な長い棒状の物(パイプ)が天井から壁へと伝いながら延々と来た道の壁に続いている。
「どこも異常はなさそうだが…」
「困ったことになりましたね、アレン様」
「壁をすり抜けようとしたけど、何故かすり抜けられないよ…」
アレンは各々の反応を聞き流し通路を陣取る壁に近づく。目を凝らしてみただけでは分からない、となると直接手で触れてみれば何か分かるはずと考えに行き着く。
「なっ!?」
壁は突如観音開きになりその先の通路が現れる。これもまたロイ=ロッドケーストの造りし未知の技術なのか。
ただただ驚かされるばかりであった。
「ん!?いつの間にか道が…」
「うぉ!!何だか肌寒いな…」
エリスは両手を豊満なあの部分の下で腕組んで寒々と身震いをしている。突如壁が扉のように開き、そこからヒュウヒュウと肌寒く感じる風が吹いている。どうやらこの通路は外の世界と繋がっていたようだ。
壁の先はまだ一本道の通路が長く続いていた、しかし景観は何もない虚無を感じさせる白色に塗られた壁は無く、広々とした岩肌の空間があり天井からは白と灰色が入り混じりつらら状に下がった岩がある。通路の手摺から下を覗くと奥に吸い込まれそうな断崖の下は透き通った湖の様な地下水が広がっている。
岩岩の僅かな隙間から差し込む、長い悪夢のような夜に終わりを告げるような日輪の光。その光が水が滲み込むかのように洞内の岩肌を幻想的に照らし出す。それは誰をも魅了する景色。
今まで陰鬱とした出来事の中で、体の隅々まで浄化されるような気がする。
アレンの黒いマントが岩岩から入ってくる隙間風で乱暴になびく、アレンは羽織ったマントを手で押さえる。とても吸い込まれそうなほど強い風だった。
「…眩しいですね、どうやら夜明けの様です」
エレナは静かにそう言いながら眩しそうに半目になりながらも、華奢な小さな手で日の光を制す。しかしどこかその目は寂しげで岩岩の微かな隙間の世界を覗くように見ていた。
ゴーストという魔物は、イメージ的に夜の寂れた墓標にしか姿は表さない。
いや、ゴーストに限らずアンデッド種のほとんどが光に弱いだろう。
「…大丈夫か?」
アレンは相変わらずまた冷めた調子でゴーストのエレナとエミリアに尋ねる。
エレナはアレンの一言に一瞬面くらった。エレナが今まで見ていたアレンは、冷めていてどこか内心に重い物を背負っているようで近寄りがたい存在だった。
その人物からまさか他人を思いやるような言葉が出てくるとは…。
「いえ、平気ですアレン様」
エレナは、長いロングスカートの裾を払い着ている服を整えるような仕草をし、微笑を浮かべた。
「お嬢様もお体の方は…」
「うん、私は大丈夫…。でも…」
エミリアは不安げに眉が垂れ下がる。目は激しく動揺しているように泳ぎ、岩肌の天井のある一点を恐る恐る見つめていた。
「…どうした?」
アレンはエミリアと同じようにその一点を見た。
幻想的な世界観を造り上げる日の光に照らされる洞内の岩肌、しかしその中に黒々と一目見て悪意ある存在が蠢いているのが分かる。そいつは体以上に大きな翼を羽ばたかせながら宙を飛んでいる、悪意の集まりの様に無数の手下を従え、言いようのない憎悪に滲ませた瞳の光をぎらつかせながらアレン達を見下ろしている。
アレン達は一度見たことある。
刃の様に鋭く長い爪、顔の部分に何やら眼鏡の様な仮面をつけている。表情が隠れているのにどこか嗜虐的で不快な笑みを浮かべているように見える。それは仮面でも隠しきれずにアレン達に対する憎しみがこぼれて滲み出ているのかもしれない。
「キッヒッヒヒヒ…サア死ネ!!」
無機質で造られた感じにもかかわらず攻撃的な声。内に秘めていたものを表にすべて撒き散らすように吐き出されるような。
「貴様ラノセイデ…貴様ラノセイデ…」
「まさか死んでいないなんて…くそっ、死に底ないが!!」
エリスの声に反応しハングドマンは口を憎々しげに歪ませる。
「…こいつにかまっている暇はない」
アレンは皆に踵を返すように促す。ハングドマンの存在はアレンの視界に入っていない。
