第三話 『自分の人生は自分で演出しなきゃ』
「ヴェルナー・フィッケル。我が親衛隊への入隊を許可する!」
領主邸の一室に呼び出された直後、レミィナから理解しがたい言葉を投げかけられた。隣では領主とその執事が並んで苦笑している。昨夜のアルコールはとうに抜けていたが、素面の状態でも理解できないものは理解できない。当然親衛隊の意味くらいは分かるし(というか祖国にもあった)、魔物とはいえ王族である彼女が直属の部隊を持っていることも納得はいく。
「……許可、というのはどういう意味です?」
「この入隊志願書を受理したってこと」
一枚の紙切れが、目の前に突き出される。書いてある文字は読めない……いや、一箇所だけ母国語で書かれている部分がある。私の名前だ。多少歪んでいるが私の筆跡に間違いなく、そして私がこの世界でサインした書類など、一つしか記憶になかった。
「……それ、昨日の外泊証明書じゃないですか!?」
即座にその書類を奪おうとするも、私の手はむなしく空を掴んだ。レミィナが中へ浮き上がったのだ。
「外泊証明? 何のことかしら?」
その翼で羽ばたきながら、レミィナは愉快そうに笑って宙を舞う。垂れ下がっている尻尾を捕まえようとするも、滑るような水平移動で身をかわされた。私の背後に回り込み、彼女は書類をひらひらと踊らせている。
振り向きざまに捕らえようとするも、今度は真後ろにバックして逃げられた。航空力学を無視した動きに虫酸が走る。そんな私を見てニヤニヤと笑いながら、彼女は羊皮紙をくるくると丸め、胸の谷間に挟んでしまう。私の視線を誘導する意図が見えたため、さりげなく開けた胸元から目を逸らした。
「……このペテン師め。善良な悪魔もいるのだと思った私が馬鹿でした」
本音をそのまま口に出す。良い友人になれるのではないかと思っていたら、酔っている隙に私を陥れるとは。
「えー、そんな言い方酷いよ。アナルほじくってあげるから機嫌直して?」
「何をどうすればそれで機嫌が直るんですか。ただの屈辱でしょう」
「慣れると快感になるよ?」
「願い下げです」
領主が私から銃を没収していたことに感謝すべきだろうか。手元にワルサーPPがあれば、このセクハラ王女の眉間目がけて引き金を引いたかも知れない。悪魔の王女が鉛弾で死ぬかは別として。
「まあフィッケル、落ち着いてくれ。姫も調子に乗りすぎだ」
ついに見かねたのか、領主が止めに入った。レミィナは相変わらず楽しげに笑いながらすとんと床に降り、着席する。私にも座るよう促すので、ひとまず怒りを堪えて席に着くことにした。戦争は同じテーブルで話をしてからだ。
「さて、フィッケル。姫は確かにふざけすぎたが、そなたにとってもこれは悪くない話だと思う」
「……確かに、働き口を紹介して欲しいとは言いましたが」
愛機の改造に成功すれば、いつまでも世話になっているわけにはいかない。この街なり外でなり、何か仕事を探すつもりだった。ミシュレからサバトなる組織への入門を進められたが、いくら魔物の街に来たからと言っていきなりディープな世界にはまりたくないので、丁重にお断りした。できれば飛行機を使って仕事をしたい所だが……
「だがそなたはこの世界のことをまだあまり知らない。あの飛行機で荷物の配達でもやるつもりかもしれんが、それも土地勘がなければできることではあるまい?」
領主の言う通りだった。それに空を飛べる魔物がいるこの世界で、飛行機による空輸にどれだけ需要があるかは分からない。偵察や伝令にしても魔物がやった方が面倒がかからないし、現に軍装の鳥人を見かけもした。おまけに聞いた話では、魔法による遠隔透視や瞬間移動などもやろうと思えばできるそうだ。つまるところこの世界に、今更シュトルヒ一機とその操縦士が迷い込んだところで何の意味もないのだろう。この世界では飛行機が化け物になるのを見ずに済むわけだから、喜ぶべきかも知れないが。
蛇足ではあるが、魔物のいないところに行こうという気はない。何処でも温かく迎えてくれるとは限らないし、彼女たちに世話になっておきながら『教団』とやらに味方するほど無節操でもないつもりだ。
「だから、彼女の親衛隊に入れと?」
「姫はこの世界の縦横無尽に旅していてな。風来姫の号で呼ばれている」
