本当の言葉
目が覚めるとそこはベッドの上だった。
身を起こそうとすると脇腹に激痛が走る。
苦悶しつつも、何とか彼は起き上がる。アッシュは生きていた。
ベッド脇に視線を向けるとブラウス姿のマルガがベッドに寄りかかったまま、眠っていた。
「おー、目ーが覚めたみたいだねぇ」
独特の間延びした声が聞こえた方へ彼は視線をやる。
そこにはアル中の医師ドクが立っていた。
どうやらサズナックに帰って来れたようだ。
「んー、もー熱は無いみたいだねー」
ドクは足音を立てないように近づいてくるとアッシュの額に手を当てた。
「後でお礼を言うといいよー。彼女が徹夜で看病してくれたんだからねー」
医師はベッド脇で眠っているマルガに視線を落としながらそう言う。
「ああ、分かっているさ…」
「じゃあ、オジサンは退散するよ。ごゆっくりー」
ドクは意味ありげにウインクするとそろそろと部屋から出て行った。
「ずいぶんと大きな借りができちまったみたいだな」
眠る彼女の髪にアッシュはそっと触れた。
「…返せなんて言わないわ」
「お、起きてたのかっ」
彼は慌てて手を引っ込める。
灰色がかった髪を揺らしながらマルガは立ち上がる。
「私が助けたかったから助けた…ただそれだけよ」
彼女は見上げる男からフイと視線を逸らし、背を向けた。
「だが、君の御蔭で俺は生きている。ありがとう」
衣擦れの音から男が頭を下げているのが分かる。まだ脇腹が痛むだろうに。
アッシュと言葉を交わす事で落ち着かない気分になったマルガは逃げ出すように
部屋から出て行こうとする。
しかし、ドアの手前で立ち止まり振り返った。
「もし…どうしても貴方が借りを返したいのなら、今夜、教会の礼拝堂に来て」
###############
月の光に照らされた教会の姿はどこか悲しげだった。
メインストリートの喧騒も町外れにあるここまでは届かない。
アッシュは礼拝堂の扉をゆっくりと開いた。
中に入ると祭壇の傍に黒い修道服に身を包んだマルガが立っていた。
祭壇に置かれた蝋燭の微かな光が彼女の姿を闇の中に浮かび上がらせている。
「貴方、本当に馬鹿な男ね…」
呟くように言う彼女の背で異形の尻尾が揺れていた。
「アンタには借りがあるからな…」
アッシュはゆっくりと祭壇へと歩いていく。
「この姿を見ても何も言わないのね?」
「別にアンタが聖女でも魔物でも構わないさ…」
青年は息を吸い、
「マルガ、君は俺の死神なんだからな…」
そう吐き出しながら、シャツのボタンを外す。
彼の露になった胸には死神の刺青が彫られていた。
「いつから気づいていたの?」
目を伏せ、マルガが問いかける。
「最初から…森で再会した時には」
アッシュの言葉に彼女の呼吸が止まる。
「キミの目を見た時、思い出した…いや、あの時から、ずっとキミの目が忘れられなかった」
ユアンを殺した時。マルガに仇と憎悪の眼差しを向けられた時。
「だから、直ぐに気づいたよ。キミがあの時の…ユアンの恋人だと」
「…ッ!!」
青年の静かな言葉に彼女の右手が跳ね上がった。
その手に握られているのはピースメイカー。ユアンの形見の銃。
「引き金を引けばいい。君には復讐する権利がある」
穏やかな眼差しでアッシュはそう告げた。
「だが、最後に少しだけ、話を聞いてくれないか?」
「命乞いのつもり?」
「いや、君の未来についてだ」
###############
ある所に1人の男がいた。男には2人の親しい友人がいた。
1人はユアン。もう1人はステラ。
3人は幼い頃から兄弟のように家族のようにいつも一緒だった。
やがて男は年頃になり、ステラに恋をした。
しかし、男は同時にユアンもステラに恋をしている事に気づいた。
男は恋と友情に板ばさみになり、彼女に告白する事ができなかった。
後から思えば、笑い話だ。彼女が男の想いに答えてくれる確証なんて、
どこにもなかったのに。
男はユアンも同じなのだろうと思っていた。だが、ユアンの考えは違った。
彼はステラが男を愛していると思っていたのだ。
何故、ユアンがそう思ったかは分からない。
激情に駆られた彼は銃を持って、男とステラの前に現れた。
ユアンは男に向かって、引き金を引いた。だが倒れたのはステラだった。
ステラは男を庇って飛び出し、そして撃たれた。
彼女は男の腕の中で死んだ。
結局、彼女が愛していたのは誰だったのかも言わないままで。
