天野美緒の回想3
「ねぇ、天野さん」
朝。校門をくぐった辺りで声をかけられた。かなりドキッとしたわ、呼び止めてきたのが保健室の小宮山先生だったから。美人で優しい先生だけど、保健室でシュークリーム食べたことがバレたら多分怒られるだろうと思った。
「天野さんって、マルガさん、ハリシャさんとお友達なの?」
「えっと、まあ、はい」
二人の名前が出てきて、やっぱりそうだ、とりあえず謝るしかないな、って思った。けど先生はニコニコしてて、怒る気配は無し。この人は紫外線に弱い体質だとかで、外じゃいつもフードを被ってるんだけど、それでも目立つくらい可愛い笑顔だった。
「やっぱりねー。なら近々、きっと良いことがあるよー」
「良い……こと?」
「そう。私としてはちょっと惜しい思いだけどねー」
のんびりとした声でそれだけ言うと、小宮山先生は行っちゃった。先生の言葉の意味が分かったのは、もうちょっと後の話ね。
後はいつもみたいにダラダラ授業を受けた。まあノートはちゃんと取ってたし、露骨にやる気無かったのは四時間目の体育くらいだったわ。担当教師がクソだったから。怒られたけど、怖いとも何とも思わなかったな。なんか訳の分からない高揚感があって、教師が取るに足らない相手に思えたのよね。そんな私を不気味に感じたのか、小言は短く済んだ。友達からも気味悪がられちゃったけど。
で、昼休みにブラッと図書室で時間を潰そうとしたら、そこで思わぬ出会いがあった。ハリシャちゃんがいたのよ。隅っこの机に、一年生の女の子と向き合って座ってた。机の上にトランプみたいなカードをたくさん並べて。
「……あら」
声をかける前に向こうが気づいた。ハリシャちゃんは優しく微笑んで、「こんにちは」と挨拶してくれた。
「こんにちは……奇遇だね」
「ええ……あなたが来るってことは、ついさっき分かったけど」
ハリシャちゃんはズラッと並んだカードへ目をやって、一年の子がクスッと笑ってた。なんか帆船だったり太陽だったりの絵が描かれたカードで、一緒にトランプの柄も小さく描かれてた。
けどハリシャちゃんと会ってしまった以上、私としてはもっと気になることがあったのよ。
「ね、今日のお菓子ってどんなの?」
だってしょうがないよね。あの子の肌、前にもらったクッキーのチョコにそっくりでさ。見てるだけでチョコの香りがしてきそうっていうか、食欲湧いてくるっていうか……こういう言い方するとちょっと危ないヤツみたいね。
「……待ちきれないなら、今持ってきましょうか? 私も早く感想聞きたいし」
あの子の口調や身のこなしは上品で、でもどこか色っぽい。それに見とれながら頷くと、じゃあ持ってくるからと出て行っちゃった。
残されたのは私を尻目に、一年の子は広げたカードを片付け始めた。くりくりとした目をしていて、小さめのツインテールの可愛い子。小柄だけど、ある部分はそれなりに大きいって思ったな。どこがとは言わないけど。
「……変わったトランプだね」
「占いのカードです。今やってたのは、グランタブローっていうやり方ですね」
その子はゆったりとした声で答えてくれたんだけど、何だか声を聞いた瞬間、ゾクっとしたんだよね。怖い、ってわけじゃなくて、何だか不思議な雰囲気を感じたの。マルガちゃん、ハリシャちゃんと同じような、特別な人って雰囲気を。あの二人と違って、見た目は普通の日本人だけど。
私が来るのが分かった、っていうのは占いの話なんだなって察しがついた。
「へぇ。当たるの?」
スピリチュアルな物にはあんまり興味なかった。この日まではね。でも全否定するわけじゃなかったし、その子の雰囲気のせいか、なんとなく興味が湧いてた。
「それは占う人の腕次第、ですね。……私のは当たりますけど、やってみましょうか?」
そう言って微笑む彼女からは、なんていうか、底知れないものを感じた。
「例えば、疎遠になった友達とまた仲良くなれるか、とか」
「……お願いしよっかな。それで」
何となく気になるテーマを言われたから、もしかして心を読まれてるのかって思った。あれからケンちゃんのことが引っかかってたから。占いとかやる人はそういうの分かるのかな、なんて思った。