(…これはおそらくロイの時間稼ぎ)
アレンの走りだす音に反応して背後のエリス達も足を速める。
「サセルカァ!!」
ハングドマンは自分に群がるあの小型蝙蝠の軍勢にアレンの足止めを命じる。
「!?」
「これは惨い…」
「お嬢様、見てはなりません!!」
エレナは両手でエミリアの目を覆う。そうこんな惨状を見せないために、せめて一時でも子供の心を守るという母親の様な親心。
それは地獄絵図と言った方がしっくりくる。
思わず目を背けたくなる光景。通路の真ん中に打ち捨てられた人形のように置かれた死肉を啄ばまれ骨が所々垣間見れる残虐な遺体の群れ。元々の姿は一体どうだったのだろうか。
破れたように穴が幾つもあいた漆黒の翼、食い千切られ所々から赤黒い血を流す尖った耳。それは人ならざる者の証。
柔らかに丸みを帯びてなく、スレンダーではあるが女性の様に華奢で健康的な体だったのだろうか、太ももや胴回りがほっそりとして洗練された感じがする。しかし体は濁った赤黒い血で化粧の様に施され、肉が啄ばまれてその生きていた頃のような美しい肢体は今や見る影もない。
果して彼女は最期に一体何を見ていたのだろうか、目元まである濃い藍色の長い髪が乱れ、目がくっきりと苦痛に苛まれたように見開かれ、生気のない濁った瞳が何もない虚空をただ見つめている。
おそらく地形の環境からしてこいつはワーバットであるとアレンは推測する。
ワーバットらしき遺体に群がるハングドマンの小型蝙蝠の取り巻き達が、蛆虫の様に群がり何やらバサバサと不快な音を立てている。
生きたまま死んだのか、それとも致命傷を負わされ息絶えたか。
どちらにせよ死んだ後もこうして人の目に触れさせられ、まるで死んでもなお死者を辱めているようで言いようのない憤りさえ感じる。
アレンは鼻が折れるような臭いがし、手で鼻の穴を覆う。
「……」
エリスは握り拳を造りその手に汗がジワジワと滲む。
「…アレンお前は先に行け」
「…好きにしろ」
アレンはまず、目の前にあるワーバット達の遺体の処理を第一とした。さすがにこの遺体の海の中を通過するのは気が引ける。それに通過する前に遺体に群がるハングドマンの取り巻き達に襲撃を食らう惧れがある。
炎でこいつ等共々火葬しようか。
アレンは右手に炎を纏わせワーバットの遺体の海に炎を投げ入れる。
「アレン様、まさか…」
「エレナ…下がっていろ」
炎は轟々と音を立て、ワーバットと遺体に群がる小型蝙蝠達を無にすべく焼き尽くしていく。不思議と時間はかからずに、ワーバットと小型蝙蝠達の姿は徐々に原形を留めなくなる。
その様子をアレンとエレナ達は黙って見届けていた。アレンは何だか不思議な感覚だった。今までの自分は、もしこの状況だったら遺体だろうと気にせず、その上を踏み越えて行っていただろうと考える。
何かが消えるのは何度も見ている、平気だったはずなのに…。
燃え終わり、通路の上には塵にもよく似た灰しか残っていなかった。そして岩岩からの隙間風によって綺麗に飛ばされた。
アレンはまた再び歩を進める。その最中、あの広々とした天井の岩肌辺りから物が激しくぶつかりあうような音がする。
…エリスか。
「キッヒヒャハハハ…ドウダァ?面白イダロウォ?コウヤッテ顔ヲ歪マセテ、クタバル野郎ヲ見ルノヲサァ…」
ハングドマンは、熱を浮かべたように腹を抱えて笑い人を小馬鹿にした目で見下げている。ワザと声を裏返しながら。
「―!?」
突如ハングドマンは大きな翼で体を守るように覆う。
「ヨクモヤッタナ、トカゲ野郎!!」
ハングドマンは口を歪ませると、目を尖らせ上目づかいである方向を見ていた。
広々とした天井の岩肌を這いながら、颯爽と所々の岩肌に飛び移る一つの影。そしてその影は飛び移り様に、身を震わせる様な風の力が籠った真空の刃がこちらに向かって放たれてくる。
ハングドマンは四方八方に飛びまわりそれをいとも容易く避けている、がしかし特殊なメガネで隠された表情はそれと裏腹に、焦りと戸惑いに溢れていた。
(何ダ…コノ女!?)
