あの空に虹を
ビースティ。
大陸南南西の海岸線上に位置するこの町は、町の名に冠された野獣の如く金と名誉に飢えた、腕利きの冒険者達が集う。大陸各地の依頼が集う"ならず者の聖地"と蔑まれるこの町に、一人の褐色肌の男がふらりと現れた。身長は180cm程、お世辞にも戦士には見えない細い腕に脚、そして調って見える顔。手入れさえすればどこぞのいいとこのボンボンにも見えるこの男――ミリアム=ミレオムは、入場許可証代わりのギルド会員証を見せると、スリをしようとした少年の腕を片手で捻り引きずりつつ、仕事を求めて冒険者ギルドへと身を潜らせた。
「いらっしゃ――またやったのかこの餓鬼は」
入るや否や、彼に捻られ涙目の少年を一瞥し、溜め息を吐くギルドマスター。ミリアムはそんな彼に少年を預けつつ、ギルドの待合室を一通り眺める。特に反魔物というわけではないことから、ちらちらと魔物の姿が見られる。大剣使いに目を輝かせて迫るサラマンダーや、フードを被った妖狐(股から脚にかけて濡れているのでバレバレ。逢い引きもナンパも外でやれ、とミリアム自身は考えている)、ギルドに許可を貰って格安で武器の修繕を行っているサイクロプスに、服の修繕を行うアラクネ(確か前に金がないのにこの店で飲み食いしていた気がする)等々。
だが……彼はそれには目をくれず、ギルドの一角……明らかに他の冒険者から冷たい目線が投げ掛けられている一角へと進む。握り拳を作り……額に青筋を浮かべながら……それを目的の人物"達"に振り下ろした。
「わっ!」「がっ!」「ぎゃっ!」「はきゃっ!」「あはっ!」「ぴゃんっ!」
「……俺は言ったよな?いちゃつくなら場所をわきまえろっつったよな?」
ミリアム眼前で頭を抱える、身長150cmくらいの好事家に好かれそうな顔立ちの男と、その横で同じようにうずくまる二つの角を持つ黒毛のケンタウロス族――バイコーンに怒りをぶつけるように告げた。既に頭を抱えている。このやりとりに懲りてくれという思いで一杯らしい。
「いたた……酷いなぁ。インキュバスがどういうものか、君だって理解しているじゃないか」
「家の周辺を半日で暗黒魔界に変えたお前と、二年以上明緑魔界で止めて自然を復活させた俺、どちらもインキュバスだが?つか領域外では自重しろ」
「嫁の性格の問題だな」
「交合こそジャスティス!」
自重しろ、とガッツポーズで強調する両人の額にチョップしつつ、ミリアムは再び溜め息を漏らす。妻"達"に溺れたら恐らく自分もこうなるのだろうと思うと、改めて妻と彼自身の自制心に感謝したくなる。バイコーンは兎も角、他の魔物は、明らかに外見年齢が……低い。それこそ酒場に入ったら冷やかしかと冷たい視線を投げ掛けられる程に低い。ただそれは、自分の妻達にも言えるのだ。
閑話休題。ミリアムがそんな、端から見たら同類と言われかねない男をわざわざ呼んだ理由は……その幼い外見を持つ魔物の一人に頼みたいことがあったからだ。
「……んで、まさかわざわざ公衆の面前でいちゃいちゃさせたいから呼んだ、そんなわけがないのは察しているよな?あとお前の嫁を何とかしろ」
「勿論。セリィ、ウィリー、彼の首の毛をプチプチ抜くのは止めてあげて……エンジ、彼――"王様"の話を聞いて貰いたいんだ」
ミリアムの首の毛をぷっちんぷっちん抜いて、先程の憂さ晴らしをするピクシーとインプを後ろに下がらせつつ、彼はこの場にいる嫁の一人を呼んだ。既に酒を呷っているが……彼の視線の先、残り二人の嫁も似たようなことをしているので最早今更である。
赤み一つ見せない肌のまま、酒臭い息を吐きつつミリアムを見据えるエンジは、幼稚園児もいいところの外見には似つかわしくないどこか老成された雰囲気を持っている……正確に言うなら、おっさん臭い。だが仕方ないだろう。彼女の種族――ドワーフはそういう種族なのだ。
「――ぷはぁっ。で、何の用件だい?"王様"」
酔っているように見えて、まだ瞳には理性の光が見える彼女に目線の位置を合わせ……ミリアムは一枚の紙を出して、言った。
「――遺跡中心部の、放水塔の機能研究、及び修繕に力を貸して欲しい。中心は研究だ。それで環境に著しい悪影響が見られないとするならば、修繕を頼む。
――ミレオム王国国王、ミリアム=ミレオムからの直の依頼、受けては頂けないだろうか」
――――――
ミリアムが王になった経緯はこうだ。
元々、砂漠の環境改善のために研究をしていた学者兼冒険者だったミリアム。彼は砂漠各地に広がる遺跡を巡り、時にアヌビスと口論し、時にスフィンクスに問いかけを行い、さらには時にファラオと直に歴史について語るなどして、砂漠化に至った原因とその改善策を突き詰めようとしていた。
そんな中、彼が偶然立ち寄った遺跡は、いささか奇妙なものであった。
ピラミッド、とはまた違う、λのような形をした建造物が幾つも建ち並び、それらの先端は穴が開いているようだった。まるで何かを放つかのように。
さらにそれらは、恐らく彼が生まれる前から存在していただろうにもかかわらず、その外観に瑕疵一つ見られなかった。
「古代の軍事兵器か?」
果たしてそれが何かは解らないが、奇妙な形は彼の心を掴んで離さなかった。そんなこんなで彼はその遺跡の近くにキャンプを張り、探索することにしたのだった。
不思議なことに、遺跡には塵や埃などがさして積もっていない……重要拠点のみに破損個所こそ数々あれど、環境としては整備が行き届いている、と言っても過言ではなかった。
彼は辺りを見回す。アヌビスも、スフィンクスも、マミーすらも居ない遺跡。ということは恐らくはファラオも居ないだろう。魔界に堕ちていないことだからアポピスも存在しない……いや、存在して、旧時代にファラオを殺める役を果たし滅びたか。だとすれば恐らくは、と彼は思考を進めていく。
果たして、思考の通り、彼の視線の先に一匹の魔物が現れたのだった。とはいえ、最初に見えたのは、どこか粘っこい濃い紫〜黒色の玉だったが。
「おそうじーおそうじーおおさままだかなー♪」
