消えない記憶
山の稜線へと赤い太陽がかかっていた。
町並みは薄闇へと沈み、ランプの灯りが人々を昼の顔から夜の顔へと変貌させる、そんな時間帯。
御者の男ビリーを無事、医者へと送り届けたマルガとアッシュは、とあるサルーンにいた。
ゴールドマンハウス。サズナックにある大小さまざまなサルーンのうちの1つである。
決して上等な店とは言えないが、旅の垢を落とすには十分な店だ。
「それじゃあ、2人の勇敢なガンマン達に乾杯といこうじゃないか」
そう言って、グラスを掲げたのは雑貨屋の隠居である老人ジャック爺さん。
同じテーブルを囲んでいるのはマルガとアッシュ、そして太った初老の男の3人だった。
初老の男はドクター・コーウェン。彼が治療の為に呼ばれた医者である。
それぞれのグラスを酒で満たして、互いにぶつけ合う。
「ビリーの怪我が軽かった事に」とドク。
「サズナックの輝かしい明日に」ジャック爺さんが続けた。
「それにしても大したモンだ。2人で5人を倒すなんて」
酒が入って上機嫌になったジャック爺さんが赤ら顔で笑う。
「正確に言えば、彼女が4人。俺が1人だ」
グラスに酒を注ぎながら、アッシュがそう補足した。
「見た目は厳格な修道女だが、中身は凄腕だ」
彼がチラリとマルガを見ると彼女は凄い目つきでこちらを睨んでいた。
「へぇ、そりゃあ、まーすます凄いじゃないかぁ。
ウチの保安官にもー、見習って欲しいねぇ」
ドクが感嘆の眼差しでマルガを見る。面と向かって、褒められている所為か、
彼女は少し居心地が悪そうだ。
「…その保安官はどうしてるんだ? 他にも被害は出てるんだろ?」
「フン…、あんな腰抜け、役に立たんわい!」
アッシュの質問にジャック爺さんが鼻を鳴らす。
「まー、山賊は2、30人はいるそうじゃあない。2、3人じゃー、どうしょうもないよー」
ドクが老人を宥めるようにそうフォローした。
「そんなもの、腕に覚えのあるガンマンでも雇って、頭数を揃えれば、いい話だ。
最近の若いモンは、そういう気骨が無い!」
どうやら、ジャック爺さんは絡み上戸のようだ。
「でもー、山賊の頭目は凄腕らしいじゃない。
何でもー、『死神』とか呼ばれる賞金首のガンマンだとか」
「『死神』…?」
ずっと黙ったままだったマルガがドクの言葉に鋭く反応する。
アッシュは彼女の瞳に異様な光が浮かぶのを偶然目撃した。
「南部じゃあ、有名らしいよ。その男の刺青を見た、ならず者たちは震え上がるー、とか」
ドクの話を聞いたマルガは何やら考え込む。
「…その山賊って、どこを根城にしているの?」
やがて、マルガがそう切り出す。
「どこって、町の北にある廃坑らしいが…」
怪訝な顔でジャック爺さんが答えた。
「そう…、悪いけど、先に休ませてもらうわ」
唐突に彼女は立ち上がり、宿になっている2階へと足早に上がって行った。
その背中をアッシュは無言で見つめていた。
###############
太陽が南より少し西へと傾いている。
午前中に準備を終わらせたマルガは馬に乗り、北を目指す。
町の北側へ抜ければ、行く手に黒い山々が見えた。あの1つに山賊の根城がある。
彼女は強い意志を宿した眼差しでそれを見据えて進む。
町の外れに差し掛かった時、道の脇に1人の男が座っていた。
「よぉ、待ちくたびれたぜ」
修道女の到着に気づいたアッシュが立ち上がり、ズボンについた砂を払う。
「どういうつもり?」
馬を止め、マルガは黒髪の青年を冷ややかな目で見下ろした。
「目的はアンタと一緒さ。『死神』の首に用がある」
彼はマルガの視線を正面から受け止めて、そう答えた。
