『'デルフィニウム'で山菜料理&鱧を食す』
さて。外に出るに当たって、まずは食しておきたい物があるの。下手したら一般リリムよりも魔力がある(勿論、悲しいかな私よりも遙か上だ)妖狐の友人が経営している宿。そこで出される山菜料理だ。
魔界化していてもおかしくはないくらい魔力が密集している土地なのに、何故か基本風景はすべて魔力極小の人間界のそれである。その辺りは『番台さん』の面目躍如かもしれない。あの娘兎に角魔力の操作に意識をやっていたからね。後は'ツィンギー=ルーラ'さんの手腕か。
「……ふぅ」
転移方陣を使って、宿の入り口に降り立つ私。多分山か高原かにある、周囲をドリアード達の森に囲まれたこの宿は、今日も変わらず異様な魔力が籠もっている。尤も、それは漏れることはなく宿の動力に一役買っているみたい。『温暖(ウォーム)』と『寒冷(チル)』を適度に織り交ぜて適温に保つ……それも四季を感じられる程度に。ベンジャミンにも教えようかしら。あの娘あの形で冷え症だし。
「しっかし、上手い感じに落ち着いたわよねー」
宿のデザイン。最初は兎に角派手だったもの。まぁ友人のあの性格だし、無理からぬ事ではあるけど……ねぇ。
話がずれたわ。それじゃ――予約も済んでいるし、宿に入りますかね。
――――――
「いらっしゃいませ。デルフィニウムへようこそ!」
うん、流石教育にも定評があるデルフィニウム。お出迎えも荷物持ちもチェックイン用意も早いわ。
「予約していたナーラ=シュティムよ」
「お久しぶりです、ナーラさん。おねぇさまが今日の日を楽しみにしておりましたよ」
うわ、嫌な予感。ものすっごく嫌な予感。……無駄だとは分かりつつも一応聞いてみるか。
「……ハンス、一日平均何人くらいやってるの?」
「顧客及び従業員のプライバシーに関わりますので、例え王女様と言えど情報公開は禁じられております。ご理解の程を」
ち。けど表情から推測するに……それなりに数はこなしているらしい……不味いわ。魔力どんだけ高くなってるのかしら。と言うか従業員にも手を出しているのかあの雌狐。
「……分かったわ。余計なことを聞いて御免なさいね」
苦笑いにも似た同情の笑みを受け取りつつ、私はV.I.P.ルームの鍵を受け取ると、そのまま既に荷物が置かれているであろう、二階の奥の方にある私の部屋へと赴いたのだっ……た……?
「ウェルカム♪」
……V.I.P.ルームの扉を開いた瞬間私の目に飛び込んできたのは明らかに、私が見慣れたV.I.P.ルームの落ち着いた風景ではなく、派手で煌びやかな壁紙と、雑多に置かれた謎の置物と、何故か乱れていない布団の上で両腕を広げて私を招いている妖狐――ハンス=エイシアンと、彼女以外の部屋の様子を隠すように広がる、九本じゃ足らない本数の尻尾……。そしてその尻尾のうち一本は私の腰に、二本は両腕に絡み付き――!
「っていきなりかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんぶぅぅっ!」
――暫くの時間、ルミルのきゅっきゅっきゅっばふぉーでお待ち下さい――
……はぁ……はぁ……。
「……久々に会えて嬉しいのは分かるけどさ、いきなりハグ→フレンチキス→MGWIはどうかと思うわよ……?」
とは言っても……こういう狐だって分かっていて備えていなかった自分も悪いんだけど。あぁ、折角の外出着が台無し……後で皺伸ばしますか。
「んふふ〜♪だぁってランちゃん最近チェラールちゃんにつきっきりなんだものぉ……妬いちゃって♪」
「妬いたからってそんな私的事情とは全く関係ない客に飛びかからないでよ」
とは言っても、完全に関係ないわけではない。『事件(別サイト参照)』でお母様に手引き行ったし。……と言いますか、あの『事件』でまさか従業員が増えるなんて思いもしなかったわ。まぁ寂しさよりも憂いが主であるハンスの表情からその内実は推して知るべしだけど。
「あらぁ♪でもこんなの好きでしょお?」
「まぁそれは否定しないんだけどね」
あくまで食事前の運動として、ね。ベッドにばたんきゅーしてのセルフよりは遙かに有意義だしね。ただ……食事の時にやったら怒るわよ?
ひとまず、形状復活機能でもついているのか、早速形が元に戻り始める布団の上で、私は再びハンスに向き直る。事前連絡したのは食事ともう一つ、ハンス自身と話したいことがあったからだ。
それは彼女が手紙で私に教えてくれたことだった。それ以前からそれっぽいことは漏らしていたけど、『ついに』その時が来たらしい。
「……それで、長期の夫婦旅行、行き先は決めたの?前に検討してたところはこんな感じだったけど」
次元の穴を開きつつ、私は旅行のパンフレット……と言いますか、聞き込み調査の賜物を取り出し、ハンスに渡す。畑仕事の片手間にやっていたけど、案外回れるものね……自分のことだけど感心しちゃうわ。
そんな私の思いは兎も角、ハンスは私のそれを手に取ると、しげしげと眺め……考え込むような仕草をとる。おいおい、一応言われた奴よ。検討していなかったの?と少し不機嫌になりそうにはなったけど……ちょっと、雰囲気違うっぽい。
そこまで悩まない性格していると勝手に考えていたけど……いや、十年前とか二十年前とか、最近で言うならあの事件直前とかは、割と私を振り回す程度には自由だったわよ?変わったのかしら……ん〜……。……考えて分かるものでもないか。
「……」
暫く悩んだ末、ハンスは私にパンフレットを返す。有り難うね、との一言を添えて。
「……」
その瞳に、私は何も言えなかった。完全に、決意した目だ。私の前じゃ見せたことのない、覆ることのない意志を持った瞳。
『只の夫婦旅行』のつもりの『ついに』だったけど、事態はそれとはちょっと違うらしい。……まさか、ね。
「……何か進捗があったら、私に伝えて頂戴。それと……さよならくらいは言わせてよ?」
カマを掛けた挨拶に、ハンスはただ一言、「分かったわ」と返すだけだった……。
――――――
あ〜、まさかあんな重くなるとはねぇ。色々あったらしいし仕方ないっちゃ仕方ないわけだけど〜っと。
「さぁて、ようやくV.I.P.ルームと〜〜ちゃっく♪」
さっきはまさかの出会い頭MGWIだったけど、今回は大丈夫!なぜならハンスは二回も私を犯すことはしないから!
果たしてドアを開けばキングサイズのベッドにロッキンチェアーに丸形ミニテーブル!冷蔵庫にはワイン完備!掃除は隅々に行き届いていて、まるで私のために創られたかのよう!……って言っても実際私が出資及びデザイン関与したしねぇ。ハンスの友人だからとか関係なくて、単純に'何回も'通っていたらV.I.P.会員とかになっちゃってたのよ。当時は知る人は知るタイプの宿だったから、部屋を一つ作ることも出来たのよねぇ、と懐かしさに目を細めつつ、早速狐のみぞ知るお手製チップ入れに一枚入れたのでした。まる。
さて、夕食まで、新聞でも読んで……その後でちょっと温泉に浸かって待ちますかね……。
……あ、'ネグームの悪霊'に兵を出すんだ、あの馬鹿領主……寒冷地でもないのに、そんなに火薬が魅力なのかしらねぇ……人間って分からないわぁ。
あ、料理に使う火薬ならちょっと欲しいかも。どうしても魔力じゃ燃えないのよねぇ……。
……『巨乳ピクシー秘境探訪記』?発売したばかりみたいだし、ちょっと立ち読みしてみようかしら……。
……あ、『'クラフトマン'ジョン』の記念館出来たんだ。あの当時作られた時計、姉さんが愛用してるのよね。【お母様の愛の如くブレがない】って絶賛してたし。
……『異種格闘技戦!'空手熊'ポーラvs'ボクサーリザード'ロージー、チケット発売中!お求めはゴッブール商会まで!』、あの二人相変わらずバトルしているのね。格闘強者は惹かれ合うのかしら。と言いますか、スポンサーのゴッブール商会……相変わらず商売にするのが早いわね。
……'バフォネット'の時代から続く黒羽掲示板同盟……やってくれるじゃないの……。前から汚職の気とかあった第六二部隊の上層部を、様々な証拠を突きつけて解雇させるなんて……。陸(コカトリス)海(セイレーン)空(ハーピー種全般)に加えて井戸端情報網(ブラックハーピー)に公式情報網(カラステング)全部揃ってるし、やっぱりハーピー種はこうした意味では恐いわ……。
……いつの間にかケサランパサラン注意報なんて出るようになったのね。誰が情報出してるのかしら……あぁ、カラステングの皆さんか。上空からお疲れ様です。
……連載小説'傾国'……はまだ展開無しか。楼坑国側の展開が気になるわね。
「……ふぅ」
農作業に精を出している間にも、こうして時代は変わっていくものね〜。変わらぬ物のあるべきか……か。
でも変わる中で残しておいた方が良い物がある……なんて自分のそれは所詮エゴの産物だけどね。美味しい物が食べたい。だからあんな脱魔力の装置まで作ってもらって野菜作っているわけだし。
さて、今の時間は……?
