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前編

小国アルトンは武力的な優位性はないものの、商業が地方に限って言えば随一であった。
それ以外は本当に取り柄がない平和な国であった。
隣国に攻め込める為の拠点にもなれないし、作物が大量に収穫出来る肥えた土地もない。
だから近隣の大国はアルトンを軽んじ恐れるに足らない国と、戦略的価値のない国だと今まで対象外としてきた。
しかし近年アルトンは政治的な変化によって大国から要注意対象国とされている。
それは9代目、女王レイヤ・テル・アルトンが『親魔物国』となるのを宣言した事だ。
反魔物国を掲げる大国にとってゆゆしき事態だった。
魔物は人間に害を与える危険な存在だと謡われていたがそれは昔の話だ。
人間以上の高度な能力と魔法を有して、尚且つ人間との共存を望む平和な種族と化した。
だが時の積み重ねを一瞬にして崩す事など出来ない。
未だに魔物は危険な種族であると認識する大国も数多い。
そんな彼らを受け入れ、魔物達が持ち合わせている高度な技術を取り入れていくのだと噂すれば警戒するのが世の中の常というものだ。
その上9代目女王は宣言後、国境に城壁を築き上げ鉄や銅などの加工産業に力を入れてきたのだ。
一部の者が邪推すれば。
いや、反魔物国の大国全てが考えている事は。
『アルトンが魔物の力を借りて我々との戦に備えている』、と予測している事だろう。
だが女王本人の目的はあくまで自衛の為、守る為に備えているだけに過ぎない。
自分が親魔物国となる事を宣言したのだから混乱は避けられないし他国からの侵略にも用心しなければならないのだ。
付け加えて他国に後れを取っている自国を発展させる為でもあるのだ。
どれも共通して言える本人の願い、それは人間と魔物との共存だ。
絶対に人間と魔物は分かり合えるはずだ。
その願いは女王の意思を受け継ぐ彼女もまた同じ気持ちだった。





彼女は今、戴冠式のあの日を思い返している。
先代の女王である自分の母が見つめている中、神官が自分の頭に冠をかぶせた。
そして振りむけば民衆が、何千にも見える民衆の目が自分の方へと視線を向けられていた。
緊張で頭の中が真っ白になって前後など覚えていなかったがそれだけははっきりと覚えていた。
彼女の名前はクロシエ・テル・アルトン。
10代目、アルトン国の女王である。
まだ年若く、この前20歳を迎えたばかりだ。
背中まで伸びる金色のさらさらな髪の毛が印象的の女性だ。
彼女の黒に近い紫色の瞳は真っすぐとその未来を見つめている。

『自分は女王となり国を引っ張り、魔物と共存をしなければならない』

重圧であるがとてもやりがいのある使命だ。
戴冠式から数週間、クロシエは公務に追われていた。
自国の産業開発に魔物達との協議やさらに近隣諸国に親魔物国にならないかという交渉まで。
これも全て母が願う人間と魔物との共存の為だと思えば苦ではない。
だから自分の周りの事が疎かになりがちであった彼女の為に母、レイヤの要請で騎士を一人だけ付けさせる事にしたのだ。
そんな経緯を思い浮かべながらクロシエは自室にて先程から数分ぐらい待たされていた。


『クロシエ様、失礼致します』


扉越しから聞こえた。
男性の声だ。

「入りなさい」

そうクロシエが告げるとゆっくりと扉が、開き入ってきたのは男性の騎士だった。

「初めまして。本日よりクロシエ様お付きの騎士となりましたクロハ・リーツと申します。以後お見知りおきをお願い致します」

そう言いクロハは膝をついて礼をした。
年若い、自分と同じ20代ぐらいだろう。
紺色の短めに揃えたさらさらの髪の毛。
膨れ上がった筋肉などない、女系よりの男だった。
そんな彼を見て自分を守るという大役を果たせるのだろうかとクロシエは思っていたが彼の上司である騎士隊長、レイモンドは彼を期待のホープであるというお墨付きを付けている。
ならばその腕に関しては問題ないだろう。
欲を言えば女性の騎士を付けて貰いたかったが自分を守れるほどの力量で尚且つ女性という条件では騎士をやっている女性がいるのかどうかさえ危うい。
それに母が自分の身を案じて騎士隊長に頼んだのだから蔑ろにしてはいけないとクロシエ は考え直した。

「よろしくお願いするわ。クロハ」

社交辞令の様な口調と顔でクロシエは彼に接した。
別に彼を軽んじているとかではないがクロシエにとって初体面の人間にはこの様に接するのが当たり前の事であった。

「はい。お任せを、クロシエ様」

クロシエとクロハとの初めての会話。
この時クロシエは自分と同じ『クロ』という名前が一部だけ使われているのは珍しい、などと思っていた。



♢♢♢♢♢♢♢♢



それから数日後、お付きの騎士となったクロハの立ち振る舞いは見事なものだった。
クロシエの傍を付かず離れず、必要以上の接触はしない。
若いながらも礼儀作法が出来ていた。
更に護衛とは程遠いお茶を入れる、この品を買ってほしいという要望も彼は嫌な顔も見せず、文句も言わず実行してみせたのだから忠誠心が計り知れない。
他ならぬ女王からの命令にそんな顔を見せる事が出来ないから当たり前だと言われればそれまでだがクロシエは彼に特別な思いを感じていた。
だからクロシエは少しだけであるがクロハに心を許して、口調も初めて会った時の社交辞令染みた口調から柔らかい口調へと変わっていった。
丁度その頃であった。
国の行事である華やかなパレードが迫っていたのは。
国を治める女王として必ず出席しなければならないこのパレードはただの祭りではない。
女王の威厳を民衆、果ては他国にも示すための重要な行事だ。
ミスは許されないのだから自身の振る舞いや衣装にパレードの終わりに開かれる演説の原稿にも目を通しておいた。
それ故にクロシエの公務は多忙を極め、頭の中がまるでぎゅうぎゅうに詰め込まれたかの様な苦しさを感じていた。
このままでは頭がパンクしておかしくなってしまいそうだ。
そこでクロシエは気分転換として場内を散歩したいという要望をクロハに出した。
「構わないと思います。この所、クロシエ様はお忙しく、体を壊さないか心配しておりました」
クロハが心配していたという事実に気づき自身はそこまで忙しかったのかとクロシエは痛感した。
残った書類を片付け時間を作ったクロシエは早速公務室から出て辺りを徘徊しに向かった。
その道中、他の大臣やら騎士やら果ては掃除係の人間まで。
会う人々がこちらに気づき一礼してくる。


「これはクロシエ様。お元気そうで何より」

「はっ!! クロシエ様、お会いできて光栄です!」

「ああっ! クロシエ様! 今片付けますのでお待ちください!」



そんな光景をクロシエは内心疎ましく思っていた。
確かに自分は女王なのだがもっと軽く、例えば手を挙げて挨拶とかしてくれてもいいのではと考えたくなるのだ。
そんな事を思い浮かべながら気が付けばクロシエは騎士達が切磋琢磨している練習所まで来てしまった。
どうやら騎士達は休憩中だった様で突然の訪問にある者は姿勢を正してお辞儀をし、ある者は慌てて自身の武器を落としてしまった。

『やはりここも同じなのね』

とクロシエは面白くなさそうに思っていた時だ。
ふとクロシエの目はある場面を捉えた。
練習が終わったのだろうかと思われる4、5人の騎士たちが集まって話をしていたのだ。
少し近づくと剣やら槍やらとの単語を耳にしたので男達は武器について話していたのだろう。
その中の一人が細身の剣を手にしていたのをクロシエは見つけた。
握る箇所と鍔(つば)は金色でその刀身に当たる部分は、ぱっと見て黒に包まれていた。
だがよく見ると刀身の真ん中は、一定の間隔を空いてエメラルド色で塗られていて、その両端は黒に塗られていたのに気づいた。
まるで両端の黒がその途切れ途切れのエメラルド色を挟み込んでいるかの様な造形だった。 
クロシエはその剣が綺麗に見えて、何故か気になった。
視線に気づいた騎士達がクロシエの姿を見るとすぐさま膝をついて礼をした。
クロシエは彼らに近寄り訪ねてみた。

「その剣は何処で手に入れたの?」

まさか姫が武器について聞かれるなど考えていなかった騎士達は面をくらったかの様な表情を見せたがすぐに表情を戻してその剣を持っていた騎士が口を開いた。
「骨董市で手に入れました。最初の内はえらく鋭くて掘り出し物を手に入れたと浮かれておりましたが・・・」
一度口を閉じてしまう騎士の男。
何か不服そうな表情を見せ、次にまた口を開いた。
「魔女の一人に見せたらこの剣には魔界銀と同様の性質があると聞きました」
魔界銀とは特殊な金属でありこれを用いた武器で相手を切り付けた際、相手は切られた痛みを覚えるが血など流さずその場に倒れる、要するに非殺傷武器なのだ。
原理としては相手の魔力だけを傷つけるだけらしいのだが詳しい事は魔界の重要事項に当たるので秘密だという。
「私自身としてはこの様な武器で相手を傷つけても血を流さないのであれば武器として成り立たないのではと思うのです」
「何を言っているんだ。血で血を争う野蛮な戦とおさらば出来る武器なんだぞ。これほど素晴らしい武器なんてそうそうないんだ」
クロシエの傍にいたクロハは納得した。
何故、騎士達が集まって会話していたのかを。
戦場は血生臭いものだというのをクロハは知っている。
人は傷つき、血を流し、死にたくないなどと喚きながら死と隣り合わせの場所で仮にこの剣を持ち出して戦ったらどうだろうか。
切られた相手は自分の体は五体満足で死んでいない、自分を見逃してくれたその人に感謝したいなどと思うだろう。
だがそれは心優しい人間であれば、の話だ。
例えば軍国主義に染まった兵士であったならどうだろう。
これで切られて倒れた際には、屈辱を覚え非殺傷武器で切られたと知ったなら自分は手加減されたのだと思い込んで復讐心に駆られてしまうだろう。
決して善行も悪行も存在しない戦場でその武器を持ち出して不殺主義を掲げながら相手と戦う。
男達はこの血を流さない細剣について、引いては不殺主義について話し合っていたのだ。
だがこれは絶対に解決できない永遠の課題だ。
何を言ってもそれに反対する論を受けて問答を繰り返すだけなのだ。
それほどまでにこの問題は難しいのだ。
「けど相手はまた立ち上がって俺達に復讐しに来るんだぞ。ならいっそうの事完全にとどめを刺して・」
男達が口論をし始めそうだとクロハは思った。
だからその前に止めなければならなかった。 
「お前達、クロシエ様の御膳だぞ。口を慎むんだ」
騎士達は慌てて口をつぐみ、クロシエに向かって再び一礼した。
その間じっとクロシエはその細剣にくぎ付けになっていた。
確かに剣は銀色ばかりの品物だと思っていたクロシエにとっては一風変わった彩色が施されたその剣には興味が引かれていた。
だが本当にそれだけの理由なのかと思っていた。
クロシエにはこの剣が使ってほしいとまるで訴えてきている様に思えたのだ。
そんな馬鹿な話があるわけないと自身でも思っていたが。
次に何を考え直したのかクロシエは口にしてしまった。

