正気のお茶会
日差しが心持ち弱い。
(……気がするな)
そろそろ季節が冬に向かっていくということだろう。
まだ人通りが少ない正門前に立った礼慈は、少しぼんやりする頭を振って冬が滲み出した朝の空気を吸い込んだ。
今は普段の登校時間よりもかなり早い。
そんな時間に彼が学園の中に入らず敢えて正門前で佇む理由など決まっていた。
(まだ、だな……)
正門周辺を見回し、蜂蜜色の髪と白と水色のエプロンドレスの姿がないことを確認して「よし」と呟いて正門脇に植えられている並木の縁へと位置をずらす。木に体を預けてまばらな人通りを眺めていると、
「鳴滝っちー」
声が降ってきた。
「……早いな」
「おっはよー、そう言う鳴滝っちこそ早いじゃん。誰かと待ち合わせかな?」
「ああ、まあ」
「ほほぅ……?」
そんな言葉と共に礼慈の横へ空から文字通り降り立ったのは同級生のピリだ。
ハーピ―の彼女は礼慈の応答に何かを感じとったのか興味を惹かれた様子で迫ってくる。
「それはもしや、最近ウワサになってる例の美幼女だったりするのかな?」
「そんな噂が立てられてるのか?」
「ふふふ、私たち相手に浮いた話を隠せるなんて思っちゃいけないよー。スグるんとキョウちゃんの子作り休学からこっち、皆いっそう発情期だからね。鳴滝っちからそこはかとなく魔物の香りがするのには皆気付いてるよー」
(魔物、恐ろしいな……)
ピリはでも、と首を傾げ、
「その美幼女の話、ウワサじゃ高等部に連れ込んだりしてるって聞いてるんだけど、その子のことを見たってヒトは居ないんだよね。専門家のサバト関係の子たちも知らないって言うし、何かインボウの臭いがするよね」
「それを俺に言われてもな……」
「裏に手を回しているとか?」
「いやいや」
とはいえ、心当たりは多い。
高等部内の情報統制をしてくれているのは会長だろう。それに、元締めが認識しているはずのサバトが知らないと答えるということは教頭ちゃまもこの件は大事にはしたくないという方針でいてくれていると見ていい。
同級生が知らないということは英や鏡花も黙って様子を見てくれているということで、あまり多くの人と接触しなくても良い状態を保ってくれているのは今のリリの状況的にありがたい。
「ふーん、ま、いっか。ところで私もその子に会ってみたいんだけど、ダメ?」
「会っても面白いことはないと思うぞ?」
「いやいや、好奇心が疼いちゃってさ。もちろん誰にも、そう、ダーリンにもどういう子だったのかは秘密にしておくからさ」
目が爛々と輝いている、獲物を狙う猛禽の目だ。
(これはちょっと待つ場所を間違えたか)
リリと落ち合うだけならば彼女の屋敷の前で待っていればよかったのだ。だが、二日連続で飲酒状態で連れ帰ったという事実がそれをするのをためらわせたし、単純にあの貴族区画は庶民には居づらい。
(朝会って、昼の約束をするくらいの時間なら大丈夫だと思ったんだけどな)
ピンポイントでクラスメイトに見つかって興味まで持たれてしまうことになるとは、油断した。
せめてもっとうまい切り返しができていればここまで興味を持たれてしまうこともなかったのだろうが、
(うまくいかないな)
「レイジお兄さま?」
良いタイミングなのか悪いタイミングなのか、聞き慣れた声が聞こえた。
「リリ」
「わあ……っ」
振り向いた礼慈に追従したピリが翼で口元を隠して歓声をあげる。
リリはそんな見知らぬ上級生の反応に目を瞬かせて、
「お、おはようございますはじめまして。えと、お兄さま、そちらの方は?」
「ごめんね! おはよう! 君があまりにかわいらしかったもんだから私ったらもうびっくり! あ、私ピリ。鳴滝っちのクラスメイトだよ。ヨロシク!」
ピリはリリをちらちら見ながら礼慈に耳打ちする。
「ちょっ、ものっすごく可愛いじゃん! そりゃ鳴滝っちもいい顔するようになるわけだ!」
「いい顔?」
