剣と竜と教団と 上
―――昔には様々な装飾が施され、栄華を極めたのだろう広々とした部屋に広がるのは、今ではもう何年も手入れのされていない無機質な灰色をした石の床ばかり。
整然と並べられた石のタイルは寸分の狂いもなく等間隔に敷かれているものの、やはり手入れがされていなければ汚れていき、逆に石が持つ無骨さが露わになり余計みすぼらしく見える。
部屋の入り口から左右を挟むように奥へ立ち並んだ、王の前に姿を見せた人間を威圧する石の円柱も、いくつかは風化や経年劣化により自然と崩れ、辺りに瓦礫を散らすと同時に悲しくも半ばで折れていた。
だが、その内の大半は風化や経年劣化などではなく、つい先程、他人の手で直に破壊されたものだった。
悠久の時を経て栄光を失った寂しさを漂わせる古城の、かつての王が腰をおろしていた玉座の間には、多数の人間と、一匹の魔物が居た。
私と、その仲間に相対するのは他でもない、ドラゴンである。
緑色のとてつもなく強固な鱗に身を覆い、どんな名高い武器よりも鋭利な爪を持ち、巨躯を羽ばたかせるのにふさわしい翼を二対備え、鈍く光る牙を覗かせた口からは、呼吸をする度に灼熱の炎が漏れる。
……という姿の筈だが、今目の前に居るのはそんな姿からつい先程変貌を遂げた、若く美しい女性 ―ドラゴンの特徴をいくつか残しているものの― だった。
「そんな姿になるなんて……油断を誘うつもりですか?」
白を基調にした剣に施されている金の装飾が特徴的な、神の祝福を受けた一振りの剣を私は構えつつ、目の前のドラゴンに言葉を投げかける。一方のドラゴンは、先程までの巨大で荒々しい伝承通りの姿から、打って変わって華奢とさえ言える程スタイルの良い、人間であれば美人の部類に入る女性の姿で腰に手をあてつつにべもなく返事をした。
「思い上がるなよ人間、そんな姑息な手段を私が使うと思うとは愚かな。この姿でも貴様ら相手には十分だという事だ」
確かに、言葉通り本人は余裕綽々といった面持ちだ。……しかし注意深くドラゴンの様子を観察すると少なくとも呼吸はいくらか乱れており、巨大なドラゴンの姿で戦闘していた際にも確実な有効打は何回か与えている。決して、ドラゴンの言葉が自身のありのままの事実を語っている訳ではないと私は直感的に悟った。
そして後方に控えた仲間達 ―戦士、魔法使い、僧侶― にも目配せで注意を怠るなと伝え、緊張感を維持し続ける。
「あらかじめ断っておくが、こんな姿を私が望んで手に入れた等と思うなよ。魔王がサキュバスという淫乱な種族の者にとって代わられたので、その影響でこの様な貧弱な外見の姿になる事を強いられているだけなのだ……」
先端に輝く爪が配された、緑色の甲殻に覆われている右手を使い、美しい紫色をした長髪を軽やかに、そして優美な所作で後方に払った。やや不愉快そうに目をつむりながら行った彼女のその一連の行為に、私は思わず見とれてしまっていた事を認めなければならない。
……今の姿の彼女から、私達人間との間に全く差異を見出す事が出来なかったからだ。
そうやって何も言わずただ眺め呆けていた私に対し、続けてドラゴンは口を開く。
「……それより、魔物である私ならまだしも、ただの人間が私と戦ってまだそれだけの体力を保っている事の方が驚きではないのか?」
ドラゴンは目を細め、訝しげな表情を浮かべているものの、どこかその声音からは意外にも称賛の色が伺い取れた。
「様々な伝説に名を連ねるドラゴンから褒められるなんて、私も成長したという事でしょうか」
依然として剣を構え、ドラゴンから視線を一瞬たりとも離さず喋る。そして、私の言葉を受けたドラゴンはほんの少しだけ口端を歪め、“人間でいうところの”笑みらしきものを浮かべた。
「そういう減らず口を叩けるという事は、やはり体力が有り余っているようだ、なッ!!」
言葉を言い終えると同時だった。一瞬姿が消えたのかと錯覚する程の速さで奴はその脚で床を蹴り上げ、こちらへ跳びかかってきた。石の床の蹴られた箇所は無残に抉れ、破片が後方へ飛び散っていた。
少しでも気を散らしていたり、油断していれば命はなかったのかもしれない。跳びかかってくるのを確認した後、次いで襲ってきたのは手元の鈍い衝撃だった。
ガリッ、という金属質の物体同士がぶつかったような音も耳に届くと、ドラゴンの爪が構えた剣とかち合い、剣が私をドラゴンから守っているという事実が冷静に理解出来る様になる。
「クッ……」
思わず口から零れた情けない声は、至近距離に詰めた奴の耳にも恐らく届いただろう。私は名誉挽回する為に、胸元にまで押し込まれた剣を掴む両手に渾身の力を込めた。
