『番外編:歴史あるサバトにて』
久しぶりに帰った自室、使い慣れた勉強机に乗っかっている大量の手紙類を除けつつ両肘を置き、私は……またいつぞやのように一人頭を抱えていた。
「ぅぁぁ……」
やりました。
やりやがりました。
やりやがりましたよあの過激派妹……過激派というか歌劇派って表現の方がしっくりくるけど。
確かに権威を象徴するかのように門から領主邸宅まで大通り一本で結ばれているからパレードに最適っぽい形はしている反魔物領だったけど、どんだけ派手に無双やらかしてくれたのよ、あのお祭り好きめ……。大通りから行列作って練り歩く様は、住民の皆様からすれば異様この上なかったでしょうね……。
別に反魔物領が親魔物領を通り越して魔界に変わることに関してはリリム的には何も問題ないのだけど、一気に魔界化させたときに起こる問題があるのは知っての通りなのよねぇ……。
「私、あの領のあの店、行っていないのにぃ……ぅぅ……」
思わず頬が綻ぶと評判のほろ苦スイーツ"アヤシュス"……ヴァレンティヌに行こうかと考えていたのに……あぁ、数日から一ヶ月の休業の後で間違いなく甘くなるわね。"精パフェ"みたいに。まーあれはあれで美味しい物なのは間違いないけど……つ、ん?
「この手紙は……」
そんなセンチメンタルな気分に浸っていた私の肘に、少し角が刺さる。何が触れたのやらと目を向けると、封筒。それもちょっとだけ良いもの。送り主は……魔力炙り出し?何でこんな面倒なことを……しかも五星封印にエア林檎にエア包丁?またすっごくややこしい封筒ねぇ。
「ちょちょいのちょいやで……っと」
適当な濃度の魔力を当てつつ五星封印の要となる文字を指で消し、浮かび上がった林檎を包丁で蔕も含めて綺麗に皮むきする。因みに発情中のユニコーンには皮むきという発言は厳禁よ。何せ童貞キラーですもの。初物ゲットは彼女達にとって最大の喜びですしね……っと、こんな所かしら。
リョナ……リャナンシーに鍛えられ可能となった、芸術的仕様が施された林檎の皮を前に、私は若干の達成感を覚えていた。ふふ、今回は林檎の皮でジパングの龍(本来の姿)を描いてみたわ。真似する人は居ないでしょう。
おっと、さて。本題の封筒はどうなっているのかしらね。……うん、ジパング語で何か書いてあるわね……何々。
『よびますか よびませんか』
「……」
さて、どうするべきかしら。胡散臭さ七割増のこの文字。何か字体が可愛い辺りも妙に胡散臭い。呼んだら厄介な事態になりそうな気が……あ、よく見たら下に別の文字が書いてある。
『寧ろ来ても良いのじゃよ』
御丁寧に肉球にフォークとナイフの焼き鏝らしき模様を文字の後に付けている。随分と手の込んだ仕掛けを入れるのね、多分送り主はバフォメットなんでしょうね。
つか寧ろって何よ。来て欲しいなら最初から来て欲しいと書いて欲しいと願うのだけど……まぁ細かいことは言いっこなしか。
「よし、行きますか」
私は部屋に鍵をかけると、下のメッセージに丸を一つくるりとつけた。さて、何が起こるのかしらね……。明緑魔界か普通の魔界か……方陣が出現して連れ去ってくれるのでしょうさ。
果たして私の予想を裏切ることなく、防魔結界を張っているはずの私の部屋の床に五星陣が描かれ、私の体は、視界は桃色の光に包まれた。微かな浮遊感……これは中々実用性の高い良い魔法陣ね。参考に出来ないかしら……なんて余所事に頭を割いていたら、到着。早速周りを見回してみようとする私は……。
「――よくいらしてくれたのじゃ!」
……足下、というかお腹辺りから響く声に、思わず下を向いた。
まるでエビの如く反り返る螺旋を描く二本角の中間辺りに可愛らしいうなじ、片髪には旧バフォメットの骨かと思われる物体がお面のようにちょこんと乗っている。……距離近すぎない?
「……お出迎え有り難う御座いますが、流石に距離が近すぎやしません?」
「おっと、これは失礼したのじゃ」
つい、と一歩下がりながら、改めて件のバフォメットは自己紹介を始める。まぁ、多分リリムの防魔結界を超えて移送方陣を作るくらいだから、それなりに高位のバフォメットの筈……。
「ようこそ、ベルフラウ=サバトへ!ウチが元締めのビュシャス=ベルフラウなのじゃ♪」
「ナーラ=シュティムともうしま……え?」
ち、ちょっと待て。い、今、このバフォメット……何て名乗った?
「ん、どうしたのじゃ?ウチの顔に何かついているのかの?」や、そこじゃない。何も付いていないし問題はそこじゃない。
「い、いえ……付いておりませんよ」
思わず敬語めいた何かが口から溢れるくらいには動揺してますとも。何せ、だって、目の前のバフォメットって、私より年上ってだけじゃなくて。
「?ふむ……おお、ウチが喚んだ理由からすれば仕方ないことだったかの。ウチが想定した以上に食に傾倒しておったか!喜ばしいことじゃのう!あーっはっはっは!」
「……えぇと、ビュシャス=ベルフラウ、ということはまさか……!」
一応確認するために、もう一度名前を呼んでみると……嬉々として、反応を返してくれた。
「左様!ウチのサバトは食の快楽を追求しておる唯一無二のサバトじゃ!昔はベラワーフとも名乗っていたが、どうにも響きが悪くてのう。故にベルフラウに変えたのじゃ!」
小さな胸をでん、と張る彼女に、私は内心頭が喜びでクラクラして倒れそうだった。
まさかのまさかのそのまたまさか。……あぁ、やっぱり……まさかの大物にして、伝説クラスの魔物にお呼ばれされちゃったー!
