連載小説
[TOP][目次]
百鬼夜行・宴
「オドロぉおおお!」
「おい! ゆう、今行ったらダメだ!」
殺女の止める声を振り切って、俺は落ちてきたオドロに駆け寄る。
そんな……。あんなにも頼もしく、あんなにも勇ましかったオドロが……。
「ゆうさん、その女から離れてください。勝者は私なのですから。ーー安心してください? もちろん殺しはしません。私は……私とゆうさんの健全なる性生活を邪魔してほしくないだけです。今の戦いで随分消耗してしまいましたが、二人だけの世界に旅立つ力くらいは十分に残っています。だから、」

ーー私に刃向かえるなどとは思わないでくださいね。

ニッコリと、聖母を思わせるむしろ凄まじい笑み。
神々しいまでの白蛇つらみが、オドロを抱き上げる俺の前に降り立った。蛇体の下半身も白い肌の上半身も、眩(まばゆ)いばかりに光り輝き、その背には炎で象られた巨大な翼。ひれ伏したくなるほどの神威に溢れている。
一介のインキュバスに過ぎない俺にとって、すでに彼女は神以外の何者でもない。
「ゆうさんも皆さんも酷いですね。私の気持ちを知っているというのに、寄ってたかって私の嫌がる事ばかり……」
女神は憂鬱そうにため息をつく。その息の一吹きで、俺という存在は簡単に掻き消えてしまいそう。それに、彼女にそうした表情をされれば、ひれ伏してその憂鬱をお慰めしてあげたくもなる。
彼女の『存在』に押し流されそうになる俺は、腕の中でか細く息をするオドロの”存在”で、何とか自身を保つ。
「嫌がる事っていうのはあんたも同じじゃあないカイ。アタシたちはゆうをあんたから奪おうってんじゃない。共有しようって、言っているのサ」
「許しません」ニッコリと、聖母の笑み。むしろにっ濁(ご)りという方が正しい……。
彼女の手が、俺に伸びてくる。
「さあ、ゆうさん。行きましょう。再び、終わりも始まりもない私たちだけの『世界』に……」
その『世界』はきっと素晴らしいのだろう。彼女と共に、彼女の事だけを考えて、彼女以外に何もない。そうした『世界』を人は天国と呼ぶのだろう。彼女という女神に支配された天国。
だが、俺はその手をーー弾いた。

女神は驚愕に目を見開く。そんな顔をさせてしまって申し訳ないとは思うけれども、残念ながらそれは許容出来ない。彼女はワナワナと肩を震わせる。
その神々しい光が、仄暗い熱を帯びていく。
「あなたは……私の手を放さないと言っていたはずなのに……。あんなにも愛してくださっていたというのに……仕方がありませんね」
女は凄絶な顔で笑う。だが、俺は怯んでなどやらない。
「オドロ、ちょっと待っててくれ」
俺の瞳を見て、彼女は静かに頷いてくれた。口端に笑みまで浮かべるオドロをそこに横たえた。
俺は、立ち上がる。女神の前に立つ。俺は、情けないと思う。まんまとつらみに捕まって、百鬼の皆が助けに来てくれたというのに、ただ見ているだけで、オドロが倒されればまたただ捕まるだけの運命。
もしもここで捕まってしまえば、きっともう彼女たちが俺を助けにくる、なんて事はないだろう。神の力を手にして、俺の精を蓄えてただ強くなっていくだけの彼女に、もはや太刀打ちなんて出来ない。
だから、俺が立たなくてはいけない場所はここなのだ。百鬼を背負うなんて事はまだ出来なくとも、ここで立ち上がらなければ、もう彼女たちに会うことなんて出来ない。それに、助かったとしても、未来永劫百鬼の主なんて烏滸がましくて名乗れない。
いや、これはそんな難しい話じゃない。
俺はオドロを倒されて怒っている。それだけの話。それに、俺は少しだけ驚く。
俺の覚悟を決めた姿に、女神の眉が怪訝そうにひそめられる。

