前半
僕には魔物の友達がいました。
可愛かったあの子。僕はあの子のことが好きでした。
本当はいつだって一緒にいたかったけれど、僕の国は反魔物国。だから、僕らはこっそりと遊んでいました。でもある時、あの子と遊んでいることが大人にばれて……。
あの子はどこかへ連れて行かれてしまいました。
あの子はわんわん泣いて、僕もわんわん泣いて。
だけど、大人の人は怖い顔をして「魔物は人間の敵だ」と僕に言いました。
僕は「違う、あの子はいい子だ」と言いましたが、誰も聞いてくれません。
それどころか
「この子にはちゃんとした教育を受けさせなくてはいけない」
と、今まで見たこともないような怖い神父さんや勇者さまを連れてきて……。
あの子がどうなったか僕は知りません。でも、これでよかったのだと思っています。
だって、今では僕は、ちゃんと魔物が悪い奴らだということを知っているから。
◆
「どうしたんスか? ボーっとして」
甲冑をまとった男に声をかけられて、彼は億劫そうに振り向いた。
「なんでもねぇよ。砂が鬱陶しいだけだ」
野卑な口調で返したのは、白銀の鎧に身を包んだ青年だった。
端正な顔立ちではあるのだが、内面の荒々しさが顔ににじみ出ている。
彼は勇者リュート。勇者とはいえ、教会には所属していない。腕は確かなのだが、彼の性格からーー教会で大人しくしていることができず、テキトウな傭兵団に所属していた。
「早くブッ倒して、豆でもつまみつつ酒を飲みてぇ」
リュートの言葉に、周りから野太い声が返ってくる。
「そうッスね。早いこと退治して、娼館にでも繰り出してぇよ」
「豆は豆でも、ねーちゃんの豆がいいってなぁ」
「違ぇねぇ」
ゲハハハハ、と下品な笑い声。
礫砂の砂漠の上に張られた陣営で、武装した男たちが談笑していた。彼らの身にまとう甲冑には夥しく細かな傷がつき、彼らが少なくない戦闘を潜り抜けてきた猛者たちであることを示している。
そんな彼らに冷めた視線が向けられていた。
「あんたがここで相手をしてくれてもいいぜ?」
振り向いて言うリュートに、彼女はあからさまに嫌そうな表情を浮かべる。
「おいおい。そんな顔をしたら別嬪さんが台無しじゃねぇか」
「ふざけた事をいっていないで、ちゃんと気を引き締めてください。もう、相手は近くまできているそうですから」
「安心しろよ。俺を含めてこんな馬鹿どもでも、ヤるときはヤるんだからよ?」
フン、と再び顔をそむける彼女はベアトリス。彼らを雇った王国から派遣されたお目付け役だ。綺麗な顔立ちをしているが、このような男たちの中にいて不機嫌な様子を隠しきれていない。今も「どうして私が……」と、ブツブツ呟いている。
苛立ちのあまりか、眼鏡に手をやる頻度が高い。野卑な男たちの中にいるにはあまりにも似合わない、洒脱な衣装に身を包んでいる。手には杖を握りしめ、典型的な魔術師を思わせる女性である。
「あなたたち臭いです」「そぉかぁ? だが、しばらく一緒にいれば病み付きになるぜ?」
ゲハハハ、と。再び野太い哄笑。
彼女はこれ見よがしにため息をつく。それでも、歯に衣着せぬ物言いで、気丈にふるまう。そんな性格の彼女だからこそ、ここに派遣された、とも言える。
気弱な女性であれば、彼らに囲まれてしまえば泣き出してしまう。
「んで? あんたもヤれるんだろ」
リュートの言葉に、彼女はギロリと睨み付ける。
「馬鹿なこと言っていると、燃やしますよ?」
杖を突きつける彼女に、リュートは苦笑する。「そっちじゃねぇよ。あんたも戦力になるんだよな? って、確認してんだよ」
「ああ、そっちの事ですか。……もちろんです。私の魔法に驚けばいいのです」
この国でも上から数えた方が速い腕前を持っている、と彼女は自負している。
「そっち、……って」リュートはしたり顔で笑う。「何考えてたんだよ。このムッツリ」
「む、むっつり!? おかしな事を言えば、いくらあなたが勇者だろうと、問答無用で燃やしますよ! というか、今すぐ燃やします。そこに直りなさい!」
彼女の顔は少し赤い。
「お、図星じゃないか。というか、その反応。あんたもしかして処女?」
「しょッ!? そ、そんなわけないです。私はもう数えきれないくらい経験しています」
「じゃあビッチ? ……っとぉ! あっぶねぇな。魔法をとばしてくるんじゃねぇよ!」
「リュートさん、もう仲良くなってるよ。うらやましいなぁ、畜生。勇者さまはズルいぜ」
いつもの事だ、と周りの男たちが様々な視線で彼を見ている。
と。
ザ、……ザ、ザーー
魔導通信玉に反応があった。
途端。
彼らの表情が一変する。その顔つきは引き締まり、獰猛な戦士の群れが顕現する。
「おいでなすったかーー」
何かが乗り移ったような気配と、ジワリと滲みだす戦の予感に、ベアトリスは肌がざわめくのを感じた。
