第九話 自爆スイッチ
「ふ、いきなり何を言い出すかと思えば。昏睡状態からどうやって戻ったかは知らないが、どうもまだ寝ぼけているようだな。さあ、さっさとベッドに戻り給え」
先の水流をヌンとやらで無効化したらしきダンジョンマスターが戻って来る。余裕の笑みを浮かべ、泰然と構えるダンジョンマスターの前でシレミナが黒鞭に捕えられていく。その黒鞭もヌンの輝きを放っていた。
しかし、
「やられ役の長話に付き合うつもりはないのう」
「なっ――――」
シュパッ、と全ての黒鞭が悉く薙ぎ払われた。
魔法を透過するという、ヌンのその性質を一切を無視して。
「馬鹿なっ!? まさか隠し玉の『ウィッチクラフト』とでも言うのか! しかし――」
「長話に付き合うつもりはないと言うたのにのう。やっぱりお兄さんの言う通りに耳にクソでも詰まっとるんかのお?」
シレミナが瞬く間にダンジョンマスターとの距離を詰め、古武術のような当て身を見舞った。
げぶうっ!? とサハリが吹っ飛ば――ない。吹っ飛んだのはサハリの体から抜け出た薄紫色をした何かだ。
サハリは糸が切れた人形のように崩れ落ちた。
シレミナがその小さな掌でその何かを掴み取った。
それは人の形をしていた。ただし、上半身だけだ。下半身は、というか足がない。人魚の尾鰭が水面で揺れるような感じで、有り体に言って幽霊のようだった。
そういえば、途中で遭ったゴーストの下半身もあんな感じだったような気がする。とは言っても、そのゴーストたちはずんぐりむっくりで髑髏の仮面をしていたのに対して目の前にいるそれは随分とスレンダーだ。身長は足がないせいでよくわからないが、その体格からして俺と同い年の女性に見える。
腰まである長い薄緑色の髪をした女性のようだったそれは、今はシレミナに締め上げられている。
「くあっ……こお……ころ、せ」
にたり、と締め上げられながらも笑みを崩さない。まるで『殺せるものなら殺してみろ』と言っているようだ。死を恐れない、ゲーム画面の前で胡坐を掻いているプレイヤーのような。
ふん、鼻息一つ。シレミナだ。
「安い手じゃ」
片手間でそれを締め上げていたシレミナが、貫手でその鳩尾を貫いた。
余裕ぶったゴーストの少女はその表情のまま固まった。
そのままゆっくりと手を引っこ抜くと何かがマトリョーシカよろしく現れた。
ずるりとゴーストがシレミナから零れ落ちる。
「残念じゃったのう。霊体のダミーまで用意しておったのに、それすら見破られて。これで残機ゼロじゃ」
現れたのは人の首によく似た造形の砂嵐だった。テレビのあれだ。
目、口、鼻、耳のそれらが影のグラデーションでしかわからない、異様な存在だった。
それは野太い声で叫ぶ。
「ばげ、ぐ……ば、馬鹿なっ!? どうやって、一体全体どうやってえええエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッ!!?」
「以下略」
『ごぶ』とか、『ごびょ』だとかいう、そんな断末魔だけを残してそれはシレミナに叩き潰された。最期の最後、本当にあっさりと。まるで喜劇でも見ているかのようだった。
「特異点」
「?」
ふと、シレミナがぽつりと零した。
「お兄さんたちにとっての今がわしらにとっての未来であり、わしらの今の行動の結果、本来起こり得ない現象がお兄さんたちの今に起こる。そのわしらが座すべき位置が特異点」
能面のような顔だった。魔物でも人でもない。アンドロイドであるかのような冷たい表情。だが、それも次の瞬間には霧散し、人懐っこい小動物のような雰囲気と微笑みになった。
「すまんの。人は死と孤独と未知を恐れるが故、説明をと思ったのじゃが、余計訳わからんくなったかの?」
「訳わかんねえけど、あんま怖くはねえかなあ。ただ意味不明なことが連チャンで起きて混乱してるだけ。……って、こんな話どーでもいいな。兎に角、礼を言わせてくれ。助かった。ありがとう」
座り込みつつ頭を下げる。もうずたぼろだ。立ち上がれやしない。
「ふむ。やっぱりええ子じゃのう、お兄さんは。ほれ、小遣いやろおのう」
じじ臭いなあ。やっぱりというか確信的にというか、前に夢に出て来たじーさんがシレミナの中にはいってんのかねえ?