「俺は銃の腕を頼りに西部を渡り歩く流れ者でね。
たまには賞金稼ぎの真似事もするのさ。儲けは山分けでどうだい?」
アッシュは指を2本立てて、彼女に見せつつ、そう提案した。
「好きにすればいいわ」
修道女は興味が失せたかのように男から視線を外し、馬の腹を軽く蹴る。
「…お人好しは早死にするわよ」
通り過ぎざまに彼女が呟く。
「残念。俺は占い師から長生きするって言われてんだ」
アッシュは笑うと傍らに繋いであった馬に飛び乗り、彼女の後を追った。
###############
最初、2人は使われなくなった旧道を使い北を目指す。
かつて、鉱山とサズナックを結んでいたであろう、その道も今は草に覆われて
かろうじて道だと分かるくらいになっていた。
彼女たちはギリギリまで廃坑に近づいた後、馬から降り、小休止を取った。
アッシュが馬の背から水袋を手に取り、それをゆっくりとあおった。
その傍でマルガは紙の束を荷物から取り出し、広げて出す。
彼が修道女の手元を覗き込んでみると、それは鉱山の構造図だった。
「用意がいいもんだな」
青年が感心して呟く。
「当たり前でしょ。私だって、1人で30人を蹴散らす事ができるなんて、
思っていないわ」
彼女は冷静にそう返す。
「この鉱山には入り口が複数あるわ。奇襲にも逃走経路にも使えるでしょうね」
マルガは指先で紙をなぞりながら、そう続けた。
「…後は『死神』の居場所か」
アッシュは構造図の中を見回すように視線を巡らせる。
鉱山の外には鉱員たちが寝泊りする為のバラックがある。
だが、鉱山が廃坑となって四半世紀。山賊たちが、うち捨てられ、
ボロボロになっているであろう廃屋で暮らしているとは考えにくい。
となれば、坑道の何処かで雨露を凌いでいる筈だ。
「まずは森の中から廃坑の様子を伺ってみましょう。
話はそれからだわ」
###############
2人は森の中の適当な木に馬を繋ぎ、廃坑を目指して進み始めた。
しばらくすると前方が明るくなり、森が途切れているのが見えた。
彼女たちは木立や茂みに身を隠しながら鉱山の周囲を歩き回る。
一通り調査を終えた2人は少し引き返し、作戦を立て始めた。
「やっぱり、山賊は正面の入り口から出入りしているみたいね」
彼女の白い指が構造図の1点を指す。
廃坑の正面―鉱山の南側は森が切り開かれ、ちょっとした広場になっていた。
おそらく鉱山の操業中は人や物資の出入り口だった為だろう。
周囲には放置されたままのトロッコも見えた。
そして、入り口の脇には山賊たちの馬が繋がれていた。
さらに案の定、山賊たちは鉱山の中で寝泊りしていた。
バラックはというと、かろうじて壁は残っていたものの、
屋根は完全に崩れ、無残な屍をさらしている状態だ。
「後は中に入って調べるしかないわね」
幸い、山賊たちは正面以外の入り口はあまり使っていないようだ。
そこから入り込み、死神の居場所を突き止めるのが一番手っ取り早い。
「だが、かなりリスクが高いぜ?」
山賊に見つかれば、大騒ぎになるだろう。
「怖いなら、ついて来なくていいわ」
マルガのスミレ色の瞳がアッシュを射抜く。
「…ここまで来て、ついていかないとは言わないさ」
アッシュは不敵にそう答えた。
「けど、夜まで待とう。その方が動き易い筈だ」
「…そうね」
###############
彼女たちは夜に備えて交代で仮眠を取る事にした。
眠りについたマルガは懐かしく、そして悲しい記憶を思い出していた。
2年前、彼女は恋人のユアンと共に西部を旅していた。
愛しい人と共にある幸せな日々。
だがそれはある日、あっけなく終わりを迎えた。