――――――
「――と言うわけで、ウチはこうして食のサバトを続けているわけなのじゃが、如何せん有名になりすぎてのう。今じゃこうして限られた者を招いたり、馴染みの店にひょっこり顔を出すことしかやっておらぬのじゃ」
やれやれとばかりにため息を吐く彼女の言葉を、私はただ感心する事しかできなかった。前魔王の時代から生きているのか、彼女は。で、親バフォメットから自由にしろと言われ見つけた快楽が"食"。惚れ惚れするわね。流石伝説の食バフォメット。
その後の伝説は各地に石碑やチェーン化した店を知るべし見るべし味わうべし。奇っ怪なる餡掛けパスタなるジ大折衷料理を世に広めたり、魔力の籠もった六色団子なるものを開発して世のオーガ族を喜ばせたり、調理はおろか、捌くことさえやりづらいことで有名な魔界植物『忍耐の果実』を大陸で初めて十分以内に捌いてパフェのメインに沿えてみたり…うーん、お見事。
「ロメリア、いや、ナーラ……お主は理由あって本名を隠しているようじゃが、ウチはその気持ちよう分かるぞ?正体がばれてしまえば騒がしくなる物も多いからのう」
うんうん。そうなのよねぇ……というか魔王城に封筒送っている時点で本名分かっているじゃないですかベルフラウさん。
「そうなんですよね。私にはまだ店を開く気はないですし、婿を勇者から捜す気もないのに……」
申勇Nというわけよ。珍しいかもしれないけれど私はそう言う主義なの。武よりも食。
「店を開けばまず主なら成功するじゃろうが、開くつもりがないのなら開かない方がよい。無理強いするものでもあるまいにのう……」
心底同情する言葉を吐きつつ、彼女が指を鳴らすと、テーブルの上にドリアードの細枝が編み込まれたミニバスケットが現れた。透明化呪文を消したらしい。そしてそのバスケットの中には……これは中々凄い物が出てきたぞ……。
「主のまかいもフライを発展させてみたのじゃ。中々美麗であろう?」
いや、美麗なだけじゃない。包丁の入れ方から油に入れる角度や時間、油自身も温度をコンマ以下で調整している……。
それはさながら皿の上に咲いた黄色い水晶花のよう。フグの刺身すらここまで美麗にはならないんじゃないかと思えるほど、その形状は理想化された花の形に整えられ、なおかつ瑕疵一つ見られなかった。
これだけ美しかったら、普通は食べるのも躊躇われるところだけど……私のお腹も、彼女のお腹も見事な音色を奏で、既に私は口に涎が溜まるのがはっきりと感じられていた。
「……ん。これは……」
「『命仙花』というウチのオリジナル料理じゃ。大元の開発主さん、そうそう用意に真似させんぞ♪」
や、これは単純に難しい。まず材料で"どの"まかいもを使うかっていう問題があるし、何よりこの形に包丁を入れるのが……。アルスでも相当難しい筈。流石食サバトの主……。
「媚薬の類は使っておらぬぞ。食ミサではないからの」
「有り難う御座います」
さて、どう食べたものかな……心境的に真ん中の方が味が詰まっていそうだけれど……その分熱そうだ。火傷は味を損ねるから……よし。端から摘んでいこう。
箸で掴むと、カリッカリの表面の感触がしっかりと伝わってくる。けど、同時に中に詰まった柔らかな身の感触もそこはかとなく指に自己主張している。
重くもなく、かといって軽くはない身の重さ。これは期待できるわね。ポテトの表面にキラキラ光るスパイスが、何とも不思議な雰囲気を醸し出して……。
そう言えば、スパイスは一部は宗教的にトリップするために使われるんだったっけ。だとしたらこの香り……DJ辺りだったら腹に来るビートに明滅するフラッシュとでも表現しそうなこのパフュームも納得ね。
微かに立つ湯気に混ざる、どこか野性味と肉感溢れる香り……もしやこの芋を作ったのはワーウルフかミノタウロス?とすると期待できるわね。何せ……。
私はその熱を感じる殻を貫くように歯を立て――貫く。
――ざくりっ。
「――!っ!」
――ワイルド。素晴らしくワイルド、これぞワイルド。印象を聞かれたらワイルド以外に何と言えと思えるほどにワイルドだ。
まず何がワイルドって、揃っている気配のない芋の粒。大きかったり小さかったり堅かったり柔らかかったりして、それでいてどれ一つとして火が通っていない物がない!
次に強烈にも程があるスパイス。私がまだ口にしたことがない風味があるから、多分これ霧の大陸まで手を伸ばして……違うわ、え!?これって控えめ風味な岩塩を全開に引き出したの!?信じられない!何か魔力でも使ったのかしら!
口の中がさながら荒馬を乗りこなす荒くれ者のロデオだ。危なっかしくて、スリリングで、でも心惹かれる。外見は麗美なのに中身はとんだハイテンションガールだったみたい。
「……これ、パーティ料理に使ってます?寧ろサバトに使っていそうな気がします」
「その通りじゃよ。まぁこの料理自体、スパイスの製法都合上、魔物にしか出せぬがのう」
そう呟く彼女の手には、白い粉が一杯入った袋があった。で、そこに刻まれている文字が……砂漠地方の言語?あー、そういうこと。
「アポピスの魔力を使った、と」
肯く彼女に、私はただ発想的な敗北を悟ったわ。といいますか、下手したら誰も食えなくなるし、そもそもあの魔界メーカーにして神の創造物って話の彼女らをどう説得したのよ。私だったら面倒臭いからやらないわよ。ファラオとも関係持っているから敵対しなきゃならないし。
「性欲を荒々しく刺激するアポピスの魔力、そして毒。それらをチョメチョメな方法でアレするとの、いい感じに中毒を起こす部分、つまり毒性が消えてのう……どんな味が薄いものでもこの通り強化されるようになるのじゃよ」
あぁ、成る程。魔力抜きの発展形か。確かにこれなら技量は必要だけど色々と使えるわけね。しかしチョメチョメって古いな……。
「ジパングの河豚もそう、蒟蒻もそう。毒があるならば除くか、或いは無害化してしまえばいい。さすれば新たなる美味が得られるやもしれん。じゃろう?」
「違いないですわね。尤も、アレを食べられるようにしようなどとは私は思いつきませんでしたが」
と言うかそもそも毒を調味料化するのはどうかと……なんて考えたけど、毒ってのは『摂取すると体に害をもたらすもの』だからアルコールもそうなのよね。そもそも空気だって過剰摂取は破壊の元だし。
「まーのぅ。そもそもはデルフィニウムの菓子職人じみたことをもう一度やってみようと始めたことじゃからのう」
あーテッサちゃんのオリジナルお菓子は美味しいからねぇ。デルフィニウムの名産品だし、今のところ妖精界との公式窓口ってあそこくらいだし。エスティーさん頑張っているかしら。それにあそこは天下の『蓬莱湯』がある。食べて良しの温泉の素(九尾)は実際味的にもかなり良好だからね、一部のお菓子や料理にも入っているわけで……当然夜にハッスルハッスルする人限定だけど。
もう一度、というようにこの鯖とのバフォメットはお菓子の販売も行っている。昔は開発もやっていたらしい。そういえば私も『虜の実ゼリー』とか、『陶酔グミ』とか『手遊びチューペット』とかよく食べたっけなぁ……。
っとまぁ話はずれたけど、兎に角凄い魔物なわけで。食のリリムを自負する私としては足を向けて寝られない偉大さを誇っている。当人はそこまで誇らしげじゃない辺りもまたグー。
しかし、アポピスの魔力を混ぜ込んだお菓子……誰に食わせるのやら、想像も付かないわ。流石に魔力が強すぎでしょう。
そんな思いはよそに、ベルフラウさんはざくりとポテトを摘みつつ、私をじっと見据えた。その眼力に一瞬精神的に身構える私をよそに、彼女はようやく本題に入り始めた。
「……ちょっと前置きが長かったかの?長かったら済まぬ。ここからが本題じゃ。
ウチが主を呼んだのは他でもない。……主を、我がサバトの恒久客人として扱いたい、そう思っての」
恒久客人。その言葉を耳にした私が、心の底から沸き上がる歓喜の表情を隠しきれなくなるのも時間の問題だった。
や、だって当然よ!このサバトの恒久客人証って、言ってしまえば一見お断り店のフリーパスみたいなものよ?黒羽同盟食糧部隊垂涎の一品どころの騒ぎじゃないわ!
