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後編 |
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それから数日後の事だ。
「ハトラルコが和平を申し出てきた?」 まだ停戦状態だったが公務を再開し始めようとしたクロシエの自室にクロハがそう報告してきたのだから寝耳に水だった。 「はい。『クロシエ・テル・アルトン女王の勇ましき強さと慈悲深き優しさに我々は自らの過ちを認めると共に深く反省し謝罪の意味も込めて会話の場を設ける』、と」 願ってもやまない機会だ。 クロシエは初めのうちはこれで民衆を危険に晒さずに済むと考えていた。 ハトラルコ側が提案した具体的な講和条件に目を通せば本領安堵、賠償金の支払い、ハトラルコ側の永久的な領土侵入禁止とアルトンが戦勝国であるかの様な条件だった。 ただ一つ講和の席に行くのは自身とお付きの人間一人だけ、というのを除いて。 「クロシエ様、どう思いますか?」 あくまでも彼は判断を仰ぐ立場だった。 ―――これは罠だと思われます。クロシエ様、受け入れるのは早々かと――― ショーケースに飾られているジルドハントは即座に進言してくる。 クロシエも罠である事は考えてはいた。 だがここで条件を飲み込めば、これ以上民衆を苦しめなくて済むという気持ちが強かった。 もし拒絶して戦争を続ければ、いくらジルドハントの力があったとしても民衆は付いていけない。 ならば好条件が出されている状態で和平を結べばこれ以上の犠牲は抑えられる。 それに講和の場に立ってもいないで相手側を疑うのはクロシエの性に合わなかった。 相手を見て、話を聞いて判断するのがクロシエの流儀だ。 付け加えて万が一の事があったらクロハとジルドハントがいる。 二人に任せておけば大丈夫だ。 そう考えたクロシエは決断した。 「条件を飲みましょう。使者に了解すると伝えて」 「はっ」 クロハは不満の表情を見せずにただ頷く。 そしてクロハが出て行ったのを確認したクロシエはちらりとジルドハントを見る。 ジルドハントは何も言って来ない。 自分の意見を無視したから拗ねている、訳ではない。 クロシエの考えを読み取り、察したのだからそれ以上の進言をしていないだけなのだ。 「いざとなったら宜しくね。ジルドハント」 ―――お任せを、クロシエ様――― ジルドハントはいつもの凛とした口調で答えて見せた。 ♢♢♢♢♢♢♢♢ 講和の場はアルトンとハトラルコとの国境付近にあるハトラルコの駐屯所であった。 クロハは講和の場という事で場違いであろうと自身の武器である槍を置いていこうかと思ったが万が一に備えて携えていく事にした。 クロシエも同じ考えで腰にはジルドハントを携えていた。 共に馬を走らせ城門前で止まると。 「はっ! クロシエ女王並びにその従者様! お待ちしておりました、ただいま門を開門致しますので少々お待ちください!」 城門前にいた兵士が威勢よく返事をし、門を開門させた。 中へと入り馬から降りると兵士の一人がこちらへと駆けてくる。 「はっ! こちらへお願い致します!」 そう言い後ろを振り向き歩き出す。 二人は黙ってその後ろを追っていた。 兵士に案内されて歩くこと数分。 通された一室にいたのはまだ若いであろう男性一人と初老に差し掛かった男性の二人組だった。 「お初にお目にかかりますクロシエ女王。私の名はアレス・ジスタ。こちらはクルシス・ルドです。今回我々は王の代理として和平の交渉を承りました」 初老の男性、アレスはそう言い一礼した。 続けてクルシスという若い男性も一礼した後、クロシエが席に座ったと同時に口を開いた。 「では早速始めさせて戴きます。誠に勝手ながらこちらが提案した条件のさらに具体的な案の確認をお願い致します。無論条件の変更などがあれば対応致しますのでご安心を」 この時クロシエはまだ警戒していた。 講和の会議と名目しているが自室で聞いたあの戦勝国並みの要求をちゃんと約束してくれるのだろうかと危惧していたのだから。 だが実際に講和の会議が始まれば彼らは迅速かつこちらが了承する具体的な案を出してくる。 国境には絶対に兵士を近づけさせない、賠償金も適度な額、さらにハトラルコの鉄と銅の加工技術の一部提供と良識的な条件ばかりであった。 そして彼らは真剣な目つきと口調でこちらと対話している。 こちらの条件をほぼ承認しての条約書にクロシエがサインした時、クロシエは確信した。 彼らは信用できる人間である、と。 「これでもう国民を犠牲に出さずに済みます。ありがとうございます」 クロシエが思わず感謝の言葉を述べる程だった。 「それはこちらの台詞です、クロシエ女王。我々は確かに反魔物派ですが人としての道理はあります。これ以上長引かせるのは両国を疲弊し続けるだけですので」 「クロシエ女王。我々が反魔物派を掲げているのは国民の大部分が魔物に対して恐れているだけなのです。中には聡明な大臣らがいる事を忘れないでもらいたい。そしてこの場で真実を語りましょう。今回戦を仕掛けたのは我々の国民を守る為なのです」 クロシエとクロハは一瞬だけ理解できなかった。 「近隣国であるアルトンが親魔物国となったと聞けば魔物に対して好意的でない人間は安心してられないのです。王はそれを重々感じておりました。そんな折にあの事件が起きたのです」 「はっきり申し上げますとあの暗殺者達は王が指示したのではございません。一部の家臣達が独断で行った所業なのです」 「されどその後、半ば強引に宣戦布告し国を乗っ取ろうと指示したのは紛れもなくハトラルコの王ではありませんか?」 クロシエの傍にいたクロハが堪らずそう指摘するとアレスは重々しく口を開いた。 「・・・反魔物派の家臣達に押されて負えなく。王個人の意思は黙殺していたかったのですが家臣達はこの一件を好機とみて、こぞって訴えたのです。加えて国民自体もこの一件を聞いた途端アルトン国に対して敵意が高まりまして。