ペロリンチョ
「よし、病院へ行け。それともソープに行くか?」
俺の話を聞いた馬鹿野郎は、神妙に黙ったかと思うとそう言った。
「黙れ。俺は真剣だ」
俺はそいつを小突く。だがそいつは意外と真剣な表情をしていた。
「だからこそ、だろ」
その顔に、俺が黙る。
「お前が都市伝説とかオカルトが好きなのは知ってるよ。だけどそんな幻覚を見てしまうのはまた別の話だ。それで事件を起こす前にどうにかした方がいい。お前の好きな言葉を使えば、リビドーを発散させろ、ってことだな」
大学の学食、いつものメンバーで昼飯を食べている。ざわざわと、様々な人間がひしめいている。それはまぎれもない日常で、昨日の女が入り込んでくるような隙間はないように思える。
「だって……ベッド下の美女、スキマ女だろ。都市伝説が美女になってお前に迫ってくるって、何その都合のいい妄想ーーとは思うが、お前が言うからには心配になっちまう。真面目をこじらせるとロクなことがない」
そこでそいつーー名梨半斗(ななしはんと)はヘラっと笑う。
「ちょっと刺されでもすれば本当だって信じるかもな。いや、お前が挿しそうだったのか」 半斗は茶を飲む。「病院がやだって言うなら、その性欲を発散させろ。ソープだ。つーか、赤川、お前ヌいてやれよ」
彼は今度はヘラヘラしながら一緒に飯を食っていた後輩に言う。
さすがにそれは冗談にしてはタチが悪い。女の子に向かって、と言うわけではなく、彼女はノってくるタイプだからだ。しかし。
彼女の様子はおかしかった。
普段もおかしいと言えばおかしいので、むしろ今の方が正常なのだと言うことも出来なくはないが、彼女らしくないと言えば彼女らしくなかった。
「はい、オヤカタさまが主です」
「おーい。ぺろちゃん?」半斗が呼びかける。
「はい、オヤカタさまは神さまです。オヤカタさまのものに手を出そうとなんていたしません。ですが、ちょっとくらいつまみ食いを許していただければ、私は大人しくひれ伏します」
「何これ?」
「俺に聞かれても分からない」
「だよなぁ……」
俺は死んだ目をしている彼女を胡乱げに見る。
彼女の名は赤川ぺろり。
初めて会った時、堂々と名のられて面食らった。そんな名前をつける親の顔はーー頼まれたってお会いしたくはない。彼女の舌が長いのはその名前のせいではないのかと思う。
長いとは言っても、人類と言う生物の個体差範囲の長さだが、サークルの飲み会の席で酒の勢いでふざけた奴がーーと言っても目の前にいる半斗のバカだがーー「ぺろちゃんの舌はどうしてそんなに長いの?」と聞いたら、
「それはゆう先輩を舐めるためだー!」
なんつって会ったその日にのしかかられた。そこで俺はこいつを危険人物認定した。こいつに無害認定するなんてとんでもない。しかし、彼女がそう言うことをするのは俺にだけらしく、他の男には引っ付くことすらしない。だから男として悪い気はないのだがーー俺はこの子に手を出してはいない。
その理由はやはりーー順番が違うから?
それなら、誰からなら良いのだろう。
昨日の、都市伝説女か?
昨夜、彼女はタンスの隙間に消えた。あの時俺はーーどうしてだか、最初はそれを不思議に思わなかった。彼女が影のように揺らいでタンスの隙間に消えて行ったのも、彼女にキスされたことも、その甘く名残惜しい痺れを感じていたのも、不思議なことではなく当然の事だと思っていた。
まるで彼女が這い出してきたのはベッドの下ではなく、まるで彼女が消えて行ったのはタンスの隙間ではなく、ーー俺の心の隙間だったのかと思った。
半斗が先ほど言ったように、彼女は俺の妄想から生まれて妄想に帰って行った。そうとも思える。そうだったのなら、やはり俺は彼が言うように、病院、もしくはその前にソープに行った方が良いのかもしれない。
だが、あれが妄想だったとはどうしても思えない。
あの、女の香り。
あの、キスの味。
あの、舌の感触。
それこそ本当に危ないが……。俺は朝起きた時、やっと我に返った。そう、我に返ったと言うのが正しい表現。なぜなら、俺はいつの間にやらーー彼女がいる事に違和感を感じなくなっていたから。よく分からない不安と、消失感。事実俺はあの時、彼女は俺の隙間にピタリではなくジワリと、そしてーーぬらりと入り込んでいたかのよう。
俺は頭を振る。
しかし、彼女のことを考えると、あの舌の感触が。
ピチャリ、ピチャリ。
「……ん? 何やってんだよお前!」
俺は首筋に張り付いていたぺろりを引き剥がす。
彼女は俺の首筋を舐めていた。
公衆の門前で、うら若き乙女が!