黄金の硬質な外殻とそこに隠された羽をうきうきぱたぱたさせながら、●をころころ転がしてブラックホールよろしく辺りの塵を吸い込んで固め、煉瓦状の何かに変化させては横に積んでいく魔物を目視すると、彼は一度柱の影に身を隠した。王無き遺跡の住人であるケプリの特徴は、彼女らの住む地を治める『王』を求める習性がある。もしも彼女らの持つ●をぶつけられれば……彼女らの王になることになるのだ。まだ遺跡探索が半端な状態で、それは避けたい。
というわけで一度身を隠した彼は、魔物の気配を探りつつそれを避け、遺跡の中に身を潜らせていったのだった。
「……これは酷い」
恐らくケプリが来たときには完全に盗掘者に荒らされきっていたのだろう。王の間には金目の物は何もなく、歴史を示す物は時によって風化させられていた。これでは王が誰でどのような歴史があり、あの奇妙な建物が何か分からないではないか。
周辺を探るも、めぼしい物はない。隠し扉も見つかる気配はない。ノックすれど聞こえるのはしっかりした音の反響だけ。向こうに空間があるときのあの世界が広がる反響は伝わってこない。
「……目星の一つでも欲しかったが……仕方ない」
王の間での手掛かりが見つからない以上、別の場所で探すしかない。そう彼は自らに言い聞かせ、魔物の気配を探りながら、何とか一匹のケプリにも遭遇せず、建物の中で一番風化の激しい王墓があった遺跡から抜け出した。辺りに点在する廃墟めいた建築物とλの奇妙なオブジェを眺めているウチに、ミリアムは不思議なことに気付いた。
件のλ状の建築物、その先端が向いている方向の逆向きに線を引くと、その線は一カ所でぴったり交わり、その箇所には建造物が存在しているのだ。
「……そう言えば、シンメトリーを尊ぶ地域だったか……」
研究の一環で仕入れた知識を思い出しつつ、彼はその建物に入ろうとして――その建物の前に置かれた、設置されているモノに目が行った。彼の胴体ほどの大きさの石が角を整えられ、敷き詰められている。壁画だ。この時代でも殆ど落ちておらず、風化してもいないそれは、当時にすれば上等な絵の具を使っていたのだろう。
だが、ミリアムの意識ははそんな学術的な考察よりも、そこに描かれている内容に向けられていた。
……かつてこの場所は緑豊かであったらしい。農作業をする住民の姿や、屈強な奴隷に担がれる王の姿も描かれている。彼らの視線の先にあるモノは、空。それも只の空ではない。この町を中心として広がる、光のプリズム……虹だ。
と……虹から少し下に視線をおろすと、何やら下の方から空に向かって放たれている……?何が放たれているんだろうか。そのまま下に、彼の視線が向かっていって……。
――長時間、無防備に壁画を見続けた彼を、ケプリ達が発見するのは訳もないことだった。
彼がその気配に気付き、振り返ったとき、彼の目の前には大量に迫り、一部は重なってさらに巨大化する●達だった……。
――その後はご想像の通り、魔力の影響で一気にインキュバスと化したミレアムはそのままケプリ達と交わり続け、正気を取り戻したのは三日後であったらしい。寝ている間も起立する逸物にぐちゅぐちゅと腰を落としながら快感の余波を味わおうとするケプリ達を確認するやいなや、彼はそのまますぐさま動きを押し留めた。
既に外は薄暗くなりつつあり、暗黒魔界まっしぐらになりつつあったところを、すんでの所で踏みとどまった形となる。
彼はケプリ達に告げた。汝らは俺に何を望むのか、と。
ケプリ達は彼に告げた。私達の王であることを望む、と。
彼は考えた。王として何を為すべきか、王たる者の使命は何か、何を目指すべきであるか、と。王、定めし地の支配者であり象徴。つまり、彼自身が象徴となる何かを据える必要がある。同時に、王は民の上に成り立つものである。王として、民を生かすために為すべき事は何か。
元気玉ならぬ淫気玉よろしく体の数倍もある大量の魔力をケプリ達によって与えられた彼は、既に人間は愚か、インキュバスの枠すら越えつつある事を感じていた。
ならば、彼が望むことは一つであった。
「――では、ミレオム王国ミリアム=ミレオムが命じる――」
こうして、ミリアムはケプリ達の王となり、自らの王国を明緑魔界とし、ケプリの力を使って領地の魔力値を明緑魔界として正常な値へと引き戻したのだった。
無論、戻すのに一年近く掛かったが、それでも早いと言える。
――――――
彼の依頼から数日後、エンジは自らの伝手をフルに利用し、彼女が妻となる前に所属していた職人集団『趣味人(しゅみんちゅ)』の面々と、水の精霊使いを一人呼び寄せた。『趣味人』は丁度デルフィニウムの改装が終わった辺りで次の仕事まで時間が開いていた辺りに、面白そうな浪漫溢れる仕事が入ったと、喜色満面でOKしたらしい。水精霊使いもまた同じ理由だそう。案外この世界に楽天家は多いらしい。
ともあれ、そんな楽天家が集ったお陰で、こうして研究及び作業が出来る、とミリアムは思い直し、計画を改めて見直した。まず『趣味人』達によって装置の構造なり組成なりを確認して貰うのが一週間。その間に水精霊使いが辺りの水の魔力、及び水脈について調べる。そしてその成果如何から、建物の復旧か否かを決めるのだ。
「ふぃ〜、外のモンいじった事はあんだが、あれよか複雑そうだな!」
「あぁ、違いねぇ。復元術式の功罪って奴だな……」
建造物の壁を削り取り、観察するドワーフ達。端から見れば珍しい石を前にきゃいのきゃいのしている幼稚園児に見えなくもないが、その口調が明らかにおっさんである事から非常にアンバランスかつ異様な光景と化していることは疑いようもない。
因みに復元術式とは、建物全体に刻み込まれる術式で、これが作動すると何らかの理由で倒壊したとしても、崩壊したところから魔力を消費して再生し、時間こそ掛かるが元通りにしてしまう術式である。完全に戻るには相応の魔力こそ必要だが、微量の魔力でも作動自体は簡単なため、建造物へのおまじないとして刻み込まれていた時代があったらしい。
ただ、この遺跡に刻み込まれているそれは、おまじないのような類の物でなく、本気で残そうと考えて刻まれている事を、ドワーフ達は感じていた。同時に、その魔力が強すぎるせいで、他の魔力が上手く感じ取れない、判別できないとも。だがそれでも、大体この建造物がどういう仕組みで動くかは分かったらしい。