その晩、彼女たちは、とある町の宿で夜を迎えた。
「ウィスキーを一瓶、買ってきてくれないか?」
宵の口、マルガはユアンからそう頼まれた。
いつもはあまり酒を飲まない恋人が珍しい―そう思いながら部屋を後にする。
彼女が宿の玄関を出ようとした時、不意に1人の男が入ってきた。
男はボサボサの無精ヒゲを生やし、帽子を目深に被った一見浮浪者めいた風貌だった。
薄気味悪く思ったマルガはそくささと脇を通り過ぎ、酒場へと向かった。
酒場でウィスキーを購入し、マルガは足取りも軽く宿へと戻った。
彼女が建物へと入った矢先、奥から銃声が響いた。
場所は1階の奥、彼女たちが泊まっている部屋の方からだった。
胸騒ぎを覚えたマルガは迷わず走り出す。
その間にも何発も銃声が聞こてくる。
彼女は廊下を駆け抜けると部屋へと飛び込んだ。
部屋の中に広がっていたのは凄惨な光景だった。
彼女の最愛の恋人ユアンは血塗れになって床に倒れていた。
その傍らには先程玄関ですれ違った浮浪者が立っていた。
男の手に握られているのは拳銃。
「ユアンッ!!」
マルガの悲痛な叫びに浮浪者が振り向いた。
ヒゲに覆われた顔には悪鬼のような笑みが浮かび、目をギラギラと輝かせている。
薄汚れたシャツの襟元が大きく開いており、男の胸に死神の刺青が彫られているのが
彼女の瞳に焼きついた。
「よくもユアンを…殺してやるッ!!」
全身を憎悪で焦がしながら、彼女は血を吐くようにそう叫んだ。
男はマルガへ飛び掛ってくると右手で彼女の口を塞ぎ、床へと彼女を押し倒した。
違う。
本当なら男は窓を突き破って、外に逃げた筈だ。これは本当の記憶ではない。
口を塞がれて、息ができず彼女は無我夢中で暴れた。
男が覆い被さってくる…。息が苦しい…。
そこで彼女は目が覚めた。
###############
目が覚めたマルガは夢の中と同じ様に自分の口が塞がれている事に気づいた。
さらに何者かに押し倒されている。
「むーッ! むーッ!」
自分に覆い被さっている男を跳ね除けようと彼女が暴れる。
「騒ぐな! 気づかれる!」
マルガの耳元でアッシュの緊迫した囁きが聞こえた。
修道女はひとまず怒りを飲み込むと抵抗する力を緩めた。
「近くまで山賊たちが来ている」
青年が小声で状況を説明してくる。
冷静さを取り戻したマルガが耳をすませると山賊たちの会話が聞こえてきた。
「ったくよぉ、何で俺たちが薪拾いなんかしなきゃならねぇんだよ!」
「しょうがないだろ! カードに負けたんだから!」
そんな遣り取りがかなりの間近で為されている。
それにしても暑苦しい。はっきり言ってくっつき過ぎだ。
自分の上に覆い被さっている青年をマルガは半眼で睨みつけた。
非常時にかこつけて、邪な願いを叶えてんじゃないのか、
そんな疑念が彼女の心に生まれ渦巻く。
マルガが四肢に力を込めると左手が自由になりそうな事に気づいた。
ゆっくりと山賊たちが遠ざかっていき、やがて話し声は完全に聞こえなくなった。
しばらくしてもアッシュは動かない。
まだ警戒しているのかもしれないが、さすがに長すぎる。
(せいッ!)
マルガは心の中で叫び、アッシュの顔面に左拳を叩き込んだ。
「〜〜〜ッ!」
アッシュはマルガの上から転げ落ちると今度は自分の口に手を当て、必死に悲鳴を押し殺した。
「何すんだよ!?」
青年が小声で抗議する。
「人の上からどいてくれないから実力行使」
上半身を起こしたマルガが冷たい視線で答える。
「だいたい、山賊をやり過ごすのでも、押し倒した上に口まで塞がなくてもいいと思うけど」
「俺はシスターが寝言を言い始めたから仕方なく…!
