第2話 Kinky Kitty Catie 野良猫のダンス Aパート
穏やかな春の日差しが差し込む、朝7:30AM。
どこからか漂ってくるコーヒーの香りで、クリスは目を覚ました。
ベッドの中で寝返りを打つと、隣には1人分の隙間。いつも早めに起きることを心がけているクリスだったが、今日は彼女の方が早起きだったらしい。
キッチンから聞こえてくるのは、コーヒーの湯沸かし器の音と朝のニュース番組、それと彼女のご機嫌な鼻歌。最近ハマっている女性歌手の曲だった。
もうベッドから起き上がってもよかったが、クリスはあえて毛布をかぶり直し、枕に顔を埋める。こうしていれば、そのうち彼女が起こしに来てくれるのを知っているからだ。
目を閉じて待つこと数分。やがて、キッチンから寝室へと向かってくる足音が聞こえてきた。小気味良いそのリズムは、こんないつも通りの朝にこの上ない幸せを感じさせてくれる。足音は、寝たふりをするクリスの真後ろで止まった。
「…朝ごはんだよ〜?」
そっと耳に口を近づけて囁く恋人の声に、クリスは寝返りで応えた。仰向けになり、鮮やかなストロベリーブロンドと猫の耳を持った彼女、ケイティの顔を見つめ返す。
「なんだ、起きてたの?」
「おはよう、ケイティ。お目覚めのキスは?」
「も〜、昨夜も散々シたでしょ?」
そう言いながらもケイティはベッドに腰を下ろし、顔を近づけてクリスの唇と軽いキスを交わした。
クリスはベッドから起き上がると、真っ先に寝室の隣の書斎に向かう。いくつものモニターが取り付けられたパソコンを起動させると、ニュースサイトで今朝の株価動向をチェックする。個人投資で生計を立てていくと決めて以来、これがクリスの日課だった。チャートを見る限り、株式市場にはさしたる混乱もなく、特に急ぎの対応を取る必要もなさそうだった。念のため為替相場もチェックした後、画面のスイッチを切る。
『…昨晩から降り続いていた雨は今朝6時頃に上がり、現在のエンパイア・シティは晴れ、気温も71°Fと、春らしい穏やかな陽気となりました。今日はこの後も天気は晴れ、気持ちの良い一日となるでしょう。続いて、週間予報です…』
顔を洗ってダイニングへ向かうと、ロングスカートに薄手のジャケットという姿のケイティが、淹れたてのコーヒーをカップに注ぐところだった。スカートの端から覗く尻尾が左右にユラユラと揺れる。リビングに置かれたTVからは気象予報士の甘い声が流れ続けていた。
クリスはケイティの背後に歩み寄り、その肩に手を置きながら声をかける。
「今日は朝出勤か。シオンたちとは会うのかい?」
「んー、わかんない。特に約束はしてないけど、向こうから誘われるかもしれないし…あ、それもう持っていってくれる?」
「わかった。…最近頻繁に会ってるみたいだけど、ずいぶん仲がいいんだな」
皿に盛られた2人分のハムエッグをテーブルに並べていくクリス。自分の椅子に座りながら、棚から取り出したパンをトースターにセットする。
「前に会ってたのはいつだったっけ?」
「きの…あ、えーっと…3日前かな」
「ああ、イーストサイドパークの時か」
ミルクを注ぎ終わったコーヒーカップをテーブルに置き、ケイティはクリスの向かいの席に着いた。
『…州道94号線は、現在工事のためチェスナット・ヒル方面が4マイルの渋滞。また、ジェファソン・ブリッジでの昨晩の事故の影響で、現在全車線が通行止めとなっています…』
クリスにとって株価情報ほどの意味を持たない気象情報も交通情報も、心地よいBGMとして耳を通り抜けていく。
コーヒーをスプーンでかき混ぜながら、クリスはチラリと向かいに座るケイティを見やった。料理もさることながら、カフェで働くケイティが淹れるコーヒーの味は絶品だった。コーヒーはブラックでしか飲まなかったクリスが、カフェラテなど甘めのものを好んで飲むようになったのはケイティと付き合い始めてからである。