連絡用に設置してあった、水晶で出来た魔導通信玉から声が届く。
「探知網に反応あり、目標、第二エリアに到達します」
「おいおい。もう、か? さっき、第三エリアに入ったって言ったばかりじゃねぇか。この国の警備ってザルかよ」
「そ、そんな……」
「目標、視認できません」
魔導通信玉から焦った声が響く。
「視認できないってどういうこと!?」ベアトリスが問いかける。
焦る彼女にリュートが呆れたように言う。「ギャーギャー喚かず考えろ」
「な、何よその言いぐさ」
憤る彼女に構わずリュートは水晶に問いかける。「おい。こっちに被害はあるのか?」
「いいえ、ありません。目標の反応だけが近づいて来ています」
ふぅん、と言って、リュートはとがった顎を撫でる。
こちらの被害はなし。向こうは着々と進行中。
途中に待ち構えていた兵士たちに目もくれないとは、相手は手当たり次第に男をさらいに来たわけではなく、別の狙いがあるということだ。そこまでの知性を持ち、なおかつ人目に触れることなく近づいてくる相手。
「あー、面倒くせぇな。もっとふっかけとくべきだったか」リュートは一人ごちる。
「な、何をのんきに言っているんですか。こうしている間にも相手は着実に近づいて来ているんですよ!?」
「きゃんきゃん言うなよ。ベティ。鳴くのはベッドの中だけにしてくれ」
「だから、あなたはそんな事ばかり。それに、軽々しく愛称で呼ばないでください!」
あなたとはそんな関係ではありません。と、ベアトリスは憤る。事実、彼らは恋人同士ではない。
顔を真っ赤にさせる彼女に、彼は呑気に言う。
「安心しろよ。仕事はちゃんとやってやるさ」
彼はおもむろに剣を抜く。それを見た男たちも彼に続いて剣を構える。この中で、状況の打開策を知っているものはいるのだろうか? おそらくほとんどいないと言ってよい。だが、彼らは自分たちを率いる勇者リュートを信じていた。
「目標、第一エリアに間もなく到達します!」水晶から焦った声。
ベアトリスは顔を引き締めて杖を握る手に力を込める。
だが、周りの様子に変化はない。
彼らがいるのは礫砂で出来た砂漠。粒の大きい石で構成されている。
青空を雲が白々しく流れている。近づいてくるという魔物の音も気配も感じない。ただ、魔力の探知網に引っかかりつつ、こちらに直進してくるという通信の声だけが聞こえる。
「こういう時はな」リュートが剣を掲げる。彼の剣に光が集まっていく。極大の魔力の収束に、ベアトリスは息をのむ。魔導師としての自負をあざ笑うかのような、その様子。
いくらふざけた言動をしていても彼は主神に祝福された勇者だ。
一魔導師である彼女よりも、扱える魔力量のケタが違う。
「大体、ここにいるって相場が決まってんだよ」
「目標、到達!」
リュートは地面に向かって剣を突き立てた。
彼は魔力を地中に向かって開放する。夥しい光と、強烈な衝撃が地面から吹き上がる!
「ちょっ!」見れば、周りの男たちはすでに避難していた。「は、はぁぁぁぁ!?」
ベアトリスは自分がまるで鳥になってしまったかのような浮遊感を感じる。
そして彼女の腰に回される手。
「舌噛むなよ」
リュートは彼女を抱いて、下から飛び出してきたものから飛び退る。
大質量の何者かが、地面を割って飛び出してきたーー。
◆
それは唐突な警告だった。
砂漠の中に作られた王国に、魔物が侵攻してくる、と。
国のお抱えの占い師が言った。
それが何者かはわからない。しかしそれは確実だという。今回の相手は今までとは比べ物にならないほどの強大な魔物。この国の軍備だけでは守りきれない。
その占い師のおかげで、魔物の侵攻を何度も防いでいたこの反魔物国は、その言葉を信じ、勇者リュートの所属する傭兵団を雇った。
足元を見られた国王は苦い顔をしつつも、国の未来には変えられないとして、彼らを高額で雇い入れた。
魔導通信玉の声を聴きつつ、彼は手を組み思案していた。
ここは砂漠の国の王宮。
青年を過ぎたくらいの、まだ年若い国王だった。精悍な顔をしているが、瞳は酷薄な色を浮かべている。彼は反魔物国の王として、この国への魔物の侵入を許さなかった。
今までがそうであり、これからもそうである。
姿を見せなかった魔物は、リュートの手で地上に引きずり出された。
その報告を聞き、彼は一つ息を吐き出した。
「それくらいの仕事をしてくれなければ困る」
そうでなくては彼らを雇った意味がない。そうでなくてはそのまま街への侵入を許していただろう。それを思うと、彼はゾッとする。
魔物のような汚らわしいものを、この国に入れるわけにはいかない。
ひとまず街に辿り着く前に相手の姿を知ることが出来たのだ。だが、まだ魔物は生きて蠢いている。