その子はカードをシャッフルして、素早い手つきでまた机の上に並べ始めた。三十六枚のカードを全部並べて、それぞれの位置関係を見て占うやり方なんだって。
「……相手は男の人ですか? 女の人ですか?」
「男だよ。小さい頃はよく一緒に遊んだんだけど……」
「じゃあ、天野先輩は女だから『淑女』、相手の方はこっちの『紳士』のカードとします」
レトロな絵柄のカードを指差して、一年ちゃんはすらすらと説明してた。呪文を唱えたりお祈りしたりとかは無し。
貴族っぽい女の人が描かれたカードと、その三つ隣にある男性のカード。その間には白い鳥と、蛇。
「男女がお互いに向き合っているので、相手の方も天野先輩のことをちゃんと覚えていて、意識してると思います。そして『蛇』は基本的にネガティブな意味なんですけど、『コウノトリ』が隣にある場合は別です」
「どうなるの?」
「『叡智』、『再生』とかの意味になります。再び繋がりができるか……もしくは、知恵のある女性が手助けしてくれるかと」
知恵のある女性。そう聞いて最初に思いついたのは、私のお母さん……の、真逆の人っていうワードだったわ。いや、お母さんはバカじゃないけど、叡智とかいうのは多分持ってない。直感でそう思ったの。
それならやっぱり、私の知らない世界を知ってそうな……あの二人じゃない?
あと、ケンちゃんが私のことを意識してるっていうのも、ちょっと思い当たることはあったの。前にケンちゃんがあの二人に、『臭い靴下が好きな猫』の話してたじゃない。あれ、昔うちで飼ってた猫のことなんだよね。一緒に遊んだこと、覚えてたんだな、って。
「ですので、また親しくなれるでしょう。……ただ」
「……ただ?」
「天野先輩の方は、小さい頃みたいな関係に戻りたいんですよね。すぐ上に『子供』のカードが出てます」
「うん、まあ」
「でも、相手の方は……」
一年ちゃんが指差したのは、『紳士』カードの上にある……『ハート』のカード。どういう意味なのか、占いを知らなくても察しはつくよね。
「……いやいやいやいやいや、まさか」
「『コウノトリ』には移動や転機の意味もあるので、昔と違う関係になれる可能性は高いですね」
「いやいやいや、私とケンちゃんはそういうのじゃ……」
「相手の方の近くに『指輪』も出てます。小さい頃に、大きくなったら結婚しようねーとか、そういう約束しませんでした?」
「う……!」
してた。
「まあ、何にせよ総じて『吉』です。おめでとうございます」
微笑みながら祝ってくれる一年ちゃんに、私は(鏡を見たわけじゃないけど)耳まで真っ赤になってた。ケンちゃんと恋愛関係になるって発想がそのときは無くて、言われて初めて想像したわけよ。今思い出すとバカだったな、ケンちゃんに悪かったなって思うけど。
で、ちょうどその時携帯が「ピロン♪」って鳴って、ハリシャちゃんからメッセージが入ってた。さすがに図書室でお菓子は怒られるから外で食べましょうってね。
「あ、ありがとね……そろそろ行くわ」
「はい」
とりあえず占いからスイーツに気持ちを切り替えることにして、図書室から出た。そのときになって、一年ちゃんが何故か私の名前を知ってたことに気づいたんだけど……まあハリシャちゃんが占ってもらってたみたいだから、そのときの流れで私のことを話してたんだろうと思ってスルーしたな。
廊下で待ってたハリシャちゃんは、また私に微笑んでくれた。クールというか、一見ドライな美少女って感じなんだけど、笑顔はすごく優しいのよね。
「気に入ってもらえるといいんだけど」
そう言って渡してきたのは、前と同じ可愛い缶。開けてみると、今度はいびつな円盤型のチョコレート。よく見るとただチョコを円盤型にしただけじゃなくて、中身があった。カカオの香りに混じって、ほんのりと柑橘系のいい匂いも。
「ドライオレンジのチョコがけ!?」
「ええ、自信作ではあるわよ」
ハリシャちゃんもマルガちゃんと同じことを言ってた。食べなくても美味しいのは分かるけど、食べないのはただのバカ。
