31品目 『男は甲斐性』
「………」
目を覚ますと、遠くの方から波の音が聞こえてくる。
そっか、あたし今お兄ちゃん達と海水浴にきてるんだった。
「ん…ん〜〜〜」
上半身を起こし大きく伸びをする。
するとポキポキと小気味良い音が体中から鳴り響く。
「……ふぅ。良く寝た」
昨日の疲れも感じず、体の調子はいつも以上に良好。
これなら今日も目一杯海で泳ぎまわることができそうだ。
う〜ん、それとも兄にゴムボートでも引かせて海上観光でもしようかしら?
コンコンッ
今日の予定を思案していると、自室の扉を控えめに叩かれる。
――この叩き方は間違いなくお兄ちゃんね。起こしにきたのかしら?
外はぼんやりと明るいが、まだお日様は昇っておらず早朝といえる時間だ。
兄がこんな朝早く起こしにくるなんて今までに1度もないが、旅行中なので今日は特別なのかもしれない。
ガチャ……
返事をしないまま様子を見ていると自室の扉が静かに開き、予想通り兄が姿を見せる。
いつもは起こされてばかりだけど、あたしが本気を出せば早起きくらい造作もない。
こんな早朝にあたしが目を覚ましていることを知ったら、きっと兄は『リン、凄いじゃないか! やればできるんだね! さすがは僕の自慢の妹だ!』と称賛するに違いない。
ふふっ……さあ、早くあたしを褒め称えなさい! お兄ちゃん!
「……あ、起きてたんだ? 珍しいね」
「えぇ、たまにはね。でもおかげでぐっすり眠れたわ」
「そっか。それは良かった」
あたしは至ってクールに対応する。
本当は『早起きしたわよ! 偉いでしょ!?』と言いたいところだが、たかだか早起きごときで威張るのも子供っぽいと思い、ここは兄の出方を見ることに。
まぁ、出来れば褒めてほしいけど……。
「それにしても早起きだね? やればできるじゃないか。もう僕が起こしにくる必要もないかな?」
「ふ、ふふん! あたしがその気になれば、これくらいどうってことないわよ! でもあたしが頑張るとお兄ちゃんの朝の仕事がなくなっちゃうから、今後もあたしのことを起こす大事な役目を任せてあげる♪」
「あはは。わかってますよ、眠り姫様」
まるで恋人同士のようなやり取りだが、これはれっきとした兄妹のスキンシップ。
なにも特別なことはない。
「それよりもほら、まだちゃんと挨拶してないわよ?」
「あ、そうだったね」
あたし達は何気ない家族間のコミュニケーションを大切にする。
細かいと思われても仕方ないが、これは我が家で小説の執筆に勤しむ母の教えである。
「お兄ちゃん、おはよ♪」
「うん。おはよう、リン」
最高の朝を迎えることができた、あたしはそう信じて疑わなかった。
でも、それなのに……
「気持ちの良い、『3日目の朝』だよ」
「うん! …………は?」
3日目?
あれ? 確か今日は2日目だったはずじゃ……
「リンは昨日ずーっと眠ってたんだよ? 何度も起こしに行こうとしたんだけど、近づいたら自動防衛反応(オートディフェンシブスキル)で攻撃されて……」
「う、うそ、よね……?」
「………」
兄は黙って首を左右に振る。
「……あ、あたしの…2日目、が……orz」
後悔先に立たず。
あたしはその言葉の意味を、身を持って痛感させられた。
3日目の朝。
彩り豊かな朝食が並ぶ木製のテーブルには僕、リン、店長、ロザリーさんの4人が向かい合うように座っている。
しかし、昨日知り合ったサハギンの少女シィの姿が見当たらない。
実は早朝に別荘内で顔を合わせたので朝食の席に誘ったのだが、『お仕事中』ということで断られてしまった。
というのも、彼女の正体がこのビーチの所有者である豪商リリィさんに雇われた管理人であるが故のこと。
それもそのはず、これだけ広い敷地なのだ。管理人である彼女に暇ができることなんてそうはないだろう。
僕も手伝おうか?と協力を申し出たが、これまたヤンワリと断られてしまった。
素人の僕にできることなんて数える程しかないとのこと。ごもっともである。
そんなわけで、リンに彼女を紹介するのはもうしばらく先のこととなった。
と、今しがた話に出てきたリンなのだが……
「(゚д゚)ポケ−−−」
ご覧の有り様である。
「え、えっと…リン、大丈夫?」
「(´゚д゚)ナニガ?」
「いや、そのぉ……元気出しなって」
「(´゚д゚)アタシハゲンキヨ?」
「う〜ん、とてもそんな風には見えないけど……」
「(´゚д゚)マルイチニチネテスゴシタコトナンテアタシゼンゼンキニシテナイカラ」
「いや、うん。リンがそう言うなら別にいいんだけど…せめてそのカタコトをどうにかしてくれないかな? 聞き取りづらいし、読む人も大変だと思うんだ」
「(´゚д゚)わかった」
「うん、ありがとう。その……元気出して。ね?」
「……うん(´;ω;)」
ショックは大きいだろうけど、まだ十分日程に余裕はある。
今日、リンには昨日の分まで目一杯楽しんでもらいたいと思う。
そして4日目と6日目の偶数日を昨日のように寝て過ごさないよう祈るばかりだ。
「お兄ちゃんも大変ですわね」
「うちもこんなお兄ちゃん欲しいっすー」
そんな僕達をコーヒー片手に眺める狸と吸血鬼の御二方。
まったく、他人事だと思って……。
「それよりも店長。確か、今日はリリィさんがお見えになる日でしたよね?」
「そっすよー。そろそろ到着する頃じゃないっすかー?」
「ようやくお出ましですのね、待ちくたびれましたわ」
「あ、ロザリーさんもリリィさんにお礼を?」
僕がそう聞くと、ロザリーさんは一瞬キョトンとした表情を見せる。
そして、
「……そう、ですわね。いずれは礼を申し上げることになるかもしれませんわね」
「いずれは、ですか?」
「えぇ。わたくし、このビーチ一帯を全て買い取ることにしましたの」
「え!?」
「もちろんわたくしとあなたのプライベートビーチとして、ですわよ♪」
「はぁ…あ、いや、そういうことではなくて……」
いずれはってそういうことか!