先にハムエッグを食べ始めたケイティの顔を、クリスはじっくりと眺める。接客業に従事しているだけあって、ケイティはメイクが上手かった。元々整った目鼻立ちが、チャームポイントのグリーンの瞳を際立たせるメイクでより一層可愛らしく見える。彼女が気にしている顔の小さなそばかす(クリスはそこも気に入っていたが)も、ファンデーションで完璧に隠されていた。クリスは一度だけ、カフェで働く彼女の姿をこっそり覗きに行ったことがある。エレガントな制服に身を包み、誰に対しても愛想よく接客するケイティは、間違いなく職場で一番輝く人気者だった。そんな彼女が自分の恋人であるという事実に、クリスは胸が熱くなるのを感じたものだった。
「…なあに、そんなにジロジロ見て」
「いや、ちょっとね…」
クリスは頬杖をつき、抑えきれない喜びを顔に浮かべた。
「幸せだな、と思って」
その時、テーブルの端に置いていたクリスの携帯が着信音を鳴らした。クリスが反応するよりも早く、ケイティが手を伸ばして携帯を取る。往々にしてこのように本人より早く他人の携帯を見てしまうことが、彼女の少し困った癖だった。
「…誰からだい?」
機嫌の良かったクリスは、それでも文句を言わずに問いかける。しかしケイティは、それには答えずにじっと画面を見つめ続けていた。
『…続いて社会ニュースです。エンパイア・シティではここ数か月、少女の補導件数が増加しています。先月の統計によれば、13~18歳の人間の少女で25件、魔物の少女で39件と、計12%の増加を示しています。保護者が失踪届けを提出しているケースもあり、これらの少女が犯罪に巻き込まれる恐れがあるとして、ECPDは警戒を…』
「なあ、誰から…」
「『お友達』からみたいよ。あなたの」
「お友達」の部分をやけに強調しながら、ケイティが言った。感情の読めない表情を顔に張り付けたまま、携帯の画面をクリスに見せる。
そこには、クリスと肩を組んで楽しそうに笑う、若い女性が写った写真が表示されていた。
《ハーイ、クリス!昨夜はホントに楽しかったよ!また一緒に飲みましょうね。もちろんみんな誘って!》
「……誰、これ?」
そう問いかける彼女の、その表情はあくまで「無」であった。
「……で、それから家を出るまで一言も口を利いてくれなかった、と」
「そおおおおなんだよお!!何回電話しても全然出てくれないし!」
「それで、なんで私がわざわざ昼休みにその愚痴を聞かされてるのかしら…」
シオンは額に手を当て、心の底から深いため息をついた。
クリスからのメッセージで呼び出されたシオンは、彼女の仕事場に近いカフェで落ち合っていた。しかめっ面で睨みつけてくるシオンに、クリスは拝むような目で懇願していた。
「頼むよ…!共通の知り合いが他にいないんだ。女同士だし、こういう時の対処法とか…」
「知らないわよ。いい加減自分で何とかしたら?」
「そこをなんとか…」
実はクリスがこうしてシオンに泣きつくのは、これが初めてではなかった。シオンの方が1つ年上だからか、以前にもケイティの機嫌を損ねたと言ってクリスに頼ってこられたことがあったが、彼女からすれば貴重な昼休みに他人の痴話喧嘩の調停をさせられるなど堪ったものではなかった。
「あなたみたいにヒマじゃないの。こっちは毎日仕事があるんだから」
「ヒマとは失礼な。デイトレーダーだって立派な仕事だぞ?」
毎日家のパソコンの前で株価チャートを眺めることの何が立派な仕事だとシオンは思ったが、何も言わないでおいた。その代わりにもう一度大きなため息をつくと、シオンは諦めて話の続きを聞くことにした。
「それで?本当にただの友達だったのね?」