「それを譲ってくれないかしら?」
「!?」

騎士達は目を点にした。
剣術などの武芸とは無縁であった女王がその剣を欲するという思ってもみなかった事だ。
「勿論タダでとは言わないわ。その骨董市で出した額と同じ金貨を出しましょう」
「そんな滅相もございません!! クロシエ様が欲しいというのであれば喜んで献上致します!!」
膝をついてその細剣を差し出した男にクロシエは感謝の言葉を述べた。
「ありがとう。貴方の名は?」
「はっ!! ナクミルドと申します!!」
「ナクミルド、ありがとうございます。貴方の忠誠心に私は感謝の意を示します」
姫からの感謝の言葉は騎士達にとって最高の誉(ほまれ)だ。
思わず彼は感激の涙を流しながら体を震わせていた。
大げさな反応だがそれほどまでにナクミルドは感動していたのだ。
クロシエは目で合図するとナクミルドは我に返って、姿勢を正し大きく頷いた。
多少の緊張はしたがクロシエはその剣を試しに握ってみた。
もっとダンベルの様なずっしりとした重さなのかと思っていたが以外に軽く、振り回すには少々酷だが持つだけなら問題ない。
その細剣を試しに軽く振ってもみた。
振った拍子に両手が剣に持ってかれて少しだけよろめいたが何度も繰り返せば慣れそうだ。
「お気に召しましたかクロシエ様?」
「ええ、何だかこの剣を持っていると勇気が湧いてくるような。この剣を携えて数日後のパレードに参加してもよろしいかしら?」
剣もまた国を治める者の威厳を高める、言わばアクセサリーの一つだ。
少なくともクロシエと不釣り合いな外見ではないのでクロハは反対しないつもりだった。
「不都合はないと考えます。威厳を示すのが目的であるならば力の誇示にその剣を携えるというのもよろしいかと」
「なら決まりね」
ナクミルドから鞘も受け取ったクロシエは細剣をそれに収めた。
もう一度彼にお礼の言葉を述べたクロシエはその細剣を両手で握りながら散歩を再開しようとした。
ふと、クロシエの足が止まった。

「クロシエ様、どうしたのですか?」

堪らずクロハが声をかけた。

「いえ、気のせいだわ」

聞こえたのかどうか怪しい程の微かな声だった。
だからクロハには気のせいなどと誤魔化した。
されど一度聞いたその声はどうしても意味深で気になって仕方なかったのも事実だった。
だからクロハに聞こえない様、小声で復唱してみた。


「・・・『ありがとうございます、クロシエ様』・・・」


どこから聞こえたのだろうかとクロシエは不思議がっていたが次にはきっと空耳だろうと決め込んだ。



♢♢♢♢♢♢♢♢



パレード当日。
クロシエは自室で待機していた。
この白を基調とした煌びやかなドレスはアルトンでも指折りの職人がデザインした特注品だ。
頭部に着けた銀色のティアラも特注品、この日の為に職人たちがパーツ一つ一つ丁寧に作り上げたのだ。
そしてあの細剣を腰辺りに身に付けた。
鏡の前に立てば一国を治める女王としての威厳を感じさせる姿である。

「大丈夫よね。・・・うん」

自分自身に言い聞かせたクロシエ。
衣装とかは十分だが自身の中身はどうだろうか。
何百回も復唱したがもう一度原稿を読み上げて頭の中に叩き込んだ内容と間違ってはいないかとした。


『お時間でございます。クロシエ様』


使用人の一人が扉越しから声をかけた。

「えっ、ええ」

クロシエは少しだけ戸惑った後に返事をした。
何しろこういう場面ではクロハが自分に声をかけるのが当たり前になっていたから。
その当のクロハはまた別の所でパレードの準備をしていた。
配置は自分の乗る馬車より後の、約3メートル離れた場所だった。 
それを聞いた時は少しだけ悔しかった。
出来ればもっと自分の近く、欲を言えば馬車の真横辺りで彼を居させてもらいたかったがそれでは女王を見たい民衆の邪魔になると家臣達がそう進言して取りやめたのをクロシエは思い出した。
「分かったわ、すぐに行くわ」
そう告げるとクロシエは扉へと向かった。



♢♢♢♢♢♢♢♢



外に出れば既に準備は出来ていた。
馬車の引き手である男はクロシエに一礼した。
正装で腰には剣を携えていた。
馬車は屋根を取り払った形で人々が何処からでもクロシエを見られる様になっている。
そしてクロシエが乗ればパレード開始の合図だ。
まず先に向かうのは楽器を持った演奏隊。
次に騎士達の行進。
その後は馬車に乗ったクロシエだった。
ゆっくりと進んでいく馬車の中でクロシエは緊張していた。



♢♢♢♢♢♢♢♢



すぐに住宅街に入ると人々が挙ってクロシエに向けて手を振り、万歳の声を挙げていた。
その中には勿論、魔物達も手を振っていた。
ある者は下半身が蛇の尾である事を利用して背伸びして。
またある者は背中に生えた両翼を用いて少しだけ浮いて。
そしてある者は小柄な体格で人混みに隠れながらも必死にジャンプをしながら手を振っていた。
どれも共通しているのは彼らがこのパレードを祭り気分で騒いでいる事だ。
悪意など感じられない、純粋に楽しんでいる者ばかりだ。


『・・・皆がこうやって楽しめる様な人ばかりだったら、反魔物主義を掲げる人とも仲良くなれるのに・・・』


そうならないのが現実だと分かっていてもクロシエは願ってやまない。
同じ知性ある存在なのにどうしてこうも亀裂が発生してしまうのか。
確かに魔物は人間に害を成す生き物だと言われていたがもう大昔の話だ。
何時までも懐古主義に囚われて前を見ない人間がこうも大勢いると頭が痛くなるし表情だって暗くなりそうだ。
けど今はパレードの最中だ。
ちゃんと民衆に向けて健在であるとアピールしなければと思ったクロシエはほほ笑みを見せながら人々に手を振っていた。
この後は式場で5分にも及ぶスピーチを行うのだから。



♢♢♢♢♢♢♢♢



少しだけ離れる形でクロハは他の騎士と共に行進していた。
そこに配置されたクロハは不満などなかった。
ただお付きの騎士である自分がこんなに離れていていざとなった時女王を守れるのかという危惧はしていた。
だから顔は真っすぐのまま、目でクロハは周囲を警戒していた。
見れば2階から、3階からもこちらへ――目当てはクロシエなのは分かっているが――こちらへと手を振っていた。
次の窓へと目をやった時だ。
その窓がある部屋の中は暗くてよく見えなかったが何かきらりと光っているものが見えた。
最初は光り物が反射しているだけかと思ったが何故か光り物は動いていた。
こちらが動いているからではなく、その動きはまるで獲物を狙っているかような。
それはクロシエが乗る馬車に、クロシエの体へと向けられている。
そこでクロハは思い出した。
この光り方には見覚えがある。
そうだ、確か訓練で放たれた矢を避ける技術を身に着けさせられた時だ。
『矢の軌道をよく見るんだぞ』、と隊長であるレイモンドに言われ何度も何度も練習させられたのを良く覚えている。
矢の刃の部分が魔法銀という殺傷能力のない代物であったから当たっても問題ないだと言っていたがそれでも当たると怖いという感情があったから必死に避けていた。
あの時の隊長が放った矢の光り方とよく似ている。
という事は―――
クロハはたまらず、隊列から外れクロシエの乗っている馬車へと駆けてゆく。
同時にその光り物が二階から飛び出した。



♢♢♢♢♢♢♢♢



一瞬夢でも見ているのかとクロシエは思った。
だが現実だ。
もしクロハが自分の傍に立ち、槍で矢を弾いてくれなければ自分の心臓辺りに矢が突き刺さっていただろう。
それを合図に人混みから悲鳴やら怒号が飛び散ってきた。
その中から抜け出し、パレードへと割り込んできたのは手にナイフやら剣やら武器を手にした男達だ。
狙いは簡単に想像できる。

「女王様を守るんだ!!」

クロハが叫びながら男達へ立ち向かうと共に他の騎士達も我先へと男達に立ち向かっていく。
パレード中に起きた非常事態だったが近代的な訓練と魔物国からの技術提供された武器、何よりも女王に対する忠誠心から来る騎士達の強さの前ではその男達などただのゴロツキでしかなかった。
次々と男達を無力化し取り押さえていく光景にクロシエは騎士達に称賛を送りたかった。
だが矢の射撃が失敗したから直接襲い掛かるのは余りにもお粗末な襲撃だなとクロシエは思っていた。
その理由を理解したのは次だった。
馬を引いていた男が突如、剣を抜いてクロシエに襲い掛かろうとしてきたのだ。
何故自分に刃を向けるのかクロシエには分からなかった。