「……まだ時間があるわね」
予定通り、温泉にでもつかろうかしら。そう考えた私は、転移方陣に乗って、脱衣所に向かったのだった……。
――――――
「……ふぃー……」
極楽、極楽。温泉饅頭と米酒で一杯、がジパング流の風流な過ごし方らしいけど、流石に食事前だし……ねぇ。
時間的にお客は温泉には入っていない。だからこうしてゆったりと体が伸ばせるわけだけど……ちょっと寂しさを覚えるのよね。尤も、寂しさを覚えないくらい人が来たら来たで問題ではあるんだけど……今は完全に外見に関する術は解いているから、夫婦円満の旅行が離婚の場になりかねない。間違いなく。
まぁその時は私が妻の方に'関われば'いいんだけどね。寝取るのは好きじゃないもの。
「ん〜〜っ!」
久しぶりに伸び伸びと出来る〜っ!レストラン開けという圧力が日々強まってたからねぇ。とりあえず推進派の皆さんにはこの言葉を。落ち着け、まだ薦める時じゃない。だってジャンク含めて食べてみたい物とか色々あるもの。無論ハム化しないよう運動プランもバッチリだし……種族的にそこまで太らないらしいし。
と、ゆるゆる過ごしていたら……従業員入り口らしき場所から可愛らしい声が二つ。あれは……アリスちゃんと……話に聞くニカちゃんかな。
アリスちゃんはとてとてと一気に温泉に近付いて――。
「わーい♪お風呂だー♪」
「あぁ、アリスちゃん、こんな場所からダイブしちゃ駄目だよぉ……!」
直後に響く盛大なる水の音、上に吹き上がる水。私は咄嗟に魔力傘で防ぎつつ、近付いてくるニカちゃんに向けて首を横に振った。それなりの深さはあるので、飛び込んでも大丈夫ではあるんだけど……マナーがなってないわね。まぁ、誰も居ないと思ったからこそのダイブかも知れないけど。
「……ぷは♪……あ!ナーラさぁん♪」
暫くしたら浮かび上がってきたアリスちゃんは、久々に会った嬉しさからバシャバシャと風呂を泳ぎつつ私のところまで来るけど……私はそんな彼女を抱き上げつつ……尻尾で固定しつつ頬をむにっと広げた。
「あら久しぶりぃ♪アリスちゃぁん♪……いきなり温泉に飛び込むのは御法度よぉ?体にも悪いし他のお客さんにも色々と危害を加えることになるのよぉ?その辺り分かってるのかしらぁ?んん?」
むにりむにり。まるでパンの生地に窪みをつけるように指を押し付け、広げるように回していく私。パンの生地のように弾力があってしかも瑞々しい『永遠の幼女肌』を持つアリスちゃんは多少の痛みを訴えるけど、私はそれが嘘だと分かる。だって、彼女の瞳がだんだんと蕩けていくのが分かるし……。
「分かったのなら返事をしなさいね〜?」
完全に蕩ける前に、私は指の動きを止めつつ、アリスちゃんをしっかり見据えた。視線に、思いっ切り「言え」という意志を込めた視線に、アリスちゃんは至って「素直に」従ってくれたわ。
「……は……はい……ごめんな……さ……はひゅう」
……込めすぎたかしら。ぱたりって倒れちゃった。ぐったりと私の肌に倒れかかって来るアリスちゃん。気絶してるだけだ。まだ息はある。良かった。
「……あの〜……」
そんな私を恐る恐るのぞき込んでくる……多分、ニカちゃん。割と肌が健康的な色をしているけど……元からなのかしら。
彼女はアリスちゃんを心配しているらしい。まぁそれはそうよね。さっきまで元気良かったのにいきなりぐったりしちゃったらそれも仕方ないわ……反省。
「あ、あぁごめんなさいね!ちょっとマナー違反を注意するつもりで見つめたら、魔力まで込めちゃったみたいで……てへ♪」
舌を出しつつ純白の尻尾もゆらゆらと揺らしてみる。我ながら情けない格好だ。姉さん達ならもっと魅力的な誤魔化し方が出来るのだろう。あぁ。
「あ……はぁ」
あぁもう呆れちゃってるし……こりゃこのまま出た方が良いかしらね。
「この娘は数分したら起きるから!それじゃおねぇさんは先に――」
「――あのっ」
精一杯の、多分彼女からしたら精一杯の声。それは私の動きを止めるのには十分だった。逃げるようにまだ日が差す露天風呂から出ようとする、私を。
「……何かしらぁ?」
ゆっくりと顔を向ける私。恐らく絡繰人形も斯くもやらの固い動きだっただろう。そんな私を風呂場の部分から見下ろしつつ……彼女はゆっくりと、言葉を紡いだ。
「……お隣、良いですか?」
……肯く以外の選択肢、あるわけないじゃない。
――と言うわけで。
「ニカと言います……おねぇさん、お名前は……?」
「ナーラよ」
どう言うわけか人間の女の子とリリムが同じ湯に浸かりながら歓談なう。絶対姉には見られたくない。特に女性は魔物にする事こそ正義であり理想!を自負する姉には何その体たらくと笑われるだろう。
だって私からしても予想外だもの!魔力抑えているとは言え、外見補整切ってるのよ?魔への抵抗力がない子供ならまず私を見たら惚けるはずじゃない!それがはっきり意識保った状態で私を誘いかけるなんて、まず普通じゃ有り得ないわよ?