こちらが彼女の平常運転だが、先ほどのままの方がよかったかもしれない。
「あ、ごめん、つい。我慢しなくちゃと思ったら、むしろ我慢できなくなっちゃった」
テヘペロ。と、彼女は可愛らしく舌を出す。
その舌は長く、ぬらぬらとしている。可愛子ぶったところで、やっていることは可愛くない。むしろ妖艶だ。無駄な、というか無駄にしてしまっている妙な色気を発することがこいつはある。
「いや、近いから」
俺は可愛らしい顔の後輩から身を離す。
「いけず〜」
残念そうな顔をする彼女。見れば半斗の馬鹿はニヤニヤしている。ムカつく顔だ。
「そこまでされた据え膳を食わないってのが俺には分からないな」
「そうだよ。私はいつでもオッケーだから。というか舐められればそれで良いみたいな」
何だその節操なしは。
「でも、ぺろちゃん。さっきの死んだ目はどうしたことなんだ?」
半斗の言葉にぺろりは曖昧な表情をする。
「オヤカタさまだかお社さまだか知らないけどさ」
彼女の目が一瞬泳ぐ、「ア、ははは。あまりの恐怖に……、じゃなくて」
が、すぐに意を決したように、
「でもゆう先輩の無防備に考えこむ姿を見たらムラムラと、じゃなくて、ムクムクとオヤカタさまが向こうに回ろうと、恋に躊躇は禁物だな、と思ったワケです」
「ふぅん、よく分からないけど、ぺろちゃんはいつも通りだ、と。で、恋のお相手はもちろんこの無食系男子だと」半斗がこちらに流し目を送る。
そうした顔をすると、こいつはやっぱりモテるのだろうな、と思う。
女装でもすれば簡単に男は引っかかるだろうという美形だ。
というか、草食ですらなくなっている。それは間違ってはいないが、響きが無職に繋がりそうで冗談ではない。
「おいおい、スルーは良くないな。せっかくぺろりちゃんがお前に恋をしている、って言ってくれたんだから」
俺はぺろりの方を向くことが出来ない。
彼女はこうしてきわどいスキンシップを取ってくるが、決して、俺のことを好きと言ったことはなかった。
「こっちを向いてください」
ぺろりの、彼女らしからぬ真剣な声が聞こえた。
俺は、軋む音が聞こえそうな様子で彼女の方を見る。
頬が赤い。
彼女の舌が、その柔らかそうな唇をなぞる。
「ちゃんと言っておきます。これはオヤカタさまへの宣戦布告になるかもしれないけど、動いて来たのなら、私だって負けていられない」
やはり意味のわからない決意をしてーー
好きです。先輩を、性的に。
告白というには生々しく、『いただきます』に近い響きがあったけれども、
彼女はそう、俺に告げた。
俺はーー
「ありがとう」
でも、でも俺は
「俺はお前のことが好きなのかどうか分からない」
この俺の足りない部分に、ぺろりを入れたいと、彼女がそこにピタリとハマる絵を思い描けない。
彼女では合わない。いや、彼女だけでは足りない、というのか……。それは何という不遜な言い分だ。そんな事を言えるわけがない。
彼女は、昨日の彼女は、有無を言わさず、容赦なく、いや、いつの間にか入り込んでいた。
ああ、そうだ。彼女は確かに俺の隙間に入り込んでいたようだ。
それが満たされていたのかはーー分からない。
黙っている俺に、
「知ってます。先輩がそういう人だって事は。だから、言っておくだけです。私は先輩が好きで、誰にも負けないって」
そう言って、彼女は俺にキスをした。
「ひゅー♪ やるぅ」
半斗の茶化す声が尾を引いて、彼女の唇が離れていく。
短いキスでも、彼女の舌は俺の口内で嵐のように暴れていた。
彼女の長い舌はーー巧みに動いた。
クスリ、と彼女は妖艶に笑う。
俺の隙間に、何か得体のしれない闇が染み込んでくる感覚がある。
その熱が、俺を苛む。
彼女はその舌で唇を舐める。チロリと蠢くそれは焔のよう。
それは恋の炎? それとも嫉妬の炎?
