連載小説
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『菓子屋” galette des Rois”にてチョコアソートを食す』
『――改めて。凄いじゃない!最年少での正規料理人昇格、おめでとう!』
『ありがとうございます!まさかこうしてナーラさんに祝っていただけるなんて……!』
『そんなアルスに……はい、これプレゼント。大事に身に着けてね♪』
『これは……銀のネックレス……しかも宝石付き……!い、いいい、いいんですか!?こんな……こんな貴重なものを』
『あら、中々目が利くのね♪でもいいのよ。料理の邪魔にならないし、……他の子に取られたら嫌だしね』
『え?何か言いました?』
『ううん、何も』

これが、十数年前のデートでの会話だ。
思えばあの時も、彼女は自分の種族が何かなんて言っていなかった。
唯一彼女が明かした情報としては”サキュバス種”程度のものだった。
僕自身も特に気にしてはいなかった。
知って何になるのだとも思っていたことも事実だ。
この日の贈り物に関しては、何処で入手したのか、どれだけの値が付くのか、それを贈り物に出来る貴女は……聞くのは余りに野暮なので心の内に留めただけだった。

知った、今だから言える。
“伝えて欲しかった”。

そして、付き合ってきたからこそ、その思いに対して首を横に振って、こう言える。

“ナーラさんは、いや、ロメリアさんは――”。

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「――ん……んゃふ……!」

数日前に大々的に行われた節分内の一行事、形とりどりのお豆を視界に入るようにおおっぴろげにする豆まきに、恵方巻ならぬんほぉ巻という興奮冷めやらぬ二本立てが毎年同日行われる2月の序盤戦、皆様いかがお過ごしでしょうか、ナーラです。よろしくおねがいします。
大変でしたね。それぞれが思い思いの豆まきとんほぉ巻をおおっぴろげに大通りでやる物ですから規律風姫のお姉様が部下引き連れて青姦区画整理に乗り出したのもいい思い出です。はい。私も借り出されました。酔っ払ったエキドナ一家とジパングで有名なHOKUSAIになだれ込んでしまいどえらいことになりました。性欲発散できましたしこれも全てはいい思い出ですがエキドナ一家、特に家長であるエキドナ、ラミア族なのに冬場によーやるなとは感じました。性愛って凄いですね。魔王様万歳。お母様万歳。

「――ぁ……ぁあくぁ……ぁふっ!!」

その後で実際の恵方巻きもジパング仕込みで作りました。オーガの腕サイズの大漁巻きとか魔女の腕サイズの海鮮巻きが売れるのは兎も角、アボガドサーモン巻きとか棒カツ巻きとか色物の方が人気なのは何か納得いきません。あれですかイベント限定の類ですか。王道置き去りにしてそれでいいんですか。とはいえ、「イワシのアンチョビポテト巻き」なる料理を恵方巻きに関連付けて売り出した洋食店“トラットリアデルーン”には負けますけれど。あ、美味しかったです。焼きイワシの香ばしさにアンチョビの塩味の刺激、ポテトのサクサク感はまさに新味発見、という喜びを久々に味わった気がします。

さて、ただいまどうしてこのような過剰に薄っぺらい丁寧語になっているかと申しますと。

「――はひゅぅ!ふぁ、ぁああ、あひぁああああ!!!」

えぇ何の因果か応報か高濃度媚薬スライム水責めの刑に遭っているので思考上は丁寧に冷静に保たないとあひぃでふわぁなモノローグしか流せなくなるからです!これ力みなんです!精神の力みなんです!そうでもしないと肌から過剰に浸透する濃密魔力成分由来の快感で到底自我なんて保てなくて、隣で私と同様にハートの女王様の機嫌を損ねたと思しきサフィが同じように魔力の火焙りの刑を受けていて、受け慣れているのか私よりも理性保っている感じがしますが、奥歯噛んで耐えて、あ、火力が増してえええええ!?

「反省が足らないみたいね?えいっ♪」

いやっやめてっそこ違う穴私あまり開発してないほうの奴でというかしたくない方のあひゃああああああああああぁぁぁぁぁん♪♪♪

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「……酷い目に遭ったわ……」
「全く……」

時計を確認するに数時間後。いまだ媚薬の効果が残る私達季節限定不思議の国ショコラティエール部隊長二人(本来は三人の予定だったのだけど一人欠員。どうやら急遽不死の国でのイベントに駆り出される羽目になったらしい。仕方ないわね)は、未だ媚薬効果の抜けきらない火照る体を持て余しつつ私の部屋のベッドにてぐったりしていた。成人スキュラの足にある吸盤の数を余裕で超えているであろう絶頂回数なぞ到底数えることなど出来るはずも無い。悪戯心に全力投球している魔力をほんの少し罰に向けるだけで、私のような貧弱一般リリムは快楽に意識を飛ばすもの。
今回、ハートの女王様が罰を与えた理由、それは私達の作成したチョコが気に食わなかったかららしい。……とはいえ私の場合、罰を受ける原因ははっきりしている。「オークのチョコレートは幸運の象徴なんですよ!」と力説されたのでこれ幸いネタ頂戴と作った1KGサイズのオークチョコレートがリアル過ぎて気に食わなかった、ただそれだけのこと。体型的にむちむちポークとは無縁な女王様だからこその逆鱗にぺとぺと触れてしまった形。まぁ流石にうっふんプリプリのポーズをとらせたのは悪ふざけが過ぎたか。喧嘩大バーゲンセールにも程があったわね。
一方のサフィは……?少なくとも見た目は私より相当まともだったし、味に関してもそんな下手なものは出さないはずなんだけど……?
「……古来、高原の民が食していた……ホットチリ入りのチョコ……想定以上にお子様舌……」
その呟きに私は納得した。嘗て人間達の争いの中で滅んだという、高原民族の伝統飲料を基にしたのか。因みにその地帯は現在グリフォン夫妻らの集落と化しているらしいけどそれはさておき。あー、あれ美味しいけどちょっとピリッと来るのよねー後のほうで。チリだし。私としては以前販売店で食べたことあったけどそれはそれでアリ、という感想だったけれど、流石に味覚が子供のハートの女王様にはあの辛さは辛かったか。関係ないけど辛さが辛い(からさがつらい)って、ジパング語だとこんがらがる典型の文章よね。私も何回確認したことか。
「……私のは兎も角、サフィのは格式と伝統のある代物じゃない。店で出しても問題ないレベルよ」
「賞賛……感謝。……畢竟、味の評価は誰の口に入るかによって決まるものだから……悲しいけどね」
「違いないわね。……私はその前段階で門前払い食らわすような真似をしちゃったわけなんだけど」
私の言葉に、サフィは苦笑いを返すだけだった。仕方ないわね。ジョークは相手にとって笑えなきゃジョークじゃないわ。

「……ん……ぁ……」
何時間か後、ようやく地面に足を下ろしてもピリッと子宮が潤むだけですむようになった段階で、私達二人はベッドから立ち上がることが出来るようになった。歩いても大丈夫なんだろうけど、何だろう。一歩ごとにへたり込みそうで怖い。足を痛めた人が一歩ごとに痛みを警戒するような、恐る恐るといった風情の動きの二人を見たら、周りは何と思うだろう。老婆二人?イカすわよ♪全力であひんあひん言わすわよ。包帯取ったマミーもびっくりの跳ね方させるわよ♪
「さて、そろそろ侘びチョコ作り開始できるかしら??」
サフィの返事は、腕に刻まれた紋章を見せ付けられながら行われた。あら私のそれよりいいセンス。女王様私には相当おこだったみたいね。
「……はやいとこ、始めたい……」
『妾の満足するチョコを作って参れ』そう不思議の国の特殊言語(考案者ハートの女王様。“言語自体の”気まぐれでコロコロ変わるので来訪者はまず言語固定の実を食べることをお勧めするわ)で描かれた、手首を覆う金の模様。傍から見ればエキゾチックなアクセサリでもつけているように見えるかもしれないが、その実単なる時限爆弾のようなものだ。条件を満たさなければ消えず、条件を満たそうとしなければ描かれた部分が触れられただけで気をやるくらいの性感帯と化す。一定時間ごとに面積が広がり、最終的には全身を覆いつくしその全てが絶頂スイッチになる……。解除するには女王様の出す解除条件を満たさなければならない。