「クロシエ様!!」

異変に気付いたクロハがクロシエの元へと駆けようとしたが男達によって阻まれる。

「邪魔だ、退け!!」

槍を振り回して男達を退けたが撃退に夢中でクロシエとの距離が離れ過ぎていた。
全力で走っても間に合わない。
クロハがここまで来られない。
こうなれば待っているのは死だけだ。
即座にクロシエの頭にはこれまでの思い出、特に母と今は亡き父との思い出が浮かんできた。
幼い頃に死んでしまった父との思い出は数える程しかなかったがどれもクロシエにとって
大切な記憶だ。
もし自分は死んだら、自分は父の所へ逝くのだろう。
そう考えたら死ぬのも悪くはないだろうな。
またあの暖かい手で自分の頭を撫でてもらえるなら怖くはなかった。


『お父様、私は・・・』


その時だった。












――抜いてくださいっ!!―――



女性の、凛とした声がクロシエの頭に響いた。
何処からかとクロシエは辺りを見渡そうとするが男の剣先が迫ってくる。



――抜いてくださいっ!! クロシエ様!―――



途端に『生きたい』という欲が芽生えた。
もう考える事を捨て、ただ声の言うとおりに剣の柄を握る。
そして剣を抜く。
だが抜いた所でクロシエには剣の扱い方など分からない。
どうすればいいのだろうか。


――振りかざしてくださいっ!!――


振りかざす?
横に振りかざせばよいのか、上から振りかざせばよいのか。
そもそも防いだ所でどうするのだ。
だが迷ってはいられない。
男の剣が迫る。
命の危機が迫っているのだ。
言う通りに剣を、とりあえず横斜めに振りかざしてみた。

『キンッ!!』

金属音特有のぶつかる音が耳に聞こえた。
その瞬間だけクロシエは目を閉じてしまった。
だからどうなったのか自分の瞼をゆっくり開けると。

―――男の剣を自身の持っている剣で受け止めたのだ。
しかも男が剣先に力を込めているにも関わらずそれと同じくらいの力で刃を止まらせている。
男が信じられないという表情を見せていた。
それはクロシエも同じだった。
自分は剣術の稽古など一切やっていないし、彼と対等に渡り合えるほどの筋肉など付けていない。
にも関わらず携えていた細剣で男が振り下ろした剣を受け止めて、しかも耐えているのだ。

―――弾き飛ばしてくださいっ!!―――

自分の命が危機にさらされている中、その声に戸惑っている暇はない。
柄に力を込めて男の剣を弾き飛ばす。
そのまま男にその細剣で切り付けた。



『ザシュッ―――!!』

男の体からは血しぶきなど挙がらなかった。
血の一滴すら零れなかった。
献上した騎士の話ではこの細剣は非殺傷武器であると聞かされたのだからおかしい話ではなのだがクロシエはこれが初めての、人を切ったという体験なのだ。
人を殺してしまったという罪悪感を持つのは人間として当然の反応だろう。
男は仰向けになって倒れこむとクロシエはただ傍観していた。
既にクロシエは何が起こって、どうなったのか分からない程混乱していた。
混乱しすぎて頭の中が真っ白になって所謂、放心状態になっていた。
だが良心ある人として当たり前の行動、例えば相手を心配し大丈夫かどうか確かめるという行動だけは出来た。
男はまるで切られたかのようなうめき声と共に横たわっていた。
だが血は流れていない。
つまり生きているという事だ。
それだけ確かめられた後の事はぼんやりとしていて記憶が曖昧だった。
ただ覚えている事と言えば男が生きているという事とクロハが自分の名前を叫んで騎士隊に守られながら護送された事ぐらいだった。



♢♢♢♢♢♢♢♢



気が付けば自分の部屋にいた。
外が騒がしい。
当たり前だ、あんな事が起こったのだから皆四方八方へと対処に追われているのだろう。
クロシエはずっと握っていた細剣を見つめた。
何度考えてもあの時、聞こえた声の心当たりはこれしか思いつかないのだ。
まさか剣が喋るはずはないとクロシエは思っていたが。
この際だ、試しに声をかけてみよう。

「あの時はありがとう」

ただの独り言、返事など帰ってくるはずもなかった。









―――いえ、お怪我が無くて何よりです―――


聞こえた。
頭の中で響くような感覚で。
あの時と同じ女性の、凛とした声で。


―――どうか混乱なさらない様にお願いします。理解出来ない状況なのは重々承知です。ですがこれは現実です―――


混乱するなと言われても人間には出来ない事だ。
思わずその細剣を投げ飛ばして悲鳴を挙げたかった。
だが次にクロシエの冷静な思考がそれを制する。
この剣は何なのか知る必要がある。
それを知った後で投げ飛ばしたり、悲鳴を挙げたりすればいいのだ。
幸か不幸かクロシエは外交で数多の魔物達と接していて人の外見からかけ離れた者達とも接してきた。
だから例え剣が話しかけてこようとも取りあえずは聞こうという度胸があった。

「貴方は、何者なの?」

ゆっくりと問いかけてみた。

―――私はこの細剣そのものです。名はジルドハントと申します―――

『ジルドハント』。

その名前を聞いてもクロシエはピンと来なかった。
剣に名前など付けられるのだろうか。
武器について皆無だったクロシエにとって剣に名前があるのは偉大な武器であるとの認識はなく、ただ人の名前を聞いてなるほどという驚きでしかなかった。
だから次の質問をしてみる事にした。

「貴方は、私に危害を加えるの?」

これは誰でも思う事だった。

―――そんな野蛮な行為は絶対に致しません!! 私は新しき主であるクロシエ様を全力でお守り致します!!―――

声の口調から―――頭に響く様に聞こえていたから例えであるが―――その台詞は嘘ではないと思った。
頭が半分理解している自分と何が何でも拒絶している自分がいたが。
今浮かんでいる自分が知りたい事を一通り、彼女に聞いてみようと思った。


「あの時、私に指示を出したのは?」


―――私です。主に危機が迫っていましたのでご無礼ながら進言しました―――


「あの時、私が彼の剣を受け止めて弾き飛ばしたのも?」


―――私です。微力ながらお助けいたしました―――

どうやら本当に自分を守る為に力を貸した様だ。
もっとこの剣、ジルドハントとやらに話しかけ見ようと思った時だ。

『ドンッ!! ドンッ!!』

扉越しから聞こえたノック音。
突然でクロシエは心臓が飛び出そうな程驚いた。

「入りなさい」

声色だけは冷静さを取り繕っていた。


『失礼します』


そう言い入ってきたのはクロハだった。
相手がクロハだったら無理矢理取り繕う必要もなかったなとクロシエは考えていた。

「クロシエ様。一大事です」

クロハは冷静を装っているが口調から切羽詰まった事なのが察せる。
「何事なの?」
丸々一分、間を置いた後だ。


「・・・隣国の反魔物国家ハトラルコが、アルトンに宣戦布告してきました・・・」


それを聞いた瞬間クロシエは絶句した。
余りにもあっさり過ぎて現実感がなかった程だ。



♢♢♢♢♢♢♢♢



クロハが報告しにクロシエの元へ向かった少し前。
重臣達が一室へと次々集まりクロシエが来ていないにも関わらず議論を始めていた。
議題は勿論の事。
「『馬を引いていた男がハトラルコ出身で女王に切り付けられた。その上捕らえられ監禁されているというハトラルコ国を侮辱する行為は断じて許されるものではない。我々はこれよりアルトンに宣戦布告を致す』、か」
中年に差し掛かった男性が抗議文を改めて読み上げた。
「何を馬鹿な!! こちらは被害者なのだぞ!! 罪をでっち上げるなど無礼はなばなしいぞ!!」
初老である家臣の一人が大声を上げてテーブルを叩いた。
「最初からこれが狙いだったのでしょうか? わざと敗れて戦争に持ち込むというのも」
まだ年若い男性が女に尋ねる。
その女は帽子を被っていた。
年若く魔法使いの様な衣装を身にまとっていた。
彼女が魔物であると誰かが知らせなければ人間だと疑わないだろう。
「いや・・・これは偶然でしょうね。例え暗殺に失敗しても戦争に持ち込めば大国であるハトラルコが物量的にも勝算ある。どの道奴らは親魔物国となったアルトンを滅ぼすつもりだった」
彼女は魔物、『魔女』という種族に当たるが人間とほぼ変わらない姿だ。
人外な姿ばかりの魔物に対する偏見とやらはアルトンが親魔物国となった後も少なからず存在していた。
だから彼らへの不信感とやらが拭い去れない家臣達へのクッションとして一役買っているのだ。
「冷静に分析している場合か!! 一刻も早く使者を送り潔白を晴らさなければ!!」
「いえ、黙殺されるわ。反魔物国を掲げるハトラルコはこの好機を逃す訳ないもの。腐敗した枝は即座に切り落とし処分する、ハトラルコにとって我々はその枝よ」
「災い転じて福となす、ですか・・・。こうなれば一刻も早く援軍を要請しましょう」
「援軍とは?」
「魔界軍です。我々は同盟国となったのだから彼らの援軍を要請できるはずです。この有事なら、きっと!」
「・・・・いえ、一国家以上の魔界が無暗に兵を引き連れてきたら泥沼化するわ。それに吊られて反魔物国と連合軍を組んで進軍してきたら最悪の事態になるわ」
「だったらどうすればいいんだ!! 我々に残された道は数える程しかないのだぞ!!」
こんな押し問答が繰り返されていたのだから話がまとまる訳がない。
そして重臣たちが集まれば討論は激化し余計にまとまらなくなるのも定めだった。



