冬の訪れ
和冬は、大学に合格した。
あの三姉妹に告白して、付き合うことになった。
否、ーーそんな未来は、まだ、訪れてはいなかった。
訪れなかった。
◆
「さようなら」
終わりは突然やってきた。
前触れもなく、前振りもなく、糸がプツリと切られたように。
呆気なく、別れの時はやって来た。
和冬の前には三姉妹ともう一人。
ゾッとするような美女がいた。
絶世ではなく、滅世。凄絶の美女。
彼女の前では既存の美など容赦無く滅ぼされる。価値観の全てを破り捨てるような女。
白い髪は、彼女以外を否定するかのよう。赤い唇と赤い瞳は、彼女が狂わせた者たちの血で染められているようでーー、抜群のプロポーションは、人類には到達できない造形だった。
それでも和冬にとっては、彼女よりもーー三姉妹の方が魅力的だった。彼女たちへの想いは決して破り去られる事のないものだ。
しかしーー、和冬が破らなくとも、相手もそうだとは限らない。別れの言葉は彼女たちの口から発せられていた。
大学に合格した和冬は、彼女たちに告白しようとして呼び出した。
三人ともが好きなのだ、と。彼女たちなら受け入れてくれると思った。
場所はPちゃんとよく遊んでいた公園。
ほとんど雪の降らない地方のはずなのに、もうーー春のはずなのに、雪が、舞っていた。
「どうして?」自分の物とは思えない、冷えて乾いた声。
「もう、時間なのよ」
「そうなんでち、寂しいでち」
「あ、あたしは全然、寂しくなんて……ないんだから。ーー寂しいに決まってるじゃない」
彼女たちは口々に、この別れは自分たちの本意ではない事を、和冬に伝えてきた。
しかし、和冬には彼女たちの言っていることが理解できなかった。
別れるのが寂しいのならば、なぜ別れるのだろうか。
もう時間だとは、どういうことなのだろうか。
戸惑う和冬の前で、彼女たちは人間をーーやめた。
彼女たちの頭には鼬の耳。彼女たちのお尻には鼬の尻尾。
それは、どこかで見た気がする姿だった。
彼女たちは人間では無い。人外。魔物娘。そう説明された。
信じられない超常。しかし、和冬は不思議と納得できた。
「驚かないのね」美女が口を開いた。
「ああ。どうしてだろうな……」
和冬の言葉に、三姉妹は嬉しそうに、悲しそうに笑った。
ーー『カマイタチ』。
こちらの世界では妖怪と伝えられる存在。
彼女たちはそれなのだという。三位一体の魔物娘。
Nが力づくで押さえつけ。
Sが切りつけ。
Pが薬を浴びせる。
それが彼女たちの役割分担(アリカタ)。
「それが彼女たちの種族よ。人間じゃ無い。それでもーーあなたは彼女たちを愛せるの?」
「ああ。俺は彼女たちが好きだ」美女に向かって、和冬は断言した。
三姉妹の息を飲む音。Nまでも涙ぐんでいるようだった。
「そう」美女は満足そうに微笑む。彼女の微笑みは、儚げでもあった。
「人間じゃ無いからお別れなのか?」
「いいえ、そうじゃないわ。時が、違うのよ」Nが言った。
「時?」
「ええ。あなたが大学を卒業した後なら良かった。でも、今はまだ、ダメ。今、私たちがあなたを受けれいてしまえば、あなたは医者になるという夢を捨てて、私たちの元に来るでしょう?」
「そんなことッ……!」
無くは、なかった。
言葉を詰まらせた和冬に、彼女は気丈に微笑む。
「だから、よ。私たちはあなたと一緒にいたい。一緒に、幸せになりたい。でも、それはまだ今じゃないの。あなたが立派に自分の夢を叶えて、その後」
「その夢は一緒には叶えられないのか……」
「医者になるのって、私たち三人と爛れた生活を送りながらもなれるもの?」
「爛れた、……って」
和冬は彼女たちの体を見て、その様を想像してーー思わず生唾を飲み込んでしまう。
そして、気づく。
「そういう、ことよ」Nがフンワリと微笑んだ。
「私たちはーー魔物娘。男を虜にすることが生きがいの存在。今の関係から一歩踏み込んでしまえば、もう後戻りはできない。……童貞の和くんは、すぐに夢中になると思うわ」
「童貞って言うなよ」事実だが……、茶化されているような雰囲気ではなかった。