それに口を塞いだら、暴れだすし…!」
起き上がったアッシュがそう言い訳する。
「じゃあ何? 貴方は仕方なく、人の寝言を聞いた上に、寝てる女へ密着したって訳?」
「…まあ、平たく言えば」
「死ねッ!」
マルガは一挙動で拳銃を抜き、撃鉄を起こす。
「じゅ、銃声はマズイって!」
青年が慌てて制止する。
「悪かった! 緊急事態だったんだ! 許してくれ!」
アッシュが頭を下げる。
「…次は無いから」
彼女はそう言うとゆっくりと撃鉄を戻した。
「肝に銘じておくよ」
彼は大きく息を吐き出すとそう呟いた。
「し、しっかし、アンタ大分うなされてたぞ。悪い夢でも見たのか?」
話題を逸らそうとアッシュがそんな質問をしてくる。
明らかに話題を逸らす方向を間違えているが。
「夢じゃないわ…現実よ」
ポツリと答える彼女の瞳に憎悪の色が浮かんだのを彼は見逃さなかった。
町並みは薄闇へと沈み、ランプの灯りが人々を昼の顔から夜の顔へと変貌させる、そんな時間帯。
御者の男ビリーを無事、医者へと送り届けたマルガとアッシュは、とあるサルーンにいた。
ゴールドマンハウス。サズナックにある大小さまざまなサルーンのうちの1つである。
決して上等な店とは言えないが、旅の垢を落とすには十分な店だ。
「それじゃあ、2人の勇敢なガンマン達に乾杯といこうじゃないか」
そう言って、グラスを掲げたのは雑貨屋の隠居である老人ジャック爺さん。
同じテーブルを囲んでいるのはマルガとアッシュ、そして太った初老の男の3人だった。
初老の男はドクター・コーウェン。彼が治療の為に呼ばれた医者である。
それぞれのグラスを酒で満たして、互いにぶつけ合う。
「ビリーの怪我が軽かった事に」とドク。
「サズナックの輝かしい明日に」ジャック爺さんが続けた。
「それにしても大したモンだ。2人で5人を倒すなんて」
酒が入って上機嫌になったジャック爺さんが赤ら顔で笑う。
「正確に言えば、彼女が4人。俺が1人だ」
グラスに酒を注ぎながら、アッシュがそう補足した。
「見た目は厳格な修道女だが、中身は凄腕だ」
彼がチラリとマルガを見ると彼女は凄い目つきでこちらを睨んでいた。
「へぇ、そりゃあ、まーすます凄いじゃないかぁ。
ウチの保安官にもー、見習って欲しいねぇ」
ドクが感嘆の眼差しでマルガを見る。面と向かって、褒められている所為か、
彼女は少し居心地が悪そうだ。
「…その保安官はどうしてるんだ? 他にも被害は出てるんだろ?」
「フン…、あんな腰抜け、役に立たんわい!」
アッシュの質問にジャック爺さんが鼻を鳴らす。
「まー、山賊は2、30人はいるそうじゃあない。2、3人じゃー、どうしょうもないよー」
ドクが老人を宥めるようにそうフォローした。
「そんなもの、腕に覚えのあるガンマンでも雇って、頭数を揃えれば、いい話だ。
最近の若いモンは、そういう気骨が無い!」
どうやら、ジャック爺さんは絡み上戸のようだ。
「でもー、山賊の頭目は凄腕らしいじゃない。
何でもー、『死神』とか呼ばれる賞金首のガンマンだとか」
「『死神』…?」
ずっと黙ったままだったマルガがドクの言葉に鋭く反応する。
アッシュは彼女の瞳に異様な光が浮かぶのを偶然目撃した。
「南部じゃあ、有名らしいよ。その男の刺青を見た、ならず者たちは震え上がるー、とか」
ドクの話を聞いたマルガは何やら考え込む。
「…その山賊って、どこを根城にしているの?」
やがて、マルガがそう切り出す。
「どこって、町の北にある廃坑らしいが…」
怪訝な顔でジャック爺さんが答えた。
「そう…、悪いけど、先に休ませてもらうわ」
唐突に彼女は立ち上がり、宿になっている2階へと足早に上がって行った。
その背中をアッシュは無言で見つめていた。
###############
太陽が南より少し西へと傾いている。
午前中に準備を終わらせたマルガは馬に乗り、北を目指す。
町の北側へ抜ければ、行く手に黒い山々が見えた。あの1つに山賊の根城がある。
彼女は強い意志を宿した眼差しでそれを見据えて進む。
町の外れに差し掛かった時、道の脇に1人の男が座っていた。
「よぉ、待ちくたびれたぜ」
修道女の到着に気づいたアッシュが立ち上がり、ズボンについた砂を払う。
「どういうつもり?」