とか思ってたらもにゅっ、と腕に柔らかいものが押し当てられた。シレミナのちっぱいだ。
「ってあんた人の体でなにしてのおおお!?」
「ん? だってわし今持ち合わせないもん」
「だからってパクったもんあげようとすんなよ! こっちが困るわ!」
中身じーさんの幼女に手を出すとか上級者過ぎる……じゃなかった。意識のない相手に手を出すとか俺の倫理観が許さないよ。
「……そんなことよりも、回復魔法とかかけてくれません? 皆ぼろぼろなんすよ」
そう言いつつぷらん、と両手を前に出す。お化けのポーズの手からはだらだらと血が流れ、手首は熱をもっていた。
「ふむ、確かに重症じゃの。相分かった。では先にお兄さんに一通り応急処置だけ施そう。体力も回復させるから、お兄さんは上にある回復の泉で治癒してきた方が手早く治るじゃろう」
他の二人はそのまま回復魔法で治癒させるらしい。なんだかんだ言っても、じーさんができることはシレミナができることの範囲内のことだけらしい。魔法然り、魔力然り。さっきの特異点なんちゃらというのは特例で、乱発はできないらしい。
「いいかの、お兄さん。今回のこれは特別じゃ。これから先、わしはもう力を貸してやれぬかもしれん」
そこまでの力があれば、『あの時』に助力を頼まなかったと思うしの。
そう呟くシレミナの体がふらふらと揺れる。
「アストロノミコンは先の一つだけではない」
彼女は気怠げな仕草で後ろを振り向く。その視線の先にあったのは俺の両手を砕き、俺の頭突きによって沈んだ雨合羽の少女。
「アストロノミコンは全てで十『掘り出した』。残りは『八つ』。次に目指すべきはカトメック密林『名のない迷宮』……じゃが、そこまで急ぐ必要はない。力を蓄えてから行くといい。死んでしまっては元も子ないからのう。」
シレミナが俺へと手を向けると『ファストヒール』と小さく詠唱をした。途端に傷が癒えていく。完全ではなく、傷もまだじくじくと痛むが、歩ける程度にはなった。
俺はじーさんに軽く相槌だけ打って歩き出して、ふと足を止めた。
「なあ、じーさん。一つだけいいか?」
「何なりと」
「どうして、俺を選んだ? ただの偶然か?」
初め、キョトンとしていたじーさんだったが次第に理解し始めたのか、呆れるような不可解なものを見るような目で、
「……普通そこは拒絶したり考え込んだり激怒したりする場面なんじゃがのう?」
「えー、やだよ面倒臭い。だってあんた神様モドキなんだろ? 断ったら何するかわかんねえじゃん」
「ガーンッ!!」
言った途端、中身じーさんの幼女は体操座りになってのの字を書き始めてしまった。
思わず大丈夫? と声をかけたが「いいもんいいもんどうせわしは得体の知れない黒幕臭漂う変なじーさんだもん」といじけ虫モード。
俺はこりゃ駄目だと思って、とりあえずいたたまれない空気から逃げ出した。
えーっと、あれだ。これは俺が悪いんじゃなくて俺が読んでいた読み物が悪いんだ。
僕は悪くない。
俺は延々と続く昇り坂を、どーでもいいこと考えつつとぼとぼと歩いていった。
◇ ◇ ◇
その後は特に何もなかった。泉に浸かっていたら気持ちの悪い速度で傷が癒えて行ったり、泉の聖なる光が仕事していたり、じーさんの抜けたらしきシレミナがわざわざ探しに来てくれたり、全快したらしきサハリが突っ込んできてあわや大惨事になりそうになったりと、それくらいだ。
ただ一つだけ、看過できないことがある。サハリだ。
「えへへ、キョウスケ♪ キョウスケ〜♪」
「……」
頬が緩みきって、餌を強請る飼い猫のように甘えて来る。
なんでこんなことに……? というか、俺さっきまで回復の泉に浸かってたんだけどもそのへんは大丈夫なんかね? 人には兎も角、魔物には猛毒だ、って聞いたんだけども。
はっ! もしやサハリはアルコール的な作用でこんな状態なのでは?