♢♢♢♢♢♢♢♢



「―――以上がハトラルコ国の声明文です。この後、緊急の会議を設けておりますのでクロシエ様にご出席をお願い致します」

クロハはハトラルコの声明文、もとい抗議文を一字一句間違えずにクロシエへと伝えた。

「・・・承知したわ・・・」

クロハは淡々と事実を述べる自分に嫌悪感を抱いていた。
もっとオブラードに包んだ言い方というものがあるだろうと思っていたが事態は一刻を争う。
ならば憎まれようとも自分の務めを果たすのが当然の事だろうと考えた。

「ではクロシエ様。私はこれで」

一礼してクロハは出て行った。
残されたクロシエはひたすら後悔と絶望に悩まされていた。
「そんな・・・・。そんな・・・・」


―――クロシエ様、お気持ちを強く持ってください―――

ジルドハントの声が頭の中で響いていた。
しかし気持ちを持てと言われても持てるはずもない。
自分だけに火の粉がかかるのはいい。
されど民衆にまで火の粉がかかるのは女王として恥ずべき事だし、クロシエ自身とて絶対にやってはいけない事だと思っていた。
「私のせいで守るべき民衆を危険にさらすなんて・・・」
こうなるのであればあの場で男に切られていた方が良かったのかもしれない。
だが仮に殺されても女王不在のアルトンがどうなるのか、たかが知れている。
何も出来ないまま他国に侵略され民衆が圧政を強いられるのがオチだ。
「もう、戦うしかないの・・・」
その口調は投げやり気味であった。


―――諦めないでください!! 私がついております!!!―――

ジルドハントは励ましのつもりだったがクロシエには棘の突いた何かに聞こえてしまう。
口だけなら何とでもいえる、他者だから何とでも言えるのだ。
それがクロシエを苛立たせた。

「貴方に大国と渡り合う力などあるとでも言うの!!」

クロシエは思わずヒステリック気味の声を挙げた。


―――あります!!―――

その声にも負けず、ジルドハントが即答した。

―――私がアルトンを守る為の力をお貸し致します!!―――

信じられない話だ。
だが何故かクロシエは信じてみたいという気持ちに駆られた。
あの時見せた剣術など一切習っていないにも関わらず男を返り討ちにしたジルドハントの秘めた力。

「ハトラルコはアルトンより数倍の兵力を保持しているのよ? それらを退けるの?」

―――退けて見せましょう!! 私の力で!!―――

「・・ハトラルコは弓矢の名手を何百人も携えているのよ。数多の矢が襲い掛かるわ」 

―――矢の雨など恐れるに足りません!! 風をまとい、矢は元より害あるもの全てを振り払って見せましょう!!―――

「・・・・ハトラルコは魔法使いを何百人も携えているのよ。火炎や雷撃、氷結の術で苦しめてくるのよ?」

―――術が完成するその前に止めれば良いだけの話です!! 疾風の如く彼らに切り込み無力化させてみせましょう!!―――

勇ましく答え続ける細剣に勇気づけられる。
信じてみたい。
いや信じてみよう。
この剣にはその力がある。
既にあの出来事で証明されているのだから。



―――さあ、クロシエ様!! ご決断を!!―――

その瞬間クロシエはジルドハントの柄を強く握りしめた。



♢♢♢♢♢♢♢♢



「ここはもう開戦しかない!! 我々は断固としてハトラルコに屈してはいけないのだ!!」
「されど民衆を危険にさらしてまで戦をするなど馬鹿げている!! 相手は我々の数倍の兵力を有しているのだ!!」

会議の場は開戦派と和平派が依然と平行線を保っている。
このままでは決まらないのは会議の場にいた9代目女王、もとい位を譲り隠居の身となっていたレイヤは理解していた。
だが自分は傍観者の立場に過ぎない。
何故なら今のアルトンを治めるのは娘であるクロシエなのだ。
娘が皆をまとめなければならない。
だから娘の決断で全てが決まる。
その際に彼女がどんな判断をしようと自分は否定しない。
静かにレイヤは娘を待っていた。

「第一貴様らは自分の保守ばかりを優先して国の事を思っていないのではないのか! 国民を考えない貴様らに政治を担う資格などあるものか!!」
「何を言うか!! 貴様らも国民の事を考えていないのではないか!! 戦の血が滾り、戦いたいという欲望を優先する狂戦士の考えを持つ貴様らは、蛮族以下だぞ!!」

話が脱線してきた。
アルトンの今後を担う重要な会議のはずなのに相手側の悪口を言い合っている。
傍観していたかったがこれでは駄目だと思ったレイヤが一度議論を切り上げようと口を開いた時だ。

「クロシエ女王様のおなりです!」

それを聞けば誰もが口を閉ざし入口へと目を向ける。
母であるレイヤも目を向けていた。
ゆっくりと扉が開き中に入ってきたのは。


「遅くなりました。皆さん」


言うまでもなくクロシエ本人だ。
だがその姿に家臣達は唖然とした。
印象的な金髪を紐で束ね、服装は白の、ドレス調の鎧を身にまとっていた。
腰にはあの細剣、ジルドハントを。
そう、クロシエは姫騎士と化しこれから戦へと赴こうとする心意気を感じられた。
そして国の女王がその姿に身を包んでいるという事は、無言の決定を意味している。

「クロシエ様・・・その恰好は、まさか?」

和平派の一人が恐る恐る口を開けた。

「エルストン。私は決断しています」

また和平派の誰かが口を開けた。

「されど相手は数倍の兵力を有しているのですぞ」
「だが戦わなければならないのです、ハルミケ」

そしてクロシエは会議場の中央に位置する席へと向かう。
だが席には座らなかった。
「ここにいる大臣及び家臣の皆さんへ。確かに相手は巨大で、我々に勝てる見込むがあるかどうか分かりません。ですがここで屈して和平を結ぶという事は抗議文に書かれている事を認めるという事に他なりません。その際犠牲となるのは国民、善良な人々と魔物達です。 ハトラルコは容赦なく彼らを弾圧するでしょう。それでは我々が何故和平を結んだのか意味がないのです」
そう言いクロシエは一旦口を閉じた。
この場にいた全員を見渡すと再び口を開く。

「・・・・私は戦います!! これは守る為の戦い、アルトンに住んでいる国民全てを守る為の戦いなのです!! 10代目、クロシエ・テル・アルトンの命において私達は団結しハトラルコを迎え撃ちましょう!!」

高らかにそう宣言して持っていた細剣―――ジルドハントを抜いて見せた。
その姿を見た開戦派は勢いづいた。

「そうだ!! 我々は戦わなければならない!! 国民を守る為の戦いだ!!」
「この戦いは我々に義があるのだ!! 不当なハトラルコの横暴を許してはいけない!!」
「姫様が剣をお取りになられたのだ!! ならば我らもその手に武器を取らなければならない!!」
「皆の者!! 恐れる事はない!! 賊であるハトラルコと戦おう!!」

もう後には引けない。
クロシエは母の方へと顔を向けた。
当の母はほほ笑みを見せ軽く頷いた。
つまり好きなようにやりなさいという事だ。
その後クロシエはハトラルコへ向けての返事の文書をしたためた。
無論『我々はこの抗議文を認めない。よって武力を持って対抗させてもらう』という内容に集約されていた。



♢♢♢♢♢♢♢♢



1週間もすればアルトンの国境付近に両軍の兵が集結し陣営も建てられた。
両軍ともお互いを睨み合い出方を待っているという状態だ。
クロシエは一人指令室で居座っていたがここにいても実感出来る。
初めて感じる戦場の空気とはこんなにもピリピリしたものだろうか。
いるだけでも精神を使い切ってしまいそうだ。
味方に大勢囲まれているとは言え自陣にいるクロシエはこれから起きるだろう壮大な戦に緊張していた。
ちらっと腰辺りに付けたジルドハントに目をやる。

「・・・本当に大丈夫なの?」

―――私がついています!! ご安心を!!―――

当のジルドハントは動じていない。
まるで何十回も戦を経験してきた猛者であるかの様な、冷静ながらも勇ましさ溢れる口調だ。
緊張やこわばっている素振りも見せないで返答しているジルドハントにクロシエはその据わった肝やら垢とかを分けてもらいたかった。
自分はこんなにも緊張しているのにどうしてここまで落ち着いていられるのか、と小一時間質問し続けてみたい。

『あの時、即座で私に指示して抜刀させたのだからこれぐらいでは驚かないわよね・・・』

ジルドハントは一体どんな戦をしてきたのだろうかと考え、次にジルドハントを使っていた人間はどんな人かと考え始めた時だ。


―――そしてクロシエ様には恐れながら先陣をお願い致します。恐れる事はありません、私の力でクロシエ様には傷一つ付けさせは致しません!!―――

先陣という大役はどれ程重要なのか戦を経験していないクロシエには分からなかった。
だが重要な事ぐらいは分かっていた。
しかもその大役を自分にやれと言うのだから本当に恐れ多い事だ。
もし失敗したらこちらの士気に影響、だけでは止まらないだろう。
思わず生唾を飲んだ。
だがここまで来たクロシエには実行しないという選択肢はない。
ならば乗ってみよう。

「・・・・分かったわ。お願いね、ジルドハント」

―――お任せを!! クロシエ様!!―――

その時のクロシエはただ皆の前に立って戦えばいいのだろうと思っていた。
だが次にジルドハントが指示してきたのは驚くべきものだった。
その為クロシエはアルトンの兵に見つからない様こっそりと自陣から抜け出さなればならなかった。
それも馬を引き連れて、だ。
幸い馬術に関しては基礎的な技術を学んでいたので馬を走らせる事ぐらいは出来た。
アルトンの兵士らに見つからない様、隠れながら馬場に着くと適当に馬を引き連れて上手く自陣から出られた。
目線はハトラルコの陣地。
クロシエは馬に跨(またが)るとそこに目がけて走らせた。