王はそれで・・・」 周りに押されて開戦しなければならなかった、という事だ。 考えただけで押し殺されそうだ。 アルトンは小国であり、尚且つ素直にクロシエに従う人間が大勢いる為そんな事はないが大国であるハトラルコは国民の大半以上が反魔物主義者で占められており中には他所から来た人間も混じっている。 つまり王の威厳とか意向やらをよく分からない人間も混じっているという事だ。 人が多くなれば統制や維持が難しくなる。 これは国を治める者として尽きない悩みである。 「王の気苦労。察するあまりです」 クロシエは思わず漏らしてしまった。 「ですがこれで終わらせられます。本当にありがとうございます、クロシエ女王」 「では友好の証として我が国の特産品を御用致しました」 アレスが合図すると奥からおぼんを持ったメイドが出てきた。 そのおぼんにはグラスが一つとワインボトルが一つ。 「葡萄酒です。お口に合うとよろしいのですが」 「いえ、ありがたく頂きましょう」 メイドがボトルのコルクを開け中身をグラスに注いだ。 それをクロシエの前にゆっくりと置いた。 「さあ、どうぞ」 メイドに進まれるがままクロシエはグラスに手を取り葡萄酒を口にする。 液体が口の中に流れる。 そして舌が味を感じ始める。 濃厚な、芳醇な香りが口の中に広がる。 ―――だが突如として感じた違和感。 それが刺激となってクロシエは液体を吐いた。 「ごほっ! ごほっ!!」 思わず立ち上がり口元を手で覆った。 「クロシエ様!! どうなされたのです、クロシエ様!!」 クロハが心配してクロシエの顔を伺った。 その途端だ。 バンッ、という音と同時に兵士達がずかずかと入ってきた。 しかもその手には剣やら槍やらの武器を携えて。 クロハはクロシエを連れて壁際の方へと下がっていく。 「お体は大丈夫ですか!?」 無言で頷いたクロシエ。 すぐに吐いたのが幸いしたか歩くぐらいの事は出来そうだ。 だが体に力が入らない。 ジルドハントを手に持って戦えそうになかった。 そんな彼女を庇う様にクロハは携えていた槍を構えた。 そして兵士らと、調停の二人及びメイドを敵として睨みつける。 最初の内はあの調停役の二人とメイドは仕掛け役でクロシエに毒を飲ませて、仮に仕留め損なったら兵士らにやらせるのだと思っていた。 だが向こう側の様子がおかしい。 兵士らは調停役の二人、そしてメイドまでも取り囲み逃がさない様にしている。 「これは何の真似だ!! この場は貴様らが土足で入るような場所ではないぞ!!」 その一言でアレスらがクロシエの毒殺計画とは無関係なのが分かった。 「・・・ご命令です。クロシエ女王をこの場で殺害するようにと」 「馬鹿な事を申すな!! 闇討ち当然の行動を起こして王に泥を塗る気か!!」 「・・・遺言があれば聞きましょう、お二人方」 そう言い兵士はアレスらに刃を構えた。 「我々も殺すと言うのか! 何を血迷ったか!」 「これは計画通りです。お二人、及びメイドの女も人柱となって頂き、ハトラルコ国の安定とアルトン国の制圧に役立ってもらいます。遺族には女王によって亡き者にされたと伝えておきます」 「そ、そんな!? 私はただの!? しがないメイドですよ!?」 兵士らに囲まれてメイドの女性はパニックに陥っていた。 「悪いが運が悪かったと思え」 それらを聞いたクロハは察した。 ―――クロシエ様に濡れ衣を着させるつもりか!!――― 自分とクロシエ女王を殺して、調停役の二人とメイドも殺し、全てをクロシエに擦り付けようとしているのだ。 クロシエが三人を殺し、兵士らが敵討ちと称して止む無くクロシエと自分を仕留めた、という話を手土産に計画した者は王にそれを持ち掛ける。 そうすれば王はアルトンを許されざる賊として更に兵を動員しての再戦をするだろうし、更に義はハトラルコ側にあると近隣諸国は認識し両国間に干渉しないだろう。 そしてクロシエを失ったアルトン国は統制を失くし成されるがまま蹂躙されて占領される。 実に合理的で反吐が出る計画だ。 立案した人間は血も涙もない奴だろう。 だが逆にクロシエがここを生きて逃げられたら計画が潰れてしまうのも事実だ。 そう考えたら何が何でも女王を逃がさなければならない。 クロハは覚悟を決めて身構える。 例え自分の命が失われようとも。 「クロシエ女王、並びにその従者。覚悟」 兵士の一人が剣をクロハ目がけて振りかざす。 クロハはすぐに槍で受け止めると足蹴りで兵士を飛ばす。 続けさまに来た兵士二人も槍を振り回し、怯んだ隙に槍の突きを二人に喰らわす。 クロハはクロシエを守る様に戦い、そして少しずつクロシエと共に移動し扉の方へと向かっていく。 あと少しで扉のドアノブに手がかかりそうだった。 が、それが『行けるぞ!!』という慢心を生んでしまったのか兵士の一人からの横槍を捌けなかった。 自分の腹部に刺さりそうだったから3,4歩ぐらい後ずさりした。 その拍子にクロシエから離れてしまう。 慌てて彼女の傍に戻ろうとするが行く手を兵士達によって阻まれてしまった。 ―――クロシエ様とまた離れてしまった!――― その後悔が一瞬の隙を作り、後ろからの一撃をくらってしまう。 切られたかの様な痛みは無かったがそれでも不意を突かれた事に変わりはない。 体制を崩し、前へと倒れこんだクロハの体を、頭を、兵士らが押さえつける。 「クロシエ様!」 クロハは堪らず叫んだ。 当のクロシエは何も出来ず兵士によって押さえつけられる。 両脇に兵士一人ずつクロシエの肩と手首を押さえられ無理矢理立たされていた。 その姿に自分はなんて弱いんだとクロハは己の不甲斐なさを嘆いた。 「ご苦労だったな、皆の者」 その労いの言葉と共に入ってきた者が一人。 白髪交じりの髪の毛に肌は白い。 身なりもきちっとしておりどこかの貴族なのだろう。 男はクロハとクロシエに一瞥(いちべつ)すると笑みを浮かべた。 「貴様の仕業なのか、メフィシス殿!!」 アレスは唸る様に吐いた。 