「何だ、スティレットの旦那じゃん。久しぶりだな」

　特に表情を浮かべることもなく、ヅギは言った。微かに血の匂いがすることから、『仕事』を終えた後だと分かる。袋に入った丸い物の正体も見当がついた。

「……相変わらず、傭兵稼業か」
「まあね。そっちこそ、囚人兵は辞めたのかい？」
「好きでやっていたとでも思うか」

　恐怖は無い。憎しみは多少ある。しかしそれだけでは、俺の心臓がこうも高鳴るはずがない。この感情は何なのだろうか。

　ヅギ・アスター。人肉や魔物の肉を好んで食すことから【悪食】の名で恐れられる、凄腕の傭兵。

「なんだ、知り合いか？」
「あんたと同じ、腐れ縁さ」

　ヅギはセシリアの問いにぶっきらぼうに答え、彼女に袋を差し出した。その使い古されたズタ袋は、底の方が球形に膨らんでいる。丁度、人間の頭一個分の大きさだ。加えて身に纏う、血の匂いと死臭。

「体の方は頂いたから」

　ぞっとする台詞だった。セシリアは慣れているのか、平然と袋を受け取る。

「お疲れ。今度の敵はどうだった？」
「魔物を大勢殺した奴って聞いて期待してたんだけど、筋肉の質が悪かったね。贅肉もあったし。多分、弱い魔物をいくらか殺しただけで、後は誇張だったんだろ」
「そうか。ま、闘技会の肩慣らしとでも思っておけよ。その二人も出場するんだからな」

　セシリアの言葉に、ヅギは露骨に嫌そうな顔をして、俺達の方を見た。

「……しんどいのが増えたな。ま、暇があったら教会に遊びに来いよ。紅茶くらい出すからさ」

　俺の返事を待つことなく、ヅギは部屋から出ていく。新聞にも書いてあったが、この町ではこんな奴を教会に置いているのか。こいつが牧師などを務める教会など、俺なら半径三十メートル以内に近づきたくないものだが。
　ドアが閉まった後、ジュリカが口を開いた。

「……あいつと、何かあったのか？」

　真っすぐな瞳で、ジュリカは俺を見る。旅を続けていた彼女も、【悪食】ヅギ・アスターの名くらいは知っていたのかも知れない。
　彼女の瞳を見ると、俺は真っすぐにそれを受け止め、答えてやろうという気分になる。だから今回も、正直に全て話すことにした。


　……あいつと出会ったのは五年前。あいつはその頃、傭兵団に所属していて、教団に雇われ異教徒と戦っていた。共に戦うことになった俺は、当時まだ十五歳くらいだったあいつの戦闘能力に目を見張った。柔軟な体と瞬発力、そして大胆かつ的確な判断能力で、無慈悲に敵を斬り殺す。魔法まで心得ていたあいつは、周りから『人斬り包丁』と呼ばれた大振りのグレイブを手に、先陣破りを任されていた。時に軽口を叩きながらも、冷静に敵を倒すあいつは、間違いなく一流の傭兵だと思った。人肉を食うということも、幼いころから地獄の戦場で育ってきた俺にとっては、単なる悪趣味にしか見えなかった。
　俺は、奴が嫌いではなかった。

　その二年後、教団は魔王の治める魔界の一地方、マルデラン高原に四度目の出兵を行った。そこには魔王軍の重要拠点である要塞があり、それまでの攻撃ではびくともしなかった。そこで教団は力任せに攻めるのではなく、要塞の戦力をおびき出し足止めしつつ、要塞を攻め落とす作戦に出た。即ち、捨て駒として雇った傭兵部隊を囮として使う、というものだ。力をつけた傭兵の集まりは、教団にとっても脅威となりかねない。それを潰して城も攻め落とせる、一石二鳥の計略。

　が、それは失敗した。魔王軍は要塞に多数の援軍を派遣し、要塞を攻めた部隊は返り討ちとなったのである。一方、囮の傭兵部隊は獅子奮迅の戦いをし、魔王軍に損害を与えたものの、生還者はゼロとのことだった。
　しかし、ヅギ・アスターだけは生きていた。
　囮作戦を提案した司祭の護衛をしていた俺の元に、あいつは傷だらけの状態で現れた。自分たちを捨て駒にした司祭を、殺すために。

　護衛に当たっていた同僚たちは、次々とヅギに殺されていった。ある者は内蔵、ある者は脳髄を晒し、ヅギはそれらを足蹴にしながら、俺に迫ってきた。司祭は背後で震えるばかり。

　そのとき俺は、ふと思った。悪いのは、ヅギたちを捨て駒にしたこの司祭のはずだと。そして、そんな奴を守るために、自分の命を張るべきなのかと。
　そして闘気が乱れたその瞬間に、ヅギは俺の腹に重い一撃を叩き込んだ。今までの付き合いのお陰か、命までは取られなかったが、俺は床に倒れ込み……