「あーそういう話ならーリリィさんも大好物だと思うっすよー。ダメ元で商談持ちかけてみるのもー悪くないんじゃないっすかー?」
「ふん、狸に言われるまでもありませんわ! たとえ相手がどれ程の金額を提示してこようと、わたくしは決して諦めるつもりはありませんわ!」
「あ、あまり無茶しないでくださいね?」
「ご心配なさらず。もしもの(金銭的に余裕がない)ときは、お父様を頼るつもりですの。わたくしとあなたの将来のためと言えば、いくらでも援助をしていただけるはずですわ♪」
「さすがは七光りっすー」
「お黙り!」
ロザリーさんとは20年近く一緒にいるが改めて思う。
領主の娘だけあって、やはり金銭感覚がどこかおかしい。
僕の中で最も記憶に新しい出来事といえば、以前外国で『霊峰エベルスト』と呼ばれる世界一高い山を『衝動買い』したと聞かされたこと。
本人は衝動買いしてしまったことを貴族としてとても恥じていたが、気にするべき点が少しズレている気がしてならない。
彼女の御両親(領主様)に話を伺ってみたのだが、『偶の我が儘なら可愛いものだ』とまったく意に介していなかった。
そんな馬鹿な。山ですよ? 世界最大級の霊峰ですよ? 何故そんな冷静なんですか?
とまぁ話は逸れたが、今話した『霊峰買収事件?』に比べれば、今回のビーチ買い取りはいささかスケールが小さくなったと思えなくもない。
……こんな風に考えてしまう僕も十分感覚が麻痺しているのだろう。
「お金の問題以前に、そもそもこんな良い土地を売ってくれるでしょうか?」
「まーリリィさん本人に売る気が微塵もないならー諦めるしかないっすねー」
「た、たとえそうだとしても、金の力で相手の意思すらも買い取ってみせますわ!」
鋼のような固い決意にグッとこなくもないが、やはり庶民の感覚では到底理解できそうもない。
「必ず…必ずこのビーチをわたくしのものに……!」
「ロザリーさん、少し落ち着いて……」
興奮気味のロザリーさんを落ち着かせようと席を立った瞬間……
「売ってやってもいいぞ? そちらの出せる金額次第、だがな」
冷たく言い放たれたその言葉の主は、サハギンの少女シィを従え食堂の入口で仁王立ちしていた。
「早速商談を…と言いたいところだが、まずは腹ごしらえだ。私も朝食に混ぜてもらえるかな?」
妖艶な笑みを浮かべる彼女の名は、『リリィ=ヴァニラス』。
その正体は、氷の精霊……『グラキエス』だ。
朝食の席にて。
「君は確か、ファルシロンといったな。そこの性悪狸から話は聞いている」
「は、はい。よろしくおねがいします」
「ははー、性悪だなんてー照れるじゃないっすかー」
「ふふ、お前は相変わらずだな」
気さくに振る舞う店長とは対照的に、僕はおずおずと頭を下げる。
店長からは緊張するなと言われていたが、体を内側から氷漬けにされそうな彼女の視線を真っ向から直視することができない。
その間もシィは辺りを忙しなく動き回り別荘の掃除に精を出している。
「まぁそう固くなるな。見てみろ、君の妹の…リンといったか? 私にメンチを切っているぞ」
「え?」
そう言われ隣を見ると、
「(゚д゚)」←リン
いまだに放心している妹の姿が。
確かに(゚д゚)ぁあん!?と言っているように見えなくもないが、これは先程のショックが尾を引いているだけだ。
決してメンチを切っているわけではない。
「す、すみません。普段はこんな感じじゃないんですけど、ちょっと事情がありまして……」
「なに、気にするな。可愛げがあっていいじゃないか」
そ、そうかなぁ?と疑問する僕を尻目に、ロザリーさんがわざとらしく咳払いをする。
「こほん。ところでリリィ? 先程の件ですけど……」
「あぁ、この土地の譲渡についてだったな。朝食の席だが…構わないか?」
「関係ありませんわ。どこであろうと商談はできましてよ?」
「結構。では、早速始めよう」
自己紹介もそこそこに、目まぐるしい勢いで状況が変化していく。
確か朝食の真っ最中だったはずだが、それがいきなり商談の場へと変わってしまった。
状況の変化についていけず動揺してしまう。
すると、
(*´ω`)σ)´д`;)
「シロさん大丈夫っすかー?」
「あ、ふぁい、だいほうふでふ(あ、はい、大丈夫です)」
いつの間にか隣の席に陣取っていた店長に頬をつつかれる。
しかしそのおかげで我に返ることができた。
「やり手の商人はーたった一瞬でその場を支配すると言われているっすけどー、リリィさんはーまさにその典型っすねー」
「はい…完全に呑まれていました」
「まーこういう場面で常に平常心を保っていられることもー商人としては大事なことっすー。いつまでもノミの心臓だとー長生きできないっすよー?」
「べ、勉強になります」
何故か商人の心得を説かれる。
一般論的に要約すると、何事にも動じない強い心を育め…ということだろうか。
店長は偶に良い事を言うのだが、商人を基準に話をするため若干理解し難いときがある。
まぁ今ではそれにも大分慣れたものだが。
「それはそうとーこれは必見っすねー。世界に名高い大豪商の商談なんてーそうそうお目にかかれるものじゃないっすよー? シロさんも是非見ておくっすー」
「そう、ですね。見学させてもらいます」
商いの知識は皆無だが、確かにこれは面白そうだ。
しかしいくら有名な商人とはいえ、あのロザリーさんが相手ともなれば一筋縄ではいかないだろう。
それに商談対象はこの広大なビーチ全域。
決して小さな交渉事ではないということも忘れてはいけない。
「まず始めに聞いておくべき事項がある、ロザリンティア女史」
「なんですの?」
2人の会話を固唾を飲んで見守る僕と店長。
「貴殿はこのビーチに、一体どれ程の金をかけることができる?」
「……難しい質問ですわね。わたくしは商人でもなければ、それに因んだ知識も持ち合わせておりませんの。ですから、ビーチの相場などまったくわかりませんわ」
「それでも構わないよ。貴殿の思う金額を提示してみてくれ」
「っ……」
開始早々、場の空気がピリピリしてきた。
こんな雰囲気の中でじっとしているのは正直辛い。
そのため少しでも嫌な空気を払拭しようと、僕は隣に座る店長に耳打ちをする。
(……店長、今の状況は?)