俺は彼女の舌がみるみる伸びて俺の首筋に絡みつき、首を絞めてくる感触を、ぬらぬらと肌の上を這い回る、肉の粘膜の感触を幻視したーー。
カツゥーーゥウン、ーーーー。
その時、何か硬質な音が食堂に響いた。
それに反応したのは俺と、ぺろりだけ。
そして周りには……誰もいない。
「あははは、これはトンダ宣戦布告だ。あたしの接吻に、妖怪の矜持が刺激されたのかねぇ」
けたたましくも、それでいて濡(ぬ)めりのある声が聞こえた。
昨日の妄想に出て来た女。だが、彼女が何処にいるのか分からない。
「あたしは妄想じゃないよぅ。あたしで妄想するってぇんなら歓迎……、もしないねぇ。妄想なんかじゃなくて、現実で楽しんでもらいたい」
「オヤカタさま……」
ぺろりが俺の腕にしがみついていた。
彼女は小刻みに震えて、これは怖がっているのか……?
「安心しな。あたしはあんたを誅罰しようなんて思ってはいない。誅罰するのは……、旦那の手で、サ」
そうして、俺の瞼の裏に彼女の顔が浮かぶ。
彼女は、その隙間にいるのか……。
「あんただって、旦那さまにオシオキされた方が嬉しいだろう?」
瞼の裏の女がベロリと舌を出し、凄絶に笑う。
舌はドンドンと伸びて、彼女の顔を右から左へと、ベロリとまるで車のワイパーのように蠢く。
と、
そこにいたのは、ぺろりだった。
「へ?」彼女は間抜けな顔。女はぺろりと入れ替わっていた。
「何が……、何が起こっているんだ」
俺は瞼を開けようとするが、ーー開かない。
暗闇の中にぺろりが突っ立っている。
そうして一際濃い闇が現れて、それが昨日の女のカタチをなす。
美女。大きく開いた胸元の、白い柔肌には墨の花が咲いている。
「あはぁ。ドーモ、ハジメマシテ。ぺろりって言ったねぇ」
「そう……です。初めまして」
「で、もう一度聞きたいんだけど……あたしに宣戦布告だってぇ?」
女がケタケタと笑い、ぺろりは唾を飲み込んだようだった。
そして、意を決して、
「私はゆう先輩が好きです。あなたにだって奪わせない」
「そうかい、そうかい。でも、あんたが奪われたら、その男はどうするのかねぇ」
「え?」
そう言って、女はぺろりの口を吸った。女はその流し目だけをこちらに寄越している。その情欲に濡れそぼった視線に、俺の股間は否応なく熱くなる。
ちゅくちゅく。くちゅくちゅ。
粘膜がこすり合わされる水音。
初めは驚きの表情だったぺろりだが、彼女は、むしろ彼女からも相手の唇に吸い付いていった。
二匹の牝の睦言のような、淫靡な音が瞼の中に響いている。
何か、彼女たちにしか分からない戦いのようだった。
「あ、ん……ふぅ、っ」
「ん……。ン、ッくん」
そのうちにぺろりの瞳はトロリと垂れて、頬が桜色に上気して、その手がくったりと垂れ下がって来た。
「あ……ひゃ、らめ……」
濡れた声が溢(こぼ)れて、ぺろりの膝が震える。
ガクガクと、彼女はそのまま膝をつく。
「あはぁ、その程度かぃ」
女は嗜虐的な笑みを浮かべて、ぺろりの後ろに回り込む。
ぺろりの頬に舌を這わせる。
「ん、んぅ」
汗をねめあげられて、ぺろりは身をよじらせる。
「だらしがないねぇ、それでもあんた、あかなめかい?」
彼女はぺろりのくちの中に指を突っ込む。そうして、ずるり、と。
彼女の長い舌を、長い、長い、長いーーーー。
「え……?」
俺は目の前で起こっていることが信じられなかった。
信じられない、というのなら、そもそも今の状況自体が信じられないものなのだがーー夢というには生々しいーー牝の蠢き。
ぺろりの舌は、人間にはありえないほど長かった。
女はそれを引き出し、自らの豊かな乳房に、彼女の舌を這わせる。ぺろりの唾液で、彼女の胸が淫らに濡れていく。彼女の胸の花が、ぬめりを帯びて、妖しく照っている。
そのうち彼女はぺろりのありえないほど長い舌に、自らの舌を這わせる。