風来姫……確かに、レミィナの自由奔放な姿に似合っている。私はこのルージュ・シティが魔王の重要拠点であり、レミィナは政務のため滞在しているものかと思っていたが、魔物の王族というのは相当に自由らしい。或いは何らかの事情で故郷に帰れないかだが、彼女を見るに恐らく前者だろう。
「彼女と共に旅をしながら、この世界について学んでみてはどうか? そなたがここに留まるにしろ、元の世界に帰る方法を探すにしろ、ためになると思うぞ」
元の世界に帰る……その選択肢は正直、あまり考えていなかった。故郷は懐かしいし、生きているうちに一度は日本に行ってみたかった。だが帰ったところで守るべきものはすでに失っている。これも血筋に反し、鈎十字に手を貸した罰だろうか。
だがこの世界でなら、やり直せる道もあるかもしれない。
「御者をやってほしいの。貴方のコウノトリでね」
「御者、ですか」
もとより空の駄馬として使われていた飛行機だ。悪魔とはいえ王族の馬車馬になるなら、まあ出世というべきだろう。
「待遇は保証する。何せ、かつて私が隊長を務めていたのだからな」
「ね、どう?」
レミィナはわたしをじっと見つめ、返事を待っている。騙されたことには腹が立ったが、私は彼女のことを嫌いになったわけではない。それにこの世界で生きていくことを考えると、彼女と共に旅をするのは確かに悪い話ではないだろう。そして何よりも、飛ぶことができる。
そう考えれば、確かに断る理由も無いか……
「……いいでしょう。しかし改造に成功するか、まだ分かりませんよ」
「ミシュレさんならやれると思うよ。あの人、母上が魔王になる前から生きてるもの」
「千年生きたころから、歳のカウントを放棄したと言っていたな」
あのような子供の姿だというのに少なくとも千歳以上、何ともスケールの大きい話だ。レミィナや領主はまだ若いらしいが、この先千年や二千年は軽く生きるのだろう。私にはそこまで長生きして何が楽しいのか理解できないし、「長く生きるか」より「どう生きるか」の方が大事だと思っている。老いて飛行機に乗れなくなる前に、空で死にたい。だがその短い命の残りを、彼女たちと共に歩むのも悪くはないだろう。
いつしか談笑に入った二人の魔物を眺めながら、私は愛機のエンジン音を思い出していた。
…………
……
…
「それっ!」
「わっ、飛んだ飛んだ!」
「まてまてー!」
この街に来てから十日。
人の慣れとは恐ろしいもので、私は異形の妖女たちが行き交う街で平然と散歩をし、下半身が蜘蛛や蛇の魔物相手でも普通に話ができるようになった。人間と価値観は異なっていても大抵は気の良い奴らだ。ただ常に男を狙っている者もいるが、レミィナが守ってくれるので心配することはない。
街の子供も珍しい異世界人である私に寄ってくるので、紙や木などを用意してオモチャのグライダーを作ってやった。空を飛ぶことへの人間の憧れはどの世界でも変わらないらしく、飛べない魔物の子供達も同じらしい。一直線にグライダーを飛ばし、それを笑いながら追いかける姿を見ていると、どうしても昔の自分を思い出す。切ない話だ。
駆け回る子供達を尻目に、私はサバトの私設へと向かった。魔法で動く機械の基礎理論をすでに作っていたミシュレたちは、ものの十日で我が愛機を改造してみせたのだ。それも技術屋が多く集うこの街だからこそと言っていたが、試験飛行がまだである以上油断はできない。当然、操縦するのは私だ。今日は風も凪いでいるし、試験には丁度良いだろう。例え死んだとしても、地上で生き続けるよりはマシというものだ……
「おう、来たなフィッケルよ」
海辺沿いにあるサバトの実験所。得意げに腕を組むミシュレの背後で、愛機はすでに折りたたみ式の翼を広げ、暖気運転を始めていた。
「どうじゃ、相棒の機嫌は?」
「なかなか良さそうです」
動力源が変わったせいか音は静かだが、プロペラは快調に回っていた。主翼と胴体の鉄十字、そして尾翼の鈎十字は消されている。『教団』との誤認を避けるためと言われてのことだが、私のシュトルヒは何処か誇らしげに見えた。王族専用機に出世した喜びか、それとももう地獄を飛ばずに済むからか。
改造に携わった魔女や技師達が見守り、領主も見物に訪れていた。やはり日光は苦手なのか執事に傘を持たせ、自分の四方を兵士に守らせている。その脇をすり抜け、レミィナが姿を現した。翼を広げ、地表間際を滑るように飛んでくる。
