捕縛
親魔物都市のイェルスに、とある使節団が入ってきた。彼らは、隣の都市ペリージャンから来た使節団の一行である。
反魔物領の彼らがイェルスに来た目的は他でもない。イェルスに逃げ込んだシグレを引き渡せという要求を突きつけてきたのである。
「我々の要求は、ただ一つ。シグレの身柄を引き渡して貰いたい」
口調は丁寧だが、高圧的な態度で挑む使節団の代表者。しかし、イェルスの外交官はその要求を邪険に突っぱねる事は出来なかった。
祖国で聖騎士の十数人を殺したシグレは重罪人とされ、反魔物同盟都市の間で国際的に指名手配される身となった。おそらく、諸国を密かに徘徊する反魔物領の手の者がシグレの姿を見かけたのであろう。
反魔物都市の連中にとってみれば、格好の状況になった訳である。シグレがイェルスに居るという事で、言いがかりをつける理由が出来たのだから。
悪い事に、イェルス周辺には、ペリージャンの他にもサルブという反魔物都市が存在する。イェルスは先年にサルブと争った影響で、戦力が低下している。断れば戦争を仕掛けるという意図が見え見えな態度である使節団の要求を、イェルス側は断る事は出来なかった。
それに、十数人の聖騎士を殺したという事実は変えられない。証拠がはっきりしている以上、イェルスは犯罪者であるシグレを引き渡さない理由は存在しなかった。
そして、警備隊の任務に就いていたシグレが拘束されたのは、その翌日であった。
朝、勤務地に来たときから、シグレは嫌な感じがしていた。他の警備兵の皆が、何やら含みのある表情でシグレを見ていたのだ。
「何だよ、何辛気臭い顔をしてやがる」
普段、比較的親しい同僚までが、暗い表情でシグレを見ている。その様子に、何かただならぬ物を感じたシグレは、思わず声をかける。
「シグレ……すまん!」
いきなり謝られ、意味が分からないという顔をするシグレ。そんな彼に、その同僚は持っていた棒でシグレに殴りかかった。
「おわっ、何だっ!」
咄嗟にかわすシグレ。だが、そんな彼に警備兵が多数、折り重なるように殺到する。さすがに狭苦しい駐屯地でそれら全部を捌くことは不可能であり、シグレは瞬く間に拘束され、手足を縛られてしまった。
「くそっ、お前ら……」
「シグレ、すまんっ! 上からのお達しなんだ」
シグレが睨みつけると、同僚は泣きそうな顔で言う。しかし、シグレは意味が分からなかった。何故、裏切りに近い状態で襲われなければならなかったか。だが、その疑問もすぐに解消された。
駐屯地にドカドカと踏み込んでくる聖騎士たち。その姿を見たシグレは、事態を一瞬で悟った。おそらく指名手配されていたのだろう、犯人引渡しの要求にイェルスの上層部は従ったのだ、と。
『シグレ、いつまでも逃げられると思うな。殺人罪でお前を裁判にかける為、マリスに送還する』
シグレに宣告する騎士団の長。その目には、同胞を殺したシグレに対する憎悪が見え隠れしていた。
「こうなっては仕方無い。どこへでも連れて行け」
命惜しさにここまで逃げたが、結局はこうなる運命だったのだ。シグレは悟った。自分自身には、もはや安息の地は無い、と。
かつて、同僚と恋愛談義になった時、『まだ若いのだから、生きていれば必ず良い事がある。生きる事は素晴らしい事だ』と言われた事がある。しかし、結局は自分の居場所は無かった。こうなる事は、とっくに決まっていたのだ。
「シグレ……」
自分で捕まえておきながら、申し訳なさそうにする同僚。しかし、シグレは彼を恨む気は無かった。最初は怒りもしたが、彼は命令を忠実に実行しただけだというのは分かった。それに、自分は人を何人も殺したのだから、捕まって当然である。
「気にするな。俺がお前でも、同じ事をしただろうよ」
人を信じられなくなった者など、この世界で生きる事は不可能である。これでやっと、自分自身に終止符を打てるという訳だ。