妖しげで、常軌を逸した光景。
それなのに、
「み、見ないでくだひゃい、先(しぇん)輩ぃ……」
どうしてこれ程までに、官能的で目が離せないのだろう。
懇願するように、それでいて期待に濡れた彼女の瞳を見ていたい。
「何を言っているのさぁ。あんたはあたしに宣戦布告をしたんじゃないか。だったら、こういうことじゃ、無かったのかぃ?」
女はぺろりの服に手をかける。ボタンを、一つ一つ外していく。
「や、ダメェ……」
ぺろりの薄いながらも、確かに女を主張している胸が露わにされる。暗闇の中で、女たちの肌だけが白い。ぺろりの白い胸の天頂に、ぷっくりとした薄桃色の乳首の蕾。
彼女の長い舌は、もう一人の女の胸元から引き抜かれて、ぺろり自身の肌を濡らす。
ぺちゃ、ぴちょりーー。肌を這い回る舌の音。
ペロリの興奮に、唾液の分泌が多くなっている。ベトベトに、彼女は自らの液で、自らを穢す。
俺は股間が痛いくらいに膨らんでいる。これを、解放したい。これを解放して、俺の液で、彼女をさらに汚してやりたい。そんな欲望が、俺の心の隙間から、ブクブクと湧き出てくる。
そこにいるのは誰だ。それは俺か、それともーー彼女なのか。
俺は夢遊病者のように女たちに近づく。ズボンのチャックを下ろす。
ぺろりの視線はそこに釘付けで、その濡れそぼった瞳からは、不安と期待が溢(こぼ)れおちそう。
「さぁて、旦那さまにオシオキをしてもらおうか」
女はさも愉しそうに、ぺろりの舌を俺のペニスに巻きつける。
生暖かい舌の体温に、俺は呻き声に似た、快楽の雫を垂らす。
じゅっ、じゅっ、ずぢゅっ。
舌で作られたオナホールに俺のペニスが抽送される。ヌメッた肉に包まれて擦り上げられる。俺はされるがままで、ぺろりもされるがままで、彼女に弄ばれる。
それにしても気持ちがいい。ぺろりだって、もはや自分から舌を蠢かせている。絶頂が近い。
「う、ぐ、出……でるっ!」
「いいさぁ、そのままあたしたちをドロドロに汚しておくれよぅ」
俺はそのまま、自身の欲望を彼女たちに振りかけていた。
◆
「おーい、どうしたんだお二人さん。急に黙って」
訝しげな半斗の声に、俺の視界は開けた。何だったのだ……今のは。白昼夢? 幻覚? それなら俺は本当に末期だ。何だってこんなものを見るのだ。
隣のぺろりを見れば、浅い呼吸で、彼女は顔を真っ赤にしてよだれを垂らしていた。
その顔は、情欲に爛れた、先ほどの牝の顔。俺の白濁に汚れた、瞼の裏の彼女の顔と重なる。
俺は唾を飲み込み、慌てて彼女の肩を揺する。
「お、おい。大丈夫か」
「う、ふぅん……、らい、りょーぶ、です」全く大丈夫そうではない返答。
「私、もう、イきますね」
ぺろりは立ち上がり、フラフラとした足取りで去って行ってしまう。俺はそんな彼女をただ見送っていた。
「どうしたんだ? ぺろちゃん」訝しげな半斗。
「さぁ」まさか、今の光景が真実だったとは思えず、俺は肩を竦める。
半斗は少し考え込むようにして、ハッと、「まさかお前のキスが上手かったとか!? ちょっと、試してみてもいいか」
「許可するわけないだろ、馬鹿!」
そんなこと、冗談じゃない。
俺は馬鹿をその場に残して、席を立つことにした。
俺の話を聞いた馬鹿野郎は、神妙に黙ったかと思うとそう言った。
「黙れ。俺は真剣だ」
俺はそいつを小突く。だがそいつは意外と真剣な表情をしていた。
「だからこそ、だろ」
その顔に、俺が黙る。
「お前が都市伝説とかオカルトが好きなのは知ってるよ。だけどそんな幻覚を見てしまうのはまた別の話だ。それで事件を起こす前にどうにかした方がいい。お前の好きな言葉を使えば、リビドーを発散させろ、ってことだな」
大学の学食、いつものメンバーで昼飯を食べている。ざわざわと、様々な人間がひしめいている。それはまぎれもない日常で、昨日の女が入り込んでくるような隙間はないように思える。
