どくけし
「ウワハハハハハー! 我を讃えよ! 我を崇めよ! 我こそは三千世界に巣を巡らす、深淵に潜む蜘蛛なるぞ! いずれこの街は我が手中に収まる。奴隷第一号となる栄誉にむせび泣くがよいわ。うわははははは!」
眼帯をつけた美少女がベッドの上でふんぞり返っていた。真っ黒なゴスロリ服でぺったんこの胸が強調されない。いろんな意味でイタイタしい。
「あー、はいはいそんな恐ろしい蜘蛛さまにはブラックコーヒーをさしあげましょう」
と俺が言えば、彼女は顔を真っ赤で肩を震わせた。イタくとも彼女はまぎれもない美少女だ。陶磁器のように滑らかで白い肌が赤くなるのは見ていてイタいものではない。ニヤニヤしてイタイのはむしろ俺の方。
「な……ッ! きっ、貴様……奴隷の分際で主(あるじ)を酔わそうとは、なんと言う不心得ものだ! そこに直れ、我が乗り物の蜘蛛としてこき使ってくれよう……」
「へいへい」
俺はおとなしく四つん這いになって、彼女の言うところの蜘蛛である馬になる。蜘蛛が蜘蛛に乗るとは不思議な設定だ。彼女の世界観は俺には掴みにくかった。
彼女は俺が家庭教師のバイトをしている蜘美愛(くびあ)ちゃん。これは彼女の親が付けた名前。ということは……彼女の両親がどんな人物かは推して知るべし。
そんな彼女はカフェインで酔うとのたまう。蜘蛛はカフェインで酔うらしい。
「酔っ払った我がナニをしでかしてもしらんぞ! 赤き秋星(フォーマルハウト)に眠る炎が目をさますがごとく、酔いから醒めた我が羞恥の炎で焼き尽くされるのだ!」とは彼女の言だ。
だから彼女は俺が勧めても決してコーヒーを飲もうとはしない。コーヒーこそ恐ろしい混沌だと言わんばかりに。
だというのに彼女の母親はいつも二人ぶんのコーヒーを用意してくれる。「ごゆっくり」という彼女の目にこそ何か直視できない混沌が渦巻いている気がするのだが、俺は気にしないことにしていた。
そんな彼女はご満悦で俺にまたがってきた。見た目よりも軽くて柔らかい女の子の重み。だが俺に思うところはない。まだ中学生の彼女を、俺は性的な目で見てなどいない。
この奴隷プレイ? だって、いい点数を取った彼女のお願いのご褒美だ。決して俺へのご褒美ではない。奴隷とは言ってもこうして馬ならぬ蜘蛛? になったりするくらいで、危ないものはない。
以前、奴隷の仕事はこれだけでいいのかと聞いたところ、「奴隷の分際でさらなる主の寵愛を求めるとはなんたる不敬か! 身の程をしれーい!」と彼女は顔を真っ赤にして飛びかかってきた。それはまさに蜘蛛が跳躍するようで、恐るべき身体能力だった。
初めは戸惑っていた俺だが、今では慣れたもの。彼女を背に乗せて部屋の中を闊歩する。こんなところ、彼女のご両親にも俺の両親にも見せられるわけがない。だからといって断って、彼女のご機嫌を損ねてこの妙に割のいいバイトをクビになるわけにはいかないし、俺のなけなしの尊厳以外損はしていない。
中学生になって徐々に肉付きが良くなってきているとはいえ、まだまだ幼児体型と言ってしまえる女の子のお尻が背中に乗っかって、「さあ、我が蜘蛛よ進めーい!」とぐりぐりはしゃぐ。時々ワザと押し付けているのではないか、と思うこともなくはないが、それはない。
彼女の俺へのなつき方は兄に対するそれだ。これは兄妹的なスキンシップ。家庭教師の身の上だが、俺も彼女のことは妹のように思っている。だからこそ心配にもなるわけで……。知ってるかい蜘美愛ちゃん、真っ黒な過去は忘れたころに追いかけてくるんだぜ? 実家に帰って引き出しを開けたときとかに。
俺の妹(仮)はゴスロリのフリルをふんだんにあしらった厨二な女の子……中学二年生の彼女は闘病生活真っ最中だった。
ご丁寧にも彼女の眼帯には蜘蛛の巣ガラが描かれているし、部屋の中には蜘蛛のぬいぐるみなんてものもある。以前ノックを忘れて入った時、彼女はそのぬいぐるみを抱いて俺の名を呼んでいたこともあった。当然俺はしこたま殴られたが、その意味は結局わからずじまいである。
写真立てにはリアルな巨大蜘蛛に抱き着く家族写真まである。父親が映っていないところを見ると、きっと彼がとったのだろうが……。ご満悦で巨大蜘蛛に乗っかっている母親を見る限り、家族公認という事らしい。お父さんの苦労がうかがえる。
しかし、どうしてこの子はこんなにも蜘蛛にこだわるのだろうか。女の子だったら普通蜘蛛を嫌ったりなどしないのだろうか……。不思議なものだ。
と、彼女は急に大人しくなりなんだかモジモジしていた。
「ど、奴隷よ……聞こえないか?」
「何が?」
「深淵からの呼び声だよ」
「蜘美愛(くびあ)ちゃんの声以外聞こえないな」
彼女はさらに身をよじらせる。太ももで脇腹を挟まれて、その感触にムズムズする。だが、彼女はどうにも切羽詰ってもいるようだった。
「この、未熟者が……私には聞こえる……深淵が、今まさに深き闇を噴き出そうとしているのが……。奴隷よ、我を不浄なる祭壇へ連れていけ。私はそこで深淵の声に応えて聖水を注がなくてはならない」
「いや、分からないのだけど……」
「なんだと、貴様は主の言葉が分からないと言うか……このっ、未熟者が!」
バシィっと彼女は俺のケツを叩いた。
なんて的確な叩き方なんだ。ケツを叩いたはずなのに芯を通って金玉まで伝わってくるような、その業界の人でなくとも深淵の呼び声に応えてしまいたくなるような手首のスナップだった。
「だからぁ……、」
俺が仄暗い感動を抱いていると、彼女の声がだんだん小さくなっていった。
「トイレに……漏れる……」
「はぁああああ!? すぐ行けばいいだろ?」
この子はそんな羞恥に耐えつつ俺の上に乗っていたのか……。というか、本当に俺から降りてトイレに行けばいいのに。だが、彼女は俺にこんなことを言う。
「連れてって……じゃないと、……ここで漏らす」
「ハイヨロコンデー!」
もちろん、彼女に漏らされることを喜んだわけではない。彼女の馬ーー蜘蛛になってトイレまでお運び遊ばすことをヨロコンデさせていただくということだ。
思わず馬のように後ろ足で立ち上がって、というか人間の正常なフォームに立ち返って、俺は彼女をおんぶしてトイレに駆け込んだ。おんぶで彼女の体が密着されて、耳元で「漏れる漏れる」と言われていると、そちらの業界の方でなくとも妙な気持ちにはなってしまう。
「絶対漏らすなよ! フリじゃないからな」「ウハハ、奴隷には道化の才もあったと言うのか、それに応えるのも主の務め……」「やめろぉおおお!」
俺はギリギリで彼女をトイレに運ぶことに成功した。
「秘儀の最中そこでの守護を命ずる」と命じられた俺はトイレの前で待機する。