「あ、やっぱり自覚ないんだ。美幼女のうわさが広がってくるのと同じくらいのタイミングで鳴滝っちの表情がツヤめいてきたって皆言っててさ。こりゃ恋でもしたに違いないって言ってたら鳴滝っちから魔物の気配がしだすしさ。そりゃ『あのムッツリ酒豪を落としたのは誰だ?』って気になるわけさ。それで、私はこの子を見てもう納得だよ」
「勝手に納得されてもな」
ピリの言う通り“いい顔”とやらをしている自覚はない。
(……いや)
リリと出会ってからは表情がだらしなくなっているような気がしないでもない。ピリが言っているのはつまりそういうことだろうか。
「あの……?」
そこはかとなく心細そうなリリの声にピリが「おっと」と口を開く。
「これは私はお邪魔だね! 突然用事ができたから先に教室行ってるよ。お二人はごゆっくりー!」
慌ただしくピリは去っていく。
過ぎた嵐の跡を見て呆然とするような心持ちでいると、リリが訊ねてきた。
「おじゃまをしてしまいましたか?」
「いや、友達は最近遊んでくれないって言ったろ? 今のも彼氏待ちの時間潰しの相手をさせられてただけだ」
適当に言うと、リリはほっとしたような顔をした。だが、すぐに表情を曇らせ、
「昨日はわたし、本当にごめんなさい」
「それは俺も悪かったって言っただろ? あの話はこれでおしまいだ」
「ですけど、わたし、レイジお兄さまのお世話になっているのに、よけいにごめいわくをおかけしてしまって」
禁酒の約束をした昨日の時点で話は済んでいるつもりだったのだが、リリとしてはそうはいかないらしい。二日酔いの影響も抜けたところでもう一度謝罪をしておきたいのだろうか。
リリの気持ちを尊重して謝罪を受けておいた方がいいかと礼慈は判断し、
「確かに一回二日酔いで頭が重くなったんだからそこで懲りてくれればよかったけど、俺としてはリリが俺を飽きさせずにいてくれるから楽しいっていうのもあるんだ。気にしないでくれて本当にかまわない」
「楽しい、ですか?」
「ああ……気を悪くしないでもらえるとありがたいんだが」
「そんな、わたしもお兄さまにきらわれたらどうしようって思ってて」
「それなら大丈夫だ。だってほら、リリに早く会おうと思って今日はいつもより早くに家を出てリリが来るのを待っていたくらいなんだからな」
「わたしが来るのを……ですか?」
「連日待たせて悪かったから。たまには俺が待つ側になってみようと思ったんだ」
この言葉に嘘はない。むしろこの言葉以上に礼慈はリリと顔を合わせることを切望していた
(リリの体調が心配だったしな)
言い訳じみた建前を立てるあたり、もうかなりやられている自覚はある。
「お兄さまにそんなことさせられないです」
「いや、これでなかなか待つ側っていうのも悪くないものだと分かった」
リリが来るのを待つ時間は期待のようなものが常に心にあり、正直胸が高まる思いだった。これなら待つという行為も悪くないと思える程に。
「もうしばらく続けてみるのも悪くない」
「いえ、わたしもレイジお兄さまを待つのが好きなので……明日からはやっぱりわたしが……!」
放っておくと夜明け前には登校してしまいそうな剣幕だったので、待つのはこれまで通り、リリの役目とすることになった。
「あまり無理しないように。で、もしよければなんだが、今日も昼、生徒会室に来ないか?」
「はい! ごめいわくじゃなければよろしくお願いします」
「なら決まりだな」
朝の短い会話。そんなものでも心が晴れやかになるのを感じながら、礼慈はリリと別れようとして袖を引かれた。
「どうした?」
「は、はい。あの。お昼にまたおかしを作るんです。それで、よければ学校が終わった後に、また食べてくれませんか?」
公園で食べたクッキーの味を思い出す。リリらしいと表現できるようなクセになる甘さをまた食べることができるのなら断る理由はない。
「楽しみにしてるよ」
「はい! 今度はお兄さまのために作りますから、きっと前よりおいしくなると思います」
その一言に、また自分の表情が緩んでしまうのを礼慈は感じた。