「もちろん!大学時代の同期で、昨日はバーで久々に集まって飲んでただけさ」
問題の写真は、その同期たちの1人がSNSにアップしていたセルフィーの1枚だったらしい。クリスと一緒に写っていた女性が、個人的に写真付きのメッセージを送ってきたのだった。他に上げられていた写真を見ると、確かにクリスと例の女性の他に、男女入り混じって酒を飲む4,5人の姿が確認できた。
「ん…まあとりあえず、この写真はちょっと良くないかしらね。いくらお酒が入ってたとは言っても、彼女としてこれが気に入らない気持ちは私もちょっとわかる」
「ハイ…気をつけます…」
「飲みに行くことは伝えてあったの?」
「ああ。ショートメールで言ってあった。…でも、ケイティも昨夜は帰りが遅かったから、見てなかった可能性はあるな…」
それに関しては、シオンにも一部責任があった。昨夜もダウンタウンで事件が発生し、2人を呼び出して戦いに向かっていたからだ。しかしシオンはそのことには触れなかった――夜な夜な街に出て3人で戦っていることは、ケイティがクリスにひた隠しにしている、絶対の秘密だった。
「じゃあ、今回は不幸な行き違いがあったってことで、ケイティにそう説明するしかないんじゃない?納得してくれるかはわからないけど。…あと、今後セルフィーには気をつけること」
「そうだなあ……今夜話ができるかどうか…こうなると長いからなぁ…」
クリスは頭を抱えてぼやいた。
「だいたい何が地雷になるか読めないんだよ!前に女友達と飲んだ時は何も言われなかったのに」
「……あの娘けっこう気まぐれな所あるから…」
さすがネコの魔物と言うべきか、ケイティの気まぐれさが筋金入りだということは、シオンも重々承知だった。機嫌の良い時と悪い時の落差が激しく、その変化のきっかけは彼女にも予想困難だった。(でもそういえばあの娘そろそろアノ日だったかしら)とシオンはふと思った。
シオンは手をつけていなかったソイラテ(もちろんクリスにおごらせた)を一口すすると、それをテーブルに置いて呟くように言った。
「私個人の考えだけど……恋人が自分の知らない誰かと一緒に時間を過ごすっていうのは、たぶん、本音を言えば全部イヤなのよ。相手が友達だろうと何だろうとね」
シオンは窓の外を見つめていた。
「問題はそのイヤな気持ちを我慢できるかどうかで…もちろんお互い大人だし普段は何も言わないんでしょうけど、今回はたまたまそれが我慢できない気分だったんじゃない?……別にあの娘の肩を持つつもりはないけど。女としてのコメントを言わせてもらえば、そんなところ」
「……確かになあ」
クリスは考え込むような、しかしいくらか納得したような面持ちでシオンの話を聞いていた。
「俺にもその気持ちは少しわかる気がする。……うん、よし、わかった。とにかく今日帰ってきたらもう一回ちゃんと謝って、時間がかかっても根気よく俺の気持ちを伝えるよ。ありがとう、シオン!」
「貸し1つね」
澄ました顔でシオンは答えた。それにしても、とクリスが呟く。
「ケイティの妬きもちには苦労させられるよ、ホント。まあ、そこがまた可愛いというか見てて飽きないというか…」
「今クリスと一緒にいるって彼女にメールしてやろうかしら」
「やめてそれだけは!」
* * *
8:40PM、ミッドタウン南東の繁華街。
バーやナイトクラブが点在するエリアを見下ろすビルの屋上に、夜の闇を身に纏ったかのような衣装を風になびかせ、3人の女が立っていた。
「ごめんなさいね。今日も呼び出しちゃって」
「ぜんぜん大丈夫だよ〜」
「またCERISに通報ですか?」
「いえ、ちょっと気になることがあってね…」
シオンは横目で隣に立つケイティの顔を伺う。脚を曲げ伸ばしして身体をほぐしている彼女はいたって普段通りの様子で、今朝の出来事などまるで無かったかのように振る舞っていた。聞いていた話との落差に少し拍子抜けするシオン。