「……」
試しに密かに魔力の流れを探ってみると……あぁ、いい感じに体が受け流してるのね……ありえん。二桁になってさして経っていない筈よね、彼女。聞いたのは年齢と出自だけだけど……元からそんな領地だったのかしら?ネグームって。
「……あの」
「……何かしらぁ?」
沈黙に耐えきれなくなったのか、ニカちゃんが私に話しかけてくる。私はそれにやや作り気味の笑顔で返答した。いけないいけない表情似非シリアスになっていたわ。何か和らげないと――。
「……ネグームは、今はどうなっていますか……?」
「……」
許しちゃくれないのね。シリアスから外れるのを。なら仕方ないわ。精一杯付き合うとしますか。
ちゃぽん、と湯は音を立てて波紋を広げていく。その中で私は伸びをして……念のため、確認をした。
「……話すのはいいけど、ニカちゃんはどのくらい、今のネグームについて知っているのかしら?」
ハンスの事だ。進んでは伝えないに違いない。全ては愛故に、傷つけないように、嘘は吐かないにしろ、最低限のことしか伝えていないだろう。
……でもハンスの愛は時折暴走するけどね。番台さんスカウトの経緯は正直「ちょ、おま」だし。正直何してるんだあの雌狐。
そして私の予想は、果たして的中する。
「……今、ネグームには悪霊がいて、色々な人がそれを退治しに向かっている……とだけ聞きました」
事実のみ。けど最低限にして最大の事実だ。正直それ以外に言いようがない。そして……私も、正直これ以上に付け加えるほどの情報はない。目新しい情報と言えばさっき読んだ新聞くらいだけど……。
「……ナーラさん」
「……ん?」
にしても何で私に聞いたのかしら?初対面の相手に聞くような内容でも――。
「……ナーラさんは、魔王の娘さん……なんですよね?」
「……あぁ、成る程ね」
権力者は全ての情報を掌握している……ならば娘がその情報の一欠片でも握っている可能性はあるかもしれない、そう考えたわけだ。
でも……それは幻想なのよねぇ……別に母上が全部握っているわけではないし。姉さんの誰かや妹の誰かだったら知っているかもだけど……いや、それも望み薄か。
私も……あ、確かベンジャミンがちょっと手出ししてたわね。確かあの時は何て言っていたかしら……あ、駄目だ。現状認識の再確認にしかならないわ。
結論。この娘の役に立つ情報は私にはない。
「……残念だけど、貴女が望むような情報は私は持っていないわ。精々、貴女の認識が現在も続いている、っていうだけ……」
新聞にも書いてあったけど、悪霊は弱まらず寧ろ徐々に強まっている気配すらあるみたいで。
ベンジャミン達は霊が取り込まれる前に何とか説得したり取り込んだりしていたらしいけど、埒があかなくなったのと主に教会が出張ったりして割に合わなくなったから止めたって言っていたわね……。流石にわざわざ魔女を危険な目に遭わせるほどの価値はないしね。実際危害がそこまでこちら側に及ぶわけでもないから……まぁ致し方ない話か。
でも、この少女にとっては話は別だ。何せその場所は、今は跡形も無き、故郷なのだから。
「そう、ですか……」
心の底から、残念そうな顔をするニカちゃん。彼女も分かってはいるのだろう。この事に関する吉報は望めないと。たとえ相手が魔王の娘だったとしても、そうそう自分の都合のいい返答が来るわけではない、と。
しばらくの沈黙。私は正直、やや心苦しくは思っていた。この少女の願いに何も出来なかったこと。一瞬頼られただけだとしても、応えられないのは中々歯がゆいものがある。
魔王の娘リリムっていっても、万能じゃないんだな、これが。割と誤解されやすいんだけどね。でも万能を演じなきゃいけなかったりするから時折辛い。何幻想抱いてるのかしらって言いたくもなるわ。
……まぁそれは兎も角として。それでも力になれないのはちょっと悔しかったりする。さて、ならば何をするべきか。別に私が直に調べたりも、やろうと思えば出来るんだけど……。
「役に立てずにごめんなさいね……。何か新しい情報があったら、オーナーや番台さんに伝えるわね」
結局、此処はそう言い残して去ることにした。今の私じゃどうすることも出来ないわ。協力できるのは、もう少し先、ね。
「……はい。どうも有り難う御座います」
……にしても、結局ちっともクラッと来なかったし、魔に染まらなかったわね、ニカちゃん。何かされているのかしら……当たり前か。
――――――
たまたま部屋の整頓をしていた番台さんに言伝の紙を渡し、私は浴衣姿で再びベッドに倒れ込む。ふかふかふあふあきもちいー。あ゛〜かたくるしさからかいほうされる〜。
「っと時間は……」
いい具合だ。そろそろ夕餉の時間だろう。因みに私は食堂……と言うより演芸場に入ることは出来なかったりする。入る必要もないのだけど……入ったらまず間違いなく騒動は起こるし。外見認識変えていても漏れる物は漏れちゃうもの♪
「……さて、そろそろかしらぁ……?」
この部屋にも飾ってある、'クラフトマン=ジョン'の飾り時計……のレプリカ。それが正確に時を刻んで、私達に待望の時を伝えてくれる。
5.4.3.2.1...
『――皆さん、夕餉の準備が調いましたので、'趣味人'様方は第三小宴会場へ、アレクセイ様御一行は第五小宴会場へ、一般のお客様方は大宴会場へ、それぞれ移動の方、宜しくお願いします』
……魔力を振動に換えて音を伝えるシステム……あの風変わりなサキュバスのお手製の奴ね。中々便利じゃない。そして、V.I.P.ルームには特別サービス……そう瞳を閉じたとき、部屋にノックの音が一回。
『ナーラ=シュティム様、夕食を持って参りました』
「どうぞ〜」
当然、鍵は掛けていないので、すぐさま私の部屋のドアは開けられる事になる。そうして食事を持って運んできたのは――宿の料理長にして'マイコ'はん、アマテ=オヂヤさん。私とは違った青みがかった白の髪に、全体的に青みがかった透き通るような肌、着物には雪と針葉樹の装飾があしらわれ、足にはスリッパの代わりに雪駄を履いている……雪女だ。
「お待たせいたしました。ハンス様から話は伺っとります。今晩はごゆるりとお食事をお楽しみ下さい」
言うが早いか、手にした氷の器をテーブルクロスの敷かれたミニテーブルの上に置く。その上に置かれた物は、筍のお浸し。この宿の名物料理だ。櫛を思わせる形に切られた筍は、他の店のそれよりもやや太めだ。出汁に絡みやすくするよう細く切る店が多い中で何故太くしたか、それは料理長曰く、筍の持つ食感を噛みしめて欲しいからだという。噛むことは美容にも良いしね。
では、早速……箸を手に、私は両手を合わせた。
「……いただきます」
ジパング式の、食前の儀式……みたいなものだけど、私はこれが気に入っている。自らの命を繋ぐ糧自身に対する感謝。主神を拝する教壇が主流のこちらでは理解されにくい物だけれどね。
そのまま箸を広げ、筍を摘む私。出汁の味がしっかりと染み込んでいるはずの筍は、意外なことにしっかりとした質量と感触を私に伝えてきた。……もしかして茹でられてないんじゃ?
恐る恐る、口に運ぶ。全てを一気に口に入れるのではなく、肉厚な部分を、歯で――噛み切る。
「……ん……」
筍の持つ弾力を失うことなく、なおかつ中にある筋を感じさせない、程良い感触。そして、噛み切った側から、筍からは出汁が溢れ出す。
まず舌に伝わってきたのは、筍の中に染み入った出汁。雪女特有の冷気を用いて凝縮されたそれが、程良く口の熱で溶かされ、溢れ出していく……。
この味は……時折宮廷料理の隠し味にも使われるソイソースに、昆布に、鰹節か。それが主張しすぎて筍の味を損なう……なんてことなく、立派に味のドレスアップしている。
シンプル故に、奥深い。初めて食べたときの衝撃は、本当に凄かった。何せ、薄味かと思ったそこに小宇宙(コスモ)が広がっていたもの。驚かないはずがないわ。
しかも……あの時よりも格段に料理が洗練されている。筍等の材料の質もそうだけれど、そもそも料理自体に……無駄がない。一切着飾らず、内側から溢れる旨味を殺さず全て調和させている……。
箸を止めることはない。止めたら失礼だ。こんなにも美味しい、至高のジパングの前菜なのに。
味が濃いのに慣れた人も是非これを一口味わって欲しい……そんな願いを込めつつ、私は箸を箸置きに置いた。皿の上には、筍からこぼれ落ちた出汁だけ……。
「……ふう」
いつの間にか、料理長は部屋の外に出ていたらしい。つい恍惚としてしまったか。でも本当に美味しいのよね、これ。
さて、次は何かしら……?