♢♢♢♢♢♢♢♢



見張りの人間がこちらに何か来ると知らされた時ハトラルコ側の兵士が真っ先に思ったのが『先に仕掛けてきたのはアルトン側であったか』、という事ぐらいだった。
アルトンは小手調べとして兵士を数十名差し向けるのだと考え兵士らはすぐその手に武器を取った。
だが違った。
こちら側の陣地の前へと一対の馬が駆けてきた。
その馬に乗っていたのは女性だ。
印象的な金色のさらさらな髪。
その顔たちは遠くであるがぼんやりと分かる。
そして陣地前で馬を止めればもう疑う余地はない。
馬に乗っていたのはアルトン国の女王だ。


「我が名はクロシエ・テル・アルトン!! そちらの代表者一名を選別し決闘を申し込みたい!!」


この慣れない口調はジルドハントから今教わった。
戦場では騎士としての風格を身につけなければならないらしい。
同時に相手に度胸というものを見せなければこちらの兵士の戦意に関わるというのがジルドハントの持論だ。
兎に角、今にでも逃げ出したい衝動を必死に抑えてクロシエはジルドハントから教えられた台詞を張り上げて述べていく。


「重ねて言おう!! 我が名、クロシエ・テル・アルトンは一対一の決闘を申し込む!!」


兵士達はその姿に驚くと共に冷笑していた。
剣の稽古をしてない事が一目瞭然のしなやかな筋肉。
戦場の経験など無しに等しい顔つき。
これでは勝負にならない。
声を聞きつけて陣の指揮を任されている男は高台へと昇りクロシエの姿を一見した。

「・・・・何とも哀れな女王だ・・・」

それだけ漏らした。
もう結果は見えている。
しかし戦にも作法というものがある。
向こうが作法を要求、しかも女王直々なのだから彼女の要求を無視して弓矢でも撃って、彼女を討ち取ったら隣国からは礼儀がなっていない野蛮な奴らなどと罵られるだろう。
それにたかが女一人討ち取った所で自慢にもならない。
ならば彼女の望むとおりに正々堂々と決闘を行い打ち負かしてやろうと考えた。
一対一の戦いだが戦場の厳しさを叩きこんでやるにはあいつが適任だろうと彼は名指しした。
「ロキヤを連れてこい。戦場は甘くないとたっぷり教えてやれ」



♢♢♢♢♢♢♢♢



陣の入り口である木製の扉がゆっくりと開くと一人の男が馬に乗ってやってきた。
身の丈程の斧を携えて屈強さという言葉を体現したかのような体を持っていた。

「ロキヤと申す。尋常に勝負!」

馬を降りて大地へと立てばズシンと響く。
同じくクロシエも馬から降りた。

「其方が相手か! 参るぞ!」

そしてクロシエが自身の細剣を抜刀すれば決闘開始の合図だった。
先に仕掛けたのはクロシエだ。
彼女は彼に向って駆けだした。
別にロキヤという男は油断などしていなかった。
斧の一撃で終わらせるつもりだったのだから油断する余地はなかったからだ。

―――速さは並みの兵士、だがもらった!―――

彼は確信し自分の手前で止まったクロシエの頭上に向けて斧を振り下げた。
女を殺すのは自分の主義ではなかったがここは戦場。
例え国の女王でも戦場に出れば戦士の一人。
手加減はしない。
けれどこれでは自慢にもなれず、ただ心を痛めるだけだったが。

―――せめて戦場で華々しく散った、という美談話には出来るか―――

彼はそんな事を考えていた。
だがその次の瞬間彼は戦慄した。
自分が振りかざした斧をクロシエは細剣を使って受け止め、弾き飛ばしたのだ。
何かの冗談だと思っていた。
あの小国である女王がこれほどの力を持っているなどあり得ない話だ。
今度は力を込めて、彼女の頭めがけて振り下ろす。
されどクロシエはそれも細剣で受け止めた。
男は力任せに斧を押し付けようとも刃先は微動だにしない。


―――なんだ、この女は!?―――

そう思った矢先だ。
クロシエは彼の斧を振り払い腹部に向かって一閃。
激痛が走り彼は地面へと倒れた。
その光景を唖然と見ていたハトラルコの兵士達。

「どうした!! ハトラルコの兵士は不甲斐ない者どもの集まりか!!」

女王にこう罵られては黙っていられない。
次はもっと強い手慣れの兵を一人差し向けようと指揮官は指名した。



♢♢♢♢♢♢♢♢



次に出てきたのは大剣を携えた長身の男だった。

「アバルと申す! 尋常に勝負!」
「勿論だ! 全力で行かせてもらう!!」

馬から降りたアバルは鞘から大剣を抜刀し構えた。
クロシエはすぐに彼へと接近し細剣からの突きを2、3度。
対する彼は自身の大剣を盾代わりにして受け止める。
金属同士が弾く音が辺りに響くとクロシエは一度距離を置いた。
アバルという名の兵士は先程の的確な突きで女王の器量が察せられた。
確実に数十戦はこなし、そして生き抜いた兵の強さだ。

―――ロキヤを倒したのはまぐれとかじゃないのか?―――

そう思っていた彼にクロシエはまた接近しようと駆けだした。
細剣を突き出していたからまた突きを繰り出すのだろうと彼は大剣を盾代わりにした。
金属同士が弾く音が聞こえた。
細剣を切り付けるや突くばかりでは芸がないと彼は思っていた矢先。
自身の右足に激痛が走った。

「なっ!?」

大剣が視界を妨げていたから分からなかったがクロシエの右手には細剣、左手には鞘が握られていた。
先程大剣に響いた音は鞘で突いたからであり本命は視界を遮らせて注意を逸らす為だったのか。
そう彼が考えた瞬間、クロシエは彼に向けて細剣で一撃。
彼を地面へと伏せさせた。

「女だと思って油断しているのか!! その浅はかな幻想を抱くとはハトラルコも落ちたものだ!!」

指揮官の男は戦慄した。
本当にあの10代目女王クロシエ・テル・アルトンなのか。
彼女は武勇に優れた女王ではないはずだ。
もっと強い兵を、熟練の兵を出さねばという焦りに駆られた。
それが戦場において最も悪い指揮、戦力を小出しにして相手一人の体力を削いで自軍の兵力を削ってしまう愚策だったのは誰の目から見ても明らかであった。



♢♢♢♢♢♢♢♢



そして彼女によって倒された兵士は熟練兵も含めて20人だった。
ここまで犠牲を出さないと判断できない指揮官というのは無能でしかなかったが彼は焦りで頭の中が真っ白になっていたからそんな愚策を指示してしまうのも無理もない話だった。
最早沈黙するしかないハトラルコの兵士及び指揮官の様子にクロシエは勝利を確信した。

「もう終わりか!! ならば肝に銘じておくのだ!! クロシエ・テル・アルトンは決して貴様らハトラルコの蛮行を許さない!! そちらが我が民を傷つけようとするならば我々は全力で迎え撃とう、と!!」

そう言いクロシエは馬に跨り、そのまま翻し自陣へと戻っていった。
ハトラルコの陣地が騒がしいと気づいたアルトンの兵達はクロシエ女王があそこへと向き決闘を申し込んだと知った時は心臓が止まりそうになった。
だが次々とハトラルコの兵を倒していくに連れて喜びの声を挙げていきクロシエ女王が無事に帰還し大戦果を挙げてきたと聞けば歓喜の嵐だった。

「頼もしき武勇!! 私感服致しました!!」

「自らハトラルコに鉄槌を下すなど勇ましい限りです女王様!!」

「女王様!! 我らは恐れません!! 何処までも女王様に付いて行きます!!」

兵たちが感動の涙を流しながら歩み寄ってくる姿にクロシエは効果があったのかと内心安堵していた。
兵達の中には勿論クロハも混じっていて深々と一礼していた。


―――お見事です、クロシエ様!!―――

ジルドハントも褒めているが自分がやったものではない。
彼女の指示と力によって自分は動いていたに過ぎないからこの功績はジルドハントの物であるのだ。
されど大役を果たしたクロシエの功績は計り知れない。
そしてこの前哨戦がアルトン国にとって大きなターニングポイントとなったのは言うまでもない。



♢♢♢♢♢♢♢♢



それからは破竹の勢いだった。
クロシエが先陣を切ればアルトンの兵達も彼女に続く。
兵達、そして騎士らも強かったが別格だったのはクロシエだった。
彼女に向って矢を放てと、彼女はその細剣で一陣の風を吹かせ矢を飛ばす。
ならば魔法で止めようとしても彼女は詠唱する隙すら与えずに術者を切りつけ無力化する。
まさに圧倒的だった。
それでいてクロシエは決して命を奪わない。
非殺傷武器であるジルドハントを持っていたのだから殺せないのは当然なのだが戦争において不殺主義を貫こうとする者の噂を聞けば注目されるだろう。
尚且つクロシエは防衛戦に徹底していた。
深追いはせずアルトンの国境から敵兵士達が引けばそれで戦闘を終わらせる潔さを貫いた。
戦場を駆け、敵方の兵士を切り付けながらも命は取らない。
そして折り合いをきっちりつける彼女の潔白さと武勇は味方だけでなく敵からも、この戦争を傍観していた他国からも敬意が送られていた。
何時しかクロシエの事をこう呼んだ。