俺はやっぱりそちらの業界の方ではないが(大事なことなので何度だって言ってやる)、鼓膜がまだ彼女の吐息で湿っている気がする。この子は時々妙に色っぽい。トイレに入る前の流し目なんて蠱惑的にすぎた。まるで蜘蛛の巣が俺に絡みついてくるよう。蜘蛛だけに。ーーそのままだ。
しかし、やはり俺は彼女に性的な興味を持っていない。当たり前だろう。妹のように思っているのだったら尚更だ。俺はそちらの業界の方でもない。
彼女が用を足すのを待っていると、
ピロン♪
俺のスマホが鳴った。
「ん……なんだ。まもむすGO?」
確認してみれば、奇妙なアプリだった。
説明には、
この世界には人間に化けて暮らしている魔物娘という存在がいる。
このカメラに写して彼女たちの正体を暴いて手篭めにしてしまえ。
「……いや、ほんとなんだこれ。って、おい! 勝手にインストールしてんじゃねぇよ! 待った待った……これウイルスじゃないだろうな……。うーん、今のところ大丈夫らしいが……」
慌てた俺をよそに、アプリは勝手に起動していた。幸いそれだけのようだが……。
でも、娘とついていても魔物は魔物だろ。俺はRPGに出てくるような魔獣を想像する。それが娘……って、想像ができない。俺は確認もかねてテキトウにいじってみる。
「ああ。性的に男を食べるのか……って、ええ!?」
なんだその素敵生物は。もしも本当にいるのならお近づきになりたい。しかし、そんなのいるわけがない。俺はさらにいじってみる。
「初期アイテムにどくけし……。ウイルス削除(どくけし)が必要なのはアプリの方だ……」
俺は目を見張った。画面に出ているのは自身の攻略可能な魔物娘を見つけるサーチという機能で、ちょうど俺のいるここに反応がある。
確か今この家には蜘美愛ちゃんと俺の二人しかいないはずだ。
ドドドドド、と俺の後ろで何かしらの効果音が鳴っている気がする。まさか、まさかーー。
「俺は魔物娘だったのか……」
なぜそこでアイテム屋の狸さんは呆れた顔をするのだろう。まさに殴りたくなるようなムカつく顔で。
いやいや、俺も分かってる。俺が魔物娘のわけはない。これは非実在存在を仮定して遊ぶゲームだ。そうに決まっている。だが狸さんはムカつく呆れ顔のままだ。
「守護……ご苦労」
「う、っわ!」
突然の耳元の声で、俺は口から心臓が飛び出るんじゃないかってほどに驚いた。彼女の吐息に俺は背筋がぞくぞくとした。
「聖水は深淵の彼方へ去った。礼を言おう」
相変わらず厨二病の彼女。この子にどくけしを使ってあげてもいいんじゃないだろうか……。俺は苦笑しつつ思う。しかし、この時の俺を、数秒後の俺は笑えなくなる。
「よし、奴隷よ。我を我らの巣へ運ぶのだ」
「へいへい」
俺が彼女に大人しく従って四つん這いになる前、チラリと。彼女の姿が画面に映る。
ーー俺は息が止まるかと思った。
「どうしたのだ? 我の顔に何か付いているか?」
「いや、なんでもない」
「ふむ、おかしな奴隷だな。卑しい身分で我の寵愛を得ようとはおこがましい!」
「そんなことは思ってない」
「そうか……」
と、残念そうな顔には俺も思うところがあった。
部屋に戻り、勉強を再開してシャーペンを動かし始めた彼女はいつもと変わらない。
しかし。
先ほど映ったもの。それは、背中から蜘蛛の足を生やした少女だった。彼女は魔物娘だったらしい。パッと見て戸惑ったが、いつも通りに馬ーー蜘蛛にされて背中に乗せた彼女の感触はいつも通りだった。だが、魔物娘というものの存在の在り方を読んで、まさか彼女は俺を性的に狙っていたのではないか、といつもより背中に神経が集中してしまった。
背中には甘い電流のように彼女の感触が残っている。だめだ。俺はその感触を振り払うために頭を振る。俺は彼女にそんな気持ちを抱いていないのだ、と言い聞かせる。
このアプリはきっと写した女の子を勝手に魔物娘に変換して写すアプリなのだろう。そうして遊ぶアプリ。そうに決まっている。
だから。
「蜘美愛ちゃんって、魔物娘だったんだね……、僕に性的なアプローチをしてきていたのかい? ハァハァ(例である。俺は決してこんなことはしない)」なんて言おうものならば、アルバイトをやめさせられるだけでなく社会的にも抹殺される。
黙っておこう……。
なんて考えていた俺は、どうやらボーッとしていたらしい。可愛らしい顔が覗き込んできていた。
「のう、奴隷よ。さっきからどうしたのだ?」
「いや、なんでもない」
俺は気取られれないように首を振るが、
「ハッ、まさか……奴隷よ……。確かさっきスマホを取り出しておったな……」
「ギクッ」
彼女がいっそう俺を覗き込む。そのカラコンで真っ赤な瞳には俺の顔が写って……というか妖しく輝くそれはまさか天然物じゃあありませんよね……? いや、だからそんなことはありえないって……。だが、彼女の深みのある赤い瞳や艶やかな唇が近くにあって、もしかして彼女は本当に俺を性的に狙っていたのではないのか、と今まで意識しなかった、妙なドキドキを感じる。彼女の線の細い輪郭。白く滑らかな肌。下から覗きこまれていると……俺は生唾を飲み込んだ。
まずいな、聞こえないふりをしていた深淵の声に答えてしまいそうだ。
そんな俺に彼女はいつも通りの口調で、
「我が秘儀をその箱に封じ込め、後で性なる儀式に使用するつもりであるな! このッ、不埒者がッ!(意訳:録音してオカズにするつもりかしら。そんなの恥ずかしい……)」
言っている意味はわからないが、弁明しなくてはいけない気がする。
「違う違う。メールしてただけだ」
「ふーむ。貴様は青い果実を貪る異端者だと我は思っていたのだがな?」
「酷い評価だな!? 俺はそんな気はないぞ」
「ふん」
彼女は残念そうとも憤りとも取れる表情を浮かべてから、勉強を再開した。
勉強もひと段落して、「うわははは。我が直々に取りに行ってやることを光栄に思うがいい!」と彼女はおやつを取りに行った。
俺はすぐにアプリを起動させてみる。静かになった彼女の部屋に、俺の心臓の音だけが聞こえてくる。シルエットが解放されて真の姿を晒した魔物娘アイコンを押して、彼女の正体だというアトラク=ナクアの説明を読んでみる。
「えっと、何々……。彼女たちの体には毒液が流れており、それは彼女たちの精神をも蝕んで……。………………」
そこまで読んだ俺はその説明をソッと閉じる。
「そうか、蜘美愛ちゃんのあれは、種族の毒素のせいだったのか……」
思わず俺は遠い目をしてしまう。
彼女が本当に魔物娘かどうかはわからない。だが、このアプリが真実魔物娘に対するもので、彼女が真実そのアトラク=ナクアとやらであれば、このどくけしが効果を発揮するに違いない。
厨二という毒素は早いうちに打ち消しておいたほうがいい。俺のように、黒歴史という摘出不可能な腫瘍と化す前に!