つまりあの男はハトラルコの関係者、それもかなり高い位にいるのだろう。 「正確に言えば我ら反魔物派の者どもが計画したのだが。まあ、そうと捉えても構わない」 「講和の場を乱し、戦争を続行させるなど愚策だ!! 民を疲弊させ、罪のない善良な民までも巻き込むというのが分らぬか!!」 「勘違いされては困る。これは魔物に嫌悪感を抱いているハトラルコ国民の為なのだ。不安の種を潰さなければ国民は政治家を疑い、離れていく。我々は国民の平和を守る義務があるのだからこの様な汚れなど小さきものに過ぎん。それに戦争が続ければ金属類の生産、つまり斧や剣などの武器が増加し職人らの財政は潤うのだから一概に愚策とは言い切れぬぞ」 話から察するに彼は政治の役職に就いていて、ハトラルコにおける反魔物主義の一派なのだろうとクロシエは考えた。 「そうそう、剣と言えば・・・」 メフィシスという男はクロシエの腰辺りに目をやる。 クロシエが最も大事にすべき宝物でありクロシエの半身とも言える代物。 メフィシスはジルドハントの柄を握り、引き抜いた。 「中々の名刀だな。だが噂では非殺傷の力が宿っていると、我々も舐められたものだ」 ぎろり、とメフィシスはクロシエを睨みつける。 負けじとクロシエは睨み返すが力が入らない今、そんなのは虚しい強がりだった。 「メフィシス様。お戯れはそれまでにして始末しましょう」 兵士の一人が進言してきたがメフィシスはほくそ笑んだ。 「・・・いや、余興を一つ行うとしよう。この細剣で女王を傷つけるという遊びを」 それを聞いた途端、クロハはその男に対して殺意が湧いてきた。 クロシエが使っていたその細剣でクロシエを傷つけようとするなど、歪んだ精神だ。 初めは曲がりなりにも政治家だと思っていたが本性は下種な人間と同類だった。 「大方、この剣で戦乙女とやらの称号を得ていたのだろう。だが今の貴様はただの人間、無力な女だ。我々は散々辛酸を舐めさせられてきた。その報い受けてもらうぞ」 クロシエは顔を下に向けて体を震えさせていた。 当たり前だ。 自分の半身である細剣によって傷つけられようとしているのだ。 例えようがないほどの屈辱と怒りだ。 今すぐにでもその男をジルドハントで切り付けようとしたいだろう。 「まあ血は流れんが痛みはあるだろう。暫くその悲鳴を楽しませてもらうぞ、クロシエ女王」 そう言いメフィシスはジルドハントの剣先をクロシエへと突き立てる。 クロハは必死に暴れ、兵士らの拘束を解こうとするが。 頭を抑えられ、両手首までも抑えられている、となれば動けるのは足ぐらい。 それもジタバタするぐらいの範囲でしかない。 抜け出せない、立ち上がれない、守る事が出来ない。 クロハの心は失意しかなかった。 「・・・申し訳ありませんクロシエ様・・・俺は、騎士失格です・・・」 その時だ。 「「私に・・・」」 クロハは空耳でも聞こえたのかと思った。 クロシエの声に重なる様に別の、女性の声が聞こえてきたのだ。 凛とした女性の声だ。 「「私に・・・・!!」」 ジルドハントが震えていた。 例えだとか揶揄とか、持っていたメフィシスが震えさせていたとかではない。 本当にジルドハントが、剣が振動して震えていたのだ。 その証拠にメフィシスが驚きの表情を見せていたからだ。 「「触れるなーー!!」」 その瞬間ジルドハントの周りに、もっと正確に言えばまるでジルドハントの内から生み出されたかの様な風が発生した。 強烈な風にメフィシスは耐えきれず柄から手を離してしまった。 それでもジルドハントの周りを回る風は収まらない。 風をまとい宙に浮いているジルドハントはまるで自身の怒りを見せつけているかの様だ。 ジルドハントの異変と同時にクロシエは両脇にいた兵士二人による拘束を力ずくで引き離した。 兵士二人はすぐに取り押さえようとするがジルドハントが吹かす風が邪魔をしていた。 「「私が仕えし主は、クロシエ様ただ一人!! 私を使役する権限を持つのは、クロシエ様ただ一人!! 貴様の様な下賎(げせん)が、私を扱うな!!」」 「クロシエ様、いったい何を言って・・・」 私が仕えし主? 使役する権限はクロシエ様? 貴様の様な下賎が私を扱うな? クロシエの細剣がクロシエの口を借りて訴えているかの様な姿にクロハは困惑していた。 それは兵士達も同じだ。 余りの出来事に腰を抜かしてしまうもの。 中には悲鳴を挙げて足をガクガク震えさせている者もいた。 そして風が収まると同時に宙に浮いていたジルドハントがクロシエの元へと向かう。 クロシエは右手を前に出しジルドハントを受け止めた。 『ボコッ! ボコボコッ! ボココッ!』 手にした瞬間ジルドハントの内から黒い物体らしき物が溢れ出てくる。 黒い物体はジルドハントを覆いつくし、禍々しい大剣へと変えさせた。 そして黒い物体はクロシエの手にも侵食し始める。 腕へ、肩へ、胸へと侵食していく。 ついには足にまで侵食していった。 黒い物体の侵食が終わるとクロシエの外見は。 左側半分は侵食されなかった為、そのままの綺麗な、公務用の服だったが右側半分はそうではなかった。 異端とも言える姿だったのだ。 黒い物体が禍々しい鎧を作り上げ、その鎧の隙間から覗ける赤い物体がドクンッ、ドクンッと脈打っている。 ジルドハントとそれを持つクロシエの手が黒い物体によって結合し、初めからクロシエの手に付いていたかの様な状態になっていた。 彼女の右目は印象的だった黒に近い紫色から人間の血の様な赤色へと変貌している。 そう、クロシエの姿はまるで。 「そうか、クロシエ女王は元々魔物だったのだ!! ならば戦場での強さも合点がつく!! 人間であるかのように見せかけ我々を翻弄していたのだ!」 兵士の一人がそんな事を口にしていたのだから堪らずクロハは口を開いた。 「貴様、無礼だぞ!! クロシエ様は人間だ!! 戯言を言うのであれば切り捨てるぞ!!」 「ではあの姿は何だ!! あの姿を見てもなお貴様は、クロシエ女王は人間であると言えるのか!!」 