●
礼慈はリリが授業で作ったというカップケーキに舌鼓をうって放課後の時間を満喫していた。
「うん、うまい」
甘さは抑えて果物の皮を混ぜ込んでいるのか、鼻に抜ける香りが良い。いくらでも食べられそうだった。
「お姉さまたちやお母様にお兄さまのような人が好きそうなお味を調べてもらったんです。それに、この間家でケーキをいっしょに食べた時のことをさんこうにしました」
「なるほど。これは本当に好みの味だな」
研究の成果は当たりだ。
「前のクッキーもそうだったけど、リリには料理の才能があると思う」
本心からの言葉だ。それに対してリリは純粋に嬉しそうに「ありがとうございます」と言う。
「それで、ですね。あの、わたし、おかし以外のお料理も始めてみようと思うんです」
「いろいろと試した方が楽しいだろうし、いいと思う」
「それで、ですね。もしおいしくできたら、その時はお兄さま、食べてもらえますか?」
訊ねられるまでもない。
「むしろこっちからお願いしたいくらいだよ」
「ありがとうございます! がんばります!」
リリは両手を握ってよし、と気合を入れる。
「いつかはお母さまやレミお姉さまをこえるようになりますね」
「なれるさ。応援してる」
「はい。ですから、あの、これからも――」
リリが何事かを言い切る前に、生徒会室に繋がる扉が開いてふらぁ、という妙に緩慢な動きでルアナが姿を見せた。
「お前たち、仲が良いことはとても好ましいことだとは思う。思うのだが、延々と聞かされているとムラムラしてきてしまうぞ」
その目は心持ち虚ろで、本当に何がしかを耐えているような風情だ。
「そんなに我慢とか厳しいようなら会長も旦那さんとイチャイチャしていればいいのでは?」
「か・い・ぎ・な・の・だ!」
言うと、ルアナはマントを翻して一転し、
「ああ、せっかく生徒会の仕事が暇になったのだ。放課後は妹も交えて楽しく食事を摂らせてもらおうと思っていたのだが、緊急会議とはついてない。お預けをくらうというのはなかなか無い経験でな。参ってしまうぞ」
ルアナは落ち着かなげにそわそわしている。悪いことをしてしまったかと礼慈は思いつつ、
「緊急会議って何かあったんですか?」
基本的に必要が無いのなら働かないのが魔物だ。それがわざわざ予定に無かった会議を入れるとなるとそれなりの理由があるのだろう。
「教師の間で問題の見極めがつくまでは生徒には情報が下りてこないようにしているようでな。名目的には臨時職員会議なのだが」
そう前置きしてルアナは続ける。
「どうやら三日ほど前から、学園の裏山の辺りで強力な認識阻害の魔法の発生が確認されているようだ。それについての調査と対応のための会議だな」
礼慈は思わず腰を浮かせた。
ルアナが怪訝な顔を向けてくるのへ「気にせずに」と伝えて続きを聞く。
「認識を阻害しているという認識すら油断をすると意識から消されてしまうような強力な代物らしくてな。その特徴のせいか何者が魔法を発動しているのか教師陣でもまだつかめていないようだ。リリム様が創った土地で発動している魔法である以上、おおよそ問題はないだろうが、術者と、その目的が掴めるまでは少しばかりピリピリするかもしれん」
「一応は他言無用で」と言うのに頷いて、礼慈はリリに視線を送る。リリは今の会話がどういったものなのかをよく分かっていないようで、礼慈の視線に疑問符を浮かべていた。
「……その魔法は、なにか周期のようなものがありますか?」
「周期か……確か、昨日は発生を確認できず。一昨日一昨々日は夕方頃に発生を確認したのだっただろうか」
「そして数時間で魔法は消えた?」
礼慈の質問にルアナの顔が真面目なものになる。彼女は礼慈を部屋の隅に呼び寄せ、
「何か知っているのか?」
「知っているといいますか……」
リリを視線で示すと、ルアナはそれだけで言わんとしていることを察してくれた。
「驚いたな。教頭ちゃまも認めるほどの大魔法という話だったはずだが」