「つらみ、俺は君より先にオドロと結ばれた。昔の約束を忘れていたのは、謝っても謝りきれない。だけど、今はそうした過去が積み重なってここまで来たんだ。俺は、君の手だけを取るわけにはいかない」
「そうですか」女神は俯き、「ですがそれはそちらの都合。そんな事、関係ありません。それに、私が関係なくして差し上げます」
彼女は堂々と言い放ち、そして悲しそうな瞳で、
「ゆうさんが私を嫌いになろうと、私はあなたを好きでい続けますから……」
そんな事を言う。
ーー俺はそんな彼女を抱きしめた。
「え……?」という彼女の声。
俺は彼女の耳元で告げる。
「つらみ、誰もお前の事を嫌いだなんて言ってない。俺はお前の事が好きだ」
「…………」
「それに、俺だけじゃない。皆もだ。皆、お前から俺を奪いに来たわけじゃなくて、皆で一緒に居ようと言いに来ただけなんだ」
「あなたたちは、私を許すと言うのですか? 衝動に任せたとは言え、こんな、こんな事を仕出かした私を……」
「許すも何も、誰も怒ってなんかないサ」と、オドロ。
「別に会長、いつも通りにゃ」とたまさん。他にも口々にサークルの仲間たちの声が上がる。
「皆さん……」
つらみはその女神の姿のまま。でも、とても小さな少女のように見えた。
いくら白蛇で嫉妬深いとは言え、俺を前にしても、つらみはこのサークルの会長を務めていた。会員から慕われ、俺への情欲を今まで抑えていたのも、皆で一丸となってオドロに対抗しようとしたのも彼女だ。

そう。彼女はあの会議の時。無量大数歩譲ったとはいえ、皆で俺を共有する事を、一度は血涙を飲みつつ許諾したのだ。
それなのに、事がここまで発展してしまったのは、俺がオドロとあの場であの形でヤってしまったからだろう。それがつらみの傷になった。そうして彼女は暴走し、上手くいきすぎてしまったがために後戻り出来なくなってしまった、というわけだ。
でも、だからと言ってそのままで居なくてはならない、という事にはならない。
俺はつらみの手を引いて、皆の元に帰る。そんな未来を選んでもいいはずだ。
「つらみも、俺たちと帰りたいんじゃないのか?」
俺は問いかける。
「いいえ、私はゆうさんを独り占め出来さえすれば良いのです」
「だったら、何で、お前は俺じゃなくて彼女たちをそんな目で見ているんだ。そんな、羨ましそうな目で」
「え……?」驚きに目を見開く彼女。
俺の後ろからはオドロのクツクツという笑い声が届いてくる。
「そ、そんな事ありませんッ!」
気丈に言い放つ彼女だが、女神の姿でも、俺にはもうただのつらみにしか見えなかった。
彼女はその神々しさに見合わない仕草でモジモジと、
「どの顔をして戻れば良いというのですか……私は罪を犯しました。それに、ここでオメオメと戻ったところで、私がまたこの嫉妬心を抑えきれなくなるかもしれません」
彼女の言葉で俺は確信する。

「つらみ、お前の嫉妬心は今、大分抑えられているだろう。さっきオドロと戦っで大分発散されたんじゃないのか? 今のお前はただの意地で振舞っている」
彼女は、真っ白な頬を真っ赤に染める。
「ち、違いますッ! 私は本当に嫉妬して……ッ!」
「可愛いな」
「か、かわぁッ……!?」
それは不意打ちだったらしく、彼女は目を白黒とさせる。こうした切り口に彼女は弱いのか、と俺は覚えておく事にする。
「だから、戻ろう。一緒に」
俺の目に彼女は息を詰まらせる。
「ですが、ですが……」
逡巡している様子の彼女に俺は言ってやる。
「大丈夫、お前がそれを罪だというのなら、俺がお前ごと背負ってやる。幸い、俺には隙間があるから、女の子一人抱え込むことくらい造作もない。それに、お前が暴走しそうになったら、俺がお前に首輪をくっ付けて鎖を引いてやる」
その言葉に彼女はビクン、とする。その瞳には情欲の炎が……。

「な、その状況(シチュ)、あんたやっぱり気にいると思ってたんだよ。会長なんてやっていても実は管理されたい。そんな願望がある事を、このオドロ姐さんが見抜いていないわけないだろう」
「そうなのか?」
「そ、そんな事ありません!」
つらみは必死で弁明している。
「じゃあ、管理されたくないんだ」
「そ、それは……」と彼女は言葉を詰まらせる。それが答えだ
「いいよ。俺がお前の嫉妬心まで管理してやる。お前が暴走する暇がないくらいに徹底的に管理してやる。だから、俺の百鬼の一人目(はじめて)になってくれないか」
「は、はじめて……ッ! 私がゆうさんの初めて、ふ、うふふふふふふ」
彼女は危険な色を浮かべて笑っている。
「ずーるーいー」「俺たちはすでにゆうの百鬼だろーが」
後ろから妖怪達の様々なガヤが投げかけられる。彼女達がそう言ってくれるのはありがたい。だが、俺としてはその言葉を素直には受け止められない。彼女達はまだ、オドロの百鬼だ。俺の百鬼じゃない。だから、
「まだだよ。これから、お前達の心も体も順に背負ってやるから覚悟しとけ」
俺が振り向きつつ言い放つと、彼女達はキュンとか。潤(ジュン)とかそんな音を立てていた。