そう思ってシレミナを見る。
「シレミナ、この状況の説明を求む」
「ただ単にさっきのことで惚れ直しただけやろ? あの状況やったんや。全滅しとっても不思議やなかった。ほんま、途中から記憶なくなるし何がなんやら……」
「いや、そうじゃなくてサハリにとって泉に浸かってた俺は毒液塗れなんじゃないかねって話でね?」
「ああ、心配せえへんでもそんなちょびっとなら問題あらへんわ。そんなことよりも義兄上は泉に浸かって体力・精力ともに全快なんやから義姉上のお相手頼むわ。ご無沙汰やろ?」
「いやいやいや、ご無沙汰って言っても一日くらいしか空いてないいいいいいいいいいっ!?」
早速サハリだった。デレッデレモードになっても結局やること変わってない。
精々が『嬲るような舌使い』から『慈しんで奉仕するような舌使い』に変わったくらいだろうか。
まあ、初夜と変わった点があるとしたら他には場所くらいか。回復の泉のすぐ隣の部屋。数発撃って愚息が痛くなってきたらサハリにステイしてもらって泉で回復。うん、疑似的絶倫状態だな。
結果、圧倒的勝利だった。シューティングゲームで耐久値無限のバリア張っているような感覚だった。初夜のお返しだーっ! と体力尽きて涙目アヘ顔のサハリをさらに犯しぬいた。ちょっと鬼畜な気分を味わっていたのだが、途中からサハリが妙に嬉しそうだった。もしかしたらMっ気に目覚めたのかも知れない。
もしそうだったとしたら今度ベッドの上で俺を踏んでもらうように言ってみるのも面白いかもしれない。Mを苛めるのには普通に苛めるパターンと苛烈に屈辱的に苛めるパターン、そしてご主人様を逆に苛めさせて背徳感を煽るパターンの三つがあるらしいからな。俺はへたれでド畜生に成り切れないし成るつもりもない、ついでに言葉責めとかも自信ないので消極的に最後のが無難なのだ。
「『wolrail eso thysvithsuc rn mana rate …… liarlow<代謝促進>』。……し、しかし、まあ、確かにお相手頼むとか言うたけど、これはやりすぎやで? 万魔殿の堕天使やないんやから」
「反省はしている。後悔はしていない」
「……段々と堕ちて来とるなあ、自分。ええことやけど」
数時間後、サハリはすっかり出来上がってしまっていた。輪姦もののエロゲであるあの光景だ。白い水溜りに沈む美女。全身が十八禁だが、特に口元と下半身は見てはいけない。背徳的過ぎる。
スマホを見てみればもう少しで十時間越えるところだった。
すげえ。回復の泉、マジすげえ。この体液の量は明らかにおかしいのだが、ファンタジーということで納得しよう。声を出すだけで水が出て来るようなこの世界で、質量保存の法則などないに等しいのだ。
「しかし勿体ないなあ。ダンジョンを売れる機会なんてほとんどあらへんのに」
ふと、シレミナが回復の泉を眺めながら呟く。初めは透明度が高く、白銀色の不思議な輝きを放っていた泉だが、何故か今は黒く濁ってぼこぼこと気泡を放つ沼のようになってしまっていた。
「何で売れるんだ――って、回復の泉か」
「使い道も欲しがる人も、そりゃあたくさんおるからなあ。」
俺の数針も縫うような怪我を一発で、しかも後遺症どころか傷痕一つ残さず綺麗さっぱり治癒してしまった泉だ。そりゃあ需要は天井知らずだろう。本来の医者殺しのような治癒目的の他にも、拷問とかにも使えそうだ。
しかし、何でこうも汚れてしまったのかね? 使い過ぎると効力なくなるとか? シレミナの口振りからするに、もう売り物にならないみたいだけど。
話を振ってみると、活性化した魔物のマナが聖属性のマナを侵食しているとのこと。
「聖属性は基本、魔属性に強いんやけど質や量なんかで簡単に逆転が起こる。何で活性化したのかはわざわざ言わんでもええやろ」
俺のせいですね、わかります。
「魔属性は負の性質を、聖属性は正の性質をもって互いに引き合い、互いに侵しあう。これが聖属性有利やったら力が光属性とかになって逃げていくんやけど、魔属性有利やと話が変わる」
シレミナはなおも講義を続けつつ、ぐったりと横たわるサハリの頬をぺちぺちと叩いて起こす。
「聖属性の正の性質が全て負へと変わり、膨大な斥力が発生して辺りを吹き飛ばす」