「この間同僚から聞いた話によると、この辺りに獣人系の魔物専門の、違法売春宿があるらしいの。それもかなりヤバい店で、十代の女の子を中心に囲ってるって話」
「うわ何ソレ。獣人系(セリアン)の?しかも十代?なんでまたそんな…」
「さあ。そういうマニア向けなのか単にオーナーの趣味なのか…」
「サイアク。話聞いてるだけでムカムカしてきた」
「でも、売春自体違法ですよね?そんなお店、どうやって営業を?」
シェリルの疑問に、シオンは眼下の繁華街を顎で指した。
「表向きはナイトクラブを装ってるらしいわ。客はネットを通じて取るみたい。で、そのクラブ兼売春斡旋所があるのが、この通り」
「この辺りでクラブっていうと……あぁ、あれ?」
ケイティが指さしたのは、『Black Bear』と金色の文字で看板に書かれた黒い外装の店だった。シオンが頷く。
「おそらくね。ただ、女の子たちがここにいるとも限らないから、まずは責任者に接触して内情を聞き出さないと……シェリル?申し訳ないけど客の男に変装して調べて…」
「あたしが行く!」
ケイティの言葉に2人は思わずその顔を見た。ケイティはいかにも楽しそうな様子で勢いよく手を挙げていた。
「だってクラブだよ?シェリル入ったことないでしょ」
「う、それは……はい…」
「ここは私が行った方がいいって。クラブなら慣れてるし、要するに仕切ってるヤツを捕まえて色々聞き出せばいいんでしょ?」
「まあそうだけど…今回はあまり騒ぎを起こすわけには…」
「だ〜いじょうぶ!」
そう言うとケイティは突然ボディスーツの前を開け、胸の谷間を見せつけてウインクした。
「コレで何でも喋らせちゃう♥」
(あ、憂さ晴らしだこれ…)
シオンは引き止めるのを諦めた。
「……何かあったんですか?今日のケイティ…」
「ちょっと今朝色々とね。チヤホヤされたいんだと思うわ…」
どこからか漂ってくるコーヒーの香りで、クリスは目を覚ました。
ベッドの中で寝返りを打つと、隣には1人分の隙間。いつも早めに起きることを心がけているクリスだったが、今日は彼女の方が早起きだったらしい。
キッチンから聞こえてくるのは、コーヒーの湯沸かし器の音と朝のニュース番組、それと彼女のご機嫌な鼻歌。最近ハマっている女性歌手の曲だった。
もうベッドから起き上がってもよかったが、クリスはあえて毛布をかぶり直し、枕に顔を埋める。こうしていれば、そのうち彼女が起こしに来てくれるのを知っているからだ。
目を閉じて待つこと数分。やがて、キッチンから寝室へと向かってくる足音が聞こえてきた。小気味良いそのリズムは、こんないつも通りの朝にこの上ない幸せを感じさせてくれる。足音は、寝たふりをするクリスの真後ろで止まった。
「…朝ごはんだよ〜?」
そっと耳に口を近づけて囁く恋人の声に、クリスは寝返りで応えた。仰向けになり、鮮やかなストロベリーブロンドと猫の耳を持った彼女、ケイティの顔を見つめ返す。
「なんだ、起きてたの?」
「おはよう、ケイティ。お目覚めのキスは?」
「も〜、昨夜も散々シたでしょ?」
そう言いながらもケイティはベッドに腰を下ろし、顔を近づけてクリスの唇と軽いキスを交わした。
クリスはベッドから起き上がると、真っ先に寝室の隣の書斎に向かう。いくつものモニターが取り付けられたパソコンを起動させると、ニュースサイトで今朝の株価動向をチェックする。個人投資で生計を立てていくと決めて以来、これがクリスの日課だった。チャートを見る限り、株式市場にはさしたる混乱もなく、特に急ぎの対応を取る必要もなさそうだった。念のため為替相場もチェックした後、画面のスイッチを切る。
