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第8回「誰が為に魔女は飛ぶ」
 ドンッドンッドンッ!

 上空で三度、音花火が響き渡る。それに間を置かず地上の歓声が魔界の空を震わせた。
 ここは魔王城の城下町。魔物とその伴侶たちの暮らす町。
サバト主催の飛行魔法レース当日を迎え、町は普段とは少々異なる種類の熱気に包まれていた。
 街路や窓辺、屋根の上など、いたる所で人々がひしめき合い。
空を見上げて、レースが始まるのを今か今かと待っていた。

##########

 魔王城前の中央広場。
 普段なら様々な露天が立ち並ぶこの場所も今日は多くの見物客でごったがえしていた。
ここがレースのスタート地点という事もあり、人の多さも尋常ではない。

 様々な装飾で飾り立てられた建物がレースの雰囲気を華やかに盛り上げている。
その飾りの1つ、建物に掛けられた白い幕に魔法の幻影が投射され、2人の女性の姿を映し出していた。

「さあ、今年もやって来ました! サバト主催の飛行魔法レース、ブルームチャンピオンシップ!」
 片方の女性が青い翼をばたつかせながら興奮した面持ちでまくし立てる。
「実況はワタクシ、セイレーンのアニー・テイラーでお送りします!」
 歯切れの良い、澄んだ声が拡声の魔法を通して広場に響き渡る。
「そして! 解説はバフォメットのネマさんです!」
「ネマ・セイレタ・イエドじゃ。本日は儂が解説を務めさせてもらう」
 青羽のセイレーンに紹介され、隣で黙っていた山羊角の幼女がゆっくりと口を開いた。
「さて、ネマさん。今大会の見所はどこでしょうか?」
「ふむ、そうじゃのう…」
 セイレーンのフリを受け、ネマが思案気に呟く。
「…やはり、予選で並み居る強豪を下した新人たちがどのような活躍を見せてくれるか。
それが見所の1つかもしれんな」
「なるほどー、確かにそれは注目です!」
 バフォメットの解説にアニーは大げさに納得してみせる。
「今大会は予選から大番狂わせの連続でしたからね!
 大会初出場の選手が昨年の本大会上位の選手たちを抑え、
本大会出場を決めるという快挙を成し遂げています。
 はたして、彼女たちがどんな活躍を見せてくれるのか!?」

##########

 城下町の外れ。
 普段はだたっぴろい空き地なっている場所に選手達の控え場所(テント)が設けられていた。
各テントをスタッフたちがせわしなく出入りし、周囲にはレース前独特の緊張感が漂っていた。

 その一角のテントの1つ。
 テントの天井から吊るされたランタンの灯を浴びて、少女の緑色の髪が艶やかに輝いていた。
彼女は背後に立つ全裸の青年に櫛で髪を梳(と)かれ、幸せな心地で椅子に座っている。

 青年は無言で彼女の髪を梳(くしけず)った後、2本のリボンでそれぞれに髪を纏める。
そうすれば、いつものツインテールの完成だ。
「よし、できたぞ、マイたん」
「うん、ありがと! お兄ちゃん!」
 鏡で出来上がりを確認し、マイは花が咲いたような笑顔を浮かべた。
「これでジュンビはバッチリだね! ユウショーまちがいナシだよ!」
 少女が嬉しそうに顔をブンブンと振れば、それに合わせてツインテールが揺れる。
「うむ、可愛いイコール最強…だからな! 優勝はマイたんのモノだとも!」
 彼女の言葉を肯定し、青年が自信たっぷりに笑う。
「ユウショーすれば、友達いっぱいできるよね!?」
 マイはワクワクした表情で彼を見上げ、そう問いかけた。
「モチロンだとも!」
「やった!」
 少女が興奮して立ち上がった拍子に、彼女の右の二の腕に巻かれていたバンダナが解けた。

「あっ…」
 彼女は途端に不安そうな表情を浮かべ、ヒラリと舞ったバンダナを掴んだ。
「…そっちも巻き直してあげよう」
 彼は優しい声でそう言い、受け取ったバンダナを少女の腕へと巻き直す。
「…お兄ちゃん、マイはひとりじゃないよね?」
 マイは弱弱しい視線で青年を見上げながら、震える声でそう呟いた。
「ああ、いつでも吾輩が傍にいるとも。…おはようから、おやすみまで。
レース中からトイレの最中まで、マイたんを優しくヤラしく見守っちゃうぞ!」
 彼は真面目な顔から一転おどけた表情になり、鼻息も荒くそう答える。