「――死ぬ事もまた、素晴らしい」
そのような言葉を残して、シグレは聖騎士たちに引き立てられていった。
*****
シグレが捕縛され、反魔物都市に送られる。そのような知らせは、イェルスを震撼させた。
人々は、簡単にシグレを反魔物都市に引き渡した事を不愉快に思った。いや、引き渡した事ではなく、反魔物都市の言いなりになった事を不愉快に思ったのだ。だが、相手側の言い分も尤もである。シグレは反魔物都市で何人もの聖騎士を斬り、脱走した犯罪者である。いくらなんでも、庇いきれる訳が無かった。
不愉快に思いながらも、罪状が罪状なので、イェルスの人々はシグレが捕まったのも無理は無いという考えも持っていた。それに、先の戦争で疲弊している今、反魔物都市と事を荒立てるのは得策ではない。人々は不愉快に思いながらも、仕方無い事として受け止めた。
しかし、仕方無いでは済まされない者もいる。
「そ、そんな……シグレさんが、そんな……」
ショックを受けたのか、ルカは言葉にならない程であった。そんなルカを、周囲の者は不憫に思ったが、どうしようもない事だと思った。れっきとした犯罪者である以上、捕まるのも無理は無いのだ。
だが、ルカがシグレに一途に想いを寄せていた事も知っていたので、彼女に同情する者も多かった。
そして、ショックを受けたのはルカだけではなかった。
「アイツ、何て顔してやがったんだ……」
昨日までシグレと同僚だった、警備兵の連中である。祖国で人を斬りまくった極悪非道の犯罪者だと聞いたが、とてもそんな風には見えなかったのだ。
人を斬ったのは事実なのだろう。しかし、シグレの目には、どこか哀愁が漂っていた。それを、警備兵たちは感じ取ったのだ。あの感じ、どう見ても冷酷無比な犯罪者の目ではなかった。
(……もしかして俺ら、とりかえしのつかない事をしたのでは?)
その様な思いに囚われるのも、さほどの時間を要しなかった。
反魔物領の彼らがイェルスに来た目的は他でもない。イェルスに逃げ込んだシグレを引き渡せという要求を突きつけてきたのである。
「我々の要求は、ただ一つ。シグレの身柄を引き渡して貰いたい」
口調は丁寧だが、高圧的な態度で挑む使節団の代表者。しかし、イェルスの外交官はその要求を邪険に突っぱねる事は出来なかった。
祖国で聖騎士の十数人を殺したシグレは重罪人とされ、反魔物同盟都市の間で国際的に指名手配される身となった。おそらく、諸国を密かに徘徊する反魔物領の手の者がシグレの姿を見かけたのであろう。
反魔物都市の連中にとってみれば、格好の状況になった訳である。シグレがイェルスに居るという事で、言いがかりをつける理由が出来たのだから。
悪い事に、イェルス周辺には、ペリージャンの他にもサルブという反魔物都市が存在する。イェルスは先年にサルブと争った影響で、戦力が低下している。断れば戦争を仕掛けるという意図が見え見えな態度である使節団の要求を、イェルス側は断る事は出来なかった。
それに、十数人の聖騎士を殺したという事実は変えられない。証拠がはっきりしている以上、イェルスは犯罪者であるシグレを引き渡さない理由は存在しなかった。
そして、警備隊の任務に就いていたシグレが拘束されたのは、その翌日であった。
朝、勤務地に来たときから、シグレは嫌な感じがしていた。他の警備兵の皆が、何やら含みのある表情でシグレを見ていたのだ。
「何だよ、何辛気臭い顔をしてやがる」
普段、比較的親しい同僚までが、暗い表情でシグレを見ている。その様子に、何かただならぬ物を感じたシグレは、思わず声をかける。
「シグレ……すまん!」
いきなり謝られ、意味が分からないという顔をするシグレ。そんな彼に、その同僚は持っていた棒でシグレに殴りかかった。
「おわっ、何だっ!」
咄嗟にかわすシグレ。だが、そんな彼に警備兵が多数、折り重なるように殺到する。さすがに狭苦しい駐屯地でそれら全部を捌くことは不可能であり、シグレは瞬く間に拘束され、手足を縛られてしまった。