とはいえ、内心は二人共一緒だ。

「――一風変わったもの、というお題は、それを受ける人の嗜好に沿った範囲でやろう」

足取りがおぼつかない中、私達はなんとか厨房へと向かうのだった……。

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冬来りなば、春遠からじ。
オヂヤさんより教わったジパングの言葉だけど、今の気候からして中々そうとは信じきれないのが現実のところ。辺りは魔術コーティングされたワーシープウールのコートや、剃毛プレイによって集められたらしいワーラビットないしマーチヘアのコート、さらには妻製のものとおぼしきアラクネコートを身に着けた人や魔物たちで溢れている。これが数日経てば幾分か薄着になっていくんだろうけれど、身を刺す風は相変わらず氷の女王の吐息の如く冷たい。人恋しくなるというのも頷けるもの。うん、春が来たらアルスをデートに誘おうそうしよう。総料理長だからそうそうオフが取れないのは仕方ないとして、今の時期すら客が多いってどんだけー。
「ケバブー、ケバブドゾー」
香辛料と脂の香りが漂うケバブの屋台には、スライムの如く伸びるアイスもセットで売られている。この季節に買う人がいるの?と疑問なところだけど、意外や意外、案外売れ行きは好調とのこと。あれか、暖のきいた屋内で摘むのか。それもまた贅。
「はいいらっしゃい!作りたての焼き小籠包だよー!」
わ、すっごい列。ちょっと前にナドキエ出版が魔界放送に情報提供してたわねそういえばこの店って。鏡餅体系で女装趣味の旦那を持つデビル夫妻から好評だったのも乗ったか。本当に美味しそうに食べるものねー、あの夫妻。……って。
「あずき、生クリーム、から揚げ……ですって……?」
何その珍味。寧ろそれが名物のから揚げ屋って何よ。合わせようと思ったことは無いわよ私だって。いけないわね、先入観入りすぎていたかしら。もしかしたら食べたら美味しいかもしれないし……。
「……また今度にしよう」
ああいうのを頼むときは気分がそういう物になっている時じゃないと危険だわ。怖いもの見たさを許容できる精神であることが必要になるわけでね。
他にも霧の大陸近くの島から伝わってきた鳥のから揚げとか、霧の大陸の戦火から逃れて、幾分か治安が安定している(シプール姉様の業績の一つね)大陸近くの魔界島に住んでいる元教団員が現地の文化紹介として売り出している、唐辛子と乳酸菌で作られる発酵食品(キムチ、と言うらしい)やから揚げ、西からやってきた刑部狸がチェーン店を開いている揚げ物屋……何かから揚げ割合多くないかしら。あちこちで食べ歩きされているのを見るけどそんなにから揚げって需要有るの?
「……あるわね」
なんていったってから揚げだし。店同士で切磋琢磨してもおかしくないわ。ほぼ全てが銀貨一枚(ワンコイン)でお手軽だしね。
何件か買いそうになる心を何とか抑えて、私は魔界の下町的アーケード街を一人歩いていった。回りには幸せそうなカップルが沢山、マモノナルドのMサイズカップぐらいのプラスチックカップに所狭しと入っているから揚げを食べあったり、霧の大陸伝来の異様にカラフルな綿飴の前で映写スフィアを使って撮影していたりする。正直羨ましい。アルスに突撃しようかしら……やめておきましょう今は業務の邪魔よ。予定は定まっているわ。少なくとも“緊急の出勤”なんて事態は今まで無かったことよ。
それに……。

「“本当に、本当に君と一緒に行きたかったんだけど、もう暫く、最低でも一ヶ月は現場からは離れられない。
だからせめて、受け取って欲しいんだ。
僕の敬愛する、ショコラティエ師匠の最新作品と、本当は手渡ししたかった、僕の手製のチョコを”」

「……こう、丁寧に引換券を渡されちゃったらねぇ」
しかもホテルの招待状に使うような高級紙に、直筆のサイン付きで渡されちゃあねぇ……紛う事なきVIP待遇。これは期待せざるを得ないわ。
というわけで。

「“ヴァレンタインショコラティエフェア”に行きますか!」

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『そういえば、アルスはどうして料理人を目指すようになったの?』
『きっかけですか?……そうですね。炊き出しですね』
『あー炊き出しね……炊き出し?』
『そうです。四歳くらいの頃に、住んでいた場所が地震の影響で壊滅して、父・母と共に何とか命からがら逃げ出してきまして』
『ちょっと待って唐突に重い』
『避難キャンプにて周辺領から人材が集められて炊き出しが行われたのですけど、その中にかの有名な“ケイシー=マクレーン”氏がいらっしゃって下さいまして』
『しっ!?』
『し?』
『え、あ、い、いや、何でもないわ。続けて』
『?はい。
逃げて、体も心も疲れて、ようやく口にすることが出来たお椀一杯の粥。各種スパイスや薬草、塩胡椒、その他様々な野菜を溶かし込んだそれは、体の底から活力を取り戻してくれるかのようで……気付けば美味しさと感動で涙を流していました。
それで、そのお粥を作って下さった料理人の方々にご馳走様と一緒にお礼を告げたら、ケイシー=マクレーン氏が私に、笑顔で伝えてくれたんです』

『「坊主。まず覚えとけ。人は食わねば死ぬ。体も、心もな。
生きるためには、生かすためには食うことが大切だ。
故に料理人は、人を生かすことを最大の悦びとする。

その笑顔と感謝の言葉が、今の俺への最大の報酬だ。ありがとよ。
そして、願うなら――平和な場所で、今度は坊主が笑顔を与えられるようになりな」と』

『……ほへー……』
『これが、僕が料理人を目指したそもそものきっかけです。他にも色々と、笑顔が与えられる職はあったかもしれませんが、やはり氏の言葉が大きいですね』
『……それで、今はその目標を達成した、ってわけ?』
『いえ、道半ばです。そもそも目標には終わりは無いですし。
ただ、ホテルの料理人の一人となった、今の自分が自ら達成したい最大の目標、というものはあります』
『へえ。聞かせてもらってもいいかしら?』
『ええ。それはですね――』

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――バレンタインデーとは、女の戦場。
静かに、しかし確かな熱を持った青い炎の如く燃え滾る心で、愛しき人への愛をあらゆる手段を持って伝達することに命を賭ける日。その手段にお金も勿論入り、女性達は自らの好意と軍資金を天秤にかけ、思いを伝えるのに相応しき代物を得るために心をすり減らす。特にチョコ専門店が集う催しが行われようものなら、そこは早い者勝ちの紛う事なき真剣勝負。
私ももちろんそれは理解しているし、だからこそ魔界にある百貨店の一つで行われているゴブラ商会meetsエロス神主催の“ヴァレンタインショコラティエフェア”が魔物でごった返すことも想定はしていたわ。ええ、想定していた。

ただその想定に哀しい問題があってね。

「キャー!キャー!チョコの貴公子“リオニズ”家の御曹司よー!!」
「“幸運のオークチョコレート”!一キログラム!本日残り一個となりましたー!!」
「よし!一室押さえたぞ!早速行こうシようそうしよう!」
「おねーさん!これとこれとこれ!セットで!プレゼント包みの名前に――」
「いたぞおおおおおお独り身の男だあああああああああ!!!!」
「ヴァアアアアジンゲットオオオオオオオオ!!!!!!!!!!!!!!!」
「「やめ、せめて、買わせ、買わせてぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!」」
「ちょっと!ちょっとどいて!私はあの店に行きたいの!」
「貴方こそどきなさいよ私はあっtきゃああああああ!!!!」
「こことこことここはチェックした。よし、次はあそこだ」
「わふ、は、鼻がぁ……♪」