(さすがはリリィさんっすねー。早速彼女のペースっすよー)
(え? そうなんですか?)
(っす。始めにお客の懐を探るのが基本なんすけどー、彼女は追いこみ方が上手いっすねー)
(は、はぁ)
店長は目をキラキラさせながら2人の商談を楽しんでいるが、僕には内容の進展はおろか状況の良し悪しさえわからない。
「さぁ、どうかな?」
「短気は損気、ですわよ? 今考えていますの」
う〜ん、と頭を抱えるロザリーさん。
素人がビーチの価値を聞かれているのだ、彼女でなくても悩むだろう。
(でも、売り手が売値を提示するのが一般的なんじゃないですか?)
(店売りの場合はー確かにそうっすけどねー。でも今回のようにー売値がハッキリしていないときは例外っすねー)
店長は商談から目を離さずに続ける。
(売値が定まっていないというのはー、一見どちらかが特をするように見えるっすけどー、実際はー圧倒的に売り手側が有利なんすよねー)
(え、どうしてです?)
(商品はー売り手自身の持ち物なんすからー、その価値だってー売り手側が自由に決めることができるっすー。ここまではわかるっすよねー?)
(は、はい)
(ならー後は簡単っすよー。テキトーな理由をつけてーどんどん要求額を増やしていけばイイだけの話っすからー)
(あ、そうか)
(それがー土地の相場を知らないお客相手ならー尚更楽っすよー。本来ならー相手がどれ程の知識を持っているかもー商談の中で見極める必要があるんすけどー、お嬢様はー既に手の内を晒してしまったすからねー)
(知識がない…と言ってしまいましたしね)
(っす。もう何をどうしようとーリリィさんの独壇場っすよー。ボられても文句言えないっすー)
商売は奥が深い……というか、なんだか世知辛いなぁ……。
(僕がロザリーさんなら、物凄く安い金額を提示して、リリィさんの出方を窺いますね)
(むしろ買い手にはーそれくらいしか応戦する手段がないんすよー)
(ほ、本当に不利なんですねぇ……。じゃぁ、どうしてロザリーさんはこの方法を使わないんですか?)
(それはーお嬢様のプライドなんじゃないっすかー? 色々な意味でー安い女だと思われたくないんすよー)
(あぁ、なるほど。たぶん…いや、絶対そうですね)
気高く恐れ知らずな彼女の性格が、今回は裏目に出てしまったようだ。
(ま、まさかとは思いますけど、これもリリィさんの計算の内…なんてことは……)
(ははー。シロさんにしてはー察しがイイっすねー)
(うわぁ……)
商談に入る前から八方塞がりとは……。
ロザリーさん……南無(-人-;)
「っ……」
「さぁ、いい加減観念したらどうかな?」
「………」
先程から黙秘を続けるロザリーさん。
しかし、ここへきてやっと彼女の重い口が開かれる。
「……い、1億……」
「ん?」
「ぐっ……わ、わかりましたわ! 10億! 10億エルでいかがです!?」
10億!?
彼女の口からとんでもない金額が提示された。
「10億か……ふむ。それ程の金額なら交渉する必要はないな。私はその条件で構わない」
「よ、よろしいんですの?」
「あぁ、後は貴殿の決定だけだ。値下げ交渉も承るが、どうする?」
「買いますわ!」
買っちゃった!?
「ならば契約成立だ。ありがとう、良い商談ができた」
「えぇ、こちらこそ。それはそうと、契約書の類が見当たりませんわね?」
「口約束で十分だ。契約金は後日振り込んでくれればいい」
「随分と信用されていますのね?」
「ふふ。お客様は宝物、だからね」
「さすがは商人。口だけは達者ですわね」
テーブルの上で握手を交わすロザリーさんとリリィさん。
しかし、最後は予想外にあっけない幕切れだった。
「いやーイイもの見せてもらったっすー。勉強になったっすよーノ」
「お前ほどの商談ができたとは思えないが…ここは素直に喜んでおくよ」
一瞬にして10億エルをモノにしたリリィさんは至って謙虚。
もう色々な感覚がどうかしていると思う。
「予想以上に大金をはたいてしまいましたが、これは良い買い物をしましたわ♪」
「そ、そうですね。10億エルの価値は(たぶん)十分にあると思いますよ」
「えぇ。それに最も喜ばしいことは、お父様を頼らずに済んだことですわね。かなりギリギリでしたが、『ポケットマネー』の範囲で安心しましたわ♪」
「………」
10億エルで商談成立したことよりも、それがポケットマネーであったことに1番驚いた。
まぁそれはそうと、
「そういえば、シィはどうなるんですか? 土地の所有権がロザリーさんに移譲されたとなると、リリィさんとの契約は解除されることになりますよね?」
「ん(おんどりゃこのデカ乳! どうオトシマエつけてくれんのじゃアホンダラ! わいの知らんところでいつの間にかニートになってもうたやないか!? てめぇはニートのアイドル『ニードル』でも目指してろってことかいな!? ああん!?)」
いつの間にか傍にいたシィが大激怒?している。
もちろん僕にしか聞こえない『第2の声』で。
まさか『ん』という言葉の中にこれ程の意思が込められているとは夢にも思わないだろう。
「あら、そうでしたわね。なら持って帰ってメイドにでもしますわ」
「む(わいは土産かなんかかい!? つかコンシェルジュ言うとるやろ馬鹿たれ! あんなフリフリのメイド服なんて着れるかボケ! それに……)」
「こんな有能な人材そうはいませんわ。規定以上の高い給金を約束しますので、それに見合った働きを期待していますわよ?」
「……ん(な、なんや、そういうことならはよ言えや。キレて損したわ、ったく……)」
意外とがめついな、シィ。
正午過ぎ。
リン・店長・ロザリーさんの3人は商談後、すぐに着替えて海へと繰り出していった。
僕も行こうとしたのだが、リリィさんに『親睦を深めよう』と引き止められ、今は別荘のテラスでチェスに興じている。
「先読みが甘いな。その騎士、私がいただこう」
「あ、しまった……」
彼女の青く透き通った腕が、僕の陣地からナイトの駒を連れ去っていく。
「イチカとは色々あってな。詳しくは話せないが…まぁ、腐れ縁といったところだ。君が思っているほど危険な間柄ではないから、安心していい」
「そ、そうですか。それが聞けただけで十分ですよ」
「ふふ。大方、脅しだどうのと話をぼかされていたのだろう?」
「は、はい」
「当たらずしも遠からず、といったところだな」
「え!?」
