連載小説
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逢瀬、やがて接触
「…こっちのドレスのほうがいいだろうか?」
私は鏡の前で二つのドレスを揺らした。
どちらを着ていこうか迷っているところだ。
どちらも血のように赤く、そして露出の多いものである。
鏡の前に立ったところで私の姿は映らないので着た姿を誰かに見てもらうしか判断しようがないのだが…。
だがこうして迷ったことなんてなかった。
そもそも男性のために自らドレスを選んだことさえなかった。
普段はあのドレスを着ていたし。
この前焦げてしまったせいで着れなくなってしまったが実はいくつも予備を持っている。
あれはお気に入りだからね。
それでも…少しくらいは。
おしゃれというものをしても、いいかもしれない。
今まで見せる相手なんていなかったからあのドレスだったが…。
たまには…いいかもしれない。
「ハリエット」
「はい」
メイド長である彼女の名を呼ぶとすぐに返事が来た。
さすがメイドを束ねる者、私の声一つでどこでも現れる。
優秀で嬉しいものだよ。
「どちらのドレスがいいだろうか?」
そう言って彼女の前で二つのドレスを揺らした。
片方はいつも着ているドレスに良く似たものだ。
前面を大きく肌蹴て細かなところに装飾が加わっている。
少しばかりデザインが変わっていて気づくものなら気づいてくれるだろう。
もう片方は形からして違う。
前面を肌蹴てないがドレスの裾が短い。
そしてコルセットつきのものだ。
正直これはあまり好きではないのだけどね。
コルセットがこう…苦しいというか、きついのだ。
主に胸が。
コルセットとは胴回りを見せるものではなかったのだろうか?
これ以外にも沢山ドレスがあるのだが…なんというか、その大半が好みじゃない。
それに中にはあの親友から贈られてきたものまである。
無論、それはただのドレスではない。
魅了の魔法をかけたドレスや大事な部分だけをスケスケにさせたドレスなどというものだ。
まったく、嫌味だろうか。
自分は先に旦那を見つけたからといってそんなあてつけみたいに贈ってこられても困るというのに。
あろうことか既に何人も娘も産んでしまっているし。
まったく困ったものだよ。
「そうですね…私はこちらのほうがよろしいかと」
そう言って彼女は私が普着るドレスに似たそれを指した。
ふむ、これか…。
「こちらのほうがクレマンティーヌ様の魅力を存分に発揮できそうですし。殿方を悩殺するのに役立つかと」
「…男性に見せること前提なのか」
「そのために選んでいるのでしょう?」
「そうだが…」
正面から言われると気恥ずかしいものがある。
慌てて否定までするような真似は流石にしないが。
「クレマンティーヌ様のお胸を強調できますしね」
「…そうかい?」
「ええ、大きいのですからもっと効率的に使わないといけませんよ」
「…」
私自身そう思っていないのだがね。
大きいほう…なのだろうか。
「流石にホルスタウロスまではいかないだろう?」
「あれと比べるものではありませんよ。それでもクレマンティーヌ様のは十分に大きいのです」
「…そうかい」
とりあえず彼女に選んでもらったとおりにドレスに着替え、小さいバッグを手に取る。
中にあるのは治療薬だ。
私自身魔法が使えないわけじゃないが…回復魔法とは相性が悪くて上手く使えない。
攻撃魔法などなら得意なのだがね。
それでもほとんど使わない。
基本的に私はレイピアを使って戦っていたからね。
というのもこの前のでは使う暇さえなかったのだが。
「それでは行ってくるよ」
「行ってらっしゃいませ、クレマンティーヌ様」
彼女の言葉を背に受け、歩き出す。
さて、今日はどうするか。
あれほどのことがあったのだ、流石に家まで行くのは危険だろう。
お姉さんのことだ、見つけたとたんに包丁を振り回してきてもおかしくない。
彼女がどれほどの実力者かはわからないが…それでも並みの戦士よりもずっと上であることに違いないだろう。
それに、彼の師もそうだ。
彼女にいたっては危険だ。
空を飛んでいる私を蹴り落とす、一撃一撃がドラゴンのような威力を秘めている。
それでいて変則的で、早い。
あの場では本気を出すわけにもいかなかったが…それでも。
彼女は本気で戦っていても苦戦は確実だろう。
あれを再び相手にするのは骨が折れる。
なら、その二人に会わないところで。
その二人に見つからないところで。