「トイレの中はイヤ。キモイ。お兄ちゃん、死んで

 少女は冷たく、はっきりとした口調で拒絶する。
「ぐふぅっ!」
 青年は呻き声を上げ、その場に崩れ落ちた。
「はぁ……ふぅ……」
 ややあって、復活した青年は喘ぎながらヨロヨロと立ち上がった。
「あ…危なかった……。マイたんの言葉責めに、吾輩の中で…ナニかが目覚めそうになっちゃった」

 こんな時でもギャグを忘れない彼に、それでもマイは縋るような視線を向ける。
「お兄ちゃん、いつでも一緒にいてね。……トイレ以外は」
 立ち上がった青年に少女はその小さな身体で抱きつく。

 彼女には過去の記憶が無かった。
ある日、目覚めると全てを、自分の名前すら失っていた。
そんな彼女にマイという名を与え、保護してくれたのは他ならぬ青年だった。

 彼の温もりが、マイに安らぎを与えてくれた。
青年がくれたバンダナもそんな温もりの1つ。
マイの大事な宝物の1つ。

「心配する必要はない。吾輩が、そして友達がマイたんの傍にいる…」
 彼は少女を受け止め、優しく包み込む。
その腕に抱かれ、マイは安心したように表情を和らげ、目を瞑った。

 記憶を失った少女は孤独になる事を酷く恐れた。
誰かが傍にいないと不安に押し潰されそうになるのだろう。
彼女は常に誰かの温もりを求めた。

 そんな彼女に青年は友達を作る事を勧めた。
沢山の人々との触れ合いを通して。
彼女に喜びと悲しみ、あらゆる事を感じさせて、新しい人生を歩んで行ける様にと。
そんな友達作りの一環として、マイはレースに参加している。


 少女をしばらく抱き締めた後、おもむろに青年が口を開いた。
「……ところでトイレの件なんですか」
「ヤダ」
「羞恥に震えるマイたんを、たっぷりねっとり視姦するだけだからっ!」
「殺すよ?」

 駄目だこの変態。早くなんとかしないと。

##########

 テントの入り口をくぐると魔界の柔らかな日差しが少女を包んだ。
長い金色の髪をなびかせて、ゾフィーアは太陽の下へと歩み出た。

 白い飛行服(フライトスーツ)を身に纏い、凛と佇む少女の姿はまるで清楚な華のようだった。
そんな彼女をテントの外で待機していた使い魔の青年が出迎える。
「…これを」
 彼は箒(ほうき)を彼女へと差し出した。
箒を受け取り、改めて愛用の箒へと視線を落とす。

 それはエニシダの枝を束ねた古式ゆかしい魔女の箒。
ゾフィーアが自らの手で作り出した彼女の翼。

 "魔女の伝統と誇りを体現した一品"(アルタートゥーム)。

「ゾフィーア」
 名を呼ばれて顔を上げると彼女が兄と慕う青年の真摯な眼差しがあった。
「レースで悔いを残さないよう。…でも無理は厳禁だよ?」
 口元に浮かんだいつも通りの穏やかな微笑とは裏腹に、彼の瞳は酷く思い詰めた色に染まっていた。彼はいつでもゾフィーアの背を押してくれる。細やかな気遣いで彼女を支えてくれる。
 そう、彼には少女を支える事しかできない。
どれほど、ゾフィーアが傷つき、苦しい思いをしても、青年はただそれを見守る事しかできない。
 彼がそんな風に自分を責めている事に、少女は気づく。

 愛しい人から想われる事の幸せ。愛おしい人を想う事の幸せ。
胸から溢れ出しそうな想いを抱きながら、少女は自分の小さな手を青年の手に重ねる。
 触れた所からお互いの心が流れ込んでくるような暖かい感覚。

「お兄様がサポートしてくれるのですもの。必ず最高のレースにしてみせますわ」
 ゾフィーアは力強くそう答え、重ねた手をそっと離す。
名残り惜しいが続きはレースの後だ。

 彼女は箒を浮かべると、それに腰を掛ける。
「それでは行って参ります…!」

 そして、少女は決戦の空へと舞い上がった。
幾多の強敵(ライバル)が待つ、闘いの空に。

##########

 薄暗いテントの中、彼女は1人。目を閉じて、心静かに瞑想していた。
幼い肢体(したい)を紺色の飛行服で覆い、椅子に座して意識を研ぎ澄ます。
 彼女、リーリャにとって、レースとは自分との戦いでもある。
周りからの重圧。自分の中の不安。
幾度と無く挫けそうになった気持ち。
 華やかな活躍の陰で、彼女は人知れず、自分の心と戦ってきた。
誰にも言えない。リーリャの孤独な戦い。