というわけで早速、いただきますしたんだけど……これが想像以上に美味しくてね。ほろ苦いチョコがとろけると、オレンジの香りと酸味、ほんのりハチミツの風味が口に広がるの。似たようなのは前にも食べたことあるけど、これが一番だなって思った。
「美味しいっ! これ、もしかしてドライオレンジも手作り?」
「まあね。チョコはともかく、そっちは初めて作ったんだけど……」
「すごく美味しいよ! 甘酸っぱさが濃厚で!」
「……そう」
褒めるとハリシャちゃんは嬉しそうで、ちょっと照れ臭そうな様子だった。クールな雰囲気とのギャップが可愛くてさ、もっと褒めようと思ったの。
「チョコも美味しい! 口どけすごくいいし!」
「……うん。チョコ菓子、大好きだから」
「そっか、なんかハリシャちゃんってお肌もチョコみたいだし……」
思わず、率直な感想を言っちゃった。
「って、これは失礼だった……?」
「いいえ。マルガにもよく言われるわ。夜なんて、寝ぼけてわたしのほっぺを舐め始めるし」
「マルガちゃんが? なんか可愛い……」
そう答えた直後、ふと気づいた。夜一緒に寝ているということは、一緒に住んでるってことだよね。
「マルガちゃんと家が同じなの?」
「ええ。……よかったら今日の帰り、遊びに来ない?」
ふいに誘われて、めっちゃテンション上がったのを覚えてる。二人のことをもっと知りたかったし、お菓子をもっともらえそうだし……どんだけ食い意地張ってんのよ私。
行ってみたい、って答えた瞬間、予鈴が鳴った。
「じゃあ放課後、駅前の公園で」
ハリシャちゃんは微笑むと、すごく自然な仕草で私に近づいて。向こうは背が高いから、ちょっと背を丸めて、私の頰に「チュッ」てキスしてくれた。この子の祖国の習慣なんだろう、挨拶でキスする国は結構多いらしいし……なんて思いながら、何だかぽーっとしちゃって、歩き去るハリシャちゃんを見送ってた。図書室からさっきの一年ちゃんが出てきて、私を見てクスッと笑ったところで正気に戻ったのよね。唇、すっごく柔らかかった。私が男だったら昇天してたんじゃないかな。
とりあえず残ったチョコオレンジを味わいながら、できるだけ急いで教室に戻った。
その後、午後の授業はテキトーに流した。あとホームルームの前にメチャクチャムラムラして、トイレの個室でオナニーしたな。思えばあのムラムラもお菓子のせいなんだよね。ちな、私は机の角にアソコをグリグリするオナニーが好きだったんだけど、さすがに学校ではやらないくらいの理性はあったよ。
放課後、担任に呼び止められた。体育の授業中に態度悪かったって、体育のクソ教師から苦情が入ったらしいんだよね。職員室へ来いと言われたけど、そんなことしてる場合じゃないからシカトしたわ。なんか本当に教師が取るに足らない相手って感じがしてたな。
けど、みんながみんなそうってわけじゃなくて、小宮山先生にまた声をかけられた時はドキッとしちゃった。今度こそ怒られるかもって。体の具合はどうかとか聞かれただけだったんだけど、なんかあの人は怒らせたくないなって気がした。その理由も後で分かったけどね。
「ミオちゃーん、こっちこっち」
足取り軽く駅へ向かうと、マルガちゃんが待っていてくれた。呼ばれなくても目立つブロンドのおかげですぐ見つかる。ついでに、今日はなんか不自然な物を持っていた。
「ハリシャは買い物してくるって。先に行こう」
「あ、そうなんだ。ここから近いの?」
「近いと言えば近いよ。お父さんとお母さんには言ってある?」
「うん、勉強会するって言っといた。とりあえず『勉強』って単語入れとけば大丈夫だから」
「そっかそっか」
話しながら、マルガちゃんは手に持っていた不自然な物を目の前に掲げた。
箒。学校の掃除用具入れにあるようなのじゃなくて、もっと昔っぽい、何となく洋風のやつね。分かりやすく言っちゃうと、魔女が乗って空を飛びそうなやつ。
「何それ?」
「箒」
「いや見れば分かるけど」
マルガちゃんは年季の入った箒を水平に持ち、スカートの裾くらいの高さで手を離した。そしたらその箒、落ちなかったのよ。誰の手も触れずに、宙に浮いてた。