「お待たせしました。本日は新鮮な鱧が入りましたので、鱧のお吸い物及び鱧肉をお持ちいたしました」
「……鱧?」
何だろう。あまり聞かない名前の魚だ。どういう物かと眺めてみれば……鱧のお吸い物は、透き通る出し汁の中に鱧肉らしき物が一つ沈んでいる。その上には香菜が一つ。多分この形から三つ葉だろう。
で……こちらが鱧肉か。適度に茹で上がったその身は白い肉を瑞々しく隆起させていて美しい……けど何かパサパサしてそうにも感じるのよねぇ。
「鱧肉の方は、梅肉に付けて御賞味下さいな」
と、料理長が出したものは……酸味の強さから病みつきになるか苦手になるかの二択を迫る植物:梅を漬け込んだ……梅干し、その梅肉を食べやすいように加工した物だった。
料理を置くと、次はメインディッシュと一言添え、料理長は部屋を出ていった。いつの間にかお櫃とお椀が置かれていたりするが、そのサイズは一人用だけに小さい。多分次のメインディッシュに備えてのものでしょうけど……。
「……」
鱧肉、一体どの様なものだろうか、口にしてみよう……。
箸で梅肉を摘み、ちょん、と鱧肉の上に乗せる。箸で運ぶときにポロッと落ちないように軽く鱧肉に押し付けつつ、箸で口に運んで……梅肉が付いた部分を口に入れた。
「……」
……うまい。
細かい骨がいっぱいある魚なのだろうか。その身を解し、骨を砕きつつも程良く取り除いているのが、その舌触りからも分かる。
多分、鱧本体だけだと薄味の味気ない魚になるのだろうが、梅によって引き立てられている。
鱧特有の身に詰まった甘みに、濡れているのにどこかぱっさりした身の感触。それが梅に包まれることによって甘みが強まり、旨味が上昇している。
気付いたらもう一欠片、摘んでいた。梅肉を塗りつけ、もう一口。酸味と梅干しの中に含まれる塩分が、鱧の身に含まれた旨味を引き出し、舌先に淡いながらも広げていく……。
広い、広い味わいに私は頬を綻ばせていた。まず間違いない。これは高級な魚だ。身の感触的に小骨を取るのに手間と実力がいるのはまず間違いない。
美味い。ゆっくりでも、箸が進んでいく。湯気立つ御飯を口に入れつつもう一つ。箸が止まらない。
梅肉がこんなに美味しく感じるのなんて、そうそう無いんじゃないかしら。それほどまでに……鱧と梅の織りなすハルモニアは見事な物があったのだ。
気付けば……完食。
「……料理長」
「何でしょう?」
これは聞いておかなければならない。この魚、いったい何処にあるのやら。
「……この魚、何処で仕入れたの?」
それを聞くと、アマテさんの顔が、にっこりと見事な笑みを描いた。まるで、待ってましたと言わんばかりの表情だ。
「こちらの鱧は、ジパングのヤワタハマ港にて水揚げされた物を、オーナーと共に競り落としてきた物で御座います」
時空移動を使ってジパングまで行ったのか。魚を競り落とすためだけに……そう考えると、ハンスのバイタリティの凄さに驚くと共に感謝したくなる。したら犯されそうだけどやむなし。
料理長の話は続く。
「ジパングにある私の地元である京では、祇園祭で振るわれる高級料理となっております。今回は『とびきり珍しい物を』とのご所望が有りましたことから、私の居た国の文化を知っていただきたいと、ご用意させていただきました」
「成る程ね……」
これは良いことを聞いた。つまりキョウのギオンマツリという物に参加すれば、この鱧が振る舞われる店がどこかしらに有ると言うこと。……高級魚なのは間違いないから、準備は必要ね。
「……美味しかったわ、ありがとうね」
私の言葉に笑顔を浮かべた料理長は、再び皿を下げ、次の料理を取りに行った。
私はその背中を見送りつつ、御飯をお椀によそい、一口。
……これだけで十分美味しい。パスタで言うアルデンテ。程良い堅さと、そこから溢れ出す旨味がいい。殻に閉じ込められていた甘味が、咀嚼によって口の中に溢れ出しているかのよう……。
食べ過ぎは次の食事の旨味を減らすのでこれくらいにしておくとして……。
「お待たせいたしました。野菜の天麩羅で御座います」
「これこれ、これが食べたかったのよ〜♪」
名品としてマイ評価五つ星を記録する料理、野菜の天麩羅。『衣を付けて野菜を揚げる』っていうまず大陸ではお目にかかれない料理法である以上に、その衣自体もパン粉じゃなくて小麦粉を使っていたり、そもそも材料自体に別の粉がまぶしてあったりと、色々と手間が掛かっている代物だ。
鰹を使った出汁を使って食べるのも美味しいけれど、今回出されたものは……塩。どうやら素材の味を存分に楽しんで貰いたいらしい。
「……いただきます」
早速……薇の天麩羅を箸で摘み……塩をほんの少し付け、そのまま口へと運ぶ。そして、衣ごと噛み切るように、歯を下ろした。
――シャクッ……
「――」
……薇特有の苦みが、小麦粉や卵の持つ甘みによって和らげられ、その中に秘められた旨味を、塩が丁寧かつ力強く、掘り起こしていく……。
天麩羅の立てるサクサクとした音も気持ちいい物がある。あぁ、私、料理を味わっているんだなぁ、大切に頂いているんだなぁと感じられ、一連のメニューのメインを飾る料理に相応しい音、それが天麩羅が立てる音。
続いて、先程も出た筍の天麩羅。筍は水を多分に含んでいるから、衣を付けて揚げること自体が難しいわけだけど……美味しい。
案外、味のポイントは塩にあるかもしれない。適度な塩が、衣の中どころか筍の中に封じられた旨味の混ざる水分が濃縮され、舌先に広げていくのだろう。筍の持つ弾力を損なうことなく、それでいて芯を除くという離れ業に加え、出汁自体の旨味もある……。
他にもキャロットやピーマンやナス、変わり種にはベニショウガなんて物もあったりして、単調な味にならず、食べていて飽きない。
そして……これは特に私が薦められたものでもある野菜が、これ。
「――レンコン」
蓮根の天麩羅である。聞けばデルフィニウムでもこの天麩羅は人気らしい。他の野菜とは違う(筍が近いかしら)、硬さと程良い脆さを両立させ、口に含んだときに浮かぶ純粋な甘みと溶ける繊維の感触……それが舌先から体の隅々まで広がって……。
「――有り難う。この宿に来た甲斐があったわ」
「――おおきになぁ♪」
この言葉が本来の料理長の地なのだろう。自然に響くその言葉に、私は微笑みを返した。
――――――
「……中々独特な味よねぇ」
漬け物。浅漬けから粕漬け、南蛮漬けに山葵漬け……昔は保存食として使われていたそれも、保存技術の発達と共に味の拡大が行われていった……。
まぁ、ジパングで挑戦したナットウの事を考えると、漬け物は発展しすぎている気がする。昔私より遙かに年を召している猫叉のお婆さんに貰った沢庵は、塩味が尋常じゃなくキツかった記憶がある。噛めば噛むほど味がある……あたりめみたいね。これ言ったら多分スキュラが恐怖の眼差しで私を見つめるんでしょうけど。
「……あ」
いつの間にかお櫃のご飯が無に……恐るべし、漬け物。
それを見届けつつ、笑顔で皿を下げて緑茶を置く料理長さん。流石気が利くというか。
「……はぁ」
それを啜りつつ……溜め息と共に、私は終わりの言葉を口にするのだった。
「……ごちそうさまでした」
――――――
食後、歪みない体を維持するためにエクササイズ。流石にだらしねぇな……は避けたい。
「いつの間に室内プールなんて作ったのかしら」
何なんだこの宿。多分海の魔物とかから要請が来たのだろう。しかしながらそれを実現する技術……何なんだ噂に名高い趣味人(しゅみんちゅ)。
ターンしつつ再び伸び。コース数は少ないとはいえ、運動する分には困らない。むしろその目的で来るのは少ないか。何しろ……セックス用プールがあるし。寧ろその方が大きいし。
「……んっ」
数えるのを忘れるくらいターンしたところで、私は泳ぐのを止め、プールから上がることにした。当然……耳栓したままだ。もししていなかったら、耳に水だけじゃなく、喘ぎ声や別の水音まで入っていただろうから。
――――――
私は改めて地図を見つめ直す。今度はどの町に行こうか、口コミやら何やらを集めつつ、実際はどんな味なのかを確かめに行くのだ。
そして気に入ったら……レシピを作ってみようかしら。私だけの、誰にもあかす気のない、秘密のレシピ……。
……と言うより、孤独のレシピかしら♪
「さぁて、明日は何処に行こうかしらね……」
ベッドにあられもない姿で寝転がりつつ、私は店舗リストを眺めるのだった……。
fin.
