連載小説
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三女、あるいは秋風のこと
和冬の前には不機嫌そうな顔をした少女が座っていた。

年は和冬よりも少し下くらい。それでもーーNほどではないが、和冬よりも背は高い。
少女の服装は至って普通。白いブラウスに、足の形がピッタリと浮き出るジーンズ。艶やかな黒髪を無造作に腰まで伸ばしている。四角い縁なし眼鏡をかけて、ツリ目がちの瞳で和冬をジロリと睨みつけてくる。可愛らしい顔立ちだが、少しきつめの印象を受ける。
下手なことを言えば、その鋭い牙で噛み付いてきそうだ。
ガブーッ、グリグリーッ、と。
実際出会い頭にやられたのだから、間違いない。

彼女はNさんとPちゃんの妹、三女Sちゃんだった。
いつもの喫茶店に現れた彼女は、和冬との出会い頭に口撃(カミツキ)を食らわせてきてから、テーブルを挟んだ向かい側の席に座った。

和冬は噛まれた腕をさすりながら、彼女にジト目を向ける。
腕には彼女の綺麗な歯型がクッキリと残っている。犬歯の部分が四つ、一際深く凹んでいる。
血が出なかったことが不思議だ。
彼女たちが牙を剥けてきた、と思ったのは記憶に新しいが、実際に牙を立てられるとは思ってもいなかった。

「姉(ねぇ)たちを懐柔したからって、あたしはそう簡単にはいかないわよ」
少女は和冬に向かって、敵意丸出しの声で言い放った。唸って威嚇でもして来そうだった。
「シューッ」
威嚇音!?
肉食獣の『グルルルル』ではなく、蛇のように唇を窄めて、『シューッ』と言ってきた。
だが、その顔と音では、正直……可愛い。

「フン、私に脅かされて怖くて何も言えないようね。ざまぁみろ、よ」
そんなことを言って睨んできていながら、しきりに目を合わせては来ない。目を合わせようとすると、目をそらしてくる。
嫌がられている、というよりは、目を合わせ続けている事に耐えられない、というような。

「どうして目を合わせないんだ?」
「私がどうしようが勝手でしょ。あんまりしつこいと、噛むわよ」
「いや、俺はまだ一回しか言っていないが……」
「ごちゃごちゃ言わないでッ。私はあんまり構われるのが好きじゃないの。今日だって、姉(ねぇ)たちが『来られない』って言うから来てあげただけなんだから」
「ありがとう」

「あ、あなたに礼を言われる筋合いはないわ」顔を真っ赤にする彼女。
「俺と一緒に居たくないのだったら、ここで解散してもいいが……」そう言って和冬が席から腰を浮かせると、
「行かないでっ!」手を掴まれた。彼女の瞳が潤んでいる。
「………じゃなくて、このままあなたを返してしまったら可哀想だから、嫌々ながら私が付き合ってあげる」
「嫌々なら無理する事ないぞ」
「………やだ。あたしも一緒に遊びたい」
(………なんだこの生き物)和冬は内心でホッコリした。

姉たちは、彼女たち自身が風だった。
春のように暖かく、夏のように陽気なーー風。この子も風。
だが、まるで……訪れる冬の寒さに抵抗する秋風のような、震えながらも歯向かってくるような……。Pちゃんは守ってあげたくなる感じだったが、この子は構って(弄って?)あげたくなるような子だった。

見た目はツリ目でキツそうだが、そんなことをーー、そんな欲求を、和冬は感じた。
和冬は思わず反対の手で、彼女の頭をクシャリと撫でた。自然と手を伸ばしてしまった。
彼女は「んぅ…」気持ちよさそうに目を細めてーー、ハッと気がつくと、掴んでいた和冬の手に噛み付いてきた。
「痛ってぇぇぇ!」
「お客様、お静かに」
「す、すいません」