ハングドマンは気後れしていた。それはエリスから発せられる妙なほど強い気迫の意思に、だ。エリスが技を外す理由は、あのワーバットの遺体からこみあげた激しい憤りからだろう。力んで力任せに考えなしに手当たり次第波動を放っている。しかし、その真空の刃の波動はあのとき以上に強力になっているとハングドマンは感じる。
(フザケタ真似ヲ…)
ハングドマンは、思いっきりこちらの懐に突っ込むエリスを払いのけるように薙ぎ払った。ハングドマンの刃の様な鋭い爪は的確にエリスの白い肌に傷をつける。
「何度モ同ジコトノ繰リ返シカ?単調ダナ!!」
「くっ…」
エリスはそのまま岩肌の壁に叩きつけられた。そして底へ落ちかけるが、何とか岩壁の出っ張りに手をかける。所謂ピンチを迎えているのだ。
エリスの様子にハングドマンは勝ち誇ったかのような自惚れた笑みを浮かべる。そして刃の様な鋭い爪をぎらつかせエリスに迫ってくる。
エリスはぶらつかせた手に持つ剣で、ハングドマンの反撃を迎え撃とうとする、が腕に感覚が無くなったように動かない。よく見ると腕の軟な白い肌を真っ赤な鮮血が汚し皮膚がハングドマンの爪で抉れていた。
(しまった…動かない!!)
エリスは悔しげに口を歪ませる。このままではまともに…。
何か…何か打開策は…。辛うじて何とか剣を振り下ろせるぐらいはできる、しかしそれは一回限りだろう。
もし、外したら…。それを思うとエリスの背筋は凍りつく。
―敵が遠ければ遠いほど技は命中しない。それは動き回られて避けられるし、第一的(まと)が小さいからだ。奴(ハングドマン)は常に遠距離から素早く接近して攻撃してくる。攻撃する時は誰でも無防備だ、なにせ守りを捨てているのだから。接近してくれば尚更的(まと)は大きくなるし、何よりもチャンスだ。
―しかし、これは接近戦を得意としている奴にしか効きそうにないが、な。
これはエリスがハングドマンに戦いを仕掛ける時ある人物が独り言のように呟いた内容だった。
アレン…。
エリスはアレンの言葉が脳裏をよぎる。もしかして…これは彼の言うチャンスか?ハングドマンは驕りに浸り私に油断している。
ならこれに賭けるしかない!