すると、剣は繊細な力の均衡によってガチガチと震えながらも前進を開始した。どうやら、勝てない戦いではなさそうである。
一度呼吸を止め、次に歯を噛みしめた。それと同時に振り抜いた剣の先には、押し返した奴の右手が奴の頭上辺りにまで放られている光景と、奴の意外そうに目を見開いた表情の光景があった。
「押し返され……!?」
様子からして、私の出した力が奴にとって予想外だった事は火を見るより明らかである。すかさず、剣を右から左へ素早く一閃させる。……が、残った左手でそれを防ぎ、見事体勢を整えたドラゴンは続きと言わんばかりに攻撃を繰り出してきた。
上下左右、様々な方向から襲い来る攻撃をいなしつつ、隙を見てこちらも剣を滑り込ませる。しかし奴も相当な腕の持ち主で、その鋭利な爪を巧みに用いて私の全ての攻撃を漏らす事なく弾いていた。
まばたきも出来ない。息もつけない。互いに一歩も退かず、先程から同じ位置での激しい剣戟を続けている最中、私が機会を見つけてすかさず繰り出した突きを、奴は持ち前の脚力でトン、と床を一蹴りし遥か後方の玉座手前辺りにまで後退し、かわした。
「仕切り直しとするか?」
ふぅ、と息をつきながら薄ら笑いを浮かべ言うドラゴン。だが、残念ながらそう言う訳にはいかなかった。
ドラゴンの背後から、巨大な両手斧を手にし、息を潜めていた私の仲間の戦士が、その斧をドラゴンへまともに叩きつけようと、息を潜める事をやめたのだった。
一瞬、気配を察知し、呆気にとられたような表情になったドラゴンだったが、これも魔物のなせる業なのか、とてつもない反応速度で振り返り、斧を両手で掴んだドラゴンは、そのまま蹴りを放ち戦士を数メートル先に吹き飛ばしたのだ。
「ふんっ、何か仕掛けてくると思えばこの程度……」
自分に振りかかった人間の姦計を打ち破った事に機嫌を良くしたのか、背後の敵を処理し終わったドラゴンが私の方へもう一度振り返った時に、奴の顔は得意げに見えた。だが残念ながらその笑顔はすぐに鳴りをひそめる事になる。
バチィッという竹が割れたかのような甲高い破裂音が響いたあと、文字通り目にも止まらない速度で稲光が宙を飛来し、迷うことなくドラゴンに向かっていったかと思えば、奴の両足に、防がれる事なく着弾したのだ。
「なっ……?」
今度こそ呆気にとられるドラゴン。その前方には、片手の掌を奴に向け佇む私が居る。
「私如きでも、簡単な魔法は一通り使えます」
着弾した雷の初歩的な魔法は、奴の脚から確実に運動能力を奪い、奴をあの場に固定した。直接的な殺傷効果は皆無だが、今この状況なら奴にとってそれは致命的であるはずだ。
途端に地響きの様な揺れが玉座の間に広がる。私の背後で、仲間の魔法使いがここぞとばかりに詠唱していた魔法を発動させた合図だ。
発動に時間をかけたその魔法は、仲間の掌に小さな風の刃を作り出しており、さながら極小の嵐が出来あがった様である。
脚を狙った理由を聡く理解したドラゴンだったが、関係のない事であった。掌をかざした仲間から、凄まじい勢いで指向性を持った嵐が放出され、ドラゴンへ一目散に向かっていく。それが横を通過するだけで凄まじい風が吹き荒れ、目を開けてはいられない程だ。
見事着弾した際の轟音を部屋に響かせ、辺りに長年かけて積もった塵埃が一瞬にして巻き上がる。視界が奪われ、強烈な風圧が顔を襲い、腕で自らをかばう事を余儀なくされた。
そして……少し間を置き、久しぶりに訪れた静寂を懐かしく感じようとした時だった。
ドゴッ、という巨大な物体が壊れるような音と共に、巻き上げられた塵埃を切り裂いて幾多もの瓦礫が無造作に辺りへ散らばったのだ。
塵埃のカーテンで視界が塞がれていた事と、両脚を封じた事で遠距離に居る相手には攻撃出来ないという先入観によって判断が一歩後れ、回避が間に合わず拳大の瓦礫を左肩に受けてしまう。
鈍い痛みに顔をしかめたあと、次いで聞こえたのは同じく塵埃のカーテンの向こうに居るはずの、方向からして僧侶の呻き声だった。
瞬間、広がる胸中の不安の雲。嫌な予感が乱暴に脳内で展開されていく。片膝をついた私は、ジンジンと痛む左肩をかばいながら仲間の居る方向へ顔を向けた。
「何があったのです!?」
自分でも声が震えている事がわかる。そして、優秀な仲間はすぐに状況を報告してくれた。……魔法使いの声である。
「僧侶が……頭から、血が……いっぱい!」
思わず目を伏せ、予想外の展開に思考が止まってしまう。どうやら、私の左肩の様に、先程飛んできた石の破片が頭部に命中したに違いない。