俺は心を決める。
「さあ、安物であるが、貴様に下賜する我が供物を受け取るが良い!」
そう言ってドアを開けた彼女に向かって俺は、
「その病巣を治療する!」(その幻想をぶち壊す! の発音で)
どくけしを使ったのだった。
……俺は頭を抱えていた。
「どうしてこうなった……」
「何がですか? はいお兄ちゃん、私が作ったクッキー、あーん。……食べてくれないのですか? ……(うるうる)」
「…………あーん」
「どうですか?」
「うん、おいしいよ」
「よかったぁ……」
俺の膝の上には心底からの笑顔を浮かべる天使がいた。俺はこんな時どんな顔をしたらいいのかわからない。笑えばいいと思うのだが、気持ち悪い笑みになりそうで困る。
結論から言えば、効果はあった。
このアプリは本物で、彼女も本物の魔物娘だったらしい。それはなんとか良しとしよう。だが、効果がバツグンすぎた。
彼女が安物だと言って俺に持ってきてくれたクッキーは、実は俺のために作っていてくれていた彼女お手製だったらしい。まさか今までのおやつだって……おいしい。おいしいが、彼女が必死に隠していた秘密を暴いてしまったようでいたたまれない……。
あのどくけしで彼女の厨二病毒素が中和されて、とても素直な天使が降臨したというわけだ。その影響で彼女のゴスロリ服は真っ白になっている。
服にまで影響がでるとは……もはや魔物娘の実在を信じるしかない。
「どうしてかしら。いつもと違って頭がスッキリしているし、本当はやってあげたかった事を素直にできる。不思議ね。ふふ」
と可愛らしく笑う彼女はまさに天使の微笑みで、スリスリ甘えてくるのをはねのけられない。さっき断ったら泣き出しそうな目を向けられた。それはずるいと思う。
「今まで奴隷と言ってごめんなさい……でも、恥ずかしかったのだもの。私、学校ではこんな格好も、あんな口調もしていないわ。素直じゃないのは確かだけど」
口を尖らせて、そんな拗ねたように言わないでほしい。どうにも、彼女のあの態度は照れ隠しの役割も果たしていたらしい。
「あーん」
「あーん」
またクッキーを食べさせてもらって、どくけしで降臨した天使に俺は骨抜きにされかけている。どうしよう。俺が攻略されそうです……。やはり彼女は俺を性的に……。いやいや、彼女はまだ中学生で俺にとって妹みたいな存在で……。葛藤する俺に、彼女は見るものをウットリとさせる微笑みで、囁くように言葉を紡ぐ。
「ねえ、お兄ちゃん。私ね、お兄ちゃんのことが好きよ」
俺はそのはにかむような顔に、
「俺も好きだよ」
そう答えてしまった。認めよう。俺が意固地になって、彼女のことをそういった目で見ていないと言っていたのは、それはすでに自分に言い聞かせるためだったらしい。彼女の無邪気な瞳に見つめられて、俺はそう認めざるを得なかった。
「わぁ嬉しい」
彼女は花のほころぶような素敵な笑顔を浮かべていた。そんな顔をされては、後悔することはできなかった。
家庭教師の時間が終わった俺は、何事もなく彼女の家を後にした。気持ちが通じあったとはいえーー正直何か期待していなかったわけではないがーーこの日、俺たちの仲がそれ以上進展することはなかった。
それにいくばくかの物足りなさと安堵感を抱きつつ、俺はちょっとだけあのムカつく表情の狸さんには感謝しておくのであった。
◆
「こんにちはー」
次の家庭教師の日、俺が彼女の家を訪れると、
ガシャン。
俺の頬を何かが掠めた。ソローっと視線を向けてみると、それは千枚通しだった。千枚通しはそうやって使うものじゃありません! というツッコミは、肌身に浴びせられた彼女の怒気によって封殺された。その主はもちろん俺の彼女となった蜘美愛(くびあ)ちゃんだ。
いつも通りの真っ黒いゴスロリ服に眼帯。彼女の白い肌は憤怒と羞恥のために赤く染まり、俺を睨みつけている。
「えーっと。どうしたんだ、ハニー」
「ハッ、ハニー……」
一瞬モジモジとした彼女だったが、すぐに気を取り直したように、
「こ、この……我は蜜蜂(ハニー)ではない。蜘蛛である。よくも奴隷の分際で我を辱めおって……」
どうやらどくけしの効果が切れているようだった。それに、ちゃんとその記憶もあるらしい。
「奴隷じゃなくてお兄ちゃんだろ?」
「おにっ……」口を半開きで頬を染める蜘美愛ちゃん。「黙れ、黙れ黙れ黙れ。もはやこうなったのならば、貴様に我が蜘蛛の恐怖を刻み込み、その記憶消しとばす他はない」
どうやら彼女は毒の抜けた白い、白歴史の方が黒歴史よりも耐えがたいらしい。しかし、その言い分はネズミが出たから地球ごと吹き飛ばすと言った青いタヌキ型ロボットにも似ていて、白にも黒にも青にも赤にも色を変えて忙しい。このままだと混ざってよくわからない色にもなってしまいそうだ。
「貴様の恥ずかしい写真を撮ってネットにばらまいてやる!」
「そっちの蜘蛛の巣かよ!」
蜘蛛の力はデジタルにも及んでいたらしい。アナログの暴力でやられるよりも……やめてください社会的に死んでしまいます。
彼女を見守っていると、
「我が呼び声に答えよ深淵! 我は三千世界を統べる蜘蛛。万物は我が糸に絡め取られ、その意を奪われる」
「デジタルじゃなくてマジカル?」
どうやら彼女は呪文を唱えているようだった。はっは。激昂しても厨ニ病の彼女はそっちに走るのか、それなら可愛いものだと俺が思っていると、室内だというのに不自然な風が吹き荒れ始めた。
「マジで……?」
彼女を中心として魔法陣が視覚化(ビジュアライズ)され、その禍々しき赤黒い輝きは渦を巻いて混沌とした闇が浮かび上がってくる。その闇は物質化(マテリアライズ)し、俺が蓄えた知識通りの魔法の発現過程を経過していく。
「待て待て待て待て。本当の魔法(リアル・マジック)!?」
発音よく言った俺の言葉をよそにーー少し、というか大分悲しいーー彼女の詠唱は続き、
「反逆者は深淵の鎖につながれ、混沌に飲まれてその罪を知れ」
彼女のほっそりとした指先はまるで蜘蛛の足のように不気味に持ち上がり、俺に向けて照準を合わせる。
ヤバい!
「【アトラ・ク・ナクア】ーー!」(アバダケダブラの発音で)
彼女の魔力は渦を巻いて、まるで蜘蛛の巣のように広がりおれを搦め捕ろうとしてくる。
「させるかーー!!」
俺は彼女に向かってアプリの道具を使う。もちろん【どくけし】である。
「うにゃっ!?」
蜘蛛なのに猫のような鳴き声をあげて、彼女の魔法は弾け、彼女のゴスロリ服は真っ白になった。間一髪で天使が降臨された。
ふぅ、と俺は額の嫌な汗をぬぐう。
念のためにわざわざ【どくけし】を課金して手に入れておいてよかった。家庭教師のバイト代一回分という値段には薄ら寒い思いと真っ黒な悪意を感じるが、天使に出会えるなら安い……ことにしておこう。
「ごめんなさい。毒が体に回っていると、自分でも抑えられないの」
天使は申し訳なさそうな顔でうなだれていた。彼女の頭を撫でてやる。
「大丈夫だ。体質なんだから仕方ないだろ」
彼女はホッとしたようにはにかみ、俺も微笑みを返す。
そうして俺は天使への家庭教師を始めるのだった。
それからというもの俺は家庭教師の日には【どくけし】を買ってから望むことになった。
天使に会える喜びに浸っていた俺は、素直で可愛らしい彼女との日々が続いていくことになんの疑問も持たなかった。俺はとっくに”彼女”の蜘蛛の巣に足を踏み入れてしまっていたということにだって……。
その日はなんの前触れもなく訪れた。
「は、はは、ははは、はははは。ははははは。はは、ははは、うわははははははははは!」
響き渡る彼女の高笑い。
彼女はとうとう本当の姿を現し、俺を押し倒していた。彼女の背中から伸びた蜘蛛の足は檻のように俺を戒めて、俺は身動きが取れない。
「とうとうこの日がやってきたな。散々我を辱め続けた報いを受けるといい」
「辱めって……。別にハニーを膝の上に乗せて勉強を教えていただけじゃないか。この前のマフィンは絶品だったぜ?」
「う、うぬぁああああああ!」
まるでどこかの羅王さまのように覇気いっぱいで蜘美愛ちゃんは吠える。
「黙るがいい。ようやくお前の使う【どくけし】にたいする耐性ができた。ふふふ。頼りすぎだったな。これからは元の主と奴隷の関係に戻るのだ。それをその体に刻み込んでやろう……」
そうだ。【どくけし】を使いすぎたせいで、彼女には耐性ができていた。
そして彼女は俺の服を破いていく。
「おい。待て。何をしている!? というか何をするつもりだ!?」
彼女はトロンとした瞳で俺を見る。その瞳は劣情に濡れて情欲に燃え、まるで飢餓状態の肉食獣のようでもある。中学生にできる表情ではないし、自らの服も鋭い爪で破いていくその淫らな仕草はAVでるすら見たことのないほどのいやらしさがある。
破れた真っ黒なゴスロリ服の隙間からは真っ白でぺったんこの胸がのぞいている。その先っちょのピンク色のつぼみのような乳首まで。まるでバターが練りこまれたような滑らかな肌だ。
「このまま辱められ続けるくらいなら、我の方から辱めてやる。そして貴様に消えない痕を……」
彼女の眼はぐるんぐるんと混沌が渦を巻いている。
本気だ。本気でこの子は俺をヤるつもりだ。机に転がっているコーヒーカップを見て俺はそれを確信した。しかし、酒に頼るみたいにコーヒーを飲むんじゃねぇよ!