クロハはすぐに反論出来なかった。 どう贔屓目(ひいきめ)に見ても今のクロシエは異端の姿だ。 魔物だと判断されても仕方ないし無理もない姿なのだ。 だがクロシエは魔物でないとクロハは断言できた。 反論しようとクロハが言葉を考えている最中でも事態は止まらなかった。 「・・・ならば好都合だ。者ども、女王が魔物であれば手加減無用!! 遠慮なく討ち取るのだ!!」 メフィシスの激にハトラルコの兵達は奮い立ちクロシエに立ち向かっていく。 それぞれ持っていた剣やら槍でクロシエを切り付けようと刃を立てる。 クロシエに一番近かった兵士が剣を彼女に向けて振り下ろそうとした、が。 『ザシュッ!!』 一瞬だった。 クロシエが一陣の風を吹かせたと思ったらその兵士が地面へと倒れこんだ。 クロシエがその大剣となったジルドハントを振り回して返り討ちにしたと理解するのに数秒かかった。 何しろ兵士に切り付けたのは一瞬だったからだ。 それがメフィシスに恐れを抱かせる。 「ええい!! 我に続け!! いくら魔物と言えど、相手は手負い!! 勝機はあるのだ!!」 そう言いメフィシスは自ら剣を抜刀しクロシエへと向かっていけば続けて兵達も向かっていく。 だが無謀と命知らずをはき違えていた男が率いる兵の強さなどお粗末なものだ。 クロシエが剣の斬撃を振るえば次々と兵達が倒れ、メフィシスが倒れていく。 斬撃を喰らえば兵士らが悲鳴を挙げる――― 「ぬおっ!」 彼女に触れる事さえ叶わない――― 「うぐっ!」 何も出来ないまま倒れていく兵士さえいた――― 「ぎゃあっ!」 そしてクロハらを取り押さえていた兵士らさえもクロシエに立ち向かい、返り討ちにされた時には。 「はぁ・・・・。はぁ・・・・。はぁ・・・・」 クロシエ、と思われる禍々しい鎧の彼女は息を切らしながら立っている。 そこから広がる様にメフィシスとハトラルコ兵達が横たわっていた。 非殺傷武器のジルドハントで切り付けたのだから血など流れていなかったが死屍累々の有様だった事に変わりはない。 呆気に取られていたクロハと調停役の二人、そしてメイドの女性。 「クロ・・・シエ・・・様」 クロハは恐る恐る声をかけてみた。 「だ・・・いじょ・・・うぶ・・・わ・・・たし・・・よ」 クロシエの声だ。 苦しい表情を見せていたが、取りあえず大丈夫だという事にクロハは安堵したかった。 がそうはいかない。 早くここから逃げださなければならないからだ。 ハトラルコの兵士らを退き、馬を奪っての正面突破はクロシエがこんな状態では無理強いはさせられない。 ならばどうするかと考え始めた時だ。 「クロシエ女王、並びにその従者殿! ここはお逃げを!!」 我に返ったアレスがそう指示した。 「この事は命に代えても王にお伝え致します!! 今はお逃げください、隠し口からなら警備も薄く抜けられるはずです!! 案内してやりなさい!」 「は、はい!?」 騒ぎを呆然と見ていたメイドも我に返って言われるがまま案内し始めた。 「こちらです。ここからなら兵士達に気づかれないと思います」 メイドがそう言い本棚の中の一冊を引き抜くと、本棚が回転し入口が現れる。 確かに出口は元より入口がこんな場所に隠していたのならばまず気づかれないだろうから警備とかも薄いはずだ。 「我々を助けるというのですか?」 思わずクロハが問いかけた。 「これは王が望んでいない事です。そしてクロシエ女王を狙う家臣らの手引きならば一刻も早くアルトンへ戻り、事の次第を公言してください」 「その通りです。公言すればハトラルコの家臣らはおいそれとクロシエ女王には手を出せないでしょう。我々もハトラルコ内部でクロシエ女王が潔白だと証明致しますので、どうかここは!! さあ、早く!」 「申し訳ない。どうかそちらもご無事で! 行きますよ、クロシエ様」 アレスらに促され、クロハはクロシエの侵食されていない左腕を自分の肩へと回し、歩きだした。 通路の奥は暗くメイドが用意したランタンの灯りがなければ進むのは難しかった。 「足元にお気をつけてください」 メイドがそう言って先導してくれていたのでクロハは苦も無く進めた。 その間クロハは気づいていなかった。 自身の体に密着する形となっていたクロシエの顔が安らいでいたのを。 ♢♢♢♢♢♢♢♢ メイドの案内で何とか駐屯所から抜け出したクロハとクロシエはそのまますぐにアルトンへと戻る事は出来なかった。 クロシエの外見だ。 禍々しい装甲に包んだクロシエの姿を見れば騎士達は混乱してしまうのは目に見えていた。 加えてもう日が暮れ、暗闇が支配する時間帯だ。 だから近くの森へと身を隠して、対策を練ろうとしていた。 クロシエを連れてクロハは森の奥へ行くと運よく洞穴を見つけた。 奥に行けばかなり広かったので迷わずその洞穴を選んだ。 その壁際にクロシエをそっと置くと、クロハは外に出て適当に枯れ木を集め始めた。 それらを洞穴へと持ってきて一ヶ所にまとめると持っていた火打ち石で火を起こした。 騎士たるもの非常事態には備える様にとレイモンドから持たされていた品の一つだ。 『まさかこんな所で役立つとは』、とクロハは思っていた。 何度か試すと火花が上手く火種に点火した。 そこからパチ、パチッと焚き火が起き上がり、クロハはようやくひと段落出来たと思った。 が後ろにいたクロシエがすっと立ち上がる。 「クロシエ様?」 「あ、あがっ!! おっ!! やだっ!! ぼげっ!!」 クロシエがジルドハントを持っている片腕を反対側の手で押さえつけ、苦しそうに悶えていた。 「ああぁあああぁああっーーー!!」 次には雄叫びを挙げながらクロハに向けてジルドハントを振り回し始めた。 「クロシエ様!!」 紙一重でその斬撃をかわすクロハ。 「がっ!! あっ!! ああぁっ!!」 尚もクロシエは大剣となったジルドハントを振り回しクロハへの攻撃を止めない。 「お止めください! クロシエ様!!」 止めなければならないのは分かっていた。 