「だって……ベッド下の美女、スキマ女だろ。都市伝説が美女になってお前に迫ってくるって、何その都合のいい妄想ーーとは思うが、お前が言うからには心配になっちまう。真面目をこじらせるとロクなことがない」
そこでそいつーー名梨半斗(ななしはんと)はヘラっと笑う。
「ちょっと刺されでもすれば本当だって信じるかもな。いや、お前が挿しそうだったのか」 半斗は茶を飲む。「病院がやだって言うなら、その性欲を発散させろ。ソープだ。つーか、赤川、お前ヌいてやれよ」
彼は今度はヘラヘラしながら一緒に飯を食っていた後輩に言う。
さすがにそれは冗談にしてはタチが悪い。女の子に向かって、と言うわけではなく、彼女はノってくるタイプだからだ。しかし。
彼女の様子はおかしかった。
普段もおかしいと言えばおかしいので、むしろ今の方が正常なのだと言うことも出来なくはないが、彼女らしくないと言えば彼女らしくなかった。
「はい、オヤカタさまが主です」
「おーい。ぺろちゃん?」半斗が呼びかける。
「はい、オヤカタさまは神さまです。オヤカタさまのものに手を出そうとなんていたしません。ですが、ちょっとくらいつまみ食いを許していただければ、私は大人しくひれ伏します」
「何これ?」
「俺に聞かれても分からない」
「だよなぁ……」
俺は死んだ目をしている彼女を胡乱げに見る。
彼女の名は赤川ぺろり。
初めて会った時、堂々と名のられて面食らった。そんな名前をつける親の顔はーー頼まれたってお会いしたくはない。彼女の舌が長いのはその名前のせいではないのかと思う。
長いとは言っても、人類と言う生物の個体差範囲の長さだが、サークルの飲み会の席で酒の勢いでふざけた奴がーーと言っても目の前にいる半斗のバカだがーー「ぺろちゃんの舌はどうしてそんなに長いの?」と聞いたら、
「それはゆう先輩を舐めるためだー!」
なんつって会ったその日にのしかかられた。そこで俺はこいつを危険人物認定した。こいつに無害認定するなんてとんでもない。しかし、彼女がそう言うことをするのは俺にだけらしく、他の男には引っ付くことすらしない。だから男として悪い気はないのだがーー俺はこの子に手を出してはいない。
その理由はやはりーー順番が違うから?
それなら、誰からなら良いのだろう。
昨日の、都市伝説女か?
昨夜、彼女はタンスの隙間に消えた。あの時俺はーーどうしてだか、最初はそれを不思議に思わなかった。彼女が影のように揺らいでタンスの隙間に消えて行ったのも、彼女にキスされたことも、その甘く名残惜しい痺れを感じていたのも、不思議なことではなく当然の事だと思っていた。
まるで彼女が這い出してきたのはベッドの下ではなく、まるで彼女が消えて行ったのはタンスの隙間ではなく、ーー俺の心の隙間だったのかと思った。
半斗が先ほど言ったように、彼女は俺の妄想から生まれて妄想に帰って行った。そうとも思える。そうだったのなら、やはり俺は彼が言うように、病院、もしくはその前にソープに行った方が良いのかもしれない。
だが、あれが妄想だったとはどうしても思えない。
あの、女の香り。
あの、キスの味。
あの、舌の感触。
それこそ本当に危ないが……。俺は朝起きた時、やっと我に返った。そう、我に返ったと言うのが正しい表現。なぜなら、俺はいつの間にやらーー彼女がいる事に違和感を感じなくなっていたから。よく分からない不安と、消失感。事実俺はあの時、彼女は俺の隙間にピタリではなくジワリと、そしてーーぬらりと入り込んでいたかのよう。
俺は頭を振る。
しかし、彼女のことを考えると、あの舌の感触が。
ピチャリ、ピチャリ。
「……ん? 何やってんだよお前!」
俺は首筋に張り付いていたぺろりを引き剥がす。
彼女は俺の首筋を舐めていた。
公衆の門前で、うら若き乙女が!