「え……?」
「手品」
呆気に取られる私に、マルガちゃんはそう言って笑った。で、浮いた箒の柄に、まるでベンチに座るみたいに腰を下ろしたの。
「ほら、隣にどうぞ」
あの子の笑顔はあくまでも明るかった。今思うと周りに人はいなかったけど、誰も私たちに気づいてなかったみたい。
恐る恐る、マルガちゃんの隣に座ってみた。柄が特別長いわけじゃないから、箒の穂とマルガちゃんの間にはまる形になって、体が密着してた。
私が座っても箒はびくともしなくて、二人分の重さを支えてくれてた。柄は硬い木の棒なのに、何故かお尻に食い込む感じもなくて。
とにかくビックリしてたな。どんな仕掛けなんだろう、そもそも本当に手品? そんなことを考えてると、マルガちゃんが私の腰に手を回してきた。
抱き寄せるような感じで。わざとなのか、大きい部分を押し付けながらね。
「暴れないでね。上昇するから」
そう言うなり、彼女の足が地面を蹴って、私の足も地面から離れたの。椅子くらいの高さを浮いてた箒が、空へ向かってどんどん上昇し始めた。一メートル、二メートル、三メートル……。
「ちょ、ちょっと、マルガちゃん!?」
「大丈夫、手品手品」
私をなだめるように頭を撫でながら、どんどん高度を上げていった。落ちたら怪我をする高さから、落ちたら骨折する高さ、落ちたらグロい感じになっちゃう高さに。駅舎や電車がジオラマサイズに見えた。もう浮いているというより、飛んでた。
「手品の領域超えてるよね!?」
「アッハハハ。そーだね、これは手品じゃなくて……」
こっちの反応を面白がりながら、マルガちゃんは箒の速度を上げた。
「魔法って言うんだ!」
体に強い風圧が当たった。とにかく落ちたくないから、反射的にあの子にしがみついてたわ。
「どう? 感想は?」
「か、感想って……何が起きてるのー!?」
「だから魔法だって」
街がずっと下に見えた。駅も、学校も、全部小さかった。箒は風を切って、太陽の方へ飛んでた。近づいてきたカラスが慌てて避けてたな。
私が状況を飲み込めないでいたのに、マルガちゃんはとんでもないことを言ったの。
「しっかり掴まっててね。宙返りするから!」
「え!? は!? ちょっと待ってえええええ!」
箒はグーンと傾いて、私は無我夢中でマルガちゃんにしがみついてた。いやー、あのときは学校を出る前にトイレ済ませといてよかったわ。じゃなきゃ空中で撒き散らしてたよ。
マジで死ぬかと思ったけど、私のお尻は箒から離れなくて、逆さまになっても、そこから急降下に移っても落ちなかった。
箒が水平に戻ったとき、心臓がドクドク鳴ってた。高所恐怖症ってわけじゃないんだけど、細い箒の上で風を受けながら宙返りなんてされたら……そりゃ怖いでしょ。ましてや何の説明もなく。よっぽど文句言おうと思ったけど、下を見てまたビックリ。
街が無くなってた。駅も線路も、マンションや病院、学校みたいなゴタゴタした建物も、全部無くなって。あたり一面、緑の森が広がってたの。
地上だけじゃなくて、空も変わってた。頭の真上で、昼の青空と夜の星空が半々に分かれていたのよ。
「さあ、降りるよ」
神秘的な光景に思わず見とれていると、箒は静かに高度を下げて、木々の間に降りていった。森の中には曲がりくねった小道があって、それに沿って地面近くを飛んでいく。
そして、なんだかほんのりと、甘い匂いが漂ってきて。
「ほーら、到着。ここがボクたちの家だよ」
得意げに笑って、マルガちゃんが箒を止めた。地面に足が着いたけど、呆然としてしばらく立てなかった。目の前にあったのは、家。誰もがおとぎ話で聞いて、一度は憧れた家じゃないかな。
ビスケットの壁。砂糖の窓。生クリームが塗られた屋根。魔女が住む、お菓子の家よ。
「ミオちゃんさ、毎日つまらないって言ってたよね。同じことばかりだって」
おとぎ話の王子様みたいに傅いて、私の手を取るマルガちゃん。白くて、長い指だった。
「おめでとう。キミの日常は今日限りで壊れた」