……おい。
「さあ、義兄上。このダンジョンが爆散する前にここから出よか」
「そーいうことは先に言えよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!? っつかそんな規模なの!?」
もっと文句言ってやりたいが、それはまた今度だ。シレミナとともにサハリの手を引いて走り出す。幸い、出口への経路はすでにシレミナの風魔法で発見済みなので迷うことはない。問題は距離だな。図らずも当初の予定通り(?)、サハリを引っ張って行っての脱出ミッションになってしまった。
しかもタイムリミットがある分こちらの方が辛いかもしれない。焦燥感で胸が焦げ付きそうだ。
「シレミナ、どっちだ?」
「そこを左や、義兄上」
よたよたと走るサハリに合わせて小走りで出口を目指す。余韻が残っているのか「はあん♪」とか「ひゅうん♪」とかいう喘ぎ声が口から洩れている。さっき、シレミナに回復魔法をかけられていたがそれでもまだ辛いらしい。俺はまだ効果のあった回復の泉で全快どころかこの声のせいでズボンにテント張っているぐらいなのだが。
――スカッ。
「うわっ!?」
「ほえ?」
曲がり角で誰かがいた。
俺は一瞬、ぶつかると思って身構えたが、その誰かは俺の体を通り抜けた。振り返ったそこにあったのは薄紫色の半透明な体、薄緑色の腰まである髪。
(こいつ、ダンジョンマスターに身代わりにされていたゴーストか?)
手を組んできょろきょろと視線を巡らして挙動不審な彼女だが、あくまで敵意なんかはなさそうだ。どちらかというと現状が理解出来ていなくて混乱しているといったやつだろう。
ほむほむ、だとしたら人っぽいし、旧魔じゃなくて本物の魔物か? なら、ここで見捨てたら寝醒めが悪い……。
「おい、あんた。ここはもうすぐ崩れる! あんたも一緒に外に――」
「きょー君?」
は?
思わずぽかんとする。俺をそんな風に呼ぶやつは、
「お前、もしかして夜沼? 夜沼 理花(やぬま りか)か?」
夜沼理花。
俺の友人の双子の妹で、クラスメイト。日本にいるはずの人物。
「――うん、そうだよ。きょー君」
見つめ返す彼女は、何かを諦めてしまったかのような力のない声で、そう呟いた。
先の水流をヌンとやらで無効化したらしきダンジョンマスターが戻って来る。余裕の笑みを浮かべ、泰然と構えるダンジョンマスターの前でシレミナが黒鞭に捕えられていく。その黒鞭もヌンの輝きを放っていた。
しかし、
「やられ役の長話に付き合うつもりはないのう」
「なっ――――」
シュパッ、と全ての黒鞭が悉く薙ぎ払われた。
魔法を透過するという、ヌンのその性質を一切を無視して。
「馬鹿なっ!? まさか隠し玉の『ウィッチクラフト』とでも言うのか! しかし――」
「長話に付き合うつもりはないと言うたのにのう。やっぱりお兄さんの言う通りに耳にクソでも詰まっとるんかのお?」
シレミナが瞬く間にダンジョンマスターとの距離を詰め、古武術のような当て身を見舞った。
げぶうっ!? とサハリが吹っ飛ば――ない。吹っ飛んだのはサハリの体から抜け出た薄紫色をした何かだ。
サハリは糸が切れた人形のように崩れ落ちた。
シレミナがその小さな掌でその何かを掴み取った。
それは人の形をしていた。ただし、上半身だけだ。下半身は、というか足がない。人魚の尾鰭が水面で揺れるような感じで、有り体に言って幽霊のようだった。
そういえば、途中で遭ったゴーストの下半身もあんな感じだったような気がする。とは言っても、そのゴーストたちはずんぐりむっくりで髑髏の仮面をしていたのに対して目の前にいるそれは随分とスレンダーだ。身長は足がないせいでよくわからないが、その体格からして俺と同い年の女性に見える。
腰まである長い薄緑色の髪をした女性のようだったそれは、今はシレミナに締め上げられている。
「くあっ……こお……ころ、せ」
にたり、と締め上げられながらも笑みを崩さない。まるで『殺せるものなら殺してみろ』と言っているようだ。死を恐れない、ゲーム画面の前で胡坐を掻いているプレイヤーのような。
ふん、鼻息一つ。シレミナだ。
「安い手じゃ」