魔界化していてもおかしくはないくらい魔力が密集している土地なのに、何故か基本風景はすべて魔力極小の人間界のそれである。その辺りは『番台さん』の面目躍如かもしれない。あの娘兎に角魔力の操作に意識をやっていたからね。後は'ツィンギー=ルーラ'さんの手腕か。
「……ふぅ」
転移方陣を使って、宿の入り口に降り立つ私。多分山か高原かにある、周囲をドリアード達の森に囲まれたこの宿は、今日も変わらず異様な魔力が籠もっている。尤も、それは漏れることはなく宿の動力に一役買っているみたい。『温暖(ウォーム)』と『寒冷(チル)』を適度に織り交ぜて適温に保つ……それも四季を感じられる程度に。ベンジャミンにも教えようかしら。あの娘あの形で冷え症だし。
「しっかし、上手い感じに落ち着いたわよねー」
宿のデザイン。最初は兎に角派手だったもの。まぁ友人のあの性格だし、無理からぬ事ではあるけど……ねぇ。
話がずれたわ。それじゃ――予約も済んでいるし、宿に入りますかね。
――――――
「いらっしゃいませ。デルフィニウムへようこそ!」
うん、流石教育にも定評があるデルフィニウム。お出迎えも荷物持ちもチェックイン用意も早いわ。
「予約していたナーラ=シュティムよ」
「お久しぶりです、ナーラさん。おねぇさまが今日の日を楽しみにしておりましたよ」
うわ、嫌な予感。ものすっごく嫌な予感。……無駄だとは分かりつつも一応聞いてみるか。
「……ハンス、一日平均何人くらいやってるの?」
「顧客及び従業員のプライバシーに関わりますので、例え王女様と言えど情報公開は禁じられております。ご理解の程を」
ち。けど表情から推測するに……それなりに数はこなしているらしい……不味いわ。魔力どんだけ高くなってるのかしら。と言うか従業員にも手を出しているのかあの雌狐。
「……分かったわ。余計なことを聞いて御免なさいね」
苦笑いにも似た同情の笑みを受け取りつつ、私はV.I.P.ルームの鍵を受け取ると、そのまま既に荷物が置かれているであろう、二階の奥の方にある私の部屋へと赴いたのだっ……た……?
「ウェルカム♪」
……V.I.P.ルームの扉を開いた瞬間私の目に飛び込んできたのは明らかに、私が見慣れたV.I.P.ルームの落ち着いた風景ではなく、派手で煌びやかな壁紙と、雑多に置かれた謎の置物と、何故か乱れていない布団の上で両腕を広げて私を招いている妖狐――ハンス=エイシアンと、彼女以外の部屋の様子を隠すように広がる、九本じゃ足らない本数の尻尾……。そしてその尻尾のうち一本は私の腰に、二本は両腕に絡み付き――!
「っていきなりかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんぶぅぅっ!」
――暫くの時間、ルミルのきゅっきゅっきゅっばふぉーでお待ち下さい――
……はぁ……はぁ……。
「……久々に会えて嬉しいのは分かるけどさ、いきなりハグ→フレンチキス→MGWIはどうかと思うわよ……?」
とは言っても……こういう狐だって分かっていて備えていなかった自分も悪いんだけど。あぁ、折角の外出着が台無し……後で皺伸ばしますか。
「んふふ〜♪だぁってランちゃん最近チェラールちゃんにつきっきりなんだものぉ……妬いちゃって♪」
「妬いたからってそんな私的事情とは全く関係ない客に飛びかからないでよ」
とは言っても、完全に関係ないわけではない。『事件(別サイト参照)』でお母様に手引き行ったし。……と言いますか、あの『事件』でまさか従業員が増えるなんて思いもしなかったわ。まぁ寂しさよりも憂いが主であるハンスの表情からその内実は推して知るべしだけど。
「あらぁ♪でもこんなの好きでしょお?」
「まぁそれは否定しないんだけどね」
あくまで食事前の運動として、ね。ベッドにばたんきゅーしてのセルフよりは遙かに有意義だしね。ただ……食事の時にやったら怒るわよ?
ひとまず、形状復活機能でもついているのか、早速形が元に戻り始める布団の上で、私は再びハンスに向き直る。事前連絡したのは食事ともう一つ、ハンス自身と話したいことがあったからだ。
それは彼女が手紙で私に教えてくれたことだった。それ以前からそれっぽいことは漏らしていたけど、『ついに』その時が来たらしい。
「……それで、長期の夫婦旅行、行き先は決めたの?前に検討してたところはこんな感じだったけど」
次元の穴を開きつつ、私は旅行のパンフレット……と言いますか、聞き込み調査の賜物を取り出し、ハンスに渡す。畑仕事の片手間にやっていたけど、案外回れるものね……自分のことだけど感心しちゃうわ。
そんな私の思いは兎も角、ハンスは私のそれを手に取ると、しげしげと眺め……考え込むような仕草をとる。おいおい、一応言われた奴よ。検討していなかったの?と少し不機嫌になりそうにはなったけど……ちょっと、雰囲気違うっぽい。
そこまで悩まない性格していると勝手に考えていたけど……いや、十年前とか二十年前とか、最近で言うならあの事件直前とかは、割と私を振り回す程度には自由だったわよ?変わったのかしら……ん〜……。……考えて分かるものでもないか。
「……」
暫く悩んだ末、ハンスは私にパンフレットを返す。有り難うね、との一言を添えて。
「……」
その瞳に、私は何も言えなかった。完全に、決意した目だ。私の前じゃ見せたことのない、覆ることのない意志を持った瞳。
『只の夫婦旅行』のつもりの『ついに』だったけど、事態はそれとはちょっと違うらしい。……まさか、ね。
「……何か進捗があったら、私に伝えて頂戴。それと……さよならくらいは言わせてよ?」
カマを掛けた挨拶に、ハンスはただ一言、「分かったわ」と返すだけだった……。
――――――
あ〜、まさかあんな重くなるとはねぇ。色々あったらしいし仕方ないっちゃ仕方ないわけだけど〜っと。
「さぁて、ようやくV.I.P.ルームと〜〜ちゃっく♪」
さっきはまさかの出会い頭MGWIだったけど、今回は大丈夫!なぜならハンスは二回も私を犯すことはしないから!
果たしてドアを開けばキングサイズのベッドにロッキンチェアーに丸形ミニテーブル!冷蔵庫にはワイン完備!掃除は隅々に行き届いていて、まるで私のために創られたかのよう!……って言っても実際私が出資及びデザイン関与したしねぇ。ハンスの友人だからとか関係なくて、単純に'何回も'通っていたらV.I.P.会員とかになっちゃってたのよ。当時は知る人は知るタイプの宿だったから、部屋を一つ作ることも出来たのよねぇ、と懐かしさに目を細めつつ、早速狐のみぞ知るお手製チップ入れに一枚入れたのでした。まる。
さて、夕食まで、新聞でも読んで……その後でちょっと温泉に浸かって待ちますかね……。
……あ、'ネグームの悪霊'に兵を出すんだ、あの馬鹿領主……寒冷地でもないのに、そんなに火薬が魅力なのかしらねぇ……人間って分からないわぁ。
あ、料理に使う火薬ならちょっと欲しいかも。どうしても魔力じゃ燃えないのよねぇ……。
……『巨乳ピクシー秘境探訪記』?発売したばかりみたいだし、ちょっと立ち読みしてみようかしら……。
……あ、『'クラフトマン'ジョン』の記念館出来たんだ。あの当時作られた時計、姉さんが愛用してるのよね。【お母様の愛の如くブレがない】って絶賛してたし。
……『異種格闘技戦!'空手熊'ポーラvs'ボクサーリザード'ロージー、チケット発売中!お求めはゴッブール商会まで!』、あの二人相変わらずバトルしているのね。格闘強者は惹かれ合うのかしら。と言いますか、スポンサーのゴッブール商会……相変わらず商売にするのが早いわね。
……'バフォネット'の時代から続く黒羽掲示板同盟……やってくれるじゃないの……。前から汚職の気とかあった第六二部隊の上層部を、様々な証拠を突きつけて解雇させるなんて……。陸(コカトリス)海(セイレーン)空(ハーピー種全般)に加えて井戸端情報網(ブラックハーピー)に公式情報網(カラステング)全部揃ってるし、やっぱりハーピー種はこうした意味では恐いわ……。
……いつの間にかケサランパサラン注意報なんて出るようになったのね。誰が情報出してるのかしら……あぁ、カラステングの皆さんか。上空からお疲れ様です。
……連載小説'傾国'……はまだ展開無しか。楼坑国側の展開が気になるわね。
「……ふぅ」
農作業に精を出している間にも、こうして時代は変わっていくものね〜。変わらぬ物のあるべきか……か。
でも変わる中で残しておいた方が良い物がある……なんて自分のそれは所詮エゴの産物だけどね。美味しい物が食べたい。だからあんな脱魔力の装置まで作ってもらって野菜作っているわけだし。
さて、今の時間は……?