一方、精霊遣いは辺りの水の魔力を探りつつ、ウンディーネと駅弁スタイルをしていた。所謂頭フットー系カップルである。当然既にウンディーネは闇精霊化している。
まぁこの世界には互いの名前を呼び合い、時にギシアンしながらヴァンパイアを説得(物理)するダンピールとインキュバスの夫婦がいるので何も問題はない。
「んー、この辺りは土の魔力だけかと思ったら……んっ……」
「水の魔力も……あっ♪……あるのねぇ……あうんっ♪♪」
問題はない……少なくともこの場において、当人らにとっては。
「……何なんだこの奇妙奇怪奇天烈摩訶不思議な行動は」
明緑魔界を維持するミリアムからすれば、作業効率もそうだが王国内風紀もどうにかして欲しいと願うのも無理はない。どちらを優先すべきか迷っていると、彼の妻の一人が金色の羽を期待に震わせながら彼の後ろでもじもじしていた。
「俺はやらんぞ。国内風紀にかかわる」
「えー」
明らかに残念そうなケプリだが、このままもつれ込めば作業終了が一ヶ月どころか一年後も危うい事は彼がよく理解していた。
今は、彼女達のために放水塔を調べ尽くすことが重要だ、そう自らに言い聞かせて、ミリアムは現状分かったことを日々書き連ねていった。
……そう言えば、と彼は思う。初めは盗掘者に荒らされたと思っていたが……ゆっくりとした王墓の復元の様子を見ていると、どうやら野盗が壊したものとは言い切れないようだ。意図的に、というよりも寧ろ圧倒的な無差別暴力によって壊された、とするのが的確に思われる。だが、金品類や恐らく現在では文化遺産として国宝級の代物が無くなっているのは、略奪にあったと判断して然るべきだ。一体何故滅んだのか……。
「……後で考えるか」
もしかしたら王墓の崩壊と、国家の消滅が関係しているのかもしれないなどという与太話を頭から振り払い、彼はただ、次々に持ち込まれる資料に目を通して、稼働の是非を判断することに頭を使うのだった……。
――――――
結論は、日常的な使用は無理にしろ、数年に一度のイベントとして放水することは可能、というものだった。
装置自体に何の瑕疵もない。寧ろこれが今まで作動せずにただ佇んでいたことが不思議だ、という『趣味人』達の報告に、ミリアムはただ驚く他なかった。もしかしたらケプリ達が掃除をしていたこともあるのかもしれない。●を使って魔力ごと周りの塵を固めてどういう化学反応を起こしてか煉瓦にして吐き出して竈の材料にしていた彼女達だ。うっかり●を件の放水塔に吸収されて起動してもおかしくはない。
寧ろ問題となるのは水の魔力を集めて水を錬成したりするなどしないと集まらない、大量の放水用の水の確保だった。頭フットー精霊使い曰く、「昔だったら月一の放水でイケたけど、現状は数年に一度じゃないと王様の尽力を不意にすることになる」とのこと。
ミリアムはその言葉を受けて、現状はあとどれだけで放射できるかを尋ねると、彼らは三ヶ月後、一台ごとの試射を入れるならばプラス三ヶ月だ、と答えた。無論繋がったままで。
「……やらないからな」
「けちー!」
頬をぷぅ、と膨らませる娘ケプリを宥めつつ、彼はいつ放出するか考えるとした。彼女らを信頼すべきか、それとも慎重を重ねるべきか……。
悩む彼の元に……既に小瓶のバーボンを手にしたドワーフ、エンジがぴこぴこと近付いてくる。彼女はケプリ達とコントロール室や彼女達の住居を回りつつ、懸念事項及びその解消チェックリストを作成していた。そのリストには――彼が懸念していた物も含め、全て対策済みにチェックマークが打たれていた。
「生まれついての工作種族であるアタシらを信用してくれや。骨の髄まで調べ尽くしてこの結果だからさ……正直試射なんざ必要ないよ」
「そうだよ!私達毎日綺麗にしていたもん!」
いつの間にか彼女の横には捻り鉢巻をした娘の一人がおり、偉いでしょ、とばかりに胸をすとーん、と張っていた。彼は思い返すと、娘が何人か帰るのが遅かったりした事に思い当たった……まさかあの塔を掃除していたとは思考の隅にすら浮かばなかったが。
「全く嬢ちゃん達は大したもんだよ!隅々まで掃除してくれたお陰でアタシらの作業が随分楽になったんだぜ!」
喜色満面に告げるエンジの顔は、目映い限りの活力に満ちていた。彼が辺りを見渡すと、そこには同じような顔をして彼を見つめる作業員と娘達の顔。
王として、彼女らの自信を霧散させるわけにはいかない。ミリアムは自らに言い聞かせ、一呼吸置き、告げた。
「――よし、結構は三ヶ月後!みんな有り難う!そして三ヶ月後に再び、この王国にて会おう!」
――――――
――日々の整備と操作確認を入念に済ませ、三ヶ月後。ミリアムは塔を操作する施設の中にいた。古代象形文字と共に、元々この地方で用いられていたと言う魔法文字が組み合わさったそれを読み解き、注ぐべき魔力と唱えるべき呪文を何度も発音矯正しつつ確認したこの三ヶ月の訓練を思いつつ、彼は壁画に描かれただろう地点にいる協力者達に目を向けた。
頷き返されたのを目視で確認すると……王は、何度も確認した『短時間起動』の呪文が描かれた石版を、魔力を込めた指でなぞった。そして――口内で呪文を唱えると、高らかに叫ぶ!
「――刮目せよ!これが太古より心を潤せし七色の橋である!」
ゴウン、ゴウン、ゴウン……。
地面の下に埋もれた何かが撹拌され、渦を巻いている。飛沫が、水の塊が壁に当たる衝撃が重い振動となって地面を揺らしているかのようだ。地上にいても分かるほどの震動。それを彼女達は幾星霜を超えて再びその力を振るうことの出来る、強大なる建築物があげた喚起の哮りであると感じられた。
ゴウン、ゴウン、ゴウン……。
哮りは次第に放水塔の下部から響き始める。秘められ、蓄えられた奔流が、竜にならんと欲する鯉の如く勢いよく重力に逆らい遡っていく。彼はその様子を、コントロールルームから離れ、嫁や娘達と同じ位置に立っていた。
ゴウン……ゴウン、ゴウンゴウンゴウンゴウンゴウンゴウン!
放水塔の震えが先端へと近付き、重いバリトンの音がテノール、アルト……そしてソプラノへと移り、そのままピッコロの音域へと行き着きそうな頃合いで――!