不愉快だ。
彼は微かに眉をひそめると、大臣に命じる。
「やつらに伝えろ。必ず相手を殺せ、と」
大臣は彼に恭しくうなずくと、水晶に向かって語りかけた。
◆
「んなこと言われなくても、わかってんだよ」
偉そうに。
リュートは吐き捨てるようにいった。
「おい、野郎ども! 処女も一人混じってるが! 久々の大物だ。心してかかれ」
リュートの檄に、野太い声が地響きのように上がった。
ベアトリスの抗議の声は、彼らの熱気によって黙殺される。
普段の彼女ならば、めげずに抗議し続けるところだが、今はそうも言ってはいられない。
何故なら、
生半可な相手ではないからだ。
彼らの前には、巨大な体躯が鎌首をもたげていた。
砂の中から、蛇のように細長い体が突き出ている。表面は岩のように見える甲殻で覆われた、巨大な体。巨大。あまりにも巨大。その胴の太さは大人の背丈を超えている。砂の中に潜っている体はどれほどの長さがあるのかも知れない。
太陽の光にぎらぎらと輝いている、瞳のような赤い鉱物は自分を取り囲む男たちをねめつけているようだ。頭部にある巨大な口は貝の口のようにぴったりと閉まり、外貌は龍そのものに見える。
サンドウォーム
砂漠に生息する魔物。
だが、男を見れば飛び掛かるようなーー本能で動くーー知能の低い魔物であったはずだ。
リュートもベアトリスも相手に訝しげな視線を送る。
サンドウォームはその巨大な鎌首をもたげ、ぎらぎらと光る鉱物で彼らを睥睨しているように見えた。それは彼らを品定めするような色。色欲に濁った瞳ではなく、知性があるようだ。
「ふん。図体がでかければいいってもんじゃねぇぞ」
リュートは剣を掲げると、真正面から切りかかった。
勇者としての力に任せた、見え見えの剣筋。相手がどう出るか。敵を知るための試金石として彼はその手段を選んだ。
勇者の剣を砂蟲は真っ向から受けた。相手もこちらを試すような……不気味な風が吹く。
金属と鉱物のぶつかる甲高い音が響いた。
「ッ、かってぇな!」軽いヒビが入っただけの相手に、男たちは目を見開いた。
「リュートの剣で叩ききれねぇのかよ⁉ 硬すぎんだろ。あいつが無理だったら俺たちの剣じゃ無理だ」
彼らはそう言って、早々に得物を切り替える。
素早い判断は、野卑であろうとも、彼らが戦闘のプロであることを思わせる。彼らは手に手にクロスボウを持つ。
「リュート! 俺らは援護に回る。お前はちょこまかやって気を引いてろ」
「こっちのセリフだよ。馬鹿やろうどもッ」
リュートは叫び、サンドウォームに切りかかる。
彼の剣を受けたところで、ヒビ程度のダメージだが、何度も受ければ削られてしまう。
サンドウォームは巨大な体をくねらせて、別々の場所で彼の剣を受け、彼を薙ぎ払おうと、体を躍らせる。
砂漠の太陽の下。岩石の蛇蟲と、勇者の戦端が切り開かれた。
その巨体が身じろぎするだけで地面は揺れ、波打つ体は大地を引き裂く。大地の怒りを思わせる巨体の蠢きに、勇者は剣一本で立ち向かう。それは、勇者が人々を守るものであることを思い出させずにはいられない。
「しゃあ! 早いこと切り開いて、ベティちゃんの股も開かせてやるぜ!」
彼の雄叫びにベアトリスは残念な顔をした。
「う、うわわわ」「おっとぉ」
距離をとっても揺れる大地に彼らは足を踏ん張る。
男たちは距離を取って、サンドウォームにクロウボウを打ち込んでいく。だが、勇者であるリュートの攻撃が通らないのだ。それらはサンドウォームの体表に引っかかるだけで、突き刺さりはしない。
無駄にしか思えない攻撃を、男たちは繰り返していく。蚊に刺された程度にも思われていないに違いない。
「何をやっているんですか……」
真剣な彼らを呆れた瞳で見て、ベアトリスは杖を構える。
リュートに当ててはいけない。彼女はサンドウォームの巨大な体躯めがけて火の魔法を打ち込む。苛烈な炎は、スライムくらいであれば、蒸発させるほどの威力。
しかし、このサンドウォームに対しては表面を少し焦がした程度だった。
「なっ!? こいつ、硬すぎません?」
「だから、硬いって言ってるだろ。話聞いてろよ、処女。お前のせいでせっかく引っかけた矢が取れちまったじゃねぇか!」
リュートの言葉に、ベアトリスは何か言いたそうにしたが、彼の言葉に引っかかる。
矢を引っかける? 彼らは矢でアイツを倒すつもりではない。
彼らはひたすらに矢をいかけている。
その間、リュートは巨大なサンドウォームと一人で戦っていた。
「おおらぁっ!」
大上段からの振り下ろしを、サンドウォームは斜めに受けた。
彼の攻撃をいなすような動きのサンドウォームに、リュートは顔をしかめる。
(おいおい。こいつ、本当にサンドウォームだよな?)
(動きに知性があるんだよッ!)