「……まだ時間があるわね」
予定通り、温泉にでもつかろうかしら。そう考えた私は、転移方陣に乗って、脱衣所に向かったのだった……。
――――――
「……ふぃー……」
極楽、極楽。温泉饅頭と米酒で一杯、がジパング流の風流な過ごし方らしいけど、流石に食事前だし……ねぇ。
時間的にお客は温泉には入っていない。だからこうしてゆったりと体が伸ばせるわけだけど……ちょっと寂しさを覚えるのよね。尤も、寂しさを覚えないくらい人が来たら来たで問題ではあるんだけど……今は完全に外見に関する術は解いているから、夫婦円満の旅行が離婚の場になりかねない。間違いなく。
まぁその時は私が妻の方に'関われば'いいんだけどね。寝取るのは好きじゃないもの。
「ん〜〜っ!」
久しぶりに伸び伸びと出来る〜っ!レストラン開けという圧力が日々強まってたからねぇ。とりあえず推進派の皆さんにはこの言葉を。落ち着け、まだ薦める時じゃない。だってジャンク含めて食べてみたい物とか色々あるもの。無論ハム化しないよう運動プランもバッチリだし……種族的にそこまで太らないらしいし。
と、ゆるゆる過ごしていたら……従業員入り口らしき場所から可愛らしい声が二つ。あれは……アリスちゃんと……話に聞くニカちゃんかな。
アリスちゃんはとてとてと一気に温泉に近付いて――。
「わーい♪お風呂だー♪」
「あぁ、アリスちゃん、こんな場所からダイブしちゃ駄目だよぉ……!」
直後に響く盛大なる水の音、上に吹き上がる水。私は咄嗟に魔力傘で防ぎつつ、近付いてくるニカちゃんに向けて首を横に振った。それなりの深さはあるので、飛び込んでも大丈夫ではあるんだけど……マナーがなってないわね。まぁ、誰も居ないと思ったからこそのダイブかも知れないけど。
「……ぷは♪……あ!ナーラさぁん♪」
暫くしたら浮かび上がってきたアリスちゃんは、久々に会った嬉しさからバシャバシャと風呂を泳ぎつつ私のところまで来るけど……私はそんな彼女を抱き上げつつ……尻尾で固定しつつ頬をむにっと広げた。
「あら久しぶりぃ♪アリスちゃぁん♪……いきなり温泉に飛び込むのは御法度よぉ?体にも悪いし他のお客さんにも色々と危害を加えることになるのよぉ?その辺り分かってるのかしらぁ?んん?」
むにりむにり。まるでパンの生地に窪みをつけるように指を押し付け、広げるように回していく私。パンの生地のように弾力があってしかも瑞々しい『永遠の幼女肌』を持つアリスちゃんは多少の痛みを訴えるけど、私はそれが嘘だと分かる。だって、彼女の瞳がだんだんと蕩けていくのが分かるし……。
「分かったのなら返事をしなさいね〜?」
完全に蕩ける前に、私は指の動きを止めつつ、アリスちゃんをしっかり見据えた。視線に、思いっ切り「言え」という意志を込めた視線に、アリスちゃんは至って「素直に」従ってくれたわ。
「……は……はい……ごめんな……さ……はひゅう」
……込めすぎたかしら。ぱたりって倒れちゃった。ぐったりと私の肌に倒れかかって来るアリスちゃん。気絶してるだけだ。まだ息はある。良かった。
「……あの〜……」
そんな私を恐る恐るのぞき込んでくる……多分、ニカちゃん。割と肌が健康的な色をしているけど……元からなのかしら。
彼女はアリスちゃんを心配しているらしい。まぁそれはそうよね。さっきまで元気良かったのにいきなりぐったりしちゃったらそれも仕方ないわ……反省。
「あ、あぁごめんなさいね!ちょっとマナー違反を注意するつもりで見つめたら、魔力まで込めちゃったみたいで……てへ♪」
舌を出しつつ純白の尻尾もゆらゆらと揺らしてみる。我ながら情けない格好だ。姉さん達ならもっと魅力的な誤魔化し方が出来るのだろう。あぁ。
「あ……はぁ」
あぁもう呆れちゃってるし……こりゃこのまま出た方が良いかしらね。
「この娘は数分したら起きるから!それじゃおねぇさんは先に――」
「――あのっ」
精一杯の、多分彼女からしたら精一杯の声。それは私の動きを止めるのには十分だった。逃げるようにまだ日が差す露天風呂から出ようとする、私を。
「……何かしらぁ?」
ゆっくりと顔を向ける私。恐らく絡繰人形も斯くもやらの固い動きだっただろう。そんな私を風呂場の部分から見下ろしつつ……彼女はゆっくりと、言葉を紡いだ。
「……お隣、良いですか?」
……肯く以外の選択肢、あるわけないじゃない。
――と言うわけで。
「ニカと言います……おねぇさん、お名前は……?」
「ナーラよ」
どう言うわけか人間の女の子とリリムが同じ湯に浸かりながら歓談なう。絶対姉には見られたくない。特に女性は魔物にする事こそ正義であり理想!を自負する姉には何その体たらくと笑われるだろう。
だって私からしても予想外だもの!魔力抑えているとは言え、外見補整切ってるのよ?魔への抵抗力がない子供ならまず私を見たら惚けるはずじゃない!それがはっきり意識保った状態で私を誘いかけるなんて、まず普通じゃ有り得ないわよ?
