屋敷潜入その8 真実
「どういうことだ…?ハングドマンからの連絡が無いだと?」
屋敷の地下研究室にて、ロイ=ロッドケーストは今までに無かった異例の事態に困惑の表情をあらわにしていた。
「馬鹿な…侵入者に倒されたというのか?いや、あれは駄作ではなかったものなのに、くそぉ…侵入者め、もしや新魔物派の国が送りつけたエージェントか?ふざけた真似をしよって…」
ロイは傍のデスクに激しく拳を叩きつけ、憎々しげに言葉を吐く。長い間地下に籠って研究ばかりしていたため、ロイの周りは塵と埃まみれで掃除はほとんどされていない。埃が舞ってその一部がロイの気管に入りロイはむせて咳をする。それが更にイライラを助長させる。
「くそ、なんだこの様は…」
むせてむせた後、ロイは額のこめかみを押さえつけイライラを抑制しようとした。ほとんど飲まず食わずの日々を過ごして、だんだんカルシウムや他の栄養素が不足しているのだろうとロイは思案する。
「もしや連中はここの存在に気付き、ここに来ているのだとしたら…」
不意に大きく目が見開かれる、寝る間も惜しんでいった日々を赤く充血した目がそれを証明している。とんでもない、連中にこの研究成果を渡してたまるか、研究資金援助を惜しみなくしてくれた、この素晴らしき芸術を造らせてくれた“あの男“にあわす顔が無い。
「絶対に阻止せねば、この芸術は誰にも渡さない。いや、渡すものか消さなければ…消さなければ…」
ロイは呪詛を唱えるかのごとく、その言葉ばかりをオウムのように繰り返した。
「ここが、ロイ=ロッドケーストの書斎か」
「はい…ここが旦那様の書斎です」
アレンの目の前には大きな扉が立ちふさがっていた。ここだけ妙に部屋の造りは違い、一番離れの位置にある。明らかに扉に施されている装飾も他の部屋の扉とは違う。
「…いいのか?扉を壊しても」
扉の装飾はとても高価でエレガントに感じる。壊すなんてもったいなく感じてしまい、エリスは少しだけ扉の前から身を引く。その後背後からエミリアがいたずら半分に驚かし、エリスは半狂乱のパニックに陥り周辺を行ったり来たりを繰り返している。
(相も変わらず…このアホトカゲを一度でも真面目に脅威に見ていた自分が馬鹿らしくなってくる、さっきのあの感情を返せ…本当に)
アレンはこめかみ辺りに、じわじわと侵食し始めるイライラの波を必死に親指で、押さえつけて洪水をおこさないように努力をする。全くこんな奴が何故あの化け物に勝てたのかおかしい、これは何かの間違いだと。
「ぶっ壊すぞ…」
アレンは扉に体当たりをする。
「……」
扉は思いのほか簡単に壊れ、書斎への侵入を安易に許した。
部屋の中は当時のままと変わっていないのだろうか、長い間物が動かされていないのがよく分かる。中央にブラックのシンプルなインテリアソファーが置かれ、オールガラスのシンプルで統一されたデザインのテーブルがあり、その奥には仕事用として使われていたような、本ばかりがきちんと整理して納められているデスクがある。それもどれも埃がかぶり皆眠るようにして佇んでいる。
「ずいぶんと洗練された物の選びだな、私は嫌いじゃない」
いつの間にかエリスが元に戻り、顎に手を当ててさも偉そうに語り始めた。
アレンはその言葉を無視し黙って部屋に足を踏み入れる。そして奥のデスクの元へ行くと、適当に整理された本を抜き取り何気なくページを開く。正直なことを言えば、アレンは部屋のインテリアセンスなんてどうでもいい。
「…何をお探しになっているのですか、何もおっしゃらないので…」
「…悪いが少し黙っていてくれ、作業に集中できない」
アレンの内心は今、さっきのあの化け物を自分一人で片づけられず、エリスにいとも簡単に倒され自分の痴態をさらしてしまったことをひきずっていた。本来ならばあんなことにはなっていなかった、自分の力をあまり過信し過ぎたということなのだろうか、そうだとしたら自分はなんて愚かだろうと自嘲気味の笑みを浮かべる。それだけではない、エリスが倒してくれなければ自分は死んでいた、それはエリスに助けられたということになる。
(くそ…なんでだ…借りはつくりたくない)
実はアレンはエリスに礼を言えていなかった。それは素直ではないから、はたまた余計な天狗だったプライドが邪魔をしているのかは定かではない、こういうことはアレンの人生で初めてだった。
「…おい、突っ立ってないでお前も作業を手伝え」
まだアレンはエリスに高圧的に言う、思わぬ発言にアレンは内心しまったと思った。だがエリスはそんな様子に嫌な顔一つせず母のような温かい包容力で、それに黙ってこたえる。
(エリスお姉ちゃん健気だなぁ…)
エミリアはエリスの反応に大きく驚嘆する。ただ、普通はこんな反応されたら絶対に人は寄り付かないのにと。
アレンは適当にめくっていた本の内容に大体の部分に目を通す。
レポートファイル
Hangedman Type 041
弱点 翼以外の胴体部分
手下であるデビロン(小型蝙蝠)を従え言語を操ることができる。非常に高い知能を持った作品だ。