「いよいよね、ヴェルナー」
いつも通り好奇心に満ちた、魅力的な笑顔でレミィナはすり寄ってきた。愛機の新たな動力源である『魔力』は彼女が注入してくれたらしい。ミシュレはリリムの魔力なら安心だと言っていたが、正直私には何が安心なのか分からない。だがそれ以上に問題なのは……
「姫、本当に同乗するのですか? 危険かもしれませんよ?」
「何を言うか! 儂らの技術力を信ぜい!」
ミシュレの方が噛みついてきたが、レミィナが彼女を軽く宥めた。
「まあまあ。……わたしがいれば万一があったとき、貴方を引きずり出して逃げられるじゃない」
自分の翼を羽ばたかせ、レミィナは私を見つめる。パラシュートは一応持っているが、確かに彼女に助けてもらった方が安全ではあるだろう。
「それに、貴方を実験体扱いしてるって思われたくないし」
「……分かりました」
意外に、と言っては失礼だろうが、義理堅い面もあるらしい。どの道今後は彼女を後部座席に乗せて旅をすることになるのだし、「背後に魔物の女がいる」という状況下での操縦に今の内に慣れておくべきだろう。私とてプロだ、飛行中に彼女の色香に当てられることなど無いと信じたいが、希望的観測は大抵外れることもよく知っている。
そんな話をしているうちに、試験飛行の時間だとレミィナが告げた。今更気づいたが、彼女の懐中時計は左回りだった。この世界でも他の時計は右回りだったので、恐らく彼女の一品物なのだろう。
観衆に見守られながら、愛機の操縦席に乗り込む。レミィナに手を貸して後部座席(ちゃんと掃除しておいた)に乗せ、ドアを閉めた。目の前には多数の計器、手元には操縦桿。前方で回転するプロペラ。やはり私にはこの椅子が一番馴染む。
エンジン回転数正常。その他計器も異常なし。各舵の動作も正常。
「楽しそうね」
「まあね。姫、御者を務める以上、命令には極力従います。しかし飛行機に関しては私の意見を優先していただきたい」
離陸準備を進めながら、私は重要なことを告げる。
「そしてくれぐれも、飛んでる最中に悪戯などしないように」
「分かってる。街の上に墜落したりすれば、死ぬのはわたし達だけじゃ済まないもの」
「それをご理解いただけているのなら、私も安心です」
都市上空で被弾、またはエンジントラブルが発生した場合は脱出せず、民間人に被害のない場所まで機体を持って行くのが操縦士の義務だ。我々は地上にいる人間のことも考えて飛ばねばならないし、空でどんな死に方をしても自分の責任であり、関係のない人間を巻き込むべきではない。逆に近くに敵がいるなら、最後の力を振り絞って体当たりするのも手だろう。もっとも最初からそれを前提とした部隊が、同盟国で本当に結成されたときは正気を疑ったが……。
ミシュレに向かって、ジェスチャーで離陸の合図をする。すると彼女も親指を立て、にやりと笑った。
「準備良し、離陸します」
主翼のフラップを降ろし、スロットルを開いた。
機体が前へ動き出す。
徐々に加速。もう中断は不可能。
大きな布張りの主翼が風を受ける。
機首を上げ、上昇角を取る。
すぐに、脚が地面から離れるのを感じた。
そのまま上昇。
問題ない、いつもと同じ短距離離陸だ。次第に高度が上がり、地上が遠ざかる。人間が豆粒大に見える高さで、ゆっくりと水平飛行に移った。
エンジンは問題ない。それどころか今までよりも加速がよく、力があるように感じられた。元々ドイツ空軍の燃料はアメリカ軍などと比べ、あまり質が良くない。動力源が魔力に変わったことで、より効果的に推力を作れるようになったのかもしれない。
機種を振って左に旋回。綺麗に回る。舵の効きも問題ないし、計器も正常に動いている。
「飛んでる。成功ね!」
「ええ、大成功です」
レミィナの歓声に、私も笑顔で答えた。下を見れば青い海に、港湾に停泊する帆船が見える。偵察や観測に使うだけに視界は良い。この眺めこそが、飛行機乗りにとって何よりの喜びなのだ。
軽い機体はひらひらと旋回する。今日は晴れているが雲も多少出ており、絶好の飛行日和だ。雲の形で風向きや天候を判断できるので、雲一つない晴天はかえって不安なのだ。今日の場合、注意を払う必要があるのはこの町に住んでいるハーピーやセイレーンなどだ。今も街の上空にはそういった鳥人たちが飛んでおり、興味深そうに我々の方を眺めている。近づいたら危険なのは彼女たちも分かっているらしく、ある程度距離を保っているものの、万が一あんなでかい鳥とバードストライクを起こしたらひとたまりもない。