『…昨晩から降り続いていた雨は今朝6時頃に上がり、現在のエンパイア・シティは晴れ、気温も71°Fと、春らしい穏やかな陽気となりました。今日はこの後も天気は晴れ、気持ちの良い一日となるでしょう。続いて、週間予報です…』
顔を洗ってダイニングへ向かうと、ロングスカートに薄手のジャケットという姿のケイティが、淹れたてのコーヒーをカップに注ぐところだった。スカートの端から覗く尻尾が左右にユラユラと揺れる。リビングに置かれたTVからは気象予報士の甘い声が流れ続けていた。
クリスはケイティの背後に歩み寄り、その肩に手を置きながら声をかける。
「今日は朝出勤か。シオンたちとは会うのかい?」
「んー、わかんない。特に約束はしてないけど、向こうから誘われるかもしれないし…あ、それもう持っていってくれる?」
「わかった。…最近頻繁に会ってるみたいだけど、ずいぶん仲がいいんだな」
皿に盛られた2人分のハムエッグをテーブルに並べていくクリス。自分の椅子に座りながら、棚から取り出したパンをトースターにセットする。
「前に会ってたのはいつだったっけ?」
「きの…あ、えーっと…3日前かな」
「ああ、イーストサイドパークの時か」
ミルクを注ぎ終わったコーヒーカップをテーブルに置き、ケイティはクリスの向かいの席に着いた。
『…州道94号線は、現在工事のためチェスナット・ヒル方面が4マイルの渋滞。また、ジェファソン・ブリッジでの昨晩の事故の影響で、現在全車線が通行止めとなっています…』
クリスにとって株価情報ほどの意味を持たない気象情報も交通情報も、心地よいBGMとして耳を通り抜けていく。
コーヒーをスプーンでかき混ぜながら、クリスはチラリと向かいに座るケイティを見やった。料理もさることながら、カフェで働くケイティが淹れるコーヒーの味は絶品だった。コーヒーはブラックでしか飲まなかったクリスが、カフェラテなど甘めのものを好んで飲むようになったのはケイティと付き合い始めてからである。
先にハムエッグを食べ始めたケイティの顔を、クリスはじっくりと眺める。接客業に従事しているだけあって、ケイティはメイクが上手かった。元々整った目鼻立ちが、チャームポイントのグリーンの瞳を際立たせるメイクでより一層可愛らしく見える。彼女が気にしている顔の小さなそばかす(クリスはそこも気に入っていたが)も、ファンデーションで完璧に隠されていた。クリスは一度だけ、カフェで働く彼女の姿をこっそり覗きに行ったことがある。エレガントな制服に身を包み、誰に対しても愛想よく接客するケイティは、間違いなく職場で一番輝く人気者だった。そんな彼女が自分の恋人であるという事実に、クリスは胸が熱くなるのを感じたものだった。
「…なあに、そんなにジロジロ見て」
「いや、ちょっとね…」
クリスは頬杖をつき、抑えきれない喜びを顔に浮かべた。
「幸せだな、と思って」
その時、テーブルの端に置いていたクリスの携帯が着信音を鳴らした。クリスが反応するよりも早く、ケイティが手を伸ばして携帯を取る。往々にしてこのように本人より早く他人の携帯を見てしまうことが、彼女の少し困った癖だった。
「…誰からだい?」
機嫌の良かったクリスは、それでも文句を言わずに問いかける。しかしケイティは、それには答えずにじっと画面を見つめ続けていた。
『…続いて社会ニュースです。エンパイア・シティではここ数か月、少女の補導件数が増加しています。先月の統計によれば、13~18歳の人間の少女で25件、魔物の少女で39件と、計12%の増加を示しています。保護者が失踪届けを提出しているケースもあり、これらの少女が犯罪に巻き込まれる恐れがあるとして、ECPDは警戒を…』
「なあ、誰から…」
「『お友達』からみたいよ。あなたの」
「お友達」の部分をやけに強調しながら、ケイティが言った。感情の読めない表情を顔に張り付けたまま、携帯の画面をクリスに見せる。