そして私に忠誠を誓う忠実な僕である。戦闘能力はさほど高くはないが、その高い知能で狡賢い戦術を思案し駆使することができるため、戦闘能力は気にはならない。(あまり知能を高めてしまえば、命令を無視し私を裏切る危険性があるため、数値は人間の知能と同等に設定している)
ハーピーなどの鳥獣型や人間(屋敷の使用人)を大量に素材としている。
Hermit (Type 6803)
弱点 頭部
鋼鉄のように固いから殻のボディを持つ巨大な蜘蛛…
「…!?」
アレンは思わず目を見張る。
「ん…どうした、何かあったのか?」
「…いや、なんでもない」
アレンはスッとページをめくっていた本を自分の懐にしまう、その様子は明らかに何かがあるとしか思えなかった。
「…本当に?」
「何度も言わせるな…」
エリスはその反応にとりあえず何も言わなかった。隠していることは確実だが、今この状況で言い争いをしても何の意味も無い。
(まさか…こんなものを幾つも造っていたのか…)
「…もうここへは用はないな」
「…用はない?一体どうするんだ…?」
さすがにエリスも振り回されるのに疲れ呆れたかのような顔をしている。普通ならばもはや憤りを感じても問題にならないレベルの限度。
「いったん一階のエントランスホールに戻る。エレナ、ロイ=ロッドケーストがいつも利用していた地下室の場所は分かるな?」
「…」アレンの問いにエレナは静かに頷いた。
アレンは一階エントランスホールへと、鉛のように重くなった足に鞭を入れ移動を開始する、一歩一歩が床を叩くように歩き足の裏がどうにかなりそうだった。エレナ達ゴーストはフワフワと浮遊しているため、この苦痛は分かるはずがない。
「…誰だ?」
アレンは2階の手摺からまじまじと1階のエントランスを覗き見る。最初に入った時と同様、人一人いなかったエントランスホールに人間の気配がした。
「…アレン、見えるか」
「…勿論見えてるよ、というよりも恐れないんだな」
「あぁ、あいつは間違いなく生身の人間だ」
「…もしかして、お父さん?」
「…あの姿は、間違いないです!!あれは旦那様…生きておられたのですね!?」
エレナとエミリアの声は驚きと衝撃のあまりうわずっていた、何せ目の前にいるのはずっと探し求めていた重要人物、ロイ=ロッドケースト本人だったのだから。
ロイの印象はまず驚くほど痩せてヒョロっとしていた。彼が着ている白衣は随分と長く着込んでいたのか、大分くたびれたように疲れてやつれた風貌をさらけ出している。眼鏡をかけて顔の表情はよく読み取れない。
「政府の犬ども、私が誰だか分かるだろう?ようやくこうして初顔合わせだ。よくここまで来れたなまずは褒めてやろう。しかしよくも私の芸術作品を滅茶苦茶にしてくれたようだが…このまま黙ってこの屋敷から帰すとは思ってないだろ?…」
ロイの言葉は静かではあったがどこか熱を帯びていた。アレンはロイが自分の造った芸術を破壊され憤りを感じているのだろうと思った。
「だが、それもこれで終わりだ、私の芸術作品の前に死ね!!」
「!?」
「お父さん!?」
「旦那様、何をなさるのですか?私達は一体なぜ…」
エミリアは変わり果てたロイに必死に自分の存在を訴える。
「お父さん、私のことを忘れてしまったの?私よ、お父さんの大事な愛娘のエミリアよ。ねぇ…お願いだから話を聞いてよぉ…私に気付いてお父さん!」
「黙れ!!軽々しく私に語りかけてくるなぁ!!亡霊ごときが。お前なんて知らない私の娘はこんな姿なんてしていない、私の娘を騙って何をするつもりだ?…私は娘をこの手で殺してしまったんだ…あれは事故だったんだ!?そんなつもりじゃなかったのに…」
ロイはいきなり出て来たゴースト化したエミリアとエレナに驚愕の反応を示したが、ゴースト化したエミリアの姿を見て何かを思い出したように、何やら錯乱しうわごとを言い始め泣き笑いをし始める。その姿はとても目に痛々しく映る。
「私は…妻が…妻のメアリーを生き返らせたかった。死ぬ間際メアリーは『私のことを気にせずに子供たちのために生きて欲しい』と言い残した、だが私には無理だ…私にはメアリーがいないと何もできない、そして息子のマリクまで妻と同じ病に…」
さっきまで威勢のよかったロイの姿は無い。内に秘めていたものすべてが口を通じて吐き出されるよう。ロイの顔は涙と鼻水で顔は紙をクシャクシャにしたような顔になっていた。
「それがさっきのあの化け物みたく、非人道的な行為に対して許せる言い訳になると思っているのか?死んだ者は二度と生き返ることなんてない!あなたの知っている人はもうこの世にいない、あなたのその行為はあなたの奥さんの想いを踏みいじっている」
「黙れ、分かったように語るな、口の軽いメストカゲが!!貴様のような魔物無勢が分かったような口をきくな!!」
ロイの目に再び憎悪の炎がともる。
「旦那様!!怒りをお鎮めになってください。旦那様、私たちは旦那さまを止めたいのです…だからもうこんなこと…」
エレナの悲痛な説得に対しロイは、
「黙れ黙れ黙れ黙れぇ!!」
ロイは熱湯で沸かしたような顔で口を捲し立ててエレナの言葉を遮る。
「お前たちの戯言に聞く耳は持たん。とっととそのふざけた言動を慎んでもらおうか、来いHermit(ハーミット)。ご飯の時間だ!!」