「……うわぁ」
動員数を桁一つぐらい低めに見積もっていたことよ。魔物達と時折見える男達の濁流が見えるわ……というかよく一人身の男性二名程ここまで来れたわね……買わせてやりなさいよ……。
ええい!マーチヘアが揉まれながら被虐的な快楽妄想を甲高い声で叫びそうなくらいに多いわ!二ヶ月前のクリスマス商戦よりはるかに多いわよ!比較対象としてアンクネが集う年末の祭典と密度的には良い勝負よ!?筋肉と脂肪と柔肌がグレムリン製の回転式洗濯機も斯くもやらというペースでもつれ合いこすれあい、汗と香水と何故か混ざる淫香とそれらを吸収してなお強く自己主張するチョコレートの香りがむせ返りそうなほどあたりに漂っているのよ!……そもそも魔界にあるから来れるはずもないけど、間違いなく一般人間女性が足を運べる空間じゃないわねこれ。来たら一発で魔物娘に当選確定じゃない。
とりあえずパンフレットを確保し……太い!小指の1/3くらいの太さの小冊子ってどんだけよ!しかも色付き各店舗紹介商品紹介フルカラー……ゴブラ商会傘下のグレムリンによる印刷会社がフル稼働したわね。これがロハって、他では確実に金取れるレベルよこれ。どれだけこのイベントで利益見込んでるのよ……いや、この人だかりを見るに確実に回収できるレベルなんでしょうけど。愛と食は積み上げたもの勝ちね。
「……えーと?んー……」
とりあえずお目当ての店の位置は……って、本当に多いわね。ちょっと場所を移さないと、落ち着いて見られやしないわ。と、階段の方に移動すると、私と同じ考えだったのか皆さん同じようにパンフレットと略式地図を手に壁にもたれかかったり用意された席に座り込んだり。
中にはバレンタイン会場の熱気に中てられたのか着ていただろう服を半脱ぎ状態で「はふぅ……」と用意された椅子の上でだらけているサキュバスも見られていて……もしやと思ったけど、あー、ここから先防音結界張ってあるわね。あと時空拡張魔法とカムフラージュ結界と結界破り対策の発情トラップ。百貨店店員さん表面的な理性的空間の作成ご苦労様です。
この先にナニがあるか察した私は、入口とおぼしき場所から距離をとりつつ、再び小冊子パンフレットを開いた。相変わらずバレンタイン商戦真っ只中の戦場では姦しい声が聞こえてくる。女三人で姦しいならば、この人数はどれだけのデシベルを記録されるやら。そして中に入った一人身インキュバス男性が独身アマゾネスに連れ去られる様子が見られたけど敢えて見なかったことにしましょう。さて……ん?
「……って、あれ?」
この魔力の感じ、デルエラ姉様のそれの残滓……?と思って視線を上げると、見覚えのある、氷と水を丹念に編み上げたような髪の色の魔界勇者と、彼女に連れてこられたのであろうその伴侶の姿。各地を旅行しているのは知っていたし、風の噂でこのバレンタインフェアも気になっているとは聞いてはいたけど、まさかVIP待遇使わずに一般サイドで来るなんて思いもしなかったわ。
魔界勇者としての足運びスキルをフルに使って人混みを綺麗に掻き分けていくその姿はまさしく猛者というかスペックの無駄遣い感強いけど、それ言ったら私にブーメラン流星群が刺さるわね。ケイシー=マクレーン流で習った動きを使ってるし。厨房は戦場よ。同士との無駄な接触は避けなければならないわ。さてと。
「ブモオオオオオオオオオオオオオオ……zzz」
ってあぶな!?ミノタウロス族特有の赤色暴走が備え付けの魔法陣によって一瞬で鎮圧された!?どんだけ設備整えてるのよ百貨店。凄いわ敬意を表するわ。現場監督及び警備関係者、相当ハラハラしてたでしょうね……。
しっかし、本当に魔物が多いわ……進むのにも一苦労だし冬なのに妙にこの辺り汗ばむしチョコと香水とフレーバーと魔物娘の体臭とかフェロモンとかその手の嗅覚刺激がガンダルヴァが食あたり起こしそうな程にむんむんむれむれしてるし。一応空気転換術式はかけているのでしょうけど正直キャパオーバーよね。こればかりは建物建設時の想定だから仕方ないか。改築の時には改善されることでしょう。そして私はお目当ての物を手に入れたらとっとと退散しようそうしよう。
などと考えつつ……なんとか群れを突破して、本当に何とか濁流をすり抜けて突破して。荒神として祀られている竜神の儀式とかで滝を逆行する白蛇やマーメイドはこんな気持ちなのだろうかなんて感傷を抱きながらようやく眼にした看板に、私は安堵のため息を漏らしたのだった。

” galette des Rois”。
アーモンドクリーム、或いはそれが苦手な人のためにアップルパイ宜しく林檎が中にぎっしり詰まったパイなんだけど、一箇所に陶器で出来たおもちゃが入っているのが特徴で、教国でも年の初めとかに食べられている、そんなお菓子ね。切り分けて、おもちゃが入ったパイを手に入れた子に関して、地方によって風習は違うみたいだけれど、私の知っている限りだと、
「その一日は主役になれる」
みたいな感じだったかしら。一回限りの王様ゲーム、但し願いは夢の続く限り。何とも夢のある話じゃない。
そんな、お祝いのパイの名前を店名にしたこの店は、「おもちゃを手にした子供のような驚きとわくわく感を大人になっても味わって欲しい」という先代……いや、先先代のパティシエ“ムッシュ=オクシェッド=カウフォード”によって提唱された店訓をそのまま実現したようなお菓子が特徴で、“様々なフレーバーを同じ色のチョコレートで包んで、しかし全部違うチョコ”だったり、“食べ方や食べる場所によって味が変わるピールチョコ”とか意表をつく方面のショコラが有名ね。
当然それだけで終わるのではなくて、異文化との融合も「ワクワクを思い出してもらう」ために様々なお菓子で実験したりしているわ。定期的に出る新商品のうち、一番数が少ないものがそれよ。『今月のびっくりドッキリカラメリア』って枠の中に入っているわね。
マドレーヌ、クッキー、フィナンシェ、シガール、ゴーフル……様々な種類の洋菓子が、異なる装いで登場したりするものだから、合う合わないは兎も角新メニューが出てくるだけで話題に昇る名店だったりする。
そんな店で私を待ち構えていたのは。

「――お待ちしていたわ♪センセ」

「あら、ティーさんのお店だったのね」
お久しぶりね、と手をひらひらさせる、どこか妖艶な華を思わせる雰囲気を持つ男性……男性よ、男性で、数年ぶりに会う私の顔見知りだった。
” galette des Rois”所属のショコラティエール……ではなく、ショコラティエの一人、“ティレニア=ラングドシャ”さん。無論本名じゃなくて源氏名よ。本名は私も知らない。180cm〜190cmはある長身痩躯銀髪の美丈夫……但し、心は乙女のね。でもアルプではないの、インキュバスなの。しかも妻帯者。薬指にはキラリ輝く魔界銀のエンゲージリング。流石にお菓子製作中は手袋しているらしいわ。
以前親魔物領〜中立領のパティシエを対象とした、魔界作物の取扱いについて講習するのに呼ばれたことがあって、講義後に特に熱心に質問してきたのが彼、うん、源氏名は変わらないけど当時は間違いなく彼だった。親の言いつけか何かで男物スーツに上下をぴっしりと包み、言葉もカチカチの男言葉で話そうとしていた程度には枷をかけられていたわね。懐かしいわ。
その後、何回か質問箱よろしく手紙を交わして、時折お呼ばれして品評会に出すお菓子の味見をしたこともあったわね……何年前だったかしら。今思えば私と会うときに趣味全開の黒ゴシックで出迎えてくれたりしたのは反動かしらね。それにしても”galette des Rois”に勤めているとは知らなかったわ。それとも自分から門を叩いたのかしら。
しかしながら……改めて思うわ。かなり雰囲気変わったわね。昔は男でいなくちゃいけない!でも本心は女なの!と張り詰めていた部分もあったのだけど、いい感じに肩の力が抜けた感じね。それでいて張り詰めていた時よりもずっと男らしい。
そのことについて訊いてみたら、やっぱり紆余曲折あったらしくて。そうよね。心と体の不一致って色々磨耗するって私も聞くもの。
「――いっそこのまま完全に女になればいいのに、という心は確かにあの時あったわ。でもね、そもそもそんなことを思っていた時点で、アタシの心の奥底は野郎(ヤロー)だったのよね。抱かれたい、というよりも抱きたい。守られたい、よりも守りたい。そんなタチ。
奥さんに出会って、アタシはアタシの本心に気付かされたの。騎士(ナイト)だったのよ、理想が」
とはいえ、アルプじゃなくてもインキュバスだからもう魔物にはなっちゃってるのよネ♪とウィンクするティーさん。茶目っ気たっぷりの彼の後ろで、変身していないドッペルゲンガーがショコラクッキーの焼き加減を確認している。薬指には彼と同じ魔界銀のエンゲージリングが同じ輝きでキラリと光っているらしいけれど、今は手袋をして見えない。
「あの時分で悩んでいたら、私に言ってくれたら少しは解決できたかもしれないじゃない。水臭いわねぇ」
「センセに期待しているのは魔物講義じゃなくて料理の講義よ。それに、過去の話をしても詮無きコ・ト。ちょっと待っててね」
話もそこそこに、ティーさんはウィンク一つ奥のチョコレート用冷蔵庫に向かうと、そのまま何かを……って、私宛のチョコに決まっているか……を探し始めた。割と色々な魔物が先払いの商品取り置きをしてもらっているらしい。流石にこの空間じゃ落ち着いて商品吟味も難しいか。そのための極太パンフレットでもあるわけで。
私の背後で、魔物娘達の群れが波の如く押し寄せては引いて、寄る辺を探すかのように濁流と化していく。これはいよいよ買ったら即離脱するのが吉ね。店の前で屯するのも他のお客様にもティーさんにも迷惑がかかるわ。
視線をティーさんに戻すと、「For Nala From Als」と書かれたほんのり豪華仕様な豆エフが付いたプレゼント袋を取り出した。中にある二つの箱の形に歪んでいるのはご愛嬌かもしれない。細長いプレゼントボックスを二種類、親亀小亀のように乗せた感じかしら。
「はい、こちらがパンフレットよ。今回の師匠のスペシャリテに関する説明も入っているわ。センセの舌の答え合わせに使って頂戴♪」
短冊サイズのパンフレットの中には、この店が扱う商品が色鮮やかに描かれている……らしいけど今はいいわね。
「大きい方が師匠のスペシャリテ。小さい方がアルの手製ね。全く、久しぶりに会ったらすっかり若返っちゃって♪懐かしいわね……アタシもあんな時があったなぁって」
「アル?」
「ああ、センセ。アルスはアタシにとっては弟弟子なのよ。今回はその誼、ってワケ」
成程。時期が重なっていたのね。当時の彼の様子とか聞いてみたい……けど、環境がそれを許してはくれないわね。というか私の後ろどころか、会場での魔物娘発情率が増していないかしら。別の階に誘導する店員の声もどこか甲高くなってるわよ。
その辺りを彼は察してくれた……とはいえ、首は横に振られた。流石に当人に訊きなさい、ってことかしら。まぁいいわ。
「当然のことながら、代金の方はアルより頂いているわよン♪アルはね、心の其処から、手渡ししたかったらしいけど、流石に今の時期のホテルはねぇ……同情するわぁ」
「ほへー……」
ティーさんの前で、本当に歯痒い表情を見せたらしいわね、アルス。それだけ本気だった、と。……何を作ったのか気になるのは乙女心だけど、急いてはいけないわ。流石にすぐにバラすのは無作法に過ぎる。味わいつくすには、環境設定も大事よ。部屋で一人、にやけ顔を抑えつつ、一粒一粒を心行くまで堪能する。それがグルメたる私の流儀よ。