回復を任せられる存在が居ないのは致命的だ。もしこのまま戦闘を続け、重傷を負った仲間が現れれば、命をすぐに落としていなくとも死が決定するだろう。
そこでようやく霧が晴れるように塵埃が魔法使いによる風の流れで取り払われ、皆の姿と奴が視界に入った。
ドラゴンは未だ魔法を受けた位置に仁王立ちしていたが、無残に破壊された周囲と反比例して傷一つ負っていない。それもそのはず、なんとドラゴンは脚元にある石畳のタイルを一つ丸ごと引っ剥がして盾にして使用したあと、粉々に砕いて我々に投げつけたのだ。
……こういう時こそ、私は冷静な判断を努めるよう尽力した。
「撤退です」
一度言ったものの、声量が足りなかった。
「最悪の事態は必ず避けます。死者は一人も出しません。貴方達は先に逃げて下さい、ミスを犯した私が甘んじて殿を務めましょう
頭につぶてを受け、ドクドクと血を流し倒れる僧侶を抱きかかえる魔法使いと、ドラゴンの後方で斧を構える戦士は苦々しげな表情を浮かべたもののすぐさま私の命令通り撤退を開始した。
もし追い打ちをドラゴンが仕掛けようものなら、私が命を張ってそれを食い止め時間を稼いだはず……なのだが、何か思う所があるのか仁王立ちしたまま動かない。脚が封じられているとはいえ、機転の利く奴ならいくらでも攻撃のチャンスがあったはずにも関わらず。
集中し、三人が私の背後にある通路へ出るまで目を光らせる。私の緊張ぶりとは反対にドラゴンは物静かに……どこかホッとしたような感情すら伺える表情で私達を眺めていた。
いきなり、しかし完全に戦意をなくしていたドラゴンを見て、私は言いようのない気持ちを心に抱き、そのまま皆に続いてその場を後にした――――
――――大陸の中ほどにある小国、ここ、テミス王国の大聖堂。そのとある一室に私は居た。正直、疲労は溜まっていないといえば、嘘になる。手近な場所に木製の椅子もある。しかし、今の私にそこへ座っていられる余裕などありはしなかった。
討伐の任から帰ってきた私がひとまず通されたのは、この大聖堂に訪れた客を一旦待たせておく部屋だ。……“一旦”待たせておく、と言っても、平均的な街の住人がここを見れば“ここに住んでもいい”という評価を下すだろう。
目に優しく、品の良い暗い緑色の絨毯に、テーブルと対に作られた木製の椅子は木独特の美しい木目が見るものを楽しませる。壁掛け燭台も見事の一言だ。
すぐに近くの通路からドア越しに、焦っているのかやや早めな足音が聞こえてくる。それから時間はかからず、部屋のドアはやや忙しなく開け放たれた。
「リーンハルト、リーンハルトは無事か」
ドアから現れたのは、司祭様だった。
「おお、リーンハルト。ドラゴン討伐の任に赴き、帰ってきたと思ったら重症の僧侶が目に入った。しかも、我らがテミスの“希望の剣”であるそなたの姿は見えないときた。嫌な予感が頭の中をよぎったよ……」
私の姿を認めた司祭様は、その深いしわの刻まれた顔を更に険しくさせ、ひとしきり私の身体を注視したあと、ほっと胸を撫で下ろした。
「申し訳……ありません。司祭様」
予想以上のその心配ぶりに、私は少なからず心を痛めた。
ではなぜ、テミス公国に帰ってきてからすぐに皆へ姿を見せず、この様な部屋へ一人で居たのか。それは、あの任から帰ってきた私は、あそこで起こった様々な出来事に思考を断続的に中断されていたからだ。例えるなら、両耳へ絶えず雑音を流し込まれて冷静な考えが出来ないような状態だ。
とめどなく溢れる思考に、私は少しばかり一人で居る時間を欲したのである。しかし、そんなわがままを、司祭様の心痛な面持ちを見た今では、後悔していた。
少々背の低い司祭様の背後から今度は背の高く、やや鋭い目つきの、白を基調としたテミス公国お抱えである教団騎士の制服に身を包んだ男が出てくる。
「リーンハルト……お前なら司祭様のお気持ちを察する事くらい、たやすく出来たはずだ。ドラゴン討伐の任に失敗した事は別になんとも思わん。だが、この様なわがままを振舞ったのはなぜだ」
その暗い茶色の髪を中央で分けている彼の名前は、アルノルト。元はこの国が所有する騎士団……正確には、“この国の主神教団が”所有する騎士団、教団騎士の団長を務めていた男だったが、今ではその熱心な働きぶりと敬虔さ、そして何よりも剣の腕と人格者ぶりを主神教団に買われ、“聖騎士”の称号を授かった、私の師匠とも言える人間だ。
「すみません……司祭様と師匠。今回の無礼をお許しください」
私は頭を垂れ、謝罪した。
それを見たアルノルトは、やれやれとかぶりを振り、私の肩に手を置いた。