ロイの号令の合図の元、屋敷のエントランスの天井に吊るされている壮麗なシャンデリアがいきなり揺ら揺らと揺れ、一階のホールに何かが着地した大きな音が聞こえた。
「アレン、あいつは!?」
「…どうやらお出ましのようだな」
アレンは戦闘態勢に構えを変える。エントランスの一階に大きな体の巨大な蜘蛛がアレンとエリスの前に立ちはだかった。
アレンの目には、鋼鉄のような非常に見るからに剣では切れないような物で防御を固める蜘蛛に見えた。当然エリスのあの風の力を使ったような技で、こいつを倒すのは至難の技だろう。
鋼は鉄の持つ性能を人工的に高めた合金。勿論アレンが得意とする炎の技は奴に効き目はないということは十分分かっていた。
(あの鳥野郎のように油断はしない…)
アレンは口を固く閉じて意思の強い瞳で巨大蜘蛛を睨みつける。
「エリスこれを読んでおけ」
「えっ…何だいきなり?」
アレンはエリスにあの例のレポートファイルを渡す。
「お前は何もしなくていい、俺がこいつを倒す」
エリスは、アレンのいきなりの宣言と強靭で堂々とした様子に言葉が思いつかず、戸惑いを隠しきれなかった。
「アレン」
「俺に任せてくれ、頼む」
それを言った時のアレンの姿は今までになく頼もしく、またどことなく冷めていた表情は影を潜め、人の持つ豊かな感情の温かみを含んでいた。
エリスは何だかノーとは言えずにただ従うしかなかった。
さっきの自分は一体どんな顔をしていたのだろうと思う。普段は強引にきつい言葉で人を放すようなことしか言えなかったのに。
さすがに助けられて意地の悪いような態度で接することはできない。こういう時は一体どうしたらいいものなのだろうかとアレンは場違いなことを脳裏で一瞬思考した。
「…いや目の前の敵に」
アレンは階段を一人で下りながら険しい目つきであの蜘蛛の化け物の様子を見た。
ハ―ミット 確かあの化け物をロイはそう呼んでいた。ハ―ミットとは『隠者』という意味があるがどこにあの化け物にその要素があるのだろうか。
ハ―ミットはアレンの姿を確認すると、すぐさま自分の巨大な体で隠されている下に突然できた空洞の中に、細長い幾つもの足を器用に伸ばして跳躍し消えていった。
「逃がすものか!?」
アレンは素早くエントランスの中心に突如出来た謎の空洞の元へ駆け寄る。
「ロイ=ロッドケーストがいない?おそらくこの中に逃げたか…」
アレンは空洞の中を覗き込む。空洞は奥深くの奈落の底まで広がっているのだろうか、アレンの声が反響して聞こえてくる。真っ黒な闇が空洞を支配し、アレンの視界を遮るように闇は空洞に浸透していた。
その空洞の中にロイの姿は無論見えない。
だが、はっきりとロイとは別の憎悪に満ちた視線を空洞の中からアレンは感じとる。
ハ―ミットは大きな鉛のような巨体を揺らしながら、空洞の中をゆっくりと這うように迫ってきた。主人に忠誠を誓う番犬の如く、主人に仇名すものアレンを殺害するためにである。
アレンは腕をピンと伸ばし弓を射るような仕草をする、そして弓を持つ手に何者も火炙りにする地獄の炎を纏わせそれを引き絞る。
アレンの瞳には大きく体を揺らせ、足先の鋭い刃の様な鉤爪を見せつけながらゆっくりと憎悪を滲ませ迫るハ―ミットが映る。
そして巨大な鋼鉄の体がアレンの寸前に迫る。
アレンは躊躇なく炎の矢をハ―ミットの弱点である小さな頭部めがけて撃った。
「これで終わりだ!!」
矢は一陣の風を切りハ―ミットの頭部に飛んでいく。
(ガキィィン…)
「なっ!?」
アレンは思わず口を開く。
矢は僅かにハ―ミットの頭部を逸れ鋼鉄の様な体の装甲が矢を弾く。体を揺らしながら迫るために頭部の狙いがずれてしまった。
ハ―ミットはアレンの目の前に迫ると、足先の鉤爪を器用に振り上げ引き裂くようにアレンを切りつけてくる。
「仕方ない…」
アレンは軽い身のこなしでそれを華麗にかわす。そして一旦空洞の傍から離れる。
ハーミットは攻撃を終えると逃げるように空洞の中に消えていく。そのまま追撃が可能にも関わらず、どうやらあの巨大蜘蛛は相当警戒心が強いように見える。ただ単に臆病なだけなのかもしれない。
アレンはまた空洞の中を覗き見る。
暗闇の中で何かが蠢くような音が聞こえる。またハーミットはアレンの生存を確認し再び空洞の奥から這い上がろうとしている。
「もう一度だ…」
アレンは趣向を変える。
こうなったら一点に集中して狙い撃つのではなく当たるまで頭部付近を目標に大量の矢を放つ。それはつまり当てずっぽうということだ。
「…くらえ…」
アレンは趣向どうりにおびただしい数の炎の矢を腕が攣る位ひたすら放つ。炎の矢は間髪いれずにハーミットめがけて襲いかかる。
(ガキィン、ガキィン、ガキィィン…)
矢の攻撃を嘲るように、ハーミットの鋼鉄の様な何者も寄せ付けない体はいとも簡単に炎を吸収し矢を弾く。それでもアレンの追撃は止むことはない。
(頼む…当たれ…当たれぇぇぇ!!)
その刹那だった。
「グギャアアアァァァ…」
何かが苦痛の限り叫ぶ声、そして空洞の奥深くから何かが落ちて地面に叩きつけられたかのような轟音が轟く。そしてガサガサと慌ただしく挙動不審に動き回るような音が微かに聞こえてくる。
(奴は逃げるつもりだ…逃がすものか!!)
