町の中を回っていくうちに、オルバスは段々げんなりした気分になってきた。何を尋ねても、犬だ、猫だ、「スキンシップ」だ――。いい加減違うものでも見て、任務に対する意欲を取り戻しておきたかった。
　
「では牧場をお見せしましょう。といっても小さいものですが」
　
　そういうことで町の中心部から離れると、草むらの景色に変わった。ガボンの案内に従い、道の先に見えている建物を目指して歩いてゆく。その途中で、白い毛をはやした何かが、そこかしこで寝そべっているのがたびたび目に入った。

「あれも羊だというのか」
「羊じゃないですか。なぜそのようなことを訊かれるのです？」

　予想はしていたがこうも淀みなく返事をされるとは。思わず、まさかおかしいのは自分のほうなのかと疑ってしまう。
　建物の近くまでやってくると、例によってガボンが説明をする。

「ここは牛舎です。牛も変化してしまったので、この建物も改装してしまおうという話がでているのですが、まあともかく、今はここに牛たちを住まわせています。乳搾りもここでおこなっているんですよ」
「乳――、おいまさか」
「もぉー！」

　その「鳴き声」を耳にしたオルバスは反射的にドアノブをつかむと、乱暴に扉を開けて中へ足を踏み入れた。

「もぉう、もう、もおおぉう！」
「もぉ、おうおぅ、おっ、おおぉう、もおおおおおぉん！」
「んん、もうっ、もー、いやん、もぉーう♥」

　嫌な予感は、した。してはいたが、こんな狂った光景に出くわすことになるとは、信じたくなかった。
　藁の敷かれた広い空間に、たくさんの男と牛女が一組ずつとなって、立っていたり、座っていたり、思い思いの姿勢で乳搾りをおこなっている。
　やたらでかい乳房をむき出しにした牛たちは、男たちの手で乳を搾られるたびに、顔を紅潮させ、体を揺らし、立っているやつは時折足を踏み鳴らしたりしながら、モーモーとやかましい奇声をあげていた。
　オルバスは茫然のあまり数歩よろめくと、頭を抱えてうめいた。ただただ絶句するしかない。

「衛生面ならご安心ください。私が保証いたします」
「そういう問題ではないっ」

　いや待て、ガボンはさっき何と言ったのだ？

「ということは飲んでいるのか、あれを！」
「ええ」

　オルバスは神父の全身を上から下まで、じろじろと胡乱げな視線を投げかける。

「本当になんともないのか」
「ラブラも飲んでいますよ」
「犬では証明にならん」
「まあまあ」
「オルバスさま、ここの牛乳はわたくしたちの自慢なんですよ」

　ラブラが嬉しそうに口を挟んできた。よほどここのミルクが気に入っているらしい。いったい何がそうさせるというのか。あの光景を見てもなお口にしたがるということは、そいつがよほどの鈍感なのか、あるいは飲み物自体が異常な呪力で汚染されているとしか考えられない。
　
「いつもご飯の時に頂くのですけれど、とっても味が濃ゆくて甘いんですよっ。パンにひたして食べてもおいしいですし――、そうそう、チーズにしてもすっごくパンに合うんですよ！　それがまた、もうおいしくって、おいしくって……」

　その犬は頬に手をあてて、味を思い浮かべているのか、うっとりした表情でしゃべり続けている。その姿にオルバスはふと違和感を覚え、彼女の体を少しの間じっと見ていた。
　すると、何かに気づいたオルバスは、乳搾りをされている牛の体に目をむけ、そちらもしばらく観察しだす。
　もう一度ラブラの体を確認し、また牛のほうを見る。
　確信を得た審問官はガボンのほうへと詰め寄った。

「本当に、なんともないのか」
「え、ええ。当然じゃないですか」

　鼻先がぶつかりそうな勢いで迫ったので、ガボンはこちらから顔をそむける。

「どうもおかしいと思った。犬は普通ああいう体形をしておらんからな」
「……いえ、彼女は最初からあんな感じでした」
「二本足で立つ前からか？」
「二本足で立ってからですよ！」
「立った時からああなのか」
「立った時から――、いや、どうも記憶が定かではなくて」

　主人にちらりと視線を向けられたラブラは、自分の身体のことを指摘されているせいか、恥ずかしそうにモジモジしている。

「では今すぐ思い出せ。立った時からあの体形なのだな？」
「えー、そうだったとも言えますし、あのー、そうでなかったかと言われれば、えー、そうでなかったような気もしてくるのですが」
「はっきり答えろ」
「まあ、人間にも成長期はありますから」
「犬が成長期でああいう風になるのか」
「御主の奇跡かと」
「馬鹿者っ!!」

　オルバスが怒鳴り声をあげたので、近くにいた牛舎の人々が、はっとしてこちらを振り向く。変に注目を集めてしまったので、気まずくなったオルバスはガボンから少し離れた。

「どうか怒りをお鎮めください、牛たちが驚いてしまいます」
「お前がけしからんことを言うからだっ」
「どうかこれ以上はお許しを――」
「申し訳ございませんっ」

　神父は召使いと一緒になって頭を下げた。
　が、相手から反応が返ってこない。
　よほどご立腹なのかと、ガボンが恐る恐る顔を上げてみると、オルバスはこちらを見ていなかった。何か注意を引くものでもあったのか、遠くに視線を向けている。
　すると彼は突然、早足でそちらの方向へと歩きだした。
「あ、どちらへ行かれるのです」


