連載小説
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後半
「報告します!」
 魔導通信玉から切羽詰った声が聞こえた。
「相手サンドウォームを拘束、その頭部を破壊しました」
 その場に居並んだ貴族、大臣たちから安堵の声が漏れた。
 だが、国王は嫌な予感を覚えていた。
 彼の眉間に皺がよる。相手を殺せたのならば、何故、

 そんな声を出している?

「しかし」
 国王の予感は当たる。
「頭部を失ったはずのサンドウォームは再び起き上がり、拘束を振り切り再び走り始めました。現在街に向けて暴走しております!」
 大臣たちは色を失い、貴族たちからは悲鳴が上がった。
 国を守ることも忘れ、わが身の保身に走ろうとする。彼らの浮き立つ足を見て、国王は冷たい視線を向ける。
 魔物の侵攻は忌まわしいが、役にも立ってくれた。
 この国を思わぬ蛆虫どもを浮き彫りにしてくれた。王は内心でほくそ笑む。
 王は心の中、切り捨てる人員のリストに彼らを記しておく。
「勇者リュートはその頭部にしがみつき、攻撃を加えているようですが、一向にひるむ様子はありません。リュート殿の攻撃でも、簡単には傷つけられないほどの硬さです」

 報告を聞いて、国王は大きなため息をつき、
「魔導砲の使用準備を」
 と、言った。
「ま、魔導砲……」彼の言葉にどよめきが上がる。
「な、なんだそれは」
 貴族の中にも知らないものがいるようだ。
 自分たちの身を守る道具くらい覚えておけ。王は呆れ、その発言の主を無能の帳簿に加える。

 魔導砲。
 それは、蓄積させた大量の魔力を一気に解き放つ大威力の兵器である。
 それが使用されたことは今までにない。一度放てば、再び必要な魔力を集めるまでにかなりの時間がかかる、外すわけにはいかない。
 しかし、報告を聞く限り、出し惜しみをしている暇はない。
 相手の目的はわからないが、勇者の攻撃に耐えうる甲殻に、サンドウォームにあるまじき知性。街壁を越えさせて暴れられれば、その隙をついて魔物の軍勢に襲われ、そのまま国が亡びることにもなりかねない。
 魔物に隙を見せてはならない。

 国王は受け継がれてきた信念を拳に握り込む。
 その信念は、息子にも受け継がせるものだ。
 彼は大臣を呼び寄せると、耳打ちをする。

「念のため、王子は非難させておけ」
 保身と、保護は違う。自分が倒れようともこの国は続けさせる。
 魔物の脅威になど負けはしない。
 人間の砦としての国王の言葉に、大臣は恭しく頷く。

 ◆

「チィいいい。止まれ、ってんだよ、このデカブツ。つーか、くたばれぇええ!」
 リュートはすさまじい速度で進むサンドウォームにしがみつきつつ、剣を叩きつけていた。
しかし、削れはするものの、サンドウォームは少しも速度を緩めることなく走る。
 その見事な巨体をさらした砂蟲は、障害をものともせずに走る。その大質量の暴走は、狂った列車のように速度を上げ、一直線に王都へとむかう。
 すでに、砂上にそそりたつ、王宮が見えている。

 リュートは焦る。
 勇者とはいえ、その力は無限ではない。
 この硬度の甲殻を吹き飛ばすほどの大威力の攻撃は、使えても後二、三回が限度だろう。
 頭を吹き飛ばされても走り続けるこの化け物は、体全てを粉々にしなくては止まらない。だが、それにはこいつの動きを止めて、魔力を練らなくてはいけない。頭を吹き飛ばすだけではなく、体全体に当てなくてはいけない。
 どうするかーー。考えろ。考えろ。