「私たちが和くんに会ったのは、結(ゆい)さんにお願いしたから。本当は出会うのはもっと先だったけどーー、和くんが受験で潰れそうだったから……。まだ繋がるはずじゃなかった縁を、結さんに結んでもらった。その時間が終わったの……」
「そう……なのか」
(俺はーー彼女たちに出会わなければ、確かに潰れていたかもしれない。
いつかーー電車に飛び込んでいたかもしれない)
和冬はNと初めて出会った時のことを思い出す。それからーーPとSの出会いを。
梅雨ーー、Nに出会った。花の香りのするーー春風を感じた。
初夏ーー、Pに連れられてーー公園で遊んだ。柑橘の香りのーー夏風を感じた。
猛暑ーー、Sに噛まれてーー彼女をエスコートした。雷に耐えるーー、秋風を抱きしめた。
自分には勿体なさすぎるーー、出会いだった。
「助けられてばっかりだった……」
和冬の視界が滲んで来る。
このまま時が止まればいいのに。
彼女たちがいる、美しい今のままーー世界がふやけて溶けてしまえばいいのに。
「もう、泣かないでよ」Nの声が湿っていた。
「う、ぅぅぅぅ」「う〜、う〜」
PとSは、泣いていた。Nは立派なお姉ちゃんだった。
Nは和冬の涙を拭ってくれた。
「大丈夫、また会えるから」
『時が重なれば』ーーまた会えるから、と彼女は言った。
「本当、だな?」
「ええ、もちろん。だから、和くんはーー頑張って夢を叶えて」
そう言ってーーNは和冬の唇にキスをしてくれた。甘いーー味がした。
「うわぁぁぁ!」Pも和冬の唇を奪う。柑橘のように、甘酸っぱかった。
「も、もうッ」Sも和冬にキスをしてくれた。勢い余って痛かったのはーー、彼女らしかった。
四人で泣いて、再会を誓う。そして。
「結さん、和くんの記憶を」とNが言った。
「わかったわ。リリムとしてーー、あなたたちの仲を引き裂くようで気は進まないけど……。そうした方が、いいものね」結が和冬に向けて手をかざした。
「記憶って⁉」
「和くんは優しいから。私たちのことを覚えていたら大学に集中できないでしょ?」
Nは、「視たわよね?」と、問いかけて来た。
ーー何を、だろう? だが、何かを視たーー気はする。
「本当にまた会えるんだよな?」和冬は彼女たちに尋ねる。
「ええ、もちろん」「当たり前でち!」「当然よッ!」
三者三様の答え。
そして、美女が「お母様(魔王)に誓って」と言った。
(それは信用できる誓いなのだろうか?)と和冬は思ったが……、そこらの神さまに誓うよりも、ずっと信憑性のある気がした。彼女たちのような魔物娘のいる世界ではーーあり得るのだろう。
「分かった。じゃあ、また」
和冬は何度言ったか分からない、再会の言の葉を口にする。
「ええ、また」「またでちー」「また、ね」
彼女たちの満面の笑顔が見えたと思うとーー、和冬の視界は暗転した。
◆
「あれ、俺、こんなところで何してたんだ? うわッ、寒」
公園に一人立ち尽くしていた和冬は、身を震わせた。
何か大切なことがあった気がする。失くしてはないけれど、今は手の届かないもの。
何だろう。
胸の奥に、隙間風が吹いている気がする。だけどーー、その中は何故か暖かくて……。
「あ、引越しの準備をしないといけないな」
和冬は思い出したように家路につく。
いつしか雪はーー止んでいた。雪が降った跡もなくーー、全ては溶けていた。
「やっと、受かったんだ」
和冬はいまだに続く合格の喜びを噛みしめる。
これからどんな出会いが待っているのか。
季節はこれからどんどん暖かくなっていくだろう。桜も咲くだろう。
「お花見とかーー、一緒にしたかったな。あれ、誰とだ?」
まだ肌寒いのに、浮かれ過ぎかもしれない。
和冬はポケットから手を出すと、大きく腕を振ってーー歩き出した。
前へ向かってーー。
◆
10年後、今度は和冬が結に図鑑世界へ導かれる。新しく出会った四人と一緒に。
そうして、三姉妹と再開を果たす。全てを思い出して、向こうで診療所を開くのはまだまだ先の話。
そこまでーー、彼は歩き続ける。
あの三姉妹に告白して、付き合うことになった。