「はっはっは! 冗談だ…………半分はな」
「………」
結局店長とリリィさんの関係はわからずじまいだった。
詳しくは判明しなかったものの、少なくとも険悪な関係ではないということはわかった。
やはり脅しというキーワードが妙に引っかかるが……。
「それにしても……ふふっ」
「?」
リリィさんは僕から奪ったナイトの駒をつまみ上げると、それを指先でクルクルと弄び始める。
「実はな。ここを訪れた理由は、他でもない……君なんだ」
「え? 僕、ですか?」
「イチカが執着する男だ。一体どれ程の人物なのか、この目で確かめてみたくてな」
「そう、だったんですか」
「しかし……ふふ、思っていた以上に無難な男だったよ」
「な、なんか、すみません」
笑い混じりに話すリリィさん。
まぁ、確かに無難ですけども……。
「だが、こうして顔を合わせて話してみると、何故イチカが君を好いたのかが良くわかる」
サファイアのように美しくも冷たい彼女の瞳は、いつしか温かく心地良いものに変わっていた。
「包容力…とでも言おうか。君にはそれが溢れている。納得した」
「包容力、ですか。あまりピンときませんけど……」
「他人を惹きつける魅力というものは、存外自分では気づかないものだよ」
僕の駒がリリィさんのクイーンに次々と蹂躙されていく。
「……羨ましいな。人を好きになれるというのは」
「? それは、どういう……」
リリィさんの手が止まる。
「職業病なのかな。私は、他人をまったく信用できないんだ」
「え? でも、さっきロザリーさんに……」
「あれは口先だけだ。客の機嫌を損ねるわけにはいかないからな」
「………」
「商人というのは、どんな相手にでも常に疑念を抱いている。それはイチカも例外ではない。それに、私は昔……」
彼女は言葉を区切るとエメラルドグリーンの海に目を向ける。
僕もつられて視線を海に向けると、波打ち際で楽しげにはしゃぐ3人の姿が。
「イチカを疑り深いと思ったことは?」
「……ありません。まったく」
「だろうな。現に彼女は、ここにいる全ての人間(魔物)に心を開いている」
リリィさんは悲しげに目を伏せると、
「私には、到底できないことだ。ましてや異性を好きになるなんて…本当に羨ましい限りだ」
俯く彼女が、とても寂しそうに見えた。
「……できますよ。リリィさんにも」
「そう、かな。とてもそうは思えないが……」
人を信じられないなんて、悲し過ぎる。
人を好きになれないなんて、それ以上に悲しいことだ。
「その、リリィさん」
「ん? なにかな?」
顔を上げたリリィさんと目が合う。
「僕のことを……信じてみてください」
「……え?」
宝石のように綺麗な彼女の瞳が、こんな悲しみの色に染まっていいはずがない。
「僕のことを、信じてください。もしあなたを裏切るようなことがあれば、僕を奴隷として辺境の地に売り飛ばしてもらっても構いません」
「………」
「なんなら、誓約書にサインしてもいいです! こう見えても法学を学んでいるので、教授に頼みこめば書類の準備もできます。それに……ぁ」
彼女の冷たい手が僕の額に触れる。
「君、少し落ち着いたらどうかな?」
「………」
熱を持ち興奮した思考が急激に冷やされていく。
「私のためにそこまで言ってくれるのはありがたいが、私は君に優しくされる理由がない」
「そ、それは……」
「それに私は、一体君の何を信じれば良いのかな?」
「そんなの決まって…………あれ?」
思わず言葉に詰まる。
言われてみれば確かにそうだ。
何を信じてもらえば良いのか……何て答えればいいんだ?
「ふふ。後先考えずに喋るのは感心しないな」
「す、すみません」
「だが……」
リリィさんは僕の額から手を離すと、
「その気持ちだけは受け取っておこう。ありがとう…嬉しかったよ」
「……はい」
彼女はそう言ってくれるが、僕は自分の無力さを痛感する。
僕は、悲しむ女性1人すらも元気づけてあげられないのか……。
「………」
「はっはっは! どうして君が落ち込むんだ?」
「い、いえ、そんなことは……」
「……ふむ」
落ち込む僕を見かねたのか、リリィさんは何かを閃く。
「そこまで私を気にかけてくれるというなら、良い考えがある」
「え?」
リリィさんは指を組むとそこに顎を乗せ、何やら怪しげな笑みを浮かべる。
「ものは相談だが……君のことを、『好き』になってもいいかな?」
「…………へ?」
す、すき?
「え、えーと……」
「好きになるという行為は、相手を信じるということに繋がるとは思わないか?」
「確かに、理屈はそうですけど……」
「ん、なんだ? 先程の君の言葉は、全て嘘だったということか?」
「そ、そんなことは!」
「なら構わないだろう」
「う、うぅ……」
こ、この展開は……予想外です。
「おいおい、何も君とイチカの恋路を邪魔しようというわけではない」
そう言うとリリィさんは僕の手を両手で優しく握り、
「偽りの感情かもしれない。でも、それでも私に……恋をさせてくれ。頼む」
「………」
………。
…………。
……………。
ええい! 僕も男だ!
「よ、よろしくお願いします!」
「………」
僕が握られた手を強く握り返すと、キョトンとした表情を見せるリリィさん。
そして、
「……あぁ。こんなどうしようもない女だが、仲良くしてやってくれ」
「!」
初めて見る彼女の笑顔に、思わずドキリとしてしまった。
……これは、店長にどう説明するべきか。
間違いなくロザリーさんにも怒られて、そして噛まれるだろうなぁ……。
まぁでも、
「ふふっ♪」
リリィさんからこんな素敵な笑顔を引き出すことできたんだ。
ここは男として、素直に喜ぼう。
「あぁ、本当に好きになってしまったときは容赦なく寝取るから、そのつもりでいてくれ」
「……え?」
3日目 終了
〜店長のオススメ!〜
『不思議な木の実』
レベルが1上がる
価格→ 198000エル
目を覚ますと、遠くの方から波の音が聞こえてくる。
そっか、あたし今お兄ちゃん達と海水浴にきてるんだった。
「ん…ん〜〜〜」
上半身を起こし大きく伸びをする。
するとポキポキと小気味良い音が体中から鳴り響く。
「……ふぅ。良く寝た」
昨日の疲れも感じず、体の調子はいつも以上に良好。
これなら今日も目一杯海で泳ぎまわることができそうだ。
う〜ん、それとも兄にゴムボートでも引かせて海上観光でもしようかしら?