「――確かに、受け取ったわ。ありがとうね♪」

そうと決まれば、よーし、せっかくだしウィスキーを一つ開きますか!と私は商品を受け取ると、一足先に春の足取りでこの限界値に達しそうな戦場から離脱するのだった。

後姿を見送りつつこぼされた、彼の言葉に気付くことも無く。
「……にしても、どこで手に入れたのかしらねェ……?あんなに大量の……」

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「ん……♪」
舌先から喉、臓腑に向けて琥珀色の火が静かに流れ、じくじくと熱を残していく快感。ベッドの上の火照り、それとは違う微かな、それでも確かな陶酔感。口に残る木樽と炭のフレーバーを呼気として外に逃がしつつ、私は一人自室で嗜んでいた。ウィスキー。嘗て錬金術にて”生命の水”アクアヴィタエを作り出し、地風火のマナを馴染ませるために樽に貯蔵したのが始まりとされるそれ。知り合いのウンディーネ曰く、「純度の高いアクアヴィタエは精霊すらマナ酔いさせて前後不覚にさせる」くらい強烈なものらしい。……そんな代物を平然と飲んでいる龍とドラゴンの対談を見た身としては、改めて蟒蛇って恐ろしいな、と冷や汗をかかざるを得なかったりするけどそれはさておき。
私の目の前には、二つの箱がある。冷蔵魔法を用いて適温空間で保存しているそれら。果たして、どちらから食べるべきか。彼の師匠のものか、それともアルスのものか。
私は目を瞑り、アルコールの微かな陶酔の中で彼の気持ちを受け止める覚悟が出来たか、或いは受け取れる状態にあるのか、を問う。
――否。まだその時ではない。と私の心は返した。ならばそれに従おう。

「――ほう……♪」

箱を開けた私の目に届いたものは、成人男性の親指第一関節くらいまでくらいのサイズのプラリネ八種類。表面が漣を打つ四角形や、白の半球に明るい黄色の粉が乗っている代物、長四角のチョコの端に金粉が乗っているもの。直径5mm程のレモン色の円が白いチョコの上に幾つも描かれているもの……。チョコレートが嗜好品であることは疑いようもない事実ではあるけれども、その中でも勢を尽くされた、それでいて慎ましやかな世界が広がっていた。
「魔界貴族達が宝石を目にするようなものね。綺麗……」
一つ一つが珠玉の一品。個性の塊。手にして、香り、口にして、込められた世界を味わうもの。視覚的にも芸術品。一つ一つ丁寧に”部屋”があてがわれているお嬢様、或いは眼前の“お客様”に素敵なひと時を提供する執事達が控えているかのよう……。
……今すぐにでも全て食べてしまいたい、という感情はない。一つ一つ、世界を味わうように、選んで、触れて。ならば最初の一口はどれにするか。
私は……うん。細長く、金粉が端に乗った物にしよう。優しくつまみ、唇で触れ、舌先に――落とす。