くっ、このままやられてたまるか……。
彼女とヤるときは「もう我慢ができないんだ」「お兄ちゃん……恥ずかしい……でも。お兄ちゃんがしたいなら……」
というシチュエーションでと決めていた!
こんな彼女から襲われるシチュエーションは望んではいない!
俺は助かる手段を探して必死でアイテム屋を開く。
すると、
【いいどくけし】一万円
どくけしよりもいいどくけし。どくけしがきかなくなった毒にも効く。
サムズアップする狸さんのいい笑顔がこの上なくムカつく。
「くっ、足元見やがって……」
持って計ったようなタイミングで新規アイテムが増えていた。だが、背に腹は変えられない、というか欲望につかう金に糸目はつけられない。
俺は急いで【いいどくけし】を購入して「チッ、これで家庭教師で稼いだ金はほとんど吸い上げられた……」
ポチッと画面をタップして、俺は彼女にそれを使った。
「うわはははは。無駄無駄無駄無駄。…………うにゃあ」
彼女は糸の切れた操り人形のように俺に倒れこみ、その服が白くなっていることに安堵を覚えた。「どうやらうまくいったようだ」
だが、彼女は俺に倒れかかったまま動かない。全体重を俺に預けてきている彼女はぴくりともせず、ただでさえ薄い胸はあるのかないのかわらからない。俺はそこに一種の不安を抱く。彼女の背中をポスポスと叩き、
「おーい、蜘美愛ちゃん、大丈夫? ……ンむッ!」
唇を奪われた。目を白黒とさせる俺の頭に彼女の手が回され、力一杯唇を押し付けられる。歯の抵抗なんて無いに等しく、彼女の舌が俺の口内に侵入して、暴れまわる。
唾が吸われて唾が入ってくる……。コーヒーに混じりの彼女の味がする。彼女というシロップが溶けた、甘いコーヒーの香りが鼻腔を満たしていく。
「ぅ、……ぐ……」
ようやく解放された唇にはまだ銀の橋がかかっている。それは水滴を帯びた蜘蛛の巣のようだった。
彼女は歴戦の娼婦もかくやといった体(てい)で、艶然と蕩けるような笑みを浮かべる。
「ふふ。かぁーわいいの」
黒とも白とも違う雰囲気だった。
彼女の服装は濁った黒としか言いようのない色に染まっている。泡立つような、えも言われない色。真っ黒な彼女とも真っ白な彼女とも違う。それは本当に彼女がいつも言っている深淵に潜む蜘蛛そのもので……。
「ふふ。やぁっと私が出てこれた。ねぇ、可愛いお兄ちゃん。このまま、私があなたを食べてあげる」
その瞳には劣情も情欲も肉欲も快楽も背徳も悪徳も、すべてをドロドロに煮詰めて注ぎ込んだかのような混沌が渦を巻いている。コーヒーに酔ったなんて程度じゃ顕れないであろう、まるで奈落の底のような、深淵が覗き込んできているような。
「蜘美愛ちゃん、だよね……?」
俺の問いかけに彼女は馬鹿にしたようにケラケラと笑う。
「他に誰がいるの? 私は私。蜘美愛。お兄ちゃんの主の混沌の蜘蛛。それ以上でもそれ以下でもない。私が出てきたからにはもう遠慮なんてしないわ。体の毒素が厨ニ病という形で現れた私、毒素が減っても最後の一歩をためらっていたただ素直なだけの私。私はさらにその奥。素直に欲望に身を委ねる私。うふふ。そんな顔をしないで。みんな私。記憶もお兄ちゃんのことを好きだという気持ちは同じ。ただ毒素の濃度が違うだけ。それにあなたが感じるのは恐怖じゃない。ただの、快楽……ふふ。うふふふふふ」
彼女のドロドロの瞳の中には俺が映っている。
これから俺もそのドロドロの中に納められるのだろう。
「そういえば、お兄ちゃんは素直に甘える私が好きだったみたいだけれど……。こっちの甘え方のほうが好きにさせてあげる。それじゃあ、頭からカリカリと、骨の髄までトロかして、余さず残さず食べてあげる。うふふ。いただきまぁーす」
ガブリ、と彼女の牙が俺の首すじに突き立てられた。そこから、何かが入り込んでくる。まるで灼熱の溶岩のように熱く、それは俺の血潮に置き換わって全身に行き渡る。そしてそのマグマが噴出しようと集まってくる股間は、今にも噴火しそうなほどに雄々しくそそり立っていた。
そうして蜘蛛の巣に捕らえられた俺は、彼女という混沌に飲み込まれた。
快楽の果てに体が作り変わっていく俺の頭に響いた言葉はーー
◆
「ウワハハハハー! 我を讃えよ! 我を崇めよ! 我こそは三千世界に巣を巡らす、深淵に潜む蜘蛛なるぞ! 我が奴隷の蜘蛛(おっと)よ。今日も我に奉仕するのだ! ……うにゃああ!」
俺は真っ黒なゴスロリ服の蜘美愛ちゃんを蜘蛛になった体で捕まえる。襲いかかってきて逃げ腰になった彼女に、俺は容赦なくおぞましい白濁の欲望を塗りたくっていく。
「待つのだ! いきなりはいかん! ひゃああああ!」
怖気付きながらも、彼女は顔を淫らにとろけさせて、形ばかりの抵抗とともに快楽を享受する。俺が吐き出した液で股だけでなく体全体を真っ白に染め上げられた彼女の毒は中和され……。
「……はぁはぁ、お兄ちゃん恥ずかしいよぅ……。でもお兄ちゃんが望むなら……やぁ、やっぱり恥ずかし……ふぁああああ!」
現れた純情無垢な真っ白な彼女にも、俺は容赦なく己の欲望を吐き出していく。
そうして、真っ白な彼女は俺の濁った白に染め上げられて、ようやく彼女が出てくる。
「ふふふ。そんなに私に会いたかったの。かぁーわいい。今まで散々私を辱めたお礼をしてあげる」
そう言って笑う彼女には、蜘蛛の身となった今でも勝てる気がしない。
彼女と交わり続けた俺は、いつしか人間の体から蜘蛛の体になれるようになった。設定などではなく、真実の巨大蜘蛛になれるのだ。
今となっては人間の姿よりもこちらの方がしっくりくるくらいだ。俺は今日も彼女を犯している。彼女の毒素はどくけしなんてものを使わなくても俺の精で中和できる。俺はしたいプレイごとに、彼女に与える精を調整する。
一番奥の彼女以外は好きに扱えるが、彼女だけは俺を好きに扱える。
俺はご主人様を懇願するように、蜘蛛の瞳で見る。
すると、彼女は恍惚と、ゾッとするような淫らな顔をして、
「お兄ちゃんgetだぜ」
そう笑うのだった。
眼帯をつけた美少女がベッドの上でふんぞり返っていた。真っ黒なゴスロリ服でぺったんこの胸が強調されない。いろんな意味でイタイタしい。
「あー、はいはいそんな恐ろしい蜘蛛さまにはブラックコーヒーをさしあげましょう」
と俺が言えば、彼女は顔を真っ赤で肩を震わせた。イタくとも彼女はまぎれもない美少女だ。陶磁器のように滑らかで白い肌が赤くなるのは見ていてイタいものではない。ニヤニヤしてイタイのはむしろ俺の方。