こちらが彼女の平常運転だが、先ほどのままの方がよかったかもしれない。
「あ、ごめん、つい。我慢しなくちゃと思ったら、むしろ我慢できなくなっちゃった」
テヘペロ。と、彼女は可愛らしく舌を出す。
その舌は長く、ぬらぬらとしている。可愛子ぶったところで、やっていることは可愛くない。むしろ妖艶だ。無駄な、というか無駄にしてしまっている妙な色気を発することがこいつはある。
「いや、近いから」
俺は可愛らしい顔の後輩から身を離す。
「いけず〜」
残念そうな顔をする彼女。見れば半斗の馬鹿はニヤニヤしている。ムカつく顔だ。
「そこまでされた据え膳を食わないってのが俺には分からないな」
「そうだよ。私はいつでもオッケーだから。というか舐められればそれで良いみたいな」
何だその節操なしは。
「でも、ぺろちゃん。さっきの死んだ目はどうしたことなんだ?」
半斗の言葉にぺろりは曖昧な表情をする。
「オヤカタさまだかお社さまだか知らないけどさ」
彼女の目が一瞬泳ぐ、「ア、ははは。あまりの恐怖に……、じゃなくて」
が、すぐに意を決したように、
「でもゆう先輩の無防備に考えこむ姿を見たらムラムラと、じゃなくて、ムクムクとオヤカタさまが向こうに回ろうと、恋に躊躇は禁物だな、と思ったワケです」
「ふぅん、よく分からないけど、ぺろちゃんはいつも通りだ、と。で、恋のお相手はもちろんこの無食系男子だと」半斗がこちらに流し目を送る。
そうした顔をすると、こいつはやっぱりモテるのだろうな、と思う。
女装でもすれば簡単に男は引っかかるだろうという美形だ。
というか、草食ですらなくなっている。それは間違ってはいないが、響きが無職に繋がりそうで冗談ではない。
「おいおい、スルーは良くないな。せっかくぺろりちゃんがお前に恋をしている、って言ってくれたんだから」
俺はぺろりの方を向くことが出来ない。
彼女はこうしてきわどいスキンシップを取ってくるが、決して、俺のことを好きと言ったことはなかった。
「こっちを向いてください」
ぺろりの、彼女らしからぬ真剣な声が聞こえた。
俺は、軋む音が聞こえそうな様子で彼女の方を見る。
頬が赤い。
彼女の舌が、その柔らかそうな唇をなぞる。
「ちゃんと言っておきます。これはオヤカタさまへの宣戦布告になるかもしれないけど、動いて来たのなら、私だって負けていられない」
やはり意味のわからない決意をしてーー
好きです。先輩を、性的に。
告白というには生々しく、『いただきます』に近い響きがあったけれども、
彼女はそう、俺に告げた。
俺はーー
「ありがとう」
でも、でも俺は
「俺はお前のことが好きなのかどうか分からない」
この俺の足りない部分に、ぺろりを入れたいと、彼女がそこにピタリとハマる絵を思い描けない。
彼女では合わない。いや、彼女だけでは足りない、というのか……。それは何という不遜な言い分だ。そんな事を言えるわけがない。
彼女は、昨日の彼女は、有無を言わさず、容赦なく、いや、いつの間にか入り込んでいた。
ああ、そうだ。彼女は確かに俺の隙間に入り込んでいたようだ。
それが満たされていたのかはーー分からない。
黙っている俺に、
「知ってます。先輩がそういう人だって事は。だから、言っておくだけです。私は先輩が好きで、誰にも負けないって」
そう言って、彼女は俺にキスをした。
「ひゅー♪ やるぅ」
半斗の茶化す声が尾を引いて、彼女の唇が離れていく。
短いキスでも、彼女の舌は俺の口内で嵐のように暴れていた。
彼女の長い舌はーー巧みに動いた。
クスリ、と彼女は妖艶に笑う。
俺の隙間に、何か得体のしれない闇が染み込んでくる感覚がある。
その熱が、俺を苛む。
彼女はその舌で唇を舐める。チロリと蠢くそれは焔のよう。
それは恋の炎? それとも嫉妬の炎?