――キン。
拍子木……ジパングにおいて火災防止の為に打ち鳴らされる楽器の音が響いた、気がした。
決して目立つわけではない。かといって、決して存在しないわけでもない。
舌先からゆっくりと広がるカカオの持つ油分と糖の香り。それが雲霞が引くが如くすっと消え、先に見える風景は……?
「……舞台?」
ジパングで見られる、神域――ジンジャ?と呼ばれる領域を模して造られた舞台。要所要所に火(カガリビ、というらしい)が焚かれ、これから始まる何かを迎え入れるための静謐を保っている。舞台と私との間には、川。舞台の下もまた、川。篝火の放つ明かりが水面に反射し、ゆらめく本堂の姿を映し出している。
ふと、私の頬に触れるものがあった。影のように優しく撫でたそれは、そのままいつの間にか正座していた私の太腿の上に鎮座していた。柳の葉。
――キン、キン
再び、拍子木が鳴り、私の視点は再び舞台に戻される。舞台の奥、橋がかかったような所に一人、小身痩躯の演者がゆらり、と舞台に進んでいた。一歩進むごとにぱちり、ぱちりと檜の音が響いているような気さえする、張り裂けそうな気迫を覚える。
そうして舞台に一人立った、切れ長の男を見たとき、私の舌が、自然にこう紡ぎ出していた。
「……山椒」
身長を除けば霧の大陸における美丈夫を思わせるような風貌。そこに秘められた気迫は間違いなく一級品。甘いヴェールの内に秘められた確かな意思が、彼が山椒であると明確に私に伝えてくる。舌先でチョコレートを転がし、溶かしていくたびに、チョコの甘さを味のアクセントにしていく山椒。切れ長の瞳が私に訴えてくるようだ。影に回ることの多い私だが、こうして存在を伝えることもできるのだ、と。
微笑んだ山椒が、隅に立つとその姿を消し――。
――ポン。
今度は堤の音が鳴った。いつの間にか、手に取ったチョコレートは姿も形も消えていた。どうやら知らず食べ終わってしまったらしい。
ウィスキーで口直しをしつつ、次のチョコを選ぶ私。薄茶色の球体チョコを手に取り、少し歯で削りながら、口に。
――いい、舞台じゃの。
舞台を見る私の横に、翁の面をつけた老爺が一人いた。皺枯れていながら、どこまでも柔和な声に、私も思わず頷き返してしまう。その手には湯飲みと、そこに入った薄茶色の飲料――ほうじ茶。
渋みの薄いほうじ茶がチョコレートに入ると、焙煎した香りが甘味のアクセントになるだろうことは予想はしていたけれど、強すぎると全てを持っていくのでは?という疑問はあった。けれど、今口の中で広がる風景の中に、その行き過ぎの気配はない。まるで傍で茶を嗜む老爺のごとく、あくまで脇に備え、存在すれども主張はせず、ただ甘味を見守るだけの存在であるかのようだ。
かと思えば、時としてコーヒーを思わせるほどの強い香りをチョコレートにして。これはお茶目というのだろうか。
――あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな
……いや、隣で呟かれたハイク、そして霞のように消えた体からして、願いを受け取ってほしい、ということなのかもしれない。このハイク、いや、タンカの方かしらね。……意味は何かしら。どこかで聞いた覚えがあるかもしれないけれど……。
――ポン
再度、堤。今度はマーブルっぽい模様のチョコレートを、一つ。
――あははははっ!
――まてー!おーい!!
舞台の上、いつの間にか現れた狐の面を被った子供たちが、縦横に走り回っている。肌の色は色々だ。黒に、褐色に、肌色に、薄紅に。思い思いに走り回ったり、かごめかごめをしたり、花いちもんめを行ったりと、無邪気に騒いでいる様子が伺える。
胡麻だ。歯で触れ、砕いた瞬間から分かる。胡麻がチョコレートと混ざり合いながら「ごまだよ!」と元気いっぱい叫んでいる印象を受けた。それでも胡麻特有の油分はチョコレートのそれとも相性がよく、がっつり肩を組んで歌う様子が頭に浮かぶ程。
――よーし、向こう岸まで早く着いたら勝ちな!
――わー!!
最後に、舞台から子供たちは川に飛び込むようにジャンプし――そのまま水面に指すら当たることなく、消えた。中々元気のいいチョコレートであったように思う。
――ポン、キン、ポポン、キン
楽器にリズムが生まれたような気がする。それに急かされる様に、私は次の、この中では特段異質な、赤色の半球型チョコレートを手に取り、齧る。
「――」
イチゴの紅に、チーズの白。舞台の垂れ幕が、祝いの色であるそれらに染まっていく。甘味と酸味を併せ持つそれらの味がチョコレートの濃厚な甘みをさらに高めていく。ふと、篝火が強くなったような気がした。
……橋を思わせるような先、シロムク……と呼ばれる服を着た女性と、赤いハカマ?を身に着けた男性がゆっくりと身を進ませていく。赤いハカマ?にどこか違和感を覚えたけれどもそれはさておき。二人は舞台の中央に立ち、向かい合い、唇が同時に開いた。
――瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ
そのまま、互いに膝をつき、握った手を上に掲げたところで、二人の体は霞に消えていった。……このタンカもどこかで聞いたような。イチゴとチーズのチョコレートが見せた幻影、それに私はどうしてもうらやましさを感じてしまう。……幻影に羨ましさを感じるなんて我ながらどうかしているかもしれない。けれど、普段暮らしている分にはそうしたロマンチシズムに無縁となってしまうのだ、どうしても、私(リリム)という種族は。きっと彼らは幾度も無情な別れを体験したのかもしれない。それらを乗り越えて結ばれたのかもしれない。私達は違う。いつでも結ばれようと思ったら結ばれることが出来る。出来てしまう。
「……次行きましょ」
堤と拍子木の中に、和音を奏でる笙の音が混じり始めたような気がする。……どうして楽器を知っているかって?主にDJのせいよ。さて、次は……仄かに薄い色をした四角のチョコを頂くわね。
――ほほう、これはこれは、斯様に豪勢な舞台は初めてじゃ。八百万の神々よ――麿が妙技、とくとご照覧あれかし。
顔を白粉で覆い、唇に紅を塗った豪勢な着物を着たジパングの貴族が、手に持った鞠を上に放り投げると、一人舞を披露しながら地面に落とすことなく蹴り上げ続けている。ケマリ、というらしい。
マロン。それも丁寧に濾され、渋みも甘みも風合いも全てチョコレートに馴染むように加工され、それでもなお己の姿を見失わない上質な栗の味。栗がそのまま乗っているモンブランとはまた違う、栗としての味わいを、栗としての姿も面影も一切捨て去りそれでも舌に伝えてくるこの豪胆さにして高貴さ。着物姿でブレイクダンスしながらいまだ一度も鞠を地につけない貴族の如し。
――はっ!では、これにて終演也。
最後、短刀の峰に鞠を乗っけると、そのまま着物を翻し、消えていった。音楽に、篳篥の音が増える。……雅楽だ。これ、雅楽だ。DJが曲作りに時折参考にしているジパングの古典音楽。
次の出番を待つように、耳に音楽が響く。私は……いつの間にか手元に握られていた白の球体を、躊躇いもなく口にした。
――あらあら異人さん。ようこそおいでくださいました。
目が覚めるような香りを身に纏った、媼の面を被った女性が、いつの間にか隣にいて私に水を薦めてきた。私はそのまま素直に受け取り、すっと、口にする。
柚子。横にいる女性の香りと同じ味がする。イチゴのチョコレートとは違った、こちらはさわやかな甘味がするというべきか。舌先から鼻先へと突き抜けるような確かな柑橘系の皮が持つ酸味に、それを快と感じさせるチョコレートとしての甘みが絶妙なバランスで混ざり合っている。
柔らかい。刺さない。柑橘系は大概刺すような刺激と共に来る酸味だけれども、どこまでも柔らかく、まるで吐息を吹きかけられながら頬をそっと撫でられるかのように舌先に風味が伝わってくる。
――喜んでくださったようで、何よりどす。
笑顔のまま、とは言っても仮面の下だからよくわからないけれど、媼面の人は一歩下がり、そして。
――
そう一首残すと、柚子の香りを残して、消えていった。音楽に、琵琶の音が混ざるようになる。どこまでも、ジパング的であり……それでいて、どこか大陸のムードも感じられるような音楽だ。
――残り二つ。シンプルなのを残すか、ジパング語で何か書かれている方を残すか……。
「……よし」
タイトルはカーテンコール。私は一番シンプルだった方のチョコを口にした。
――チョコレートとは、大元を辿れば、豆である。
舞台の上に、身の丈ほどもある刀を手にした粗野な大男が立っている。その仮面は、般若。
――なれば、豆と合わぬはずもない。
ぶぅん。ぶぉん。一振り、一振りが風の音となって対岸のこちらにまで聞こえてくる演武。光の加減か、水面に映る影すら異様に生き生きしている。
カカオ、ナッツ、そして醤油。独特の塩気はナッツか醤油かは分からないけれど。別々の豆、別々の国、別々の世界。だのにどうしてだろうか、この三位一体感は。甘い、塩ぱい、香ばしい、濃ゆい――旨い。先ほどまでのあからさまな優しさとは裏腹な、どこまでも分かりにくく、内に秘めたストロングスタイルを押し付けてくるこの強さ。外面での異質がいちごチーズならば、内面での一番の異質がこの醤油ジャンドゥーヤかもしれない。
――堪能せよ、嫌悪せよ、称賛せよ、侮蔑せよ。いずれにせよ我が我たればこそ。これが賛否両論を掲げる我が生き様なり。
我を推す野武士ジャンドゥーヤは、演武を一通り終え、眼前で刀を鞘に納めると、舞台から巻き上げる風にかき消されるように消えていった。……口の中には、まだ余韻が残っている。衝撃だった。甘いでも苦いでもないどころか、味わうでもなく「喰う」という野性味溢れるチョコレートがアソートの中に入っているとは。
「……さて、最後ね」
ジパング語で四文字書かれた、真四角のチョコレート。名残惜しい気もするけれど、これが最後だ。……そっと手に取り、何か否定的な雰囲気がある文字のところから、一つ。
――やすらはで 寝なましものを さ夜更けて かたぶくまでの 月を見しかな
……最後に舞台に立ったのは、ジュウニヒトエ……でいいのよね?を身に纏った姫君と思しき人。しきりに筆を動かし、タンザクに何かを記しては口にしている。
――嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る
まだ春は遠いけれど、口に残るこの静かな酸味と程よい陶酔感、そして甘味は……梅酒か。原酒をそのまま口にすると鋭くて痛い梅酒にしては柔らかいのは、チョコレートと混ぜ合わせたからだろうか。それとも梅酒そのものが刺激の少ないタイプだからなのだろうか。
きっともしこの梅酒が刺激が強いタイプなのであれば、眼前の姫と思しき人物も”彼”を奪う気でいるとかそんな感じになったのかもしれない。けれど、言葉の端々から伝わるこの感覚は……待って、それでも来ない相手への嘆きであり、相手を求められない自分への嘆きであるようにも感じられる。
――忘れじの 行く末までは かたければ 今日を限りの 命ともがな
最後に一首、どこか悲しげに残しながら姫は臥せり、舞台に沈むように消えていく。

――舞台の上や、私の横で繰り広げられる、8種の人間の様。それを見せるほどに「詰まった」師匠のチョコレートという映写機の出来栄えに、私は静かに拍手するのであった……。

________________________________________


「……ふぅ……」
さて、と。一通り、彼の師匠のチョコアソートを食べ終えた私は、ウィスキーで余韻をかき消して、正面の小さな、白い箱に向き直った。心なしか、先程より圧が強くなったように思う。いや、私が単純に、アルスに対する気持ちや感情を投影しているだけなのかもしれない。深呼吸深呼吸。
味への興奮の後、静まっていた筈の私の心臓が、徐々にその速度を速めていくのを感じる。口から洩れるウィスキーとチョコの香りが心なしか先ほどよりも濃い。知らぬ間に呼吸も少し荒くなっていたみたい。いやだ私犬っぽい妹のこと笑えないじゃない、今。
「……よし」
私は軽く頭を横に二回、縦に一回振って、箱をおもむろに開いた。
サキュバスの羽を思わせるチョコの飾りが付いた、ホワイトチョコのトリュフ。中にはお酒かしら。一口大サイズのそれが六つ。ふむふむ、そしてお手紙が一つ。小型の丁寧な封筒に、魔術式ロックを一段階かけたものね。まぁ私しか読まない代物とはいえ、年には念を入れて、ってところかしら。
さてさて、中身は……。