―――『不殺の戦乙女』と。



♢♢♢♢♢♢♢♢



一時停戦の申し出が来たのは敵国であるハトラルコだった。
魔物達が持ちわせた技術を用いて戦力が強化された兵士や騎士達の力量が予想以上だったのもあるが一番の理由はクロシエ女王自身だろう。
当初は勝てると意気込んでいたハトラルコだったがクロシエによって番狂わせとなってしまったからだ。
恐らくこの期間にハトラルコは策とかを張り巡らそうとする魂胆だろうが兎にも角にも停戦は停戦。
仮初の安らぎが訪れた事に変わりはない。
疲弊した自国を養う為にもクロシエはひとまず、ジルドハントを置いてアルトンの復興に尽力していた。
それが功を奏し、アルトンが戦前の活気と暮らしを取り戻したある日の事。
クロシエは一般の女性が来ている服を身にまとい帽子の中に自身の髪の毛を入れて、一見すればクロシエであるとは分からない変装をしていた。

―――クロシエ様、お出かけですか?―――

ジルドハントが訪ねてきた。
女王様愛用の剣という事でジルドハントはガラズ張りの専用展示ケースへと収められていた。
見栄えが良く使用人達が彼女の部屋を掃除しようとした際には真っ先に目が行く程だ。
クロシエは小声でジルドハントに返した。
「・・・ええ、クロハと約束して彼と待ち合わせしているの・・・」


―――・・・承知しました。どうかお怪我のないように―――

ジルドハントの心境は穏やかではなかった。
一時停戦となったとはいえまだ油断が出来ないこの状況下で一国の姫がお忍びで外出するという行動は控えるべきだと考えていたからだ。
勿論家臣達には知られているがこの事は黙認されている。
クロシエはこの戦争において最大の功労者だ。
そんな彼女にこれ以上締め付ける発言及び強制させるなど誰が出来るだろうか。
もし出来るとすれば母親であるレイヤぐらいだ。
だが彼女はそんな事はしなかったのだから家臣達もしなかった。
そしてジルドハントも止めはしない。
但しジルドハントはそれだけの理由ではないのが本音だった。
そんなジルドハントを尻目にクロシエはドアノブに手をかける。
自室の扉を少しだけ開け、誰も来ていないのを確認した。
すぐに部屋から出て物陰に隠れながら進んでいく。
数分間そんな行動を繰り返し、やがて裏口の扉へと向かうと用意していた合鍵を用いて扉を開けた。
扉は宮殿内の庭へと続いていてまるで迷路にでもなっているかの様な道を進んでいき、抜け出せば住宅街へと繋がっている道である。
その住宅街への道に入った瞬間、クロシエは解放感にも似た息を吐き出した。

「・・・疲れるわ、ね・・・」

だがここからは自由が――少しの間だけだが―――待っていた。
そう思ったらクロシエの足取りは軽くなった。



♢♢♢♢♢♢♢♢



大広場。
アルトンの名所といえばここであり中央には噴水が置かれいつも水が噴き出していた。
クロシエはそこで彼を探していた。
すると噴水の近く、そこから流れる水と戯れている子供達から距離を置く形で立っていた。
クロシエが近づけば彼もこちらへと気づき笑みを浮かべる。

「待ちましたか。クロハ」
「いえ。それでは行きましょう」

今まで会っていたクロハの衣装は騎士姿であったが今は私服だ。
堅苦しい事も礼儀作法も忘れて、ただ一人の女性として彼と接する事が出来る。
だから余計クロシエに解放感というものを与えてくれた。
本当の意味で、足取り軽くクロハと共に最初の店へと向かっていく。



♢♢♢♢♢♢♢♢



まず来店したのはぬいぐるみが沢山陳列してある店だった。
実はクロシエの自室には数多くのぬいぐるみが置かれており、中には等身大のぬいぐるみも置かれているのだ。
つまりだ、クロシエは大のぬいぐるみ好きであった。
そこに来たクロシエの目はまるで子供の様に輝かせあちらこちらへと陳列されているぬいぐるみ達へと向かっていく。

「あれも買って良いかしら!! ああ、これもっ!! いやそれも良いわねっ!!」

手あたり次第にぬいぐるみをかごの中へと入れ込んでいく姿は小さい女の子が無邪気に遊んでいるかの様だった。
あまりにぬいぐるみをかごの中に詰めすぎて他の客から注目の的になっている事も知らず程に没頭していたのだから。
クロハは近づき小声で彼女を呼んだ。
「クロシエ様・・・」
「ご、ごめんなさい・・・。つい浮かれていたわ」
だが楽しかった事に変わりはない。
買い物が終わりクロハに会計所へ行きましょう、とクロシエが指さしたのはかご三つ分。
どれもぎっしりとぬいぐるみが詰め込まれていて、しかもクロシエの片手には自身の背丈半分サイズの特大ぬいぐるみを携えていた。
それらを持っていて会計してもらうとその金額はクロハの給料の半分以上が吹き飛ぶ程の額だった。
これにはクロハも店員も苦笑いしていた。
その後店員に頼んで届けて貰う事になったのだが届け先がまさか女王が住んでいる宮殿と知ったらどう思うのだろうか。



♢♢♢♢♢♢♢♢



服屋に売店、本屋に果ては雑貨屋。
思い当たる店を次々と回っていった二人は疲れていた。
そこでクロシエはクロハの自宅で休んでもいいかと尋ねた。

「カフェとかでは休まれないのですか? 私の家はとても人様に見せられる姿では」
「それでも良いわ。貴方の様な騎士のプライベートというものを見てみたいの。私として一般の人の生活を知りたいから」

確かに一般人はどんな生活を送っているのか知りたいのは事実だったがクロシエの一番の理由はクロハの私生活を見てみたかったという好奇心だった。
何度もクロハは理由を付けて断ろうとしたが、クロシエは頑固としてクロハの自宅へ行きたいという要望に、クロハは根負けして自宅へと彼女を招き入れてしまった。
歩いて数分。
他の家よりも少しだけ小さい家屋の玄関ドアでクロハは歩みを止めた。

「どうぞ、クロシエ様」

そう言いクロハが自宅の玄関を開けた。
クロシエは好奇心に満ちた目で中を覗いた。

「以外に片付いているのね」

男だから散らかっているのだろうと思っていたが整理整頓がされている。
てっきりあちこちにゴミが散乱している汚い部屋なのだろうとクロシエは思っていた。
「男の家だから散らかっていると思っていたのですか?」
「そう聞いていたから」
「・・・男でも片付ける人はいるんですよ。さあこちらへどうぞ」
そう言いクロハはソファーの方へとクロシエを案内した。
クロシエはソファーにゆっくり座るとクロハは。
「申し訳ございませんが質の良いお茶は今揃えていないのでご了承できますか?」
「構わないわ。入れて、クロハ」
分かりました、とクロハは頷くと奥にある台所に行き水をポットに入れて火をつける。
その上にポットを置き温めている間クロシエは気づいた。
辺りを見渡すと女性ものの小物とかが置かれていない。
もしここが両親の家とかなら可愛らしい小物の一つや二つなど置かれているはずなのに。
堪らずクロシエは訪ねた。

「もしかしてクロハは一人暮らしなの?」
「はい、両親は事故で死んで親戚の元に預けられました。そして私は剣術の先生の元、剣術を習ってそこで騎士としての才があると言われて、先生の勧めで入隊試験を受けてみたのです。結果は合格でこうしてクロシエ様のお付きの騎士として成れた事を誇りに思います」

後半だけ聞けば騎士として立派な台詞だが前半の台詞は聞き捨てならない事実だ。
クロハの父と母は他界している。
それがどれだけ辛いことなのかクロシエは痛いほど分かる。
自分とて父を失くしているからだ。
クロシエは生前の父と最後に会ったあの日を振り返ってみた。
病で生気が薄れていた父は最後に彼女の頭を撫でてこう伝えた。


『クロシエ・・・。君が生まれて過ごした時間は・・・楽しかったよ・・・』


まだ幼かった自分はその意味を深く考えず、ベッドに寝ていた父に『早く良くなって』、と伝えただけだった。
その次の日に父が息を引き取ったと母から知らされた時は大粒の涙を流した。
それだけ思い出しても胸が苦しくなるし、おいそれと話したくない事だ。
だがクロハは苦しんでいる様子はない。
別に両親の死を軽蔑しているわけではないのは口調と素振りで分かる。
という事はクロハには『折り合い』というものが付いているのだ。
死んだ人間に涙を流してもその人は帰ってくるはずがない、なら前を向いて進もうという前向きな姿勢は見習うべき思考だ。
その『折り合い』とやらは自分にも付いている。
王である父が死んで大臣達との話し合いの結果、聡明であったクロシエの母レイヤが王位を継承した。
その後母は公務に尽力しクロシエの身の回りを使用人達に任せてきりにしてしまった。
普通の子なら不満やら鬱憤(うっぷん)が溜まりそうだがクロシエは不満など持たなかった。
母は国を治めているのだから忙しいのは当たり前な事。
それに母は時間を作って自分に会い、慈しんでくれたのだからそれでいいと幼いながらもクロシエはそう思っていた。
自分にはまだ母がいたから大丈夫だった、しかしクロハはそうでない。
甘えられる母を失い、頼れる父を失い、気を使わなければならない親戚の家という決して安らげない場所で育ってきたのだ。
そんな環境で成長してきたクロハの苦労と言ったら。
「大変だったのね。クロハ」
「いえ、クロシエ様の苦労を考えれば私の苦労は些細なものです」
そんな事をさらりと言ってしまうクロハの姿に感心し、そして心配してしまう。

「お茶の用意が出来ました」

そう言いクロハはポットとカップを持ってクロシエの元へと運ぶ。
カップをクロシエの前に置くとポットの中身をそこへ注ぐ。
その液体から溢れ出てくる香りがクロシエの鼻をつく。
クロシエはカップを手に取り口へと注ぐ。
そしてクロハに対して一言。