否、ーーそんな未来は、まだ、訪れてはいなかった。
訪れなかった。
◆
「さようなら」
終わりは突然やってきた。
前触れもなく、前振りもなく、糸がプツリと切られたように。
呆気なく、別れの時はやって来た。
和冬の前には三姉妹ともう一人。
ゾッとするような美女がいた。
絶世ではなく、滅世。凄絶の美女。
彼女の前では既存の美など容赦無く滅ぼされる。価値観の全てを破り捨てるような女。
白い髪は、彼女以外を否定するかのよう。赤い唇と赤い瞳は、彼女が狂わせた者たちの血で染められているようでーー、抜群のプロポーションは、人類には到達できない造形だった。
それでも和冬にとっては、彼女よりもーー三姉妹の方が魅力的だった。彼女たちへの想いは決して破り去られる事のないものだ。
しかしーー、和冬が破らなくとも、相手もそうだとは限らない。別れの言葉は彼女たちの口から発せられていた。
大学に合格した和冬は、彼女たちに告白しようとして呼び出した。
三人ともが好きなのだ、と。彼女たちなら受け入れてくれると思った。
場所はPちゃんとよく遊んでいた公園。
ほとんど雪の降らない地方のはずなのに、もうーー春のはずなのに、雪が、舞っていた。
「どうして?」自分の物とは思えない、冷えて乾いた声。
「もう、時間なのよ」
「そうなんでち、寂しいでち」
「あ、あたしは全然、寂しくなんて……ないんだから。ーー寂しいに決まってるじゃない」
彼女たちは口々に、この別れは自分たちの本意ではない事を、和冬に伝えてきた。
しかし、和冬には彼女たちの言っていることが理解できなかった。
別れるのが寂しいのならば、なぜ別れるのだろうか。
もう時間だとは、どういうことなのだろうか。
戸惑う和冬の前で、彼女たちは人間をーーやめた。
彼女たちの頭には鼬の耳。彼女たちのお尻には鼬の尻尾。
それは、どこかで見た気がする姿だった。
彼女たちは人間では無い。人外。魔物娘。そう説明された。
信じられない超常。しかし、和冬は不思議と納得できた。
「驚かないのね」美女が口を開いた。
「ああ。どうしてだろうな……」
和冬の言葉に、三姉妹は嬉しそうに、悲しそうに笑った。
ーー『カマイタチ』。
こちらの世界では妖怪と伝えられる存在。
彼女たちはそれなのだという。三位一体の魔物娘。
Nが力づくで押さえつけ。
Sが切りつけ。
Pが薬を浴びせる。
それが彼女たちの役割分担(アリカタ)。
「それが彼女たちの種族よ。人間じゃ無い。それでもーーあなたは彼女たちを愛せるの?」
「ああ。俺は彼女たちが好きだ」美女に向かって、和冬は断言した。
三姉妹の息を飲む音。Nまでも涙ぐんでいるようだった。
「そう」美女は満足そうに微笑む。彼女の微笑みは、儚げでもあった。
「人間じゃ無いからお別れなのか?」
「いいえ、そうじゃないわ。時が、違うのよ」Nが言った。
「時?」
「ええ。あなたが大学を卒業した後なら良かった。でも、今はまだ、ダメ。今、私たちがあなたを受けれいてしまえば、あなたは医者になるという夢を捨てて、私たちの元に来るでしょう?」
「そんなことッ……!」
無くは、なかった。
言葉を詰まらせた和冬に、彼女は気丈に微笑む。
「だから、よ。私たちはあなたと一緒にいたい。一緒に、幸せになりたい。でも、それはまだ今じゃないの。あなたが立派に自分の夢を叶えて、その後」
「その夢は一緒には叶えられないのか……」
「医者になるのって、私たち三人と爛れた生活を送りながらもなれるもの?」
「爛れた、……って」
和冬は彼女たちの体を見て、その様を想像してーー思わず生唾を飲み込んでしまう。
そして、気づく。
「そういう、ことよ」Nがフンワリと微笑んだ。
「私たちはーー魔物娘。男を虜にすることが生きがいの存在。今の関係から一歩踏み込んでしまえば、もう後戻りはできない。……童貞の和くんは、すぐに夢中になると思うわ」
「童貞って言うなよ」事実だが……、茶化されているような雰囲気ではなかった。