 そこに、
「すごいですね。そんなところにしがみ付いていられるなんて……」
 ベアトリスが魔法で飛翔しつつ、並走していた。
「のんきに言ってんじゃねぇよ。処女! つーか、お前、よくついて来れんな……」
「処女っていわないでください!」もはや否定することもなく、彼女は言う。「私を舐めないでください。これでも、国の優秀な魔導師ですから」
「ふーん」
「ちょっ! なんですかその視線は」
 顔を赤らめる彼女を無視する。
「じゃあ、お前、こいつの動きを止められないか? そうすりゃ、俺はまたデカいのをぶっ放して、こいつを粉々にしてやる」
 彼女は思案気に形の良い指を唇に当てる。つやのある唇に、眼鏡が光る。
「思いつきません」
 彼女は自信満々でそういった。
「役にたたねぇな! これだから処女は、一発ぶち込めば頭もさえるんじゃねぇのか⁉」
 あんまりな彼の言い分に、彼女は顔を真っ赤にさせる。
「だから、いちいちそんな下品なことを言わないでください! 私の魔法は繊細なんですよ!? あなたのように大威力で放てばいいものとは違います。凍らせようったって、この大きさと重さなら、すぐに逃げ出されてしまいます。炎だって、少し焦げただけだったし……」
 少ししょんぼりとした彼女を見て、リュートは考える。
 炎と氷。そして、今彼女が使っている魔法は風だろう。
 三重属性保持者。魔法使いではなくとも、魔導師としてそれだけ持っていれば、優秀どころではない。そいつらを組み合わせればーーいや、ダメだ。
 彼女の魔力量と相手の図体では足りない。

 しがみついているだけのリュートの前にどんどんと王都の影が大きくなっていく。

 ◆

 サンドウォームは一心不乱に走る。

 あの子は、
 あの子は何処?

 あの子は泣いていた。
 あの子は悲しがっていた。
 その声は、私に届いた。

 岩の中で、彼女は彼の声を探す。
 聞こえない。
 冷たい檻を隔てた声は、彼女の声を彼に届けることなく、彼の泣き声だけしか彼女には届かない。

 待っていて。
 私が助け出してあげる。

 彼女は思い出す。
 かつて、彼と過ごした蜜月をーー。

 彼と出会ったのは、砂漠の王宮。
 地面からひょっこりと出てきたところを彼に見つかった。
 彼はまだあどけない少年で、まだ、魔物娘が怖いものだという間違った教育をされる前でした。
 私は一目見て、彼を大好きになりました。
 彼と遊ぶことは、私にとってとても幸せなことでした。

 砂漠に囲まれたこの国に、本当なら私は生まれることない存在です。
 本当はもっと、肥沃な大地に。
 本当はもっと、魔力の多い土地に。
 私は生まれるはずでした。

 でも、どんな運命のいたずらか。
 私が生まれたのは、
 砂漠に覆われて、
 魔物娘が排除されて、魔力の少ないこの土地でした。

 本当は私はもっと力のある存在です。
 国によっては、私はもっと大切にされたかもしれない。

 でも、ここではーー。
 私はちっぽけで、まだ幼い彼から精をもらうことにも気が引けて。
 だから。
 私たちが大人たちに見つかっても、私はただ引っこ抜かれて、
 私たちはただ泣くことしかできなくて。

 私は連れて行かれた先で、バラバラにされました。
 けれども、彼らはそれで済んだと思い込んでいました。
 私は死んではいませんでした。
 でも、魔力の少なかった私は、肉体を持っていなくて。
 
 動けなくて。
 悔しくて。
 泣いてしまいそうなほどに悲しかったけれども。
 それでも、私はそんなことも出来ず、
 ただ放り出された大地の上、
 ただ体を打つ雨の下、
 身じろぎもせずにいました。

 それでも、私はあの男の子の事を忘れはしませんでした。
 彼はどうなったのでしょうか。
 あの怖い大人たちに連れて行かれたのでしょうか?
 動けない私には、知るすべはありませんでした。

 ですが、
 ある時。

 あの男の子の声が、
 −−聞こえた気がしました。

 それは胸が張り裂けそうになるほどの悲痛な叫び。
 私はいてもたってもいられなくなりました。
 でも、私は動けません。
 私は空に向かってお願いしました。
 私をこんな目に合わせた主神にだってお願いしてもいいかもしれません。
 魔王さま、私に動ける体と、あの子を助け出す力をください。
 私は何度も何度もお願いしました。