和冬は彼女に噛み付かれたまま、喫茶店の外に出る。
彼女はスッポンのように噛み付いたまま、その牙を放しはしなかった。
嬉しそうにその目を細めつつ。



初夏も過ぎて、街は茹だるような暑さだった。

風は熱風。
アスファルトの道路からは陽炎が立ち、揺らめく向こうに地獄があるような、そんな暑さだった。
ミンミンゼミがそれぞれの街路木にとまって、一本のボックスごとにライブをしている。普段なら耳障りでしかないそれも、今ならば心躍るロックンロールに聞こえる。

「さぁ、私をエスコートしなさい」
「へいへい」
和冬の手は、Sちゃんの口ではなくーーその手に握られていた。

和冬が彼女の方を向けば、「何よ」と不機嫌そうに睨まれるが、横目で見れば鼻唄でも聞こえてきそうなほどにご機嫌な様子だ。握った手だって、軽く振っているのは彼女の方だ。それを実際に指摘すれば、真っ赤になって否定する事は目に見えている。

さて、どこに行こうかーー。
和冬が相手をどこに連れて行こうか考えるのは、これが初めてだったりする。NさんとPちゃんと遊ぶときは、飲食店や公園、と彼女たちの行きたいところに連れていかれていた。
今回は違う。Sちゃんはエスコートして見せろと言っていた。

彼女の姉たちのおかげでーーこんな風に、遊ぶ時には素直に遊べるくらいの、余裕を和冬は持てるようになっていた。
成績の方も順調に上がっている。
今日は感謝の気持ちを込めて、Sちゃんを楽しませてみせようと思った。

しかし、……残念ながら、和冬にいい案は浮かばない。
ギャルゲーならば、ここで有効な選択肢が浮かんでくれるところだがーー。
和冬の前に浮かんだのは、

1、『歩く』
2、『歩く』
3、『歩く』
4、『帰、……らずに步く』

という選択肢だった。



そんな二人の様子を見守る二匹の影。
Sちゃんの姉であるNとPだ。
「さぁ、和くんは何処に行くのかしら?」
「Sちゃん、和くんと遊べて羨ましいでちー」

彼女たちが立っているのはビルの屋上。
彼女たちはいつもの服装でーー、涼しい顔には汗一つかいていなかった。
陽炎の向こう側からやって来たような姿。
彼女達は楽しそうな顔を浮かべて、自分たちの妹と和冬を見守っている。

「あ、動くでち! ……和くん、Sちゃんにクレープ買ってあげてるでち。おしそうでちー」
「本当にね」
「お姉ちゃん、ヨダレ垂れてるでち! よだれ」
「おっと、いけない。私としたことが……」
Nは慌ててハンカチでヨダレを拭う。それも優雅な仕草だ。

「でも、あの和くんが何とかSちゃんをエスコートしようとしているなんて、私の胸に顔を埋めているだけだった頃から成長したわね。てっきり、彼には『歩く』という選択肢しか無かったと思ったのだけど……」
「うー、お姉ちゃん、流石にそれは言い過ぎでち。それと……和くんにそんなことして貰って羨ましいでちー。あたちも今度してもらうでちー」
和冬はNの胸に顔を埋めていたことなどない。
押し付けられていただけであり、全く……でもない濡れ衣であった。

「あなたはいいでしょう? いつも頭を撫でて貰っているのだから」
「そーなんでちかー?」
「アラ、いつも寝ている時だから気づいていなかったの?」
「知らなかったでちー。今度は起きている時にしてもらうように、よーきゅーするでちよー」
迫られて困る和冬の様子を想像して、Nは柔和な笑みを浮かべる。
夏の暑さがほぐされるような、柔らかな微笑み。
Pの元気な様子は、夏の暑さを吹き飛ばしてしまうようなもの。

Nはーー思う。この楽しい時がいつまでも続けばいい。
しかし、変わらないものなどない。そして、知っている。
機会が『合』わなければ、楽しいということは、時として足枷にもなるのだと。