 けれど、今はそれを支えてくれる使い魔(ひと)がいる。
そう想うだけで心の中の不安も重圧も消えていく。

 少女は自分の胸に手を当てる。
彼女の身体を包む飛行服は彼女の兄が作った物だ。
それを身につけているとまるで兄さんの腕に抱かれているように、心が落ち着き澄んでいく。

 この大会が始まる前。
 リーリャはとある出来事から自分自身を見失い、飛べなくなっていた。

 悩み迷っていた少女を救ったのは魔具の技師としてやって来た青年だった。
彼が現れなければ、リーリャは飛べないままだっただろう。
青年が彼女に前へ進む為の力を分け与えてくれた。

(だから、わたしは戦える。誰でもない、リーリャ=バランニコフとして……)

 目を開き、ただ前だけを見つめる。

「リーリャ…そろそろウォームアップの時間だ」
 テントの入り口が開かれ、彼女の最も信頼する青年が顔を覗かせた。

「はい…!」

 少女は短く返事をするとゆっくりと立ち上がる。
前へと進む為に。

##########

 まるで蝶の大群のように。
 色とりどりの飛行服に身を包んだ大会参加者たちが城下町の街並みの上を舞う。

 先導する運営スタッフの後ろを参加者がひと塊となって飛んでいた。
城下町の上空をぐるりと一周した後、スタート地点へと戻る。
その時、レース開始の合図が鳴らされる事になっていた。

 ヘザーは高鳴る鼓動を抑えながら、ゆっくりと飛んでいた。
地上から聴こえてくる歓声に否が応にも緊張が高まっていく。
 少女は無意識に顔に装着したゴーグルに触れ、緊張を紛らわせようとする。
そのゴーグルはヘザーが初めてレースに参加した時に、彼女の兄から贈られたものだった。
それ以来、ヘザーはこのゴーグルを身につけ、レースに臨んでいた。
「大丈夫だ」ゴーグルに触れていると兄やんの声が聞こえてくるような気がする。

「よし!」
 青年の事を思い浮かべ、気合を入れ直すと気分が少しだけすっきりした。
そうすると周囲の様子を伺う余裕も出てくる。
 ヘザーが何気なく眼下の街並みを見下ろすと、屋根の上で観戦していた幼い魔物の女の子と目が合った。するとその女の子はパッと笑顔になり、嬉しそうに手を振ってくる。
 ヘザーも思わず笑ってしまい、小さく手を振り返した。

(ああ…。あの女の子は昔のあたしなんだ…)
 彼女の胸の内に、そんな感慨が込み上げてきた。
 以前の彼女は憧れを、夢を見上げるだけの少女だった。
けれど、兄やんと出会い、彼に励まされて、この大舞台に立つ事ができた。

 でもまだ夢の途中だ。
 いや、これからも、この先も夢を追い続けていく事になるだろう。
大好きな兄やんに支えられて、この空をどこまでも。
そう想うと嬉しさが止まらない。ついついニヤけてしまう。

「…ヘザーさん、随分と余裕ですわね」
「ふぇっ!?」
 いきなり話しかけられて、ヘザーは我に返り、声のした方を振り返った。
 そこには白い飛行服を身に纏ったゾフィーアが飛んでいた。
彼女は変なものでも見たような目つきでヘザーを見てくる。
どうやら、ニヤニヤしてたのを見られたらしい。
 急に恥ずかしくなって、少女はモゴモゴと言い訳した。
「いや、その…何だか、楽しくなっちゃって…」
 ヘザーの答えを聞き、ゾフィーアは呆れた表情を浮かべた。
「少しだけ、その能天気さが羨ましいですわ…」
 彼女は皮肉まじりにそう苦笑した。
「あははは…」
「さて、おしゃべりはお終いにしましょうか」
 金色の髪の少女が向けた視線の先にスタート地点を表わす櫓が見えた。

 中央広場の真ん中に設置された櫓の上には新雪のような艶やかな白い髪をなびかせた魔物が杖を手に立っていた。そのリリムは王族を代表して、レースの開始を告げる役目を負っていた。

 彼女のしなやかな腕がさっと上がり、杖が振り上げられる。
参加者たちは一様に目つきを変え、それぞれに魔力を練り始めた。

 そして、杖の先端から上空に一筋の白い光が立ち上り、大きく花開く。

 それを合図に魔女たちは風となるッ!

それぞれの想いを胸に秘め、《最速の魔女》となる為に。
11/07/28 23:19更新 / 蔭ル。
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■作者メッセージ
ぐぎぎ…リーリャの話が上手くまとまらなかったので簡潔に記述。
構成を失敗したなぁ(苦笑)

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