コンコンッ
今日の予定を思案していると、自室の扉を控えめに叩かれる。
――この叩き方は間違いなくお兄ちゃんね。起こしにきたのかしら?
外はぼんやりと明るいが、まだお日様は昇っておらず早朝といえる時間だ。
兄がこんな朝早く起こしにくるなんて今までに1度もないが、旅行中なので今日は特別なのかもしれない。
ガチャ……
返事をしないまま様子を見ていると自室の扉が静かに開き、予想通り兄が姿を見せる。
いつもは起こされてばかりだけど、あたしが本気を出せば早起きくらい造作もない。
こんな早朝にあたしが目を覚ましていることを知ったら、きっと兄は『リン、凄いじゃないか! やればできるんだね! さすがは僕の自慢の妹だ!』と称賛するに違いない。
ふふっ……さあ、早くあたしを褒め称えなさい! お兄ちゃん!
「……あ、起きてたんだ? 珍しいね」
「えぇ、たまにはね。でもおかげでぐっすり眠れたわ」
「そっか。それは良かった」
あたしは至ってクールに対応する。
本当は『早起きしたわよ! 偉いでしょ!?』と言いたいところだが、たかだか早起きごときで威張るのも子供っぽいと思い、ここは兄の出方を見ることに。
まぁ、出来れば褒めてほしいけど……。
「それにしても早起きだね? やればできるじゃないか。もう僕が起こしにくる必要もないかな?」
「ふ、ふふん! あたしがその気になれば、これくらいどうってことないわよ! でもあたしが頑張るとお兄ちゃんの朝の仕事がなくなっちゃうから、今後もあたしのことを起こす大事な役目を任せてあげる♪」
「あはは。わかってますよ、眠り姫様」
まるで恋人同士のようなやり取りだが、これはれっきとした兄妹のスキンシップ。
なにも特別なことはない。
「それよりもほら、まだちゃんと挨拶してないわよ?」
「あ、そうだったね」
あたし達は何気ない家族間のコミュニケーションを大切にする。
細かいと思われても仕方ないが、これは我が家で小説の執筆に勤しむ母の教えである。
「お兄ちゃん、おはよ♪」
「うん。おはよう、リン」
最高の朝を迎えることができた、あたしはそう信じて疑わなかった。
でも、それなのに……
「気持ちの良い、『3日目の朝』だよ」
「うん! …………は?」
3日目?
あれ? 確か今日は2日目だったはずじゃ……
「リンは昨日ずーっと眠ってたんだよ? 何度も起こしに行こうとしたんだけど、近づいたら自動防衛反応(オートディフェンシブスキル)で攻撃されて……」
「う、うそ、よね……?」
「………」
兄は黙って首を左右に振る。
「……あ、あたしの…2日目、が……orz」
後悔先に立たず。
あたしはその言葉の意味を、身を持って痛感させられた。
3日目の朝。
彩り豊かな朝食が並ぶ木製のテーブルには僕、リン、店長、ロザリーさんの4人が向かい合うように座っている。
しかし、昨日知り合ったサハギンの少女シィの姿が見当たらない。
実は早朝に別荘内で顔を合わせたので朝食の席に誘ったのだが、『お仕事中』ということで断られてしまった。
というのも、彼女の正体がこのビーチの所有者である豪商リリィさんに雇われた管理人であるが故のこと。
それもそのはず、これだけ広い敷地なのだ。管理人である彼女に暇ができることなんてそうはないだろう。
僕も手伝おうか?と協力を申し出たが、これまたヤンワリと断られてしまった。
素人の僕にできることなんて数える程しかないとのこと。ごもっともである。
そんなわけで、リンに彼女を紹介するのはもうしばらく先のこととなった。
と、今しがた話に出てきたリンなのだが……
「(゚д゚)ポケ−−−」
ご覧の有り様である。
「え、えっと…リン、大丈夫?」
「(´゚д゚)ナニガ?」
「いや、そのぉ……元気出しなって」
「(´゚д゚)アタシハゲンキヨ?」
「う〜ん、とてもそんな風には見えないけど……」
「(´゚д゚)マルイチニチネテスゴシタコトナンテアタシゼンゼンキニシテナイカラ」
「いや、うん。リンがそう言うなら別にいいんだけど…せめてそのカタコトをどうにかしてくれないかな? 聞き取りづらいし、読む人も大変だと思うんだ」
「(´゚д゚)わかった」
「うん、ありがとう。その……元気出して。ね?」
「……うん(´;ω;)」
ショックは大きいだろうけど、まだ十分日程に余裕はある。
今日、リンには昨日の分まで目一杯楽しんでもらいたいと思う。
そして4日目と6日目の偶数日を昨日のように寝て過ごさないよう祈るばかりだ。
「お兄ちゃんも大変ですわね」
「うちもこんなお兄ちゃん欲しいっすー」
そんな僕達をコーヒー片手に眺める狸と吸血鬼の御二方。
まったく、他人事だと思って……。
「それよりも店長。確か、今日はリリィさんがお見えになる日でしたよね?」
「そっすよー。そろそろ到着する頃じゃないっすかー?」
「ようやくお出ましですのね、待ちくたびれましたわ」
「あ、ロザリーさんもリリィさんにお礼を?」
僕がそう聞くと、ロザリーさんは一瞬キョトンとした表情を見せる。
そして、
「……そう、ですわね。いずれは礼を申し上げることになるかもしれませんわね」
「いずれは、ですか?」
「えぇ。わたくし、このビーチ一帯を全て買い取ることにしましたの」
「え!?」
「もちろんわたくしとあなたのプライベートビーチとして、ですわよ♪」
「はぁ…あ、いや、そういうことではなくて……」
いずれはってそういうことか!