アレンは迷わずその空洞の中に飛び降りた。
明かりは手に炎を纏わせ松明の代わりにし確保した。手の松明に照らされた空洞の壁は見たこともない材質で造られている。どことなくハングドマンやハーミット同様に、この世界の材質で造られているような感じがしない。この世に魔法という文明が存在するが、これは魔法と呼ばれる物で造られたものではない、全く未知なる技術で構成されている。
アレンはまるで別世界にでもいるような気がした。
別世界の様な空洞内の探検は終わり、全く温かみの無い硬質性のある地面にアレンは着地する。
手の炎の松明を掲げる。そうすると少し離れた所に、慌ただしく体を揺らしながら八本の細長い足を器用に動かし逃げる巨大蜘蛛がいた。
「…なんともまぁ間抜けだな」
アレンは憐れんだ目で吐き捨てる。
アレンの言葉にピクリと反応したかのように動きを止めて、恐る恐るアレンの視線に合わせるように対峙する。
アレンは痺れを切らしたように、すぐさまハーミットの頭部めがけて再びおびただしい数の炎の矢を放るように放つ。
ハーミットはいきなり体を回転させ始め、出糸突起から何やら粘々した粘液の塊を吐きだし反撃を始めてきた。それが弾丸のようにアレンめがけて発射されていく。
蜘蛛の粘液に炎はまさに水と油、アレンの炎の矢はいとも容易くハーミットの粘液を燃やし消し、そのまま燃焼は衰えを知らずハーミットめがけて牙をむいていく。
(ガキィン、ガキィン…)
「グギャァァアアアアァァァ…」
不意に一筋の炎の矢がハーミットの頭部を的確に射抜く。そこからハーミットの悲痛な断末魔が聞こえてくる。そこから頭部は灼熱のマグマに溶かされたかのように、ドロドロと皮膚や肉が溶けジワリジワリと巨体は熱で蝕まれていく。それは温めた鉄板の上に油をまぶした後、形を成さず蕩けて原形を留めずしまいには消えてしまうかのよう。
「…暑いな」
アレンの視線の先には原形を留めず液状の集まりとなっているハーミットの最期の姿があった。
ハーミットの焼死した死骸を見ると、人が燃えたように胃の中から嘔吐感に苛まれる感じがする。
アレンは全身に力が抜けるような大きな嘆息をつく。すると体に不思議と力が抜けてその場に座り込んでしまう。
どうやら見当もつかないような魔力を消耗したらしい。アレンは壁に寄りかかり背もたれ代わりにし、その場に座り込む。
久しぶりの安らぎを得る至福の時、やはり独りだと何とも言えない安堵感に見舞われる。アレンの周囲は黒一色で塗り潰され、それ以外に何もない。いやいつもそうだった、いつもの光景である。
「おーい、アレン?」
どこまでも続く空洞内の闇の中に一筋の光が現れ、一時の夢のごとく至福の時が終わりを告げる。エリスだ。アレンは少しでも体を休ませるために再び目を閉じる。
「ここにいたのか、あれ、あの巨大蜘蛛は?」
エリスは少し息を切らしながらアレンに尋ねる。
「どうなったの?」
「お嬢様、見てはなりません」
エレナはエミリアの前方に向かい、エミリアの視界を遮る。
「…全く騒がしい」
アレンは嫌味でも言っているかのように口元を歪ませる。しかし目は閉じたままで一向に開くことはない。
「…あの化け蜘蛛はとっくの昔にくたばった」
アレンは得意げに言うと、目を閉じたまま軽く顎をしゃくりエリス達の視線をハーミットの死骸へと向けさせる。
「やったじゃないか、アレン!!」
エリスは尖った凛々しい目つきを丸くして、素直に黄色い声を上げ喜ぶ。
「…当然のことだ」
アレンはエリスの素直な反応を見て複雑な心境にとらわれる。何でここまで自分のように喜んでくれるのかと、脳裏に疑問がわいてくる。
「アレン様、ご主人様は?」
「おそらくあの向こうだろう…」
アレンは面倒そうに答える。空洞の中を降りたら通路が真っ直ぐに一直線に広がっている。ハーミットの死骸の先は、闇がすべてを飲み込むように深く広がっている。
(この先にロイ=ロッドケーストはいる。早く奴を止めなければ、こいつ等のような化け物を造らせないために)
アレンは疲れて動かない体に鞭を入れ直す。
「くそ…体が鉛のように動かない」
アレンはそう呟くと不意に突然手に柔らかい感触を感じる。そうそれはとても揉み応えがありしなやかな弾力性に富んでいる、揉んでいてどこか…何とも言えない心地よさを感じる何か。
「アッ…レン…」
何故かエリスの艶やかに喘いだような声が聞こえた。
(…まさか)
アレンは全身に冷や水をかけられたような感覚に襲われる。アレンの感はとっても良く当たる、それが善し悪しかは別に。
普段全く何事にも虚無感しかない、どうしてこう誰かと関わるとこんなことに…。
(あぁ、これはまた御不幸なことに)
(おぉ、アレンお兄ちゃん大胆な、こ れ は!!)