エリスは腕に力を入れ、手に持つ剣に力を集結させる。不思議と腕と剣が一本の太い糸に繋がれたように嘘みたいに腕が動く痛みを感じない。神経が行き渡るような感覚。
エリスの目に再び強い意志が宿った。
ハングドマンは、今まさに勝ち誇った余裕の笑みを口からこぼしていた。相手のトカゲ女は自分の爪で剣を持つ腕を抉られ絶体絶命となっているのだから。
(怒リニ身ヲ任セタ報イ…何ト愚カナ女ダァ…)
駄目だ、口から笑いをこらえることができない。この前の借りをいとも容易く返せることになるとは…。
トカゲ女は目元に皺が寄せるくらい強く目をつむり、体をブルブルと震わせていた。まるで邪悪な儀式の供物としてささげられた哀れな子羊のように。
愚かだ…人という、いや違う魔物という世から蔑まれている哀れな生き物。
「残念ダッタナ、自分ノ愚カサニ嘆クガイイ!!」
そしてハングドマンとエリスの距離が僅かとなり、ハングドマンの腕がエリスの前に振り下ろされかけた。
「隙あり!!」
エリスはすかさずこの瞬間を見逃さなかった。ぶら下げた腕に一気に力を入れる。腕に来る激しい痛みの衝撃をこらえ何とかして、ハングドマンの急所である胴ごと切りつけるように剣を真横に切りつける。
そうすると剣先から、さっきの真空の刃の波動と比べ物とならぬほどの強力な波動が生まれ、胴ごと切り捨てるようなほど大きな一撃が繰り出された。
それは一気に風を巻き上げ壁に穴をあけるドリルの如く、ハングドマンの胴の血肉をだらしなく撒き散らしながら突き進んでいった。
ハングドマンは状況が分からなかった。ただエリスの闘志溢れる強い意志が宿った瞳が映っただけであった。
体が反応し離れようとしたが、もう遅かった。いや、反応できなかった。
「グッ…ワァ…」
ハングドマンは苦痛に顔を歪め口から発せられる言葉は声にならない。代わりに赤黒い濁った血が、口から湧水の様に流れてくるだけだった。
(ナッ、何故ダ…ドウシテ?)
ハングドマンは朦朧としていく意識の中で何故また負けたのかと思案するが、やがて視界が黒く塗りつぶされる中でその思考は停止していった。
そしてハングドマンの胴に穴があいた遺体はそのまま落ちていく、そして底の地下水の水面に姿は消えて見えなくなった。
「…終わった」
エリスは肩に何かが下りたような気がした。何だか視界が真っ白になっていく、体から力が抜けていく。
(何だか…眠い)
「…何をしている?早くこっちへ急げ」
ミルクが溶けて蕩けるように視界が白く包まれる中、誰かの声が遠くから聞こえてきた。いつも冷めていてぶっきら棒で人を寄せ付けない声。
(ア…レン…)
ロイ=ロッドケーストは床に膝をつき、両手を大きく掲げ恍惚とした表情を浮かべる。それは大いなる邪神降臨のために祈りをささげているかのようだった。
無粋な侵入者がロイの忠実なる僕を倒し、こちらへと向かっていることは知ってもいなくても、ロイにとってはもうどうでもいいことだった。
「あぁ…私の芸術作品の中で最高傑作のお前を今解き放つ時がきたとは…」
ロイの瞳は熱に浮かされたかのようにその一点の先しかもう見ていない。
ロイの視線の先には、大きな直方体の大量の水が入ったケースがある。その浸された水の中に眠る大いなる悪魔を連想させるかのような容姿。恐ろしいはずが美しいとも思わせるようなその荘厳な姿。
おそらくこの姿が表へと出れば誰もがその荘厳なる姿に人は皆跪き畏れ戦くだろう。いや、戦かない者などいない、この絶対的な存在を前にして。
眠る邪神の口元から、小さな気泡がゆっくりと浮かんでは消えることを繰り返している。
あと少し、あと少しで完全体が完成する。ほんの一時、この思案する時間までもがおしい。
どこからともなく無粋な侵入者の元と思われる足音が、あちらこちらから耳に不快に入ってくる。
なんとも無骨で愚かしい者たちだろうか。