「あーそういう話ならーリリィさんも大好物だと思うっすよー。ダメ元で商談持ちかけてみるのもー悪くないんじゃないっすかー?」
「ふん、狸に言われるまでもありませんわ! たとえ相手がどれ程の金額を提示してこようと、わたくしは決して諦めるつもりはありませんわ!」
「あ、あまり無茶しないでくださいね?」
「ご心配なさらず。もしもの(金銭的に余裕がない)ときは、お父様を頼るつもりですの。わたくしとあなたの将来のためと言えば、いくらでも援助をしていただけるはずですわ♪」
「さすがは七光りっすー」
「お黙り!」
ロザリーさんとは20年近く一緒にいるが改めて思う。
領主の娘だけあって、やはり金銭感覚がどこかおかしい。
僕の中で最も記憶に新しい出来事といえば、以前外国で『霊峰エベルスト』と呼ばれる世界一高い山を『衝動買い』したと聞かされたこと。
本人は衝動買いしてしまったことを貴族としてとても恥じていたが、気にするべき点が少しズレている気がしてならない。
彼女の御両親(領主様)に話を伺ってみたのだが、『偶の我が儘なら可愛いものだ』とまったく意に介していなかった。
そんな馬鹿な。山ですよ? 世界最大級の霊峰ですよ? 何故そんな冷静なんですか?
とまぁ話は逸れたが、今話した『霊峰買収事件?』に比べれば、今回のビーチ買い取りはいささかスケールが小さくなったと思えなくもない。
……こんな風に考えてしまう僕も十分感覚が麻痺しているのだろう。
「お金の問題以前に、そもそもこんな良い土地を売ってくれるでしょうか?」
「まーリリィさん本人に売る気が微塵もないならー諦めるしかないっすねー」
「た、たとえそうだとしても、金の力で相手の意思すらも買い取ってみせますわ!」
鋼のような固い決意にグッとこなくもないが、やはり庶民の感覚では到底理解できそうもない。
「必ず…必ずこのビーチをわたくしのものに……!」
「ロザリーさん、少し落ち着いて……」
興奮気味のロザリーさんを落ち着かせようと席を立った瞬間……
「売ってやってもいいぞ? そちらの出せる金額次第、だがな」
冷たく言い放たれたその言葉の主は、サハギンの少女シィを従え食堂の入口で仁王立ちしていた。
「早速商談を…と言いたいところだが、まずは腹ごしらえだ。私も朝食に混ぜてもらえるかな?」
妖艶な笑みを浮かべる彼女の名は、『リリィ=ヴァニラス』。
その正体は、氷の精霊……『グラキエス』だ。
朝食の席にて。
「君は確か、ファルシロンといったな。そこの性悪狸から話は聞いている」
「は、はい。よろしくおねがいします」
「ははー、性悪だなんてー照れるじゃないっすかー」
「ふふ、お前は相変わらずだな」
気さくに振る舞う店長とは対照的に、僕はおずおずと頭を下げる。
店長からは緊張するなと言われていたが、体を内側から氷漬けにされそうな彼女の視線を真っ向から直視することができない。
その間もシィは辺りを忙しなく動き回り別荘の掃除に精を出している。
「まぁそう固くなるな。見てみろ、君の妹の…リンといったか? 私にメンチを切っているぞ」
「え?」
そう言われ隣を見ると、
「(゚д゚)」←リン
いまだに放心している妹の姿が。
確かに(゚д゚)ぁあん!?と言っているように見えなくもないが、これは先程のショックが尾を引いているだけだ。
決してメンチを切っているわけではない。
「す、すみません。普段はこんな感じじゃないんですけど、ちょっと事情がありまして……」
「なに、気にするな。可愛げがあっていいじゃないか」
そ、そうかなぁ?と疑問する僕を尻目に、ロザリーさんがわざとらしく咳払いをする。
「こほん。ところでリリィ? 先程の件ですけど……」
「あぁ、この土地の譲渡についてだったな。朝食の席だが…構わないか?」
「関係ありませんわ。どこであろうと商談はできましてよ?」
「結構。では、早速始めよう」
自己紹介もそこそこに、目まぐるしい勢いで状況が変化していく。
確か朝食の真っ最中だったはずだが、それがいきなり商談の場へと変わってしまった。
状況の変化についていけず動揺してしまう。
すると、
(*´ω`)σ)´д`;)
「シロさん大丈夫っすかー?」
「あ、ふぁい、だいほうふでふ(あ、はい、大丈夫です)」
いつの間にか隣の席に陣取っていた店長に頬をつつかれる。
しかしそのおかげで我に返ることができた。
「やり手の商人はーたった一瞬でその場を支配すると言われているっすけどー、リリィさんはーまさにその典型っすねー」
「はい…完全に呑まれていました」
「まーこういう場面で常に平常心を保っていられることもー商人としては大事なことっすー。いつまでもノミの心臓だとー長生きできないっすよー?」
「べ、勉強になります」
何故か商人の心得を説かれる。
一般論的に要約すると、何事にも動じない強い心を育め…ということだろうか。
店長は偶に良い事を言うのだが、商人を基準に話をするため若干理解し難いときがある。
まぁ今ではそれにも大分慣れたものだが。
「それはそうとーこれは必見っすねー。世界に名高い大豪商の商談なんてーそうそうお目にかかれるものじゃないっすよー? シロさんも是非見ておくっすー」
「そう、ですね。見学させてもらいます」
商いの知識は皆無だが、確かにこれは面白そうだ。
しかしいくら有名な商人とはいえ、あのロザリーさんが相手ともなれば一筋縄ではいかないだろう。
それに商談対象はこの広大なビーチ全域。
決して小さな交渉事ではないということも忘れてはいけない。
「まず始めに聞いておくべき事項がある、ロザリンティア女史」
「なんですの?」
2人の会話を固唾を飲んで見守る僕と店長。
「貴殿はこのビーチに、一体どれ程の金をかけることができる?」
「……難しい質問ですわね。わたくしは商人でもなければ、それに因んだ知識も持ち合わせておりませんの。ですから、ビーチの相場などまったくわかりませんわ」
「それでも構わないよ。貴殿の思う金額を提示してみてくれ」
「っ……」
開始早々、場の空気がピリピリしてきた。
こんな雰囲気の中でじっとしているのは正直辛い。
そのため少しでも嫌な空気を払拭しようと、僕は隣に座る店長に耳打ちをする。
(……店長、今の状況は?)