「な……ッ! きっ、貴様……奴隷の分際で主(あるじ)を酔わそうとは、なんと言う不心得ものだ! そこに直れ、我が乗り物の蜘蛛としてこき使ってくれよう……」
「へいへい」
俺はおとなしく四つん這いになって、彼女の言うところの蜘蛛である馬になる。蜘蛛が蜘蛛に乗るとは不思議な設定だ。彼女の世界観は俺には掴みにくかった。
彼女は俺が家庭教師のバイトをしている蜘美愛(くびあ)ちゃん。これは彼女の親が付けた名前。ということは……彼女の両親がどんな人物かは推して知るべし。
そんな彼女はカフェインで酔うとのたまう。蜘蛛はカフェインで酔うらしい。
「酔っ払った我がナニをしでかしてもしらんぞ! 赤き秋星(フォーマルハウト)に眠る炎が目をさますがごとく、酔いから醒めた我が羞恥の炎で焼き尽くされるのだ!」とは彼女の言だ。
だから彼女は俺が勧めても決してコーヒーを飲もうとはしない。コーヒーこそ恐ろしい混沌だと言わんばかりに。
だというのに彼女の母親はいつも二人ぶんのコーヒーを用意してくれる。「ごゆっくり」という彼女の目にこそ何か直視できない混沌が渦巻いている気がするのだが、俺は気にしないことにしていた。
そんな彼女はご満悦で俺にまたがってきた。見た目よりも軽くて柔らかい女の子の重み。だが俺に思うところはない。まだ中学生の彼女を、俺は性的な目で見てなどいない。
この奴隷プレイ? だって、いい点数を取った彼女のお願いのご褒美だ。決して俺へのご褒美ではない。奴隷とは言ってもこうして馬ならぬ蜘蛛? になったりするくらいで、危ないものはない。
以前、奴隷の仕事はこれだけでいいのかと聞いたところ、「奴隷の分際でさらなる主の寵愛を求めるとはなんたる不敬か! 身の程をしれーい!」と彼女は顔を真っ赤にして飛びかかってきた。それはまさに蜘蛛が跳躍するようで、恐るべき身体能力だった。
初めは戸惑っていた俺だが、今では慣れたもの。彼女を背に乗せて部屋の中を闊歩する。こんなところ、彼女のご両親にも俺の両親にも見せられるわけがない。だからといって断って、彼女のご機嫌を損ねてこの妙に割のいいバイトをクビになるわけにはいかないし、俺のなけなしの尊厳以外損はしていない。
中学生になって徐々に肉付きが良くなってきているとはいえ、まだまだ幼児体型と言ってしまえる女の子のお尻が背中に乗っかって、「さあ、我が蜘蛛よ進めーい!」とぐりぐりはしゃぐ。時々ワザと押し付けているのではないか、と思うこともなくはないが、それはない。
彼女の俺へのなつき方は兄に対するそれだ。これは兄妹的なスキンシップ。家庭教師の身の上だが、俺も彼女のことは妹のように思っている。だからこそ心配にもなるわけで……。知ってるかい蜘美愛ちゃん、真っ黒な過去は忘れたころに追いかけてくるんだぜ? 実家に帰って引き出しを開けたときとかに。
俺の妹(仮)はゴスロリのフリルをふんだんにあしらった厨二な女の子……中学二年生の彼女は闘病生活真っ最中だった。
ご丁寧にも彼女の眼帯には蜘蛛の巣ガラが描かれているし、部屋の中には蜘蛛のぬいぐるみなんてものもある。以前ノックを忘れて入った時、彼女はそのぬいぐるみを抱いて俺の名を呼んでいたこともあった。当然俺はしこたま殴られたが、その意味は結局わからずじまいである。
写真立てにはリアルな巨大蜘蛛に抱き着く家族写真まである。父親が映っていないところを見ると、きっと彼がとったのだろうが……。ご満悦で巨大蜘蛛に乗っかっている母親を見る限り、家族公認という事らしい。お父さんの苦労がうかがえる。
しかし、どうしてこの子はこんなにも蜘蛛にこだわるのだろうか。女の子だったら普通蜘蛛を嫌ったりなどしないのだろうか……。不思議なものだ。
と、彼女は急に大人しくなりなんだかモジモジしていた。
「ど、奴隷よ……聞こえないか?」
「何が?」
「深淵からの呼び声だよ」
「蜘美愛(くびあ)ちゃんの声以外聞こえないな」
彼女はさらに身をよじらせる。太ももで脇腹を挟まれて、その感触にムズムズする。だが、彼女はどうにも切羽詰ってもいるようだった。
「この、未熟者が……私には聞こえる……深淵が、今まさに深き闇を噴き出そうとしているのが……。奴隷よ、我を不浄なる祭壇へ連れていけ。私はそこで深淵の声に応えて聖水を注がなくてはならない」
「いや、分からないのだけど……」
「なんだと、貴様は主の言葉が分からないと言うか……このっ、未熟者が!」
バシィっと彼女は俺のケツを叩いた。
なんて的確な叩き方なんだ。ケツを叩いたはずなのに芯を通って金玉まで伝わってくるような、その業界の人でなくとも深淵の呼び声に応えてしまいたくなるような手首のスナップだった。
「だからぁ……、」
俺が仄暗い感動を抱いていると、彼女の声がだんだん小さくなっていった。
「トイレに……漏れる……」
「はぁああああ!? すぐ行けばいいだろ?」
この子はそんな羞恥に耐えつつ俺の上に乗っていたのか……。というか、本当に俺から降りてトイレに行けばいいのに。だが、彼女は俺にこんなことを言う。
「連れてって……じゃないと、……ここで漏らす」
「ハイヨロコンデー!」
もちろん、彼女に漏らされることを喜んだわけではない。彼女の馬ーー蜘蛛になってトイレまでお運び遊ばすことをヨロコンデさせていただくということだ。
思わず馬のように後ろ足で立ち上がって、というか人間の正常なフォームに立ち返って、俺は彼女をおんぶしてトイレに駆け込んだ。おんぶで彼女の体が密着されて、耳元で「漏れる漏れる」と言われていると、そちらの業界の方でなくとも妙な気持ちにはなってしまう。
「絶対漏らすなよ! フリじゃないからな」「ウハハ、奴隷には道化の才もあったと言うのか、それに応えるのも主の務め……」「やめろぉおおお!」
俺はギリギリで彼女をトイレに運ぶことに成功した。
「秘儀の最中そこでの守護を命ずる」と命じられた俺はトイレの前で待機する。
俺はやっぱりそちらの業界の方ではないが(大事なことなので何度だって言ってやる)、鼓膜がまだ彼女の吐息で湿っている気がする。この子は時々妙に色っぽい。トイレに入る前の流し目なんて蠱惑的にすぎた。まるで蜘蛛の巣が俺に絡みついてくるよう。蜘蛛だけに。ーーそのままだ。
しかし、やはり俺は彼女に性的な興味を持っていない。当たり前だろう。妹のように思っているのだったら尚更だ。俺はそちらの業界の方でもない。