右手から礫のような魔力弾を放つ。弾幕を張り、小賢しく受けられないようにしてから、渾身の力で切りかかる。しかし、それも弾かれる。
「お、ぉおおおお!」
右に飛ぶ。袈裟切りからの振り上げ。受けられる。相手の突進をよけたと思えば、横なぎに変化してくる。巨体の濁流をかろうじて避けてから、放った刺突はよけられた。
サンドウォームの瞳じみた鉱石と目が合う。太陽に輝くそれは、敵いようのない自然の化身のように思えた。
だが。
勇者さまを舐めんじゃあねぇ。
奮闘する彼は不敵に笑う。
「でかい図体の割に、器用じゃないか」
彼は砂の大地を蹴る。サンドウォームの頭に向けて、剣を。
彼は突然頭から地面にたたき伏せられた。
「ぐッ、がぁあああ!?」
全身の骨がひしゃげるような衝撃。肉が軋み、肺の中の空気が根こそぎ吐き出される。
背後から、サンドウォームの尾が彼を叩き伏せていた。
奴は頭を囮にして、尾で彼の背後を狙ったのだ。
「ぐぅ、ぉおッ!」
雄叫びと共に彼は弾き飛ばすと、血の混じった唾を吐く。強靭な勇者の体にダメージを負わせられた。
巨大な槌のような尾が、彼に向けて垂直に降ってくる。ドンッ、ドンッ。無慈悲な巨人の地団駄のような。舌打ちをする暇もなく、彼は尾を避ける。避ける。避ける。ぐらぐら揺れる地面に足を取られれば、そのまま叩き潰されてしまう。
ハタからみれば、もぐらたたきをされているようだ。
屈辱的な攻撃に、リュートは歯噛みしつつもただ避けるしかない。
「ちょ、ちょっとあれ大丈夫なんですか!?」
「大丈夫ではなさそうだな……」「マジかよ。サンドウォームってあんな戦い方したっけ?」
焦るベアトリスに、内容の割にはあくまで呑気な声で男たちが返す。
「は、早く、援護を」再び杖を構えるベアトリス。
そんな彼女に、余計な事をするな、と男たちが口々に言った。
「もう少しで出来る。せっかちなのは男も女もかわらねぇなぁ、おい」
リュートのピンチであるというのに、彼らは変わらず矢を射かけ続ける。もう何本目になるか分からない矢が、サンドウォームに引っかかる。
「ッシ。これくらいでいいだろう。おーい、そろそろ行くぞー!」
リュートに向かって大声を張り上げ、ひときわ大柄な男が真っ黒な球を括り付けた矢を放つ。
「やっとかよ」
リュートは両足に力を込めると、勢いよく飛び退った。
その矢はサンドウォームの鼻づらにぶつかると、真っ黒な球が、
ーー爆ぜた。
サンドウォームに引っかかっていた矢の全てが輝いたかと思うと、それぞれを光の線が結んだ。それはさながら網の様。そして、事実、網であった。
それに気が付いたサンドウォームは狂ったように暴れた。地面に体を叩きつけ、矢を外そうとするが、もう遅い。光の帯はその巨大な体躯を雁字搦めにする。サンドウォームはのたうつことも出来ず、巨体を地面に横たえることになった。
その口はやはり閉ざされたまま。
瞳のような鉱物が、ぎらぎらと、睨み付けるように輝いている。
その様子を見て、リュートはいやらしげな笑みを浮かべる。
「なかなか歯ごたえはあったがな。俺たちには勝てなかったな」
相手を地面から引きずり出したものよりも、膨大な魔力が、彼の掲げた剣に集まっていく。これほどの硬さの甲殻。生半可なためでは破れないだろう。彼は渾身の力を込めて、その殺意の光を、サンドウォームに向けて放つ!
雷鳴を思わせる轟音。
主神の加護を受けた人間の魔力。聖なる輝きは、見るものを陶酔させるほどに美しかった。
サンドウォームの頭が粉々になる。光によって吹き飛ばされた体も同様だ。
散り散りになった甲殻の破片が、雨のように降り注ぐ。
ベアトリスも、男たちに混ざって歓声を上げる。
悪しき魔物を討ち果たした。
俺たちこそが正義だ。
己に酔う彼らは気が付かない。降り注ぐサンドウォームの破片は、鉱石ばかり。
サンドウォームが体の中まで鉱物であるわけはない。
リュートも、降り注ぐ鉱物の雨の中、剣を収めて腕を上げる。
強大な魔物を倒して凱旋する。
これだから勇者はやめられない。
勝利の余韻に、彼は口端を釣り上げる。これでベアトリスが抱き着いて来てでもくれれば、文句はないが、彼女にはそんな様子はない。
へん、と物取りなさを感じつつも、彼はサンドウォームに背を向け仲間たちの元に戻っていく。
仲間たちは彼を迎えようとして、
驚愕を浮かべた。
「あン? どうしたんだよ」
リュートはそう言ったが、彼らの表情から、何が起こっているかは予想がついた。
マジかよ……。
お前、本当にサンドウォーム?