……え?リリムだから関係ないじゃない?あのさぁ……普通のリリムがわざわざ王権見せびらかして入った店の飯の何処が美味しいのって。半ば恐喝じゃない。それにそんなことをする暇人は私の家族にはいないわよ。私だってしないわ。
というわけで今、私、爛々と瞳を輝かせています……当然条件があるだろうからそれを待ちつつ。
「あ、有り難う御座います」
礼の言葉に、ベルフラウ様は手を横に振った。やはりまだ早かったか。
「ただし、一つ条件がある。聞いてくれるかの?」
ごくり、と唾を飲み込むのを確認したのか、ベルフラウ様はおほん、と一つ咳払いしつつ……まるで課題を出す教師のように、私に向けて条件を告げたのだった。
「――ウチに一つ、『主の思いが籠もった料理』を作って欲しいのじゃ。『主が旨いと感じた料理の再現』での。
料理は心と技量が二本の柱となって成り立つもの。技量は手紙に於いて見せていただいた。今度は主の料理に対する心と、それを如何に表現するかを見たいのじゃ。宜しく頼むぞ?」
――――――
厨房に立ちつつ、私は彼女の言葉を頭の中で繰り返し流し、自分なりに要約していた。思い出深い品、の、再現……。再現ということは、自分が表現したいものであれば別に、今ある物でもいいのかもしれない。けど……。
「……」
何を表現したいのか。調理場に立ちながら、私は今まで食べていた物に思いを巡らせていた。抱く感情は違えど、思い出深い物は数多くある。私はその中で何を選ぶか……。
……あ、ちょっと涙ぐんだ。これにしよう。庶民の食事として親しまれがちだけど、ちょっと贅沢なあの料理に……。
「……よし」
そうと決まれば、と。私は早速、甘めの胚芽入りバンズを手に取り、中央辺りで水平に両断した。牛肉を挽き、繋ぎ合わせてこねる。途中で炒め玉葱を中に混ぜ込んで……。
「……そう、こんな味だった……こんな味だったのよ……」
デミグラスソースを仕上げ、味見。あとは鉄板の上で熱されたハンバーグの上にチーズを乗っけて、その上にこれを綺麗にかける。シュウシュウと立てる音が何とも小気味いい。
後はそれをヘラを使って下バンズの上に乗っけて、それを上バンズで挟み――完成。
私はそれを一口――と言わず全て頬張り……肯いた。
――――――
「――成る程。これは中々素朴じゃの。ほんのり水分を含んだバンズに、しゃきしゃきレタス、優しいデミグラスソースの塗られたハンバーグに、とろり蕩ける糸引きチーズか……。
肉汁がデミグラスの酸味と混ざって食欲を引き立てるの。量産されているチーズとも違うこのチーズは塩濃くなく、味を邪魔しない。
何より……レタスの甘みが、熱で増しておるのが、たまらんのう……」
私が作った料理は、端から見れば何の変哲もないハンバーガーだ。けれどその店ではそれに極上と名を付けて、一般量販店の高級メニューよりも百円高い値段で販売していた。
私はそれを気に入っていた。機会があれば足繁く通って、この"極上ハンバーガー"を軽く口にしていたのだ。
初めて食べたときは……まるでサマリさんのポトフを食べたときに似た、あの感覚が心の中に湧いてきたものだ。それからは全メニュー制覇にかかったり、何となく脳内でダメ出ししてみたり……ついでにその近くにあったお好み焼き屋に寄ったりもしたっけなぁ……。懐かしい。
袋をそのもふもふした両手で持って中にあるハンバーガーを口にデミグラスソースを付けながら頬張る彼女の様子は、何とも可愛いというか癒される。カリスマとは別の方向で、人を引きつけそうだわ……?
「……ふう、御馳走様なのじゃ」
ハンバーガーそのものは、そこまで大きくはない。本来ならまだ食べられる腹具合だろう。それでも彼女の表情は、どこか満ち足りているように見えた。
そのまま瞳を閉じ、もぐもぐと咀嚼を繰り返す。全てを味わい尽くそうとしているかのようだ。いや、実際そうなんだろう。食に隠った思いすら味わい尽くそうとするその姿勢は、心の底からの食に対する思いがあればこそ出来る代物だ。口の端にソース付いてるけど。
やがて口が止まり、しばしの静寂の後に彼女が私に告げた言葉は。
「……ナーラよ……。
「……暖かかったんじゃな、この店は」
「――ええ、とっても、暖かかったわ……!?」
え、ちょっと、待って。今、彼女、何て……。動揺する私に肯きつつ、ベルフラウ様はどこか惜しむようにぽつり、と呟いた。
「――もう、店でこの味を味わえぬのは残念じゃ。本当に、のう」
――衝撃ってレベルじゃない。だって私が作ったこのハンバーガー、元々これを出していた店が潰れたなんて、一言も口にしていないのに!もしかして、この店の存在を知っていたの!?