片手間でそれを締め上げていたシレミナが、貫手でその鳩尾を貫いた。
余裕ぶったゴーストの少女はその表情のまま固まった。
そのままゆっくりと手を引っこ抜くと何かがマトリョーシカよろしく現れた。
ずるりとゴーストがシレミナから零れ落ちる。
「残念じゃったのう。霊体のダミーまで用意しておったのに、それすら見破られて。これで残機ゼロじゃ」
現れたのは人の首によく似た造形の砂嵐だった。テレビのあれだ。
目、口、鼻、耳のそれらが影のグラデーションでしかわからない、異様な存在だった。
それは野太い声で叫ぶ。
「ばげ、ぐ……ば、馬鹿なっ!? どうやって、一体全体どうやってえええエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッ!!?」
「以下略」
『ごぶ』とか、『ごびょ』だとかいう、そんな断末魔だけを残してそれはシレミナに叩き潰された。最期の最後、本当にあっさりと。まるで喜劇でも見ているかのようだった。
「特異点」
「?」
ふと、シレミナがぽつりと零した。
「お兄さんたちにとっての今がわしらにとっての未来であり、わしらの今の行動の結果、本来起こり得ない現象がお兄さんたちの今に起こる。そのわしらが座すべき位置が特異点」
能面のような顔だった。魔物でも人でもない。アンドロイドであるかのような冷たい表情。だが、それも次の瞬間には霧散し、人懐っこい小動物のような雰囲気と微笑みになった。
「すまんの。人は死と孤独と未知を恐れるが故、説明をと思ったのじゃが、余計訳わからんくなったかの?」
「訳わかんねえけど、あんま怖くはねえかなあ。ただ意味不明なことが連チャンで起きて混乱してるだけ。……って、こんな話どーでもいいな。兎に角、礼を言わせてくれ。助かった。ありがとう」
座り込みつつ頭を下げる。もうずたぼろだ。立ち上がれやしない。
「ふむ。やっぱりええ子じゃのう、お兄さんは。ほれ、小遣いやろおのう」
じじ臭いなあ。やっぱりというか確信的にというか、前に夢に出て来たじーさんがシレミナの中にはいってんのかねえ?
とか思ってたらもにゅっ、と腕に柔らかいものが押し当てられた。シレミナのちっぱいだ。
「ってあんた人の体でなにしてのおおお!?」
「ん? だってわし今持ち合わせないもん」
「だからってパクったもんあげようとすんなよ! こっちが困るわ!」
中身じーさんの幼女に手を出すとか上級者過ぎる……じゃなかった。意識のない相手に手を出すとか俺の倫理観が許さないよ。
「……そんなことよりも、回復魔法とかかけてくれません? 皆ぼろぼろなんすよ」
そう言いつつぷらん、と両手を前に出す。お化けのポーズの手からはだらだらと血が流れ、手首は熱をもっていた。
「ふむ、確かに重症じゃの。相分かった。では先にお兄さんに一通り応急処置だけ施そう。体力も回復させるから、お兄さんは上にある回復の泉で治癒してきた方が手早く治るじゃろう」
他の二人はそのまま回復魔法で治癒させるらしい。なんだかんだ言っても、じーさんができることはシレミナができることの範囲内のことだけらしい。魔法然り、魔力然り。さっきの特異点なんちゃらというのは特例で、乱発はできないらしい。
「いいかの、お兄さん。今回のこれは特別じゃ。これから先、わしはもう力を貸してやれぬかもしれん」
そこまでの力があれば、『あの時』に助力を頼まなかったと思うしの。
そう呟くシレミナの体がふらふらと揺れる。
「アストロノミコンは先の一つだけではない」
彼女は気怠げな仕草で後ろを振り向く。その視線の先にあったのは俺の両手を砕き、俺の頭突きによって沈んだ雨合羽の少女。
「アストロノミコンは全てで十『掘り出した』。残りは『八つ』。次に目指すべきはカトメック密林『名のない迷宮』……じゃが、そこまで急ぐ必要はない。力を蓄えてから行くといい。死んでしまっては元も子ないからのう。」
シレミナが俺へと手を向けると『ファストヒール』と小さく詠唱をした。途端に傷が癒えていく。完全ではなく、傷もまだじくじくと痛むが、歩ける程度にはなった。
俺はじーさんに軽く相槌だけ打って歩き出して、ふと足を止めた。
「なあ、じーさん。一つだけいいか?」