「全く、よさないか。お前の事だ……何か思っての行動なんだろうと、私も、そして司祭様も分かっている。そこまで深く謝る必要もない。それに……師匠と呼ぶのをやめろといつも言っているだろう」
私は言われたとおり顔をあげ、気まずそうな顔をしている師匠……アルノルトに小さな笑みを浮かべた。
すると、横に居た司祭様が平常心を取り戻したのか、いつもの表情と、落ち着いた、聞く者を自然と安心させる優しい声音で話し始めた。
「向こうで一体何があったのかは、重症の僧侶を見れば大体察しがつく。それに、戦士と魔法使いがお主の素晴らしい働きぶりと聡明さを訴え続けてきてのう……お主を責めるつもりは元よりないというに……ホッホッホ」
司祭様のいつもの短い笑い声を聞き、やっと私もいつも通りの思考を取り戻してきた。しかし、私はドラゴン討伐の任を失敗した事で、てっきり厳罰を受けるものだとばかり思っていたが……あとで、命を預けて戦ってくれた戦士と魔法使いと僧侶に、礼を言いに行かなければならない。
「討伐失敗に関しましては、申し訳ございません。司祭様の深いお慈悲に、感謝の言葉すらありません」
討伐失敗を思い出し、私は悔しさに握りこぶしを固める。そこへ言葉をかけてきたのはアルノルトだった。
「お前は相変わらず、謙虚で、まっすぐだな。お前の有能さは誰もが知っている。もっと傲慢にしても誰も怒らないくらいだぞ」
いつもは厳格なアルノルトが、少し顔を綻ばせながら言う。
……そして、笑顔を潜ませた。
「今回のお前の判断を、私は素晴らしいものだと思う。まだ詳しく話を聞いてはいないが……もしあのまま戦闘を続行していたら、もしかするとドラゴンを見事討伐していたのかもしれない。いや、お前の事だ。恐らく奴の首を取っていたに違いない。しかし、きっとこちらも犠牲を払っていただろう。運が悪ければ、部隊が壊滅していた事もありうる。……部下の命を預かる者として、時には犠牲を払う事を覚悟しなければならない時が必ずくるし、それを受け入れなければならないのは当然だが……」
私は思わず生唾を飲み込む。ここまで真剣なアルノルトを見るのは、いつ以来であろうか。聞いているこちらにも熱が入る。
「その命を犠牲にする時は、今ではない。……と、私も考えたぞ」
アルノルトの言葉に、私は心底安堵した。あの戦闘の最中、考える猶予すら猫の額ほどしかなかった状況で下した私の判断が正しかったのだと、強く思えた。
顔の輪郭を縁取る様に通り、もみあげまで繋がっている整えられたあごひげを癖で触るアルノルト。その横で司祭様が「わしも同感じゃ……ホッホッホ」と、小さく笑った。
「お二人共……ありがとうございます」
その言葉が、私の精一杯出来る、二人への感謝の気持ちだった。
……しかし失敗した今、私は様々な疑問を浮かべていた。任務失敗についても心苦しいが、先程の司祭様とアルノルトと同じくらい、騎士団と国民の皆は懐が深く、優しい。きっと、私が例え胸を張って意気揚々と皆の前へ出て行ったとしても、皆は私を許してくれるのだろう。
だが、自分でも意外だと思える程、今は任務失敗の事よりも他に、もっと大きな疑問が私の心の中で鎌首をもたげていたのだった――――
――――風が吹き渡る平原。この世界を丸ごと謳歌しているかの如く、自由に吹き渡るさわやかな風を受けて、青々とした短い草が綺麗に横へ凪いでいく。なんとも心癒される美しい自然の中、その古城は建っていた。
周囲の様子が伺える見晴らしの良いちょっとした丘陵の上へ建てられた、簡素ながらも故に堅牢な灰色の古城。今ではほぼ全ての城壁が壊れ去り瓦礫となっているし、城自体も老朽化が進み、ひび割れなどを見つけるのに暇がない。そしてそれがいつ建てられたのかも、誰が建てたのかも分からない。だが、それはそこにあった。
城自体も、そこまで小さくはない。……もちろん、“一人で住むには”だが。
私は、その城へ足を踏み入れる。ここへ訪れるのは二度目だ。それも、つい最近。入ってすぐに日の光が途絶え、暗闇が辺りを支配した。石の冷たさか、はたまた別の何かか……すぐに身体全体をひんやりとした空気が覆い、熱を奪う。
昔は幾多もの兵士や学者、大臣が忙しなく通っていたのであろう立派な通路も、今では埃が積もるばかり。私は用意していた小型の松明に火を灯し、前ここへ来た時の記憶を頼りに先へ進んでいった。
そして、殺風景にも程がある通路を越えた先にあった、王の謁見の間には……。
「……また来たのか」
落ち着き払った声が、謁見の間に響き渡る。かつての王が座っていた、玉座に気だるそうに腰をかけ、頬杖をつく為、怠惰に体を傾けている魔物……人間の姿をした、ドラゴンが。
