シャワールーム
家に着くまでの間にリリが目を覚ますことはなかった。
軽いが確かに背中に在るぬくもりを意識しながら、礼慈は外階段から住居部へ上がる。
(今日は誰とも会わなかったな)
寝ていると言えばまだ聞こえはいいが、実際には酒と性交によって昏睡した少女を運んでいたのだ。誰かに姿を見られたらと考えるとあまり心によろしくない。
ほっ、と息をついてランドセルと自分の荷物を下ろすと、リリをソファーに寝かせ肩を揺さぶってみた。
「ん……ぅ」
小さく声をあげながら目を開いたリリは礼慈を見上げると「あれ?」とつぶやく。
「ここは……わたし……?」
「ここは俺の家だよ」
浴室の方を指さす。
「ちょっと汚れてしまったから、シャワー行っておいで」
事後、秘密基地の中で後始末はしたが、汗やほこりをきれいに拭き取れたかといえば違うだろう。
それに、どうも吸収されるようになっているようだが、それでも家に着くまでに各種体液がリリの中からこぼれてきていないとも限らない。
敷物になっていた衣服もやはり汚れが多少は目立つ。魔物製の衣服であり、普通の衣服とは別物だというのは昨日理解したが、洗濯はしておいた方が無難ではあろう。
「洗濯しておくから、服はまた洗濯機の中に入れておいてくれ」
「……いや」
「え?」
予想していなかった返答が来て思わず聞き返した礼慈に、リリは同じような調子で答えた。
「いやです」
「……服が汚れているのは気持ち悪いだろ?」
困惑する礼慈に、リリは靄がかかった常磐の瞳を細めて言った。
「一人じゃ、いやです。お兄さまもいっしょに入りましょう?」
まだ意識がはっきりしていないらしい口調の誘い。それは礼慈にとってひどく魅力的な提案であった。本能任せに誘いに乗りそうな自分をなんとか押し止めて思考を回す。
(いや、これに乗ったらきっとまた止まれなくなる……)
これは予感ではなく確信だ。家の中でそういうことをして、大きな物音を出して下の店に響いてしまうと迷惑になる。
「そういうのはお姉さんにやってもらいな。俺じゃあ女の子の体をきれいに洗える自信はないから」
口早に言うと、リリが何事か言い返してくる前に頭を軽く上から押してたしなめ、脱衣所を出た。
ドアを閉めた所で、礼慈は眉間に指を当てて揉み解す。
下げた視線の先、股間はまたいきり勃っていた。
(あれだけキツく絞られて出したのに、まだ懲りてないのか)
ゆっくりと呼吸をして自分を落ち着かせようと試みながら、礼慈はフラッシュバックする快感を眉間を揉みほぐしてかき消そうとする。
まずいなと自分の下半身事情を憂いていると、礼慈と一緒に入ることを諦めたのか、浴室からはシャワーが流れる音が聞こえてきた。
ドアの先でリリがどのような格好になっているのかを想像した礼慈は、それ以上そこにとどまるのは心にも股間にも悪いと判断して自分の部屋に足を向けた。
リリの着替えを適当に見繕って洗濯機を回すと、空になった水筒にクセの強い酒を注ぎ込んで一気に半分ほど呷る。
喉を焼く熱を感じながら酒精混じりの息を吐き出して欲情の気配をアルコールで焼く。
ようやく人前に出れる股間になった頃に、リリが出てきた。
昨日と同じようにリリにドライヤーを渡して、気分を切り替える意味を込めて浴室に向かう。
冷水でさっと汗を流してリビングに戻ると、心地よい芳香が礼慈を包み込んだ。
「――――っ」
頭を冷やすだけと考えてシャワーを浴びたため、あまりに手早く浴室を出てしまったのだろう。リビングにはリリが髪を乾かした匂いが立ち込めていた。
全身を打撃するかのような甘く芳しい匂いによる不意打ちは、冷水で抑えた欲求を再び沸点近くにまで上昇させるのに充分なものであった。
頭に手をやりながらソファーに座っているリリから視線を逸らすことができないままに、テーブルに置いていた水筒の蓋を手探りで開けて鼻を埋めるようにして残りを口にする。
そうしてリリの香りを上書きしていると、リリが顔をしかめていることに気付いた。
「どうかしたのか?」
「……頭が、重いです」
「ああ、それは二日酔いだな」
「二日よい、ですか?」
「忘れたか? リリは秘密基地で俺の酒を飲んで酔っ払ったんだぞ?」