エレナ達からの思考がテレパシーのように、脳内に嫌というほど伝わってくる感じがアレンの全身を悪寒させる。
(…こんなことしている場合ではない、早くロイ=ロッドケース…)
アレンの思考が突如として停止する。
「ブラアアァァァ…!!」
「グブオエッ!!」
アレンはエリスからの熱い一発を食らった。
屋敷の地下研究室にて、ロイ=ロッドケーストは今までに無かった異例の事態に困惑の表情をあらわにしていた。
「馬鹿な…侵入者に倒されたというのか?いや、あれは駄作ではなかったものなのに、くそぉ…侵入者め、もしや新魔物派の国が送りつけたエージェントか?ふざけた真似をしよって…」
ロイは傍のデスクに激しく拳を叩きつけ、憎々しげに言葉を吐く。長い間地下に籠って研究ばかりしていたため、ロイの周りは塵と埃まみれで掃除はほとんどされていない。埃が舞ってその一部がロイの気管に入りロイはむせて咳をする。それが更にイライラを助長させる。
「くそ、なんだこの様は…」
むせてむせた後、ロイは額のこめかみを押さえつけイライラを抑制しようとした。ほとんど飲まず食わずの日々を過ごして、だんだんカルシウムや他の栄養素が不足しているのだろうとロイは思案する。
「もしや連中はここの存在に気付き、ここに来ているのだとしたら…」
不意に大きく目が見開かれる、寝る間も惜しんでいった日々を赤く充血した目がそれを証明している。とんでもない、連中にこの研究成果を渡してたまるか、研究資金援助を惜しみなくしてくれた、この素晴らしき芸術を造らせてくれた“あの男“にあわす顔が無い。
「絶対に阻止せねば、この芸術は誰にも渡さない。いや、渡すものか消さなければ…消さなければ…」
ロイは呪詛を唱えるかのごとく、その言葉ばかりをオウムのように繰り返した。
「ここが、ロイ=ロッドケーストの書斎か」
「はい…ここが旦那様の書斎です」
アレンの目の前には大きな扉が立ちふさがっていた。ここだけ妙に部屋の造りは違い、一番離れの位置にある。明らかに扉に施されている装飾も他の部屋の扉とは違う。
「…いいのか?扉を壊しても」
扉の装飾はとても高価でエレガントに感じる。壊すなんてもったいなく感じてしまい、エリスは少しだけ扉の前から身を引く。その後背後からエミリアがいたずら半分に驚かし、エリスは半狂乱のパニックに陥り周辺を行ったり来たりを繰り返している。
(相も変わらず…このアホトカゲを一度でも真面目に脅威に見ていた自分が馬鹿らしくなってくる、さっきのあの感情を返せ…本当に)
アレンはこめかみ辺りに、じわじわと侵食し始めるイライラの波を必死に親指で、押さえつけて洪水をおこさないように努力をする。全くこんな奴が何故あの化け物に勝てたのかおかしい、これは何かの間違いだと。
「ぶっ壊すぞ…」
アレンは扉に体当たりをする。
「……」
扉は思いのほか簡単に壊れ、書斎への侵入を安易に許した。
部屋の中は当時のままと変わっていないのだろうか、長い間物が動かされていないのがよく分かる。中央にブラックのシンプルなインテリアソファーが置かれ、オールガラスのシンプルで統一されたデザインのテーブルがあり、その奥には仕事用として使われていたような、本ばかりがきちんと整理して納められているデスクがある。それもどれも埃がかぶり皆眠るようにして佇んでいる。
「ずいぶんと洗練された物の選びだな、私は嫌いじゃない」
いつの間にかエリスが元に戻り、顎に手を当ててさも偉そうに語り始めた。
アレンはその言葉を無視し黙って部屋に足を踏み入れる。そして奥のデスクの元へ行くと、適当に整理された本を抜き取り何気なくページを開く。正直なことを言えば、アレンは部屋のインテリアセンスなんてどうでもいい。
「…何をお探しになっているのですか、何もおっしゃらないので…」
「…悪いが少し黙っていてくれ、作業に集中できない」
アレンの内心は今、さっきのあの化け物を自分一人で片づけられず、エリスにいとも簡単に倒され自分の痴態をさらしてしまったことをひきずっていた。本来ならばあんなことにはなっていなかった、自分の力をあまり過信し過ぎたということなのだろうか、そうだとしたら自分はなんて愚かだろうと自嘲気味の笑みを浮かべる。それだけではない、エリスが倒してくれなければ自分は死んでいた、それはエリスに助けられたということになる。
(くそ…なんでだ…借りはつくりたくない)
実はアレンはエリスに礼を言えていなかった。それは素直ではないから、はたまた余計な天狗だったプライドが邪魔をしているのかは定かではない、こういうことはアレンの人生で初めてだった。
「…おい、突っ立ってないでお前も作業を手伝え」
まだアレンはエリスに高圧的に言う、思わぬ発言にアレンは内心しまったと思った。だがエリスはそんな様子に嫌な顔一つせず母のような温かい包容力で、それに黙ってこたえる。
(エリスお姉ちゃん健気だなぁ…)
エミリアはエリスの反応に大きく驚嘆する。ただ、普通はこんな反応されたら絶対に人は寄り付かないのにと。
アレンは適当にめくっていた本の内容に大体の部分に目を通す。
レポートファイル
Hangedman Type 041
弱点 翼以外の胴体部分
手下であるデビロン(小型蝙蝠)を従え言語を操ることができる。非常に高い知能を持った作品だ。