彼女が用を足すのを待っていると、
ピロン♪
俺のスマホが鳴った。
「ん……なんだ。まもむすGO?」
確認してみれば、奇妙なアプリだった。
説明には、
この世界には人間に化けて暮らしている魔物娘という存在がいる。
このカメラに写して彼女たちの正体を暴いて手篭めにしてしまえ。
「……いや、ほんとなんだこれ。って、おい! 勝手にインストールしてんじゃねぇよ! 待った待った……これウイルスじゃないだろうな……。うーん、今のところ大丈夫らしいが……」
慌てた俺をよそに、アプリは勝手に起動していた。幸いそれだけのようだが……。
でも、娘とついていても魔物は魔物だろ。俺はRPGに出てくるような魔獣を想像する。それが娘……って、想像ができない。俺は確認もかねてテキトウにいじってみる。
「ああ。性的に男を食べるのか……って、ええ!?」
なんだその素敵生物は。もしも本当にいるのならお近づきになりたい。しかし、そんなのいるわけがない。俺はさらにいじってみる。
「初期アイテムにどくけし……。ウイルス削除(どくけし)が必要なのはアプリの方だ……」
俺は目を見張った。画面に出ているのは自身の攻略可能な魔物娘を見つけるサーチという機能で、ちょうど俺のいるここに反応がある。
確か今この家には蜘美愛ちゃんと俺の二人しかいないはずだ。
ドドドドド、と俺の後ろで何かしらの効果音が鳴っている気がする。まさか、まさかーー。
「俺は魔物娘だったのか……」
なぜそこでアイテム屋の狸さんは呆れた顔をするのだろう。まさに殴りたくなるようなムカつく顔で。
いやいや、俺も分かってる。俺が魔物娘のわけはない。これは非実在存在を仮定して遊ぶゲームだ。そうに決まっている。だが狸さんはムカつく呆れ顔のままだ。
「守護……ご苦労」
「う、っわ!」
突然の耳元の声で、俺は口から心臓が飛び出るんじゃないかってほどに驚いた。彼女の吐息に俺は背筋がぞくぞくとした。
「聖水は深淵の彼方へ去った。礼を言おう」
相変わらず厨二病の彼女。この子にどくけしを使ってあげてもいいんじゃないだろうか……。俺は苦笑しつつ思う。しかし、この時の俺を、数秒後の俺は笑えなくなる。
「よし、奴隷よ。我を我らの巣へ運ぶのだ」
「へいへい」
俺が彼女に大人しく従って四つん這いになる前、チラリと。彼女の姿が画面に映る。
ーー俺は息が止まるかと思った。
「どうしたのだ? 我の顔に何か付いているか?」
「いや、なんでもない」
「ふむ、おかしな奴隷だな。卑しい身分で我の寵愛を得ようとはおこがましい!」
「そんなことは思ってない」
「そうか……」
と、残念そうな顔には俺も思うところがあった。
部屋に戻り、勉強を再開してシャーペンを動かし始めた彼女はいつもと変わらない。
しかし。
先ほど映ったもの。それは、背中から蜘蛛の足を生やした少女だった。彼女は魔物娘だったらしい。パッと見て戸惑ったが、いつも通りに馬ーー蜘蛛にされて背中に乗せた彼女の感触はいつも通りだった。だが、魔物娘というものの存在の在り方を読んで、まさか彼女は俺を性的に狙っていたのではないか、といつもより背中に神経が集中してしまった。
背中には甘い電流のように彼女の感触が残っている。だめだ。俺はその感触を振り払うために頭を振る。俺は彼女にそんな気持ちを抱いていないのだ、と言い聞かせる。
このアプリはきっと写した女の子を勝手に魔物娘に変換して写すアプリなのだろう。そうして遊ぶアプリ。そうに決まっている。
だから。
「蜘美愛ちゃんって、魔物娘だったんだね……、僕に性的なアプローチをしてきていたのかい? ハァハァ(例である。俺は決してこんなことはしない)」なんて言おうものならば、アルバイトをやめさせられるだけでなく社会的にも抹殺される。
黙っておこう……。
なんて考えていた俺は、どうやらボーッとしていたらしい。可愛らしい顔が覗き込んできていた。
「のう、奴隷よ。さっきからどうしたのだ?」
「いや、なんでもない」
俺は気取られれないように首を振るが、
「ハッ、まさか……奴隷よ……。確かさっきスマホを取り出しておったな……」
「ギクッ」
彼女がいっそう俺を覗き込む。そのカラコンで真っ赤な瞳には俺の顔が写って……というか妖しく輝くそれはまさか天然物じゃあありませんよね……? いや、だからそんなことはありえないって……。だが、彼女の深みのある赤い瞳や艶やかな唇が近くにあって、もしかして彼女は本当に俺を性的に狙っていたのではないのか、と今まで意識しなかった、妙なドキドキを感じる。彼女の線の細い輪郭。白く滑らかな肌。下から覗きこまれていると……俺は生唾を飲み込んだ。
まずいな、聞こえないふりをしていた深淵の声に答えてしまいそうだ。
そんな俺に彼女はいつも通りの口調で、
「我が秘儀をその箱に封じ込め、後で性なる儀式に使用するつもりであるな! このッ、不埒者がッ!(意訳:録音してオカズにするつもりかしら。そんなの恥ずかしい……)」
言っている意味はわからないが、弁明しなくてはいけない気がする。
「違う違う。メールしてただけだ」
「ふーむ。貴様は青い果実を貪る異端者だと我は思っていたのだがな?」
「酷い評価だな!? 俺はそんな気はないぞ」
「ふん」
彼女は残念そうとも憤りとも取れる表情を浮かべてから、勉強を再開した。
勉強もひと段落して、「うわははは。我が直々に取りに行ってやることを光栄に思うがいい!」と彼女はおやつを取りに行った。
俺はすぐにアプリを起動させてみる。静かになった彼女の部屋に、俺の心臓の音だけが聞こえてくる。シルエットが解放されて真の姿を晒した魔物娘アイコンを押して、彼女の正体だというアトラク=ナクアの説明を読んでみる。
「えっと、何々……。彼女たちの体には毒液が流れており、それは彼女たちの精神をも蝕んで……。………………」
そこまで読んだ俺はその説明をソッと閉じる。
「そうか、蜘美愛ちゃんのあれは、種族の毒素のせいだったのか……」
思わず俺は遠い目をしてしまう。
彼女が本当に魔物娘かどうかはわからない。だが、このアプリが真実魔物娘に対するもので、彼女が真実そのアトラク=ナクアとやらであれば、このどくけしが効果を発揮するに違いない。
厨二という毒素は早いうちに打ち消しておいたほうがいい。俺のように、黒歴史という摘出不可能な腫瘍と化す前に!