「何なりと」
「どうして、俺を選んだ? ただの偶然か?」
初め、キョトンとしていたじーさんだったが次第に理解し始めたのか、呆れるような不可解なものを見るような目で、
「……普通そこは拒絶したり考え込んだり激怒したりする場面なんじゃがのう?」
「えー、やだよ面倒臭い。だってあんた神様モドキなんだろ? 断ったら何するかわかんねえじゃん」
「ガーンッ!!」
言った途端、中身じーさんの幼女は体操座りになってのの字を書き始めてしまった。
思わず大丈夫? と声をかけたが「いいもんいいもんどうせわしは得体の知れない黒幕臭漂う変なじーさんだもん」といじけ虫モード。
俺はこりゃ駄目だと思って、とりあえずいたたまれない空気から逃げ出した。
えーっと、あれだ。これは俺が悪いんじゃなくて俺が読んでいた読み物が悪いんだ。
僕は悪くない。
俺は延々と続く昇り坂を、どーでもいいこと考えつつとぼとぼと歩いていった。
◇ ◇ ◇
その後は特に何もなかった。泉に浸かっていたら気持ちの悪い速度で傷が癒えて行ったり、泉の聖なる光が仕事していたり、じーさんの抜けたらしきシレミナがわざわざ探しに来てくれたり、全快したらしきサハリが突っ込んできてあわや大惨事になりそうになったりと、それくらいだ。
ただ一つだけ、看過できないことがある。サハリだ。
「えへへ、キョウスケ♪ キョウスケ〜♪」
「……」
頬が緩みきって、餌を強請る飼い猫のように甘えて来る。
なんでこんなことに……? というか、俺さっきまで回復の泉に浸かってたんだけどもそのへんは大丈夫なんかね? 人には兎も角、魔物には猛毒だ、って聞いたんだけども。
はっ! もしやサハリはアルコール的な作用でこんな状態なのでは?
そう思ってシレミナを見る。
「シレミナ、この状況の説明を求む」
「ただ単にさっきのことで惚れ直しただけやろ? あの状況やったんや。全滅しとっても不思議やなかった。ほんま、途中から記憶なくなるし何がなんやら……」
「いや、そうじゃなくてサハリにとって泉に浸かってた俺は毒液塗れなんじゃないかねって話でね?」
「ああ、心配せえへんでもそんなちょびっとなら問題あらへんわ。そんなことよりも義兄上は泉に浸かって体力・精力ともに全快なんやから義姉上のお相手頼むわ。ご無沙汰やろ?」
「いやいやいや、ご無沙汰って言っても一日くらいしか空いてないいいいいいいいいいっ!?」
早速サハリだった。デレッデレモードになっても結局やること変わってない。
精々が『嬲るような舌使い』から『慈しんで奉仕するような舌使い』に変わったくらいだろうか。
まあ、初夜と変わった点があるとしたら他には場所くらいか。回復の泉のすぐ隣の部屋。数発撃って愚息が痛くなってきたらサハリにステイしてもらって泉で回復。うん、疑似的絶倫状態だな。
結果、圧倒的勝利だった。シューティングゲームで耐久値無限のバリア張っているような感覚だった。初夜のお返しだーっ! と体力尽きて涙目アヘ顔のサハリをさらに犯しぬいた。ちょっと鬼畜な気分を味わっていたのだが、途中からサハリが妙に嬉しそうだった。もしかしたらMっ気に目覚めたのかも知れない。
もしそうだったとしたら今度ベッドの上で俺を踏んでもらうように言ってみるのも面白いかもしれない。Mを苛めるのには普通に苛めるパターンと苛烈に屈辱的に苛めるパターン、そしてご主人様を逆に苛めさせて背徳感を煽るパターンの三つがあるらしいからな。俺はへたれでド畜生に成り切れないし成るつもりもない、ついでに言葉責めとかも自信ないので消極的に最後のが無難なのだ。
「『wolrail eso thysvithsuc rn mana rate …… liarlow<代謝促進>』。……し、しかし、まあ、確かにお相手頼むとか言うたけど、これはやりすぎやで? 万魔殿の堕天使やないんやから」
「反省はしている。後悔はしていない」
「……段々と堕ちて来とるなあ、自分。ええことやけど」
数時間後、サハリはすっかり出来上がってしまっていた。輪姦もののエロゲであるあの光景だ。白い水溜りに沈む美女。全身が十八禁だが、特に口元と下半身は見てはいけない。背徳的過ぎる。