だがクロハにはクロシエを傷つける事など出来る訳がない。 どうすればクロシエが正気に戻ってくれるのだろうかと彼女の攻撃をかわしながら考えてみる。 (・・・言葉に頼るのか? だが話を聞いてくれるのか? ・・・・こうなれば一か八か、例え切られても血は流れないから心配ない・・・) 何故そうしようと思ったのか具体的な根拠はなかった。 だがこれしかないとクロハは思っていた。 意を決し斬撃の隙を見計らいクロシエの体へと飛び込む。 クロハはクロシエの体を力強く抱擁した。 そして耳元で優しく囁いた。 「大丈夫です。・・・『俺』がいます、だから落ち着いてください・・・」 するとクロシエは暫く体を震わせた後、ジルドハントを持っていた腕を降ろした。 乱れていたクロシエの呼吸も静かになるのも分かる。 どうやら大人しくなった様だ。 「良かった。クロシエ様・・・」 一安心したクロハだったが次にクロシエが起こした行動にはひたすら戸惑うしかなかった。 『ぴとっ』 クロシエが顔をうっとりとさせて自分の頬(ほほ)をクロハの頬へと寄せてきた。 『すりすりっ』 そして肌をこすり合わせる。 肌同士がこすれ合う事で生まれる暖かさ。 クロハがその暖かさが初めてだった。 「クロシエ様?」 「えへ❤・・・、えへへへ❤・・・、クロハ❤」 今まで暴れていたのが嘘の様に大人しくなった変わりに、クロハに甘える様にすり寄ってきている。 「クロハ❤ クロハ❤ クロハ❤」 何度も自分の名前を呼ばれてクロハは顔が真っ赤になりそうだった。 がこれを外せばまた暴れると思ったのでやましい気持ちなど一切考えるなと自分を戒めながら抱擁を続けた。 クロシエは自身の体をクロハの方へと押し寄せてくる。 隙間など一切作らないとばかりに密着させて。 女性の体とは男性と比べてあらゆる意味で柔らかいと称されるがクロハは初めて女性を抱いたのだ。 自分が使っている枕の柔らかさとは違う未知の柔らかさがクロハを襲う。 「ねえ、ぎゅってして❤ 私をぎゅって、もっと抱きしめて❤」 女性の扱いなど皆無だったがクロシエが要求しているのでクロハは、少しだけ強く抱きしめてみた。 「暖かいー❤ クロハの温もり感じられて・・・。 私、幸せ❤」 クロシエの顔はもう蕩けるような表情を浮かべ、侵食されていない左腕をクロハの背中に回し抱きしめた。 「お願い❤、このまま抱きしめていて・・・。出ないとまた暴れちゃうから・・・」 顔をクロハの正面に向けて潤んだ眼で頼まれては解く事など出来なかった。 例え命令とかであったとしても、だ。 「・・・毒は、もう?」 「大丈夫よ❤ クロハが抱きしめてくれたから毒なんかさっぱり消えちゃったから❤」 抱きしめられるぐらいで毒が吹き飛ぶなど聞いた事ないが本人が大丈夫だと言えば大丈夫なのだろう。 暫くクロシエはクロハの温もりに酔いしれていた。 時折また自身の頬をクロハの頬に重ね擦りあった。 口を開けば彼の名前を唱える。 とても大事な人、安心できる人かの様に何度も。 それらが求愛行動、簡単に言えば恋人のそれだったのにクロハは気づいていなかった。 「クロハ❤ 私ね、貴方の事気になってたの❤」 不意にクロシエが話題をかけてきた。 「最初からじゃないの。クロハは私に尽くしていたのも事実だけど貴方は任務とか使命とかではなく個人の意思として私に尽くしてきたのよね?」 それは事実だ。 でなければハトラルコの駐屯所での非常事態にクロシエを守りながら脱出しようとは考えていない。 騎士としての務めよりも、もっと別の。 それこそ立場や身分を超えての気持ちがクロハにあった。 お付きの騎士としての使命を受けたあの日から。 「はい。俺はクロシエ様を俺の意思で守ろうと思いました」 「やっぱり❤ でもこのままでいいの?」 「と言いますと・・・」 クロシエは上目づかいでクロハを見つめる。 「・・・ねえ、クロハ。貴方が良いなら私、ね。」 クロシエは自身の唇をクロハの唇へ添えようと顔を接近させる。 何をしようとしているのか一目瞭然だ。 クロシエは頬を赤らめ瞳を半分だけ閉じているのだから。 このままでは一線を超えてしまう。 そう考えたらクロハは絶対に律せなければならなかった。 自分の中に芽生えた邪な気持ちを押し殺しながら。 「・・・今はお休みください。お疲れなのでしょう?」 クロハはクロシエの頭を優しく撫でた。 「・・・うん。でも離れたりしない?」 クロシエは怯えている様な目で見つめていた。 どうやら素直に聞いてくれたみたいだ。 あらゆる意味で危険な状態から脱せられれば良かったからクロハはクロシエの頭を撫でながら告げた。 「安心してください。俺は離れたりはしません」 「そっか。じゃお休み」 そう言いクロシエは目を閉じる。 ものの数分で静かな寝息を立てた。 同時にクロシエの体から力が抜け落ちる。 だからクロハはゆっくりと膝を落とし、背中を地面へとつけて仰向けになった。 そうなるとクロシエがクロハの上に来て彼に覆いかぶさる形になってしまった。 まさかクロシエの背中を地面につけさせる訳にもいかず、かといって立ったままというのもクロシエが疲れるのではと思ったのでこの様にした。 しかしそうする事で自身の体にクロシエの体が密着している状態になるのは必然だ。 自分の太もも辺りにはクロシエの柔らかい太ももが。 自分の胸辺りには柔らかいクロシエの胸が。 そして自分の頬にはクロシエの柔らかい頬が当たっているとなれば。 クロハは必死に邪な考えを振り払っていた。 「落ち着け・・・、落ち着け・・・・」 何度もそんな言葉を口にして冷静さを保っていた。 これは仕方ない、不可抗力の事だ。 クロシエ様を安心させる為には自分がこの抱擁を続けなければならないのだから。 決してやましい行為でも不埒な行為でもないのだ、と。 クロハは自己暗示するつもりで言い聞かせていた。 「仕方ない事だ。これは仕方ない事だ。これは仕方な・」 『申し訳ございません、クロハ殿。