 そして、ある時私の願いは叶います。
「酷いことをするものね」
 そこには、私が見たことのないほどに美しい、恐ろしいほどに美しい女が、私のことを覗き込んでいました。真っ白い髪に、血のように濡れた赤い瞳。
 体のないはずの私でも、背筋がぞくぞくしました。

「あなたは体が欲しいの?」
 私は声にならない声で答えます。
「あなたは力が欲しいの?」
「はい」私はもらった体で答えます。

 私は体に満ちている力に驚きます。
 彼女は、私がかつて彼から聞かせてもらった物語の魔女のように言いました。
「あなたの体は仮初のもの。本当の体が欲しければ、愛する人を見つけて、精をもらいなさい。その時、あなたは本当の体を手に入れるでしょう」
 私は彼女の言葉に、うなずきました。

 そうして私は歩き出します。
 降り注いだ雨のぬかるみが、ぺたぺたと私の体に張り付いてきます。
 元々土でできていた私の体。それらはよく馴染みます。私の涙でぬかるんだ泥は、私を守るための、そして、彼を助け出すための鎧になります。
 私は重くなった体で、地面を進みました。

 硬くなった体は砂漠を泳ぐように進み、ついに、彼のいる街を見つけます。
 邪魔をされたりしたけれど、もうすぐあなたに会える。
 今も小さな体で蹲って、悲しそうに震えるあなたの声が聞こえる。

 大丈夫。
 もうすぐ私がそこに行くから。
 大きくなった私が抱きしめてあげる。

 だから、待っていて。
 でも、まだ彼がどこにいるのかわからない。
 大丈夫。きっと、一目見れば、彼だと分かるはず。

 ◆

 ベアトリスの懐にしまわれた魔導通信玉から声がする。
「王が魔導砲の使用を決断されました」
 その言葉に、彼女は眼を見開く。ついに、あの兵器を使うのか。

「なんだよ。それは?」いぶかしげなリュート。
「強力な兵器よ。蓄積した魔力を一気に打ち出すもの。でも、必要な魔力が大きすぎて、一回の戦いでは一回打つのが限度だと思うわ」
「へぇ。それは俺のさっきのよりも強いのか?」
 頷いた彼女に、リュートは口笛を吹く。
「そんなものがあるのに俺たちを雇ったのか。ま、そうだな。最初っからアテにしちゃあ、切り札とはいえねぇ」
 リュートは考えるそぶりを見せる。
「おい、ベティ」
「だから軽々しく呼ばないでください」
「だったら処女」
「うー、それなら、ベティの方でいいです」
「くっく。最初っから素直にしとけよ。その魔導砲ってのは、百発百中なのか?」
 リュートの意図することに気が付いた彼女は、静かに首を振る。
「そうか。だったら、俺が吹き飛ばすにしろ、それで吹き飛ばすにしろ、足止めは必要だという事だ。それに、俺の魔法よりも強力だっていうなら、確実な方を取った方がいいだろう」
 考えていた彼は、思いつく。

「おい。ベティ。俺の考えをお偉い方に伝えてくれ」

 ◆

「ほう。流石は勇者だ。確実に息の根を止める方法を選ぶか」
 王は冷酷な笑みを浮かべた。
「許可する」
 恭しくうなずく大臣が、水晶玉に向かって話しかける。

 野卑な男だとしか思っていなかったが、狡猾さと、徹底的に魔物を倒すすべを知っている。
 これが終われば、無能な貴族たちを退けて、彼を取り立ててもいい。
 王はそんなことまで思う。

 別の大臣が王に耳打ちをする。「王子の移動は問題ありません」
 これで万が一にも彼が魔物娘の手に落ちることはないだろう。
「ご苦労」
 これで心置きなく戦場に向かえるというものだ。
 魔導砲は、王にしか扱うことはできない。
 彼が前線に出向く必要があるのだ。