朝。校門をくぐった辺りで声をかけられた。かなりドキッとしたわ、呼び止めてきたのが保健室の小宮山先生だったから。美人で優しい先生だけど、保健室でシュークリーム食べたことがバレたら多分怒られるだろうと思った。
「天野さんって、マルガさん、ハリシャさんとお友達なの?」
「えっと、まあ、はい」
二人の名前が出てきて、やっぱりそうだ、とりあえず謝るしかないな、って思った。けど先生はニコニコしてて、怒る気配は無し。この人は紫外線に弱い体質だとかで、外じゃいつもフードを被ってるんだけど、それでも目立つくらい可愛い笑顔だった。
「やっぱりねー。なら近々、きっと良いことがあるよー」
「良い……こと?」
「そう。私としてはちょっと惜しい思いだけどねー」
のんびりとした声でそれだけ言うと、小宮山先生は行っちゃった。先生の言葉の意味が分かったのは、もうちょっと後の話ね。
後はいつもみたいにダラダラ授業を受けた。まあノートはちゃんと取ってたし、露骨にやる気無かったのは四時間目の体育くらいだったわ。担当教師がクソだったから。怒られたけど、怖いとも何とも思わなかったな。なんか訳の分からない高揚感があって、教師が取るに足らない相手に思えたのよね。そんな私を不気味に感じたのか、小言は短く済んだ。友達からも気味悪がられちゃったけど。
で、昼休みにブラッと図書室で時間を潰そうとしたら、そこで思わぬ出会いがあった。ハリシャちゃんがいたのよ。隅っこの机に、一年生の女の子と向き合って座ってた。机の上にトランプみたいなカードをたくさん並べて。
「……あら」
声をかける前に向こうが気づいた。ハリシャちゃんは優しく微笑んで、「こんにちは」と挨拶してくれた。
「こんにちは……奇遇だね」
「ええ……あなたが来るってことは、ついさっき分かったけど」
ハリシャちゃんはズラッと並んだカードへ目をやって、一年の子がクスッと笑ってた。なんか帆船だったり太陽だったりの絵が描かれたカードで、一緒にトランプの柄も小さく描かれてた。
けどハリシャちゃんと会ってしまった以上、私としてはもっと気になることがあったのよ。
「ね、今日のお菓子ってどんなの?」
だってしょうがないよね。あの子の肌、前にもらったクッキーのチョコにそっくりでさ。見てるだけでチョコの香りがしてきそうっていうか、食欲湧いてくるっていうか……こういう言い方するとちょっと危ないヤツみたいね。
「……待ちきれないなら、今持ってきましょうか? 私も早く感想聞きたいし」
あの子の口調や身のこなしは上品で、でもどこか色っぽい。それに見とれながら頷くと、じゃあ持ってくるからと出て行っちゃった。
残されたのは私を尻目に、一年の子は広げたカードを片付け始めた。くりくりとした目をしていて、小さめのツインテールの可愛い子。小柄だけど、ある部分はそれなりに大きいって思ったな。どこがとは言わないけど。
「……変わったトランプだね」
「占いのカードです。今やってたのは、グランタブローっていうやり方ですね」
その子はゆったりとした声で答えてくれたんだけど、何だか声を聞いた瞬間、ゾクっとしたんだよね。怖い、ってわけじゃなくて、何だか不思議な雰囲気を感じたの。マルガちゃん、ハリシャちゃんと同じような、特別な人って雰囲気を。あの二人と違って、見た目は普通の日本人だけど。
私が来るのが分かった、っていうのは占いの話なんだなって察しがついた。
「へぇ。当たるの?」
スピリチュアルな物にはあんまり興味なかった。この日まではね。でも全否定するわけじゃなかったし、その子の雰囲気のせいか、なんとなく興味が湧いてた。
「それは占う人の腕次第、ですね。……私のは当たりますけど、やってみましょうか?」
そう言って微笑む彼女からは、なんていうか、底知れないものを感じた。
「例えば、疎遠になった友達とまた仲良くなれるか、とか」
「……お願いしよっかな。それで」
何となく気になるテーマを言われたから、もしかして心を読まれてるのかって思った。あれからケンちゃんのことが引っかかってたから。占いとかやる人はそういうの分かるのかな、なんて思った。