馬を止め、マルガは黒髪の青年を冷ややかな目で見下ろした。
「目的はアンタと一緒さ。『死神』の首に用がある」
彼はマルガの視線を正面から受け止めて、そう答えた。
「俺は銃の腕を頼りに西部を渡り歩く流れ者でね。
たまには賞金稼ぎの真似事もするのさ。儲けは山分けでどうだい?」
アッシュは指を2本立てて、彼女に見せつつ、そう提案した。
「好きにすればいいわ」
修道女は興味が失せたかのように男から視線を外し、馬の腹を軽く蹴る。
「…お人好しは早死にするわよ」
通り過ぎざまに彼女が呟く。
「残念。俺は占い師から長生きするって言われてんだ」
アッシュは笑うと傍らに繋いであった馬に飛び乗り、彼女の後を追った。
###############
最初、2人は使われなくなった旧道を使い北を目指す。
かつて、鉱山とサズナックを結んでいたであろう、その道も今は草に覆われて
かろうじて道だと分かるくらいになっていた。
彼女たちはギリギリまで廃坑に近づいた後、馬から降り、小休止を取った。
アッシュが馬の背から水袋を手に取り、それをゆっくりとあおった。
その傍でマルガは紙の束を荷物から取り出し、広げて出す。
彼が修道女の手元を覗き込んでみると、それは鉱山の構造図だった。
「用意がいいもんだな」
青年が感心して呟く。
「当たり前でしょ。私だって、1人で30人を蹴散らす事ができるなんて、
思っていないわ」
彼女は冷静にそう返す。
「この鉱山には入り口が複数あるわ。奇襲にも逃走経路にも使えるでしょうね」
マルガは指先で紙をなぞりながら、そう続けた。
「…後は『死神』の居場所か」
アッシュは構造図の中を見回すように視線を巡らせる。
鉱山の外には鉱員たちが寝泊りする為のバラックがある。
だが、鉱山が廃坑となって四半世紀。山賊たちが、うち捨てられ、
ボロボロになっているであろう廃屋で暮らしているとは考えにくい。
となれば、坑道の何処かで雨露を凌いでいる筈だ。
「まずは森の中から廃坑の様子を伺ってみましょう。
話はそれからだわ」
###############
2人は森の中の適当な木に馬を繋ぎ、廃坑を目指して進み始めた。
しばらくすると前方が明るくなり、森が途切れているのが見えた。
彼女たちは木立や茂みに身を隠しながら鉱山の周囲を歩き回る。
一通り調査を終えた2人は少し引き返し、作戦を立て始めた。
「やっぱり、山賊は正面の入り口から出入りしているみたいね」
彼女の白い指が構造図の1点を指す。
廃坑の正面―鉱山の南側は森が切り開かれ、ちょっとした広場になっていた。
おそらく鉱山の操業中は人や物資の出入り口だった為だろう。
周囲には放置されたままのトロッコも見えた。
そして、入り口の脇には山賊たちの馬が繋がれていた。
さらに案の定、山賊たちは鉱山の中で寝泊りしていた。
バラックはというと、かろうじて壁は残っていたものの、
屋根は完全に崩れ、無残な屍をさらしている状態だ。
「後は中に入って調べるしかないわね」
幸い、山賊たちは正面以外の入り口はあまり使っていないようだ。
そこから入り込み、死神の居場所を突き止めるのが一番手っ取り早い。
「だが、かなりリスクが高いぜ?」
山賊に見つかれば、大騒ぎになるだろう。
「怖いなら、ついて来なくていいわ」
マルガのスミレ色の瞳がアッシュを射抜く。
「…ここまで来て、ついていかないとは言わないさ」
アッシュは不敵にそう答えた。
「けど、夜まで待とう。その方が動き易い筈だ」
「…そうね」
###############
彼女たちは夜に備えて交代で仮眠を取る事にした。
眠りについたマルガは懐かしく、そして悲しい記憶を思い出していた。
2年前、彼女は恋人のユアンと共に西部を旅していた。
愛しい人と共にある幸せな日々。
だがそれはある日、あっけなく終わりを迎えた。
その晩、彼女たちは、とある町の宿で夜を迎えた。
「ウィスキーを一瓶、買ってきてくれないか?」
宵の口、マルガはユアンからそう頼まれた。
いつもはあまり酒を飲まない恋人が珍しい―そう思いながら部屋を後にする。
彼女が宿の玄関を出ようとした時、不意に1人の男が入ってきた。
男はボサボサの無精ヒゲを生やし、帽子を目深に被った一見浮浪者めいた風貌だった。