真っ青な夏空を、Nは見上げる。
遥か高くーー別の世界に続いていそうな深い青空。
自分たちをここに運び、そしてーー向こうへと連れて行く青空。
真っ青でーー残酷な、蒼の景色。

それでも、と彼女は思う。
今はこの時を噛みしめよう。永い時の、一瞬に過ぎなくとも。
確かに、今ここに……、今ここにしかないものなのだからーー。



和冬はオープンカフェテラスで、人心地をついていた。
Sちゃんはトイレに行っている。

エスコートって、こんなに疲れるんだな。体力的に、ではなく精神的に……。
最初は『歩く』という選択肢しか浮かんでこなかった彼ではあるが、手当たり次第に試してみることにした。
これはSちゃん好きだろうか。これはSちゃん嫌じゃないだろうか。なんてことを考えて、頭をひねって、嬉しがってもらえたら舞い上がって、コッチが嬉しくなって……。
腹をくくった事が良かったのだと思う。
それで、自分の状況に気づいてーー、気恥ずかしくなって。

心地の良い疲れもあるんだな、と思いつつ、和冬は紅茶を啜る。
アップルティーは爽やかな香りがした。
「お待たせ」
「待ちくたびれた。大きい方だった?」
「違うわよ! 小さい方……って何言わせるのよ!」
ガブリ。Sちゃんは、ワザワザ和冬の指を引き寄せて噛み付いてきた。
吸うような甘噛み。彼女に噛み付かれることにも慣れてきた。

ーーと。
ポツリ。雨が降り出した。
雨音はアスファルトの鍵盤を叩くように、情熱的になっていく。
温暖化の影響で、この時期、この地方の午後にはーースコールが降る。
ザァザァと、雨で地面が波打っているようだ。屋根があると言っても、さすがにこの風の勢いでは飛沫を浴びざるを得ない。
Sちゃんはその光景を、眼鏡の奥の可愛らしい瞳で見つめていた。少し、震えているようにも見えた。

「どうしたんだ?」
和冬の問いかけに、Sちゃんは答えない。
スコールはいや増して、嵐と言っても良かった。
「一度、中に入ろうか?」
いくら酷くても、夕立だ。時間が経てば止む。
和冬は立ち上がって、Sちゃんの手を引こうとするとーー。

「きゃああああ!」
空が裂けた。凄まじい音が轟いた。ーー雷だ。
悲鳴をあげたSちゃんが和冬に抱きついてきた。
細くとも、ちゃんと主張してくる彼女の胸が押し付けられる。
和冬は一瞬身をすくめたが、彼女の様子を見て、優しく抱きしめてあげた。

「雷、苦手なのか?」
コクリ、とSちゃんは頷いた。先ほどまでの様子とは全然違う。
だから、スコールが降り始めた時、不安そうにしていたのか。
和冬は彼女を落ち着かせようと、背中を撫でる。

「大丈夫だって、…………俺もここにいるし」
自分でも歯の浮くような台詞だとは思って、和冬は気恥ずかしくなる。
Sちゃんは腕の中で震えていた。和冬は彼女の柔らかさを感じつつ思う。
俺も随分こんなことに慣れてきたものだ。三人の女の子とこんな関係になるなんて。
こんなこと、思ってもいなかった。しかも、姉妹だとは……。昼ドラなら血を見てもおかしくはない。

しかし、彼女たちは和冬を取り合って喧嘩をすることもなく、仲良く彼を共有していた。
Sちゃんと会うのは今回が初めてだが、彼女も姉二人に負けず劣らず、魅力的な存在だった。

やっぱり、俺はこの子たちの全員が好きだ。
和冬は彼女たちから一人を選ぶのではなく、全員を選びたいと思い始めていた。
それが許される事か、彼女たちが許してくれるのかはわからない。