そこには、クリスと肩を組んで楽しそうに笑う、若い女性が写った写真が表示されていた。
《ハーイ、クリス!昨夜はホントに楽しかったよ!また一緒に飲みましょうね。もちろんみんな誘って!》
「……誰、これ?」
そう問いかける彼女の、その表情はあくまで「無」であった。
「……で、それから家を出るまで一言も口を利いてくれなかった、と」
「そおおおおなんだよお!!何回電話しても全然出てくれないし!」
「それで、なんで私がわざわざ昼休みにその愚痴を聞かされてるのかしら…」
シオンは額に手を当て、心の底から深いため息をついた。
クリスからのメッセージで呼び出されたシオンは、彼女の仕事場に近いカフェで落ち合っていた。しかめっ面で睨みつけてくるシオンに、クリスは拝むような目で懇願していた。
「頼むよ…!共通の知り合いが他にいないんだ。女同士だし、こういう時の対処法とか…」
「知らないわよ。いい加減自分で何とかしたら?」
「そこをなんとか…」
実はクリスがこうしてシオンに泣きつくのは、これが初めてではなかった。シオンの方が1つ年上だからか、以前にもケイティの機嫌を損ねたと言ってクリスに頼ってこられたことがあったが、彼女からすれば貴重な昼休みに他人の痴話喧嘩の調停をさせられるなど堪ったものではなかった。
「あなたみたいにヒマじゃないの。こっちは毎日仕事があるんだから」
「ヒマとは失礼な。デイトレーダーだって立派な仕事だぞ?」
毎日家のパソコンの前で株価チャートを眺めることの何が立派な仕事だとシオンは思ったが、何も言わないでおいた。その代わりにもう一度大きなため息をつくと、シオンは諦めて話の続きを聞くことにした。
「それで?本当にただの友達だったのね?」
「もちろん!大学時代の同期で、昨日はバーで久々に集まって飲んでただけさ」
問題の写真は、その同期たちの1人がSNSにアップしていたセルフィーの1枚だったらしい。クリスと一緒に写っていた女性が、個人的に写真付きのメッセージを送ってきたのだった。他に上げられていた写真を見ると、確かにクリスと例の女性の他に、男女入り混じって酒を飲む4,5人の姿が確認できた。
「ん…まあとりあえず、この写真はちょっと良くないかしらね。いくらお酒が入ってたとは言っても、彼女としてこれが気に入らない気持ちは私もちょっとわかる」
「ハイ…気をつけます…」
「飲みに行くことは伝えてあったの?」
「ああ。ショートメールで言ってあった。…でも、ケイティも昨夜は帰りが遅かったから、見てなかった可能性はあるな…」
それに関しては、シオンにも一部責任があった。昨夜もダウンタウンで事件が発生し、2人を呼び出して戦いに向かっていたからだ。しかしシオンはそのことには触れなかった――夜な夜な街に出て3人で戦っていることは、ケイティがクリスにひた隠しにしている、絶対の秘密だった。
「じゃあ、今回は不幸な行き違いがあったってことで、ケイティにそう説明するしかないんじゃない?納得してくれるかはわからないけど。…あと、今後セルフィーには気をつけること」
「そうだなあ……今夜話ができるかどうか…こうなると長いからなぁ…」
クリスは頭を抱えてぼやいた。
「だいたい何が地雷になるか読めないんだよ!前に女友達と飲んだ時は何も言われなかったのに」
「……あの娘けっこう気まぐれな所あるから…」
さすがネコの魔物と言うべきか、ケイティの気まぐれさが筋金入りだということは、シオンも重々承知だった。機嫌の良い時と悪い時の落差が激しく、その変化のきっかけは彼女にも予想困難だった。(でもそういえばあの娘そろそろアノ日だったかしら)とシオンはふと思った。
シオンは手をつけていなかったソイラテ(もちろんクリスにおごらせた)を一口すすると、それをテーブルに置いて呟くように言った。