整然と並べられた石のタイルは寸分の狂いもなく等間隔に敷かれているものの、やはり手入れがされていなければ汚れていき、逆に石が持つ無骨さが露わになり余計みすぼらしく見える。
部屋の入り口から左右を挟むように奥へ立ち並んだ、王の前に姿を見せた人間を威圧する石の円柱も、いくつかは風化や経年劣化により自然と崩れ、辺りに瓦礫を散らすと同時に悲しくも半ばで折れていた。
だが、その内の大半は風化や経年劣化などではなく、つい先程、他人の手で直に破壊されたものだった。
悠久の時を経て栄光を失った寂しさを漂わせる古城の、かつての王が腰をおろしていた玉座の間には、多数の人間と、一匹の魔物が居た。
私と、その仲間に相対するのは他でもない、ドラゴンである。
緑色のとてつもなく強固な鱗に身を覆い、どんな名高い武器よりも鋭利な爪を持ち、巨躯を羽ばたかせるのにふさわしい翼を二対備え、鈍く光る牙を覗かせた口からは、呼吸をする度に灼熱の炎が漏れる。
……という姿の筈だが、今目の前に居るのはそんな姿からつい先程変貌を遂げた、若く美しい女性 ―ドラゴンの特徴をいくつか残しているものの― だった。
「そんな姿になるなんて……油断を誘うつもりですか?」
白を基調にした剣に施されている金の装飾が特徴的な、神の祝福を受けた一振りの剣を私は構えつつ、目の前のドラゴンに言葉を投げかける。一方のドラゴンは、先程までの巨大で荒々しい伝承通りの姿から、打って変わって華奢とさえ言える程スタイルの良い、人間であれば美人の部類に入る女性の姿で腰に手をあてつつにべもなく返事をした。
「思い上がるなよ人間、そんな姑息な手段を私が使うと思うとは愚かな。この姿でも貴様ら相手には十分だという事だ」
確かに、言葉通り本人は余裕綽々といった面持ちだ。……しかし注意深くドラゴンの様子を観察すると少なくとも呼吸はいくらか乱れており、巨大なドラゴンの姿で戦闘していた際にも確実な有効打は何回か与えている。決して、ドラゴンの言葉が自身のありのままの事実を語っている訳ではないと私は直感的に悟った。
そして後方に控えた仲間達 ―戦士、魔法使い、僧侶― にも目配せで注意を怠るなと伝え、緊張感を維持し続ける。
「あらかじめ断っておくが、こんな姿を私が望んで手に入れた等と思うなよ。魔王がサキュバスという淫乱な種族の者にとって代わられたので、その影響でこの様な貧弱な外見の姿になる事を強いられているだけなのだ……」
先端に輝く爪が配された、緑色の甲殻に覆われている右手を使い、美しい紫色をした長髪を軽やかに、そして優美な所作で後方に払った。やや不愉快そうに目をつむりながら行った彼女のその一連の行為に、私は思わず見とれてしまっていた事を認めなければならない。
……今の姿の彼女から、私達人間との間に全く差異を見出す事が出来なかったからだ。
そうやって何も言わずただ眺め呆けていた私に対し、続けてドラゴンは口を開く。
「……それより、魔物である私ならまだしも、ただの人間が私と戦ってまだそれだけの体力を保っている事の方が驚きではないのか?」
ドラゴンは目を細め、訝しげな表情を浮かべているものの、どこかその声音からは意外にも称賛の色が伺い取れた。
「様々な伝説に名を連ねるドラゴンから褒められるなんて、私も成長したという事でしょうか」
依然として剣を構え、ドラゴンから視線を一瞬たりとも離さず喋る。そして、私の言葉を受けたドラゴンはほんの少しだけ口端を歪め、“人間でいうところの”笑みらしきものを浮かべた。
「そういう減らず口を叩けるという事は、やはり体力が有り余っているようだ、なッ!!」
言葉を言い終えると同時だった。一瞬姿が消えたのかと錯覚する程の速さで奴はその脚で床を蹴り上げ、こちらへ跳びかかってきた。石の床の蹴られた箇所は無残に抉れ、破片が後方へ飛び散っていた。
少しでも気を散らしていたり、油断していれば命はなかったのかもしれない。跳びかかってくるのを確認した後、次いで襲ってきたのは手元の鈍い衝撃だった。
ガリッ、という金属質の物体同士がぶつかったような音も耳に届くと、ドラゴンの爪が構えた剣とかち合い、剣が私をドラゴンから守っているという事実が冷静に理解出来る様になる。
「クッ……」
思わず口から零れた情けない声は、至近距離に詰めた奴の耳にも恐らく届いただろう。私は名誉挽回する為に、胸元にまで押し込まれた剣を掴む両手に渾身の力を込めた。
すると、剣は繊細な力の均衡によってガチガチと震えながらも前進を開始した。どうやら、勝てない戦いではなさそうである。