「まさか、ベルフラウ様、この店を……」
彼女の首が、横に振られる。そのまま上げられた顔に浮かべる表情……それはどこか私を労っているようでもあった。
「店の名も所在も知らぬ。だが……この味で、ここに含まれる主の思いで理解したまでよ。これを作る店は、もう存在しない、とのう」
「――」
凄い……。ただただ凄い。食事をしただけで思いを汲み取れるって、どれだけ食に思いをかけてきたのよ。
何も言い返すことが出来ない。言葉が、浮かばない、そんな私の頭に、ぽふりと置かれる軟らかな掌。何人もの弟子魔女に乗せられてきたそれは、心蕩かすほどの柔らかさを誇る。ぷにぷにと握りスリスリと頬擦りしたくなる驚異の柔らかさのそれに撫で撫でされつつ、私はベルフラウ様の言葉を耳にしていた。
「ウチとて、多くの店を失った身よ。代替わり、事故、経営難……理由は数あれ、もう味わえぬ悲しさは変わらぬ。味だけではない。店そのものを、じゃ」
もう片方の手で指を折る彼女。私以上生きている筈だから、指一つ辺りの重みが違うかもしれない。彼女はその指を一度全て手前に曲げ、そのまままた再び開いた。
「――じゃが、消えるものあれば新たに産まれる物もある。将来の美味を予期させる物は多い。
ウチはそう考え、店へ赴いてきたのじゃが……ウチは剰りにも有名になり過ぎてしもうたのじゃよ。
ウチが入るや否や、血相を変えて忽ちV.I.P.待遇じゃ。料理も特別製。そうして次に来たら評判店じゃ。
ウチが求めておるのはそんな扱いではないのじゃ。ただ今までそうしてきたように、いつも通りのウチの姿で、客の一人として、自信のある、いつも通りの料理を食したいだけなのじゃよ……」
……寂しそうに、私の頭を撫でながら彼女は呟く。……正直、話がずれてきていると言わざるを得ない。……ん?
そうか。ベルフラウ様は二つの意味で失っているんだ。お気に入りだった店の存在と、気に入る可能性のある店の存在。
別に彼女はちやほやされるためにサバトを開いたわけではない。ただ単純に食を楽しむため、食の喜びを広げるために開いたのだ(と、コラムに書かれていた記憶がある)。とすれば馴染みの店しか行かないのも納得だ。彼女を普通の客として扱うのがその店しかないのだから……。
でもそれは、逆に新しい出会いもないという事。あるとすればその店が新メニューの開発でもした時くらいかしら。いずれにせよ、私に比べて相当少ないことは確か。
いつの間にか、私の頭にあったはずの掌は、私の掌に重ねられていた。彼女は魔法で浮き上がりながら、私と目線を合わせている。眦には、灯りによって幽かに光る雫が。
「自らを偽りながらも、食に対しては妥協せず、料理の腕も上々という主の腕なら……場までは再現できずとも、味は再現できるのではないか?そう考えたから、ウチは主を呼んだのじゃ。……主を利用して済まぬ。
そして……ありがとう。久しく食で新たな『思い』を感じていなかったのじゃ……」
……まさか食の神様的な存在から感謝されるとは。サナエもこんな感情を抱いたのかしら。
「いいえ、こちらこそ呼んでいただき有り難う御座いました」
私からしても天上人もいいところの彼女は、そんな私によいよい、と気を楽にさせようとしていたけど、ごめんなさい無理。話題を変えない限り無理。
と言うわけで彼女はさらっと話題を変えたのだった。
「しかし、まさか伝えたい思い出が"失われた温もり"とはのう。ナーラよ、主も中々難儀な人格をしておるのう」
「ふふ、違いないですね」
実際姉妹から見ても私は相当異質だろう事はよく分かる。本筋からは外れるけど精よりも食を求め、時に他の魔物や人間に体罰を行うリリムなんて他にいるだろうかというか居てたまるか。
まぁ世の中には友人の誕生日プレゼントに失恋の歌を贈るなんて奇特な人もいるらしいから問題はないでしょう。それよりも……私が伝えたかったもの。ただ心が動いただけじゃないのだ。
「でも私は思うんです。古きを、失われた物を知ることも、また新しきに繋がりますよ。
古き新しきに関わらず、未知を知り続けること、それが新たな感動に繋がるのではないでしょうか」
実際そうだ。昔は見えなかった物が今は見えたりとか、そうしたことは稀じゃなくてよくあるもの。新たな出会いは、案外身近にも有るものだ。
ほほ、違いないの。彼女はそう私に微笑み返した。口の端に付いた、まだ拭い切れていないデミグラスソースに気付く様子はまだ無さそうだ。
―――――
「また何か催す際には、主を呼ぼう。それまで――さらばじゃ」
魔法陣に乗る直前、ソースについぞ気付かなかった彼女はそう私に告げた。一枚のカード――恒久客人証を手に持たせて。
去り際の表情は、何処か嬉しそうだった。と同時に、何処か寂しそうでもあった。私と別れることが名残惜しいのなら、それはそれで嬉しい……のと同時に、ちょっと寂しい。
考えてみれば、店に入れば歓迎や恐縮を受ける客というのも、その立場を喜ぶ客ばかりじゃないわけで。
純粋に、変に意識されずに食を楽しみたい、そう思っているからこそ、馴染みの店にしか行けなくなってしまったのだろう。大陸ではベルフラウの名前は有名すぎるから。
……。
――今度、お菓子を贈ろう。店の住所も沿えて。多分あの店ならばベルフラウ様の事も知らないでしょうしねぇ。
「――ふむ、この"大根最中"は暖かいの。暖かくて、優しい味じゃ。記憶の淵底が何故か暖まっていくわい……ん?この店号、確か……あの町でまぐわっておった男の持っていた暖簾と一緒じゃのう。どれ……確かめてみるかの」
「はい〜……あぁ、郵便さん!いつもご苦労様ね……え?私宛の郵便かい?差出人は――!!!」
fin.