「…来るか、この絶対的な存在にひれ伏すために…」
ロイは嘲り笑う。
「お前たちの畏れ戦く姿が手に取るように分かる…あぁ、見える、見える。すべて何もかもこの最高芸術の前にひれ伏す、生物史上の頂点に君臨するこの素晴らしき神に!!」
ロイの何かの歯車は完全に狂い、そして新たにその歯車はかみ合わさっていく。
不意にあのゴーストの自身の娘に似た亡者の姿が脳裏に過る。
「なんのつもりなんだ…私に何をさせたい?何故こんなものが浮かんでくる!?」
ロイはまるで分からない問題に悩む無垢な子供のように首を傾げる。それは一人ではない、またもう一人、と数が増えていき頭だけでなく心までもその姿に埋め尽くされていく。
「違う!違う違う!!」
ロイは、自身の周囲をしつこく飛ぶ煩い蠅を振り払うかのように手を必死で払う。
「そんな物知らない!私にはもう必要のない!!」
ロイは再び押さえつける。自身の忌まわしい記憶を、何を今更となってでてくるのかと嘆きたい。もう遅いのだ…。
「さぁ、眠りから覚めろ!!我が芸術よ!!」
硬質で何やら不思議な感触のする床を強く踏んでいく足音。
死者に哀悼をささげる喪服の様な黒いマントは羽織った黒で統一された姿と、それに相反するしなやかで優しくなるような温かみのある緑に統一された服装の姿の男女。
その後ろからつき添うように進むフワフワと浮かぶ未知なる浮遊体。一体は上品なドレスに身を纏った幼い少女、もう一人は使用人の着る服に身を纏い少女の従者といったところか。幼さがあるものどこか落ち着きのある風貌。
その一行が先を進む通路の壁は同じ色が続きどこまでも広がっている。一本道なのにまるで迷路のように感じてしまう、果たしてこの先に終点はあるのだろうか。
「!?」
「どうした?アレン」
突然アレンの足が止まりエリスはアレンの顔を覗き見る。
「…行き止まりだ」
「えっ、行き止まり?」
エリスは少し訝しげに片方の眉を吊り上げ、その先の通路を見る。
さっき巨大な化け蜘蛛を倒した空洞に繋がっていた通路の先、まるで長い糸のように続くその先は無機質な白い壁に塞がれていた。
アレンはどこかに隠し通路があるのではないかと思案し辺りに目を凝らす。天井を見ると、よく分からない細長い管の様な長い棒状の物(パイプ)が天井から壁へと伝いながら延々と来た道の壁に続いている。
「どこも異常はなさそうだが…」
「困ったことになりましたね、アレン様」
「壁をすり抜けようとしたけど、何故かすり抜けられないよ…」
アレンは各々の反応を聞き流し通路を陣取る壁に近づく。目を凝らしてみただけでは分からない、となると直接手で触れてみれば何か分かるはずと考えに行き着く。
「なっ!?」
壁は突如観音開きになりその先の通路が現れる。これもまたロイ=ロッドケーストの造りし未知の技術なのか。
ただただ驚かされるばかりであった。
「ん!?いつの間にか道が…」
「うぉ!!何だか肌寒いな…」
エリスは両手を豊満なあの部分の下で腕組んで寒々と身震いをしている。突如壁が扉のように開き、そこからヒュウヒュウと肌寒く感じる風が吹いている。どうやらこの通路は外の世界と繋がっていたようだ。
壁の先はまだ一本道の通路が長く続いていた、しかし景観は何もない虚無を感じさせる白色に塗られた壁は無く、広々とした岩肌の空間があり天井からは白と灰色が入り混じりつらら状に下がった岩がある。通路の手摺から下を覗くと奥に吸い込まれそうな断崖の下は透き通った湖の様な地下水が広がっている。
岩岩の僅かな隙間から差し込む、長い悪夢のような夜に終わりを告げるような日輪の光。その光が水が滲み込むかのように洞内の岩肌を幻想的に照らし出す。それは誰をも魅了する景色。
今まで陰鬱とした出来事の中で、体の隅々まで浄化されるような気がする。