――シャアアアアアアアアアアア……。
「……」
幾星霜の時を経た、二度と動かぬ過去の遺物となりかかっていた巨塔の戦慄きと共に、先端から放たれる、煌々とした生命の奔流。大地が欲して止まない恵みの飛沫が六棟の巨大な塔から高らかな轟音を立てて飛び出していく。まるでそれは、悠久の時の間抑えられていた力を、思う存分解放しているようでもあった。
豪快だ。
豪快でありながら、何処か繊細さが見え、しかし見るものはただそれに圧倒される他ない。恐らく古代にこの地にて塔を建設した王国は、この風景を権威の象徴としたのだろう。確かに、この光景は壮観であり……何より、“夢”がある。
「わぁ……♥」
「こいつぁたまげたねぇ……古代人様様、かね」
「ふふ……飛沫が描くプリズム……贅沢の価値がある風景よ」
放水塔から放たれる水、その粒子が無数にぶつかり合って出来た飛沫が太陽の光を遮り、鮮やかな七色の虹を空に描いている。しかも彼らの前に現れたのは、幸運の象徴として名高い、虹の上にさらに大きな虹が掛かる二重虹であった。
絵画には、幾重にも重ねて虹が掛かっていた
「……」
ミリアムに言葉は無かった。あるのは、ただ心を満たす感動のみ。愛する王妃の夢の一つが、今まさに眼前に成就された事と、彼女の――いや、彼女を含む臣民が望んでいた風景を蘇らせることが出来た事、そして、全てのわずらわしい世間の出来事が些事に思えるほど美しい、この二重の虹……。
「……」
無論、これを実現できたのは計画した彼の力だけではない。今此処で虹を眺めそれぞれの感情を抱いている、計画を現実のものにした協力者達のお陰である。彼は王として、何よりミリアム=ミレオム個人として、彼らに改めて感謝の意を伝えようと、虹に背を向け、口を開こうとした。
――彼らの地を地震が襲ったのは、その直後であった。
「――っ!?」
思わず倒れこむミリアム。地面に手を付いた拍子に彼は、これがただの地震でない事に気が付いた。それはケプリたちと交わった事による『王の加護』と呼べる類のものであったのかもしれないし、或いはインキュバス化し、この地の魔力と強い結びつきを持ったが故に気付けたのかもしれない。だが、そんな細かい原因は彼にとってどうでもよかった。
ただ王として――今なすべきことを指示するだけ。
「――放水塔から離れるぞ!!」
言うが早いか、ケプリ達はドワーフ達と精霊遣い夫妻を抱えて、放水塔から自国領内で最も遠い位置へと翼をはためかせた。因みにミリアムは王妃ケプリに抱き締められている。慎ましいながらも柔らかな胸をこれでもかと押し付ける王妃ケプリ。どれだけ我慢していたのかありありと彼には理解できた。が、それは後に好きなだけやらせるとして、彼はしばし、彼女達に我慢してもらう事にした。
やがて……地面に降り立った彼らの視線の先で、地震の原因が勢いよくミレオム王国の地面を突き破って飛び出てきたのだった。
「――おみずーっ♪♪」
その瞬間、彼は理解した。何故そもそもこの国が滅んだのかを。
当初は彼は、他国の侵略が原因だと考えていた。魔力や精霊の力によって水を生み出すことの出来る装置、それは近隣の国家からしてみれば垂涎の対象であったことは確かだ。当時水準でも、この場所はオーバーテクノロジー気味ではあっただろう。
だが――蓋を開けてみれば何のことはない。ただ、大量の水を呑み込むことが出来る、時としてオアシス一つすら呑み込む魔物(正確に言うなら『だった』が付くが)、サンドウォームが押し掛け、蹂躙していったのだ。
建造物そのものには復元術式が組み込まれており、魔力の通った状態なら半月も経たず復元する事など造作もない。だが、呑み込まれた人はといえば……そして、水と共に全て砂虫の中に呑み込まれた王国は……。
「おいしいっ♪おいしいっ♪おっ……おいしぃぃぃぃっ♪」
人間の体のような本体部分だけではなく、周りの体の肉壁部分にも水を染み込ませるかの如くがぶがぶと溢れ出る水を呑み込むサンドウォーム。放水塔に体を巻き付けつつ優雅な……というにはどこか稚い水飲みを満喫しているその姿に、一堂はただ唖然とするしかなかった。
「……これもなかなか壮観じゃないか」
「まさか王国とサンドウォームに相関があったなんてねぇ……」
「壮漢が必要じゃないかな?独身みたいだし」
「……王として、出来ればこいつを砂の中に送還したい。今すぐにでも、寧ろ今すぐに、だ。
迎撃部隊、魔力玉をぶつける準備は止めておけ。逆効果だ」
ミレアムは周りの妻や娘達の行為を手で制しつつ、次に自分は何をするべきか、思案を巡らせる事にしたのだった……。
――――――
結局、サンドウォーム用に一つ、放水塔を向けることにした。水の魔力の充填は明緑魔界であるこの地では楽である上、サンドウォームが近くに、ただし領内に入らない限りは堅固な城塞代わりとして役立つと考えたからだ。
建築術式を変えるのは『趣味人』に一任し、ミリアムは今後の放水スケジュールを考えることにした。幾度かの放水実験により耐久性は確認でき、魔力及び水の貯蓄も十分。後はどれくらいの期間で水が溜まるかを確認し――。
「――あなたー♪」
「――どうした……と、聞くまでもないか」
胸元に飛びかかる、王妃ケプリの朱が差した顔を見て、ミリアムは悟った。流石にあれだけ『おあずけ』したんだ。そろそろ応えなければ王失格だろう。
ペンを置き、彼は彼女と――その後ろ、乗り出さんがばかりにドア枠にしがみつく"妻"達と共に、防魔処理が施された大広間もとい寝室に、身を潜らせたのであった……。
――――――
交易の宿場街として有名なミレオム王国。
そこでは数年に一度、『虹の郷祭り』が行われる。
放水塔から放たれる大量の水のアーチ、無数の飛沫が作り出す、王国の王墓を中心に架かる虹は数多の観光客の心を捉えて離さないという。噂によると、他国のファラオも旦那と共に足繁く通っているとか。
ただ、その時間帯の砂漠の通行は、特に独り身の通行はお勧めできない。何故なら……放出される水目当てに訪れるサンドウォームの群れに、間違いなくお持ち帰りされるからである。
fin.