「私個人の考えだけど……恋人が自分の知らない誰かと一緒に時間を過ごすっていうのは、たぶん、本音を言えば全部イヤなのよ。相手が友達だろうと何だろうとね」
シオンは窓の外を見つめていた。
「問題はそのイヤな気持ちを我慢できるかどうかで…もちろんお互い大人だし普段は何も言わないんでしょうけど、今回はたまたまそれが我慢できない気分だったんじゃない?……別にあの娘の肩を持つつもりはないけど。女としてのコメントを言わせてもらえば、そんなところ」
「……確かになあ」
クリスは考え込むような、しかしいくらか納得したような面持ちでシオンの話を聞いていた。
「俺にもその気持ちは少しわかる気がする。……うん、よし、わかった。とにかく今日帰ってきたらもう一回ちゃんと謝って、時間がかかっても根気よく俺の気持ちを伝えるよ。ありがとう、シオン!」
「貸し1つね」
澄ました顔でシオンは答えた。それにしても、とクリスが呟く。
「ケイティの妬きもちには苦労させられるよ、ホント。まあ、そこがまた可愛いというか見てて飽きないというか…」
「今クリスと一緒にいるって彼女にメールしてやろうかしら」
「やめてそれだけは!」
* * *
8:40PM、ミッドタウン南東の繁華街。
バーやナイトクラブが点在するエリアを見下ろすビルの屋上に、夜の闇を身に纏ったかのような衣装を風になびかせ、3人の女が立っていた。
「ごめんなさいね。今日も呼び出しちゃって」
「ぜんぜん大丈夫だよ〜」
「またCERISに通報ですか?」
「いえ、ちょっと気になることがあってね…」
シオンは横目で隣に立つケイティの顔を伺う。脚を曲げ伸ばしして身体をほぐしている彼女はいたって普段通りの様子で、今朝の出来事などまるで無かったかのように振る舞っていた。聞いていた話との落差に少し拍子抜けするシオン。
「この間同僚から聞いた話によると、この辺りに獣人系の魔物専門の、違法売春宿があるらしいの。それもかなりヤバい店で、十代の女の子を中心に囲ってるって話」
「うわ何ソレ。獣人系(セリアン)の?しかも十代?なんでまたそんな…」
「さあ。そういうマニア向けなのか単にオーナーの趣味なのか…」
「サイアク。話聞いてるだけでムカムカしてきた」
「でも、売春自体違法ですよね?そんなお店、どうやって営業を?」
シェリルの疑問に、シオンは眼下の繁華街を顎で指した。
「表向きはナイトクラブを装ってるらしいわ。客はネットを通じて取るみたい。で、そのクラブ兼売春斡旋所があるのが、この通り」
「この辺りでクラブっていうと……あぁ、あれ?」
ケイティが指さしたのは、『Black Bear』と金色の文字で看板に書かれた黒い外装の店だった。シオンが頷く。
「おそらくね。ただ、女の子たちがここにいるとも限らないから、まずは責任者に接触して内情を聞き出さないと……シェリル?申し訳ないけど客の男に変装して調べて…」
「あたしが行く!」
ケイティの言葉に2人は思わずその顔を見た。ケイティはいかにも楽しそうな様子で勢いよく手を挙げていた。
「だってクラブだよ?シェリル入ったことないでしょ」
「う、それは……はい…」
「ここは私が行った方がいいって。クラブなら慣れてるし、要するに仕切ってるヤツを捕まえて色々聞き出せばいいんでしょ?」
「まあそうだけど…今回はあまり騒ぎを起こすわけには…」
「だ〜いじょうぶ!」
そう言うとケイティは突然ボディスーツの前を開け、胸の谷間を見せつけてウインクした。
「コレで何でも喋らせちゃう♥」
(あ、憂さ晴らしだこれ…)
シオンは引き止めるのを諦めた。
「……何かあったんですか?今日のケイティ…」
「ちょっと今朝色々とね。チヤホヤされたいんだと思うわ…」
17/04/05 10:51更新 / 琴白みこと
戻る
次へ