アレンの黒いマントが岩岩から入ってくる隙間風で乱暴になびく、アレンは羽織ったマントを手で押さえる。とても吸い込まれそうなほど強い風だった。
「…眩しいですね、どうやら夜明けの様です」
エレナは静かにそう言いながら眩しそうに半目になりながらも、華奢な小さな手で日の光を制す。しかしどこかその目は寂しげで岩岩の微かな隙間の世界を覗くように見ていた。
ゴーストという魔物は、イメージ的に夜の寂れた墓標にしか姿は表さない。
いや、ゴーストに限らずアンデッド種のほとんどが光に弱いだろう。
「…大丈夫か?」
アレンは相変わらずまた冷めた調子でゴーストのエレナとエミリアに尋ねる。
エレナはアレンの一言に一瞬面くらった。エレナが今まで見ていたアレンは、冷めていてどこか内心に重い物を背負っているようで近寄りがたい存在だった。
その人物からまさか他人を思いやるような言葉が出てくるとは…。
「いえ、平気ですアレン様」
エレナは、長いロングスカートの裾を払い着ている服を整えるような仕草をし、微笑を浮かべた。
「お嬢様もお体の方は…」
「うん、私は大丈夫…。でも…」
エミリアは不安げに眉が垂れ下がる。目は激しく動揺しているように泳ぎ、岩肌の天井のある一点を恐る恐る見つめていた。
「…どうした?」
アレンはエミリアと同じようにその一点を見た。
幻想的な世界観を造り上げる日の光に照らされる洞内の岩肌、しかしその中に黒々と一目見て悪意ある存在が蠢いているのが分かる。そいつは体以上に大きな翼を羽ばたかせながら宙を飛んでいる、悪意の集まりの様に無数の手下を従え、言いようのない憎悪に滲ませた瞳の光をぎらつかせながらアレン達を見下ろしている。
アレン達は一度見たことある。
刃の様に鋭く長い爪、顔の部分に何やら眼鏡の様な仮面をつけている。表情が隠れているのにどこか嗜虐的で不快な笑みを浮かべているように見える。それは仮面でも隠しきれずにアレン達に対する憎しみがこぼれて滲み出ているのかもしれない。
「キッヒッヒヒヒ…サア死ネ!!」
無機質で造られた感じにもかかわらず攻撃的な声。内に秘めていたものを表にすべて撒き散らすように吐き出されるような。
「貴様ラノセイデ…貴様ラノセイデ…」
「まさか死んでいないなんて…くそっ、死に底ないが!!」
エリスの声に反応しハングドマンは口を憎々しげに歪ませる。
「…こいつにかまっている暇はない」
アレンは皆に踵を返すように促す。ハングドマンの存在はアレンの視界に入っていない。
(…これはおそらくロイの時間稼ぎ)
アレンの走りだす音に反応して背後のエリス達も足を速める。
「サセルカァ!!」
ハングドマンは自分に群がるあの小型蝙蝠の軍勢にアレンの足止めを命じる。
「!?」
「これは惨い…」
「お嬢様、見てはなりません!!」
エレナは両手でエミリアの目を覆う。そうこんな惨状を見せないために、せめて一時でも子供の心を守るという母親の様な親心。
それは地獄絵図と言った方がしっくりくる。
思わず目を背けたくなる光景。通路の真ん中に打ち捨てられた人形のように置かれた死肉を啄ばまれ骨が所々垣間見れる残虐な遺体の群れ。元々の姿は一体どうだったのだろうか。
破れたように穴が幾つもあいた漆黒の翼、食い千切られ所々から赤黒い血を流す尖った耳。それは人ならざる者の証。
柔らかに丸みを帯びてなく、スレンダーではあるが女性の様に華奢で健康的な体だったのだろうか、太ももや胴回りがほっそりとして洗練された感じがする。しかし体は濁った赤黒い血で化粧の様に施され、肉が啄ばまれてその生きていた頃のような美しい肢体は今や見る影もない。
果して彼女は最期に一体何を見ていたのだろうか、目元まである濃い藍色の長い髪が乱れ、目がくっきりと苦痛に苛まれたように見開かれ、生気のない濁った瞳が何もない虚空をただ見つめている。
おそらく地形の環境からしてこいつはワーバットであるとアレンは推測する。