大陸南南西の海岸線上に位置するこの町は、町の名に冠された野獣の如く金と名誉に飢えた、腕利きの冒険者達が集う。大陸各地の依頼が集う"ならず者の聖地"と蔑まれるこの町に、一人の褐色肌の男がふらりと現れた。身長は180cm程、お世辞にも戦士には見えない細い腕に脚、そして調って見える顔。手入れさえすればどこぞのいいとこのボンボンにも見えるこの男――ミリアム=ミレオムは、入場許可証代わりのギルド会員証を見せると、スリをしようとした少年の腕を片手で捻り引きずりつつ、仕事を求めて冒険者ギルドへと身を潜らせた。
「いらっしゃ――またやったのかこの餓鬼は」
入るや否や、彼に捻られ涙目の少年を一瞥し、溜め息を吐くギルドマスター。ミリアムはそんな彼に少年を預けつつ、ギルドの待合室を一通り眺める。特に反魔物というわけではないことから、ちらちらと魔物の姿が見られる。大剣使いに目を輝かせて迫るサラマンダーや、フードを被った妖狐(股から脚にかけて濡れているのでバレバレ。逢い引きもナンパも外でやれ、とミリアム自身は考えている)、ギルドに許可を貰って格安で武器の修繕を行っているサイクロプスに、服の修繕を行うアラクネ(確か前に金がないのにこの店で飲み食いしていた気がする)等々。
だが……彼はそれには目をくれず、ギルドの一角……明らかに他の冒険者から冷たい目線が投げ掛けられている一角へと進む。握り拳を作り……額に青筋を浮かべながら……それを目的の人物"達"に振り下ろした。
「わっ!」「がっ!」「ぎゃっ!」「はきゃっ!」「あはっ!」「ぴゃんっ!」
「……俺は言ったよな?いちゃつくなら場所をわきまえろっつったよな?」
ミリアム眼前で頭を抱える、身長150cmくらいの好事家に好かれそうな顔立ちの男と、その横で同じようにうずくまる二つの角を持つ黒毛のケンタウロス族――バイコーンに怒りをぶつけるように告げた。既に頭を抱えている。このやりとりに懲りてくれという思いで一杯らしい。
「いたた……酷いなぁ。インキュバスがどういうものか、君だって理解しているじゃないか」
「家の周辺を半日で暗黒魔界に変えたお前と、二年以上明緑魔界で止めて自然を復活させた俺、どちらもインキュバスだが?つか領域外では自重しろ」
「嫁の性格の問題だな」
「交合こそジャスティス!」
自重しろ、とガッツポーズで強調する両人の額にチョップしつつ、ミリアムは再び溜め息を漏らす。妻"達"に溺れたら恐らく自分もこうなるのだろうと思うと、改めて妻と彼自身の自制心に感謝したくなる。バイコーンは兎も角、他の魔物は、明らかに外見年齢が……低い。それこそ酒場に入ったら冷やかしかと冷たい視線を投げ掛けられる程に低い。ただそれは、自分の妻達にも言えるのだ。
閑話休題。ミリアムがそんな、端から見たら同類と言われかねない男をわざわざ呼んだ理由は……その幼い外見を持つ魔物の一人に頼みたいことがあったからだ。
「……んで、まさかわざわざ公衆の面前でいちゃいちゃさせたいから呼んだ、そんなわけがないのは察しているよな?あとお前の嫁を何とかしろ」
「勿論。セリィ、ウィリー、彼の首の毛をプチプチ抜くのは止めてあげて……エンジ、彼――"王様"の話を聞いて貰いたいんだ」
ミリアムの首の毛をぷっちんぷっちん抜いて、先程の憂さ晴らしをするピクシーとインプを後ろに下がらせつつ、彼はこの場にいる嫁の一人を呼んだ。既に酒を呷っているが……彼の視線の先、残り二人の嫁も似たようなことをしているので最早今更である。
赤み一つ見せない肌のまま、酒臭い息を吐きつつミリアムを見据えるエンジは、幼稚園児もいいところの外見には似つかわしくないどこか老成された雰囲気を持っている……正確に言うなら、おっさん臭い。だが仕方ないだろう。彼女の種族――ドワーフはそういう種族なのだ。
「――ぷはぁっ。で、何の用件だい?"王様"」
酔っているように見えて、まだ瞳には理性の光が見える彼女に目線の位置を合わせ……ミリアムは一枚の紙を出して、言った。
「――遺跡中心部の、放水塔の機能研究、及び修繕に力を貸して欲しい。中心は研究だ。それで環境に著しい悪影響が見られないとするならば、修繕を頼む。
――ミレオム王国国王、ミリアム=ミレオムからの直の依頼、受けては頂けないだろうか」
――――――
ミリアムが王になった経緯はこうだ。
元々、砂漠の環境改善のために研究をしていた学者兼冒険者だったミリアム。彼は砂漠各地に広がる遺跡を巡り、時にアヌビスと口論し、時にスフィンクスに問いかけを行い、さらには時にファラオと直に歴史について語るなどして、砂漠化に至った原因とその改善策を突き詰めようとしていた。
そんな中、彼が偶然立ち寄った遺跡は、いささか奇妙なものであった。
ピラミッド、とはまた違う、λのような形をした建造物が幾つも建ち並び、それらの先端は穴が開いているようだった。まるで何かを放つかのように。
さらにそれらは、恐らく彼が生まれる前から存在していただろうにもかかわらず、その外観に瑕疵一つ見られなかった。
「古代の軍事兵器か?」
果たしてそれが何かは解らないが、奇妙な形は彼の心を掴んで離さなかった。そんなこんなで彼はその遺跡の近くにキャンプを張り、探索することにしたのだった。
不思議なことに、遺跡には塵や埃などがさして積もっていない……重要拠点のみに破損個所こそ数々あれど、環境としては整備が行き届いている、と言っても過言ではなかった。
彼は辺りを見回す。アヌビスも、スフィンクスも、マミーすらも居ない遺跡。ということは恐らくはファラオも居ないだろう。魔界に堕ちていないことだからアポピスも存在しない……いや、存在して、旧時代にファラオを殺める役を果たし滅びたか。だとすれば恐らくは、と彼は思考を進めていく。
果たして、思考の通り、彼の視線の先に一匹の魔物が現れたのだった。とはいえ、最初に見えたのは、どこか粘っこい濃い紫〜黒色の玉だったが。
「おそうじーおそうじーおおさままだかなー♪」