「ぅぁぁ……」
やりました。
やりやがりました。
やりやがりましたよあの過激派妹……過激派というか歌劇派って表現の方がしっくりくるけど。
確かに権威を象徴するかのように門から領主邸宅まで大通り一本で結ばれているからパレードに最適っぽい形はしている反魔物領だったけど、どんだけ派手に無双やらかしてくれたのよ、あのお祭り好きめ……。大通りから行列作って練り歩く様は、住民の皆様からすれば異様この上なかったでしょうね……。
別に反魔物領が親魔物領を通り越して魔界に変わることに関してはリリム的には何も問題ないのだけど、一気に魔界化させたときに起こる問題があるのは知っての通りなのよねぇ……。
「私、あの領のあの店、行っていないのにぃ……ぅぅ……」
思わず頬が綻ぶと評判のほろ苦スイーツ"アヤシュス"……ヴァレンティヌに行こうかと考えていたのに……あぁ、数日から一ヶ月の休業の後で間違いなく甘くなるわね。"精パフェ"みたいに。まーあれはあれで美味しい物なのは間違いないけど……つ、ん?
「この手紙は……」
そんなセンチメンタルな気分に浸っていた私の肘に、少し角が刺さる。何が触れたのやらと目を向けると、封筒。それもちょっとだけ良いもの。送り主は……魔力炙り出し?何でこんな面倒なことを……しかも五星封印にエア林檎にエア包丁?またすっごくややこしい封筒ねぇ。
「ちょちょいのちょいやで……っと」
適当な濃度の魔力を当てつつ五星封印の要となる文字を指で消し、浮かび上がった林檎を包丁で蔕も含めて綺麗に皮むきする。因みに発情中のユニコーンには皮むきという発言は厳禁よ。何せ童貞キラーですもの。初物ゲットは彼女達にとって最大の喜びですしね……っと、こんな所かしら。
リョナ……リャナンシーに鍛えられ可能となった、芸術的仕様が施された林檎の皮を前に、私は若干の達成感を覚えていた。ふふ、今回は林檎の皮でジパングの龍(本来の姿)を描いてみたわ。真似する人は居ないでしょう。
おっと、さて。本題の封筒はどうなっているのかしらね。……うん、ジパング語で何か書いてあるわね……何々。
『よびますか よびませんか』
「……」
さて、どうするべきかしら。胡散臭さ七割増のこの文字。何か字体が可愛い辺りも妙に胡散臭い。呼んだら厄介な事態になりそうな気が……あ、よく見たら下に別の文字が書いてある。
『寧ろ来ても良いのじゃよ』
御丁寧に肉球にフォークとナイフの焼き鏝らしき模様を文字の後に付けている。随分と手の込んだ仕掛けを入れるのね、多分送り主はバフォメットなんでしょうね。
つか寧ろって何よ。来て欲しいなら最初から来て欲しいと書いて欲しいと願うのだけど……まぁ細かいことは言いっこなしか。
「よし、行きますか」
私は部屋に鍵をかけると、下のメッセージに丸を一つくるりとつけた。さて、何が起こるのかしらね……。明緑魔界か普通の魔界か……方陣が出現して連れ去ってくれるのでしょうさ。
果たして私の予想を裏切ることなく、防魔結界を張っているはずの私の部屋の床に五星陣が描かれ、私の体は、視界は桃色の光に包まれた。微かな浮遊感……これは中々実用性の高い良い魔法陣ね。参考に出来ないかしら……なんて余所事に頭を割いていたら、到着。早速周りを見回してみようとする私は……。
「――よくいらしてくれたのじゃ!」
……足下、というかお腹辺りから響く声に、思わず下を向いた。
まるでエビの如く反り返る螺旋を描く二本角の中間辺りに可愛らしいうなじ、片髪には旧バフォメットの骨かと思われる物体がお面のようにちょこんと乗っている。……距離近すぎない?
「……お出迎え有り難う御座いますが、流石に距離が近すぎやしません?」
「おっと、これは失礼したのじゃ」
つい、と一歩下がりながら、改めて件のバフォメットは自己紹介を始める。まぁ、多分リリムの防魔結界を超えて移送方陣を作るくらいだから、それなりに高位のバフォメットの筈……。
「ようこそ、ベルフラウ=サバトへ!ウチが元締めのビュシャス=ベルフラウなのじゃ♪」
「ナーラ=シュティムともうしま……え?」
ち、ちょっと待て。い、今、このバフォメット……何て名乗った?
「ん、どうしたのじゃ?ウチの顔に何かついているのかの?」や、そこじゃない。何も付いていないし問題はそこじゃない。
「い、いえ……付いておりませんよ」
思わず敬語めいた何かが口から溢れるくらいには動揺してますとも。何せ、だって、目の前のバフォメットって、私より年上ってだけじゃなくて。
「?ふむ……おお、ウチが喚んだ理由からすれば仕方ないことだったかの。ウチが想定した以上に食に傾倒しておったか!喜ばしいことじゃのう!あーっはっはっは!」
「……えぇと、ビュシャス=ベルフラウ、ということはまさか……!」
一応確認するために、もう一度名前を呼んでみると……嬉々として、反応を返してくれた。
「左様!ウチのサバトは食の快楽を追求しておる唯一無二のサバトじゃ!昔はベラワーフとも名乗っていたが、どうにも響きが悪くてのう。故にベルフラウに変えたのじゃ!」
小さな胸をでん、と張る彼女に、私は内心頭が喜びでクラクラして倒れそうだった。
まさかのまさかのそのまたまさか。……あぁ、やっぱり……まさかの大物にして、伝説クラスの魔物にお呼ばれされちゃったー!