 国を守るべき王が、国に守られてはならない。
 国が亡ぶのは、王が敗れた時ではない。民が亡ぶ時なのだ。
 王という地位の代わりになる王子は逃がした。
 国を守れるのであれば、この命、惜しくはない。
 無論、死ぬつもりはない。先日母を失ったばかりの王子が、父まで失うことになってはならない。私はこの国を守るために戦に向かうのだ。死ぬために向かうのではない。

 王は立ち上がる。
 ただおびえるだけの貴族たちを横目に、王城を出た彼は街壁に辿り着いた。

 ◆

 暴走する砂蟲は、その巨大な体躯を目いっぱいに躍動させ、王都へと進撃する。
 尺取虫のような動きのくせに、それはあらゆるものを薙ぎ払い、目的へと向けてすすむ、凶悪な槍のようだった。街を突き破る強大なバリスタ。

「タイミングが全てだ」
 サンドウォームにしがみ付いたリュートは、水晶玉に向かって言う。
 ベアトリスはすでに魔導砲の元にいる。
 リュートは彼女の顔を思い浮かべる。この戦いが終われば、本気で口説いてみるのもいいかもしれない。そんなことを冗談交じりで思う。
 そして彼は王の顔を思い浮かべて、クツクツと笑う。
「冷たい顔をしていたくせに、なかなか熱いじゃないか」
 民を守るために、前線に出てくるなど、ふんぞり返った王に出来ることじゃない。
 そういう王様なら、仕えてやってもいいかもしれない。それは、彼にとって珍しい思いだった。
 彼は知らない。
 それがいわゆる死亡フラグと揶揄されるものだという事を。
「だが、どれにせよ、こいつをどうにかしなくちゃ話にならない」
 リュートは速度を緩めることなく進むサンドウォームの硬い甲殻を叩く。
 少し、乗りこなすのにも慣れてきた。

 いつもは魔物と出会っても殺すだけだ。こんな風にしがみつき続けていたことなどない。
 珍しい体験に彼は少しだけ面白さを感じた。

 と。
「そろそろだな。気張れよベティ。うまくやったら抱いてやる」
 彼は不敵に笑って前を見据える。

 ◆

「何かしら、今の悪寒……」
 ベアトリスは身を震わせた。
 あの下品な勇者がよからぬことを考えたのかもしれない。
「まったく、あいつときたら」
 彼の野卑な顔と、それに似合わぬ作戦を聞いて、彼女は複雑な思いを抱く。
 彼女は<転移>の魔法で街壁に先回りした。虎の子の<転移>の魔法を込めた<魔封杖>の破片が散らばっている。だが、あれほどの強大な魔物なのだ。出し惜しみをしていてはいけない。
 それに、ここには王も出てきている。
 彼女は頬を強めに張ると、気を強く持つ。
 今やることは自分の役割を忠実にこなすことだ。
 このままの速度であんなデカブツが王都に突っ込めば、どれほどの被害が出るか分からない。
 
「来た!」
 ベアトリスは砂煙を巻き起こしつつ、迫るサンドウォームを見た。
 周りからもどよめきの声が上がる。
 勇者の攻撃でひしゃげた頭部は、下あごだけになった龍の頭部の様だった。そこにはぎらぎらと輝いていた瞳はなく、無機質に突き進む、虫のような不気味さがあった。
 彼女はつばを飲み込む。
 タイミングを計る。

「3、2、1。今ッ!」
 彼女は氷の魔法を発動させた。
 それはあたかもジャンプ台のように坂になって作られていた。
 サンドウォームはその勢いのまま、そこに突っ込んだ。魔物はすべり、その速度のまま、空に打ち上げられる。街壁で待ち構える戦士たちの上に、巨大な影がかかる。
 魔物は巨体をくねらせ、宙を泳ぐようにもがく。
 そのままでは狙いが定まらない。

 だから。
「磔になりやがれ」
 勇者は剣の切っ先をその巨体に向け、ありったけの魔力を放った。
 それは天から落ちる杭の様だった。
 罪人を張り付ける聖なる柱。
 サンドウォームの形状からすれば、ウナギに釘を打つようなものだろうか。