『「親愛なる私の恋人、麗しの王女様ナーラへ」
重ね重ね、このような形で貴女に手渡すことになってしまったことを、僕は残念に思います。面と向かって、このチョコを渡したかった。
それだけの気持ちと、これからの覚悟を、材料と、味に込めました。』

「……ええと?」
ちょっと待って。最初の二重線で消したと思われる部分。明らかに私の種族を知っていなければ書けない代物よ……とはいえ、いつかはばれるものだとは思っていたけれど。
そして、“これからの覚悟”ということは……。
私は、眼前の6つの蝙蝠が止まる白い球体に再び目を向ける。よく本命チョコの描写で言われる「Dear○○○」のような描写こそ無いけれど、つつましく鎮座するそれが放つ覇気のようなものは、明らかにアルスの本気を感じ取ることが出来た。
知らず、唾どころか息すら飲み込んでしまう。背筋が、ゾクゾクとする。普段テーマ料理で競い合った時とは違う、緊張感。これは、チョコレートを通して、彼の心と、真正面から向き合うという行為そのもの……。
「……すぅ……」
私は深呼吸をし、一つトリュフを摘むと、優しく口の中に迎え入れた。柔らかな風味と甘みが、口の中一杯に広がっていく。
『どうか、心行くまで味わっていただけると幸いです』
彼の手紙の最後の一節。それを視線で読み終えるのと同じタイミングで、表面のホワイトチョコが舌先で蕩け―ー。

――ぐらり、と体が地に崩れ落ちる感覚が、私を襲った。

「――え……」

其処にあるのは熱情だった。
其処にあるのは情愛だった。
どこまでも狂おしいほどに熱く、触れたら火傷しそうなほどに冷たく、糖蜜のように強引で、香辛料のように優しい、いつも表に出ていて、それでいて奥深く鍵付きで秘められた感情。舌先でそれに触れた刹那、雷撃よりも遥か速いスピードで“それ”は脳へと到達し、美味という感想とそれに纏わる諸情報と共に、私の魔物としての本能に働きかける声を投げかけてくる。曰く。
蕩けよ。
揺蕩え。
バッカス神の導きに誘われるが如く、緩やかな逢瀬の欲求に身を委ねよ。
同時に、それを留めるかのような、優しい声も響いてくる。そちらに意識の顔を向けると、そこには――シェフの服装ではなく、純白のタキシードに身を包んだ彼が、両腕を伸ばし、私の体をするりと引っ張り挙げながら――。

唇の味は、ホワイトチョコレートの柔らかな口当たり。
深く触れるに従って、ラム酒特有のフレーバーが顔を出し。
さらに求めると、葡萄に似た香りと共に広がる、二人だけの世界。

このまま二人、溶けてしまいたくなるかのような――そんな、トリュフの白色を思わせるような白昼夢だった。

「……これは……」
魔界菓子作成経験者なら、まず間違えようもない代物。それでいて、今まで口にしたことのない代物。私もおいそれと入手できないような希少品が、彼の手によって丁寧に”調理”されていることが分かった。その一手間一手間すら、思わず私の子宮を潤ませてしまうほどに、愛おしい。
「……”陶酔の果実”をレーズンにしてラム酒に漬け込み、それをホワイトチョコの中に入れる、ねぇ……」
口の中に広がる、恐らくハートの先端に近いだろう部分の実で作られたであろうラムレーズン。本来ワインレッドの赤く蕩ける液体を固体になるまで濃縮し乾燥させた上、厳選された砂糖黍を用いて作った上質なラム酒……これ魔界金貨70枚くらいする奴じゃないかしら……に漬け込んだ豪勢な一品よ。豪勢なだけじゃなくて味のバランスもよく考えられているわ。敢えてバランスを少し崩すことで、陶酔の果実の風味を加えたホワイトチョコの甘みが引き立つように、或いは逆に……ラムレーズンの深みを主張させるために、ホワイトチョコの甘みを少し浮かせる感じにしたのかもね。
うん、美味しい。濃縮した魔界葡萄の心を根こそぎ溶かす甘みと仄かでも確かに主張している酸味が、ラム酒の濃厚な芳香と混ざり合い、純真素直なホワイトチョコからどこか毒すら感じさせるような妖艶な一面を引き出している。口にした瞬間、並の魔物なら「……らいしゅき♪」と目の前の彼氏ないし夫にもたれかかり押し倒すことでしょうね。私?やりたいけど我慢できるわ。流石にその辺りは訓練されているもの。

で。
問題は、「彼がわざわざ高級な魔界植物を用いて、手間の掛かる、明らかにベッドインする前に食べる類のチョコを作って渡してくれた」ということだ。
しかも「親愛なる私の恋人、麗しの王女様ナーラへ」なんて手紙まで添えられて。

「……まぁ、以前魔物なのか?って聞かれて種族以外は明かしたし、“プレゼント”もあげたし、辿りついてもおかしくない、か」
黒羽同盟に襲わないように伝えたとはいえ、それでも油断ならないのが我等魔物というもの。一夫多妻上等の場合は遠慮なく体を重ねようとしてくるのが目に見えるわ。
流石にアルスを他の子に取られたくなかった私は、魔力吸収を抑えつつ、“私のものです”という所有を示すネックレスを昇進にかこつけて渡したのだ。魔力吸収をつけた理由は、幾ら抑えているとはいえリリムである私とのデートでインキュバス化されたら困るのよね。
理由としては私のこだわり、というか我侭だ。

「私は、私としてアルスが好きだから、アルスの夢を私が奪うわけにはいかないのよ」

私といることが主因となってインキュバス化して、アルスの将来的な目標である“総料理長となり、レストランの星を増やすこと”、“ホテルの新名物を在任中に作り、少なくともリオミーゴ内に一般流通させること”“以上二点を自らの力で成し遂げること”を妨げることになってはいけないわ。調理素材によるインキュバス化は避けられない。何しろVIP客の魔物娘には魔界作物を使った料理を用いるし、その際に味見をしないわけにもいかない以上、遠かれ近かれインキュバス化は避けられない。当然、それを作る料理人は総料理長クラスになる。
魔界食材を扱う人間料理人にとってのインキュバス化は、己が実力を積み上げてきた勲章。だからあくまでもインキュバス化は私の影響であってはならないの。彼が、彼の目標を叶える為には、彼自身の行動としてインキュバス化がついてこなければいけないの。
まぁ、魔力吸収回路をやや強めにしちゃったかなー、という反省はあるけどね。

ともあれ、こんな告白的プレゼントを受け取ったからには。

「……私も、覚悟、決めなきゃね」

私からのプロポーズの時に、正体を知らせるなんていう当初の予定とは、大きく狂っちゃったけど、ね。

……今の状況が「これバレンタインデーじゃなくてホワイトデーが先に来ちゃったー!!??というか逆チョコとかいうやつではー!!!!????」と気付いて、ベッドにこけしダイブして頭抱えてわたわたするのは、この一分後。
さらに、手紙の裏に、「P.S. 材料はドゥライア工房より頂きました。今度お会いした時は、「ロメリアさん」と呼ばせて下さい」と奴(サフィ)に本名をばらされ何してくれちゃってんのー!?と七転八倒どったんばったん大騒ぎするのは、さらに一分後の事。
19/02/11 18:53更新 / 初ヶ瀬マキナ
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■作者メッセージ
【アンティパストな皿の外のお話】

僕らは何度も、何年もデートを交わしてきた。
十数年単位のスローペースだが、それでも積み重ねてきた時間は、短いなどとはとても言えない。
体よりも皿を、交わりよりも語り合いを。それが僕らの付き合い方だった。彼女が魔物だと知ってからも、それは変わらない。普通であれば「魔物らしからぬ」彼女の様子に疑問を抱くのかもしれないけれど、僕は特段気にならなかった。
そう。彼女が魔物だということは、僕も知っている。彼女自身の口からもサキュバス系だと確認している。そんな相手と十数年単位行動を共にすれば、特に体も交わさずにいたとはいえ、彼女の魔力の影響を受けないはずは無い……とは思うのだけれど。

ここ数年僕自身、肉体的に衰えた気配がないどころか、それとなく若返っているのが鏡で確認できている。既にインキュバスと化しているのは間違いない。時として魔界の食物を扱うこともある料理人は、中立領〜親魔物領に於いて野良インキュバス化の確率が高い職業であることは有名な話だ。ここ”Adiro Wolf”でもそれは変わらず、先代も先々代も、いや、魔王代替わり後の歴代料理長はいずれもインキュバスだというのはホテル公然の秘密である。VIP客へのサービスを考えると、寧ろそうでなくてはならない、といっても過言ではないかもしれない。味見した魔界作物の魔力蓄積だけでも、数年重ねれば相当な量になるからだ。