そして私に忠誠を誓う忠実な僕である。戦闘能力はさほど高くはないが、その高い知能で狡賢い戦術を思案し駆使することができるため、戦闘能力は気にはならない。(あまり知能を高めてしまえば、命令を無視し私を裏切る危険性があるため、数値は人間の知能と同等に設定している)
ハーピーなどの鳥獣型や人間(屋敷の使用人)を大量に素材としている。
Hermit (Type 6803)
弱点 頭部
鋼鉄のように固いから殻のボディを持つ巨大な蜘蛛…
「…!?」
アレンは思わず目を見張る。
「ん…どうした、何かあったのか?」
「…いや、なんでもない」
アレンはスッとページをめくっていた本を自分の懐にしまう、その様子は明らかに何かがあるとしか思えなかった。
「…本当に?」
「何度も言わせるな…」
エリスはその反応にとりあえず何も言わなかった。隠していることは確実だが、今この状況で言い争いをしても何の意味も無い。
(まさか…こんなものを幾つも造っていたのか…)
「…もうここへは用はないな」
「…用はない?一体どうするんだ…?」
さすがにエリスも振り回されるのに疲れ呆れたかのような顔をしている。普通ならばもはや憤りを感じても問題にならないレベルの限度。
「いったん一階のエントランスホールに戻る。エレナ、ロイ=ロッドケーストがいつも利用していた地下室の場所は分かるな?」
「…」アレンの問いにエレナは静かに頷いた。
アレンは一階エントランスホールへと、鉛のように重くなった足に鞭を入れ移動を開始する、一歩一歩が床を叩くように歩き足の裏がどうにかなりそうだった。エレナ達ゴーストはフワフワと浮遊しているため、この苦痛は分かるはずがない。
「…誰だ?」
アレンは2階の手摺からまじまじと1階のエントランスを覗き見る。最初に入った時と同様、人一人いなかったエントランスホールに人間の気配がした。
「…アレン、見えるか」
「…勿論見えてるよ、というよりも恐れないんだな」
「あぁ、あいつは間違いなく生身の人間だ」
「…もしかして、お父さん?」
「…あの姿は、間違いないです!!あれは旦那様…生きておられたのですね!?」
エレナとエミリアの声は驚きと衝撃のあまりうわずっていた、何せ目の前にいるのはずっと探し求めていた重要人物、ロイ=ロッドケースト本人だったのだから。
ロイの印象はまず驚くほど痩せてヒョロっとしていた。彼が着ている白衣は随分と長く着込んでいたのか、大分くたびれたように疲れてやつれた風貌をさらけ出している。眼鏡をかけて顔の表情はよく読み取れない。
「政府の犬ども、私が誰だか分かるだろう?ようやくこうして初顔合わせだ。よくここまで来れたなまずは褒めてやろう。しかしよくも私の芸術作品を滅茶苦茶にしてくれたようだが…このまま黙ってこの屋敷から帰すとは思ってないだろ?…」
ロイの言葉は静かではあったがどこか熱を帯びていた。アレンはロイが自分の造った芸術を破壊され憤りを感じているのだろうと思った。
「だが、それもこれで終わりだ、私の芸術作品の前に死ね!!」
「!?」
「お父さん!?」
「旦那様、何をなさるのですか?私達は一体なぜ…」
エミリアは変わり果てたロイに必死に自分の存在を訴える。
「お父さん、私のことを忘れてしまったの?私よ、お父さんの大事な愛娘のエミリアよ。ねぇ…お願いだから話を聞いてよぉ…私に気付いてお父さん!」
「黙れ!!軽々しく私に語りかけてくるなぁ!!亡霊ごときが。お前なんて知らない私の娘はこんな姿なんてしていない、私の娘を騙って何をするつもりだ?…私は娘をこの手で殺してしまったんだ…あれは事故だったんだ!?そんなつもりじゃなかったのに…」
ロイはいきなり出て来たゴースト化したエミリアとエレナに驚愕の反応を示したが、ゴースト化したエミリアの姿を見て何かを思い出したように、何やら錯乱しうわごとを言い始め泣き笑いをし始める。その姿はとても目に痛々しく映る。
「私は…妻が…妻のメアリーを生き返らせたかった。死ぬ間際メアリーは『私のことを気にせずに子供たちのために生きて欲しい』と言い残した、だが私には無理だ…私にはメアリーがいないと何もできない、そして息子のマリクまで妻と同じ病に…」
さっきまで威勢のよかったロイの姿は無い。内に秘めていたものすべてが口を通じて吐き出されるよう。ロイの顔は涙と鼻水で顔は紙をクシャクシャにしたような顔になっていた。
「それがさっきのあの化け物みたく、非人道的な行為に対して許せる言い訳になると思っているのか?死んだ者は二度と生き返ることなんてない!あなたの知っている人はもうこの世にいない、あなたのその行為はあなたの奥さんの想いを踏みいじっている」
「黙れ、分かったように語るな、口の軽いメストカゲが!!貴様のような魔物無勢が分かったような口をきくな!!」
ロイの目に再び憎悪の炎がともる。
「旦那様!!怒りをお鎮めになってください。旦那様、私たちは旦那さまを止めたいのです…だからもうこんなこと…」
エレナの悲痛な説得に対しロイは、
「黙れ黙れ黙れ黙れぇ!!」
ロイは熱湯で沸かしたような顔で口を捲し立ててエレナの言葉を遮る。
「お前たちの戯言に聞く耳は持たん。とっととそのふざけた言動を慎んでもらおうか、来いHermit(ハーミット)。ご飯の時間だ!!」
