連載小説
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・豚小屋
 牛舎から追い出された三人は、また外の草むらを歩き始めた。
 だが、オルバスはまだ納得いかない様子で、帰ったらまとめて告発してやる、などとブツブツ文句を言っている。先ほどからガボンとラブラが、彼をなだめようとして言葉をかけているのだが、ずっと不機嫌な顔をして耳を傾けようともしない。
 すると不意にオルバスが足を止めた。慌てて二人も足を止める。

「何か声がしないか」
「声?」
「向こうだ。間違いない」

 そう言うとまた急に早足で歩きだし、二人を置いて行ってしまう。神父と召使いは困ったものだと顔を見合わせた。
 オルバスが向かった先には小屋があった。どうやら声はここからしているようだ。
 扉の前まで近づいてゆくと、確かに、叫ぶような、おめくような声が聞こえてくる。

「誰かいるのか」
「あー、オルバスどの」

 追いついてきたガボンが何かを思い出したようで遠慮がちに声をかけてくる。

「まことに申し上げにくいのですが、見るのはあまり……」
「何故だ。見せられない事情でもあるのか」
「いえ、そういうわけでもないのですが、おそらくオルバスどのには少々……」

 その言葉に構わず、オルバスは引き戸に手をかける。

「あ、オルバスどの」
「可能な限りより多くのことを調べてこいと命じられている。確認させてもらうぞ」

 勢いよく扉を開けると、薄暗い小屋の中へ光が差し込む。
 それと同時に、衝撃的な光景がオルバスの五感めがけて飛び込んできた。

「ほにょぉぉぉおおおぅっっ!!!!」

 まず、奇声だった。

「いひぃぃぃ! ふびぃいいっ、ひひひっ、ぶひぃぃいいいい!!!!」
「アァアァアァアァアァァーいういぅいぐっぐっいぐいぐぐぐえぇぇええ!!」
「きゃはっ、きゃはははっ、あへっ、あへへっ、ぴぃしゅ♪ ぴぃしゅ♪ ぴぃしゅうぅぅぅ♪」

 光に照らされて舞い散る埃のなかで、油でも塗ったかのように汗で肌をてからせ悶える豚ども。そこへむさくるしい男たちが上からのしかかるようにして、腰を何度も何度も、狂ったように打ちつけていた。

「しゃせいあくめくださいしゃせいあくめくださいしゃせいあほぐうっ!!」
「わらしのかららっろうなってるのおおぉぉぉおおお!! おっほぉおおおぉぉぉんん!!!」
「ほへっ、はへぇっ、ほへぇぇぇえええー! メスブタいくっメスブタいくっメスブタいくっメスブタいっくうぅぅうううう!!!」

 豚が体をのたうち回らせるたびに、床の藁くずが飛び散り、生ぬるい人肌の空気がこちらにただよってくる。
 こもった熱気で蒸されたすえた臭いが鼻を刺激するせいか、口の中まで酸っぱくなってきた。
 まるで内臓の中にでも放り込まれたような気分だ。

「あぶぶぶ、ぶぶっ、ぶえぇ! きひっ、きひひひひ、きもひいいぃぃいい、ぶほほっ」
「みゃああぁー、あっぱぱらぱぁー、ぱっぱっぱ、ばああぁ! ばああぁぁー! あっはっはははは……」

 オルバスは、素早く引き戸を閉めた。それが、ショッキングな場面に遭遇した彼が、かろうじてできる唯一の動作だった。
 きちんと扉を閉めた後も、オルバスはしばらくその場に佇んで動こうとしなかった。
 ガボンとラブラが怪訝に思い、声をかけようとすると、オルバスはおもむろに二人のほうへと向きなおる。
 その顔色は豹変していた。首から上が幽霊みたく青白くなっており、背筋を伸ばし両手を後ろに組んで、気丈にふるまっているつもりかは知らないが、ただ事ではないのは一目瞭然だ。そしてついに彼は――

「ごほっ、ゴボッ」

 咳のような音をたてて、立ったまま反吐を吐いた。

「オルバスさま?!」

 誤魔化しがきかなくなったのを皮切りに、オルバスはみぞおちのあたりを押さえると、体を目一杯に折り曲げて、げえげえとえづきはじめた。

「ああっ、だからいわんこっちゃない! オルバスどの、大丈夫ですか?」

 ガボンがうろたえ気味に声をかけ、ラブラが肉球のついた手で審問官の震える背中をさすり続ける。オルバスの身体は、まるで今したが取り込んでしまった気色悪い感触を、すべて外へ吐き出そうとやっきになっているようだった。
 ひとしきりえづきがおさまると、オルバスは自分の服の袖で口をぬぐいながら体を起こす。ラブラがハンカチを差し出したが、彼はその手を乱暴に振り払うと――