俺はつらみに向き直る。
「だから、つらみ、俺に大人しく背負われてろ」
俺はそう言って彼女の唇を奪う。舌を絡ませる事もなく、ただの啄ばむような、約束のキス。
すると彼女は俺を真っ直ぐに見て、厳かに
「はい。不束者ですが、よろしくお願い致します」
そう言った。俺は彼女の手を、決して放すまいと力強く握る。
途端、彼女から流れ込んでくるものがあった。これは、彼女の魔力だ。同時に彼女の体を覆っていた嫉妬の炎は跡形もなく消えて行く。そこに宿っていたという、どこかの神さまの概念も。
彼女が溜め込んでいた魔力は、不思議な事に消えたよう。
とにかく、俺は、まず俺の百鬼の手始めとして、ようやくつらみを背負えたらしい。
「礼を言うよ。ははは。アタシの言葉よりも旦那の言葉こそが効いたってね。で、旦那? アタシは背負ってくれないのカイ?」
「背負うに決まってるだろ」
俺はハッキリとそう答えてオドロを担ぎ上げる。華奢な女の体だった。その重さを感じて、
「俺は百鬼の主人になるのだから」
オドロは嬉しそうに笑った。
戦っているような、戦っていないような、ふざけていただけのような、何もなせずにナニをなしていただけのような俺だったが、妖怪達の主人として、ぬらりひょんの夫としてはこれでいいのだとも思う。

つまらない叙述トリックを思い出したように回収しておけば、俺は今回ずっと裸だった。うん、この状況を彼女たちが意識したら当分ここから出られなくなりそうだから、その前に聞いておこう。
「で? ここからどうやって戻れば良いんだ?」
俺はつらみに尋ねる。
「え? 私は魔力をゆうさんに無理矢理奪われてしまったので、何も出来ませんが」
何だろう、その無理矢理辱められた、という感じの言葉のチョイスは……。
「…………」オドロを見る。
「確かに動けるけれども、世界線を移動できるまでの力は残ってないねェ。これは旦那に補給してもらうしかないわけサ」
彼女の瞳が妖しく輝いている。周りの妖怪達を見れば、彼女達も同じような有様。
何という事だ……。ここからは俺の頑張り次第という事らしい。
彼女達とみんなで居られるというのなら、この世界で暮らし続ける事も正直やぶさかではないのだが……。ま、大学もあるし脱出しておいた方がいいだろう。
俺と世界の関わりというものは、単にその程度のスタンスで。
俺の『世界』というものは、彼女達がいればそれで良い。
んじゃあ、まだ一鬼の主でしかない俺に出来る事といえば、この後無茶苦茶se……。
締まらないな……ハハ、ま、それはそれで。
と、俺は彼女たちとの宴に身を投じるのだった。



「かくしてその世界線を脱出した彼は、ぬらりひょんをも背負う、百鬼の主へと成長したのでした。めでたしめでたし、と言うところかしら。せっかくオドロの弱点を教えてあげたっていうのに、残念ね。私としては、白蛇と彼だけの一つの完結した世界が作られる方が好みだったのだけど?」
優雅に紅茶を啜りつつ、白髪赤目の彼女はそう告げた。
「ふふ。それでもこれでこの世界線は妖怪系の魔物娘がいずれ世界を”覆い”尽くす世界線になるだろう。それで一先ず良しとしたらどうかな?」
彼女に返すのは、別系統の凛々しい美女。彼女は男装をしているが、その嫋やかな仕草はと声音、その『存在』を引っくるめてのあり方は美女のものだ。
「ま、お姉さまをビックリさせられた、という事だけは良かったかしら……」
拗ねたような口調で彼女はテーブルの上のタルトを手に取る。
子供っぽい仕草に、男装の美女はクスリと笑う。