ワーバットらしき遺体に群がるハングドマンの小型蝙蝠の取り巻き達が、蛆虫の様に群がり何やらバサバサと不快な音を立てている。
生きたまま死んだのか、それとも致命傷を負わされ息絶えたか。
どちらにせよ死んだ後もこうして人の目に触れさせられ、まるで死んでもなお死者を辱めているようで言いようのない憤りさえ感じる。
アレンは鼻が折れるような臭いがし、手で鼻の穴を覆う。
「……」
エリスは握り拳を造りその手に汗がジワジワと滲む。
「…アレンお前は先に行け」
「…好きにしろ」
アレンはまず、目の前にあるワーバット達の遺体の処理を第一とした。さすがにこの遺体の海の中を通過するのは気が引ける。それに通過する前に遺体に群がるハングドマンの取り巻き達に襲撃を食らう惧れがある。
炎でこいつ等共々火葬しようか。
アレンは右手に炎を纏わせワーバットの遺体の海に炎を投げ入れる。
「アレン様、まさか…」
「エレナ…下がっていろ」
炎は轟々と音を立て、ワーバットと遺体に群がる小型蝙蝠達を無にすべく焼き尽くしていく。不思議と時間はかからずに、ワーバットと小型蝙蝠達の姿は徐々に原形を留めなくなる。
その様子をアレンとエレナ達は黙って見届けていた。アレンは何だか不思議な感覚だった。今までの自分は、もしこの状況だったら遺体だろうと気にせず、その上を踏み越えて行っていただろうと考える。
何かが消えるのは何度も見ている、平気だったはずなのに…。
燃え終わり、通路の上には塵にもよく似た灰しか残っていなかった。そして岩岩からの隙間風によって綺麗に飛ばされた。
アレンはまた再び歩を進める。その最中、あの広々とした天井の岩肌辺りから物が激しくぶつかりあうような音がする。
…エリスか。
「キッヒヒャハハハ…ドウダァ?面白イダロウォ?コウヤッテ顔ヲ歪マセテ、クタバル野郎ヲ見ルノヲサァ…」
ハングドマンは、熱を浮かべたように腹を抱えて笑い人を小馬鹿にした目で見下げている。ワザと声を裏返しながら。
「―!?」
突如ハングドマンは大きな翼で体を守るように覆う。
「ヨクモヤッタナ、トカゲ野郎!!」
ハングドマンは口を歪ませると、目を尖らせ上目づかいである方向を見ていた。
広々とした天井の岩肌を這いながら、颯爽と所々の岩肌に飛び移る一つの影。そしてその影は飛び移り様に、身を震わせる様な風の力が籠った真空の刃がこちらに向かって放たれてくる。
ハングドマンは四方八方に飛びまわりそれをいとも容易く避けている、がしかし特殊なメガネで隠された表情はそれと裏腹に、焦りと戸惑いに溢れていた。
(何ダ…コノ女!?)
ハングドマンは気後れしていた。それはエリスから発せられる妙なほど強い気迫の意思に、だ。エリスが技を外す理由は、あのワーバットの遺体からこみあげた激しい憤りからだろう。力んで力任せに考えなしに手当たり次第波動を放っている。しかし、その真空の刃の波動はあのとき以上に強力になっているとハングドマンは感じる。
(フザケタ真似ヲ…)
ハングドマンは、思いっきりこちらの懐に突っ込むエリスを払いのけるように薙ぎ払った。ハングドマンの刃の様な鋭い爪は的確にエリスの白い肌に傷をつける。
「何度モ同ジコトノ繰リ返シカ?単調ダナ!!」
「くっ…」
エリスはそのまま岩肌の壁に叩きつけられた。そして底へ落ちかけるが、何とか岩壁の出っ張りに手をかける。所謂ピンチを迎えているのだ。
エリスの様子にハングドマンは勝ち誇ったかのような自惚れた笑みを浮かべる。そして刃の様な鋭い爪をぎらつかせエリスに迫ってくる。
エリスはぶらつかせた手に持つ剣で、ハングドマンの反撃を迎え撃とうとする、が腕に感覚が無くなったように動かない。よく見ると腕の軟な白い肌を真っ赤な鮮血が汚し皮膚がハングドマンの爪で抉れていた。
(しまった…動かない!!)