とはいえ、自分は既に特殊らしい。
そもそもインキュバス化自体が歴代料理長と比較して遅かった、というのもあるのだけれど、それ以上に特殊な状況に置かれているのも確かだ。
『狼と共にある料理人はいずれ狼となり、最後に自分を皿に出す。頭はすぐに食われ消える』という言葉がこのホテルにはある。インキュバス化したシェフは遠かれ近かれ行方不明になる。その後両手にピースサインを作った彼が愛くるしい子供達及び綺麗な魔物娘の奥方に囲まれた映像水晶がホテルに送られてくるのが通例だ。『頭はすぐに食われ消える』の通り、特に総料理長は競争倍率が高く、次代の目処が立つや否や翌日にはぱたり、と消えていると評判だ。
僕の先代の総料理長もその口だ。僕に役職を譲る旨を告げたその一時間後にはもぬけの殻となり、一年半後に元気なヘルハウンドのお子さんに頬を伸ばされたり甘噛みされたりしながら近況報告してきた姿に、少しばかり戦々恐々としたことを鮮明に覚えている。
後継者候補を育て上げ、後進を譲る準備が整いつつある中で、十年近く料理長をやることになった僕が未だそうなっていないのは、魔物の彼女持ちだから……いや、そうなっていない理由として魔物の彼女というものを持ち出すのは間違っている。実際、送られてきた水晶に二人以上の奥方がいる例は何件もあった。一夫多妻も問わない魔物が、彼女持ちであろうと狙わないはずがない。ならば何故か?

答えは簡単だ。
予約済み札(reserved)、それも下手に手を出せないVIPクラスの魔物によるそれが僕の首に掛かっていた。ただそれだけのことだ。

このホテルにいらっしゃる魔物の種類は多い。サキュバスやインプ、ワーウルフ等一般的な魔物が多いのは言うまでもないが、VIPルームを借り切るヴァンパイアやドラゴン、部下の保養も兼ねて来るバフォメットやデュラハン、家族旅行で来るエキドナなど、上位の魔物達も度々宿泊している。そして彼女等は旦那を連れていなければ、大体が宿泊客か観光客、若しくは従業員の中から候補を探す目的で宿泊する。ビュッフェ形式のディナーでフライパンを振るう時に、熱を入れた眼差しで料理人を眺める魔物娘を僕は何人も見ているし、そうしてターゲッティングされた従業員が数日後に消える姿も、何回も。
だからこそ、魔物娘から僕に投げかけられた視線が、ふと見た隣の席のメインディッシュが美味そうに見えたので注文したところ、予約限定でしかも十数年単位の予約待ちと店員に伝えられたが如く、期待と喜びに満ちたそれから若干の悔しさと諦めを含んだそれに変わっていたのだろう。
僕が特殊だと伝えられたのは、その様子を何度も見てきた他の従業員からだ。“厄介な相手に惚れられたな”というある種のやっかみも含んでいたみたいだけどそれはさておくとして。視線が変わったのは首にかけたネックレスを見てからだとも伝えられた。
十数年前、最年少での正規料理人昇格となったあの日から数日後のデートで、彼女から頂いたネックレス。その正確な価値を、僕は知らないし、あえて知ろうとも思わなかった。ネックレスのところどころに、使用されている宝石。VIPルームのお客様が身につける物ですら見たことが無かった大振りのそれが七個も使われていることから、相当貴重なものであることは僕にも分かった。けれど、どのような形であれ、価値を値踏みするなど失礼だと思ったからだ。
でも、魔物の種族的実力の上下問わず僕を諦めさせるようなネックレスとなれば……流石にどういった代物なのかを知る必要はある。いや、知らなければいけない。呪いの宝石の類では無いにしろ、気になるものは気になる。
故に、弊ホテルのトップコンシェルジュに、ネックレスについて確認してもらった。

「……は?」
滅多に笑顔を崩さないといわれるコンシェルジュが、ネックレスを前に七色に表情を変えていくのを目撃することになるとは思わなかった。まず驚愕、続いて自己判断に対しての不信、そのままモノクルを用いて眺めて、眺めて、確認して……顔をあげた彼の表情は、困惑一色。
さながら、地域一のホテルの総料理長とはいえ、一介の料理人がおいそれと手に入れられ、普段から身につけられるような代物ではないと、その目で僕に訴えかけているようだった。或いは、ネックレス越しに相手の存在の得体の知れなさに戸惑っている、とも言うべきか。
「……シェフ、貴方と付き合っているという“ナーラ”という女性、魔物だと彼女は仰っていたそうですが……種族は何と仰ってましたか?」
「……彼女はサキュバス種、だとしか」
記憶を根拠にした僕の返答は、彼には冗談にしか聞こえなかったらしい。大きく何度も首を横に振り、何処か諭すような、或いは彼自身で納得させるような口調で、この“曰く付き”のネックレスの貴重さについて雄弁に語り始めた。
「サキュバス種?自己申告で?はははまさか。こんな代物をポンと渡せるサキュバス種なんている筈が無いじゃないですか。
ドラゴニア程ではないにしろ上質な鉱石が採れると名高いジョイレインの僻地、ユカスゲン産の魔界銀に加えて、ドラゴン族の住処であるマントラグーン奥地でしか採掘できないボルケイノレッドの龍眼石を七つも組み合わせてある時点で、我らがホテルの総支配人ですらおいそれと手を出せない代物ですよ」
……当ホテルの総支配人、割と天上人が多いこの地域の富豪ランキング上位常連だった気がするけれど、それでも手を出せない代物を僕は渡されていたのか……我ながらよく悪漢に攫われなかったものだ。これもネックレスの加護なのだろうか。
「それにバフォメット、或いはリッチクラスの高位魔術師が一箇月くらいかけて刻むような、装着者の魔力を吸収する回路を組み込むなんておかしいじゃないですか。普通であれば早々に旦那をインキュバス化させたがるものですよ」
ネックレスに組み込まれた魔力吸収回路、それが自分のインキュバス化を遅らせた原因だというのは理解できた。でも、どうしてそんな機能をつけたのだろうか。何かインキュバス化してしまうと『彼女にとって不都合』でもあるのだろうか。『料理人ならばいずれなるもの』であるのに。
「そんな、魔物の立場的には矛盾した代物をポンとプレゼントする、サキュバス種、なん、て……」
根拠を語り、結論として「サキュバス種ではない」と言おうとした彼の舌が、徐々に動きを遅めていく。同時に、眉間に皺が深まり、どことなく表情に午前十時頃の海の如き青が差し始める。
……どうやら何か、“例外”が過ぎったらしい。
「……コンシェルジュ?」
僕の声も聞こえていないのか、彼はぶつぶつと自問自答を繰り返し始めた。
「……いや、そうともいえない……一例だけ、一例だけある……いるとすれば……いや、まさか……そんな……でも、それなら確かに辻褄は……しかしそんな偶然は……!?」
やがて、その“例外”の中の“例外”の存在を確かめるかのように、コンシェルジュは私の襟元に掴みかかるように迫った。
「シェフ!?彼女と初めて出会った年と場所は!?」
「え、あ、はい。見習い時代、十数年前の”Auli Ark”前、限定メニュー、ディアボロコモコが販売されていた日……で……?」
突如激しい剣幕で僕に叩きつけられた質問に対して、僕がたじろぎつつ返したら……。

「……Oh my gosh…」
コンシェルジュが、両手で顔を覆っていた。

どうやら、彼にとっての荒唐無稽サイドの予想が当たってしまったらしい。……つまり、僕が今まで互いに何も詮索せず付き合っていた、ナーラ=シュティムさんは実際とんでもないお方だったようだ。
ずり落ちそうなモノクルを支えながら、弱弱しく口を開くコンシェルジュの表情は、医師に見せたらすぐさま入院を勧められるような代物に見えた。

「……断言しましょう。
シェフ。貴方の彼女、ナーラ=シュティムさんの種族は……魔王の娘、リリムです。彼女の宣言した“サキュバス種”である、が真実と仮定した場合、ですが、ほぼ間違いないでしょう」
……成程、確かに荒唐無稽で……それでも何故か納得してしまう。