――――――
「――と言うわけで、ウチはこうして食のサバトを続けているわけなのじゃが、如何せん有名になりすぎてのう。今じゃこうして限られた者を招いたり、馴染みの店にひょっこり顔を出すことしかやっておらぬのじゃ」
やれやれとばかりにため息を吐く彼女の言葉を、私はただ感心する事しかできなかった。前魔王の時代から生きているのか、彼女は。で、親バフォメットから自由にしろと言われ見つけた快楽が"食"。惚れ惚れするわね。流石伝説の食バフォメット。
その後の伝説は各地に石碑やチェーン化した店を知るべし見るべし味わうべし。奇っ怪なる餡掛けパスタなるジ大折衷料理を世に広めたり、魔力の籠もった六色団子なるものを開発して世のオーガ族を喜ばせたり、調理はおろか、捌くことさえやりづらいことで有名な魔界植物『忍耐の果実』を大陸で初めて十分以内に捌いてパフェのメインに沿えてみたり…うーん、お見事。
「ロメリア、いや、ナーラ……お主は理由あって本名を隠しているようじゃが、ウチはその気持ちよう分かるぞ?正体がばれてしまえば騒がしくなる物も多いからのう」
うんうん。そうなのよねぇ……というか魔王城に封筒送っている時点で本名分かっているじゃないですかベルフラウさん。
「そうなんですよね。私にはまだ店を開く気はないですし、婿を勇者から捜す気もないのに……」
申勇Nというわけよ。珍しいかもしれないけれど私はそう言う主義なの。武よりも食。
「店を開けばまず主なら成功するじゃろうが、開くつもりがないのなら開かない方がよい。無理強いするものでもあるまいにのう……」
心底同情する言葉を吐きつつ、彼女が指を鳴らすと、テーブルの上にドリアードの細枝が編み込まれたミニバスケットが現れた。透明化呪文を消したらしい。そしてそのバスケットの中には……これは中々凄い物が出てきたぞ……。
「主のまかいもフライを発展させてみたのじゃ。中々美麗であろう?」
いや、美麗なだけじゃない。包丁の入れ方から油に入れる角度や時間、油自身も温度をコンマ以下で調整している……。
それはさながら皿の上に咲いた黄色い水晶花のよう。フグの刺身すらここまで美麗にはならないんじゃないかと思えるほど、その形状は理想化された花の形に整えられ、なおかつ瑕疵一つ見られなかった。
これだけ美しかったら、普通は食べるのも躊躇われるところだけど……私のお腹も、彼女のお腹も見事な音色を奏で、既に私は口に涎が溜まるのがはっきりと感じられていた。
「……ん。これは……」
「『命仙花』というウチのオリジナル料理じゃ。大元の開発主さん、そうそう用意に真似させんぞ♪」
や、これは単純に難しい。まず材料で"どの"まかいもを使うかっていう問題があるし、何よりこの形に包丁を入れるのが……。アルスでも相当難しい筈。流石食サバトの主……。
「媚薬の類は使っておらぬぞ。食ミサではないからの」
「有り難う御座います」
さて、どう食べたものかな……心境的に真ん中の方が味が詰まっていそうだけれど……その分熱そうだ。火傷は味を損ねるから……よし。端から摘んでいこう。
箸で掴むと、カリッカリの表面の感触がしっかりと伝わってくる。けど、同時に中に詰まった柔らかな身の感触もそこはかとなく指に自己主張している。
重くもなく、かといって軽くはない身の重さ。これは期待できるわね。ポテトの表面にキラキラ光るスパイスが、何とも不思議な雰囲気を醸し出して……。
そう言えば、スパイスは一部は宗教的にトリップするために使われるんだったっけ。だとしたらこの香り……DJ辺りだったら腹に来るビートに明滅するフラッシュとでも表現しそうなこのパフュームも納得ね。
微かに立つ湯気に混ざる、どこか野性味と肉感溢れる香り……もしやこの芋を作ったのはワーウルフかミノタウロス?とすると期待できるわね。何せ……。
私はその熱を感じる殻を貫くように歯を立て――貫く。
――ざくりっ。
「――!っ!」
――ワイルド。素晴らしくワイルド、これぞワイルド。印象を聞かれたらワイルド以外に何と言えと思えるほどにワイルドだ。
まず何がワイルドって、揃っている気配のない芋の粒。大きかったり小さかったり堅かったり柔らかかったりして、それでいてどれ一つとして火が通っていない物がない!
次に強烈にも程があるスパイス。私がまだ口にしたことがない風味があるから、多分これ霧の大陸まで手を伸ばして……違うわ、え!?これって控えめ風味な岩塩を全開に引き出したの!?信じられない!何か魔力でも使ったのかしら!
口の中がさながら荒馬を乗りこなす荒くれ者のロデオだ。危なっかしくて、スリリングで、でも心惹かれる。外見は麗美なのに中身はとんだハイテンションガールだったみたい。
「……これ、パーティ料理に使ってます?寧ろサバトに使っていそうな気がします」
「その通りじゃよ。まぁこの料理自体、スパイスの製法都合上、魔物にしか出せぬがのう」
そう呟く彼女の手には、白い粉が一杯入った袋があった。で、そこに刻まれている文字が……砂漠地方の言語?あー、そういうこと。
「アポピスの魔力を使った、と」
肯く彼女に、私はただ発想的な敗北を悟ったわ。といいますか、下手したら誰も食えなくなるし、そもそもあの魔界メーカーにして神の創造物って話の彼女らをどう説得したのよ。私だったら面倒臭いからやらないわよ。ファラオとも関係持っているから敵対しなきゃならないし。
「性欲を荒々しく刺激するアポピスの魔力、そして毒。それらをチョメチョメな方法でアレするとの、いい感じに中毒を起こす部分、つまり毒性が消えてのう……どんな味が薄いものでもこの通り強化されるようになるのじゃよ」
あぁ、成る程。魔力抜きの発展形か。確かにこれなら技量は必要だけど色々と使えるわけね。しかしチョメチョメって古いな……。
「ジパングの河豚もそう、蒟蒻もそう。毒があるならば除くか、或いは無害化してしまえばいい。さすれば新たなる美味が得られるやもしれん。じゃろう?」
「違いないですわね。尤も、アレを食べられるようにしようなどとは私は思いつきませんでしたが」
と言うかそもそも毒を調味料化するのはどうかと……なんて考えたけど、毒ってのは『摂取すると体に害をもたらすもの』だからアルコールもそうなのよね。そもそも空気だって過剰摂取は破壊の元だし。
「まーのぅ。そもそもはデルフィニウムの菓子職人じみたことをもう一度やってみようと始めたことじゃからのう」
あーテッサちゃんのオリジナルお菓子は美味しいからねぇ。デルフィニウムの名産品だし、今のところ妖精界との公式窓口ってあそこくらいだし。エスティーさん頑張っているかしら。それにあそこは天下の『蓬莱湯』がある。食べて良しの温泉の素(九尾)は実際味的にもかなり良好だからね、一部のお菓子や料理にも入っているわけで……当然夜にハッスルハッスルする人限定だけど。
もう一度、というようにこの鯖とのバフォメットはお菓子の販売も行っている。昔は開発もやっていたらしい。そういえば私も『虜の実ゼリー』とか、『陶酔グミ』とか『手遊びチューペット』とかよく食べたっけなぁ……。
っとまぁ話はずれたけど、兎に角凄い魔物なわけで。食のリリムを自負する私としては足を向けて寝られない偉大さを誇っている。当人はそこまで誇らしげじゃない辺りもまたグー。
しかし、アポピスの魔力を混ぜ込んだお菓子……誰に食わせるのやら、想像も付かないわ。流石に魔力が強すぎでしょう。
そんな思いはよそに、ベルフラウさんはざくりとポテトを摘みつつ、私をじっと見据えた。その眼力に一瞬精神的に身構える私をよそに、彼女はようやく本題に入り始めた。
「……ちょっと前置きが長かったかの?長かったら済まぬ。ここからが本題じゃ。
ウチが主を呼んだのは他でもない。……主を、我がサバトの恒久客人として扱いたい、そう思っての」
恒久客人。その言葉を耳にした私が、心の底から沸き上がる歓喜の表情を隠しきれなくなるのも時間の問題だった。
や、だって当然よ!このサバトの恒久客人証って、言ってしまえば一見お断り店のフリーパスみたいなものよ?黒羽同盟食糧部隊垂涎の一品どころの騒ぎじゃないわ!