彼が振り向けば、頭部を失ったサンドウォームが、再び鎌首をもたげていた。天高く直立する怪物は、太陽を飲み干すかのようだ。巨体の影が、リュートを切断するように走っている。
リュートによって破壊された頭部は、雷に撃たれても倒れなかった、傲慢な塔。
魔王が代替わりをする前。
魔物が魔物として、人間と骨肉の争いを繰り広げていた時代。そんな古の亀裂からそそりだしてきたような、悪意が傾いで倒れてくるような幻想が覗く。
リュートの額に脂汗が浮く。声を失う一団に向けて、
サンドウォームから硬質な、声。
「あの子は、どこ?」
悪い夢を見ているようだった。
「私が行かないと」
可愛かったあの子。僕はあの子のことが好きでした。
本当はいつだって一緒にいたかったけれど、僕の国は反魔物国。だから、僕らはこっそりと遊んでいました。でもある時、あの子と遊んでいることが大人にばれて……。
あの子はどこかへ連れて行かれてしまいました。
あの子はわんわん泣いて、僕もわんわん泣いて。
だけど、大人の人は怖い顔をして「魔物は人間の敵だ」と僕に言いました。
僕は「違う、あの子はいい子だ」と言いましたが、誰も聞いてくれません。
それどころか
「この子にはちゃんとした教育を受けさせなくてはいけない」
と、今まで見たこともないような怖い神父さんや勇者さまを連れてきて……。
あの子がどうなったか僕は知りません。でも、これでよかったのだと思っています。
だって、今では僕は、ちゃんと魔物が悪い奴らだということを知っているから。
◆
「どうしたんスか? ボーっとして」
甲冑をまとった男に声をかけられて、彼は億劫そうに振り向いた。
「なんでもねぇよ。砂が鬱陶しいだけだ」
野卑な口調で返したのは、白銀の鎧に身を包んだ青年だった。
端正な顔立ちではあるのだが、内面の荒々しさが顔ににじみ出ている。
彼は勇者リュート。勇者とはいえ、教会には所属していない。腕は確かなのだが、彼の性格からーー教会で大人しくしていることができず、テキトウな傭兵団に所属していた。
「早くブッ倒して、豆でもつまみつつ酒を飲みてぇ」
リュートの言葉に、周りから野太い声が返ってくる。
「そうッスね。早いこと退治して、娼館にでも繰り出してぇよ」
「豆は豆でも、ねーちゃんの豆がいいってなぁ」
「違ぇねぇ」
ゲハハハハ、と下品な笑い声。
礫砂の砂漠の上に張られた陣営で、武装した男たちが談笑していた。彼らの身にまとう甲冑には夥しく細かな傷がつき、彼らが少なくない戦闘を潜り抜けてきた猛者たちであることを示している。
そんな彼らに冷めた視線が向けられていた。
「あんたがここで相手をしてくれてもいいぜ?」
振り向いて言うリュートに、彼女はあからさまに嫌そうな表情を浮かべる。
「おいおい。そんな顔をしたら別嬪さんが台無しじゃねぇか」
「ふざけた事をいっていないで、ちゃんと気を引き締めてください。もう、相手は近くまできているそうですから」
「安心しろよ。俺を含めてこんな馬鹿どもでも、ヤるときはヤるんだからよ?」
フン、と再び顔をそむける彼女はベアトリス。彼らを雇った王国から派遣されたお目付け役だ。綺麗な顔立ちをしているが、このような男たちの中にいて不機嫌な様子を隠しきれていない。今も「どうして私が……」と、ブツブツ呟いている。
苛立ちのあまりか、眼鏡に手をやる頻度が高い。野卑な男たちの中にいるにはあまりにも似合わない、洒脱な衣装に身を包んでいる。手には杖を握りしめ、典型的な魔術師を思わせる女性である。
「あなたたち臭いです」「そぉかぁ? だが、しばらく一緒にいれば病み付きになるぜ?」
ゲハハハ、と。再び野太い哄笑。
彼女はこれ見よがしにため息をつく。それでも、歯に衣着せぬ物言いで、気丈にふるまう。そんな性格の彼女だからこそ、ここに派遣された、とも言える。
気弱な女性であれば、彼らに囲まれてしまえば泣き出してしまう。
「んで? あんたもヤれるんだろ」
リュートの言葉に、彼女はギロリと睨み付ける。
「馬鹿なこと言っていると、燃やしますよ?」
杖を突きつける彼女に、リュートは苦笑する。「そっちじゃねぇよ。あんたも戦力になるんだよな? って、確認してんだよ」
「ああ、そっちの事ですか。……もちろんです。私の魔法に驚けばいいのです」
この国でも上から数えた方が速い腕前を持っている、と彼女は自負している。
「そっち、……って」リュートはしたり顔で笑う。「何考えてたんだよ。このムッツリ」
「む、むっつり!? おかしな事を言えば、いくらあなたが勇者だろうと、問答無用で燃やしますよ! というか、今すぐ燃やします。そこに直りなさい!」
彼女の顔は少し赤い。
「お、図星じゃないか。というか、その反応。あんたもしかして処女?」
「しょッ!? そ、そんなわけないです。私はもう数えきれないくらい経験しています」
「じゃあビッチ? ……っとぉ! あっぶねぇな。魔法をとばしてくるんじゃねぇよ!」