俺は彼女の舌がみるみる伸びて俺の首筋に絡みつき、首を絞めてくる感触を、ぬらぬらと肌の上を這い回る、肉の粘膜の感触を幻視したーー。
カツゥーーゥウン、ーーーー。
その時、何か硬質な音が食堂に響いた。
それに反応したのは俺と、ぺろりだけ。
そして周りには……誰もいない。
「あははは、これはトンダ宣戦布告だ。あたしの接吻に、妖怪の矜持が刺激されたのかねぇ」
けたたましくも、それでいて濡(ぬ)めりのある声が聞こえた。
昨日の妄想に出て来た女。だが、彼女が何処にいるのか分からない。
「あたしは妄想じゃないよぅ。あたしで妄想するってぇんなら歓迎……、もしないねぇ。妄想なんかじゃなくて、現実で楽しんでもらいたい」
「オヤカタさま……」
ぺろりが俺の腕にしがみついていた。
彼女は小刻みに震えて、これは怖がっているのか……?
「安心しな。あたしはあんたを誅罰しようなんて思ってはいない。誅罰するのは……、旦那の手で、サ」
そうして、俺の瞼の裏に彼女の顔が浮かぶ。
彼女は、その隙間にいるのか……。
「あんただって、旦那さまにオシオキされた方が嬉しいだろう?」
瞼の裏の女がベロリと舌を出し、凄絶に笑う。
舌はドンドンと伸びて、彼女の顔を右から左へと、ベロリとまるで車のワイパーのように蠢く。
と、
そこにいたのは、ぺろりだった。
「へ?」彼女は間抜けな顔。女はぺろりと入れ替わっていた。
「何が……、何が起こっているんだ」
俺は瞼を開けようとするが、ーー開かない。
暗闇の中にぺろりが突っ立っている。
そうして一際濃い闇が現れて、それが昨日の女のカタチをなす。
美女。大きく開いた胸元の、白い柔肌には墨の花が咲いている。
「あはぁ。ドーモ、ハジメマシテ。ぺろりって言ったねぇ」
「そう……です。初めまして」
「で、もう一度聞きたいんだけど……あたしに宣戦布告だってぇ?」
女がケタケタと笑い、ぺろりは唾を飲み込んだようだった。
そして、意を決して、
「私はゆう先輩が好きです。あなたにだって奪わせない」
「そうかい、そうかい。でも、あんたが奪われたら、その男はどうするのかねぇ」
「え?」
そう言って、女はぺろりの口を吸った。女はその流し目だけをこちらに寄越している。その情欲に濡れそぼった視線に、俺の股間は否応なく熱くなる。
ちゅくちゅく。くちゅくちゅ。
粘膜がこすり合わされる水音。
初めは驚きの表情だったぺろりだが、彼女は、むしろ彼女からも相手の唇に吸い付いていった。
二匹の牝の睦言のような、淫靡な音が瞼の中に響いている。
何か、彼女たちにしか分からない戦いのようだった。
「あ、ん……ふぅ、っ」
「ん……。ン、ッくん」
そのうちにぺろりの瞳はトロリと垂れて、頬が桜色に上気して、その手がくったりと垂れ下がって来た。
「あ……ひゃ、らめ……」
濡れた声が溢(こぼ)れて、ぺろりの膝が震える。
ガクガクと、彼女はそのまま膝をつく。
「あはぁ、その程度かぃ」
女は嗜虐的な笑みを浮かべて、ぺろりの後ろに回り込む。
ぺろりの頬に舌を這わせる。
「ん、んぅ」
汗をねめあげられて、ぺろりは身をよじらせる。
「だらしがないねぇ、それでもあんた、あかなめかい?」
彼女はぺろりのくちの中に指を突っ込む。そうして、ずるり、と。
彼女の長い舌を、長い、長い、長いーーーー。
「え……?」
俺は目の前で起こっていることが信じられなかった。
信じられない、というのなら、そもそも今の状況自体が信じられないものなのだがーー夢というには生々しいーー牝の蠢き。
ぺろりの舌は、人間にはありえないほど長かった。