黄金の硬質な外殻とそこに隠された羽をうきうきぱたぱたさせながら、●をころころ転がしてブラックホールよろしく辺りの塵を吸い込んで固め、煉瓦状の何かに変化させては横に積んでいく魔物を目視すると、彼は一度柱の影に身を隠した。王無き遺跡の住人であるケプリの特徴は、彼女らの住む地を治める『王』を求める習性がある。もしも彼女らの持つ●をぶつけられれば……彼女らの王になることになるのだ。まだ遺跡探索が半端な状態で、それは避けたい。
というわけで一度身を隠した彼は、魔物の気配を探りつつそれを避け、遺跡の中に身を潜らせていったのだった。
「……これは酷い」
恐らくケプリが来たときには完全に盗掘者に荒らされきっていたのだろう。王の間には金目の物は何もなく、歴史を示す物は時によって風化させられていた。これでは王が誰でどのような歴史があり、あの奇妙な建物が何か分からないではないか。
周辺を探るも、めぼしい物はない。隠し扉も見つかる気配はない。ノックすれど聞こえるのはしっかりした音の反響だけ。向こうに空間があるときのあの世界が広がる反響は伝わってこない。
「……目星の一つでも欲しかったが……仕方ない」
王の間での手掛かりが見つからない以上、別の場所で探すしかない。そう彼は自らに言い聞かせ、魔物の気配を探りながら、何とか一匹のケプリにも遭遇せず、建物の中で一番風化の激しい王墓があった遺跡から抜け出した。辺りに点在する廃墟めいた建築物とλの奇妙なオブジェを眺めているウチに、ミリアムは不思議なことに気付いた。
件のλ状の建築物、その先端が向いている方向の逆向きに線を引くと、その線は一カ所でぴったり交わり、その箇所には建造物が存在しているのだ。
「……そう言えば、シンメトリーを尊ぶ地域だったか……」
研究の一環で仕入れた知識を思い出しつつ、彼はその建物に入ろうとして――その建物の前に置かれた、設置されているモノに目が行った。彼の胴体ほどの大きさの石が角を整えられ、敷き詰められている。壁画だ。この時代でも殆ど落ちておらず、風化してもいないそれは、当時にすれば上等な絵の具を使っていたのだろう。
だが、ミリアムの意識ははそんな学術的な考察よりも、そこに描かれている内容に向けられていた。
……かつてこの場所は緑豊かであったらしい。農作業をする住民の姿や、屈強な奴隷に担がれる王の姿も描かれている。彼らの視線の先にあるモノは、空。それも只の空ではない。この町を中心として広がる、光のプリズム……虹だ。
と……虹から少し下に視線をおろすと、何やら下の方から空に向かって放たれている……?何が放たれているんだろうか。そのまま下に、彼の視線が向かっていって……。
――長時間、無防備に壁画を見続けた彼を、ケプリ達が発見するのは訳もないことだった。
彼がその気配に気付き、振り返ったとき、彼の目の前には大量に迫り、一部は重なってさらに巨大化する●達だった……。
――その後はご想像の通り、魔力の影響で一気にインキュバスと化したミレアムはそのままケプリ達と交わり続け、正気を取り戻したのは三日後であったらしい。寝ている間も起立する逸物にぐちゅぐちゅと腰を落としながら快感の余波を味わおうとするケプリ達を確認するやいなや、彼はそのまますぐさま動きを押し留めた。
既に外は薄暗くなりつつあり、暗黒魔界まっしぐらになりつつあったところを、すんでの所で踏みとどまった形となる。
彼はケプリ達に告げた。汝らは俺に何を望むのか、と。
ケプリ達は彼に告げた。私達の王であることを望む、と。
彼は考えた。王として何を為すべきか、王たる者の使命は何か、何を目指すべきであるか、と。王、定めし地の支配者であり象徴。つまり、彼自身が象徴となる何かを据える必要がある。同時に、王は民の上に成り立つものである。王として、民を生かすために為すべき事は何か。
元気玉ならぬ淫気玉よろしく体の数倍もある大量の魔力をケプリ達によって与えられた彼は、既に人間は愚か、インキュバスの枠すら越えつつある事を感じていた。
ならば、彼が望むことは一つであった。
「――では、ミレオム王国ミリアム=ミレオムが命じる――」
こうして、ミリアムはケプリ達の王となり、自らの王国を明緑魔界とし、ケプリの力を使って領地の魔力値を明緑魔界として正常な値へと引き戻したのだった。
無論、戻すのに一年近く掛かったが、それでも早いと言える。
――――――
彼の依頼から数日後、エンジは自らの伝手をフルに利用し、彼女が妻となる前に所属していた職人集団『趣味人(しゅみんちゅ)』の面々と、水の精霊使いを一人呼び寄せた。『趣味人』は丁度デルフィニウムの改装が終わった辺りで次の仕事まで時間が開いていた辺りに、面白そうな浪漫溢れる仕事が入ったと、喜色満面でOKしたらしい。水精霊使いもまた同じ理由だそう。案外この世界に楽天家は多いらしい。
ともあれ、そんな楽天家が集ったお陰で、こうして研究及び作業が出来る、とミリアムは思い直し、計画を改めて見直した。まず『趣味人』達によって装置の構造なり組成なりを確認して貰うのが一週間。その間に水精霊使いが辺りの水の魔力、及び水脈について調べる。そしてその成果如何から、建物の復旧か否かを決めるのだ。
「ふぃ〜、外のモンいじった事はあんだが、あれよか複雑そうだな!」
「あぁ、違いねぇ。復元術式の功罪って奴だな……」
建造物の壁を削り取り、観察するドワーフ達。端から見れば珍しい石を前にきゃいのきゃいのしている幼稚園児に見えなくもないが、その口調が明らかにおっさんである事から非常にアンバランスかつ異様な光景と化していることは疑いようもない。
因みに復元術式とは、建物全体に刻み込まれる術式で、これが作動すると何らかの理由で倒壊したとしても、崩壊したところから魔力を消費して再生し、時間こそ掛かるが元通りにしてしまう術式である。完全に戻るには相応の魔力こそ必要だが、微量の魔力でも作動自体は簡単なため、建造物へのおまじないとして刻み込まれていた時代があったらしい。
ただ、この遺跡に刻み込まれているそれは、おまじないのような類の物でなく、本気で残そうと考えて刻まれている事を、ドワーフ達は感じていた。同時に、その魔力が強すぎるせいで、他の魔力が上手く感じ取れない、判別できないとも。だがそれでも、大体この建造物がどういう仕組みで動くかは分かったらしい。