俺は心を決める。
「さあ、安物であるが、貴様に下賜する我が供物を受け取るが良い!」
そう言ってドアを開けた彼女に向かって俺は、
「その病巣を治療する!」(その幻想をぶち壊す! の発音で)
どくけしを使ったのだった。
……俺は頭を抱えていた。
「どうしてこうなった……」
「何がですか? はいお兄ちゃん、私が作ったクッキー、あーん。……食べてくれないのですか? ……(うるうる)」
「…………あーん」
「どうですか?」
「うん、おいしいよ」
「よかったぁ……」
俺の膝の上には心底からの笑顔を浮かべる天使がいた。俺はこんな時どんな顔をしたらいいのかわからない。笑えばいいと思うのだが、気持ち悪い笑みになりそうで困る。
結論から言えば、効果はあった。
このアプリは本物で、彼女も本物の魔物娘だったらしい。それはなんとか良しとしよう。だが、効果がバツグンすぎた。
彼女が安物だと言って俺に持ってきてくれたクッキーは、実は俺のために作っていてくれていた彼女お手製だったらしい。まさか今までのおやつだって……おいしい。おいしいが、彼女が必死に隠していた秘密を暴いてしまったようでいたたまれない……。
あのどくけしで彼女の厨二病毒素が中和されて、とても素直な天使が降臨したというわけだ。その影響で彼女のゴスロリ服は真っ白になっている。
服にまで影響がでるとは……もはや魔物娘の実在を信じるしかない。
「どうしてかしら。いつもと違って頭がスッキリしているし、本当はやってあげたかった事を素直にできる。不思議ね。ふふ」
と可愛らしく笑う彼女はまさに天使の微笑みで、スリスリ甘えてくるのをはねのけられない。さっき断ったら泣き出しそうな目を向けられた。それはずるいと思う。
「今まで奴隷と言ってごめんなさい……でも、恥ずかしかったのだもの。私、学校ではこんな格好も、あんな口調もしていないわ。素直じゃないのは確かだけど」
口を尖らせて、そんな拗ねたように言わないでほしい。どうにも、彼女のあの態度は照れ隠しの役割も果たしていたらしい。
「あーん」
「あーん」
またクッキーを食べさせてもらって、どくけしで降臨した天使に俺は骨抜きにされかけている。どうしよう。俺が攻略されそうです……。やはり彼女は俺を性的に……。いやいや、彼女はまだ中学生で俺にとって妹みたいな存在で……。葛藤する俺に、彼女は見るものをウットリとさせる微笑みで、囁くように言葉を紡ぐ。
「ねえ、お兄ちゃん。私ね、お兄ちゃんのことが好きよ」
俺はそのはにかむような顔に、
「俺も好きだよ」
そう答えてしまった。認めよう。俺が意固地になって、彼女のことをそういった目で見ていないと言っていたのは、それはすでに自分に言い聞かせるためだったらしい。彼女の無邪気な瞳に見つめられて、俺はそう認めざるを得なかった。
「わぁ嬉しい」
彼女は花のほころぶような素敵な笑顔を浮かべていた。そんな顔をされては、後悔することはできなかった。
家庭教師の時間が終わった俺は、何事もなく彼女の家を後にした。気持ちが通じあったとはいえーー正直何か期待していなかったわけではないがーーこの日、俺たちの仲がそれ以上進展することはなかった。
それにいくばくかの物足りなさと安堵感を抱きつつ、俺はちょっとだけあのムカつく表情の狸さんには感謝しておくのであった。
◆
「こんにちはー」
次の家庭教師の日、俺が彼女の家を訪れると、
ガシャン。
俺の頬を何かが掠めた。ソローっと視線を向けてみると、それは千枚通しだった。千枚通しはそうやって使うものじゃありません! というツッコミは、肌身に浴びせられた彼女の怒気によって封殺された。その主はもちろん俺の彼女となった蜘美愛(くびあ)ちゃんだ。
いつも通りの真っ黒いゴスロリ服に眼帯。彼女の白い肌は憤怒と羞恥のために赤く染まり、俺を睨みつけている。
「えーっと。どうしたんだ、ハニー」
「ハッ、ハニー……」
一瞬モジモジとした彼女だったが、すぐに気を取り直したように、
「こ、この……我は蜜蜂(ハニー)ではない。蜘蛛である。よくも奴隷の分際で我を辱めおって……」
どうやらどくけしの効果が切れているようだった。それに、ちゃんとその記憶もあるらしい。
「奴隷じゃなくてお兄ちゃんだろ?」
「おにっ……」口を半開きで頬を染める蜘美愛ちゃん。「黙れ、黙れ黙れ黙れ。もはやこうなったのならば、貴様に我が蜘蛛の恐怖を刻み込み、その記憶消しとばす他はない」
どうやら彼女は毒の抜けた白い、白歴史の方が黒歴史よりも耐えがたいらしい。しかし、その言い分はネズミが出たから地球ごと吹き飛ばすと言った青いタヌキ型ロボットにも似ていて、白にも黒にも青にも赤にも色を変えて忙しい。このままだと混ざってよくわからない色にもなってしまいそうだ。
「貴様の恥ずかしい写真を撮ってネットにばらまいてやる!」
「そっちの蜘蛛の巣かよ!」
蜘蛛の力はデジタルにも及んでいたらしい。アナログの暴力でやられるよりも……やめてください社会的に死んでしまいます。
彼女を見守っていると、
「我が呼び声に答えよ深淵! 我は三千世界を統べる蜘蛛。万物は我が糸に絡め取られ、その意を奪われる」
「デジタルじゃなくてマジカル?」
どうやら彼女は呪文を唱えているようだった。はっは。激昂しても厨ニ病の彼女はそっちに走るのか、それなら可愛いものだと俺が思っていると、室内だというのに不自然な風が吹き荒れ始めた。
「マジで……?」
彼女を中心として魔法陣が視覚化(ビジュアライズ)され、その禍々しき赤黒い輝きは渦を巻いて混沌とした闇が浮かび上がってくる。その闇は物質化(マテリアライズ)し、俺が蓄えた知識通りの魔法の発現過程を経過していく。
「待て待て待て待て。本当の魔法(リアル・マジック)!?」
発音よく言った俺の言葉をよそにーー少し、というか大分悲しいーー彼女の詠唱は続き、
「反逆者は深淵の鎖につながれ、混沌に飲まれてその罪を知れ」
彼女のほっそりとした指先はまるで蜘蛛の足のように不気味に持ち上がり、俺に向けて照準を合わせる。
ヤバい!
「【アトラ・ク・ナクア】ーー!」(アバダケダブラの発音で)
彼女の魔力は渦を巻いて、まるで蜘蛛の巣のように広がりおれを搦め捕ろうとしてくる。
「させるかーー!!」
俺は彼女に向かってアプリの道具を使う。もちろん【どくけし】である。
「うにゃっ!?」
蜘蛛なのに猫のような鳴き声をあげて、彼女の魔法は弾け、彼女のゴスロリ服は真っ白になった。間一髪で天使が降臨された。
ふぅ、と俺は額の嫌な汗をぬぐう。
念のためにわざわざ【どくけし】を課金して手に入れておいてよかった。家庭教師のバイト代一回分という値段には薄ら寒い思いと真っ黒な悪意を感じるが、天使に出会えるなら安い……ことにしておこう。
「ごめんなさい。毒が体に回っていると、自分でも抑えられないの」
天使は申し訳なさそうな顔でうなだれていた。彼女の頭を撫でてやる。
「大丈夫だ。体質なんだから仕方ないだろ」
彼女はホッとしたようにはにかみ、俺も微笑みを返す。
そうして俺は天使への家庭教師を始めるのだった。
それからというもの俺は家庭教師の日には【どくけし】を買ってから望むことになった。
天使に会える喜びに浸っていた俺は、素直で可愛らしい彼女との日々が続いていくことになんの疑問も持たなかった。俺はとっくに”彼女”の蜘蛛の巣に足を踏み入れてしまっていたということにだって……。
その日はなんの前触れもなく訪れた。
「は、はは、ははは、はははは。ははははは。はは、ははは、うわははははははははは!」
響き渡る彼女の高笑い。
彼女はとうとう本当の姿を現し、俺を押し倒していた。彼女の背中から伸びた蜘蛛の足は檻のように俺を戒めて、俺は身動きが取れない。
「とうとうこの日がやってきたな。散々我を辱め続けた報いを受けるといい」
「辱めって……。別にハニーを膝の上に乗せて勉強を教えていただけじゃないか。この前のマフィンは絶品だったぜ?」
「う、うぬぁああああああ!」
まるでどこかの羅王さまのように覇気いっぱいで蜘美愛ちゃんは吠える。
「黙るがいい。ようやくお前の使う【どくけし】にたいする耐性ができた。ふふふ。頼りすぎだったな。これからは元の主と奴隷の関係に戻るのだ。それをその体に刻み込んでやろう……」
そうだ。【どくけし】を使いすぎたせいで、彼女には耐性ができていた。
そして彼女は俺の服を破いていく。
「おい。待て。何をしている!? というか何をするつもりだ!?」
彼女はトロンとした瞳で俺を見る。その瞳は劣情に濡れて情欲に燃え、まるで飢餓状態の肉食獣のようでもある。中学生にできる表情ではないし、自らの服も鋭い爪で破いていくその淫らな仕草はAVでるすら見たことのないほどのいやらしさがある。
破れた真っ黒なゴスロリ服の隙間からは真っ白でぺったんこの胸がのぞいている。その先っちょのピンク色のつぼみのような乳首まで。まるでバターが練りこまれたような滑らかな肌だ。
「このまま辱められ続けるくらいなら、我の方から辱めてやる。そして貴様に消えない痕を……」
彼女の眼はぐるんぐるんと混沌が渦を巻いている。
本気だ。本気でこの子は俺をヤるつもりだ。机に転がっているコーヒーカップを見て俺はそれを確信した。しかし、酒に頼るみたいにコーヒーを飲むんじゃねぇよ!