「……」
試しに密かに魔力の流れを探ってみると……あぁ、いい感じに体が受け流してるのね……ありえん。二桁になってさして経っていない筈よね、彼女。聞いたのは年齢と出自だけだけど……元からそんな領地だったのかしら?ネグームって。
「……あの」
「……何かしらぁ?」
沈黙に耐えきれなくなったのか、ニカちゃんが私に話しかけてくる。私はそれにやや作り気味の笑顔で返答した。いけないいけない表情似非シリアスになっていたわ。何か和らげないと――。
「……ネグームは、今はどうなっていますか……?」
「……」
許しちゃくれないのね。シリアスから外れるのを。なら仕方ないわ。精一杯付き合うとしますか。
ちゃぽん、と湯は音を立てて波紋を広げていく。その中で私は伸びをして……念のため、確認をした。
「……話すのはいいけど、ニカちゃんはどのくらい、今のネグームについて知っているのかしら?」
ハンスの事だ。進んでは伝えないに違いない。全ては愛故に、傷つけないように、嘘は吐かないにしろ、最低限のことしか伝えていないだろう。
……でもハンスの愛は時折暴走するけどね。番台さんスカウトの経緯は正直「ちょ、おま」だし。正直何してるんだあの雌狐。
そして私の予想は、果たして的中する。
「……今、ネグームには悪霊がいて、色々な人がそれを退治しに向かっている……とだけ聞きました」
事実のみ。けど最低限にして最大の事実だ。正直それ以外に言いようがない。そして……私も、正直これ以上に付け加えるほどの情報はない。目新しい情報と言えばさっき読んだ新聞くらいだけど……。
「……ナーラさん」
「……ん?」
にしても何で私に聞いたのかしら?初対面の相手に聞くような内容でも――。
「……ナーラさんは、魔王の娘さん……なんですよね?」
「……あぁ、成る程ね」
権力者は全ての情報を掌握している……ならば娘がその情報の一欠片でも握っている可能性はあるかもしれない、そう考えたわけだ。
でも……それは幻想なのよねぇ……別に母上が全部握っているわけではないし。姉さんの誰かや妹の誰かだったら知っているかもだけど……いや、それも望み薄か。
私も……あ、確かベンジャミンがちょっと手出ししてたわね。確かあの時は何て言っていたかしら……あ、駄目だ。現状認識の再確認にしかならないわ。
結論。この娘の役に立つ情報は私にはない。
「……残念だけど、貴女が望むような情報は私は持っていないわ。精々、貴女の認識が現在も続いている、っていうだけ……」
新聞にも書いてあったけど、悪霊は弱まらず寧ろ徐々に強まっている気配すらあるみたいで。
ベンジャミン達は霊が取り込まれる前に何とか説得したり取り込んだりしていたらしいけど、埒があかなくなったのと主に教会が出張ったりして割に合わなくなったから止めたって言っていたわね……。流石にわざわざ魔女を危険な目に遭わせるほどの価値はないしね。実際危害がそこまでこちら側に及ぶわけでもないから……まぁ致し方ない話か。
でも、この少女にとっては話は別だ。何せその場所は、今は跡形も無き、故郷なのだから。
「そう、ですか……」
心の底から、残念そうな顔をするニカちゃん。彼女も分かってはいるのだろう。この事に関する吉報は望めないと。たとえ相手が魔王の娘だったとしても、そうそう自分の都合のいい返答が来るわけではない、と。
しばらくの沈黙。私は正直、やや心苦しくは思っていた。この少女の願いに何も出来なかったこと。一瞬頼られただけだとしても、応えられないのは中々歯がゆいものがある。
魔王の娘リリムっていっても、万能じゃないんだな、これが。割と誤解されやすいんだけどね。でも万能を演じなきゃいけなかったりするから時折辛い。何幻想抱いてるのかしらって言いたくもなるわ。
……まぁそれは兎も角として。それでも力になれないのはちょっと悔しかったりする。さて、ならば何をするべきか。別に私が直に調べたりも、やろうと思えば出来るんだけど……。
「役に立てずにごめんなさいね……。何か新しい情報があったら、オーナーや番台さんに伝えるわね」
結局、此処はそう言い残して去ることにした。今の私じゃどうすることも出来ないわ。協力できるのは、もう少し先、ね。
「……はい。どうも有り難う御座います」
……にしても、結局ちっともクラッと来なかったし、魔に染まらなかったわね、ニカちゃん。何かされているのかしら……当たり前か。
――――――
たまたま部屋の整頓をしていた番台さんに言伝の紙を渡し、私は浴衣姿で再びベッドに倒れ込む。ふかふかふあふあきもちいー。あ゛〜かたくるしさからかいほうされる〜。
「っと時間は……」
いい具合だ。そろそろ夕餉の時間だろう。因みに私は食堂……と言うより演芸場に入ることは出来なかったりする。入る必要もないのだけど……入ったらまず間違いなく騒動は起こるし。外見認識変えていても漏れる物は漏れちゃうもの♪
「……さて、そろそろかしらぁ……?」
この部屋にも飾ってある、'クラフトマン=ジョン'の飾り時計……のレプリカ。それが正確に時を刻んで、私達に待望の時を伝えてくれる。
5.4.3.2.1...
『――皆さん、夕餉の準備が調いましたので、'趣味人'様方は第三小宴会場へ、アレクセイ様御一行は第五小宴会場へ、一般のお客様方は大宴会場へ、それぞれ移動の方、宜しくお願いします』
……魔力を振動に換えて音を伝えるシステム……あの風変わりなサキュバスのお手製の奴ね。中々便利じゃない。そして、V.I.P.ルームには特別サービス……そう瞳を閉じたとき、部屋にノックの音が一回。
『ナーラ=シュティム様、夕食を持って参りました』
「どうぞ〜」
当然、鍵は掛けていないので、すぐさま私の部屋のドアは開けられる事になる。そうして食事を持って運んできたのは――宿の料理長にして'マイコ'はん、アマテ=オヂヤさん。私とは違った青みがかった白の髪に、全体的に青みがかった透き通るような肌、着物には雪と針葉樹の装飾があしらわれ、足にはスリッパの代わりに雪駄を履いている……雪女だ。
「お待たせいたしました。ハンス様から話は伺っとります。今晩はごゆるりとお食事をお楽しみ下さい」
言うが早いか、手にした氷の器をテーブルクロスの敷かれたミニテーブルの上に置く。その上に置かれた物は、筍のお浸し。この宿の名物料理だ。櫛を思わせる形に切られた筍は、他の店のそれよりもやや太めだ。出汁に絡みやすくするよう細く切る店が多い中で何故太くしたか、それは料理長曰く、筍の持つ食感を噛みしめて欲しいからだという。噛むことは美容にも良いしね。
では、早速……箸を手に、私は両手を合わせた。
「……いただきます」
ジパング式の、食前の儀式……みたいなものだけど、私はこれが気に入っている。自らの命を繋ぐ糧自身に対する感謝。主神を拝する教壇が主流のこちらでは理解されにくい物だけれどね。
そのまま箸を広げ、筍を摘む私。出汁の味がしっかりと染み込んでいるはずの筍は、意外なことにしっかりとした質量と感触を私に伝えてきた。……もしかして茹でられてないんじゃ?
恐る恐る、口に運ぶ。全てを一気に口に入れるのではなく、肉厚な部分を、歯で――噛み切る。
「……ん……」
筍の持つ弾力を失うことなく、なおかつ中にある筋を感じさせない、程良い感触。そして、噛み切った側から、筍からは出汁が溢れ出す。
まず舌に伝わってきたのは、筍の中に染み入った出汁。雪女特有の冷気を用いて凝縮されたそれが、程良く口の熱で溶かされ、溢れ出していく……。
この味は……時折宮廷料理の隠し味にも使われるソイソースに、昆布に、鰹節か。それが主張しすぎて筍の味を損なう……なんてことなく、立派に味のドレスアップしている。
シンプル故に、奥深い。初めて食べたときの衝撃は、本当に凄かった。何せ、薄味かと思ったそこに小宇宙(コスモ)が広がっていたもの。驚かないはずがないわ。
しかも……あの時よりも格段に料理が洗練されている。筍等の材料の質もそうだけれど、そもそも料理自体に……無駄がない。一切着飾らず、内側から溢れる旨味を殺さず全て調和させている……。
箸を止めることはない。止めたら失礼だ。こんなにも美味しい、至高のジパングの前菜なのに。
味が濃いのに慣れた人も是非これを一口味わって欲しい……そんな願いを込めつつ、私は箸を箸置きに置いた。皿の上には、筍からこぼれ落ちた出汁だけ……。
「……ふう」
いつの間にか、料理長は部屋の外に出ていたらしい。つい恍惚としてしまったか。でも本当に美味しいのよね、これ。
さて、次は何かしら……?