「これで一緒に旅ができそう」
レミィナは嬉しそうに言う。私も正直、それが楽しみだ。彼女の気まぐれに振り回されそうな予感もするが、飛行機で気ままに旅をするというのは一種の憧れでもあった。地獄の空から生還し、戦友とビールを飲み交わす一時もあれはあれで格別と言える。しかし冒険飛行の時代に少年期を過ごした私としては、やはり未知の世界に胸が高鳴る。
少し高度を下げて海面近くを飛んでみると、近くの漁船から漁師達が手を振っていた。人魚らしき女性の姿も見える。船には大きな魚が多数積まれており、今日は大漁のようだ。
「姫は何故、旅に出ようと思ったのですか?」
浅い角度で旋回しつつ、折角なので尋ねてみることにした。
「わたしね、小さい頃から親元を離れて育ったの」
「……それは」
やはり、何らかの事情を抱えていたのだろうか。魔物にも代継や姉妹仲の問題がるのかもしれない。
だがそんな私の表情を読んだのか、レミィナはクスクスと笑った。
「ヴェルナー、今人間の王族にありがちな、凄いネガティブな人生を想像したでしょ。わたしはただ昔から好奇心が強くて、家臣から聞いた土地に住んでみたいって思っただけ」
「ご両親は許したのですか?」
「うん。後で知ったことだけど、母上にも考えがあったみたいでね」
振り向いてみると、彼女は懐かしそうな笑みを浮かべていた。
「同じタイプの存在ばかりで構成された集団は、一つのアクシデントで全滅しかねない。だから沢山いる姉妹の中に、違う環境で育った娘もいた方がいいかもって思ったみたいよ」
「なるほど」
私も集団生活の極限である『軍隊』を経験しているからして、その理屈はよく分かる。部隊が危機に陥ったとき、全員が同じ発想しかできないようでは解決策が見つからないものだ。魔王はそういったことまで考え、神々との争いに備えているのだろう。
「確かに、姫ほど頻繁に町から町へと渡り歩くリリムは珍しいそうですね」
彼女の姉妹には『教団』の勢力圏へ積極的に侵攻する者もいるようだが、それでもその間隔は非常に長いようで、今は概ね占領地で大人しくしているらしい。リリムの寿命はほぼ永久に近いため、人間と時間間隔が多少異なっているのだろう。
「今こうしている間も、世界の時間は動いてるもの。妹や姉上たちを悪く思ってはいないけど、じっとしているなんて勿体ないのよ、わたしとしては」
「ご姉妹は大勢いらっしゃるようですが、仲はよろしいので?」
私の質問に、レミィナは苦笑したようだ。
「大抵仲は良いよ。ただわたし、家でちょっとやっちゃったからさ。今下手に姉上たちに会ったらしばかれるかも」
「……その『ちょっとやっちゃった』ことを詳しく教えていただけますか? 今後一緒に旅するに当たって凄く不安なので」
レミィナ姫は悪魔だ。いくら可愛いからといっても、正真正銘、本物の悪魔なのだ。その気になれば町を一瞬で焼き尽くしたり、死霊の軍勢を召還したりするくらいできるかもしれない。そしてそれをやった後で『ちょっとやっちゃった』などと言われてはたまったものではないのだ。
「大したことじゃないって。父上を水風呂に突き落として家出しただけ」
……大したことではない、のか? いや確かに、私が心配していたことに比べたら大したことないだろう。しかし魔王の夫になるような男を水風呂に突き落とす……凄まじい度胸だと言えなくもない。
「一体何があったんです?」
「あのね、父上ってばわたしに『髪を下ろした方が似合う』なんて言うのよ! わたしはポニーテールとニーソックスには拘りがあるのに!」
「……」
髪は女の命、とは言うが。
「それで言い返したら口げんかになって……」
「……」
「その後、私が悪い友達と付き合いすぎとか言うのよ。失礼しちゃうわ」
「……槍玉に挙がったご友人というのは?」
「殺し屋さんとかマフィア屋さんとか」
「……」
魔王の夫でも娘には苦労するらしい。私の妹も我が儘言って父を困らせていたような。
「で、わたしカッとなって城の床に大穴空けちゃってさ」
「今すぐ降りていただけますか?」