一方、精霊遣いは辺りの水の魔力を探りつつ、ウンディーネと駅弁スタイルをしていた。所謂頭フットー系カップルである。当然既にウンディーネは闇精霊化している。
まぁこの世界には互いの名前を呼び合い、時にギシアンしながらヴァンパイアを説得(物理)するダンピールとインキュバスの夫婦がいるので何も問題はない。
「んー、この辺りは土の魔力だけかと思ったら……んっ……」
「水の魔力も……あっ♪……あるのねぇ……あうんっ♪♪」
問題はない……少なくともこの場において、当人らにとっては。
「……何なんだこの奇妙奇怪奇天烈摩訶不思議な行動は」
明緑魔界を維持するミリアムからすれば、作業効率もそうだが王国内風紀もどうにかして欲しいと願うのも無理はない。どちらを優先すべきか迷っていると、彼の妻の一人が金色の羽を期待に震わせながら彼の後ろでもじもじしていた。
「俺はやらんぞ。国内風紀にかかわる」
「えー」
明らかに残念そうなケプリだが、このままもつれ込めば作業終了が一ヶ月どころか一年後も危うい事は彼がよく理解していた。
今は、彼女達のために放水塔を調べ尽くすことが重要だ、そう自らに言い聞かせて、ミリアムは現状分かったことを日々書き連ねていった。
……そう言えば、と彼は思う。初めは盗掘者に荒らされたと思っていたが……ゆっくりとした王墓の復元の様子を見ていると、どうやら野盗が壊したものとは言い切れないようだ。意図的に、というよりも寧ろ圧倒的な無差別暴力によって壊された、とするのが的確に思われる。だが、金品類や恐らく現在では文化遺産として国宝級の代物が無くなっているのは、略奪にあったと判断して然るべきだ。一体何故滅んだのか……。
「……後で考えるか」
もしかしたら王墓の崩壊と、国家の消滅が関係しているのかもしれないなどという与太話を頭から振り払い、彼はただ、次々に持ち込まれる資料に目を通して、稼働の是非を判断することに頭を使うのだった……。
――――――
結論は、日常的な使用は無理にしろ、数年に一度のイベントとして放水することは可能、というものだった。
装置自体に何の瑕疵もない。寧ろこれが今まで作動せずにただ佇んでいたことが不思議だ、という『趣味人』達の報告に、ミリアムはただ驚く他なかった。もしかしたらケプリ達が掃除をしていたこともあるのかもしれない。●を使って魔力ごと周りの塵を固めてどういう化学反応を起こしてか煉瓦にして吐き出して竈の材料にしていた彼女達だ。うっかり●を件の放水塔に吸収されて起動してもおかしくはない。
寧ろ問題となるのは水の魔力を集めて水を錬成したりするなどしないと集まらない、大量の放水用の水の確保だった。頭フットー精霊使い曰く、「昔だったら月一の放水でイケたけど、現状は数年に一度じゃないと王様の尽力を不意にすることになる」とのこと。
ミリアムはその言葉を受けて、現状はあとどれだけで放射できるかを尋ねると、彼らは三ヶ月後、一台ごとの試射を入れるならばプラス三ヶ月だ、と答えた。無論繋がったままで。
「……やらないからな」
「けちー!」
頬をぷぅ、と膨らませる娘ケプリを宥めつつ、彼はいつ放出するか考えるとした。彼女らを信頼すべきか、それとも慎重を重ねるべきか……。
悩む彼の元に……既に小瓶のバーボンを手にしたドワーフ、エンジがぴこぴこと近付いてくる。彼女はケプリ達とコントロール室や彼女達の住居を回りつつ、懸念事項及びその解消チェックリストを作成していた。そのリストには――彼が懸念していた物も含め、全て対策済みにチェックマークが打たれていた。
「生まれついての工作種族であるアタシらを信用してくれや。骨の髄まで調べ尽くしてこの結果だからさ……正直試射なんざ必要ないよ」
「そうだよ!私達毎日綺麗にしていたもん!」
いつの間にか彼女の横には捻り鉢巻をした娘の一人がおり、偉いでしょ、とばかりに胸をすとーん、と張っていた。彼は思い返すと、娘が何人か帰るのが遅かったりした事に思い当たった……まさかあの塔を掃除していたとは思考の隅にすら浮かばなかったが。
「全く嬢ちゃん達は大したもんだよ!隅々まで掃除してくれたお陰でアタシらの作業が随分楽になったんだぜ!」
喜色満面に告げるエンジの顔は、目映い限りの活力に満ちていた。彼が辺りを見渡すと、そこには同じような顔をして彼を見つめる作業員と娘達の顔。
王として、彼女らの自信を霧散させるわけにはいかない。ミリアムは自らに言い聞かせ、一呼吸置き、告げた。
「――よし、結構は三ヶ月後!みんな有り難う!そして三ヶ月後に再び、この王国にて会おう!」
――――――
――日々の整備と操作確認を入念に済ませ、三ヶ月後。ミリアムは塔を操作する施設の中にいた。古代象形文字と共に、元々この地方で用いられていたと言う魔法文字が組み合わさったそれを読み解き、注ぐべき魔力と唱えるべき呪文を何度も発音矯正しつつ確認したこの三ヶ月の訓練を思いつつ、彼は壁画に描かれただろう地点にいる協力者達に目を向けた。
頷き返されたのを目視で確認すると……王は、何度も確認した『短時間起動』の呪文が描かれた石版を、魔力を込めた指でなぞった。そして――口内で呪文を唱えると、高らかに叫ぶ!
「――刮目せよ!これが太古より心を潤せし七色の橋である!」
ゴウン、ゴウン、ゴウン……。
地面の下に埋もれた何かが撹拌され、渦を巻いている。飛沫が、水の塊が壁に当たる衝撃が重い振動となって地面を揺らしているかのようだ。地上にいても分かるほどの震動。それを彼女達は幾星霜を超えて再びその力を振るうことの出来る、強大なる建築物があげた喚起の哮りであると感じられた。
ゴウン、ゴウン、ゴウン……。
哮りは次第に放水塔の下部から響き始める。秘められ、蓄えられた奔流が、竜にならんと欲する鯉の如く勢いよく重力に逆らい遡っていく。彼はその様子を、コントロールルームから離れ、嫁や娘達と同じ位置に立っていた。
ゴウン……ゴウン、ゴウンゴウンゴウンゴウンゴウンゴウン!
放水塔の震えが先端へと近付き、重いバリトンの音がテノール、アルト……そしてソプラノへと移り、そのままピッコロの音域へと行き着きそうな頃合いで――!