 聖なる柱によって、サンドウォームが垂直に落下していく。リュートは巻き添えにならないように、甲殻を蹴り飛ぶ。
 彼をベアトリスが抱き留めた。
 まだ勝利には至っていないが、彼女に抱きつけることは役得である。
 彼はどさくさに紛れて、
「変なところを触らないでください」殴られていた。

「あいつが落ちたところを狙うとする」
 王は巨大な大砲の後ろにいた。
 それは大砲というよりは巨大なライフル。
 撃鉄の部分に王家の紋章が刻まれている。彼がその手で叩けば、魔導砲は発動する。
 巨大な岩でできた体が降ってくる。
 降ってくる。王は何処からか視線を感じた。
 
 今だ。

 その巨体が地面と衝突した音か、魔導砲の砲撃音か。
 鼓膜どころか全身を揺らす衝撃と音が、砂漠の大地に響き渡る。

 民はおびえ、自分たちの未来がどちらに傾いたか、震える体で待っている。

 光の柱は砂煙に覆われ、ただぼんやりと、墓標のような影だけが見える。
 砂煙が薄くなる。
 誰も彼もが目を凝らす。
 その向こうに蠢くものはいない。
 ただ巨大な体を構成していたであろう岩石が、散在する。
 勝利の時の声をーー。

「見つけた」
 呟くような可愛らしい声が、残っていた岩石が爆散し街に降り注ぐさまを。
 嬉しそうに。

 抱きしめていた。

 ◆

「な、なんだよこれ」
 リュートは目の前の現実が信じられなかった。
 降り注いでいく岩石の群れは、いつしか少女や女性の体躯をしていた。
「あれは、ドロームか……。まさか! あのサンドウォームの体はドロームで出来ていたってことなのか⁉」
 それらは彼らの奮闘をあざ笑うかのように、町のいたるところに向かって降り注いでいく。
「ちぃ、早くぶっ殺しにいかねぇと。ベティ。俺を街におろしてくれ」
 もがく彼の唇を彼女が奪った。
 濃厚な女の味に、リュートは驚く。

「はぁぁ、やっと我慢しなくてよくなった」
「べ、ベティ……? お前!」
 驚愕する勇者の前には、処女と言って馬鹿にされていたベアトリスの顔はない。
 そこには、ようやく手に入れた男に目をとろかせる、ダークメイジがいた。
「く、くそっ!」
 彼はもがくが、もはや魔力が残っていない。
 それに、先ほどのキス。体がしびれている。
 妖艶にほほ笑みながら、彼女は彼を抱きしめ、街の中に降りていく。

 街の中には、すでに嬌声が渦を巻いていた。
 下半身が溶けたようになったドロームが、男性の上にまたがって腰を振っている。
 下になった男性は恍惚とした表情をしている。入っているに違いない。
 複数のドロームに群がられ、口に泥を流し込まれている女性がいる。体は別のドロームに愛撫され、口からはだらしなく、泥と涎の混合物をこぼしている。
 砂漠であったはずの国が、泥と淫靡によって潤っていく。

 どろどろに。

 淫らな肢体をありありとさらけ出し、その陰部から泥が零す女性がいる。その顔は色に塗れ、泥の跡がまるで戦衣装のようにも見える。
 彼女は男性を求めてさまよいだす。

 反魔物国であったこの街はついに落ちる。
 これから淫らな泥の国として、どろに覆われ、快楽のるつぼと化していく。

 勇壮な騎士の鎧はすでに泥と置き換わり、彼は鎧の中で腰を振っている。股間に染み出した白濁は、泥によって吸われていく。

 どろどろに。
 どろどろに。

 身も心もどろどろに。
 ここは淫らな泥の国。

「や、やめろ」
 リュートはダークメイジの本性をさらけ出したベアトリスによって、部屋の中に連れ込まれていた。
「初めてはやっぱり、自分の部屋がいいものね」
 うっとりとした彼女の顔は、処女とは思えない。歴戦の娼婦も真っ裸で逃げ出すほどの淫靡さに満ちている。
「み、見かけによらず乙女なんだな」
「そうよ。乙女な私を抱いてちょうだい」
 彼女はほほを染めるが、それは羞恥ではない。これから味わう快楽にたする期待の桃色。
 吐息にも、艶が混じる。
 