「……リリム……」
拝啓、父さん、母さん、お元気でしょうか。
僕は、本当にとんでもない方に好かれ、また、好いてしまったようです。

少なくない衝撃を受ける僕に向けて、さらにコンシェルジュは続ける。
「そして、彼女に関しても心当たりがあります。風の噂程度ですが――貴方も聞いたことがあるでしょう?”Auri Ark”に十数年か数十年に一度、新規限定メニューを作成しに現れる料理人。彼女の正体は上位の魔物であり、その料理を作成するために人間に化け、ありとあらゆる街を旅し、料理を食べ歩いているという、と」
「……数年に一度の新メニューがあり、それが当ホテルのビュッフェに勝るとも劣らない、としか知らなかったです」
……明らかに「本当に料理馬鹿なのか、いや、馬鹿なのかこの人は」という呆れ顔を向けられた僕は、頭を掻きつつ苦笑いで返すことしか出来なかった。
実際、“上位の魔物である”すら、当時の僕は知らなかったのだ。ましてや作成するために人間に化けの下りや、街を旅し料理を食べ歩いている、の下りなど聞いたことがない。ナーラさんに関しても、あの店で働いていた理由は今先程まで夏季限定のアルバイト店員のようなものだと思っていた。”Auli Ark”の店員は基本、ラミアの一家だと聞いているし、夏季限定短期アルバイトをよく雇ったりするとも聞いている。数年に一度の新メニューというのも、店主夫妻が考えているものだと思っていた。
そうか、あの料理はナーラさんが考えたものだったのか……。
「風説では、複数種類のまかいもを揚げるための技法を考えたのも彼女が始まりだとか。まかいもフライの始まりが”Auli Ark”であることはご存知ですよね?」
「ええ。その辺りは調べました。私が産まれるより前のあの店で生まれたのですよね」
当時のスペシャルメニューが今や、各国の屋台の定番料理である事実。祭りで他の子供達が美味しそうに頬張っている姿を見て、どこか羨ましかった記憶がある。
その開発者がナーラさん……本当に凄い魔物だったんだな……。等と能天気なことを考えていると思われたのだろうか。コンシェルジュの目にさらに落胆の色が重ねられている。実際考えていただけに何も見返すことが出来ない。
「……シェフ。彼女、150周年記念式典を数年前に執り行った当ホテルよりも、確実に年上です。そして魔物……といいますか上位種リリム故に外見では余計に分からないと思われますが、色々な逸話を聞く限り相応の年は経ているかと思われますよ。
無論、女性に年齢を訊くのは大変失礼に当たるので確認するのはご法度です」
僕としても、ナーラさんにそうしたことを聞くつもりは無いし、興味は……無いわけではないにしろ優先順位的にはかなり下だ。
「逸話……」
恐らく料理に関する逸話か、先に述べていた食べ歩きの件か……僕が気になるのはそちらだったりする。長生きで、様々なところに旅をしていたということは、それだけの逸話が生まれたに違いな……ん?
そういえば。それだけ料理の経験を積んでいる筈なのに、ナーラさんは一度として僕に料理の提案はしていなかった気がする。材料とか、調味料とか、下ごしらえの手段とか、そうした調理前のものに関しては幾つか提案はあったとはいえ、調理法に関しては、自分が提案しない限り、特に話していなかった記憶がある。寧ろ「面白そうね♪私もやってみようかしら」とか、「……よくよく考えてみればそれもアリね」とか、かなり乗り気だったような……?

「……しかしながら。魔物が、それも恐らく現在最強と思しき種族が、態々正体を隠し、魔力を抑え、人に紛れながら逢瀬を重ねる理由とは一体何故なんでしょうか。その気になれば、いや、『その気にならなかったとしても』『当たり前のように』すぐ相手を魅了できるのでは?」

――ああ、成程。
『だから』ナーラさんは。

「……『それ』が、嫌だったんだと思いますよ。
魔王の娘だとか、それに恥じぬ強大な力を持っているとか。そうした彼女自身と関係がない部分、彼女という人となり以前の部分で当たり前のように全て完結してしまうのが、きっと嫌だったんだと思います。だって……そんなの、つまらないじゃないですか。
多分それは、僕らがサービスを提供する時に心掛けている事と同じです」
“Adiro Wolf”においでになるお客様方は、当たり前の繰り返しでは味わえないちょっとした非日常を求めている。いつもと違う場所、いつもと違う料理、いつもと違う出来事。それを提供するのがこの場所であり、僕らなのだから。
ナーラさんが求めていたのは、まだ一度として行われていないベッドの上の愛の囁きではなくて、差し出された皿の感想であり、隠し味やマリアージュに対する驚きであり――頬張ったときに見られる、混ざりけなしの、種族だの立場だのを超えた笑顔。それが”リリム”としての彼女ではなく、一人の女性としての彼女が求めた”非日常”。
「……こうして口にするのも気恥ずかしいのですが、ナーラさんは、リリムとして、ではなく、彼女自身として、私と付き合っていきたいと思っていたのではないでしょうか。
そして僕も――そのような彼女を好きになりましたし、好きです」
……自分の顔に、朱がさしているのが分かる。これでは惚気だ。いや、言っていることが結果的に惚気となってしまったということか?何れにせよ、ええい、言ってしまったものはしょうがない、と心を強く持つ事にしよう。
とはいえ……魔物娘を好くということは、その後のゴールインを想定することも必要になる。ましてや相手は魔界の王女が一人だ。組織の一員として、地域の一員として、自分を皿に差し出す前に懸念することはあるわけで。
「……サプライズで式場をこのホテルで開くのは、一気にスタッフが減って営業不可能になりかねないどころか、この地が一気に魔界になりかねないので、事前に誓約書なり参加者を制限するなりでお願いしますね……」
流石にそれをやるつもりは無い。ナーラさんがそれを望むとは思わない。とはいえ口にされた懸念は尤もではある。
「……了承しました」
力なく項垂れるコンシェルジュに、僕はただ肩に軽く手を乗せる事しか出来なかった。

「ナーラさんが、リリム、か……」
完全に決まったわけではないとはいえ、ほぼ確定している予測に、動揺しなかったと言えば嘘になる。けれど、僕の心は、不思議なほどに落ち着いていた。いや、そのことをすんなり受け入れていた。
他の人が聞いたら、人間としての心が麻痺しているだの何だのと言われるかもしれないけれど。

「まぁ、ねぇ」
『だからどうした』、なのだ。
好きになった相手の種族が何であれ、僕が好きになったのはナーラ=シュティムその人である、それ以上でも以下でもないのだ。

先程の問答から少し時間を置いて、何となく分かったことがある。ナーラさんは彼女自身の魅力で僕を惹きつけようとした(実際僕は完全に心惹かれてしまっているわけだが)のと同時に、彼女自身の存在で僕を縛り付けたく無かったのではないかと思う。リリムの魔力も、その体も、一度味わえば陥落しない男はいないとは聞く。体を重ねないのも、僕を彼女がその段階で完全に縛り付けてしまうのが嫌だったのかもしれない。
そういえば、以前僕の、既に通過点となった目標を話したとき、ナーラさんはこんなことを言っていた記憶がある。

『貴方の力で勝ち取りたい夢なのね。私は応援するわ。
味見くらいなら手伝えるかもしれないわね!』

……もしかして。
彼女は自らの力で達成したいと語った僕の夢を応援するために、あのネックレスを渡したのかもしれない……?

「……。よし」
ならば、僕は、そのことに対して感謝の気持ちを伝える必要がある。例えそれが他人から見て、自らを皿に差し出す前のアンティパストの提供でしかない行為だとしても。
魔界食材の仕入先は色々ある。ゴブリンの一族が経営するゴブラ商会がホテルにおける食品取引での最大手だが、VIP客相手の場合”人食い箱”に予約を取ることも視野に入る。その”人食い箱”に対して、渡すチョコレートの相談をしたところ、「それだったらいい取引先を紹介しやすぜ」と、一枚の名刺(魔術加工されているとは彼女に聞いたけど、ここまで呪われそうなほど念入りな加工を見たのは初めてだ)を頂いた。代金の三倍分程のポケットマネーと共に、名刺に記された住所へと向かうと、そこには森の中だというのに妙に各所に手入れが行き届いた、橙色の屋根の一軒家だった。

繰り返す。僕はナーラ=シュティムさんが好きだ。その気持ちは変わらない。
喩え。

「……魔界調味料でおなじみ、ドゥライア工房へようこそ……ああ。貴方がロメリアの……おっと失礼」

……当人の都合とはいえ、数十年間、本名を隠されていたと後で知ったとしても。

ただ流石に、その点に関しては、少なからずショックだった、とは伝えておこう。

Fin.

雑記
イメージ:名古屋高島屋のバレンタインフェア。
あの空間の年の瀬ビッグサイト具合及びアゲンスト男具合は凄かったです。
1kgサイズの豚チョコは実在します。イタリアでは幸運の象徴なんだとか。
あとホットチリチョコは美味しいのでどこかの店で見つけたら是非買って食べてみてください。

※今回、チョコ部分はジャックダニエルを飲みながらリアルタイムで書いた関係で、いろいろ分からなかったらごめんなさい。

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