連載小説
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11.顕現
バーダンの教会。
今日は朝から閉め切られていて、内部の空気は凝っていた。
窓のカーテンも締め切られ、協会の中に届くのはステンドグラスから差し込む光だけ。一方向から差し込む光は、並べられた長椅子の影を濃く映していた。
唯一の光を背に受けて、彼女は祭壇の上で片膝を立てながら手にした王冠を弄ぶ。

森の王冠。
森のエルフたちが守っていた聖具。とある神にまつわる儀式のために使われていた道具だ。
王冠とはいっても、それには金銀、宝石といった装飾は施されておらず、金属の類は一切使われていない。艶やかに磨き抜かれた木目が表面に流れ、木の白さが輝いて見えていた。
聖木の枝を編んで作られて冠に、聖木の幹を削って作られた角型の装飾が取り付けられていた。その角は鹿の角のように幾重にも枝分かれして樹木のように広がり、見るものに木々の力強い生命力を感じさせる。同時に角の広がり方は丸みを帯びた優しいものであり、森が生命を守り育む姿をも思わせた。
力強さと優しさ。この冠を頂いた司祭は人々に畏怖と崇敬を集めていたのだろう。
そして、その姿は角のある王、森の獣たちの主であるとある神に近づくものでもあった。

そんな神聖な森の王権の象徴に、彼女はあろうことかネックレスや指輪といった装飾品をかけて飾り付けていた。
「やっぱり王冠といえば、こうキラキラしてゴージャスじゃないと王冠っぽくないじゃない。民から巻き上げた金銀財宝で自分自身をきらびやかに見せてこそ、王様と言えるわ」
彼女は楽しそうに、王冠を守っていたエルフたちが身につけていた装飾品を巻きつけていく。
時折、装飾品についた乾いた血が剥がれて祭壇に落ちるが、彼女は鼻歌まじりに侮辱を続ける。

「ご機嫌なのはいいですが、祭壇を汚すのはやめていただけませんか」
彼女に呆れたような男の声がかかる。
カソックを身にまとい、滑るような足取りでザキルが現れた。
「いいじゃない。別にみそっかすの血のカスなんて、あの女への供物としてはぴったりでしょ」
「それは問題ないのですが、教会としての体裁がある以上、血が落ちているのはよろしくない」
「主神様のありがたい、破瓜の血でーす。って、いえば色に狂った魔物ちゃんたちなら喜ぶんじゃない?」
「はっは。違いありませんね」
主神に使える神父とヴァルキリーとは思えない言葉が教会の中に響く。

「機嫌がいいのは、彼を捕まえたことも理由の一つでしょうか」
ザキルがただでさえ細い目をさらに細める。彼なりの笑顔なのだろうか。
「そうそう、当ったりー。ブレイブだっけ、ちっちゃな勇者様。あの女、あんなのが好みだったんだ。目の前で何人も男を殺してやったのに泣き声ひとつあげなくてさ。そっか、ちっちゃい子を殺したらよかったのかな。ま、必死に歯を食いしばって泣かないぞー、って顔も見ていて面白かったけど」
「彼をどうするのですか?」
「もっち殺すに決まっているじゃない。苦しめて苦しめて、自分から殺してくれって言うまでいたぶって嬲って、あの女に懇願させるのよ。僕を殺してくださいー、ってね」
「相変わらずいい趣味をお持ちだ。ですが、趣味にかまけて本来の目的を忘れないでください」

「は?」

教会に石と木がぶつかった甲高い音が、金属や宝石で出来た装飾品にが散らばって立てる雨のような音が響いた。
ザキルの言葉を聞いて、彼女が森の王冠を床に叩きつけたのだ。
「あんた、何言ってんの?。私が忘れるわけないじゃない。ふざけた事を言うなら、あんたの首を引っこ抜くわよ」
「申し訳ありません。私としたことが失言でした」
彼女が放つ殺気の中で、ザキルは変わらないすました顔で謝罪した。彼の足元の影が揺らいだように見えたが、彼自身は汗ひとつかいてはいない。
「私はあの方の忠実な僕。私はあの方のために動く。確かにヴィヴィアンは玩具として好きよ。でも、それはついで。私たちの目的は『主』の復活にこそある」
「ええ。主神を名乗る小娘を引き摺り落とし、真に偉大なる『主』をあるべき座に戻す。それこそが我らの悲願であり目的。そのためならば、我らは神を主神ですら殺しましょう」