その子はカードをシャッフルして、素早い手つきでまた机の上に並べ始めた。三十六枚のカードを全部並べて、それぞれの位置関係を見て占うやり方なんだって。
「……相手は男の人ですか? 女の人ですか?」
「男だよ。小さい頃はよく一緒に遊んだんだけど……」
「じゃあ、天野先輩は女だから『淑女』、相手の方はこっちの『紳士』のカードとします」
レトロな絵柄のカードを指差して、一年ちゃんはすらすらと説明してた。呪文を唱えたりお祈りしたりとかは無し。
貴族っぽい女の人が描かれたカードと、その三つ隣にある男性のカード。その間には白い鳥と、蛇。
「男女がお互いに向き合っているので、相手の方も天野先輩のことをちゃんと覚えていて、意識してると思います。そして『蛇』は基本的にネガティブな意味なんですけど、『コウノトリ』が隣にある場合は別です」
「どうなるの?」
「『叡智』、『再生』とかの意味になります。再び繋がりができるか……もしくは、知恵のある女性が手助けしてくれるかと」
知恵のある女性。そう聞いて最初に思いついたのは、私のお母さん……の、真逆の人っていうワードだったわ。いや、お母さんはバカじゃないけど、叡智とかいうのは多分持ってない。直感でそう思ったの。
それならやっぱり、私の知らない世界を知ってそうな……あの二人じゃない?
あと、ケンちゃんが私のことを意識してるっていうのも、ちょっと思い当たることはあったの。前にケンちゃんがあの二人に、『臭い靴下が好きな猫』の話してたじゃない。あれ、昔うちで飼ってた猫のことなんだよね。一緒に遊んだこと、覚えてたんだな、って。
「ですので、また親しくなれるでしょう。……ただ」
「……ただ?」
「天野先輩の方は、小さい頃みたいな関係に戻りたいんですよね。すぐ上に『子供』のカードが出てます」
「うん、まあ」
「でも、相手の方は……」
一年ちゃんが指差したのは、『紳士』カードの上にある……『ハート』のカード。どういう意味なのか、占いを知らなくても察しはつくよね。
「……いやいやいやいやいや、まさか」
「『コウノトリ』には移動や転機の意味もあるので、昔と違う関係になれる可能性は高いですね」
「いやいやいや、私とケンちゃんはそういうのじゃ……」
「相手の方の近くに『指輪』も出てます。小さい頃に、大きくなったら結婚しようねーとか、そういう約束しませんでした?」
「う……!」
してた。
「まあ、何にせよ総じて『吉』です。おめでとうございます」
微笑みながら祝ってくれる一年ちゃんに、私は(鏡を見たわけじゃないけど)耳まで真っ赤になってた。ケンちゃんと恋愛関係になるって発想がそのときは無くて、言われて初めて想像したわけよ。今思い出すとバカだったな、ケンちゃんに悪かったなって思うけど。
で、ちょうどその時携帯が「ピロン♪」って鳴って、ハリシャちゃんからメッセージが入ってた。さすがに図書室でお菓子は怒られるから外で食べましょうってね。
「あ、ありがとね……そろそろ行くわ」
「はい」
とりあえず占いからスイーツに気持ちを切り替えることにして、図書室から出た。そのときになって、一年ちゃんが何故か私の名前を知ってたことに気づいたんだけど……まあハリシャちゃんが占ってもらってたみたいだから、そのときの流れで私のことを話してたんだろうと思ってスルーしたな。
廊下で待ってたハリシャちゃんは、また私に微笑んでくれた。クールというか、一見ドライな美少女って感じなんだけど、笑顔はすごく優しいのよね。
「気に入ってもらえるといいんだけど」
そう言って渡してきたのは、前と同じ可愛い缶。開けてみると、今度はいびつな円盤型のチョコレート。よく見るとただチョコを円盤型にしただけじゃなくて、中身があった。カカオの香りに混じって、ほんのりと柑橘系のいい匂いも。
「ドライオレンジのチョコがけ!?」
「ええ、自信作ではあるわよ」
ハリシャちゃんもマルガちゃんと同じことを言ってた。食べなくても美味しいのは分かるけど、食べないのはただのバカ。