ロイの号令の合図の元、屋敷のエントランスの天井に吊るされている壮麗なシャンデリアがいきなり揺ら揺らと揺れ、一階のホールに何かが着地した大きな音が聞こえた。
「アレン、あいつは!?」
「…どうやらお出ましのようだな」
アレンは戦闘態勢に構えを変える。エントランスの一階に大きな体の巨大な蜘蛛がアレンとエリスの前に立ちはだかった。
アレンの目には、鋼鉄のような非常に見るからに剣では切れないような物で防御を固める蜘蛛に見えた。当然エリスのあの風の力を使ったような技で、こいつを倒すのは至難の技だろう。
鋼は鉄の持つ性能を人工的に高めた合金。勿論アレンが得意とする炎の技は奴に効き目はないということは十分分かっていた。
(あの鳥野郎のように油断はしない…)
アレンは口を固く閉じて意思の強い瞳で巨大蜘蛛を睨みつける。
「エリスこれを読んでおけ」
「えっ…何だいきなり?」
アレンはエリスにあの例のレポートファイルを渡す。
「お前は何もしなくていい、俺がこいつを倒す」
エリスは、アレンのいきなりの宣言と強靭で堂々とした様子に言葉が思いつかず、戸惑いを隠しきれなかった。
「アレン」
「俺に任せてくれ、頼む」
それを言った時のアレンの姿は今までになく頼もしく、またどことなく冷めていた表情は影を潜め、人の持つ豊かな感情の温かみを含んでいた。
エリスは何だかノーとは言えずにただ従うしかなかった。
さっきの自分は一体どんな顔をしていたのだろうと思う。普段は強引にきつい言葉で人を放すようなことしか言えなかったのに。
さすがに助けられて意地の悪いような態度で接することはできない。こういう時は一体どうしたらいいものなのだろうかとアレンは場違いなことを脳裏で一瞬思考した。
「…いや目の前の敵に」
アレンは階段を一人で下りながら険しい目つきであの蜘蛛の化け物の様子を見た。
ハ―ミット 確かあの化け物をロイはそう呼んでいた。ハ―ミットとは『隠者』という意味があるがどこにあの化け物にその要素があるのだろうか。
ハ―ミットはアレンの姿を確認すると、すぐさま自分の巨大な体で隠されている下に突然できた空洞の中に、細長い幾つもの足を器用に伸ばして跳躍し消えていった。
「逃がすものか!?」
アレンは素早くエントランスの中心に突如出来た謎の空洞の元へ駆け寄る。
「ロイ=ロッドケーストがいない?おそらくこの中に逃げたか…」
アレンは空洞の中を覗き込む。空洞は奥深くの奈落の底まで広がっているのだろうか、アレンの声が反響して聞こえてくる。真っ黒な闇が空洞を支配し、アレンの視界を遮るように闇は空洞に浸透していた。
その空洞の中にロイの姿は無論見えない。
だが、はっきりとロイとは別の憎悪に満ちた視線を空洞の中からアレンは感じとる。
ハ―ミットは大きな鉛のような巨体を揺らしながら、空洞の中をゆっくりと這うように迫ってきた。主人に忠誠を誓う番犬の如く、主人に仇名すものアレンを殺害するためにである。
アレンは腕をピンと伸ばし弓を射るような仕草をする、そして弓を持つ手に何者も火炙りにする地獄の炎を纏わせそれを引き絞る。
アレンの瞳には大きく体を揺らせ、足先の鋭い刃の様な鉤爪を見せつけながらゆっくりと憎悪を滲ませ迫るハ―ミットが映る。
そして巨大な鋼鉄の体がアレンの寸前に迫る。
アレンは躊躇なく炎の矢をハ―ミットの弱点である小さな頭部めがけて撃った。
「これで終わりだ!!」
矢は一陣の風を切りハ―ミットの頭部に飛んでいく。
(ガキィィン…)
「なっ!?」
アレンは思わず口を開く。
矢は僅かにハ―ミットの頭部を逸れ鋼鉄の様な体の装甲が矢を弾く。体を揺らしながら迫るために頭部の狙いがずれてしまった。
ハ―ミットはアレンの目の前に迫ると、足先の鉤爪を器用に振り上げ引き裂くようにアレンを切りつけてくる。
「仕方ない…」
アレンは軽い身のこなしでそれを華麗にかわす。そして一旦空洞の傍から離れる。
ハーミットは攻撃を終えると逃げるように空洞の中に消えていく。そのまま追撃が可能にも関わらず、どうやらあの巨大蜘蛛は相当警戒心が強いように見える。ただ単に臆病なだけなのかもしれない。
アレンはまた空洞の中を覗き見る。
暗闇の中で何かが蠢くような音が聞こえる。またハーミットはアレンの生存を確認し再び空洞の奥から這い上がろうとしている。
「もう一度だ…」
アレンは趣向を変える。
こうなったら一点に集中して狙い撃つのではなく当たるまで頭部付近を目標に大量の矢を放つ。それはつまり当てずっぽうということだ。
「…くらえ…」
アレンは趣向どうりにおびただしい数の炎の矢を腕が攣る位ひたすら放つ。炎の矢は間髪いれずにハーミットめがけて襲いかかる。
(ガキィン、ガキィン、ガキィィン…)
矢の攻撃を嘲るように、ハーミットの鋼鉄の様な何者も寄せ付けない体はいとも簡単に炎を吸収し矢を弾く。それでもアレンの追撃は止むことはない。
(頼む…当たれ…当たれぇぇぇ!!)
その刹那だった。
「グギャアアアァァァ…」
何かが苦痛の限り叫ぶ声、そして空洞の奥深くから何かが落ちて地面に叩きつけられたかのような轟音が轟く。そしてガサガサと慌ただしく挙動不審に動き回るような音が微かに聞こえてくる。
(奴は逃げるつもりだ…逃がすものか!!)