女はそれを引き出し、自らの豊かな乳房に、彼女の舌を這わせる。ぺろりの唾液で、彼女の胸が淫らに濡れていく。彼女の胸の花が、ぬめりを帯びて、妖しく照っている。
そのうち彼女はぺろりのありえないほど長い舌に、自らの舌を這わせる。
妖しげで、常軌を逸した光景。
それなのに、
「み、見ないでくだひゃい、先(しぇん)輩ぃ……」
どうしてこれ程までに、官能的で目が離せないのだろう。
懇願するように、それでいて期待に濡れた彼女の瞳を見ていたい。
「何を言っているのさぁ。あんたはあたしに宣戦布告をしたんじゃないか。だったら、こういうことじゃ、無かったのかぃ?」
女はぺろりの服に手をかける。ボタンを、一つ一つ外していく。
「や、ダメェ……」
ぺろりの薄いながらも、確かに女を主張している胸が露わにされる。暗闇の中で、女たちの肌だけが白い。ぺろりの白い胸の天頂に、ぷっくりとした薄桃色の乳首の蕾。
彼女の長い舌は、もう一人の女の胸元から引き抜かれて、ぺろり自身の肌を濡らす。
ぺちゃ、ぴちょりーー。肌を這い回る舌の音。
ペロリの興奮に、唾液の分泌が多くなっている。ベトベトに、彼女は自らの液で、自らを穢す。
俺は股間が痛いくらいに膨らんでいる。これを、解放したい。これを解放して、俺の液で、彼女をさらに汚してやりたい。そんな欲望が、俺の心の隙間から、ブクブクと湧き出てくる。
そこにいるのは誰だ。それは俺か、それともーー彼女なのか。
俺は夢遊病者のように女たちに近づく。ズボンのチャックを下ろす。
ぺろりの視線はそこに釘付けで、その濡れそぼった瞳からは、不安と期待が溢(こぼ)れおちそう。
「さぁて、旦那さまにオシオキをしてもらおうか」
女はさも愉しそうに、ぺろりの舌を俺のペニスに巻きつける。
生暖かい舌の体温に、俺は呻き声に似た、快楽の雫を垂らす。
じゅっ、じゅっ、ずぢゅっ。
舌で作られたオナホールに俺のペニスが抽送される。ヌメッた肉に包まれて擦り上げられる。俺はされるがままで、ぺろりもされるがままで、彼女に弄ばれる。
それにしても気持ちがいい。ぺろりだって、もはや自分から舌を蠢かせている。絶頂が近い。
「う、ぐ、出……でるっ!」
「いいさぁ、そのままあたしたちをドロドロに汚しておくれよぅ」
俺はそのまま、自身の欲望を彼女たちに振りかけていた。
◆
「おーい、どうしたんだお二人さん。急に黙って」
訝しげな半斗の声に、俺の視界は開けた。何だったのだ……今のは。白昼夢? 幻覚? それなら俺は本当に末期だ。何だってこんなものを見るのだ。
隣のぺろりを見れば、浅い呼吸で、彼女は顔を真っ赤にしてよだれを垂らしていた。
その顔は、情欲に爛れた、先ほどの牝の顔。俺の白濁に汚れた、瞼の裏の彼女の顔と重なる。
俺は唾を飲み込み、慌てて彼女の肩を揺する。
「お、おい。大丈夫か」
「う、ふぅん……、らい、りょーぶ、です」全く大丈夫そうではない返答。
「私、もう、イきますね」
ぺろりは立ち上がり、フラフラとした足取りで去って行ってしまう。俺はそんな彼女をただ見送っていた。
「どうしたんだ? ぺろちゃん」訝しげな半斗。
「さぁ」まさか、今の光景が真実だったとは思えず、俺は肩を竦める。
半斗は少し考え込むようにして、ハッと、「まさかお前のキスが上手かったとか!? ちょっと、試してみてもいいか」
「許可するわけないだろ、馬鹿!」
そんなこと、冗談じゃない。
俺は馬鹿をその場に残して、席を立つことにした。
17/08/06 08:47更新 / ルピナス
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