 彼女は彼をベッドに投げ出し、その上にまたがる。
 そして嬉しそうに
「やめろと言っていた割に、ここはガチガチじゃない」
 彼の股間を自分の股間でこする。
 彼からはくぐもったうめき声。
 彼女は自分の服の首元に手をかける。
 プツっ、という小さな音とともに、縦に彼女の服が引き裂かれていく。
 それはまるで脱皮をする蝶のようだ。
 服に覆われた下からは、真っ白で艶やかな裸身が顕れる。
 その滑らかな肌に、彼は生唾を飲み込み、眼が離せない。
「どう? 私って、着やせする方でしょう?」
 彼女は見せつけるように腰をくねらせた。捩じるような動きに、彼の肉棒がズボンの中で震えた。
「駄目よ。そんなところで出したらもったいない」彼女は微笑み、彼のズボンを一思いにずりおろす。勢いよく、彼の肉棒が猛り出る。
「ふ。うふふふふ」
 彼女の瞳の中にハートマークが見える。視線は虚ろで、その手が肉棒に伸びる。
 冷たい女性の指の感触が、竿に触れる。続いて球に、袋に。先は彼女の唇の中に吸い込まれ。
「あ、あ”あ”あ”あ”あ”」
 感じたことのないほど快感に、彼は絶叫する。思わず腰を彼女の喉奥に打ち付ける。容赦なく、欲望の塊を彼女の口内に吐き出す。

 彼女はそれをうっとりと嚥下する。
 形の良い白い咽喉が、コクリと動く。

 彼女に跨られ、快楽の濁流に、彼は流されていた。
 腰をくねらせる淫らな踊りに、乳が揺れている。剥きたての果実のような乳首が、みずみずしく揺れている。ピンク色の突起が切なげにーー揺れている。
 彼の肉棒はザクロの中に突っ込んだように、つぶつぶした肉の感触を味わっている。
 何度目になるのかわからない、
 白濁を彼女の中に吐き出す。
 子宮口が、愛おしそうに、亀頭にキスをしてくる。「ぁ、あ、あ」しっとりとした彼女の臀部が、太ももをこすっている。
 バチュバチュと。乱暴に貪るような水音がしている。

 ああ、どうして俺は。
 こんな気持ちいいこと、どうして俺は今までしてこなかったのだろう。

 快楽の渦に、彼は飲み込まれていく。
 嵐の海に翻弄されるように、彼の意識はやがて真っ白に、彼女の揺れる肢体しか考えられなくなっていく。

「お”、ぉおお!」
 突如ケダモノの雄叫びを上げて、彼は彼女を組み伏せる。
 下になっても腰をくねらせる彼女に、力いっぱい腰を打ち付けてやる。
 体の中にたまっていた膿を残らず彼女の中に注ぎ込む。
 そんな彼を見て、彼女は淫らにーー微笑んでいた。

 ◆

「ここは、どこだ?」
 王は暗いところにいた。
 手を伸ばすと、ひんやりとした棒状の金属に触れた。
 ガチャンと引っ張れば、檻の様だった。

「まさか、牢……か。私は、負けたのか。そんな」
 彼はひざを折り、両手で顔を覆ってしまう。
「国は! 国はどうなった!?」
 彼の慟哭は、ひんやりとした暗闇に吸い込まれ、
「魔物娘の手に落ちました」
 返答があった。

 彼の前に映像が流れる。
 それは、国中が嬌喚の喧騒に満ちている光景。誰も彼もが淫らに顔を蕩けさせ、誰も彼もが、うっとりと誰かと交わっている。
「あ、……あ、そんな」
 王は打ちひしがれ、彼の頬を涙が伝う。