……え?リリムだから関係ないじゃない?あのさぁ……普通のリリムがわざわざ王権見せびらかして入った店の飯の何処が美味しいのって。半ば恐喝じゃない。それにそんなことをする暇人は私の家族にはいないわよ。私だってしないわ。
というわけで今、私、爛々と瞳を輝かせています……当然条件があるだろうからそれを待ちつつ。
「あ、有り難う御座います」
礼の言葉に、ベルフラウ様は手を横に振った。やはりまだ早かったか。
「ただし、一つ条件がある。聞いてくれるかの?」
ごくり、と唾を飲み込むのを確認したのか、ベルフラウ様はおほん、と一つ咳払いしつつ……まるで課題を出す教師のように、私に向けて条件を告げたのだった。
「――ウチに一つ、『主の思いが籠もった料理』を作って欲しいのじゃ。『主が旨いと感じた料理の再現』での。
料理は心と技量が二本の柱となって成り立つもの。技量は手紙に於いて見せていただいた。今度は主の料理に対する心と、それを如何に表現するかを見たいのじゃ。宜しく頼むぞ?」
――――――
厨房に立ちつつ、私は彼女の言葉を頭の中で繰り返し流し、自分なりに要約していた。思い出深い品、の、再現……。再現ということは、自分が表現したいものであれば別に、今ある物でもいいのかもしれない。けど……。
「……」
何を表現したいのか。調理場に立ちながら、私は今まで食べていた物に思いを巡らせていた。抱く感情は違えど、思い出深い物は数多くある。私はその中で何を選ぶか……。
……あ、ちょっと涙ぐんだ。これにしよう。庶民の食事として親しまれがちだけど、ちょっと贅沢なあの料理に……。
「……よし」
そうと決まれば、と。私は早速、甘めの胚芽入りバンズを手に取り、中央辺りで水平に両断した。牛肉を挽き、繋ぎ合わせてこねる。途中で炒め玉葱を中に混ぜ込んで……。
「……そう、こんな味だった……こんな味だったのよ……」
デミグラスソースを仕上げ、味見。あとは鉄板の上で熱されたハンバーグの上にチーズを乗っけて、その上にこれを綺麗にかける。シュウシュウと立てる音が何とも小気味いい。
後はそれをヘラを使って下バンズの上に乗っけて、それを上バンズで挟み――完成。
私はそれを一口――と言わず全て頬張り……肯いた。
――――――
「――成る程。これは中々素朴じゃの。ほんのり水分を含んだバンズに、しゃきしゃきレタス、優しいデミグラスソースの塗られたハンバーグに、とろり蕩ける糸引きチーズか……。
肉汁がデミグラスの酸味と混ざって食欲を引き立てるの。量産されているチーズとも違うこのチーズは塩濃くなく、味を邪魔しない。
何より……レタスの甘みが、熱で増しておるのが、たまらんのう……」
私が作った料理は、端から見れば何の変哲もないハンバーガーだ。けれどその店ではそれに極上と名を付けて、一般量販店の高級メニューよりも百円高い値段で販売していた。
私はそれを気に入っていた。機会があれば足繁く通って、この"極上ハンバーガー"を軽く口にしていたのだ。
初めて食べたときは……まるでサマリさんのポトフを食べたときに似た、あの感覚が心の中に湧いてきたものだ。それからは全メニュー制覇にかかったり、何となく脳内でダメ出ししてみたり……ついでにその近くにあったお好み焼き屋に寄ったりもしたっけなぁ……。懐かしい。
袋をそのもふもふした両手で持って中にあるハンバーガーを口にデミグラスソースを付けながら頬張る彼女の様子は、何とも可愛いというか癒される。カリスマとは別の方向で、人を引きつけそうだわ……?
「……ふう、御馳走様なのじゃ」
ハンバーガーそのものは、そこまで大きくはない。本来ならまだ食べられる腹具合だろう。それでも彼女の表情は、どこか満ち足りているように見えた。
そのまま瞳を閉じ、もぐもぐと咀嚼を繰り返す。全てを味わい尽くそうとしているかのようだ。いや、実際そうなんだろう。食に隠った思いすら味わい尽くそうとするその姿勢は、心の底からの食に対する思いがあればこそ出来る代物だ。口の端にソース付いてるけど。
やがて口が止まり、しばしの静寂の後に彼女が私に告げた言葉は。
「……ナーラよ……。
「……暖かかったんじゃな、この店は」
「――ええ、とっても、暖かかったわ……!?」
え、ちょっと、待って。今、彼女、何て……。動揺する私に肯きつつ、ベルフラウ様はどこか惜しむようにぽつり、と呟いた。
「――もう、店でこの味を味わえぬのは残念じゃ。本当に、のう」
――衝撃ってレベルじゃない。だって私が作ったこのハンバーガー、元々これを出していた店が潰れたなんて、一言も口にしていないのに!もしかして、この店の存在を知っていたの!?