「お待たせしました。本日は新鮮な鱧が入りましたので、鱧のお吸い物及び鱧肉をお持ちいたしました」
「……鱧?」
何だろう。あまり聞かない名前の魚だ。どういう物かと眺めてみれば……鱧のお吸い物は、透き通る出し汁の中に鱧肉らしき物が一つ沈んでいる。その上には香菜が一つ。多分この形から三つ葉だろう。
で……こちらが鱧肉か。適度に茹で上がったその身は白い肉を瑞々しく隆起させていて美しい……けど何かパサパサしてそうにも感じるのよねぇ。
「鱧肉の方は、梅肉に付けて御賞味下さいな」
と、料理長が出したものは……酸味の強さから病みつきになるか苦手になるかの二択を迫る植物:梅を漬け込んだ……梅干し、その梅肉を食べやすいように加工した物だった。
料理を置くと、次はメインディッシュと一言添え、料理長は部屋を出ていった。いつの間にかお櫃とお椀が置かれていたりするが、そのサイズは一人用だけに小さい。多分次のメインディッシュに備えてのものでしょうけど……。
「……」
鱧肉、一体どの様なものだろうか、口にしてみよう……。
箸で梅肉を摘み、ちょん、と鱧肉の上に乗せる。箸で運ぶときにポロッと落ちないように軽く鱧肉に押し付けつつ、箸で口に運んで……梅肉が付いた部分を口に入れた。
「……」
……うまい。
細かい骨がいっぱいある魚なのだろうか。その身を解し、骨を砕きつつも程良く取り除いているのが、その舌触りからも分かる。
多分、鱧本体だけだと薄味の味気ない魚になるのだろうが、梅によって引き立てられている。
鱧特有の身に詰まった甘みに、濡れているのにどこかぱっさりした身の感触。それが梅に包まれることによって甘みが強まり、旨味が上昇している。
気付いたらもう一欠片、摘んでいた。梅肉を塗りつけ、もう一口。酸味と梅干しの中に含まれる塩分が、鱧の身に含まれた旨味を引き出し、舌先に淡いながらも広げていく……。
広い、広い味わいに私は頬を綻ばせていた。まず間違いない。これは高級な魚だ。身の感触的に小骨を取るのに手間と実力がいるのはまず間違いない。
美味い。ゆっくりでも、箸が進んでいく。湯気立つ御飯を口に入れつつもう一つ。箸が止まらない。
梅肉がこんなに美味しく感じるのなんて、そうそう無いんじゃないかしら。それほどまでに……鱧と梅の織りなすハルモニアは見事な物があったのだ。
気付けば……完食。
「……料理長」
「何でしょう?」
これは聞いておかなければならない。この魚、いったい何処にあるのやら。
「……この魚、何処で仕入れたの?」
それを聞くと、アマテさんの顔が、にっこりと見事な笑みを描いた。まるで、待ってましたと言わんばかりの表情だ。
「こちらの鱧は、ジパングのヤワタハマ港にて水揚げされた物を、オーナーと共に競り落としてきた物で御座います」
時空移動を使ってジパングまで行ったのか。魚を競り落とすためだけに……そう考えると、ハンスのバイタリティの凄さに驚くと共に感謝したくなる。したら犯されそうだけどやむなし。
料理長の話は続く。
「ジパングにある私の地元である京では、祇園祭で振るわれる高級料理となっております。今回は『とびきり珍しい物を』とのご所望が有りましたことから、私の居た国の文化を知っていただきたいと、ご用意させていただきました」
「成る程ね……」
これは良いことを聞いた。つまりキョウのギオンマツリという物に参加すれば、この鱧が振る舞われる店がどこかしらに有ると言うこと。……高級魚なのは間違いないから、準備は必要ね。
「……美味しかったわ、ありがとうね」
私の言葉に笑顔を浮かべた料理長は、再び皿を下げ、次の料理を取りに行った。
私はその背中を見送りつつ、御飯をお椀によそい、一口。
……これだけで十分美味しい。パスタで言うアルデンテ。程良い堅さと、そこから溢れ出す旨味がいい。殻に閉じ込められていた甘味が、咀嚼によって口の中に溢れ出しているかのよう……。
食べ過ぎは次の食事の旨味を減らすのでこれくらいにしておくとして……。
「お待たせいたしました。野菜の天麩羅で御座います」
「これこれ、これが食べたかったのよ〜♪」
名品としてマイ評価五つ星を記録する料理、野菜の天麩羅。『衣を付けて野菜を揚げる』っていうまず大陸ではお目にかかれない料理法である以上に、その衣自体もパン粉じゃなくて小麦粉を使っていたり、そもそも材料自体に別の粉がまぶしてあったりと、色々と手間が掛かっている代物だ。
鰹を使った出汁を使って食べるのも美味しいけれど、今回出されたものは……塩。どうやら素材の味を存分に楽しんで貰いたいらしい。
「……いただきます」
早速……薇の天麩羅を箸で摘み……塩をほんの少し付け、そのまま口へと運ぶ。そして、衣ごと噛み切るように、歯を下ろした。
――シャクッ……
「――」
……薇特有の苦みが、小麦粉や卵の持つ甘みによって和らげられ、その中に秘められた旨味を、塩が丁寧かつ力強く、掘り起こしていく……。
天麩羅の立てるサクサクとした音も気持ちいい物がある。あぁ、私、料理を味わっているんだなぁ、大切に頂いているんだなぁと感じられ、一連のメニューのメインを飾る料理に相応しい音、それが天麩羅が立てる音。
続いて、先程も出た筍の天麩羅。筍は水を多分に含んでいるから、衣を付けて揚げること自体が難しいわけだけど……美味しい。
案外、味のポイントは塩にあるかもしれない。適度な塩が、衣の中どころか筍の中に封じられた旨味の混ざる水分が濃縮され、舌先に広げていくのだろう。筍の持つ弾力を損なうことなく、それでいて芯を除くという離れ業に加え、出汁自体の旨味もある……。
他にもキャロットやピーマンやナス、変わり種にはベニショウガなんて物もあったりして、単調な味にならず、食べていて飽きない。
そして……これは特に私が薦められたものでもある野菜が、これ。
「――レンコン」
蓮根の天麩羅である。聞けばデルフィニウムでもこの天麩羅は人気らしい。他の野菜とは違う(筍が近いかしら)、硬さと程良い脆さを両立させ、口に含んだときに浮かぶ純粋な甘みと溶ける繊維の感触……それが舌先から体の隅々まで広がって……。
「――有り難う。この宿に来た甲斐があったわ」
「――おおきになぁ♪」
この言葉が本来の料理長の地なのだろう。自然に響くその言葉に、私は微笑みを返した。
――――――
「……中々独特な味よねぇ」
漬け物。浅漬けから粕漬け、南蛮漬けに山葵漬け……昔は保存食として使われていたそれも、保存技術の発達と共に味の拡大が行われていった……。
まぁ、ジパングで挑戦したナットウの事を考えると、漬け物は発展しすぎている気がする。昔私より遙かに年を召している猫叉のお婆さんに貰った沢庵は、塩味が尋常じゃなくキツかった記憶がある。噛めば噛むほど味がある……あたりめみたいね。これ言ったら多分スキュラが恐怖の眼差しで私を見つめるんでしょうけど。
「……あ」
いつの間にかお櫃のご飯が無に……恐るべし、漬け物。
それを見届けつつ、笑顔で皿を下げて緑茶を置く料理長さん。流石気が利くというか。
「……はぁ」
それを啜りつつ……溜め息と共に、私は終わりの言葉を口にするのだった。
「……ごちそうさまでした」
――――――
食後、歪みない体を維持するためにエクササイズ。流石にだらしねぇな……は避けたい。
「いつの間に室内プールなんて作ったのかしら」
何なんだこの宿。多分海の魔物とかから要請が来たのだろう。しかしながらそれを実現する技術……何なんだ噂に名高い趣味人(しゅみんちゅ)。
ターンしつつ再び伸び。コース数は少ないとはいえ、運動する分には困らない。むしろその目的で来るのは少ないか。何しろ……セックス用プールがあるし。寧ろその方が大きいし。
「……んっ」
数えるのを忘れるくらいターンしたところで、私は泳ぐのを止め、プールから上がることにした。当然……耳栓したままだ。もししていなかったら、耳に水だけじゃなく、喘ぎ声や別の水音まで入っていただろうから。
――――――
私は改めて地図を見つめ直す。今度はどの町に行こうか、口コミやら何やらを集めつつ、実際はどんな味なのかを確かめに行くのだ。
そして気に入ったら……レシピを作ってみようかしら。私だけの、誰にもあかす気のない、秘密のレシピ……。
……と言うより、孤独のレシピかしら♪
「さぁて、明日は何処に行こうかしらね……」
ベッドにあられもない姿で寝転がりつつ、私は店舗リストを眺めるのだった……。
fin.
13/04/10 22:37更新 / 初ヶ瀬マキナ
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