男は復讐を決意し、逃げた親友を追いかけた。
そして、あの日――。
###############
風の噂を頼りにアッシュはユアンを追いかけ、そしてある町に滞在している事を突き止めた。
彼がホテルの玄関をくぐるとそこで修道女とすれ違う。
しかし、彼は気にも留めず、奥へと進んだ。
アッシュは目的の部屋の前まで来ると勢い良くドアを開けた。
部屋の中にいたユアンはドアの開くの音にゆっくりと振り返った。
「アッシュ、君が僕を追いかけているのを知っていたよ」
「ユアン…!」
憎悪がにじむ声でアッシュがかつての友の名を呼ぶ。
アッシュは自分の胸元に手をやるとシャツを引き裂いた。
彼の胸には死神の刺青が彫られていた。
「ステラが死んだあの日から! 俺はお前の死神へと生まれ変わった!」
「引き金を引けばいい。君には復讐する権利がある」
両手を横に広げて、ユアンは穏やかな眼差しで親友を見る。
「ごめん、マルガ」
「おおッ!!!」
咆哮とともにアッシュは引き金を引く。
一発目でユアンは倒れる。それでも構わず、倒れた友に銃弾を撃ち込んだ。
引き金を引く。すでに弾倉は空になっている為、弾は出ない。
アッシュは空虚な目で血まみれになったユアンを見下ろした。
ステラの仇は討った。だが、一向に彼の気は晴れない。
当然だ。彼は自分の手でかつての親友を殺めたのだから。
「ユアンッ!!」
背後から女の悲痛な叫びが聞こえた。
振り返ったアッシュの目に修道女の姿が映った。
「よくもユアンを…殺してやるッ!!」
彼女の瞳に宿った憎悪を見た時、アッシュは気づいた。
今まで自分も同じ目をしていたのだと。
激情にかられるまま、取り返しのつかない過ちを犯してしまったのだと。
アッシュは急に自分のしでかした事が恐ろしくなった。
そして、彼はその場から逃げ出した。
###############
「…話はそれで終わり? そんな話で私の同情を引こうって言うの!?」
感情を爆発させたようにマルガが叫ぶ。
「そうじゃない」
アッシュは静かに否定した。
「復讐を果たしても、そこで人生が終わる訳じゃあない。
その後も君の人生は続いていくんだ」
真摯な目で彼女を見つめて、青年は続ける。
「引き金を引いた後、どう生きるのか。俺は君にそれを考えて欲しい」
「説教なんてしないでよ! 何様のつもり!?」
マルガの握った銃がかすかに震えていた。彼女の内心の迷いを表わす様に。
「説教して悪かった。もう言い残す事は無い」
アッシュは両手をゆっくりと横に広げた。
「…撃ってくれ」
###############
月の光に照らされた教会の姿はどこか悲しげだった。
教会の前の道を千鳥足の男が歩いていた。
「うぃー、飲ーみ過ぎちゃったかなかなー、こりゃー」
ドクター・コーウェンは酒場からの帰宅途中だった。
礼拝堂の前を通り過ぎようとした時、中から一発の銃声が響くのを彼は聞いた。
「…い、今のは!?」
すっかり、ほろ酔い気分も吹き飛んだドクは恐る恐る振り返る。
すると扉がゆっくりと開き、1人の修道女が出てくる。
「な、なーんだ。シスターさんじゃないか」
一瞬、びくっとなったドクだが、姿を現したのが知人だと気づき、近づいていく。
「今、中から銃声が聞こえたけどー、何かあったの?」
彼の言葉にマルガは身体を震わせる。
彼女が振り向く。その拍子にマルガの頬から涙が零れ落ちた。
マルガは涙を拭うと通りの方へと駆け出した。
「ちょっ、ちょっと!」
呆然とドクを尻目に彼女は無言で走り去る。
彼女はサルーンの裏手に繋いであった馬に乗ると町の外を目指す。
目を背けるように。逃げ出すように。
やがて、彼女の姿は夜の闇に溶けて消えた。
###############
長い夜が終わり、町に朝がやって来た。
「だから、まーだ起き上がっちゃ、駄目だってー」
白衣の医師が馬に荷物を積んでいる若い男を思いとどまらせようとそう言った。
「今、傷口が開いたら、命に関わるんだからー」
「大丈夫さ。俺は占い師から長生きするって言われているんでね」
男はそういうと馬に飛び乗った。
「それに…追いかけたい女がいるんだ」
そう言い残し、男は馬を走り出させた。
呆れた様に見送る医師の視界の中で男の姿が砂塵へと溶けていく。
今日も荒野に風が吹いていた。
<了>
身を起こそうとすると脇腹に激痛が走る。