くっくくっ、あっはははっ。
二人の哄笑が教会の中に響く、それは下劣な音楽のように木霊していた。

我らはモノス。
唯一絶対の『主神』の復活をこそ願う。そして、混沌と化した世界を一掃し新たな秩序を願うもの。





「ブレイブを攫われるとは、貴様は何をしていたのだ!」
カーラの怒鳴り声が部屋に響きます。

宿に帰った私たちは留守番をしていたカーラと白衣に、ブレイブが攫われたことを伝えました。
最初は朝帰りした私たちにいつもの様子でわめいていたのですが、ブレイブがいない理由を尋ね、私たちの様子を見て、カーラは静かに話を聞いてくれていました。
私たちの話を聞き終わり、そこで我慢できなくなったように怒鳴ったのでした。
白衣は沈黙しています。

「私たちに知らせに来たのはいい。なぜすぐにブレイブを助けに行かないのだ。私たち魔物娘ならば、夫の居場所などすぐに見つけられるではないか」
「ええ、その通りよカーラ。でも、ブレイブを探しながら動くのは危険すぎる」
なぜなら、あの女、ルチアがいるから。先にこちらが見つけられてしまえば、あの女は嬉々として私に見せつけながらブレイブを傷つけるでしょう。
「ヴィヴィアン。知っていることはすべて話してください。ここにいるものは私も含めて、皆ブレイブを助けたいのです」
ヴェルメリオが諭すように私に言います。そうですね。彼女たちにはルチアのことを伝えるべきでしょう。

「わかりました。話しましょう。ブレイブをさらった相手、私が戦っている相手のことを」
私は敵の正体を話します。その目的も悍ましい手段も。

「主神教の異端派閥モノス。それが相手組織の名前、それをまとめているのがルチアというヴァルキリーです。私も組織の全貌をつかめているわけではありませんが、地上における取りまとめ役はルチアです」
「モノスというものは聞いたことがありませんが、ルチアというのは聞いたことがあります。血に飢えたヴァルキリー。人間も魔物も関係なく、容赦なく殺戮を繰り返すヴァルキリーと聞いています。そうですか、彼女がルチア」
ヴェルメリオもアンもブレイブをさらっていく彼女を見ています。思い出すようにヴェルメリオが言います。
「ええ、彼女は魔物に堕ちてはいないヴァルキリー。でも、その言動を見る限り、主神を崇めるどころか貶めるような悪虐を尽くしている。それもそのはず、彼女は今の主神ではなくこの世界を作った最初の主神こそを崇めているのです」

「最初の主神だと?」
カーラが意味がわからないといった顔で見てきます。
「そうね。つい最近まで勇者様をやっていたカーラは知らないでしょうが、今の主神は最初の主神から代替わりしているのです。伝え聞いた話によると、今の主神はまだ経験も浅い女性で、お母様とお父様との戦いで傷を負って今は治療している最中ということです」
「それは本当なのか?」
カーラだけではなく、ヴェルメリオも驚いた顔をしています。
「正直なところ、どこまで真実なのかはわかりませんが、これは私が魔王城で教えられた話です」

「最初の主神は人間を作り、同時に魔物も作ったそうです。そして、お互いに敵対させて、どちらも増えすぎないようにしていた。そんな争いと悲しみを繰り返させるシステムを壊したのが今の魔王であるお母様です。サキュバスであるお母様が魔王になったことで、魔物の人を食べるという本能を性的に人を食べるという本能を持つように上書きしたのです。そうして今の状況があります」

「教団はそもそも主神は人間だけを作って、魔物は作っていないという立場をとっていますが、私はこうやって教えられました」
私の話は彼女たちには初耳だったようで、目を白黒させています。
「モノスはルチアが作った派閥です。今の主神を崇めず、最初の主神こそを崇める。彼らの言い分は、今の主神が間違った主神だから魔物が勢力を伸ばし、さらには勇者たちがどんどんと魔物側に堕ちていく現在の状況があるというものです。今の主神、と限定しても主神を否定するわけですし、主神が魔物も作ったという話、主神が代替わりするという話は敬虔な主神教徒には受け入れられないものであったそうです。結果、彼女たちは異端の烙印を押されて教団を追放されることになりました」
「ルチアにモノス。彼らの主張はわかりました。ですが、その先があるのでしょう。今の主神を否定し、最初の主神こそを肯定する。彼女たちはそこから何をしているのですか?」