というわけで早速、いただきますしたんだけど……これが想像以上に美味しくてね。ほろ苦いチョコがとろけると、オレンジの香りと酸味、ほんのりハチミツの風味が口に広がるの。似たようなのは前にも食べたことあるけど、これが一番だなって思った。
「美味しいっ! これ、もしかしてドライオレンジも手作り?」
「まあね。チョコはともかく、そっちは初めて作ったんだけど……」
「すごく美味しいよ! 甘酸っぱさが濃厚で!」
「……そう」
褒めるとハリシャちゃんは嬉しそうで、ちょっと照れ臭そうな様子だった。クールな雰囲気とのギャップが可愛くてさ、もっと褒めようと思ったの。
「チョコも美味しい! 口どけすごくいいし!」
「……うん。チョコ菓子、大好きだから」
「そっか、なんかハリシャちゃんってお肌もチョコみたいだし……」
思わず、率直な感想を言っちゃった。
「って、これは失礼だった……?」
「いいえ。マルガにもよく言われるわ。夜なんて、寝ぼけてわたしのほっぺを舐め始めるし」
「マルガちゃんが? なんか可愛い……」
そう答えた直後、ふと気づいた。夜一緒に寝ているということは、一緒に住んでるってことだよね。
「マルガちゃんと家が同じなの?」
「ええ。……よかったら今日の帰り、遊びに来ない?」
ふいに誘われて、めっちゃテンション上がったのを覚えてる。二人のことをもっと知りたかったし、お菓子をもっともらえそうだし……どんだけ食い意地張ってんのよ私。
行ってみたい、って答えた瞬間、予鈴が鳴った。
「じゃあ放課後、駅前の公園で」
ハリシャちゃんは微笑むと、すごく自然な仕草で私に近づいて。向こうは背が高いから、ちょっと背を丸めて、私の頰に「チュッ」てキスしてくれた。この子の祖国の習慣なんだろう、挨拶でキスする国は結構多いらしいし……なんて思いながら、何だかぽーっとしちゃって、歩き去るハリシャちゃんを見送ってた。図書室からさっきの一年ちゃんが出てきて、私を見てクスッと笑ったところで正気に戻ったのよね。唇、すっごく柔らかかった。私が男だったら昇天してたんじゃないかな。
とりあえず残ったチョコオレンジを味わいながら、できるだけ急いで教室に戻った。
その後、午後の授業はテキトーに流した。あとホームルームの前にメチャクチャムラムラして、トイレの個室でオナニーしたな。思えばあのムラムラもお菓子のせいなんだよね。ちな、私は机の角にアソコをグリグリするオナニーが好きだったんだけど、さすがに学校ではやらないくらいの理性はあったよ。
放課後、担任に呼び止められた。体育の授業中に態度悪かったって、体育のクソ教師から苦情が入ったらしいんだよね。職員室へ来いと言われたけど、そんなことしてる場合じゃないからシカトしたわ。なんか本当に教師が取るに足らない相手って感じがしてたな。
けど、みんながみんなそうってわけじゃなくて、小宮山先生にまた声をかけられた時はドキッとしちゃった。今度こそ怒られるかもって。体の具合はどうかとか聞かれただけだったんだけど、なんかあの人は怒らせたくないなって気がした。その理由も後で分かったけどね。
「ミオちゃーん、こっちこっち」
足取り軽く駅へ向かうと、マルガちゃんが待っていてくれた。呼ばれなくても目立つブロンドのおかげですぐ見つかる。ついでに、今日はなんか不自然な物を持っていた。
「ハリシャは買い物してくるって。先に行こう」
「あ、そうなんだ。ここから近いの?」
「近いと言えば近いよ。お父さんとお母さんには言ってある?」
「うん、勉強会するって言っといた。とりあえず『勉強』って単語入れとけば大丈夫だから」
「そっかそっか」
話しながら、マルガちゃんは手に持っていた不自然な物を目の前に掲げた。
箒。学校の掃除用具入れにあるようなのじゃなくて、もっと昔っぽい、何となく洋風のやつね。分かりやすく言っちゃうと、魔女が乗って空を飛びそうなやつ。
「何それ?」
「箒」
「いや見れば分かるけど」
マルガちゃんは年季の入った箒を水平に持ち、スカートの裾くらいの高さで手を離した。そしたらその箒、落ちなかったのよ。誰の手も触れずに、宙に浮いてた。
「え……?」
「手品」