「優しい味だわ」
「喜んでもらえて何よりです」

ここに茶菓子があれば至福の一時になれたのだが生憎、用意していなかった。
その事にクロハは多少後悔していたがクロシエは気にしていなかった。
暫くお茶の味を堪能してしたクロシエはあと少しだけ、あと少しだけ、とついつい飲んでしまう。
次に少しだけ、と思いカップに口を付けた際に中の液体が無くなっていた事に気づいた。
「あっ、クロシエ様。私がお入れします」
「良いわ。自分で入れるから」
同時にポットの取っ手を握る。
その拍子にクロシエはクロハの手に触れてしまう。
気付いたクロハはすぐに手を引こうとした。
だがクロシエはクロハの手を握った。
そして反対柄の手も使ってクロハの手を握る。

「クロシエ様。お手が」
「・・・クロハ。貴方が望むなら永久の騎士付き人として任命しても良いかしら?」

いきなりクロシエがそんな事を口にしたのだからクロハは純粋に驚いた。

「貴方はよく私に尽くしてくれている。そして貴方はあの時、矢に気づいて私を助けてくれた。誇れる偉業を築いた貴方なら就いても問題ないと私は思うの」
「お、恐れ多い事です! 私は務めを果たしているだけで・・・」

当然の如くクロハは困惑し辞退しようとする。
それが余計クロシエの気を引き寄せてしまうとも知らずに。

「じゃ、任命しない代わりに一つだけ頼みを聞いてくれるかしら?」
「頼み、とは?」
「私と二人っきりの時は『私』ではなく『俺』とか言ってくれるかしら。今までは敬語で私とかを使っていたのでしょう? これくらいは構わないわよね」

快く受け入れる、という訳にはいかなかった。
今まで敬語で話し、一人称も『私』と使っていたクロハにとって『俺』と使うのは無礼に匹敵する行為だからだ。
クロシエは一国の女王。
その前に『俺』という一人称を使うのは気が引けるし、騎士として節操がない。

「誠に申し訳ございません。私としてはクロシエ様の前で一人称を『私』と言わなければなりません。それが騎士としての務めですから」
「・・・ならば私個人としての頼みよ。クロハ、私といる時には一人称は『私』ではなく『俺』と言って」

何故、彼女個人の頼みとして要求したのか最初は分からなかった。
だがクロハは騎士と女王としての立場を捨ててクロシエ個人として頼んだ事に注目した。個人として頼んだ、つまり騎士という立場を捨ててのクロハに頼んでいるのだ。
クロシエはそう配慮したのだ。
ならばクロシエの気遣いに自身は答えなければならない。


「・・・では、『俺』はクロシエ様を守りたい。それだけの使命で十分です」
「それでいいのよ、クロハ」

そう言いクロシエは笑みを浮かべた。



♢♢♢♢♢♢♢♢



会話が弾みクロシエの帰り時間は夕方頃だった。
夕日が沈みかける最中、クロシエは家の玄関から一歩踏み出すと後ろを振り返る。

「ではクロハ、私はこれで」

そこには勿論クロハが立っていた。
「送らなくてもいいのですか。いくらクロシエ様でも」
「平気よ。頼んだのは私の方なのだからこれ以上付き合わせてもらったらクロハも大変でしょ?」
それだけ告げるとクロシエはクロハに笑みを向けた。
その顔を見ると本当に大丈夫だと何処か安心できたのはクロシエだからなのだろう。
クロハはもう何も言わなかった。
ただ一言。

「・・・ではまた明日」
「ええ、また明日」

そう言いクロシエは去っていく。
クロハはその後ろ姿を見守り続け、クロシエの姿が町の中に消えていったのを見届けると玄関の扉をゆっくりと閉める。
鍵をかけてソファーに座ると深いため息をついた。
心ここにあらずという様子だった。

「・・・クロシエ様」

クロハは自分に芽生えたクロシエに対する特別な感情を感じ取っていた。
それは忠誠心とか、使命感とかではなくもっと別の。
頭の中が彼女の事で一杯になるくらいの思いだ。
だがクロハはそれを押し込めた。
そしてソファーから立ち上がり、自宅の2階へと上がると寝室に飾られている布らしき物体に目をやる。

「俺のこの気持ちどう思いますか、ご先祖様?」

その布らしき物体は旗だった。
幾何学的な紋章が描かれており古ぼけていた旗だった。
大事にしろと死んだ父が口癖の様に言っていたこの旗。
ずっと昔、クロハのおじいさんの、おじいさんよりも前のおじいさん、兎に角かなり昔のおじいさんが子供だった頃から受け継がれてきた旗らしい。
何か迷った事や独り言を言いたい時とかにこの旗を見てしまうのがクロハの癖だった。

「何も答えてくれる訳ないよな・・・」

この様に呟いてしまうのも癖だったとは知らずに、だ。
その旗に何かご利益とかある訳でもないのは理解しているのだが。



♢♢♢♢♢♢♢♢



出る時と同じく、あの迷路みたいな庭を抜けて物陰に隠れながらクロシエは自室へと向かっていく。
自室へと入り扉を閉めるとクロシエは安堵の息を吐いた。

―――お帰りなさいませ。クロシエ様―――

ジルドハントが出迎えてくれた。
人間の様にジルドハントがお辞儀をしたという訳ではなく、あくまで語り掛ける様な形であったが。

―――そのお様子から察せば、外出は楽しかったという事でしょうか?―――

「大丈夫よ、ジルドハント。貴方に見せてあげるから」
そう言いクロシエはガラスケースを開き、ジルドハントの柄を握った。
彼女が握れば彼と出会い何をしてきたのかという記憶がジルドハントに流れ込んでくる。
ぬいぐるみのお店に行き大量のぬいぐるみを購入しここへと届けさせるように店員に頼んだ事、彼の家へと出向きお茶を飲んだ事。
そしてクロシエのクロハへの気持ちも。

―――ぬいぐるみを買い漁ったのですか。ここへ運んでくる者は一苦労でしょうね―――

「まあ、梱包して運ばれてくるから中身がぬいぐるみだって事は知らないはずよ。大方使用人達がここまで持ってくるのだから、尚更ね」
クロシエは苦笑いをしながら返す。

―――なるほど、重要資料だろうと思って一切疑わないでしょうからね―――

「そういう事よ」
クロシエはそう言いジルドハントを元のケースに戻そうとしたが。

―――クロシエ様、忠臣として進言がございます―――

進言と聞けばクロシエは耳を貸さなければならなかった。
クロシエは戻そうとしたその手を止めた。
「どうしたの、ジルドハント?」

―――どうか一国の女王として、彼との恋愛は慎んでください―――

恋愛という単語を聞かされた時、クロシエは顔を真っ赤にしてしまった。
「なっ!? わ、私は別にクロハに対して恋だとか!? あ、あくまでも私は!!」
ただ一緒にいると楽しいという感覚に過ぎないとクロシエは述べようとするが、どういう訳か次には本当にそうなのかと疑ってしまう。
戸惑っているクロシエを尻目にジルドハントは進言を続ける。

―――ですが彼と一緒にいる時のクロシエ様の顔は柔らかで、実に楽しそうでした―――

「・・・否定は出来ないけれど、何故そんな事を?」
国を統べる女王は一般人と付き合うのは不歩合なのは分かっている。
だがクロシエが感じたジルドハントはそれだけではなかった。
何処か危惧しているような、そんな声だったのだ。


―――私の前の主は・・・それで仲間の騎士達と主君を傷つけ、滅茶苦茶にしてしまったのです・・・―――

その台詞は悲痛な叫びにも似ていた。
ジルドハントに前の持ち主がいた事にも驚いたがその主が大罪を犯していたという事実にも驚いた。
最初はその前の主は酷い人間だと思ったがジルドハントが仕えた主なのだから自分と同じ善良な人間なのだろうと考え直した。
出なければジルドハントがその人間を罵倒するかの様な口調で申してくるだろう。
だったら何故、その主が仲間と主君を傷つけてしまったのだろうか。
非常に複雑な事情とやらがあるに違いない。
「話してみなさい、ジルドハント。貴方に何があったの?」
クロシエはその手で細剣の柄から剣先まで優しく撫でたのはジルドハントを落ち着かせる為だ。
例えば泣きじゃくる子供に母親が頭を撫でて落ち着かせる様に、だ。
ジルドハントに感覚があるかどうか不明だがそれでもやらないよりはましであるかと思った。


―――私の前の、主は男性の方でカトルネルという名の騎士でした。その人は騎士道を重んじ、それでいて1、2を争う程の実力者でした。だから仲間達の信頼も絶大で、仕える主君からの信頼も厚かったのです。私は彼に仕え、役に立っているだけで最高の喜びでした。ですが・・・―――

前半の台詞は昔を懐かしむ様に聞こえていたが後半になるに連れて悲痛な胸の内を晒している様な声に聞こえた。



―――・・・仕えし主君の王妃と、恋仲になったのです・・・―――

それを聞いたクロシエは絶句した。
主に仕えし騎士にとって最悪のタブーであり、最大のスキャンダルだった。
そこいらにいた町娘と恋に落ちてしまったという話だったならまだ情状酌量の余地はあるし、騎士を止めれば追及はされないだろう。
だが相手は忠誠を誓う主君の妃なのだ。
話のレベルが違うし下手をすればギロチンの刑にされても文句は言えない所業なのだ。



―――王妃様の申し出からでして。カトルネル卿は苦しみました。王妃と恋仲になるなど騎士道に反する行為であり主君への裏切り行為であるのは重々承知していました。されど王妃の真剣な思いに押されて断れずに、こっそりと関係を保ち続けていました。けど悲劇は起きました。騎士達の一部が二人の関係を掴み粛清しようとカトルネル卿には刺客を送り、王妃を不義の罪で処刑しようと動いたのです―――


当然の行動だ。
主君への裏切り行為と騎士道に反した人間を野放しにしておけない。
「それでそのカトルネル卿と王妃は?」


―――卿はその刺客達を蹴散らし、すぐに王妃を救出いたしました。されどその際、仲間である騎士達を切り殺したんです。私を用いて・・・―――

『用いて』の台詞だけ重く、辛い心境を吐いたかの様に思えた。
仕方ないとは言え同胞を無慈悲にも切り殺した人間の心境など穏やかではない。
激しい後悔と絶望に苦しめられるのがオチだろう。
ジルドハントもそれと同じ気持ちを感じているのだ。