「今はそんなことしないって! そんな風に嫌われたらわたしだって傷つくのよ?」
「慣れると快感になりますよ」
「願い下げ!」
拗ねたように言いながらも、ちらりと振り返ってみると彼女は笑っていた。よく分からん悪魔だ。とりあえず先日のセクハラ発言の仕返しができたので良しとしよう。
だが彼女の話は終わっていなかった。
「それでね、父上の平手打ちをわたしが避けたら、衝撃波で部屋の壁が壊れて……」
「……」
「怒った母上が止めに入ったせいで、城の一角が全階吹き抜け構造になっちゃったの」
「……姫のご両親には絶対に会いません」
私の言葉に、レミィナは「普段は二人とも優しいよ」と笑った。彼女は他人事のように言うが、魔王の元で働く家臣たちには心から同情する。というか、こんなとんでもない娘が他に何人もいるというのか。しかも父親と喧嘩しているということは、御者など務めていれば私の身にも危険が及びかねない。やっぱり親衛隊を辞めようなどとは言わないが、先行きが不安すぎる。
「釈然としなかったわたしは父上に一矢報いるべく、一緒にお風呂入って仲直りしよ♥って言って……」
「水風呂へドボン、ですか……」
いくら何でも自由すぎるだろう。これはこの先しっかり気を引き締めていかねば、彼女の気まぐれでとんでもない目に遭いそうだ。それを補って余りある美女だろうと言われれば返す言葉もないが、万一女の我が儘に付き合って死のうものならあの世で家族や戦友達に顔向けできない。
そう思いながら操縦していると、レミィナがわたしをじっと注視しているのに気づいた。
「どうしたんです?」
「格好いいな、って」
「……それはどうも」
元の世界では航空兵と言えば女性の憧れの的であるし、騎士鉄十字勲章まで持っていれば『格好いい』くらい言われ慣れている。しかし男を誘惑する悪魔にこのようなことを囁かれては、当然心を揺さぶられるというものだ。それでもシュトルヒの操縦桿を握っている以上、責任感によって理性を保っていられる。冷静でさえいられれば、女性と二人で飛ぶのもなかなか楽しいものだ。
「ヴェルナー。わたし沢山わがまま言うと思うけど、ヴェルナーもわがまま言っていいからね」
少し真剣な声で、レミィナは言った。プロペラが風を切る音と彼女の声が、妙に似合っている。
「やっぱり、自分の人生は自分で演出しなきゃ」
「……そうですね」
私に勲章を手渡してくれた人も、同じ事を言っていたのを思い出した。あの人は戦争の最中、味方の手によって自決に追い込まれたが、自分の人生に満足できていただろうか。
レミィナを見ていると、やはりこの世界でやり直したいという気分になってくる。祖国では全てを失ったが、この世界で彼女と一緒に旅していれば人間として、飛行機乗りとして充足を得られるのではないか。
先行きは不安であるものの、今後のことを楽しみにしている自分がいるのも事実だった。
…………
「どうじゃフィッケル、儂らの技術力は!」
無事に試験飛行を終えて着陸した我々を、ミシュレが得意満面の笑みで出迎えた。周囲にいる魔女やドワーフたちもジュースで乾杯したり、拍手を送ったりしている。見物人達も歓声を上げ、子供達が模型のグライダーを掲げて「乗せてよー!」などと叫んでいた。
「脱帽ですよ。本当にありがとうございます」
制帽を脱いでみせ、ミシュレに右手を差し出す。この世界でも飛行機に乗れるようになり、心から嬉しかった。おまけに性能も若干上がったとなれば言うこと無しである。
ミシュレは胸を張って、毛皮に覆われた手を私に伸ばし……ふと、レミィナの方へ目をやった。
私が視線を追ってみると、側に立っているレミィナの脚が震えていた。表情も何処か苦しそうだ。
「姫、どうし……」
声をかけた瞬間。
レミィナはその場に崩れ落ちた。即座に抱き留めるも彼女の目は虚ろで、息も荒い。
「レミィナ姫!?」
「姫! どうした!?」
「とりあえずベッドへ! 施設の中へ運ぶのじゃ!」
騒ぎ出す観衆に促され、私はレミィナを抱きかかえて走る。
彼女は私の腕の中で苦しそうに息をしながらも、微かに笑みを浮かべていた。
12/03/20 19:42更新 / 空き缶号
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