「リュートさん、もう仲良くなってるよ。うらやましいなぁ、畜生。勇者さまはズルいぜ」
いつもの事だ、と周りの男たちが様々な視線で彼を見ている。
と。
ザ、……ザ、ザーー
魔導通信玉に反応があった。
途端。
彼らの表情が一変する。その顔つきは引き締まり、獰猛な戦士の群れが顕現する。
「おいでなすったかーー」
何かが乗り移ったような気配と、ジワリと滲みだす戦の予感に、ベアトリスは肌がざわめくのを感じた。
連絡用に設置してあった、水晶で出来た魔導通信玉から声が届く。
「探知網に反応あり、目標、第二エリアに到達します」
「おいおい。もう、か? さっき、第三エリアに入ったって言ったばかりじゃねぇか。この国の警備ってザルかよ」
「そ、そんな……」
「目標、視認できません」
魔導通信玉から焦った声が響く。
「視認できないってどういうこと!?」ベアトリスが問いかける。
焦る彼女にリュートが呆れたように言う。「ギャーギャー喚かず考えろ」
「な、何よその言いぐさ」
憤る彼女に構わずリュートは水晶に問いかける。「おい。こっちに被害はあるのか?」
「いいえ、ありません。目標の反応だけが近づいて来ています」
ふぅん、と言って、リュートはとがった顎を撫でる。
こちらの被害はなし。向こうは着々と進行中。
途中に待ち構えていた兵士たちに目もくれないとは、相手は手当たり次第に男をさらいに来たわけではなく、別の狙いがあるということだ。そこまでの知性を持ち、なおかつ人目に触れることなく近づいてくる相手。
「あー、面倒くせぇな。もっとふっかけとくべきだったか」リュートは一人ごちる。
「な、何をのんきに言っているんですか。こうしている間にも相手は着実に近づいて来ているんですよ!?」
「きゃんきゃん言うなよ。ベティ。鳴くのはベッドの中だけにしてくれ」
「だから、あなたはそんな事ばかり。それに、軽々しく愛称で呼ばないでください!」
あなたとはそんな関係ではありません。と、ベアトリスは憤る。事実、彼らは恋人同士ではない。
顔を真っ赤にさせる彼女に、彼は呑気に言う。
「安心しろよ。仕事はちゃんとやってやるさ」
彼はおもむろに剣を抜く。それを見た男たちも彼に続いて剣を構える。この中で、状況の打開策を知っているものはいるのだろうか? おそらくほとんどいないと言ってよい。だが、彼らは自分たちを率いる勇者リュートを信じていた。
「目標、第一エリアに間もなく到達します!」水晶から焦った声。
ベアトリスは顔を引き締めて杖を握る手に力を込める。
だが、周りの様子に変化はない。
彼らがいるのは礫砂で出来た砂漠。粒の大きい石で構成されている。
青空を雲が白々しく流れている。近づいてくるという魔物の音も気配も感じない。ただ、魔力の探知網に引っかかりつつ、こちらに直進してくるという通信の声だけが聞こえる。
「こういう時はな」リュートが剣を掲げる。彼の剣に光が集まっていく。極大の魔力の収束に、ベアトリスは息をのむ。魔導師としての自負をあざ笑うかのような、その様子。
いくらふざけた言動をしていても彼は主神に祝福された勇者だ。
一魔導師である彼女よりも、扱える魔力量のケタが違う。
「大体、ここにいるって相場が決まってんだよ」
「目標、到達!」
リュートは地面に向かって剣を突き立てた。
彼は魔力を地中に向かって開放する。夥しい光と、強烈な衝撃が地面から吹き上がる!
「ちょっ!」見れば、周りの男たちはすでに避難していた。「は、はぁぁぁぁ!?」
ベアトリスは自分がまるで鳥になってしまったかのような浮遊感を感じる。
そして彼女の腰に回される手。
「舌噛むなよ」
リュートは彼女を抱いて、下から飛び出してきたものから飛び退る。
大質量の何者かが、地面を割って飛び出してきたーー。
◆
それは唐突な警告だった。
砂漠の中に作られた王国に、魔物が侵攻してくる、と。
国のお抱えの占い師が言った。
それが何者かはわからない。しかしそれは確実だという。今回の相手は今までとは比べ物にならないほどの強大な魔物。この国の軍備だけでは守りきれない。
その占い師のおかげで、魔物の侵攻を何度も防いでいたこの反魔物国は、その言葉を信じ、勇者リュートの所属する傭兵団を雇った。
足元を見られた国王は苦い顔をしつつも、国の未来には変えられないとして、彼らを高額で雇い入れた。
魔導通信玉の声を聴きつつ、彼は手を組み思案していた。
ここは砂漠の国の王宮。
青年を過ぎたくらいの、まだ年若い国王だった。精悍な顔をしているが、瞳は酷薄な色を浮かべている。彼は反魔物国の王として、この国への魔物の侵入を許さなかった。
今までがそうであり、これからもそうである。
姿を見せなかった魔物は、リュートの手で地上に引きずり出された。
その報告を聞き、彼は一つ息を吐き出した。
「それくらいの仕事をしてくれなければ困る」
そうでなくては彼らを雇った意味がない。そうでなくてはそのまま街への侵入を許していただろう。それを思うと、彼はゾッとする。