「神殺し」

「「は?」」
私の口から出た言葉に彼女たちは耳を疑います。当たり前です。私だって実際に目にするまでは信じられませんでした。

「今の主神は間違っているから、正しかった最初の主神を復活させることが彼女たちの目的です。それにはどうしたらいいか。彼女たちはどう考えたと思いますか?」
「最初の主神を復活させるにはどうしたらいいか、ですか。そんなことは出来るわけがありません。人間を魔物として蘇らせるならまだしも、神を神として蘇らせることは不可能です」
「ええ、もちろん。最初の主神であった一柱を生き返らせるなんてことは不可能です。彼女たちもそれは分かっています。だから、彼女たちは最初の一柱ではなく『正しい主神』を復活させようとしている。全知全能であった頃の主神、復活というよりは復権という方が正しいのかもしれないですね」
「何を馬鹿な。それこそ不可能でしょう。全能でない存在が、新しく全知全能の存在を作り出すなんて」
「でも、彼女たちは諦めなかった。そして、ある一つの可能性を試してみるに至った。全知全能だった最初の主神と今の無能な小娘である主神、その違いはどこにあるのか。どうして今の主神は絶対ではないのか」
私はそこで言葉を切ります。彼女たちが行き着いた悍ましい思考、それを達成するために取った手段。荒唐無稽な話ではありますが、彼女たちはそれを信じて実行に移しました。

「それは、神が多すぎるから」
「まさか、そんなふざけた事を本気で信じているのですか彼女たちは」
ヴェルメリオは私のその言葉を聞いて思い至ったようです。すでに私が言っていた言葉も理解してくれたのでしょう。
「そうです。主神が絶対でないのは相対する神がいるから、ならばどうすればいい。相対している他の神々がいなくなれば、主神は絶対として君臨できるのではないか。彼女たちはそう考えています。すでに、何柱かの神々を彼女たちは殺しています」
「馬鹿な。そんなことをしても全能の主神が復活するわけなどありません。残るのは、ただの一柱の神だけでしょう」
「ええ、私もかつて彼女にそれを言いました。すると彼女は何と言ったと思いますか」


私はあの時の彼女の顔を思い出してしまいます。喜悦を孕む彼女の澱んだ瞳、嗜虐的に歪められた口、それらが形作る恍惚とした表情。
己の溢れんばかりの情欲に身を焦がす、見ようによっては恋する少女のような彼女。病的なそれは私に戦慄を抱かせました。
「それなら、彼女を殺して世界を終わりにするわ。世界の要である彼女を殺せば世界は終わってくれるでしょ。もしもそのまま世界が続くのならば、私が世界を滅ぼす。あの方のいない世界なんてない方がマシよ」

「彼女は今の世界を憎んでいます。どうしようもなく忌々しい。『主』がいないのに、のうのうと続いている世界が嫌い。だから、魔物も人も関係なく彼女は殺します。惨たらしく、嬲って辱めて。その苦痛と怨嗟の声だけが彼女を慰めてくれるのだそうです」
拳を握り締めすぎた私の手からは、いつしか爪が食い込んで血が溢れていました。

「ヴィヴィアン」
ヴェルメリオが私の手を取ります。

私の目の前で繰り広げられた惨劇の中、彼女は嗤いながら言っていました。
私の目の前で人も魔物も傷つき、血を流し、苦痛の中で息絶えていきました。
私の力はルチアに届かず、助けを求めた命に私は手を届かせることは出来ませんでした。

だから、私は仲間を集めました。ルチアに負けないように、これ以上彼女に苦しめられる者をださないように。
最近は彼女たちの動向を先回りして、なんとか被害を減らせるようになってきました。それでも、森の王冠を守っていたエルフたちのように助けられないものたちも多くいました。
私がエルタニンを落としたのは、カーラとヴェルメリオを仲間に引き入れるためでもあり、彼女たちに狙われていたからでもあります。
それなのに、私は今回よりにもよって最愛のブレイブを攫われました。

以前救えなかった子供の顔とブレイブの顔が重なります。
最悪の結果を想像して、私は溢れそうになる涙を必死でこらえます。

「辛い戦いだったのですね」
ヴェルメリオが私の手を取って頬に寄せました。

「でも、仲間は出来た。今回もあなたたちが。後からの説明になってしまって申し訳ないですが」
「構いません」
ヴェルメリオが優しい言葉をかけてくれます。


「みなさん、ブレイブさんの位置を捉えました」
唐突に、今まで沈黙していた白衣が口を開きました。
私たちはみな弾かれたように白衣を見ました。
「本当ですか?」
信じられません。ルチアは奔放に見えますが、本来の目的を果たす時には恐ろしく慎重になります。
ブレイブを攫ったことは私を苦しめるためで本当の目的とは違いますが、所在地を知られることは彼女が望むことではありません。