初めてこの姿になった私もどうすればいいのか分からなくて』 いきなりクロシエがむくっ、と顔を挙げて、目と口を開いた。 だが声がクロシエのものではない。 喋り方が違うし、今のクロシエがまとっている雰囲気も違う。 されど体はクロシエだしクロシエの口から発している声だ。 「クロシエさ、ま? 君は一体誰だ?」 『私の名はジルドハント、クロシエ様が持っている細剣そのものです』 クロハは目を見張った。 そしてクロシエが持っている―――黒い物体で肥大化していた大剣の―――そのジルドハントとやらを見た。 にわかに信じられなかったがこれは現実だった。 「君が、クロシエ様に力を貸していたのか?」 『はい。私はあの時クロシエ様に拾われた恩を、そしてクロシエ様は私から罪人という証を取り払ってくれた恩を返す為に尽くしてきました』 「罪人という証?」 そしてジルドハントはあの日クロシエに聞かせた自身が前に仕えた主の話、自身が罪人であったのをクロシエは許して罪人では無くなった事を伝えた。 当然の如くクロハはそんな事があったのかと驚いていた。 「・・・クロシエ様が君を助けた、という事なのか」 『だから私はクロシエ様を守り続けると誓いました。これは贖罪とかではなく私個人としての意思です』 「クロシエ様は今どうなっているんだ?」 『クロシエ様は今眠られて代わりに私が出てきました。ご安心ください、幸い毒は少量でしたので時間と共に中和されて、もう体に異常はありません。されど、こうやってクロシエ様の体を通してクロハ殿と会話出来るのは思ってもみませんでした』 「今までクロシエ様を誰よりも近くで守っていたのか。ご苦労だったな」 『いえ。私はクロシエ様への忠義を貫き、そしてクロシエ様から受けた恩を返したいだけです』 忠義を貫き、恩を返す。 自分と同じだ。 ただ違うのは自分が男性でジルドハントは女性―――女声だったので恐らく女性という曖昧な根拠からだが―――であるという点だ。 「そうだ。駐屯所のあの時、君とクロシエ様に何が起こったんだ? 何故二人の声が重なる様に聞こえたんだ?」 『私はあの時ハトラルコの兵、及びあの男に対して非常に強い怒りを抱いていました。私を使ってクロシエ様を傷つけるなど、とんでもない事でありそれはクロシエ様も思っていました。怒りが爆発し、気づいたらあんな禍々しい姿になっていました。私がクロシエ様なのか、クロシエ様が私なのかよく分からない状態で、記憶とかもごちゃ混ぜになったかの様な感覚でして。でもはっきりしていた目的があります。『あの男とハトラルコの兵を切り付けたい』という目的が』 恐らくクロシエとジルドハントの目的が一緒になった際、あの様な姿になったのだろうとクロハは推測した。 「という事は今のお前とクロシエ様は一心同体という状態なのか?」 『一心同体、とは少し違う気がします。私の意識もありますし、クロシエ様の意識もありますから完全に混ざり合った訳ではありません。ただ本当にごちゃ混ぜになったという感覚で・・・』 「・・・よく分からないな」 『それは私も同じです。何処までの記憶がクロシエ様なのか何処からが私の記憶なのか・・・』 ジルドハントは何かに恐れている様な表情を見せていた。 おそらくその何かとはクロシエと一体化した事で記憶が混ざり合い、結果自分の人格が曖昧になった事だろうとクロハは考えた。 このままでは自分が消えてしまうのだろうか、それとも新しい自分が生まれてしまうのだろうかという恐れだ。 『だからその、お願いです。このままでいさせてください。この抱擁が外されると私、不安で、寂しくて、訳も分からず暴れてしまうかも・・・』 すりすりと体を寄せて懇願してくるジルドハントにクロハは拒絶など出来なかった。 元よりその体はクロシエなのだから。 「あ、ああ・・・」 クロハは再び抱擁の両腕を背中へと回す。 また暫くクロハは人肌の温度を感じていた。 ただ何も話さずに抱きしめている状態が続くとなれば、しかも抱いているのもまた女性。 あらゆる意味での忍耐力が必要だった。 クロハは冷静さを保とうと深呼吸を繰り返す。 『こうしていると昔の主を思い出すんです。昔の主はこんな暖かさを持って、私の柄を握っていました・・・』 不意にジルドハントが話しかけてきた。 前の主についての話を聞いた後でこんな台詞を聞いたなら気まずい顔を浮かべてしまうのがクロハだった。 「・・・その主、ジルドハントは恨んでいるのか?」 『恨んではいません。そうするのも仕方ないと思っています、が・・・』 一度口を閉じたジルドハントは一呼吸した後、また口を開いた。 『何故私を置いていったのだろうか答えてほしかった。私は主の武器であり苦楽を共にしたのにも関わらず・・・』 「・・・ジルドハントがいい奴だから置いていったんじゃないのか?」 クロハは何故そう答えたのか自分でも分からなかった。 ただ元主だったらこう答えるのだろうかと想像したから言ってみただけだった。 『私がいい奴?』 「例えばジルドハント、もしお前が生身の体を持っていて更にお前の様な喋れる剣を携えていたとしよう。お前が大罪を犯した際、贖罪の旅としてその剣を持っていくか?」 『それは、出来ません。その剣まで私の罪に付き合わせる事などないのですから』 ジルドハントは即答した。 「そういう事だ。俺が思うにそのカトルネルって人は今まで尽くしてきた相手までも自分の罪に巻き込みたくなかったからじゃないのか。その相手が自身の剣であっても」 『でもそしたら尚の事私を携えてもらいたかった。結局、私の忠義は卿に届かなかったという事なのでしょう』 「いや、届いているからこそ主として置いていったんだろう」 クロシエ、もといジルドハントは首を傾げた。 意図が分からないとでも言いたそうな顔をしていた。 「ジルドハント、お前は売買を通してアルトンまで来たんだよな。その間でクロシエ様以外の人間がお前の持ち主になった事があるのか?」 『ありました。