一度呼吸を止め、次に歯を噛みしめた。それと同時に振り抜いた剣の先には、押し返した奴の右手が奴の頭上辺りにまで放られている光景と、奴の意外そうに目を見開いた表情の光景があった。
「押し返され……!?」
様子からして、私の出した力が奴にとって予想外だった事は火を見るより明らかである。すかさず、剣を右から左へ素早く一閃させる。……が、残った左手でそれを防ぎ、見事体勢を整えたドラゴンは続きと言わんばかりに攻撃を繰り出してきた。
上下左右、様々な方向から襲い来る攻撃をいなしつつ、隙を見てこちらも剣を滑り込ませる。しかし奴も相当な腕の持ち主で、その鋭利な爪を巧みに用いて私の全ての攻撃を漏らす事なく弾いていた。
まばたきも出来ない。息もつけない。互いに一歩も退かず、先程から同じ位置での激しい剣戟を続けている最中、私が機会を見つけてすかさず繰り出した突きを、奴は持ち前の脚力でトン、と床を一蹴りし遥か後方の玉座手前辺りにまで後退し、かわした。
「仕切り直しとするか?」
ふぅ、と息をつきながら薄ら笑いを浮かべ言うドラゴン。だが、残念ながらそう言う訳にはいかなかった。
ドラゴンの背後から、巨大な両手斧を手にし、息を潜めていた私の仲間の戦士が、その斧をドラゴンへまともに叩きつけようと、息を潜める事をやめたのだった。
一瞬、気配を察知し、呆気にとられたような表情になったドラゴンだったが、これも魔物のなせる業なのか、とてつもない反応速度で振り返り、斧を両手で掴んだドラゴンは、そのまま蹴りを放ち戦士を数メートル先に吹き飛ばしたのだ。
「ふんっ、何か仕掛けてくると思えばこの程度……」
自分に振りかかった人間の姦計を打ち破った事に機嫌を良くしたのか、背後の敵を処理し終わったドラゴンが私の方へもう一度振り返った時に、奴の顔は得意げに見えた。だが残念ながらその笑顔はすぐに鳴りをひそめる事になる。
バチィッという竹が割れたかのような甲高い破裂音が響いたあと、文字通り目にも止まらない速度で稲光が宙を飛来し、迷うことなくドラゴンに向かっていったかと思えば、奴の両足に、防がれる事なく着弾したのだ。
「なっ……?」
今度こそ呆気にとられるドラゴン。その前方には、片手の掌を奴に向け佇む私が居る。
「私如きでも、簡単な魔法は一通り使えます」
着弾した雷の初歩的な魔法は、奴の脚から確実に運動能力を奪い、奴をあの場に固定した。直接的な殺傷効果は皆無だが、今この状況なら奴にとってそれは致命的であるはずだ。
途端に地響きの様な揺れが玉座の間に広がる。私の背後で、仲間の魔法使いがここぞとばかりに詠唱していた魔法を発動させた合図だ。
発動に時間をかけたその魔法は、仲間の掌に小さな風の刃を作り出しており、さながら極小の嵐が出来あがった様である。
脚を狙った理由を聡く理解したドラゴンだったが、関係のない事であった。掌をかざした仲間から、凄まじい勢いで指向性を持った嵐が放出され、ドラゴンへ一目散に向かっていく。それが横を通過するだけで凄まじい風が吹き荒れ、目を開けてはいられない程だ。
見事着弾した際の轟音を部屋に響かせ、辺りに長年かけて積もった塵埃が一瞬にして巻き上がる。視界が奪われ、強烈な風圧が顔を襲い、腕で自らをかばう事を余儀なくされた。
そして……少し間を置き、久しぶりに訪れた静寂を懐かしく感じようとした時だった。
ドゴッ、という巨大な物体が壊れるような音と共に、巻き上げられた塵埃を切り裂いて幾多もの瓦礫が無造作に辺りへ散らばったのだ。
塵埃のカーテンで視界が塞がれていた事と、両脚を封じた事で遠距離に居る相手には攻撃出来ないという先入観によって判断が一歩後れ、回避が間に合わず拳大の瓦礫を左肩に受けてしまう。
鈍い痛みに顔をしかめたあと、次いで聞こえたのは同じく塵埃のカーテンの向こうに居るはずの、方向からして僧侶の呻き声だった。
瞬間、広がる胸中の不安の雲。嫌な予感が乱暴に脳内で展開されていく。片膝をついた私は、ジンジンと痛む左肩をかばいながら仲間の居る方向へ顔を向けた。
「何があったのです!?」
自分でも声が震えている事がわかる。そして、優秀な仲間はすぐに状況を報告してくれた。……魔法使いの声である。
「僧侶が……頭から、血が……いっぱい!」
思わず目を伏せ、予想外の展開に思考が止まってしまう。どうやら、私の左肩の様に、先程飛んできた石の破片が頭部に命中したに違いない。
回復を任せられる存在が居ないのは致命的だ。もしこのまま戦闘を続け、重傷を負った仲間が現れれば、命をすぐに落としていなくとも死が決定するだろう。
そこでようやく霧が晴れるように塵埃が魔法使いによる風の流れで取り払われ、皆の姿と奴が視界に入った。