呆気に取られる私に、マルガちゃんはそう言って笑った。で、浮いた箒の柄に、まるでベンチに座るみたいに腰を下ろしたの。
「ほら、隣にどうぞ」
あの子の笑顔はあくまでも明るかった。今思うと周りに人はいなかったけど、誰も私たちに気づいてなかったみたい。
恐る恐る、マルガちゃんの隣に座ってみた。柄が特別長いわけじゃないから、箒の穂とマルガちゃんの間にはまる形になって、体が密着してた。
私が座っても箒はびくともしなくて、二人分の重さを支えてくれてた。柄は硬い木の棒なのに、何故かお尻に食い込む感じもなくて。
とにかくビックリしてたな。どんな仕掛けなんだろう、そもそも本当に手品? そんなことを考えてると、マルガちゃんが私の腰に手を回してきた。
抱き寄せるような感じで。わざとなのか、大きい部分を押し付けながらね。
「暴れないでね。上昇するから」
そう言うなり、彼女の足が地面を蹴って、私の足も地面から離れたの。椅子くらいの高さを浮いてた箒が、空へ向かってどんどん上昇し始めた。一メートル、二メートル、三メートル……。
「ちょ、ちょっと、マルガちゃん!?」
「大丈夫、手品手品」
私をなだめるように頭を撫でながら、どんどん高度を上げていった。落ちたら怪我をする高さから、落ちたら骨折する高さ、落ちたらグロい感じになっちゃう高さに。駅舎や電車がジオラマサイズに見えた。もう浮いているというより、飛んでた。
「手品の領域超えてるよね!?」
「アッハハハ。そーだね、これは手品じゃなくて……」
こっちの反応を面白がりながら、マルガちゃんは箒の速度を上げた。
「魔法って言うんだ!」
体に強い風圧が当たった。とにかく落ちたくないから、反射的にあの子にしがみついてたわ。
「どう? 感想は?」
「か、感想って……何が起きてるのー!?」
「だから魔法だって」
街がずっと下に見えた。駅も、学校も、全部小さかった。箒は風を切って、太陽の方へ飛んでた。近づいてきたカラスが慌てて避けてたな。
私が状況を飲み込めないでいたのに、マルガちゃんはとんでもないことを言ったの。
「しっかり掴まっててね。宙返りするから!」
「え!? は!? ちょっと待ってえええええ!」
箒はグーンと傾いて、私は無我夢中でマルガちゃんにしがみついてた。いやー、あのときは学校を出る前にトイレ済ませといてよかったわ。じゃなきゃ空中で撒き散らしてたよ。
マジで死ぬかと思ったけど、私のお尻は箒から離れなくて、逆さまになっても、そこから急降下に移っても落ちなかった。
箒が水平に戻ったとき、心臓がドクドク鳴ってた。高所恐怖症ってわけじゃないんだけど、細い箒の上で風を受けながら宙返りなんてされたら……そりゃ怖いでしょ。ましてや何の説明もなく。よっぽど文句言おうと思ったけど、下を見てまたビックリ。
街が無くなってた。駅も線路も、マンションや病院、学校みたいなゴタゴタした建物も、全部無くなって。あたり一面、緑の森が広がってたの。
地上だけじゃなくて、空も変わってた。頭の真上で、昼の青空と夜の星空が半々に分かれていたのよ。
「さあ、降りるよ」
神秘的な光景に思わず見とれていると、箒は静かに高度を下げて、木々の間に降りていった。森の中には曲がりくねった小道があって、それに沿って地面近くを飛んでいく。
そして、なんだかほんのりと、甘い匂いが漂ってきて。
「ほーら、到着。ここがボクたちの家だよ」
得意げに笑って、マルガちゃんが箒を止めた。地面に足が着いたけど、呆然としてしばらく立てなかった。目の前にあったのは、家。誰もがおとぎ話で聞いて、一度は憧れた家じゃないかな。
ビスケットの壁。砂糖の窓。生クリームが塗られた屋根。魔女が住む、お菓子の家よ。
「ミオちゃんさ、毎日つまらないって言ってたよね。同じことばかりだって」
おとぎ話の王子様みたいに傅いて、私の手を取るマルガちゃん。白くて、長い指だった。
「おめでとう。キミの日常は今日限りで壊れた」
23/06/10 22:22更新 / 空き缶号
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