「まさか、ベルフラウ様、この店を……」
彼女の首が、横に振られる。そのまま上げられた顔に浮かべる表情……それはどこか私を労っているようでもあった。
「店の名も所在も知らぬ。だが……この味で、ここに含まれる主の思いで理解したまでよ。これを作る店は、もう存在しない、とのう」
「――」
凄い……。ただただ凄い。食事をしただけで思いを汲み取れるって、どれだけ食に思いをかけてきたのよ。
何も言い返すことが出来ない。言葉が、浮かばない、そんな私の頭に、ぽふりと置かれる軟らかな掌。何人もの弟子魔女に乗せられてきたそれは、心蕩かすほどの柔らかさを誇る。ぷにぷにと握りスリスリと頬擦りしたくなる驚異の柔らかさのそれに撫で撫でされつつ、私はベルフラウ様の言葉を耳にしていた。
「ウチとて、多くの店を失った身よ。代替わり、事故、経営難……理由は数あれ、もう味わえぬ悲しさは変わらぬ。味だけではない。店そのものを、じゃ」
もう片方の手で指を折る彼女。私以上生きている筈だから、指一つ辺りの重みが違うかもしれない。彼女はその指を一度全て手前に曲げ、そのまままた再び開いた。
「――じゃが、消えるものあれば新たに産まれる物もある。将来の美味を予期させる物は多い。
ウチはそう考え、店へ赴いてきたのじゃが……ウチは剰りにも有名になり過ぎてしもうたのじゃよ。
ウチが入るや否や、血相を変えて忽ちV.I.P.待遇じゃ。料理も特別製。そうして次に来たら評判店じゃ。
ウチが求めておるのはそんな扱いではないのじゃ。ただ今までそうしてきたように、いつも通りのウチの姿で、客の一人として、自信のある、いつも通りの料理を食したいだけなのじゃよ……」
……寂しそうに、私の頭を撫でながら彼女は呟く。……正直、話がずれてきていると言わざるを得ない。……ん?
そうか。ベルフラウ様は二つの意味で失っているんだ。お気に入りだった店の存在と、気に入る可能性のある店の存在。
別に彼女はちやほやされるためにサバトを開いたわけではない。ただ単純に食を楽しむため、食の喜びを広げるために開いたのだ(と、コラムに書かれていた記憶がある)。とすれば馴染みの店しか行かないのも納得だ。彼女を普通の客として扱うのがその店しかないのだから……。
でもそれは、逆に新しい出会いもないという事。あるとすればその店が新メニューの開発でもした時くらいかしら。いずれにせよ、私に比べて相当少ないことは確か。
いつの間にか、私の頭にあったはずの掌は、私の掌に重ねられていた。彼女は魔法で浮き上がりながら、私と目線を合わせている。眦には、灯りによって幽かに光る雫が。
「自らを偽りながらも、食に対しては妥協せず、料理の腕も上々という主の腕なら……場までは再現できずとも、味は再現できるのではないか?そう考えたから、ウチは主を呼んだのじゃ。……主を利用して済まぬ。
そして……ありがとう。久しく食で新たな『思い』を感じていなかったのじゃ……」
……まさか食の神様的な存在から感謝されるとは。サナエもこんな感情を抱いたのかしら。
「いいえ、こちらこそ呼んでいただき有り難う御座いました」
私からしても天上人もいいところの彼女は、そんな私によいよい、と気を楽にさせようとしていたけど、ごめんなさい無理。話題を変えない限り無理。
と言うわけで彼女はさらっと話題を変えたのだった。
「しかし、まさか伝えたい思い出が"失われた温もり"とはのう。ナーラよ、主も中々難儀な人格をしておるのう」
「ふふ、違いないですね」
実際姉妹から見ても私は相当異質だろう事はよく分かる。本筋からは外れるけど精よりも食を求め、時に他の魔物や人間に体罰を行うリリムなんて他にいるだろうかというか居てたまるか。
まぁ世の中には友人の誕生日プレゼントに失恋の歌を贈るなんて奇特な人もいるらしいから問題はないでしょう。それよりも……私が伝えたかったもの。ただ心が動いただけじゃないのだ。
「でも私は思うんです。古きを、失われた物を知ることも、また新しきに繋がりますよ。
古き新しきに関わらず、未知を知り続けること、それが新たな感動に繋がるのではないでしょうか」
実際そうだ。昔は見えなかった物が今は見えたりとか、そうしたことは稀じゃなくてよくあるもの。新たな出会いは、案外身近にも有るものだ。
ほほ、違いないの。彼女はそう私に微笑み返した。口の端に付いた、まだ拭い切れていないデミグラスソースに気付く様子はまだ無さそうだ。
―――――
「また何か催す際には、主を呼ぼう。それまで――さらばじゃ」
魔法陣に乗る直前、ソースについぞ気付かなかった彼女はそう私に告げた。一枚のカード――恒久客人証を手に持たせて。
去り際の表情は、何処か嬉しそうだった。と同時に、何処か寂しそうでもあった。私と別れることが名残惜しいのなら、それはそれで嬉しい……のと同時に、ちょっと寂しい。
考えてみれば、店に入れば歓迎や恐縮を受ける客というのも、その立場を喜ぶ客ばかりじゃないわけで。
純粋に、変に意識されずに食を楽しみたい、そう思っているからこそ、馴染みの店にしか行けなくなってしまったのだろう。大陸ではベルフラウの名前は有名すぎるから。
……。
――今度、お菓子を贈ろう。店の住所も沿えて。多分あの店ならばベルフラウ様の事も知らないでしょうしねぇ。
「――ふむ、この"大根最中"は暖かいの。暖かくて、優しい味じゃ。記憶の淵底が何故か暖まっていくわい……ん?この店号、確か……あの町でまぐわっておった男の持っていた暖簾と一緒じゃのう。どれ……確かめてみるかの」
「はい〜……あぁ、郵便さん!いつもご苦労様ね……え?私宛の郵便かい?差出人は――!!!」
fin.
13/04/10 23:25更新 / 初ヶ瀬マキナ
戻る
次へ