――シャアアアアアアアアアアア……。
「……」
幾星霜の時を経た、二度と動かぬ過去の遺物となりかかっていた巨塔の戦慄きと共に、先端から放たれる、煌々とした生命の奔流。大地が欲して止まない恵みの飛沫が六棟の巨大な塔から高らかな轟音を立てて飛び出していく。まるでそれは、悠久の時の間抑えられていた力を、思う存分解放しているようでもあった。
豪快だ。
豪快でありながら、何処か繊細さが見え、しかし見るものはただそれに圧倒される他ない。恐らく古代にこの地にて塔を建設した王国は、この風景を権威の象徴としたのだろう。確かに、この光景は壮観であり……何より、“夢”がある。
「わぁ……♥」
「こいつぁたまげたねぇ……古代人様様、かね」
「ふふ……飛沫が描くプリズム……贅沢の価値がある風景よ」
放水塔から放たれる水、その粒子が無数にぶつかり合って出来た飛沫が太陽の光を遮り、鮮やかな七色の虹を空に描いている。しかも彼らの前に現れたのは、幸運の象徴として名高い、虹の上にさらに大きな虹が掛かる二重虹であった。
絵画には、幾重にも重ねて虹が掛かっていた
「……」
ミリアムに言葉は無かった。あるのは、ただ心を満たす感動のみ。愛する王妃の夢の一つが、今まさに眼前に成就された事と、彼女の――いや、彼女を含む臣民が望んでいた風景を蘇らせることが出来た事、そして、全てのわずらわしい世間の出来事が些事に思えるほど美しい、この二重の虹……。
「……」
無論、これを実現できたのは計画した彼の力だけではない。今此処で虹を眺めそれぞれの感情を抱いている、計画を現実のものにした協力者達のお陰である。彼は王として、何よりミリアム=ミレオム個人として、彼らに改めて感謝の意を伝えようと、虹に背を向け、口を開こうとした。
――彼らの地を地震が襲ったのは、その直後であった。
「――っ!?」
思わず倒れこむミリアム。地面に手を付いた拍子に彼は、これがただの地震でない事に気が付いた。それはケプリたちと交わった事による『王の加護』と呼べる類のものであったのかもしれないし、或いはインキュバス化し、この地の魔力と強い結びつきを持ったが故に気付けたのかもしれない。だが、そんな細かい原因は彼にとってどうでもよかった。
ただ王として――今なすべきことを指示するだけ。
「――放水塔から離れるぞ!!」
言うが早いか、ケプリ達はドワーフ達と精霊遣い夫妻を抱えて、放水塔から自国領内で最も遠い位置へと翼をはためかせた。因みにミリアムは王妃ケプリに抱き締められている。慎ましいながらも柔らかな胸をこれでもかと押し付ける王妃ケプリ。どれだけ我慢していたのかありありと彼には理解できた。が、それは後に好きなだけやらせるとして、彼はしばし、彼女達に我慢してもらう事にした。
やがて……地面に降り立った彼らの視線の先で、地震の原因が勢いよくミレオム王国の地面を突き破って飛び出てきたのだった。
「――おみずーっ♪♪」
その瞬間、彼は理解した。何故そもそもこの国が滅んだのかを。
当初は彼は、他国の侵略が原因だと考えていた。魔力や精霊の力によって水を生み出すことの出来る装置、それは近隣の国家からしてみれば垂涎の対象であったことは確かだ。当時水準でも、この場所はオーバーテクノロジー気味ではあっただろう。
だが――蓋を開けてみれば何のことはない。ただ、大量の水を呑み込むことが出来る、時としてオアシス一つすら呑み込む魔物(正確に言うなら『だった』が付くが)、サンドウォームが押し掛け、蹂躙していったのだ。
建造物そのものには復元術式が組み込まれており、魔力の通った状態なら半月も経たず復元する事など造作もない。だが、呑み込まれた人はといえば……そして、水と共に全て砂虫の中に呑み込まれた王国は……。
「おいしいっ♪おいしいっ♪おっ……おいしぃぃぃぃっ♪」
人間の体のような本体部分だけではなく、周りの体の肉壁部分にも水を染み込ませるかの如くがぶがぶと溢れ出る水を呑み込むサンドウォーム。放水塔に体を巻き付けつつ優雅な……というにはどこか稚い水飲みを満喫しているその姿に、一堂はただ唖然とするしかなかった。
「……これもなかなか壮観じゃないか」
「まさか王国とサンドウォームに相関があったなんてねぇ……」
「壮漢が必要じゃないかな?独身みたいだし」
「……王として、出来ればこいつを砂の中に送還したい。今すぐにでも、寧ろ今すぐに、だ。
迎撃部隊、魔力玉をぶつける準備は止めておけ。逆効果だ」
ミレアムは周りの妻や娘達の行為を手で制しつつ、次に自分は何をするべきか、思案を巡らせる事にしたのだった……。
――――――
結局、サンドウォーム用に一つ、放水塔を向けることにした。水の魔力の充填は明緑魔界であるこの地では楽である上、サンドウォームが近くに、ただし領内に入らない限りは堅固な城塞代わりとして役立つと考えたからだ。
建築術式を変えるのは『趣味人』に一任し、ミリアムは今後の放水スケジュールを考えることにした。幾度かの放水実験により耐久性は確認でき、魔力及び水の貯蓄も十分。後はどれくらいの期間で水が溜まるかを確認し――。
「――あなたー♪」
「――どうした……と、聞くまでもないか」
胸元に飛びかかる、王妃ケプリの朱が差した顔を見て、ミリアムは悟った。流石にあれだけ『おあずけ』したんだ。そろそろ応えなければ王失格だろう。
ペンを置き、彼は彼女と――その後ろ、乗り出さんがばかりにドア枠にしがみつく"妻"達と共に、防魔処理が施された大広間もとい寝室に、身を潜らせたのであった……。
――――――
交易の宿場街として有名なミレオム王国。
そこでは数年に一度、『虹の郷祭り』が行われる。
放水塔から放たれる大量の水のアーチ、無数の飛沫が作り出す、王国の王墓を中心に架かる虹は数多の観光客の心を捉えて離さないという。噂によると、他国のファラオも旦那と共に足繁く通っているとか。
ただ、その時間帯の砂漠の通行は、特に独り身の通行はお勧めできない。何故なら……放出される水目当てに訪れるサンドウォームの群れに、間違いなくお持ち帰りされるからである。
fin.
13/06/18 07:15更新 / 初ヶ瀬マキナ