スマホを見てみればもう少しで十時間越えるところだった。
すげえ。回復の泉、マジすげえ。この体液の量は明らかにおかしいのだが、ファンタジーということで納得しよう。声を出すだけで水が出て来るようなこの世界で、質量保存の法則などないに等しいのだ。
「しかし勿体ないなあ。ダンジョンを売れる機会なんてほとんどあらへんのに」
ふと、シレミナが回復の泉を眺めながら呟く。初めは透明度が高く、白銀色の不思議な輝きを放っていた泉だが、何故か今は黒く濁ってぼこぼこと気泡を放つ沼のようになってしまっていた。
「何で売れるんだ――って、回復の泉か」
「使い道も欲しがる人も、そりゃあたくさんおるからなあ。」
俺の数針も縫うような怪我を一発で、しかも後遺症どころか傷痕一つ残さず綺麗さっぱり治癒してしまった泉だ。そりゃあ需要は天井知らずだろう。本来の医者殺しのような治癒目的の他にも、拷問とかにも使えそうだ。
しかし、何でこうも汚れてしまったのかね? 使い過ぎると効力なくなるとか? シレミナの口振りからするに、もう売り物にならないみたいだけど。
話を振ってみると、活性化した魔物のマナが聖属性のマナを侵食しているとのこと。
「聖属性は基本、魔属性に強いんやけど質や量なんかで簡単に逆転が起こる。何で活性化したのかはわざわざ言わんでもええやろ」
俺のせいですね、わかります。
「魔属性は負の性質を、聖属性は正の性質をもって互いに引き合い、互いに侵しあう。これが聖属性有利やったら力が光属性とかになって逃げていくんやけど、魔属性有利やと話が変わる」
シレミナはなおも講義を続けつつ、ぐったりと横たわるサハリの頬をぺちぺちと叩いて起こす。
「聖属性の正の性質が全て負へと変わり、膨大な斥力が発生して辺りを吹き飛ばす」
……おい。
「さあ、義兄上。このダンジョンが爆散する前にここから出よか」
「そーいうことは先に言えよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!? っつかそんな規模なの!?」
もっと文句言ってやりたいが、それはまた今度だ。シレミナとともにサハリの手を引いて走り出す。幸い、出口への経路はすでにシレミナの風魔法で発見済みなので迷うことはない。問題は距離だな。図らずも当初の予定通り(?)、サハリを引っ張って行っての脱出ミッションになってしまった。
しかもタイムリミットがある分こちらの方が辛いかもしれない。焦燥感で胸が焦げ付きそうだ。
「シレミナ、どっちだ?」
「そこを左や、義兄上」
よたよたと走るサハリに合わせて小走りで出口を目指す。余韻が残っているのか「はあん♪」とか「ひゅうん♪」とかいう喘ぎ声が口から洩れている。さっき、シレミナに回復魔法をかけられていたがそれでもまだ辛いらしい。俺はまだ効果のあった回復の泉で全快どころかこの声のせいでズボンにテント張っているぐらいなのだが。
――スカッ。
「うわっ!?」
「ほえ?」
曲がり角で誰かがいた。
俺は一瞬、ぶつかると思って身構えたが、その誰かは俺の体を通り抜けた。振り返ったそこにあったのは薄紫色の半透明な体、薄緑色の腰まである髪。
(こいつ、ダンジョンマスターに身代わりにされていたゴーストか?)
手を組んできょろきょろと視線を巡らして挙動不審な彼女だが、あくまで敵意なんかはなさそうだ。どちらかというと現状が理解出来ていなくて混乱しているといったやつだろう。
ほむほむ、だとしたら人っぽいし、旧魔じゃなくて本物の魔物か? なら、ここで見捨てたら寝醒めが悪い……。
「おい、あんた。ここはもうすぐ崩れる! あんたも一緒に外に――」
「きょー君?」
は?
思わずぽかんとする。俺をそんな風に呼ぶやつは、
「お前、もしかして夜沼? 夜沼 理花(やぬま りか)か?」
夜沼理花。
俺の友人の双子の妹で、クラスメイト。日本にいるはずの人物。
「――うん、そうだよ。きょー君」
見つめ返す彼女は、何かを諦めてしまったかのような力のない声で、そう呟いた。
15/09/17 14:54更新 / 罪白アキラ
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