◆


　牛たちの間をすり抜けるようにして、オルバスは目的のところへと近づいてゆく。

「おい、おい、そこのお前」
「え、あ、僕ですか？」
「そうだと言っている」

　オルバスが目をつけたのは、牛舎の奥のほうで乳搾りをしていた、一人の若い男だった。彼は二本足で立つ牛の背後から抱きつくような恰好で、台に乗せた大きな缶へと乳を搾り出している。

「いくつか訊きたいことがある」
「はあ」

　ガボンたちが追いついた時には遅かった。尋問を行う審問官はとても止められそうな雰囲気ではない。
　若者も仕方がないといった感じで一旦作業の手を止めた。
　
「それは何をしているのだ」
「乳搾りですけど……」
「乳搾りでなぜお前が服を脱ぐ必要がある」

　そう指摘された若者の上半身は裸だ。
　彼は手で牛のお腹をなでながらこう話す。

「こうやって作業をすると、この子が落ち着くんですよ」
「腰は」
「え？」
「腰をそのように密着させているのは何か意味があるのか」

　オルバスが顎をしゃくってその場所を指す。
　見れば確かに、若者は腰を牛のお尻にぴったりとくっつけていた。

「あー、えーっと、だから、こうしてあげると……、そう落ち着くんですよ！」
　態度が明らかにおかしくなった。こうなるとオルバスも追及の手を緩めない。

「身体を離してみろ」
「え？」
「身体を離してみろと言ったんだ。よそでは見ない珍しい牛だからな、観察させてほしい」
「む、無理ですよ。今ほら、作業中ですし」

　すると途中で邪魔が入って不満そうにしていた牛が、抗議するように腰をゆすり始めた。

「あっ、駄目だよソフィ、我慢して」
「何？」
「あ、いえ、彼女に。ちょっと、今はマズイって」
「何がまずいのだ」
「いや、だから、彼女が、その……」

　若者の返答が曖昧になってくると同時に、二人の腰からあやしい水音が聞こえはじめた。

「この音は何だ」
「ソフィ、ソフィ！　わかったからいったん止まって！」
「おい、この音は何だと訊いている」
「え？　あ、なんですか？」
「お前は牛のことしか頭にないのか」

　皮肉を投げかけても半ば上の空のようで、若者の返答は要領を得ない。

「もう一度訊くぞ。この音は何なのだ」
「な、なんですかっ。よく、きこえなくて」
「この音は、何なのだと、訊いているのだ！」

　水音と、牛が体をゆさぶる音とが大きくなってきて、喋る声もそれに合わせて大きくせざる得なくなる。そうなってくると、出す声につられてオルバスの態度もかなり棘を含んだ感じになってくる。

「こっちの質問に答えろっ、聴いているのか！」
「ソフィ、これ以上はっ」
「おい！　貴様、愚弄する気かっ！」
「ゴメン、ソフィ、もうムリッ！」

　若者はそう叫んだかとおもうと、牛の体を締めつけるように抱きしめた。
　不意に、ビシャア！　と牛の乳房から乳が噴き出し、金属でできた缶の内側にぶつかると、飛沫が周囲に飛び散って、近くに立っていたオルバスの顔や衣服にもパタパタと白い水滴がかかった。後ろにいたガボンとラブラが、思わずあっ、と声を上げる。
　オルバスは不気味なほどの無表情で、ゆっくりと袖で顔を拭うと、気をやっている若者と牛に目線をねめつけたまま、微動だにしなくなった。
　時々ほかの牛の「鳴き声」が響く中、そこだけ沈黙が広がる。

「あ、あはは」
「……」

　乳搾り男の誤魔化すような笑いを、オルバスは黙殺した。
　本来なら今すぐにでも張り倒してやりたいところだったが、場所が悪すぎる。町を断罪する前に、自分が住人の怒りに触れて私刑に遭ったのでは元も子もない。今のオルバスには、両の拳を握りしめ、怒りを耐え忍ぶことしかできなかった。
　誰もがこの空気を持て余していたところに、後ろから誰かが怒鳴り声をあげてきた。

「おい、お前ら！　そこで何をしている！」

　どうやらここの責任者らしい。髭をたくわえたガタイのいいおじさんだ。それが大股で迫りながら声を張り上げて叱りつけてくるので、さすがにオルバスも何歩か後じさりをした。

「ここは遊び場じゃないんだぞ！　ミルクが駄目になったらどうしてくれるんだ、とっとと出て行ってくれ！」
「行きましょう。ほら」

　神父にそう促されても、オルバスは少しの間、悔しそうに髭の男を睨んでいた。しかしそれ以上何もできないことはわかっていたので、振り払うように踵を返すと、慌てる神父や、牛舎の人たちに謝るラブラをよそに、先に建物を出て行ってしまった。