「でも……あなたは彼の百鬼に加わらなくて良かったのかしら?」
茶化すような彼女の赤目。それに男装の麗人は肩を竦める。
「別に? そもそもボクは百鬼の一員じゃないし。彼は単なる観察の対象でしかない」
「あっそう」
赤目の美女はタルトを口に含み、その甘さと美味さに頬を緩ませる。
ここは不思議の国のとあるマッドハッターのお茶会会場。
その席に着いているのは彼女たち二人だけ。……だった。
そこに、着物姿の、もう一人の白髪赤目のリリム結(ゆい)と、ぬらりひょんのオドロが現れる。
結は胡乱げな目つきでもう一人のリリムを見る。見られたリリムはにゅふふ、と言いかねない笑みを口元に浮かべる。
「お疲れさま、結(ゆい)お姉さま。大分骨を折られたようで」
「覆(おおい)……。最後に収まるところに収まったとはいえ、余計な事をしてくれたわね」
「にゅふふー。『世界』とは結ぶものではなく、覆い尽くすものなのですよ、お姉さま。でも、楽しめたでしょう、オドロ」
ゴスロリ服の白髪赤目の少女、覆は得意そうな顔を見せる。
「そりゃあ、もう、とっても」
オドロはおどけ、結は呆れ顔で、彼女たちも席に着く。
すると男装の麗人は立ち上がり、優雅な仕草で新しいカップに紅茶を用意して彼女達の前に置く。
結と呼ばれた着物姿のリリムは、彼女に流し目を送る。
「ありがとう。ルーレット。それとも、名梨半斗(ななしはんと)と呼んだ方が良いかしら?」
「どちらでも構わない。どんな名前であろうと、ボクがノーネイム・ルーレットというしがないマッドハッターである事には変わりない」
彼女は優雅な仕草で、再び席に着く。

「あんたが奴だったとは気がつかなかった。あんたがいると分かっていれば、もう少し慎重になって居たかも知れないけれど、アタシの目を掻い潜るとは流石だねェ」
「ありがとう。あなたに褒められて悪い気はしない」
ルーレットは穏やかに礼を言う。そして告げる。
「それでは乾杯をしよう。オドロの結婚に」
「ありがとう」「おめでとう」「おめでとう」
彼女達はカップを掲げ、それぞれの麗しい唇をつける。
そして始まる姦しいお茶会。そこで交えられる話はオドロの性生活と、他三人の喪女の話。
このお茶会が終われば、オドロがここを訪れる事はないだろう。昔去った龍の伊吹姫のように。つらみの持っていた龍神の髭紐は、彼女の髭で出来ていた。
「じゃあ、アタシはもう行くよ」
「バイバイ。今度は別のところで、こんなところ、二度と来ちゃダメよ」
「来ようと思っても、来れないだろうけどねェ」
「「黙りなさい」」
リリムの姉妹の言葉をホストのルーレットは笑みを浮かべつつ耳に流す。
去っていくオドロの背中を、三人は見送った。

不思議の国の、何処かのお茶会。いつ、誰が参加するのかは不明。しかし、今残った、
着物姿のリリムの美女、『世界』を渡る能力を持ち、魔物娘とその世界を結びつけようとする穏健派の一人リンク・ブリッジガード、またの名を橋森結。
ゴスロリ姿のリリムの少女、『世界』を渡る能力を持ち、魔物娘でその世界を覆い尽くそうとする過激派の一人オーバー・ブリッジガード、またの名を橋森覆。
そして、この茶会のホスト、誰でもない(ノーフェイス)マッドハッター、ノーネイム・マーブルクロス・ルーレット。彼女は傍観し、ただルーレットを回すだけ。
という面々を見れば、ロクでもない集まりである事は間違いないだろう。
何せ、喪女のまま、魔物娘を広めようと奔走しているのだから。
「「うっさい!」」「ふふ」
『世界』を渡れる彼女達には語り手と言えども迂闊なことは言えないらしい。
むしろ攻め入ってきてくれると狂喜乱舞だが。
「デビルバグちゃんじゃなくて、本家のテラフォーマーを送り込んでやるわ」
ごめんなさい許してください。本当に死んでしまいます。
と、語り手の弁明を他所に彼女達のお茶会は続いて行く。

「さて、次はどの世界を覆おうかしら?」
「ルーレットが回るに任せて」
「私の結んだ世界を弄るのだけはやめて欲しいわ」
三人の姦しい、メタな茶会は今日も開かれる。
くるくる、くるくる、と。
17/08/09 21:42更新 / ルピナス
戻る 次へ

■作者メッセージ
今回のバトルはちゃんとやろうとすると説明が長くなりそうだったので、ハショ、り、ましたm(_ _)m
それに、
こんな風な話になるはずやなかったんや……。
列車に乗ったまま放って置いたら、いつの間にか見知らぬ場所に来てしまってたんや……。
はじめはただ、妖怪の子達と気ままにイチャイチャ遊ぶ話にするつもりだったのに……。どうしてこうなった……。ま、今からイチャイチャすればいいか。
と言う事で、次からはただのシチュエーションものになる……はず?

ちなみに最後のルーレットさんは初出ですが、別の作品で、結さんはちょこちょこ、覆ちゃんは一回出てます。

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33