　あいつが司祭の頭蓋を砕き、脳を食うのを見た。


「……で、司祭を死なせた責任を問われ、俺は囚人部隊送りだ」
「なるほどな……」

　そう言いつつも、セシリアは笑っていた。そして、ジュリカも。

「なら、その時の借りを返すいい機会じゃないか」
「ジュリカの言うとおりだ。ま、あいつはいつもダルそうに戦うから、張り合いないかもしれないけどな」

　……俺はきっと、奴と闘うことになるのだろう。もしこの闘技会でぶつからなくても、いつかかならず何処かの戦場で相まみえることとなる。長年戦場で生き抜いてきた勘が、そう言っている。
　しかし、心のどこかでそれを渇望している自分がいることにも気づいていた。死に物狂いで戦場で生き延びていくうちに、目的と手段が入れ換わってきたのかもしれない。つまり、生きるために戦っていたのが、戦うために生きるようになってきたのだ。

「ああ……どうなろうと、退く気はない」

　例え、悪魔の顎にかかろうとも。


















　……翌々日、俺達は町の闘技場に向かった。
　ジャイアントアントという魔物が作ったというその闘技場はかなり大きく、しっかりとした造りだった。観客席には人魔問わず多数の観衆がつめかけており、舞台と客席の境目には呪文の刻まれた旗が多数立てられている。セシリア曰く、観客を守るための結界とのことだ。魔法を使う者でもこれなら周りを気にせず、全力で闘えるわけだ。
　出場者は総勢十六人。種族も武器も多彩で、いずれも高い実力を感じさせる者たちだった。そして【悪食】……ヅギ・アスターの姿もある。修道士の服装は相変わらずだが、腰には山岳民族が好んで使うククリナイフを差し、グレイブを手にしている。槍の柄の先に大ぶりな片刃がついた武器で、重量を利用して叩き斬るためのものだ。
　トーナメント表によると、俺とヅギが闘うとしたら準決勝、ジュリカと闘うのは決勝戦になるようだ。何としてもそこまで勝ち進みたい。

　ふいに、観客席の最前列にいる女が立ちあがった。すると傍らにいるメイドが日傘を開き、その頭上に差す。女は黒マントを羽織り、燃えるような赤い髪をしている。メイドから拡声魔法のこもった器具を受け取り、彼女は口を開けた。

《このような催しを開けることを、私は領主として心より喜ぶ》

　澄んだ声が、会場に響く。彼女が領主のヴァンパイアのようだ。身のこなしがいかにも優雅で、さすが魔物の貴族と呼ばれるだけのことはある。それだけでなく、高い戦闘能力を感じさせる隙のなさだ。一度闘っているところを観てみたい。

《このルージュ・シティのみならず、港町エスクーレを始めとする様々な町から選手が集まった。この大会は、ルージュ・シティの交友の広さを証明することになるだろう。選手諸君には存分に力を奮ってもらいたい。名勝負を期待する。以上だ》

　客席から拍手が巻き起こった。
　その後、審判が試合のルールを一通り説明する。新聞に書いてあった通り、武器の使用は無制限、相手を殺したら失格。勝敗は舞台から落ちるか、倒れて十秒以内に起き上がれなかった場合に負けとなる。どのような闘いになるだろうか。

　俺達は結界の外側、選手用の見物席に移る。最初の一戦で、他の奴らに自分の手の内を見られることになるわけだが、逆に他の奴らの戦いも見ることができるわけだ。後半に備え、奥の手を隠しておく奴もいるだろう。面白い。

　そして、赤いマントを着た少女が拡声器を手にした。

《さーて、それでは始まります、第一回ルージュ・シティ闘技大会！　司会実況はサバトの魔女っ娘、レミイちゃんでーす！》

　むさくるしい闘技場に似合わぬ声に、客席から再び拍手が起きる。若干気が抜けるが、ここはあくまでも戦場ではないのだからこういうのも有りだろう。

《堅苦しい挨拶は抜きにして、早速第一回戦！　西側、旅のサラマンダー、ジュリカ・エーベルヴィスト選手！》

「おっと、初っ端からか」

　ジュリカは双刀を手に立ちあがり、俺を見る。

「行ってくるよ。応援してくれよな？」
「当たり前だろう。決勝で会わなきゃな」

　彼女は俺の頬にキスをし、西側の階段から舞台に上がる。
　尻尾の炎が一際大きく燃えあがり、客席から歓声が沸き起こった。準備は万端のようだ。

《東側、領主邸警備隊のエース！　リザードマンのカナン・ギュナン！》

　後ろの方に座っていた、魔物の女が立ちあがる。サラマンダーの近縁である、リザードマンという種族のようだ。歳はジュリカよりいくつか下のようで、まだあどけなさの残る顔立ちだ。武器はファルクスと呼ばれる片刃・幅広の剣に、上半身を完全に隠せるような大盾。しっかりとした足取りで、東側の階段に向かう。

《さあ、リザードマン対サラマンダー。近縁種同士の一騎打ちです。カナン選手は数ヶ月前警備隊に入隊した期待の新人。対するジュリカ選手は、私設軍教導科・セシリア教官の実妹だそうです！》

　魔女の実況に、客席が盛り上がる。
　舞台の上で二人が向かい合い、審判が片手を上げた。


「それでは試合……開始！」

■作者メッセージ
どうも、ようやく投稿できました。
次回から戦闘シーンですが、重要な相手との戦闘以外はさすがにカットしますので、あしからず……