エリスは悔しげに口を歪ませる。このままではまともに…。
何か…何か打開策は…。辛うじて何とか剣を振り下ろせるぐらいはできる、しかしそれは一回限りだろう。
もし、外したら…。それを思うとエリスの背筋は凍りつく。
―敵が遠ければ遠いほど技は命中しない。それは動き回られて避けられるし、第一的(まと)が小さいからだ。奴(ハングドマン)は常に遠距離から素早く接近して攻撃してくる。攻撃する時は誰でも無防備だ、なにせ守りを捨てているのだから。接近してくれば尚更的(まと)は大きくなるし、何よりもチャンスだ。
―しかし、これは接近戦を得意としている奴にしか効きそうにないが、な。
これはエリスがハングドマンに戦いを仕掛ける時ある人物が独り言のように呟いた内容だった。
アレン…。
エリスはアレンの言葉が脳裏をよぎる。もしかして…これは彼の言うチャンスか?ハングドマンは驕りに浸り私に油断している。
ならこれに賭けるしかない!
エリスは腕に力を入れ、手に持つ剣に力を集結させる。不思議と腕と剣が一本の太い糸に繋がれたように嘘みたいに腕が動く痛みを感じない。神経が行き渡るような感覚。
エリスの目に再び強い意志が宿った。
ハングドマンは、今まさに勝ち誇った余裕の笑みを口からこぼしていた。相手のトカゲ女は自分の爪で剣を持つ腕を抉られ絶体絶命となっているのだから。
(怒リニ身ヲ任セタ報イ…何ト愚カナ女ダァ…)
駄目だ、口から笑いをこらえることができない。この前の借りをいとも容易く返せることになるとは…。
トカゲ女は目元に皺が寄せるくらい強く目をつむり、体をブルブルと震わせていた。まるで邪悪な儀式の供物としてささげられた哀れな子羊のように。
愚かだ…人という、いや違う魔物という世から蔑まれている哀れな生き物。
「残念ダッタナ、自分ノ愚カサニ嘆クガイイ!!」
そしてハングドマンとエリスの距離が僅かとなり、ハングドマンの腕がエリスの前に振り下ろされかけた。
「隙あり!!」
エリスはすかさずこの瞬間を見逃さなかった。ぶら下げた腕に一気に力を入れる。腕に来る激しい痛みの衝撃をこらえ何とかして、ハングドマンの急所である胴ごと切りつけるように剣を真横に切りつける。
そうすると剣先から、さっきの真空の刃の波動と比べ物とならぬほどの強力な波動が生まれ、胴ごと切り捨てるようなほど大きな一撃が繰り出された。
それは一気に風を巻き上げ壁に穴をあけるドリルの如く、ハングドマンの胴の血肉をだらしなく撒き散らしながら突き進んでいった。
ハングドマンは状況が分からなかった。ただエリスの闘志溢れる強い意志が宿った瞳が映っただけであった。
体が反応し離れようとしたが、もう遅かった。いや、反応できなかった。
「グッ…ワァ…」
ハングドマンは苦痛に顔を歪め口から発せられる言葉は声にならない。代わりに赤黒い濁った血が、口から湧水の様に流れてくるだけだった。
(ナッ、何故ダ…ドウシテ?)
ハングドマンは朦朧としていく意識の中で何故また負けたのかと思案するが、やがて視界が黒く塗りつぶされる中でその思考は停止していった。
そしてハングドマンの胴に穴があいた遺体はそのまま落ちていく、そして底の地下水の水面に姿は消えて見えなくなった。
「…終わった」
エリスは肩に何かが下りたような気がした。何だか視界が真っ白になっていく、体から力が抜けていく。
(何だか…眠い)
「…何をしている?早くこっちへ急げ」
ミルクが溶けて蕩けるように視界が白く包まれる中、誰かの声が遠くから聞こえてきた。いつも冷めていてぶっきら棒で人を寄せ付けない声。
(ア…レン…)
10/12/23 22:05更新 / 墓守の末裔
戻る
次へ