(さすがはリリィさんっすねー。早速彼女のペースっすよー)
(え? そうなんですか?)
(っす。始めにお客の懐を探るのが基本なんすけどー、彼女は追いこみ方が上手いっすねー)
(は、はぁ)
店長は目をキラキラさせながら2人の商談を楽しんでいるが、僕には内容の進展はおろか状況の良し悪しさえわからない。
「さぁ、どうかな?」
「短気は損気、ですわよ? 今考えていますの」
う〜ん、と頭を抱えるロザリーさん。
素人がビーチの価値を聞かれているのだ、彼女でなくても悩むだろう。
(でも、売り手が売値を提示するのが一般的なんじゃないですか?)
(店売りの場合はー確かにそうっすけどねー。でも今回のようにー売値がハッキリしていないときは例外っすねー)
店長は商談から目を離さずに続ける。
(売値が定まっていないというのはー、一見どちらかが特をするように見えるっすけどー、実際はー圧倒的に売り手側が有利なんすよねー)
(え、どうしてです?)
(商品はー売り手自身の持ち物なんすからー、その価値だってー売り手側が自由に決めることができるっすー。ここまではわかるっすよねー?)
(は、はい)
(ならー後は簡単っすよー。テキトーな理由をつけてーどんどん要求額を増やしていけばイイだけの話っすからー)
(あ、そうか)
(それがー土地の相場を知らないお客相手ならー尚更楽っすよー。本来ならー相手がどれ程の知識を持っているかもー商談の中で見極める必要があるんすけどー、お嬢様はー既に手の内を晒してしまったすからねー)
(知識がない…と言ってしまいましたしね)
(っす。もう何をどうしようとーリリィさんの独壇場っすよー。ボられても文句言えないっすー)
商売は奥が深い……というか、なんだか世知辛いなぁ……。
(僕がロザリーさんなら、物凄く安い金額を提示して、リリィさんの出方を窺いますね)
(むしろ買い手にはーそれくらいしか応戦する手段がないんすよー)
(ほ、本当に不利なんですねぇ……。じゃぁ、どうしてロザリーさんはこの方法を使わないんですか?)
(それはーお嬢様のプライドなんじゃないっすかー? 色々な意味でー安い女だと思われたくないんすよー)
(あぁ、なるほど。たぶん…いや、絶対そうですね)
気高く恐れ知らずな彼女の性格が、今回は裏目に出てしまったようだ。
(ま、まさかとは思いますけど、これもリリィさんの計算の内…なんてことは……)
(ははー。シロさんにしてはー察しがイイっすねー)
(うわぁ……)
商談に入る前から八方塞がりとは……。
ロザリーさん……南無(-人-;)
「っ……」
「さぁ、いい加減観念したらどうかな?」
「………」
先程から黙秘を続けるロザリーさん。
しかし、ここへきてやっと彼女の重い口が開かれる。
「……い、1億……」
「ん?」
「ぐっ……わ、わかりましたわ! 10億! 10億エルでいかがです!?」
10億!?
彼女の口からとんでもない金額が提示された。
「10億か……ふむ。それ程の金額なら交渉する必要はないな。私はその条件で構わない」
「よ、よろしいんですの?」
「あぁ、後は貴殿の決定だけだ。値下げ交渉も承るが、どうする?」
「買いますわ!」
買っちゃった!?
「ならば契約成立だ。ありがとう、良い商談ができた」
「えぇ、こちらこそ。それはそうと、契約書の類が見当たりませんわね?」
「口約束で十分だ。契約金は後日振り込んでくれればいい」
「随分と信用されていますのね?」
「ふふ。お客様は宝物、だからね」
「さすがは商人。口だけは達者ですわね」
テーブルの上で握手を交わすロザリーさんとリリィさん。
しかし、最後は予想外にあっけない幕切れだった。
「いやーイイもの見せてもらったっすー。勉強になったっすよーノ」
「お前ほどの商談ができたとは思えないが…ここは素直に喜んでおくよ」
一瞬にして10億エルをモノにしたリリィさんは至って謙虚。
もう色々な感覚がどうかしていると思う。
「予想以上に大金をはたいてしまいましたが、これは良い買い物をしましたわ♪」
「そ、そうですね。10億エルの価値は(たぶん)十分にあると思いますよ」
「えぇ。それに最も喜ばしいことは、お父様を頼らずに済んだことですわね。かなりギリギリでしたが、『ポケットマネー』の範囲で安心しましたわ♪」
「………」
10億エルで商談成立したことよりも、それがポケットマネーであったことに1番驚いた。
まぁそれはそうと、
「そういえば、シィはどうなるんですか? 土地の所有権がロザリーさんに移譲されたとなると、リリィさんとの契約は解除されることになりますよね?」
「ん(おんどりゃこのデカ乳! どうオトシマエつけてくれんのじゃアホンダラ! わいの知らんところでいつの間にかニートになってもうたやないか!? てめぇはニートのアイドル『ニードル』でも目指してろってことかいな!? ああん!?)」
いつの間にか傍にいたシィが大激怒?している。
もちろん僕にしか聞こえない『第2の声』で。
まさか『ん』という言葉の中にこれ程の意思が込められているとは夢にも思わないだろう。
「あら、そうでしたわね。なら持って帰ってメイドにでもしますわ」
「む(わいは土産かなんかかい!? つかコンシェルジュ言うとるやろ馬鹿たれ! あんなフリフリのメイド服なんて着れるかボケ! それに……)」
「こんな有能な人材そうはいませんわ。規定以上の高い給金を約束しますので、それに見合った働きを期待していますわよ?」
「……ん(な、なんや、そういうことならはよ言えや。キレて損したわ、ったく……)」
意外とがめついな、シィ。
正午過ぎ。
リン・店長・ロザリーさんの3人は商談後、すぐに着替えて海へと繰り出していった。
僕も行こうとしたのだが、リリィさんに『親睦を深めよう』と引き止められ、今は別荘のテラスでチェスに興じている。
「先読みが甘いな。その騎士、私がいただこう」
「あ、しまった……」
彼女の青く透き通った腕が、僕の陣地からナイトの駒を連れ去っていく。
「イチカとは色々あってな。詳しくは話せないが…まぁ、腐れ縁といったところだ。君が思っているほど危険な間柄ではないから、安心していい」
「そ、そうですか。それが聞けただけで十分ですよ」