「何だあれは!!」

 ガボンに向かってものすごい剣幕で怒鳴った。

「あれは何だと訊いているのだ! 答えろ、何なのだあれは!!」
「……豚小屋です」

 ガボンはかろうじて聞き取れる声でそう答えた。

「豚小屋! いいだろう今は「豚」だということにしておいてやるっ! では訊くが、なぜ「豚」と交尾していたのだ?! あの男らは!」

 小屋の扉を切りつけるように指さして吼えるオルバスに対し、神父は首をすくめて突っ立ったまま答えない。

「答えろ! なぜ豚と交尾していた!!」

 当り散らされているガボンにしてみれば、嵐が過ぎ去るのを黙って耐えているしか仕様がなかった。今の状況ではどう弁解しようとも火に油を注ぐことになるのは明白なのだから。

「あの……」
「何だ!」

 自分の激情に飲まれ、肩で息をするオルバスに、ラブラがおずおずといった感じで声をかける。
 こめかみに血管を浮きだたせて顔を強ばらせる審問官に対し、彼女は犬の顔にとても困惑した表情を浮かべながら、とんでもないことを言ってきた。

「豚は交尾するためのものですよ?」
「――」

 ハンマーで頭をぶん殴られたようなショックからさらに追い打ちがかかる。

「それ以外、豚に何ができるというのですか?」

 食用だ! とオルバスは叫びかけたが、すんでのところで飲み込んだ。
 汗とよだれと鼻水をまき散らし、奇っ怪な表情で支離滅裂なことを吠えていた「あれ」を口にするなど、想像しただけでも怖気が走り、またぞろ吐き気がこみあげてきたからだ。
 すると不意にガラガラ、と目の前の扉が開き、そこからにゅっ、と頭がのびてきた。

「ちょっとぉ、さっきからうるさいんだけどぉ」
「あっ」
「ケンカならよそでやってよねー。シラケちゃうじゃないの」
「ご迷惑をおかけして申し訳ございません」

 やたら生意気な口調で文句を言ってきた豚女に、何故かラブラはペコペコと謝りはじめた。
 「交尾以外なにもできない」などと抜かしていたくせに、その相手に頭を下げるのか、この犬は。
 いやそれよりも、あの生意気な豚は何だ。あれだけ下劣な行為をしておきながら、豚の分際でこちらを非難するというのか!

「きっ、き、きっ……!」

 豚の顔を指さし、抗議の意を伝えようとするのだが、激怒すると呼吸までおかしくなるのか、肝心の言葉が喉でつっかえて出てきてくれない。
 一方、言いたいことを言い終えた豚は、頭をひっこめる段になってはじめてオルバスに気づいたようだったが、「なんだこいつ」といった感じの一瞥をくれたきり、そのままピシャリと引き戸を閉めてしまった。
 その態度がオルバスの怒りをさらに煽りたてた。
 憤怒と、屈辱感との混合物が彼の全身から湯気をたてさせ、静電気のようなささいな刺激でも爆発しかねない様子だ。
 それにもかかわらず、よせばいいのに、ラブラが余計な気をまわしてオルバスにまで謝ろうとしてきた。

「オルバスさま、どうかお許しを……」

 黙れ――! 
 そう叫ぼうとしたができなかった。
 突然、フーッ、っと全身の力が抜けて、立っていることが難しくなってきた。

「オルバスどの!」

 視界が白んできたかと思うと、周囲の音がまるで分厚い壁ごしから聞くように遠くなる。足を踏ん張ってこらえようとするがかなわず、目の前の景色が大きく傾いた。





 怒りのあまり意識が飛びそうになるなど初めての経験だ。
 草むらの上で横倒しになったオルバスの頭のあたりに、ガボンとラブラがひざまずいて寄り添ってきていた。

「大丈夫ですか。顔が真っ赤ですよ」
「誰のせいだと思っている……」

 地面に手をつくが、まだ全身に感覚が戻りきっていないのか、立ち上がろうとしてもうまくいかない。
 オルバスは自分自身でも、寛容さに欠けるところがあると常々感じていた。だが、憤激のあまり卒倒するなどという失態を、他人の噂話で聞くことはあっても、身をもって演じることになるとは考えてもみなかった。

「オルバスどの、立てそうですか?」
「豚に、説教されるいわれはないぞ……」

 弱弱しい声で吐き捨てると、力が入りきらない状態で無理やり体を起こそうとする。

「オルバスさま?」
「言われずとも、こんなところ、一秒たりとも、いられるかっ」

 オルバスは、いうことをきかない手足に難儀して立ち上がると、おぼつかない足取りで何歩か歩いたが、ふらついたところを両脇から二人に抱きとめられた。

「町長の家で休みましょう。ここからならすぐですから」
「オルバスさま、こちらです」

 オルバスは小さくうめいて抗議したが、二人にやんわりとなだめられ、そのまま支えられる格好で歩くことになってしまった。怪我人か病人――実際そうなのだが、そのように扱われることが、彼にとっては何より屈辱的だった。
16/02/20 23:00更新 / 祈祷誓詞マンダム
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