苦悶しつつも、何とか彼は起き上がる。アッシュは生きていた。
ベッド脇に視線を向けるとブラウス姿のマルガがベッドに寄りかかったまま、眠っていた。
「おー、目ーが覚めたみたいだねぇ」
独特の間延びした声が聞こえた方へ彼は視線をやる。
そこにはアル中の医師ドクが立っていた。
どうやらサズナックに帰って来れたようだ。
「んー、もー熱は無いみたいだねー」
ドクは足音を立てないように近づいてくるとアッシュの額に手を当てた。
「後でお礼を言うといいよー。彼女が徹夜で看病してくれたんだからねー」
医師はベッド脇で眠っているマルガに視線を落としながらそう言う。
「ああ、分かっているさ…」
「じゃあ、オジサンは退散するよ。ごゆっくりー」
ドクは意味ありげにウインクするとそろそろと部屋から出て行った。
「ずいぶんと大きな借りができちまったみたいだな」
眠る彼女の髪にアッシュはそっと触れた。
「…返せなんて言わないわ」
「お、起きてたのかっ」
彼は慌てて手を引っ込める。
灰色がかった髪を揺らしながらマルガは立ち上がる。
「私が助けたかったから助けた…ただそれだけよ」
彼女は見上げる男からフイと視線を逸らし、背を向けた。
「だが、君の御蔭で俺は生きている。ありがとう」
衣擦れの音から男が頭を下げているのが分かる。まだ脇腹が痛むだろうに。
アッシュと言葉を交わす事で落ち着かない気分になったマルガは逃げ出すように
部屋から出て行こうとする。
しかし、ドアの手前で立ち止まり振り返った。
「もし…どうしても貴方が借りを返したいのなら、今夜、教会の礼拝堂に来て」
###############
月の光に照らされた教会の姿はどこか悲しげだった。
メインストリートの喧騒も町外れにあるここまでは届かない。
アッシュは礼拝堂の扉をゆっくりと開いた。
中に入ると祭壇の傍に黒い修道服に身を包んだマルガが立っていた。
祭壇に置かれた蝋燭の微かな光が彼女の姿を闇の中に浮かび上がらせている。
「貴方、本当に馬鹿な男ね…」
呟くように言う彼女の背で異形の尻尾が揺れていた。
「アンタには借りがあるからな…」
アッシュはゆっくりと祭壇へと歩いていく。
「この姿を見ても何も言わないのね?」
「別にアンタが聖女でも魔物でも構わないさ…」
青年は息を吸い、
「マルガ、君は俺の死神なんだからな…」
そう吐き出しながら、シャツのボタンを外す。
彼の露になった胸には死神の刺青が彫られていた。
「いつから気づいていたの?」
目を伏せ、マルガが問いかける。
「最初から…森で再会した時には」
アッシュの言葉に彼女の呼吸が止まる。
「キミの目を見た時、思い出した…いや、あの時から、ずっとキミの目が忘れられなかった」
ユアンを殺した時。マルガに仇と憎悪の眼差しを向けられた時。
「だから、直ぐに気づいたよ。キミがあの時の…ユアンの恋人だと」
「…ッ!!」
青年の静かな言葉に彼女の右手が跳ね上がった。
その手に握られているのはピースメイカー。ユアンの形見の銃。
「引き金を引けばいい。君には復讐する権利がある」
穏やかな眼差しでアッシュはそう告げた。
「だが、最後に少しだけ、話を聞いてくれないか?」
「命乞いのつもり?」
「いや、君の未来についてだ」
###############
ある所に1人の男がいた。男には2人の親しい友人がいた。
1人はユアン。もう1人はステラ。
3人は幼い頃から兄弟のように家族のようにいつも一緒だった。
やがて男は年頃になり、ステラに恋をした。
しかし、男は同時にユアンもステラに恋をしている事に気づいた。
男は恋と友情に板ばさみになり、彼女に告白する事ができなかった。
後から思えば、笑い話だ。彼女が男の想いに答えてくれる確証なんて、
どこにもなかったのに。
男はユアンも同じなのだろうと思っていた。だが、ユアンの考えは違った。
彼はステラが男を愛していると思っていたのだ。
何故、ユアンがそう思ったかは分からない。
激情に駆られた彼は銃を持って、男とステラの前に現れた。
ユアンは男に向かって、引き金を引いた。だが倒れたのはステラだった。
ステラは男を庇って飛び出し、そして撃たれた。
彼女は男の腕の中で死んだ。
結局、彼女が愛していたのは誰だったのかも言わないままで。
男は復讐を決意し、逃げた親友を追いかけた。
そして、あの日――。
###############