「ふふ。大方、脅しだどうのと話をぼかされていたのだろう?」
「は、はい」
「当たらずしも遠からず、といったところだな」
「え!?」
「はっはっは! 冗談だ…………半分はな」
「………」
結局店長とリリィさんの関係はわからずじまいだった。
詳しくは判明しなかったものの、少なくとも険悪な関係ではないということはわかった。
やはり脅しというキーワードが妙に引っかかるが……。
「それにしても……ふふっ」
「?」
リリィさんは僕から奪ったナイトの駒をつまみ上げると、それを指先でクルクルと弄び始める。
「実はな。ここを訪れた理由は、他でもない……君なんだ」
「え? 僕、ですか?」
「イチカが執着する男だ。一体どれ程の人物なのか、この目で確かめてみたくてな」
「そう、だったんですか」
「しかし……ふふ、思っていた以上に無難な男だったよ」
「な、なんか、すみません」
笑い混じりに話すリリィさん。
まぁ、確かに無難ですけども……。
「だが、こうして顔を合わせて話してみると、何故イチカが君を好いたのかが良くわかる」
サファイアのように美しくも冷たい彼女の瞳は、いつしか温かく心地良いものに変わっていた。
「包容力…とでも言おうか。君にはそれが溢れている。納得した」
「包容力、ですか。あまりピンときませんけど……」
「他人を惹きつける魅力というものは、存外自分では気づかないものだよ」
僕の駒がリリィさんのクイーンに次々と蹂躙されていく。
「……羨ましいな。人を好きになれるというのは」
「? それは、どういう……」
リリィさんの手が止まる。
「職業病なのかな。私は、他人をまったく信用できないんだ」
「え? でも、さっきロザリーさんに……」
「あれは口先だけだ。客の機嫌を損ねるわけにはいかないからな」
「………」
「商人というのは、どんな相手にでも常に疑念を抱いている。それはイチカも例外ではない。それに、私は昔……」
彼女は言葉を区切るとエメラルドグリーンの海に目を向ける。
僕もつられて視線を海に向けると、波打ち際で楽しげにはしゃぐ3人の姿が。
「イチカを疑り深いと思ったことは?」
「……ありません。まったく」
「だろうな。現に彼女は、ここにいる全ての人間(魔物)に心を開いている」
リリィさんは悲しげに目を伏せると、
「私には、到底できないことだ。ましてや異性を好きになるなんて…本当に羨ましい限りだ」
俯く彼女が、とても寂しそうに見えた。
「……できますよ。リリィさんにも」
「そう、かな。とてもそうは思えないが……」
人を信じられないなんて、悲し過ぎる。
人を好きになれないなんて、それ以上に悲しいことだ。
「その、リリィさん」
「ん? なにかな?」
顔を上げたリリィさんと目が合う。
「僕のことを……信じてみてください」
「……え?」
宝石のように綺麗な彼女の瞳が、こんな悲しみの色に染まっていいはずがない。
「僕のことを、信じてください。もしあなたを裏切るようなことがあれば、僕を奴隷として辺境の地に売り飛ばしてもらっても構いません」
「………」
「なんなら、誓約書にサインしてもいいです! こう見えても法学を学んでいるので、教授に頼みこめば書類の準備もできます。それに……ぁ」
彼女の冷たい手が僕の額に触れる。
「君、少し落ち着いたらどうかな?」
「………」
熱を持ち興奮した思考が急激に冷やされていく。
「私のためにそこまで言ってくれるのはありがたいが、私は君に優しくされる理由がない」
「そ、それは……」
「それに私は、一体君の何を信じれば良いのかな?」
「そんなの決まって…………あれ?」
思わず言葉に詰まる。
言われてみれば確かにそうだ。
何を信じてもらえば良いのか……何て答えればいいんだ?
「ふふ。後先考えずに喋るのは感心しないな」
「す、すみません」
「だが……」
リリィさんは僕の額から手を離すと、
「その気持ちだけは受け取っておこう。ありがとう…嬉しかったよ」
「……はい」
彼女はそう言ってくれるが、僕は自分の無力さを痛感する。
僕は、悲しむ女性1人すらも元気づけてあげられないのか……。
「………」
「はっはっは! どうして君が落ち込むんだ?」
「い、いえ、そんなことは……」
「……ふむ」
落ち込む僕を見かねたのか、リリィさんは何かを閃く。
「そこまで私を気にかけてくれるというなら、良い考えがある」
「え?」
リリィさんは指を組むとそこに顎を乗せ、何やら怪しげな笑みを浮かべる。
「ものは相談だが……君のことを、『好き』になってもいいかな?」
「…………へ?」
す、すき?
「え、えーと……」
「好きになるという行為は、相手を信じるということに繋がるとは思わないか?」
「確かに、理屈はそうですけど……」
「ん、なんだ? 先程の君の言葉は、全て嘘だったということか?」
「そ、そんなことは!」
「なら構わないだろう」
「う、うぅ……」
こ、この展開は……予想外です。
「おいおい、何も君とイチカの恋路を邪魔しようというわけではない」
そう言うとリリィさんは僕の手を両手で優しく握り、
「偽りの感情かもしれない。でも、それでも私に……恋をさせてくれ。頼む」
「………」
………。
…………。
……………。
ええい! 僕も男だ!
「よ、よろしくお願いします!」
「………」
僕が握られた手を強く握り返すと、キョトンとした表情を見せるリリィさん。
そして、
「……あぁ。こんなどうしようもない女だが、仲良くしてやってくれ」
「!」
初めて見る彼女の笑顔に、思わずドキリとしてしまった。
……これは、店長にどう説明するべきか。
間違いなくロザリーさんにも怒られて、そして噛まれるだろうなぁ……。
まぁでも、
「ふふっ♪」
リリィさんからこんな素敵な笑顔を引き出すことできたんだ。
ここは男として、素直に喜ぼう。
「あぁ、本当に好きになってしまったときは容赦なく寝取るから、そのつもりでいてくれ」
「……え?」
3日目 終了
〜店長のオススメ!〜
『不思議な木の実』
レベルが1上がる
価格→ 198000エル
13/03/22 23:36更新 / HERO
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