声を潜めて言うルアナにならって礼慈もボソボソと応じる。
「リリ本人は魔法を使っているという自覚もないみたいなんですが、ネハシュさんでもリリの居場所を探知することはできなかったという話ですから相当なものなのだろうとは思います」
「天然物か……天才の類だな」
「無意識の代物なので制御できないということでもあります。学園の裏山でそんな魔法が使われるのがまずいということならそうならないようにしますし、これまでのことも謝りに出頭してもいいですけど」
「まあ早まるな」
ルアナは掌を立てた。そのまま少し考え、
「うん、後は任せておくといい。教師陣には私から伝えておこう」
「いいんですか?」
「構わない。リリ嬢が無意識に強力な魔法を使える理由も明白なようなもの。逢瀬を邪魔する声も皆を混乱させたことを咎める声も起きまい」
バシバシと肩を叩かれるので受け止め、丁重に除けておく。
「お手数かけます」
「いやなに、普段の鳴滝の働きに対する報いと思えばこの程度は問題の内に入らない。それに、これで私も彼との時間を確保できるのだと思えばな」
ふふ、と期待が漏れ出た笑みを浮かべたルアナは続ける。
「他の会議の参加者だって早急にカタがつくのは歓迎だろうさ」
「あの……」
話を聞いていたリリが挙手付きで遠慮がちに声を上げる。
「わたし、何か……?」
礼慈とルアナは目を合わせ、
「鳴滝を取ってしまってすまない。仕事の話をしていたのだ。つまらないことだ、リリ嬢が気にするようなことではない。
いや、しかしこの僅かな会話の間に餅が焼けるほどに鳴滝が想われているとはな。私としては先ほどにも増して口の中が甘くてたまらない心地だが……鳴滝、酒はあるか?」
「すみません。昨日から禁酒すると決めてますので持って来てないです」
ひらひらと手を振ると、ルアナは虚をつかれた顔で礼慈を見て、次いでリリに視線をやる。
「そうか……そうか」
感慨深そうに何度も頷き、
「それは良い心がけだ。君が本当に美味しい酒を味わえるようになることを影ながら応援させてもらおう。
ああ、それと。可能であるならば今日これから例の魔法を発動してもらえないか? 鳴滝が言った通り、昨日は観測できていなかった。それを意図的に発動させることによって私の言葉の証明としたい」
「分かりました。発動する条件もなんとなく分かっているのでいけるはずです」
礼慈は会話の流れの外にあえて置いたままのリリに言う。
「リリ。会長が早く旦那さんとイチャイチャしたいから今日の所は部屋を空けて欲しいそうだ。――行こうか」
「はい。あの、すみません。ルアナお姉さまのおじゃまをしてしまいました」
「うむ……うむ? いや、まあ少しばかり当初の思惑からは外れてしまったが、かといって邪魔になっているわけでもない。立場に伴う仕事が舞い込んできただけだ。そんなにかしこまらなくてもよい。
そうだな。だがせっかくなのでリリ嬢。君たちの空気にあやかりたい。カップケーキを一つもらっても良いかな?」
「はい、どうぞ」
ルアナは渡されたカップケーキを口にした。
「これは素晴らしい。鳴滝。君は果報者だぞ?」
「ええ、分かってます」
「ならばよし」
「そんなことより飲み物はいいんですか?」
「私のこの渇きと甘さへの渇望はもはやあの者の血でしか癒せない」
ルアナは颯爽と身を翻して荷物をまとめ始めた。
「さて、私は楽しい夜のために一仕事だ。鳴滝、一つ頼んだぞ」
上機嫌のルアナに頷いて、礼慈はリリに言う。
「じゃあ俺たちも行こうか」
話の流れを理解はしていないようだが、ルアナが自分たちのために何事かをしてくれようとしているのはリリなりに感じ取っているのだろう。彼女はルアナに頭を下げた。
「ルアナお姉さま。ありがとうございます」
「なに、これもやはり立場に伴う仕事というものだ。礼には及ばんよ」
ルアナは一足先に窓から飛び立って行った。
19/04/06 22:42更新 / コン
戻る
次へ