「はい、この街の教会。地下の部屋に閉じ込められているようです」
「すごい。どうやったのですか?」
「私の体の一部を解いて、ブレイブさんに巻きつけてあるのです。それを目印にして探知魔法を発動させれば簡単なことです」
「いつの間に、というかそれって結構怖いことじゃないの?」
白衣の行動はところどころに狂気じみたものがあるのは気のせいでしょうか。
「それ、相手にはバレてないですよね。ルチアは魔法が嫌いで、もしバレればブレイブを怒って殺すかもしれません」
「大丈夫です。私のこの魔法はバレません。もちろんブレイブさんにも」
うふふふふ、と可愛らしく笑って見せていますが。その意図を考えると、私は笑えません。
やっぱりこいつは要注意です。

「では白衣、ブレイブのいる場所を教えてくれ。すぐに助けに行こう」
カーラがドアの方に向かいます。
「待って、カーラ。私の話を聞いていましたか?。相手は神を殺すほどの相手なのですよ。そのまま行ってもブレイブを危険に晒すだけです」
「話は聞いていた。要するにルチアが悪で、その手下がモノス。ブレイブを助けるために奴らを倒せばいいのだろう。場所が分かったのならば、こちらから先手を打てる。遅くなる方が危ないのではないか?」
要約するとそうですが、そのように言われてしまうと深刻味が減ってしまいます。
「確かにそうですが、作戦を立てましょう」
「いいが、私は作戦を立てるのは苦手だ。だから、お前が考えてくれ。私はその通りに動く。相手が強いかどうかなど関係無く、必要であるならば躊躇なく私を使い潰せ。私は最愛のブレイブを助けるためならば、どんな強敵にも立ち向かおう」
普段の言動から忘れがちになりますが、エルタニン最強の勇者であったカーラ。背中からは覇気が漲り、放たれるのを待つ引き絞られた矢のようです。私の一声でその矢は、それが死地であろうともどこにだって飛んでいくでしょう。
私のことをそこまで信用してくれていて、何よりもその頼もしい背中に女であってもすがりつきたくなってしまいます。
これが勇者の背中。



「それではこの作戦でいきましょう」
私たちは白衣の情報を下に作戦を立てました。ケルンも同じ場所にいるようです。
どのように確かめたのかはもう恐ろしくて聞けません。
私たちは席を立ちます。


そこで、ヴェルメリオが思い出したように言いました。
「神殺し、と言いましたが、具体的に彼女たちはどうやってそれを行うのですか。神は地上に降りてきませんし、簡単に殺せるわけがありません」
「そうね。それは移動しながら話します」
私たちは宿屋を後にして、ブレイブの下に急ぐのでした。





「やぁっと、次の神が殺せるのね。待ちわびたわー」
教会の地下に設えられた聖堂で、ルチアが嬉しそうな声をあげた。

「馬子にも衣装ってこのことね。似合ってるわよ、ケルンちゃん」
彼女の前には祭壇に架けられたケルンがいた。
「サテュロスだから、馬子でも馬でもなく、山羊なんだっけ。そんなこと、どーでもいーことだけど」
ケルンは十字架に縛り付けられ、祭壇に掲げられている。頭にはルチアによって醜悪な装飾を施された森の王冠が被せられている。
もともとの山羊の角と鹿の角のような形状の森の王冠が揃って頭にあると歪な違和感が生じている。
元々着ていた衣服は剥ぎ取られ、木の皮でできた貫頭衣を着せられていた。彼女の顔にも腕にも紋様が描かれており、貫頭衣で隠れている部分にも余すところなく紋様は描かれている。
ケルンは眠ったままピクリとも動かない。

「お薬効き過ぎちゃったかしら。てきどーにラリってトランスして欲しかったけど、眠っちゃって起きないわね。ま、腹パンの一つや二つしてやれば目をさますかな。それでも、起きなければ眠気覚ましに腕か足を切り落としてもいいし。大事なのは記号だけ。だから、目を潰すとかはやめといた方がいいわね。目当てじゃないものが降りて来ちゃうかもしれない」
ルチアはまるで料理の献立でも考えるかのように言います。

「だって、あいつが顕現さえすれば別にこの子が生きていても死んでいてもどっちでも良いわけだし。最後にはあいつだって殺しちゃうんだからおんなじことよねー」
悦に入るルチアの耳に靴音が届く。
カソックを翻しながら、ザキルが祭壇に向かってくる。その手には一本の木の枝が握られていた。長さは30センチほどだろうか、大人の男性が持つには似つかわしくないそれは枝の先にポツポツと可愛らしい葉が付いていた。
しかし、その枝の根本は鋭利に尖っている。