ドラゴンは未だ魔法を受けた位置に仁王立ちしていたが、無残に破壊された周囲と反比例して傷一つ負っていない。それもそのはず、なんとドラゴンは脚元にある石畳のタイルを一つ丸ごと引っ剥がして盾にして使用したあと、粉々に砕いて我々に投げつけたのだ。
……こういう時こそ、私は冷静な判断を努めるよう尽力した。
「撤退です」
一度言ったものの、声量が足りなかった。
「最悪の事態は必ず避けます。死者は一人も出しません。貴方達は先に逃げて下さい、ミスを犯した私が甘んじて殿を務めましょう
頭につぶてを受け、ドクドクと血を流し倒れる僧侶を抱きかかえる魔法使いと、ドラゴンの後方で斧を構える戦士は苦々しげな表情を浮かべたもののすぐさま私の命令通り撤退を開始した。
もし追い打ちをドラゴンが仕掛けようものなら、私が命を張ってそれを食い止め時間を稼いだはず……なのだが、何か思う所があるのか仁王立ちしたまま動かない。脚が封じられているとはいえ、機転の利く奴ならいくらでも攻撃のチャンスがあったはずにも関わらず。
集中し、三人が私の背後にある通路へ出るまで目を光らせる。私の緊張ぶりとは反対にドラゴンは物静かに……どこかホッとしたような感情すら伺える表情で私達を眺めていた。
いきなり、しかし完全に戦意をなくしていたドラゴンを見て、私は言いようのない気持ちを心に抱き、そのまま皆に続いてその場を後にした――――
――――大陸の中ほどにある小国、ここ、テミス王国の大聖堂。そのとある一室に私は居た。正直、疲労は溜まっていないといえば、嘘になる。手近な場所に木製の椅子もある。しかし、今の私にそこへ座っていられる余裕などありはしなかった。
討伐の任から帰ってきた私がひとまず通されたのは、この大聖堂に訪れた客を一旦待たせておく部屋だ。……“一旦”待たせておく、と言っても、平均的な街の住人がここを見れば“ここに住んでもいい”という評価を下すだろう。
目に優しく、品の良い暗い緑色の絨毯に、テーブルと対に作られた木製の椅子は木独特の美しい木目が見るものを楽しませる。壁掛け燭台も見事の一言だ。
すぐに近くの通路からドア越しに、焦っているのかやや早めな足音が聞こえてくる。それから時間はかからず、部屋のドアはやや忙しなく開け放たれた。
「リーンハルト、リーンハルトは無事か」
ドアから現れたのは、司祭様だった。
「おお、リーンハルト。ドラゴン討伐の任に赴き、帰ってきたと思ったら重症の僧侶が目に入った。しかも、我らがテミスの“希望の剣”であるそなたの姿は見えないときた。嫌な予感が頭の中をよぎったよ……」
私の姿を認めた司祭様は、その深いしわの刻まれた顔を更に険しくさせ、ひとしきり私の身体を注視したあと、ほっと胸を撫で下ろした。
「申し訳……ありません。司祭様」
予想以上のその心配ぶりに、私は少なからず心を痛めた。
ではなぜ、テミス公国に帰ってきてからすぐに皆へ姿を見せず、この様な部屋へ一人で居たのか。それは、あの任から帰ってきた私は、あそこで起こった様々な出来事に思考を断続的に中断されていたからだ。例えるなら、両耳へ絶えず雑音を流し込まれて冷静な考えが出来ないような状態だ。
とめどなく溢れる思考に、私は少しばかり一人で居る時間を欲したのである。しかし、そんなわがままを、司祭様の心痛な面持ちを見た今では、後悔していた。
少々背の低い司祭様の背後から今度は背の高く、やや鋭い目つきの、白を基調としたテミス公国お抱えである教団騎士の制服に身を包んだ男が出てくる。
「リーンハルト……お前なら司祭様のお気持ちを察する事くらい、たやすく出来たはずだ。ドラゴン討伐の任に失敗した事は別になんとも思わん。だが、この様なわがままを振舞ったのはなぜだ」
その暗い茶色の髪を中央で分けている彼の名前は、アルノルト。元はこの国が所有する騎士団……正確には、“この国の主神教団が”所有する騎士団、教団騎士の団長を務めていた男だったが、今ではその熱心な働きぶりと敬虔さ、そして何よりも剣の腕と人格者ぶりを主神教団に買われ、“聖騎士”の称号を授かった、私の師匠とも言える人間だ。
「すみません……司祭様と師匠。今回の無礼をお許しください」
私は頭を垂れ、謝罪した。
それを見たアルノルトは、やれやれとかぶりを振り、私の肩に手を置いた。
「全く、よさないか。お前の事だ……何か思っての行動なんだろうと、私も、そして司祭様も分かっている。そこまで深く謝る必要もない。それに……師匠と呼ぶのをやめろといつも言っているだろう」