されど最初の持ち主の時点で私は人を殺さない魔剣と化しておりましたのでそれを知った持ち主らはことごとく私を役立たずとして売りに出しました』 振り返りたくはない記憶だったが自分を手にした人間は男ばかりで、人を切れない剣だと分かった途端ジルドハントを売りに出した。 余りにも薄情者だったので覚える価値無しとしてすぐに忘れたが。 「いや、お前は役立たずじゃない。クロシエ様はお前に絶大な信頼を寄せていたんだから。お前を売りに出した奴らはお前に相応しくなかったんだ」 クロハはそう言い、自分の手をクロシエの肩に乗せる。 「カトルネルって人はお前に主を選ばせたくて、敢えて置いていったんじゃないのか。まあお前に自我があったのを知っていたかどうかは分からんが、忠義者のお前にはそれに相応しい主を選ぶ権利があると思ったんだ。だから置いていったんだと俺は思う、そう違いないさ」 ジルドハントはじっとクロハを見つめる。 「お前は最初から善人だ。そして忠義者だったんだ。ジルドハント」 そう言いクロハはクロシエの頭を撫でようとしたが、次にはジルドハントの刀身を撫でた。 今のジルドハントは禍々しき大剣で触ってみると岩の様なザラザラとした感触だった。 それでもクロハは優しく、柄辺りと思われる箇所から剣先まで撫でていた。 小動物を慈しむ様に、愛情深く。 その仕草にジルドハントは見覚えがあった。 あの日と同じ。 初めてカトルネル卿の愛剣となったあの日。 新品当然の自分に彼が最初にしてきたのは柄から剣先まで撫でた事だった。 『これからよろしく頼むぞ、ジルドハント』 そう言い名前も初めて付けてくれたあの人との記憶が蘇ってきた。 そんなはずないのに。 あの人ではないはずなのに。 クロハの手がまるでカトルネル卿と同じ暖かさを持っていた様だった。 クロハの言葉がまるでカトルネル卿の言葉だと思ってしまったら。 そしてクロハの顔がカトルネル卿と同じ顔だと思ってしまったら。 ジルドハントの緊張がほぐれていく。 心の中で安心感が生まれてくる。 その途端に睡魔が襲ってきた。 感覚などない自分が睡魔を感じるなどあり得なかったが今自分はクロシエ様と一体化している。 一体化した事で生身の体を得て起きた弊害の一つなのだろうと思った。 『・・・ご、ごめんなさいクロハ殿。どうやら、眠くなってしまいました。武器なのに可笑しな話ですよね』 ジルドハントは恥ずかしながら伝えてきた事にクロハは笑わなかった。 ただじっとクロシエを、ジルドハントを見つめていた。 「構わない。ゆっくり休むんだ」 『あ、あの、私が寝てもこの抱擁。外さないでくださいね・・・』 「何を言ってるんだ。俺はクロシエ様の騎士だ。クロシエ様が抱擁を外すなと言ったら俺は外さない」 『ありがとう、ございます・・・』 そう言いジルドハント、もといクロシエは静かな寝息を立て眠りについた。 二人が眠り、辺りにはフクロウの鳴き声ぐらいしか聞こえない。 クロハも眠りたかったが今は警戒しなければならない。 クロハの長い夜はまだ始まったばかりだ。 ♢♢♢♢♢♢♢♢ 朝日が昇り始め鳥のさえずりが聞こえてきた。 いつの間にか眠ってしまったクロハは目を覚ますとクロシエの禍々しい装甲が消えていた事に気が付いた。 ジルドハントも黒い物体により肥大化した大剣から元の細剣へと戻っている。 つまりこれで国に帰れるという事だ。 そう考えたらクロシエが目を覚ましたと同時に出発しようとクロハは意気込んだ。 ♢♢♢♢♢♢♢♢ アルトンへと戻りクロシエは早速駐屯所内で起きた出来事を公言しようとした所だ。 家臣たちが敵対国であるハトラルコの王が正式な和平と謝罪を申し込みたいと伝えてきたのだ。 王が直々に女王に謁見し謝罪を申し込んでくるなど異例だった。 しかもこちらの公言を待たずに申し込んできたという事は駐屯所で起きたあの事態の全貌を熟知しているという事だ。 ならば話は早かった。 すぐに使者を出し、応じるという旨を王へと伝えた。 その数日後。 王が従者二人を引き連れて女王の間へと入場してきた。 王の来着を静かに待っていたクロシエと家臣の一団。 肉眼で初めてみたハトラルコ国のリュウジン・ハトラルコ王。 王特有の立派な髭を蓄え、赤いマントを身に着けていた。 そしてがっちりとした体つきに鋭い眼光。 武道に精通しているのは明らかな人間だった。 「非礼をお詫びしよう。クロシエ・テル・アルトン女王」 そう言い王は頭を下げた。 一国の王が頭を下げて謝罪するというのはそれ程深刻な問題だ。 だが王がそうしたのも当然だろう。 何せ和平協定と偽りクロシエの命を狙ったという疑惑が広がればハトラルコ国は非難の的になる。 例え本人に闇討ちなどの意思がなくとも、だ。 「今回の騒動を画策した家臣達は全員粛清を行った。無論メフィシスという名の男も。最早あの者は一切政治に関与出来ない様にした」 どんな制裁を加えたのかクロシエは気になったが自分らを逃がしてくれたあの二人とメイドの安否の方が気になった。 「リュウジン・ハトラルコ王。我々を手助けしてくれたアレス殿とクルシス殿、そのメイドはどうなったの?」 「安心したまえ。彼らは無事だ。あの騒ぎの後、我に直談判して其方の潔白を証明してきたのだからな」 「良かった・・・」 クロシエは安堵した。 命の恩人達が始末されていたらと思うと居ても立っても居られないからだ。 そして一つ咳払いをした後、リュウジン王の目を見つめた。 「・・・調停役の二人から貴方の思想を察しました。・・・お辛いのですね」 王の目が一瞬だけ揺らいだ。 「反魔物主義を掲げているが積極的に魔物を殺そうとするのは我の思想に反するのでな。必要以上の殺生は人としての道徳を忘れ去ってしまうのだ」 確かにそうだ。 人を殺す、という行為は考えただけでも息苦しく体が締め付けられる様な気分なのだ。 それを慣れさせ、平気な顔をする人間を量産すれば、例え国を守る兵士であっても彼らは人間ではない。 ただの戦闘狂だ。 慈悲も見せずただ殺すだけの血も涙もない、まるで機械人形みたいに。 