風の噂を頼りにアッシュはユアンを追いかけ、そしてある町に滞在している事を突き止めた。
彼がホテルの玄関をくぐるとそこで修道女とすれ違う。
しかし、彼は気にも留めず、奥へと進んだ。
アッシュは目的の部屋の前まで来ると勢い良くドアを開けた。
部屋の中にいたユアンはドアの開くの音にゆっくりと振り返った。
「アッシュ、君が僕を追いかけているのを知っていたよ」
「ユアン…!」
憎悪がにじむ声でアッシュがかつての友の名を呼ぶ。
アッシュは自分の胸元に手をやるとシャツを引き裂いた。
彼の胸には死神の刺青が彫られていた。
「ステラが死んだあの日から! 俺はお前の死神へと生まれ変わった!」
「引き金を引けばいい。君には復讐する権利がある」
両手を横に広げて、ユアンは穏やかな眼差しで親友を見る。
「ごめん、マルガ」
「おおッ!!!」
咆哮とともにアッシュは引き金を引く。
一発目でユアンは倒れる。それでも構わず、倒れた友に銃弾を撃ち込んだ。
引き金を引く。すでに弾倉は空になっている為、弾は出ない。
アッシュは空虚な目で血まみれになったユアンを見下ろした。
ステラの仇は討った。だが、一向に彼の気は晴れない。
当然だ。彼は自分の手でかつての親友を殺めたのだから。
「ユアンッ!!」
背後から女の悲痛な叫びが聞こえた。
振り返ったアッシュの目に修道女の姿が映った。
「よくもユアンを…殺してやるッ!!」
彼女の瞳に宿った憎悪を見た時、アッシュは気づいた。
今まで自分も同じ目をしていたのだと。
激情にかられるまま、取り返しのつかない過ちを犯してしまったのだと。
アッシュは急に自分のしでかした事が恐ろしくなった。
そして、彼はその場から逃げ出した。
###############
「…話はそれで終わり? そんな話で私の同情を引こうって言うの!?」
感情を爆発させたようにマルガが叫ぶ。
「そうじゃない」
アッシュは静かに否定した。
「復讐を果たしても、そこで人生が終わる訳じゃあない。
その後も君の人生は続いていくんだ」
真摯な目で彼女を見つめて、青年は続ける。
「引き金を引いた後、どう生きるのか。俺は君にそれを考えて欲しい」
「説教なんてしないでよ! 何様のつもり!?」
マルガの握った銃がかすかに震えていた。彼女の内心の迷いを表わす様に。
「説教して悪かった。もう言い残す事は無い」
アッシュは両手をゆっくりと横に広げた。
「…撃ってくれ」
###############
月の光に照らされた教会の姿はどこか悲しげだった。
教会の前の道を千鳥足の男が歩いていた。
「うぃー、飲ーみ過ぎちゃったかなかなー、こりゃー」
ドクター・コーウェンは酒場からの帰宅途中だった。
礼拝堂の前を通り過ぎようとした時、中から一発の銃声が響くのを彼は聞いた。
「…い、今のは!?」
すっかり、ほろ酔い気分も吹き飛んだドクは恐る恐る振り返る。
すると扉がゆっくりと開き、1人の修道女が出てくる。
「な、なーんだ。シスターさんじゃないか」
一瞬、びくっとなったドクだが、姿を現したのが知人だと気づき、近づいていく。
「今、中から銃声が聞こえたけどー、何かあったの?」
彼の言葉にマルガは身体を震わせる。
彼女が振り向く。その拍子にマルガの頬から涙が零れ落ちた。
マルガは涙を拭うと通りの方へと駆け出した。
「ちょっ、ちょっと!」
呆然とドクを尻目に彼女は無言で走り去る。
彼女はサルーンの裏手に繋いであった馬に乗ると町の外を目指す。
目を背けるように。逃げ出すように。
やがて、彼女の姿は夜の闇に溶けて消えた。
###############
長い夜が終わり、町に朝がやって来た。
「だから、まーだ起き上がっちゃ、駄目だってー」
白衣の医師が馬に荷物を積んでいる若い男を思いとどまらせようとそう言った。
「今、傷口が開いたら、命に関わるんだからー」
「大丈夫さ。俺は占い師から長生きするって言われているんでね」
男はそういうと馬に飛び乗った。
「それに…追いかけたい女がいるんだ」
そう言い残し、男は馬を走り出させた。
呆れた様に見送る医師の視界の中で男の姿が砂塵へと溶けていく。
今日も荒野に風が吹いていた。
<了>
11/03/29 23:07更新 / 蔭ル。
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