だけどーー。俺はそう決めた。大学に受かったら、その気持ちを素直に伝えよう。
和冬は先のことを、自分の『意志』で決めていた。

雨が止んだ。
日は長い。空はまだ青い。
「これからどうしようかな?」和冬の呟きに答える者がいた。
「今から私たちも参加させてもらうわ」
「あたちもいるでちー!」
「姉(ねぇ)たち! 今日は私の番だ、って言ってたでしょ!」
NとPが現れた。

「あんなに楽しそうな様子を見せつけられたら、我慢できるわけないじゃない」
それにーー、と微笑んでいたNが声を潜めた。
「Sちゃん、あなたさっきの雷でーー少し、漏らしたでしょ」
「ななななな! 何を言っているの⁉ N姉(ねぇ)。そ、そそそそ、そんな訳ないじゃない!」
Sちゃんが顔を真っ赤にさせている。

「Sちゃんのために、替えのパンツとズボンを持ってきたんでち。いらないでち?」
「P姉(ねぇ)! そんなことを大きな声で言わないで! わかった。わかったから、ありがとう。それ受け取るから! もう和くんの前で言わないでッ!」
Sちゃんは泣き出しそうな顔でーー(すでに目尻には涙が滲んでいた)、ーー和冬の顔を見る。
和冬は「ん、何か言ったか?」と聞かなかったことにしてあげた。

「…………あ、ありがとう」
小さく呟いたSちゃんは、Pちゃんから紙袋を受け取ると、急いでトイレに駆け込んで行った。
Pちゃんはキョトンとして、Nさんはクスクスと笑っていた。

こう言うのはなんと言うのだろうか? まるで。
「家族みたい?」
「ああ、……いや! いやいや違う!」
慌てて和冬は否定するが、
「わーい、和くんと家族でちー!」というPちゃんの声を聞くと、(良い)とは思った。
だから、それ以上の弁明はしないことにした。
Nはそんな和冬の様子を、微笑ましい顔をして見ていた。その瞳には少しだけーー寂しさが滲んでいた。

その後、和冬は四人で遊んだ。
日が暮れて、
「今日は楽しかったわ。ありがとう、和くん」
「あたちも楽しかったでちー!」
「私も、楽しくないこともなかったわ」
「俺も楽しかったよ。ーーじゃあ、また」
「ええ」「またでちー」「うん、また」
別れて、それぞれの道を歩いた。



その夜、和冬は夢を見た。
日本のように見える、日本ではない場所。
そこには人間のような姿で、それでも確実に人間ではない特徴を持った種族が暮らしていた。
誰かが、嘆いていた。
「どうして治せないの⁈」

そこには三人の女性がいた。Nと、Pと、Sに、似ていた。
しかし、彼女たちには余分なものが付いていた。
頭の上に獣の耳。お尻に細長い尻尾。
それはーー彼女たちのLINEの写真で見たーー鼬のものだった。

Nに似た女性が、誰かを力づくで押さえつけていた。
Sに似た女性が、誰かを切って、デキモノを取ろうとしていた。
Pに似た女性が、最後に、薬を塗りつけていた。
彼女たちはその世界で、医者をしているようだった。

まだその卵にもなっていない和冬にも、彼女たちの方法があまりに原始的なものであることは分かった。しかし、彼女たちは一生懸命で、必死でーー。
力になりたい、と和冬は思った。
俺が医者になれたらーー。

目が覚めた。
何か夢を見ていたようだが、和冬には思い出せなかった。
しかし、何故か、心がーー震えていた。

和冬はその後も三姉妹と度々会った。
Nに甘やかされて、甘えて、彼女の食欲に呆れて。
Pと遊んで、笑って、振り回されてクタクタになって。
Sに噛まれて、睨まれて、放っておくと拗ねられて、からかうと面白くて。
三姉妹と一緒に過ごす日々はーー、彼にとって、紛れも無く蜜月だった。

彼女たちと出会ってから、順調に勉強を続けた和冬はーー。
春、大学に合格した。
17/03/22 19:22更新 / ルピナス
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