「泣かないで」

「お前は、誰だ」

 答えはない。
 だがその沈黙には、悲しげな気配があった。

「ふん、汚らわしい魔物め。私の国を落として、さぞかしご満悦だろう。そのまま私も堕とすがいい」
 王としての矜持を、彼は精一杯に持つ。

「あなたは私のことを忘れてしまったの?」
「忘れた? 何を言っている。私に魔物娘の知り合いなどはいない」
「本当に?」
「本当だ」
 檻の中に、彼らの声が木霊する。

 檻の外に、彼女の姿が浮かび上がる。
 彼女は、

「ノーム、だと?」

 土色の肌。ふくよかな体は大地の抱擁力を思わせる。その足も手も土に覆われている。あどけなさも感じさせつつ、それでいて美しいと思える顔。

 知らない。知っているが、知らないでいないといけない。
 二重の思考が、彼の脳内で蛇のように絡み合う。

 だが、檻が軋んだ気がする。

「お前など知らない」
 彼女の悲しそうな表情に、彼は心のどこかが音を立てている気がした。
 彼女の手が伸びてくる。土の手袋の中から、柔らかそうな手が伸びてくる。

 その手を取れ、と。
 胸のどこからか声がする。

 その手を振り払え、と。
 頭のどこかで声がする。

 ーー檻が軋む。

「ひどい。あなたの心をこんなところに閉じ込めて」
 彼女の声が響く。
「ひどいのはどちらだ。よくも私の国をめちゃくちゃにしてくれたな」
 彼は突き放す。
「でも、私を呼んだのはあなた」
「私がお前を呼んだ? 馬鹿なことは言わないでもらいたい」
「一週間前、私はあなたの泣き声を聞いた」
 その言葉に、彼は口をつぐんだ。

 ーーそれは王妃が亡くなった日だ。
 病弱だった彼女は、王子を生んで帰らぬ人となった。

 私は確かに泣いたかもしれない。だが、それがどうしてこんな魔物を呼ぶことにつながるのだ。もしかすると、
「フン、私が弱ったと思って、攻めてきたのか。残忍なことだ」
 彼女は首を振る。
「私はあなたを抱きしめに来た」
 彼は哄笑で返す。「絞め殺しに来たの間違いではないか?」

 彼女は檻に手を触れた。彼女は顔をしかめる。その手は焼けているよう。
 しかし、彼女はそれに構わず、檻をひしゃげて中に入り込んできた。

「は、ははははは。殺せ。殺すがいい。私の国をそうしたように」
 彼は手を広げて、彼女に対峙した。
 そんな彼を、
 彼女は、宣言通り、抱きしめた。
「やめろ! やめろ!」
 彼はそれを振りほどこうと、暴れるが、彼女の腕を振りほどくことが出来ない。

 そんなことをされてしまえば、思い出してしまうではないか。
 魔物は敵などではないという事を。

 それを思い出してしまえば、今まで自分がしてきたことが、ケダモノにも劣る所業に成り果ててしまう。彼は、必死でもがく。

 駄目だ。
 駄目だ。

 思い出してしまえば、私は……。

 檻は軋みを上げ、バラバラに砕け散った。

「あ、あ、あ……」
 彼は虚ろな目をして、彼女を真正面から見た。成長しているが、あの時の彼女だ。
 彼は思い出した。

「僕は、君を助けられなかったーー」
 彼はむせびなく。
「大丈夫。私はここにいる」
 彼女は柔らかく微笑む。

 王は思い出した。
 幼き時の美しい思い出を。
 大人たちに壊された、幸せな思い出を。
 助けられず、守れなかった過去を。

 彼は幼い時、彼女の事が好きだった。

 幼い時、王宮の庭にひょっこりと顕れた彼女を見つけた。
 窮屈な王宮の生活で、彼女と遊ぶその時間は、彼にとってかけがえのなく楽しい時間だった。心休まるひと時。だが、その時間は長くは続かなかった。
 反魔物国であるこの国の大人たちは、仲睦まじく遊ぶ彼らを見つけ、その仲を引き裂いた。
 後に国王にならなくてはいけなかった彼は、偏執的で狂気じみた教育を受けた。
 魔物は人間の敵なのだと、ご丁寧に、その教育課程には、彼女の死を見せるというものもあった。その光景は、幼い彼には耐えられなかった。
 彼はその記憶に蓋をして、魔物は敵だという認識で重しをした。