魔物のような汚らわしいものを、この国に入れるわけにはいかない。
ひとまず街に辿り着く前に相手の姿を知ることが出来たのだ。だが、まだ魔物は生きて蠢いている。
不愉快だ。
彼は微かに眉をひそめると、大臣に命じる。
「やつらに伝えろ。必ず相手を殺せ、と」
大臣は彼に恭しくうなずくと、水晶に向かって語りかけた。
◆
「んなこと言われなくても、わかってんだよ」
偉そうに。
リュートは吐き捨てるようにいった。
「おい、野郎ども! 処女も一人混じってるが! 久々の大物だ。心してかかれ」
リュートの檄に、野太い声が地響きのように上がった。
ベアトリスの抗議の声は、彼らの熱気によって黙殺される。
普段の彼女ならば、めげずに抗議し続けるところだが、今はそうも言ってはいられない。
何故なら、
生半可な相手ではないからだ。
彼らの前には、巨大な体躯が鎌首をもたげていた。
砂の中から、蛇のように細長い体が突き出ている。表面は岩のように見える甲殻で覆われた、巨大な体。巨大。あまりにも巨大。その胴の太さは大人の背丈を超えている。砂の中に潜っている体はどれほどの長さがあるのかも知れない。
太陽の光にぎらぎらと輝いている、瞳のような赤い鉱物は自分を取り囲む男たちをねめつけているようだ。頭部にある巨大な口は貝の口のようにぴったりと閉まり、外貌は龍そのものに見える。
サンドウォーム
砂漠に生息する魔物。
だが、男を見れば飛び掛かるようなーー本能で動くーー知能の低い魔物であったはずだ。
リュートもベアトリスも相手に訝しげな視線を送る。
サンドウォームはその巨大な鎌首をもたげ、ぎらぎらと光る鉱物で彼らを睥睨しているように見えた。それは彼らを品定めするような色。色欲に濁った瞳ではなく、知性があるようだ。
「ふん。図体がでかければいいってもんじゃねぇぞ」
リュートは剣を掲げると、真正面から切りかかった。
勇者としての力に任せた、見え見えの剣筋。相手がどう出るか。敵を知るための試金石として彼はその手段を選んだ。
勇者の剣を砂蟲は真っ向から受けた。相手もこちらを試すような……不気味な風が吹く。
金属と鉱物のぶつかる甲高い音が響いた。
「ッ、かってぇな!」軽いヒビが入っただけの相手に、男たちは目を見開いた。
「リュートの剣で叩ききれねぇのかよ⁉ 硬すぎんだろ。あいつが無理だったら俺たちの剣じゃ無理だ」
彼らはそう言って、早々に得物を切り替える。
素早い判断は、野卑であろうとも、彼らが戦闘のプロであることを思わせる。彼らは手に手にクロスボウを持つ。
「リュート! 俺らは援護に回る。お前はちょこまかやって気を引いてろ」
「こっちのセリフだよ。馬鹿やろうどもッ」
リュートは叫び、サンドウォームに切りかかる。
彼の剣を受けたところで、ヒビ程度のダメージだが、何度も受ければ削られてしまう。
サンドウォームは巨大な体をくねらせて、別々の場所で彼の剣を受け、彼を薙ぎ払おうと、体を躍らせる。
砂漠の太陽の下。岩石の蛇蟲と、勇者の戦端が切り開かれた。
その巨体が身じろぎするだけで地面は揺れ、波打つ体は大地を引き裂く。大地の怒りを思わせる巨体の蠢きに、勇者は剣一本で立ち向かう。それは、勇者が人々を守るものであることを思い出させずにはいられない。
「しゃあ! 早いこと切り開いて、ベティちゃんの股も開かせてやるぜ!」
彼の雄叫びにベアトリスは残念な顔をした。
「う、うわわわ」「おっとぉ」
距離をとっても揺れる大地に彼らは足を踏ん張る。
男たちは距離を取って、サンドウォームにクロウボウを打ち込んでいく。だが、勇者であるリュートの攻撃が通らないのだ。それらはサンドウォームの体表に引っかかるだけで、突き刺さりはしない。
無駄にしか思えない攻撃を、男たちは繰り返していく。蚊に刺された程度にも思われていないに違いない。
「何をやっているんですか……」
真剣な彼らを呆れた瞳で見て、ベアトリスは杖を構える。
リュートに当ててはいけない。彼女はサンドウォームの巨大な体躯めがけて火の魔法を打ち込む。苛烈な炎は、スライムくらいであれば、蒸発させるほどの威力。
しかし、このサンドウォームに対しては表面を少し焦がした程度だった。
「なっ!? こいつ、硬すぎません?」
「だから、硬いって言ってるだろ。話聞いてろよ、処女。お前のせいでせっかく引っかけた矢が取れちまったじゃねぇか!」
リュートの言葉に、ベアトリスは何か言いたそうにしたが、彼の言葉に引っかかる。
矢を引っかける? 彼らは矢でアイツを倒すつもりではない。
彼らはひたすらに矢をいかけている。
その間、リュートは巨大なサンドウォームと一人で戦っていた。
「おおらぁっ!」
大上段からの振り下ろしを、サンドウォームは斜めに受けた。
彼の攻撃をいなすような動きのサンドウォームに、リュートは顔をしかめる。
(おいおい。こいつ、本当にサンドウォームだよな?)
(動きに知性があるんだよッ!)