アレンは迷わずその空洞の中に飛び降りた。
明かりは手に炎を纏わせ松明の代わりにし確保した。手の松明に照らされた空洞の壁は見たこともない材質で造られている。どことなくハングドマンやハーミット同様に、この世界の材質で造られているような感じがしない。この世に魔法という文明が存在するが、これは魔法と呼ばれる物で造られたものではない、全く未知なる技術で構成されている。
アレンはまるで別世界にでもいるような気がした。
別世界の様な空洞内の探検は終わり、全く温かみの無い硬質性のある地面にアレンは着地する。
手の炎の松明を掲げる。そうすると少し離れた所に、慌ただしく体を揺らしながら八本の細長い足を器用に動かし逃げる巨大蜘蛛がいた。
「…なんともまぁ間抜けだな」
アレンは憐れんだ目で吐き捨てる。
アレンの言葉にピクリと反応したかのように動きを止めて、恐る恐るアレンの視線に合わせるように対峙する。
アレンは痺れを切らしたように、すぐさまハーミットの頭部めがけて再びおびただしい数の炎の矢を放るように放つ。
ハーミットはいきなり体を回転させ始め、出糸突起から何やら粘々した粘液の塊を吐きだし反撃を始めてきた。それが弾丸のようにアレンめがけて発射されていく。
蜘蛛の粘液に炎はまさに水と油、アレンの炎の矢はいとも容易くハーミットの粘液を燃やし消し、そのまま燃焼は衰えを知らずハーミットめがけて牙をむいていく。
(ガキィン、ガキィン…)
「グギャァァアアアアァァァ…」
不意に一筋の炎の矢がハーミットの頭部を的確に射抜く。そこからハーミットの悲痛な断末魔が聞こえてくる。そこから頭部は灼熱のマグマに溶かされたかのように、ドロドロと皮膚や肉が溶けジワリジワリと巨体は熱で蝕まれていく。それは温めた鉄板の上に油をまぶした後、形を成さず蕩けて原形を留めずしまいには消えてしまうかのよう。
「…暑いな」
アレンの視線の先には原形を留めず液状の集まりとなっているハーミットの最期の姿があった。
ハーミットの焼死した死骸を見ると、人が燃えたように胃の中から嘔吐感に苛まれる感じがする。
アレンは全身に力が抜けるような大きな嘆息をつく。すると体に不思議と力が抜けてその場に座り込んでしまう。
どうやら見当もつかないような魔力を消耗したらしい。アレンは壁に寄りかかり背もたれ代わりにし、その場に座り込む。
久しぶりの安らぎを得る至福の時、やはり独りだと何とも言えない安堵感に見舞われる。アレンの周囲は黒一色で塗り潰され、それ以外に何もない。いやいつもそうだった、いつもの光景である。
「おーい、アレン?」
どこまでも続く空洞内の闇の中に一筋の光が現れ、一時の夢のごとく至福の時が終わりを告げる。エリスだ。アレンは少しでも体を休ませるために再び目を閉じる。
「ここにいたのか、あれ、あの巨大蜘蛛は?」
エリスは少し息を切らしながらアレンに尋ねる。
「どうなったの?」
「お嬢様、見てはなりません」
エレナはエミリアの前方に向かい、エミリアの視界を遮る。
「…全く騒がしい」
アレンは嫌味でも言っているかのように口元を歪ませる。しかし目は閉じたままで一向に開くことはない。
「…あの化け蜘蛛はとっくの昔にくたばった」
アレンは得意げに言うと、目を閉じたまま軽く顎をしゃくりエリス達の視線をハーミットの死骸へと向けさせる。
「やったじゃないか、アレン!!」
エリスは尖った凛々しい目つきを丸くして、素直に黄色い声を上げ喜ぶ。
「…当然のことだ」
アレンはエリスの素直な反応を見て複雑な心境にとらわれる。何でここまで自分のように喜んでくれるのかと、脳裏に疑問がわいてくる。
「アレン様、ご主人様は?」
「おそらくあの向こうだろう…」
アレンは面倒そうに答える。空洞の中を降りたら通路が真っ直ぐに一直線に広がっている。ハーミットの死骸の先は、闇がすべてを飲み込むように深く広がっている。
(この先にロイ=ロッドケーストはいる。早く奴を止めなければ、こいつ等のような化け物を造らせないために)
アレンは疲れて動かない体に鞭を入れ直す。
「くそ…体が鉛のように動かない」
アレンはそう呟くと不意に突然手に柔らかい感触を感じる。そうそれはとても揉み応えがありしなやかな弾力性に富んでいる、揉んでいてどこか…何とも言えない心地よさを感じる何か。
「アッ…レン…」
何故かエリスの艶やかに喘いだような声が聞こえた。
(…まさか)
アレンは全身に冷や水をかけられたような感覚に襲われる。アレンの感はとっても良く当たる、それが善し悪しかは別に。
普段全く何事にも虚無感しかない、どうしてこう誰かと関わるとこんなことに…。
(あぁ、これはまた御不幸なことに)
(おぉ、アレンお兄ちゃん大胆な、こ れ は!!)
エレナ達からの思考がテレパシーのように、脳内に嫌というほど伝わってくる感じがアレンの全身を悪寒させる。
(…こんなことしている場合ではない、早くロイ=ロッドケース…)
アレンの思考が突如として停止する。
「ブラアアァァァ…!!」
「グブオエッ!!」
アレンはエリスからの熱い一発を食らった。
10/12/23 22:06更新 / 墓守の末裔
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