―――仲間を殺された騎士達は怒り狂い、主君と共に主を討つべく兵を挙兵しました。しかしカトルネル卿にも騎士達の仲間が集い、卿を守らんと主君に牙を向いたのです。その結果、何年にも及ぶ内乱が発生しました・・・―――

仲間との信頼が厚かった故に起きた悲劇だった。
自然とクロシエはジルドハントの柄を握りしめていた。
そうなる程に息苦しかったのだ。


―――私は数多くの同胞を切り付けてきました。私に意識が生まれ始めたのはその頃でした。・・・皮肉にも私に意識が芽生えた事で戦った相手の持っていた武器の声が聞こえる様になったのです。口をそろえて訴えてきたのは『裏切り者』、『大罪人』、『騎士道に背く賊』。特に私と同じ魔剣となった主君の剣と対峙した際に訴えてきた台詞は今でも鮮明に覚えております。『我が主と数多の騎士達を裏切った人間に味方するのか、ジルドハントよ!!』、と・・・。それでも私は堪えて戦いました。全ては卿を守る為に・・・―――

そのジルドハントと同じ存在となった魔剣が吐いた台詞。
彼女自身の心境の全てを物語っていた。
罵倒にも負けずじっと耐えていた彼女の事を思うとクロシエは涙が出てしまった。


―――そして終戦後、気が付けば主君及び仲間だった騎士達が数多く死んでいたのです。この結果にカトルネル卿は大いに嘆き苦しみ、出家したのです・・・。私を置いて・・・―――

まるで自分を見捨てたか様な物言いだが、彼女がそう思ってもおかしくはないだろう。
「そのカトルネルって人は出家した後どうなったの?」

―――風の噂ですが一人で暮らして、誰にも接する事無くそのまま死んだと聞きました・・・―――

そこでふとクロシエは気づいた。
譲り渡したナクミルドという騎士が言っていた。
この細剣は骨董市で購入したものだと。
「まさか、貴方が骨董市で売られていたのって?」


―――出家した卿の品を縁者達が引き取り、私はそこから売買を通して渡り歩いて行き、気が付けばアルトンの骨董市へと売られていたのです―――

クロシエはじっとジルドハントを見つめていた。
何も出来ないまま売買を繰り返して、流れ続けたジルドハントの心境はどんなものなのか。
自分という主を見つけ仕える事になったジルドハントの喜びは。
そして一度、破滅し惨めな晩年を送るさる負えなかった主へに対するジルドハントの無念さは。

―――だからお願いです。卿の2の舞になって欲しくないのです、どうかクロシエ様・・・―――

ジルドハントは恐れていたのだ。
自身が恋愛に気を取られ、破滅の未来へと進んでしまうのではと。
クロシエは彼女を心配させたくないので聞き入れようかと考えた。
だが次には彼女、ジルドハントについて考え始めた。
常に主の事を第一に考え、必要とあれば主の為にその力を差し出している。
それは立派な心がけだが彼女は自分の心配などしていないのだ。
ジルドハントは意思を持った武器だ。
武器とは主が使ってこそ意味を成す存在であり主を失えば存在意義を無くしてしまう。
自分を押し殺して仕えるという意思表明は前の主といた時代であれば称賛させるだろうが彼女自身はどうなのだろう。
クロシエはその事に気づいたのだ。
だからクロシエは問いかけた。
「ジルドハント。貴方は私を新しい主君として定めた際に申した言葉を覚えていますか?」

―――片時も忘れた事はございません!! 『私は新しき主であるクロシエ様を全力でお守り致します!!』、と!!―――

これを聞いた時クロシエは確信した。
だからジルドハントに向かってまるで母の様な口調で語りかけたのだ。



「貴方は、本当に優しい子なのね」



そしてクロシエはその細剣を優しく抱擁してみせた。
傍から見れば剣を抱き枕の如く抱える異様な光景だったがクロシエには関係なかった。


―――な、何をするのですか!? クロシエ様!? 一国の女王がこの様な振る舞いを他の者に見られたら不審にっ!?―――

ジルドハントは困惑していた。
突然のクロシエの行動にその意図や意味が分からなかったからだ。
「貴方は・・・自分を罪人だと思っているのでしょう? 罪人となった元主の武器なのだから自分も罪人であると」

―――・・・はい。数々の武器に言われた通り私は罪人です。それは反論できない事実です――

少し間を置いての返答だ。
だからジルドハントはクロシエに忠誠を誓うのだろうしあれだけクロシエに尽くすのだろう。
それが自身を苦しめているとも知らずに。

「ジルドハント。貴方は、罪を憎んで人を憎まずという言葉を知っていますか?」

―――罪を憎んで、人を憎まず?―――

「犯した罪は憎むべきですが犯した人までも憎むべきではない、という意味です。その人にも事情があるのだから慈悲を見せなければ人間として恥ずべき行為なのだと」

―――ですが私は武器です! 人間では・・・―――

「人間だろうと魔物だろうと優しい心があれば、少なくとも私は貴方を武器という枠には収まらないと思いますよ。貴方が前の主に仕えていた時代だったならただの武器だと切り捨てられていたでしょうが、自我ある今ならそんな事絶対にしませんよ」
この瞬間クロシエは母レイヤの心が少しだけ分かった。
母の優しさとはこんなものなのか、と。
子供の慰め方とはこうやるのだろうか、と。
「罪人は変わっても罪人という考え、私は否定しますよ。その人が罪を償って立ち上がれたのならもう罪人とは呼びません。だから罪人でも変われるはずですよ。そして血肉を喰らってきた魔物も平和な種族へと変われる、だから貴方も罪人から変われるはずです。現に貴方は人を傷つけない剣となった。昔の貴方はその剣で数多の人の返り血を浴びていたのでしょう?」

―――はい・・・―――

いつも凛とした声ではなくなっていた。
まるで母親に慰められた直後の子供が最初に呟く素直な声で答えていた。

「・・・ジルドハント、貴方の望みは何ですか?」

―――私の、望みですか?―――

「遠慮する事はないのですよ。私に尽くしてきた貴方はそれを求む権利があるだから」
ジルドハントは沈黙していた。
その理由は望みを言おうかどうか迷っているからだ。
だがクロシエは分かっていた。
彼女は必ず言う、と。

―――・・・もし許されるのなら。・・・もし許されるのなら。カトルネル卿と、私の罪を許して欲しいです―――


「なら許しましょう。クロシエ・テル・アルトンの名において、貴方の元主、カトルネル卿とその忠臣、ジルドハントの罪を許すと」

―――ク、クロシエ様・・・―――

「これでもう貴方は罪人ではなくなったわ、ジルドハント」

もしジルドハントが人間であったならば感激の涙を流しながら顔をぐちゃぐちゃにしていただろう。
そのクロシエの慈悲と寛容さに心を撃たれて。
「だから大丈夫ですよ。あんな悲劇は二度と起こらない、例え私が彼と恋人になったとしても民衆はきっとわかってくれるはず。時間がかかるかも知れないけれど絶対分かってくれるはずだから。もう心配なんかしないで。そんな辛い時代とはもう違うのよ、ジルドハント」
自身の中にある闇を取り払ってくれた。
それだけでも感謝しきれない施しなのに励ましの言葉まで送られた。
寛容過ぎるクロシエに胸を撃たれてジルドハントは思わず漏らしてしまった。
あの時思った無念さを。




―――私は、ただ・・・見ているだけだった・・・。あの時、主を助けられなかった・・・―――

クロシエはただ黙ってジルドハントの鞘を優しく撫でていた。


―――もし私が人間だったなら・・・この手で主を慰めてあげられたかも知れないのに・・・―――

クロシエは何も言わず静かに聞いていた。
今は彼女が喋っている。
それを邪魔しない様にしていた。

―――悔しい・・・、悔しいよ・・・。私がもし人間だったなら、この両手で主を優しく包み込んであげられたのに・・・。慰めの言葉をかける事が出来たのに・・・―――


ジルドハントが女性らしい口調に成っていた。
これが本来の彼女なのだろう。
人間の女性の様に喜怒哀楽があり、優しさがある。
そして自身が背負った罪の重さに耐えていた。
それだけでも立派だとクロシエは思っていた。
人間であっても私利私欲の為に他者を平気で傷つける者など数多くいるこの世の中。
ジルドハントは善人。
だから彼女を救いたい。
せめて自分だけでも味方になろうとクロシエは思っていた。
体感時間でもう1時間ぐらいは経過しただろうか。
クロシエはジルドハントの鍔を自分の目線まで持ってきた。
「もう、大丈夫ですか?」

―――はい、クロシエ様―――


「ではもう一度貴方に問います。ジルドハント、貴方は私に尽くしますか?」


―――無論です!! 私は改めてクロシエ様の為にこの身を捧げ、全力でお守り致します!!―――

口調から感じ取れる。
ジルドハントの悩みが吹っ切れていたのを。
自身を苦しめていた呪縛から解き放たれた事を。
「よろしい、それでこそジルドハントですよ」

―――あの、無礼ながらも指摘してよろしいでしょうか?―――

「何かしら?」

―――仮に恋人となったとしても、という事はクロハ殿に恋を抱いているという事で宜しいのでしょうか?―――



「・・・・・・・・・」

クロシエは何も答えられない。
否定出来なかったのだから黙っていた。
そんなクロシエをジルドハントは察したのかどうか分からないがそれ以上追及しなかった。

                                続く

17/06/02 09:33 リュウカ

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ちょっとこの小説にはあるネタを仕込んでいるのですが
気付く人いますかね?
それはさて置き、御覧の通りまだ続きますのでお楽しみください。
[エロ魔物娘図鑑・SS投稿所]
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