右手から礫のような魔力弾を放つ。弾幕を張り、小賢しく受けられないようにしてから、渾身の力で切りかかる。しかし、それも弾かれる。
「お、ぉおおおお!」
右に飛ぶ。袈裟切りからの振り上げ。受けられる。相手の突進をよけたと思えば、横なぎに変化してくる。巨体の濁流をかろうじて避けてから、放った刺突はよけられた。
サンドウォームの瞳じみた鉱石と目が合う。太陽に輝くそれは、敵いようのない自然の化身のように思えた。
だが。
勇者さまを舐めんじゃあねぇ。
奮闘する彼は不敵に笑う。
「でかい図体の割に、器用じゃないか」
彼は砂の大地を蹴る。サンドウォームの頭に向けて、剣を。
彼は突然頭から地面にたたき伏せられた。
「ぐッ、がぁあああ!?」
全身の骨がひしゃげるような衝撃。肉が軋み、肺の中の空気が根こそぎ吐き出される。
背後から、サンドウォームの尾が彼を叩き伏せていた。
奴は頭を囮にして、尾で彼の背後を狙ったのだ。
「ぐぅ、ぉおッ!」
雄叫びと共に彼は弾き飛ばすと、血の混じった唾を吐く。強靭な勇者の体にダメージを負わせられた。
巨大な槌のような尾が、彼に向けて垂直に降ってくる。ドンッ、ドンッ。無慈悲な巨人の地団駄のような。舌打ちをする暇もなく、彼は尾を避ける。避ける。避ける。ぐらぐら揺れる地面に足を取られれば、そのまま叩き潰されてしまう。
ハタからみれば、もぐらたたきをされているようだ。
屈辱的な攻撃に、リュートは歯噛みしつつもただ避けるしかない。
「ちょ、ちょっとあれ大丈夫なんですか!?」
「大丈夫ではなさそうだな……」「マジかよ。サンドウォームってあんな戦い方したっけ?」
焦るベアトリスに、内容の割にはあくまで呑気な声で男たちが返す。
「は、早く、援護を」再び杖を構えるベアトリス。
そんな彼女に、余計な事をするな、と男たちが口々に言った。
「もう少しで出来る。せっかちなのは男も女もかわらねぇなぁ、おい」
リュートのピンチであるというのに、彼らは変わらず矢を射かけ続ける。もう何本目になるか分からない矢が、サンドウォームに引っかかる。
「ッシ。これくらいでいいだろう。おーい、そろそろ行くぞー!」
リュートに向かって大声を張り上げ、ひときわ大柄な男が真っ黒な球を括り付けた矢を放つ。
「やっとかよ」
リュートは両足に力を込めると、勢いよく飛び退った。
その矢はサンドウォームの鼻づらにぶつかると、真っ黒な球が、
ーー爆ぜた。
サンドウォームに引っかかっていた矢の全てが輝いたかと思うと、それぞれを光の線が結んだ。それはさながら網の様。そして、事実、網であった。
それに気が付いたサンドウォームは狂ったように暴れた。地面に体を叩きつけ、矢を外そうとするが、もう遅い。光の帯はその巨大な体躯を雁字搦めにする。サンドウォームはのたうつことも出来ず、巨体を地面に横たえることになった。
その口はやはり閉ざされたまま。
瞳のような鉱物が、ぎらぎらと、睨み付けるように輝いている。
その様子を見て、リュートはいやらしげな笑みを浮かべる。
「なかなか歯ごたえはあったがな。俺たちには勝てなかったな」
相手を地面から引きずり出したものよりも、膨大な魔力が、彼の掲げた剣に集まっていく。これほどの硬さの甲殻。生半可なためでは破れないだろう。彼は渾身の力を込めて、その殺意の光を、サンドウォームに向けて放つ!
雷鳴を思わせる轟音。
主神の加護を受けた人間の魔力。聖なる輝きは、見るものを陶酔させるほどに美しかった。
サンドウォームの頭が粉々になる。光によって吹き飛ばされた体も同様だ。
散り散りになった甲殻の破片が、雨のように降り注ぐ。
ベアトリスも、男たちに混ざって歓声を上げる。
悪しき魔物を討ち果たした。
俺たちこそが正義だ。
己に酔う彼らは気が付かない。降り注ぐサンドウォームの破片は、鉱石ばかり。
サンドウォームが体の中まで鉱物であるわけはない。
リュートも、降り注ぐ鉱物の雨の中、剣を収めて腕を上げる。
強大な魔物を倒して凱旋する。
これだから勇者はやめられない。
勝利の余韻に、彼は口端を釣り上げる。これでベアトリスが抱き着いて来てでもくれれば、文句はないが、彼女にはそんな様子はない。
へん、と物取りなさを感じつつも、彼はサンドウォームに背を向け仲間たちの元に戻っていく。
仲間たちは彼を迎えようとして、
驚愕を浮かべた。
「あン? どうしたんだよ」
リュートはそう言ったが、彼らの表情から、何が起こっているかは予想がついた。
マジかよ……。
お前、本当にサンドウォーム?
彼が振り向けば、頭部を失ったサンドウォームが、再び鎌首をもたげていた。天高く直立する怪物は、太陽を飲み干すかのようだ。巨体の影が、リュートを切断するように走っている。
リュートによって破壊された頭部は、雷に撃たれても倒れなかった、傲慢な塔。
魔王が代替わりをする前。
魔物が魔物として、人間と骨肉の争いを繰り広げていた時代。そんな古の亀裂からそそりだしてきたような、悪意が傾いで倒れてくるような幻想が覗く。
リュートの額に脂汗が浮く。声を失う一団に向けて、
サンドウォームから硬質な、声。
「あの子は、どこ?」
悪い夢を見ているようだった。
「私が行かないと」
17/04/28 17:15更新 / ルピナス
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