 そうして、魔物の存在を許さない、今の彼が出来上がった。

 だが、本当は魔物との共存を望んでいた幼い彼の心はその檻の中でずっと生きていた。
 彼はずっと泣いていた。
 その嘆きが彼女に届いたのは、先日、王妃が亡くなった時だ。
 王妃を亡くした悲しみに、心のどこかで魔物となってでもまた会いたいという気持ちがあったのだ。それは許されない願い。反魔物国の王として、考えてはいけない願い。
 王は、この国の風習にしたがって、彼女の亡骸を火葬した。
 そうすれば、もう、彼女がアンデッドとしてーー魔物娘として復活することはないのだから。

 しかし、彼の嘆きはノームの彼女に届いた。

 彼女は言う。
「彼女の魂は、まだこの王宮に残っている。だから」
 私の体を使うといい。彼女は穏やかにほほ笑む。

「ど……、どういうことだ」
「あなたの心はすでに私にはない。王妃の元にある。だから、私は彼女にあなたを譲って、引き下がることにする」
 混乱する彼に、彼女は微笑み続けたままだ。

 彼女がこの体を手に入れた時、あの白髪の美女はこうも言った。
『愛する男の精を手に入れなければ、あなたはその体を保てない』
 愛されなければ泡となって消える人魚姫のようにーー王に愛されなければーーそのノームの体は、物言わぬ土くれとなる定めだった。

 体を保てず、今度こそ、意識もなく消えてしまう。
 彼女はそれでよかった。彼に一目会って、彼を抱きしめられさえすれば、それで十分だった。彼の心は自分にはない。それは彼を一目見てわかった。彼の心はとっくに王妃のものだった。
 魔物たちに対する彼の懺悔に寄り添うのは、自分ではない。王妃なのだ。
 彼女は何も言わず、彼ににっこりとほほ笑んだ。

 その微笑みをきっかけとして、
 彼の視界の暗闇は、一気に晴れ渡った。

 ◆

 ーー満天の星。
 街壁の中からは、男と女の嬌声が聞こえてくる。
 王は自分が誰かの手を握っているのに気が付く。
 その手の持ち主を見れば、彼女は、
 ノームとなった王妃だった。 

 砂蟲の姿を模して、彼に会いに来たノームは、もう、どこにもいなかった。

 王は彼女の意図を知って、むせび泣く。
「ああ……、感謝する。感謝して……私はこれから親魔物国の王として、魔物たちのために働こう。それが、王としての務めであり、人としての懺悔だ……」
 彼はふっくらとした王妃の手のひらを強く握り、頬を伝う涙と共に、星空に誓った。

「この国を強大な魔物が襲う。この国の軍備だけでは足りない。この国は亡び、親魔物国として生まれ変わるだろう」
 王の怒りをかった占い師は逃亡し、すでにこの国にはいなかった。

 こうして、とある砂の国は、インキュバスの王とノームの王妃が治める親魔物国となった。
 数年後、彼らの間には、王とも王妃とも似つかないノームの子供が生まれることになる。
 しかし、その顔は王にはとても見覚えのあるものだったーー。

 ◆

 占い師は、フードの下に隠されていた真っ白な髪をあらわにした。
 彼女はキュッとしまったくびれに手を当て、肥沃になった土地で大きく伸びをする。
 穏やかに照り付ける太陽に負けないくらい、美しい赤い瞳を細めている。
 彼女は恐ろしいくらいに、美しい女性だった。
 それこそ、美しさだけで国を滅ぼせるくらいの。

 そして、
「さーて、次はどこの国を落としましょうか」
 そう、言ったのだった。
17/04/28 17:16更新 / ルピナス
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