クロシエはそのさじ加減を模索している王の心境を考えると本当に苦労しているのだと同情してしまった。 「されど我は皆の代表なのだ。皆が魔物とは付き合いたくないと訴えてきたのなら考慮しなければならない。それを重々承知してもらいたい」 その後、王は従者の一人に目で合図すると従者はクロシエの前へと歩んで一礼した。 従者は手に巻物らしき物を掴んでいた。 「では和平条約を確認してもらいたい。不服などはないか?」 王の問いと共に従者は巻物を広げると書かれていたのはハトラルコとアルトンとの間に結ばれるはずだった和平条約のものだった。 クロシエはその巻物を受け取り、あの時駐屯所で確認した条約と一切違わない事を確認した。 「確かに拝見しました。問題はありません」 「ではリュウジン・ハトラルコの命においてこの条約を永久的に承認するものとする」 「女王クロシエ・テル・アルトン。これを了承します」 これで条約は締結された。 条約へのサインは必要ない。 ここにいるアルトンの家臣ら、そしてハトラルコの従者達が証言者だからだ。 本当の意味でアルトンに平和を取り戻し、国民をもう苦しめなくて済む事にクロシエは心底安堵した。 「クロシエ女王。つかぬ事をお聞きしたい」 不意に王が問いかけてきた。 「粛清の際、妙な話を聞いた。メフィシスという男が其方を魔物であると訴え続けていたのだ」 それを聞いたクロシエは思わず口元をピクッと動かしそうだった。 「さらに目撃者の兵士らは其方が黒い鎧を身にまとい剣を振るっていた、と。その真意を問いたい」 今のリュウジン王の目つきはクロシエを値踏みするかの様だった。 自身の発言次第でハトラルコ側の今後の対応が変わるとなれば不用意な事は慎むべきだ。 ここはあの手でいこうとクロシエは考えた。 「リュウジン・ハトラルコ王。不義者であるメフィシスという男の戯言に耳をお貸しですか? 王に背いたあの者が語る話は全て真実であると思いですか?」 まずその発言に疑問を王に持たせた。 「仮に、もし私が魔物であるならば今すぐこの場で私をお切りになりますか? 今回、王がこちらへおらしたのは謝罪と和平条約の再承認の為でしょう。私を切り、再び戦の火種を灯そうというのであれば諸国はどう見るのでしょうか」 弱みを見せれば付け込まれる。 クロシエは言葉を選び、王に脅しかける様に述べていた。 失礼であったがこうしなければ相手は食い下がる可能性があったのだから仕方無かった。 国同士の交渉は時に脅しをかけながら進めなければならないというのが外交を通じて学んだクロシエの教訓だった。 「ですがこれだけは約束いたします。私は武力を用いて諸国を占領するつもりは全くありません。私が望むは共存であり支配ではありません。ハトラルコの国民が安泰を望むのであればアルトンは一切手を出さない事を誓います」 あくまで強気、だがきっぱりと断じておこう。 兵士らの目撃証言に関しては敢えて触れずこちらの言い分だけを述べたのはこれ以上話をこじれるのを防ぐためだ。 後は王がどう反応するのか。 クロシエはじっと王の表情を見つめていた。 たっぷり一分は経っただろうか。 王はゆっくりと首を縦に振ると。 「その言葉、嘘偽りのないものだと思っておこう。クロシエ女王」 どうやら追及はしないようだ。 王もクロシエと同じく話をこじれさせたくなかったという事だ。 これで本当に安心出来るとクロシエは思った。 と同時に王はクロシエが腰に携えていたジルドハントを一瞥してきた。 その際一瞬だけだったがクロシエは見た。 リュウジン王が笑みを見せたのを。 その笑みはまるで面白いものを見つけた幼い子供の様な無邪気さが満ち溢れる笑みだった。 「いつか其方とは親善試合で一戦交えてみたいものだ。では」 そう言い残して、王は去っていく。 その後ろ姿は敗戦国に見られる惨めな姿など微塵もない、潔さと高潔さが溢れていた。 思わず敬意を表したい程に。 改めてクロシエはリュウジン・ハトラルコ王という人間は武人で、尚且つ善人なのだと実感した。 ♢♢♢♢♢♢♢♢ 和平後、アルトンは日常を取り戻しいつもと同じ平和が流れ始めた。 クロシエはいつも通り公務に勤しんでいた。 ただ変わった事と言えば寝る時以外は腰にジルドハントを常に携えるようになった事だ。 そして公務の合間で作った休憩時間。 クロシエはジルドハントを携えて宮殿の階段を登っていく。 最上階まで登っていくとそこに一つの扉が。 その扉を開ければそこからは何処までも広がる青空。 見下ろせばアルトン全域が一望出来る。 この景色をジルドハントに見せたくて時間を作り、ここまで来たのだ。 ―――クロシエ様、アルトンは広いですね――― 「当たり前よ。小国だろうと国なのだから広い。この景色を大切にしていくのが私の使命なのよ」 クロシエはジルドハントに伝えたかった。 これからアルトンを発展し守っていく為にはジルドハントの力が必要だ。 自分は決してジルドハントを捨てない。 忠臣の一人であり、大切な友である彼女を。 「貴方は私の忠臣ですよ。ジルドハント。これからも私の為に尽くしてね?」 ―――はっ! 私はクロシエ様に変わらぬ忠義を捧げます!――― 「でも時には口調を元に、普通の女性の様に振舞っても構わないわよ」 ―――たまには、そうしたい・・・かな――― 「そう。それでこそジルドハントよ」 ジルドハントは心から感謝した。 彼女こそ自分が仕えるに相応しい人である事を。 そして彼女が自分の心を救ってくれた人である事を。 これからもクロシエに尽くしていこう。 贖罪とかではなく自分の意思で。 続く 17/06/02 09:29 リュウカ
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え? 後編なんだからこれで終わりじゃないの?
いやいや、まだあとちょっとだけ続きますから。 |
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