くっ、このままやられてたまるか……。
彼女とヤるときは「もう我慢ができないんだ」「お兄ちゃん……恥ずかしい……でも。お兄ちゃんがしたいなら……」
というシチュエーションでと決めていた!
こんな彼女から襲われるシチュエーションは望んではいない!
俺は助かる手段を探して必死でアイテム屋を開く。
すると、
【いいどくけし】一万円
どくけしよりもいいどくけし。どくけしがきかなくなった毒にも効く。
サムズアップする狸さんのいい笑顔がこの上なくムカつく。
「くっ、足元見やがって……」
持って計ったようなタイミングで新規アイテムが増えていた。だが、背に腹は変えられない、というか欲望につかう金に糸目はつけられない。
俺は急いで【いいどくけし】を購入して「チッ、これで家庭教師で稼いだ金はほとんど吸い上げられた……」
ポチッと画面をタップして、俺は彼女にそれを使った。
「うわはははは。無駄無駄無駄無駄。…………うにゃあ」
彼女は糸の切れた操り人形のように俺に倒れこみ、その服が白くなっていることに安堵を覚えた。「どうやらうまくいったようだ」
だが、彼女は俺に倒れかかったまま動かない。全体重を俺に預けてきている彼女はぴくりともせず、ただでさえ薄い胸はあるのかないのかわらからない。俺はそこに一種の不安を抱く。彼女の背中をポスポスと叩き、
「おーい、蜘美愛ちゃん、大丈夫? ……ンむッ!」
唇を奪われた。目を白黒とさせる俺の頭に彼女の手が回され、力一杯唇を押し付けられる。歯の抵抗なんて無いに等しく、彼女の舌が俺の口内に侵入して、暴れまわる。
唾が吸われて唾が入ってくる……。コーヒーに混じりの彼女の味がする。彼女というシロップが溶けた、甘いコーヒーの香りが鼻腔を満たしていく。
「ぅ、……ぐ……」
ようやく解放された唇にはまだ銀の橋がかかっている。それは水滴を帯びた蜘蛛の巣のようだった。
彼女は歴戦の娼婦もかくやといった体(てい)で、艶然と蕩けるような笑みを浮かべる。
「ふふ。かぁーわいいの」
黒とも白とも違う雰囲気だった。
彼女の服装は濁った黒としか言いようのない色に染まっている。泡立つような、えも言われない色。真っ黒な彼女とも真っ白な彼女とも違う。それは本当に彼女がいつも言っている深淵に潜む蜘蛛そのもので……。
「ふふ。やぁっと私が出てこれた。ねぇ、可愛いお兄ちゃん。このまま、私があなたを食べてあげる」
その瞳には劣情も情欲も肉欲も快楽も背徳も悪徳も、すべてをドロドロに煮詰めて注ぎ込んだかのような混沌が渦を巻いている。コーヒーに酔ったなんて程度じゃ顕れないであろう、まるで奈落の底のような、深淵が覗き込んできているような。
「蜘美愛ちゃん、だよね……?」
俺の問いかけに彼女は馬鹿にしたようにケラケラと笑う。
「他に誰がいるの? 私は私。蜘美愛。お兄ちゃんの主の混沌の蜘蛛。それ以上でもそれ以下でもない。私が出てきたからにはもう遠慮なんてしないわ。体の毒素が厨ニ病という形で現れた私、毒素が減っても最後の一歩をためらっていたただ素直なだけの私。私はさらにその奥。素直に欲望に身を委ねる私。うふふ。そんな顔をしないで。みんな私。記憶もお兄ちゃんのことを好きだという気持ちは同じ。ただ毒素の濃度が違うだけ。それにあなたが感じるのは恐怖じゃない。ただの、快楽……ふふ。うふふふふふ」
彼女のドロドロの瞳の中には俺が映っている。
これから俺もそのドロドロの中に納められるのだろう。
「そういえば、お兄ちゃんは素直に甘える私が好きだったみたいだけれど……。こっちの甘え方のほうが好きにさせてあげる。それじゃあ、頭からカリカリと、骨の髄までトロかして、余さず残さず食べてあげる。うふふ。いただきまぁーす」
ガブリ、と彼女の牙が俺の首すじに突き立てられた。そこから、何かが入り込んでくる。まるで灼熱の溶岩のように熱く、それは俺の血潮に置き換わって全身に行き渡る。そしてそのマグマが噴出しようと集まってくる股間は、今にも噴火しそうなほどに雄々しくそそり立っていた。
そうして蜘蛛の巣に捕らえられた俺は、彼女という混沌に飲み込まれた。
快楽の果てに体が作り変わっていく俺の頭に響いた言葉はーー
◆
「ウワハハハハー! 我を讃えよ! 我を崇めよ! 我こそは三千世界に巣を巡らす、深淵に潜む蜘蛛なるぞ! 我が奴隷の蜘蛛(おっと)よ。今日も我に奉仕するのだ! ……うにゃああ!」
俺は真っ黒なゴスロリ服の蜘美愛ちゃんを蜘蛛になった体で捕まえる。襲いかかってきて逃げ腰になった彼女に、俺は容赦なくおぞましい白濁の欲望を塗りたくっていく。
「待つのだ! いきなりはいかん! ひゃああああ!」
怖気付きながらも、彼女は顔を淫らにとろけさせて、形ばかりの抵抗とともに快楽を享受する。俺が吐き出した液で股だけでなく体全体を真っ白に染め上げられた彼女の毒は中和され……。
「……はぁはぁ、お兄ちゃん恥ずかしいよぅ……。でもお兄ちゃんが望むなら……やぁ、やっぱり恥ずかし……ふぁああああ!」
現れた純情無垢な真っ白な彼女にも、俺は容赦なく己の欲望を吐き出していく。
そうして、真っ白な彼女は俺の濁った白に染め上げられて、ようやく彼女が出てくる。
「ふふふ。そんなに私に会いたかったの。かぁーわいい。今まで散々私を辱めたお礼をしてあげる」
そう言って笑う彼女には、蜘蛛の身となった今でも勝てる気がしない。
彼女と交わり続けた俺は、いつしか人間の体から蜘蛛の体になれるようになった。設定などではなく、真実の巨大蜘蛛になれるのだ。
今となっては人間の姿よりもこちらの方がしっくりくるくらいだ。俺は今日も彼女を犯している。彼女の毒素はどくけしなんてものを使わなくても俺の精で中和できる。俺はしたいプレイごとに、彼女に与える精を調整する。
一番奥の彼女以外は好きに扱えるが、彼女だけは俺を好きに扱える。
俺はご主人様を懇願するように、蜘蛛の瞳で見る。
すると、彼女は恍惚と、ゾッとするような淫らな顔をして、
「お兄ちゃんgetだぜ」
そう笑うのだった。
17/09/01 19:10更新 / ルピナス
戻る
次へ