「くそっ、お前ら……」
「シグレ、すまんっ! 上からのお達しなんだ」
シグレが睨みつけると、同僚は泣きそうな顔で言う。しかし、シグレは意味が分からなかった。何故、裏切りに近い状態で襲われなければならなかったか。だが、その疑問もすぐに解消された。
駐屯地にドカドカと踏み込んでくる聖騎士たち。その姿を見たシグレは、事態を一瞬で悟った。おそらく指名手配されていたのだろう、犯人引渡しの要求にイェルスの上層部は従ったのだ、と。
『シグレ、いつまでも逃げられると思うな。殺人罪でお前を裁判にかける為、マリスに送還する』
シグレに宣告する騎士団の長。その目には、同胞を殺したシグレに対する憎悪が見え隠れしていた。
「こうなっては仕方無い。どこへでも連れて行け」
命惜しさにここまで逃げたが、結局はこうなる運命だったのだ。シグレは悟った。自分自身には、もはや安息の地は無い、と。
かつて、同僚と恋愛談義になった時、『まだ若いのだから、生きていれば必ず良い事がある。生きる事は素晴らしい事だ』と言われた事がある。しかし、結局は自分の居場所は無かった。こうなる事は、とっくに決まっていたのだ。
「シグレ……」
自分で捕まえておきながら、申し訳なさそうにする同僚。しかし、シグレは彼を恨む気は無かった。最初は怒りもしたが、彼は命令を忠実に実行しただけだというのは分かった。それに、自分は人を何人も殺したのだから、捕まって当然である。
「気にするな。俺がお前でも、同じ事をしただろうよ」
人を信じられなくなった者など、この世界で生きる事は不可能である。これでやっと、自分自身に終止符を打てるという訳だ。
「――死ぬ事もまた、素晴らしい」
そのような言葉を残して、シグレは聖騎士たちに引き立てられていった。
*****
シグレが捕縛され、反魔物都市に送られる。そのような知らせは、イェルスを震撼させた。
人々は、簡単にシグレを反魔物都市に引き渡した事を不愉快に思った。いや、引き渡した事ではなく、反魔物都市の言いなりになった事を不愉快に思ったのだ。だが、相手側の言い分も尤もである。シグレは反魔物都市で何人もの聖騎士を斬り、脱走した犯罪者である。いくらなんでも、庇いきれる訳が無かった。
不愉快に思いながらも、罪状が罪状なので、イェルスの人々はシグレが捕まったのも無理は無いという考えも持っていた。それに、先の戦争で疲弊している今、反魔物都市と事を荒立てるのは得策ではない。人々は不愉快に思いながらも、仕方無い事として受け止めた。
しかし、仕方無いでは済まされない者もいる。
「そ、そんな……シグレさんが、そんな……」
ショックを受けたのか、ルカは言葉にならない程であった。そんなルカを、周囲の者は不憫に思ったが、どうしようもない事だと思った。れっきとした犯罪者である以上、捕まるのも無理は無いのだ。
だが、ルカがシグレに一途に想いを寄せていた事も知っていたので、彼女に同情する者も多かった。
そして、ショックを受けたのはルカだけではなかった。
「アイツ、何て顔してやがったんだ……」
昨日までシグレと同僚だった、警備兵の連中である。祖国で人を斬りまくった極悪非道の犯罪者だと聞いたが、とてもそんな風には見えなかったのだ。
人を斬ったのは事実なのだろう。しかし、シグレの目には、どこか哀愁が漂っていた。それを、警備兵たちは感じ取ったのだ。あの感じ、どう見ても冷酷無比な犯罪者の目ではなかった。
(……もしかして俺ら、とりかえしのつかない事をしたのでは?)
その様な思いに囚われるのも、さほどの時間を要しなかった。
16/02/02 00:04更新 / 香炉 夢幻
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