薄気味悪く思ったマルガはそくささと脇を通り過ぎ、酒場へと向かった。
酒場でウィスキーを購入し、マルガは足取りも軽く宿へと戻った。
彼女が建物へと入った矢先、奥から銃声が響いた。
場所は1階の奥、彼女たちが泊まっている部屋の方からだった。
胸騒ぎを覚えたマルガは迷わず走り出す。
その間にも何発も銃声が聞こてくる。
彼女は廊下を駆け抜けると部屋へと飛び込んだ。
部屋の中に広がっていたのは凄惨な光景だった。
彼女の最愛の恋人ユアンは血塗れになって床に倒れていた。
その傍らには先程玄関ですれ違った浮浪者が立っていた。
男の手に握られているのは拳銃。
「ユアンッ!!」
マルガの悲痛な叫びに浮浪者が振り向いた。
ヒゲに覆われた顔には悪鬼のような笑みが浮かび、目をギラギラと輝かせている。
薄汚れたシャツの襟元が大きく開いており、男の胸に死神の刺青が彫られているのが
彼女の瞳に焼きついた。
「よくもユアンを…殺してやるッ!!」
全身を憎悪で焦がしながら、彼女は血を吐くようにそう叫んだ。
男はマルガへ飛び掛ってくると右手で彼女の口を塞ぎ、床へと彼女を押し倒した。
違う。
本当なら男は窓を突き破って、外に逃げた筈だ。これは本当の記憶ではない。
口を塞がれて、息ができず彼女は無我夢中で暴れた。
男が覆い被さってくる…。息が苦しい…。
そこで彼女は目が覚めた。
###############
目が覚めたマルガは夢の中と同じ様に自分の口が塞がれている事に気づいた。
さらに何者かに押し倒されている。
「むーッ! むーッ!」
自分に覆い被さっている男を跳ね除けようと彼女が暴れる。
「騒ぐな! 気づかれる!」
マルガの耳元でアッシュの緊迫した囁きが聞こえた。
修道女はひとまず怒りを飲み込むと抵抗する力を緩めた。
「近くまで山賊たちが来ている」
青年が小声で状況を説明してくる。
冷静さを取り戻したマルガが耳をすませると山賊たちの会話が聞こえてきた。
「ったくよぉ、何で俺たちが薪拾いなんかしなきゃならねぇんだよ!」
「しょうがないだろ! カードに負けたんだから!」
そんな遣り取りがかなりの間近で為されている。
それにしても暑苦しい。はっきり言ってくっつき過ぎだ。
自分の上に覆い被さっている青年をマルガは半眼で睨みつけた。
非常時にかこつけて、邪な願いを叶えてんじゃないのか、
そんな疑念が彼女の心に生まれ渦巻く。
マルガが四肢に力を込めると左手が自由になりそうな事に気づいた。
ゆっくりと山賊たちが遠ざかっていき、やがて話し声は完全に聞こえなくなった。
しばらくしてもアッシュは動かない。
まだ警戒しているのかもしれないが、さすがに長すぎる。
(せいッ!)
マルガは心の中で叫び、アッシュの顔面に左拳を叩き込んだ。
「〜〜〜ッ!」
アッシュはマルガの上から転げ落ちると今度は自分の口に手を当て、必死に悲鳴を押し殺した。
「何すんだよ!?」
青年が小声で抗議する。
「人の上からどいてくれないから実力行使」
上半身を起こしたマルガが冷たい視線で答える。
「だいたい、山賊をやり過ごすのでも、押し倒した上に口まで塞がなくてもいいと思うけど」
「俺はシスターが寝言を言い始めたから仕方なく…!
それに口を塞いだら、暴れだすし…!」
起き上がったアッシュがそう言い訳する。
「じゃあ何? 貴方は仕方なく、人の寝言を聞いた上に、寝てる女へ密着したって訳?」
「…まあ、平たく言えば」
「死ねッ!」
マルガは一挙動で拳銃を抜き、撃鉄を起こす。
「じゅ、銃声はマズイって!」
青年が慌てて制止する。
「悪かった! 緊急事態だったんだ! 許してくれ!」
アッシュが頭を下げる。
「…次は無いから」
彼女はそう言うとゆっくりと撃鉄を戻した。
「肝に銘じておくよ」
彼は大きく息を吐き出すとそう呟いた。
「し、しっかし、アンタ大分うなされてたぞ。悪い夢でも見たのか?」
話題を逸らそうとアッシュがそんな質問をしてくる。
明らかに話題を逸らす方向を間違えているが。
「夢じゃないわ…現実よ」
ポツリと答える彼女の瞳に憎悪の色が浮かんだのを彼は見逃さなかった。
11/03/29 22:54更新 / 蔭ル。
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