私は言われたとおり顔をあげ、気まずそうな顔をしている師匠……アルノルトに小さな笑みを浮かべた。
すると、横に居た司祭様が平常心を取り戻したのか、いつもの表情と、落ち着いた、聞く者を自然と安心させる優しい声音で話し始めた。
「向こうで一体何があったのかは、重症の僧侶を見れば大体察しがつく。それに、戦士と魔法使いがお主の素晴らしい働きぶりと聡明さを訴え続けてきてのう……お主を責めるつもりは元よりないというに……ホッホッホ」
司祭様のいつもの短い笑い声を聞き、やっと私もいつも通りの思考を取り戻してきた。しかし、私はドラゴン討伐の任を失敗した事で、てっきり厳罰を受けるものだとばかり思っていたが……あとで、命を預けて戦ってくれた戦士と魔法使いと僧侶に、礼を言いに行かなければならない。
「討伐失敗に関しましては、申し訳ございません。司祭様の深いお慈悲に、感謝の言葉すらありません」
討伐失敗を思い出し、私は悔しさに握りこぶしを固める。そこへ言葉をかけてきたのはアルノルトだった。
「お前は相変わらず、謙虚で、まっすぐだな。お前の有能さは誰もが知っている。もっと傲慢にしても誰も怒らないくらいだぞ」
いつもは厳格なアルノルトが、少し顔を綻ばせながら言う。
……そして、笑顔を潜ませた。
「今回のお前の判断を、私は素晴らしいものだと思う。まだ詳しく話を聞いてはいないが……もしあのまま戦闘を続行していたら、もしかするとドラゴンを見事討伐していたのかもしれない。いや、お前の事だ。恐らく奴の首を取っていたに違いない。しかし、きっとこちらも犠牲を払っていただろう。運が悪ければ、部隊が壊滅していた事もありうる。……部下の命を預かる者として、時には犠牲を払う事を覚悟しなければならない時が必ずくるし、それを受け入れなければならないのは当然だが……」
私は思わず生唾を飲み込む。ここまで真剣なアルノルトを見るのは、いつ以来であろうか。聞いているこちらにも熱が入る。
「その命を犠牲にする時は、今ではない。……と、私も考えたぞ」
アルノルトの言葉に、私は心底安堵した。あの戦闘の最中、考える猶予すら猫の額ほどしかなかった状況で下した私の判断が正しかったのだと、強く思えた。
顔の輪郭を縁取る様に通り、もみあげまで繋がっている整えられたあごひげを癖で触るアルノルト。その横で司祭様が「わしも同感じゃ……ホッホッホ」と、小さく笑った。
「お二人共……ありがとうございます」
その言葉が、私の精一杯出来る、二人への感謝の気持ちだった。
……しかし失敗した今、私は様々な疑問を浮かべていた。任務失敗についても心苦しいが、先程の司祭様とアルノルトと同じくらい、騎士団と国民の皆は懐が深く、優しい。きっと、私が例え胸を張って意気揚々と皆の前へ出て行ったとしても、皆は私を許してくれるのだろう。
だが、自分でも意外だと思える程、今は任務失敗の事よりも他に、もっと大きな疑問が私の心の中で鎌首をもたげていたのだった――――
――――風が吹き渡る平原。この世界を丸ごと謳歌しているかの如く、自由に吹き渡るさわやかな風を受けて、青々とした短い草が綺麗に横へ凪いでいく。なんとも心癒される美しい自然の中、その古城は建っていた。
周囲の様子が伺える見晴らしの良いちょっとした丘陵の上へ建てられた、簡素ながらも故に堅牢な灰色の古城。今ではほぼ全ての城壁が壊れ去り瓦礫となっているし、城自体も老朽化が進み、ひび割れなどを見つけるのに暇がない。そしてそれがいつ建てられたのかも、誰が建てたのかも分からない。だが、それはそこにあった。
城自体も、そこまで小さくはない。……もちろん、“一人で住むには”だが。
私は、その城へ足を踏み入れる。ここへ訪れるのは二度目だ。それも、つい最近。入ってすぐに日の光が途絶え、暗闇が辺りを支配した。石の冷たさか、はたまた別の何かか……すぐに身体全体をひんやりとした空気が覆い、熱を奪う。
昔は幾多もの兵士や学者、大臣が忙しなく通っていたのであろう立派な通路も、今では埃が積もるばかり。私は用意していた小型の松明に火を灯し、前ここへ来た時の記憶を頼りに先へ進んでいった。
そして、殺風景にも程がある通路を越えた先にあった、王の謁見の間には……。
「……また来たのか」
落ち着き払った声が、謁見の間に響き渡る。かつての王が座っていた、玉座に気だるそうに腰をかけ、頬杖をつく為、怠惰に体を傾けている魔物……人間の姿をした、ドラゴンが。
13/12/10 03:02更新 / 小藪検査官
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