寝起きの時にはまだ秘密基地で淫れていた状態を引きずっていたように見えたが、今はいつもの自分を取り戻しているようだ。
(淫気が収まったから、アルコールの方の影響が強く出たと……)
魔物でも影響は出るのだなとある意味発見を思っていると、リリは尋ねてくる。
「えっと、すみません。ヒミツ基地で、わたしたちおそうじ、してましたよね? そこで、お酒、わたし、飲んじゃったんですか?」
「記憶にないか?」
「……はい、あの、お酒が気になったのはおぼえているんですけど……」
掃除のことも尋ねてきていたということはもしかしたら秘密基地に着いた時からの記憶が既にないのかもしれない。そう思っていると、リリが心底申し訳なさそうに頭を下げた。
「お兄さまのお酒を飲んでしまって、ごめんなさい」
「それはいいよ。ただ、まあそんなふうに頭が痛くなってしまうから、お酒は飲まない方がいいな」
「…………はい」
リリの返事に頷いて、礼慈は精一杯怖くないように笑いかける。
「下で水をもらってくるといい。俺も乾燥機回してからすぐ行くから」
●
内階段で店に降りてきたリリに、お客さんの相手をしていた礼美が気付いた。
「あら、いらっしゃい。礼慈は……まだ来ないみたいね。何か食べて待ってる?」
気さくな挨拶に、「お水を」と言うと、礼美はグラスにきれいに削った氷と水を入れて来ると、リリを人目につきづらい隅の席に案内した。
「はい、どうぞ……あら?」
コースターの上にグラスを乗せながら、礼美は首をかしげた。
「ごめんね」と断ってから顔を近づけてリリの鼻先をクンクンやると眉尻を下げて、
「もしかして、礼慈にお酒を飲まされたかしら?」
「いえ、わたしが、その、かってにお兄さまのお酒を飲んでしまったんです」
礼慈が悪く言われることがないように、指摘に間髪入れずに答えると、礼美は納得したようなほっとしたような表情で、
「興味が惹かれてしまうのは分からないでもないけれどね。でもお酒はそれを飲んだ後にどうなっていたいのかを決めた時に飲むものだと思うから、リリちゃんにはまだ少し早いかな」
「どうなっていたいか、ですか?」
「そう、お酒を飲むと開放的な気分になってしまうから、そうなった時にリリちゃんがどう振る舞いたいのか。それが決まったら、バッカス様のお酒をおばさんから進呈させてもらおうかしらね」
「……」
どうなっていたいのかを真剣に考え始めてしまったリリの注意を引き戻すように、礼美は手を打った。
「さ、このお話はこれでおしまい。今日は二人で何をして遊んできたのかしら?」
「えと、ヒミツ……です」
「あらら、今日もフられちゃったわね」
苦笑気味の礼美に、リリが「あ」の形に口を開いた。
何らかの謝罪の言葉を作ろうとしたのだろう彼女の口に礼美はカットしたフルーツを突っ込んだ。
「謝らせてばっかりね。ごめんなさい、リリちゃんをいじめたいわけじゃなかったの。何をしていたのか聞くことができなかったのは残念だけれど、リリちゃんと遊んでくると礼慈はいつも嬉しそうにしているから、その感謝をしたかったのよ」
礼美はフルーツを盛った皿をテーブルに置く。
「だから、ありがとう。これもぜひ食べて行ってね。お酒を飲んだ後ならなおさらね。水気の多いものを食べてほうが良いもの」
店の客が礼美を呼ぶ声がする。それに応えて席を離れようとする彼女に頭を下げた。
「ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ。礼慈と仲良くしてくれる女の子ができて本当に良かったわ。ありがとうね」
「あの、わたしはお兄さまに助けてもらっていて、ですから――」
「母さん、俺も水もらいたいんだが」
礼慈が降りてきた。
彼はリリと礼美の様子を見ていたのか、
「何か二人して頭をペコペコ下げ合ってたけど、どうかしたのか?」
「いいえ、ただフルーツの試食をしてもらっていただけなの。ね、リリちゃん」
「は、はい」
頷き合う二人を怪訝に思っている様子ながらも、礼慈はリリの隣に腰を下ろした。
「リリ、ネハシュさんには連絡しておいたから今日も晩飯はうちで食べていくといい。今日も家まで送るよ」
19/03/15 03:26更新 / コン
戻る
次へ