「そろそろですね」
「ええ。ミスったら許さないわよ」
軽い口調とは裏腹にルチアの目は笑っていない。
「大丈夫ですよ。盲目の方ですら外さなかった”これ”を、私が外すわけがありません」
ザキルが穏やかに微笑む。
「それはオリジナルの話でしょう。いくら同じ力を持っているとはいっても、それはレプリカ。過信はダぁメ」
「確かにそれもそうですね。過信はいけませんし、いくらレプリカで代わりがあるといっても宝具には違いありません。失敗して失うことになれば大変ですし、何より私の命がありませんねぇ」
そんなことを口にしながらも、ザキルは微笑みを絶やさない。彼はモノスのメンバー、ルチアと目的は同じ。自分たちの計画の進展に上機嫌なのだろう。
そして、手にしているものも高揚を抑えられない一因か。





「そろそろ頃合いね。始めましょう」
ルチアがケルンに向けて手をかざす。
ルチアの指に光が集まり、彼女はそれを振るって軌跡を描く。先ほどまでの言動が嘘のように、その動きは優美で神秘的だった。
指の一振りごとに空気が震える。宙を走る光の軌跡は紋様を描き出し、ケルンに描かれた紋様と呼応する。
共鳴は波紋となって部屋全体に広がり、薄暗かった地下聖堂に光が溢れ出した。
聖堂の中の空気が変質し、薄暗く澱んでいた空気がまるで木漏れ日の溢れる森の中のように澄み渡っていった。
部屋全体が神につながる神域として塗り替えられていく。
石畳の隙間から植物が芽吹き、種もない場所から緑が現れる。

「う、ん」
徐々に熱を帯びていく紋様に、ケルンが目を開け自身を中心に広がっている光景に目を丸くする。
「これは」
理解を超えた光景の中で、相変わらず光の筋を操るルチアと目が合った。
ルチアはケルンに優しく微笑む。まるで、手向けの花のように。
ルチアは指揮者のように指を振るい続ける。
光の軌跡は幾重にも重ねられて、いつしかそこには扉のようにも見える魔法陣が出来上がっていた。

ルチアは満足そうに微笑みを浮かべて仕上げにかかる。
魔法陣に手をかざして魔力を注ぎ込む。魔法陣が励起し夥しい魔力の渦が魔法陣の軌跡を走り出す。
魔力の奔流はケルンの体の紋様にも流れこむ。
「う、ぁっ、ああああああ」
熱を増しながら自身の体の表面を走る魔力にケルンの顔に苦悶の表情が浮かぶ。
これは神性を帯びた魔力。魔物娘にとって毒にも等しいもの。
皮膚を焼き焦がされるような感覚がケルンを襲う。
膨大な魔力の奔流は室内に風を巻き起こし、草木を波打たせる。緑の香りが誘い香のように巻き上がった。
それは呼び水でもあり、かの神に捧げられる供物でもあった。

ルチアは手の平を頭上に掲げながら握りしめ、告げる。
「降りて来なさい。角のある王 ◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎っ!」
「あっ、あ”あああ”ぁぁぁ”ぁぁ”あ”ーーーっ!!」

部屋中に満ち溢れていた魔力が全てケルンへと向かう。
繁っていた草木は萎れ、その生気を全て彼女に、王に捧げる。
魔力が全てケルンの中へと注ぎ込まれ、彼女の瞳は虚ろで全身が虚脱していた。


胎動が始まる。
心臓の拍動が部屋に響いて空気を震わせる。

大樹の枝葉のように森の王冠が伸ていく。エルフの血によって汚されたそれは助けを求める手のようにも見えた。
ケルンを中心にして、質量をもった光が溢れ出して巨人を形作る。白く輝く表面にはケルンに描かれたものと同様の紋様が刻まれ、それは鎖を思わせた。神を縛り付ける歪で不敬な鎖。
全ての形が整い、ついに王が顕現する。
形をもった巨人が目を開く。
瞳は血塗られた赤。獣のような瞳は、悲しみと怒りに染まっていた。

「ヴォォォォォォォォォォーーーー!!」
巨人が咆哮をあげる。その一声だけで部屋が吹き飛ぶのではと思うほどの大音声。
しかし、二人はまるでそよ風の中にいるかのように満足げで涼しい顔をしていた。

「外さないでよね。ミストルティンの枝」
ルチアの言葉に頷きながら、ザキルは手に持ったヤドリギの枝を構えた。
16/06/10 21:50更新 / ルピナス
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■作者メッセージ
顕現した神の名前は規定に引っかかると思うので、具体名は伏せさせていただきます。
ご自由に想像していただければ幸いです。

さて、2部はそろそろクライマックスです。ちょっと巻きつつ走ってまいります。

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