「私たちが和くんに会ったのは、結(ゆい)さんにお願いしたから。本当は出会うのはもっと先だったけどーー、和くんが受験で潰れそうだったから……。まだ繋がるはずじゃなかった縁を、結さんに結んでもらった。その時間が終わったの……」
「そう……なのか」
(俺はーー彼女たちに出会わなければ、確かに潰れていたかもしれない。
いつかーー電車に飛び込んでいたかもしれない)
和冬はNと初めて出会った時のことを思い出す。それからーーPとSの出会いを。
梅雨ーー、Nに出会った。花の香りのするーー春風を感じた。
初夏ーー、Pに連れられてーー公園で遊んだ。柑橘の香りのーー夏風を感じた。
猛暑ーー、Sに噛まれてーー彼女をエスコートした。雷に耐えるーー、秋風を抱きしめた。
自分には勿体なさすぎるーー、出会いだった。
「助けられてばっかりだった……」
和冬の視界が滲んで来る。
このまま時が止まればいいのに。
彼女たちがいる、美しい今のままーー世界がふやけて溶けてしまえばいいのに。
「もう、泣かないでよ」Nの声が湿っていた。
「う、ぅぅぅぅ」「う〜、う〜」
PとSは、泣いていた。Nは立派なお姉ちゃんだった。
Nは和冬の涙を拭ってくれた。
「大丈夫、また会えるから」
『時が重なれば』ーーまた会えるから、と彼女は言った。
「本当、だな?」
「ええ、もちろん。だから、和くんはーー頑張って夢を叶えて」
そう言ってーーNは和冬の唇にキスをしてくれた。甘いーー味がした。
「うわぁぁぁ!」Pも和冬の唇を奪う。柑橘のように、甘酸っぱかった。
「も、もうッ」Sも和冬にキスをしてくれた。勢い余って痛かったのはーー、彼女らしかった。
四人で泣いて、再会を誓う。そして。
「結さん、和くんの記憶を」とNが言った。
「わかったわ。リリムとしてーー、あなたたちの仲を引き裂くようで気は進まないけど……。そうした方が、いいものね」結が和冬に向けて手をかざした。
「記憶って⁉」
「和くんは優しいから。私たちのことを覚えていたら大学に集中できないでしょ?」
Nは、「視たわよね?」と、問いかけて来た。
ーー何を、だろう? だが、何かを視たーー気はする。
「本当にまた会えるんだよな?」和冬は彼女たちに尋ねる。
「ええ、もちろん」「当たり前でち!」「当然よッ!」
三者三様の答え。
そして、美女が「お母様(魔王)に誓って」と言った。
(それは信用できる誓いなのだろうか?)と和冬は思ったが……、そこらの神さまに誓うよりも、ずっと信憑性のある気がした。彼女たちのような魔物娘のいる世界ではーーあり得るのだろう。
「分かった。じゃあ、また」
和冬は何度言ったか分からない、再会の言の葉を口にする。
「ええ、また」「またでちー」「また、ね」
彼女たちの満面の笑顔が見えたと思うとーー、和冬の視界は暗転した。
◆
「あれ、俺、こんなところで何してたんだ? うわッ、寒」
公園に一人立ち尽くしていた和冬は、身を震わせた。
何か大切なことがあった気がする。失くしてはないけれど、今は手の届かないもの。
何だろう。
胸の奥に、隙間風が吹いている気がする。だけどーー、その中は何故か暖かくて……。
「あ、引越しの準備をしないといけないな」
和冬は思い出したように家路につく。
いつしか雪はーー止んでいた。雪が降った跡もなくーー、全ては溶けていた。
「やっと、受かったんだ」
和冬はいまだに続く合格の喜びを噛みしめる。
これからどんな出会いが待っているのか。
季節はこれからどんどん暖かくなっていくだろう。桜も咲くだろう。
「お花見とかーー、一緒にしたかったな。あれ、誰とだ?」
まだ肌寒いのに、浮かれ過ぎかもしれない。
和冬はポケットから手を出すと、大きく腕を振ってーー歩き出した。
前へ向かってーー。
◆
10年後、今度は和冬が結に図鑑世界へ導かれる。新しく出会った四人と一緒に。
そうして、三姉妹と再開を果たす。全てを思い出して、向こうで診療所を開くのはまだまだ先の話。
そこまでーー、彼は歩き続ける。
17/03/22 19:23更新 / ルピナス
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