―ユウタと会うことにしよう。





これで三度目。
私は石でできた柱(いい加減なんと言うものか知りたいものだよ)の上に立ち、町を眺めていた。
既に日が沈み、あたりも暗くなる。
ここは今秋だっただろうか。
日の入りが早くて助かるよ。
「行くんだ」
そんな宵闇を迎えるところで私は下僕である蝙蝠を放った。
というのも、目的はユウタを探すため。
確か彼は学校に通っていたからね。
それなら家へ帰る途中を見つけられればいいだろう。
それで、ユウタを見つければいい。
外では師である彼女のほうに会う危険もあるのだが…それはまぁ見つからないことを祈ろう。
「おや」
私の前で一匹の蝙蝠が騒ぎながら戻ってきた。
どうやら見つけたらしい。
思った以上に早かったね。
「そっちだね、ありがとう」
蝙蝠の頭を撫でて闇へと放つ。
そして背中から蝙蝠の翼を生やした。
それでは行こうか。
そう思って一瞬脳裏に言葉がよみがえる。

『あんたはゆうたを食料として見てる』

彼女の言葉。
その言葉は私がユウタに言った言葉だ。
わかっている。
嫌というほどにそれがどういう意味か。
ユウタが気にするな、当然のことだといってくれても彼女がかわりに突きつけた事実。
目を逸らしてはいけないもの。
見据えないといけないもの。
…まったく。
彼女のような小娘に言われなくてもわかっていたことだが…正面から突きつけられると嫌なものがあるね。
ユウタの優しさに触れて。
アヤカに厳しさを突きつけられて。
今まで悩みもしなかったことに悩んでいる。
思えばこんな風に悩むのも初めてだね。
誰かから血を吸うことに躊躇わなかった私が。
処女の首に噛み付いてきた私が。
親友が王になり、私もまた貴族として格上げされたときだって。
こんな風に感じたことはない。
人間を下賎で下等な種族であるなんて思っていたころの私も。
今領主となって人間と接することになった私も。
ここまで考えたことはなかった。
「食料、か」
そっと呟いたその言葉。
宵闇の中に吸い込まれて消えうせる。
私はユウタを食料としてみているのは確かだろう。
ユウタの血があまりにも美味で、それに惑わされ、心の底から欲してるのは認めよう。
でも。
私はユウタを食料とだけ見ているわけじゃあないのだよ。
ユウタに会いに行くのはただ血が欲しいからというだけじゃないのだよ。
今ここに彼女がいたら聞かせてあげた言葉だ。
無論、ユウタにはまだ言えそうにないだろう。
だが…いつか、きっと…。
「さて、それでは行こうか」
少しばかり肌寒い風を受けて私は空へ飛び立った。



木の葉を落とし、枝を晒した大木。
それが道の左右に並んだところに私はいた。
今度は空から急に降りてきたりしない。
大木の陰に隠れて降りてきた。
暗くなったといってもまだここには人が多いようだ。
空からみた大きな建物。
といっても親友の城や私の屋敷に比べたら劣るものだが。
大きな門から次から次へと人が出てきた。
皆が皆初めて会ったときのユウタと同じ姿をしている。
女子は違うようだが似た服を着ているようだ。
そんなところで私は歩き出した。
ヒールを響かせ石畳よりもずっと硬い地面を歩く。
明かりはさほどない。
影がないことを誰かに悟られえることはない。
いくらここに私のような存在がいないからといって私が人間でないと見破れるものはそういないと思っていいだろう。
ヴァンパイアというのは元が人間に酷似している分うまくやれば溶け込めるものさ。
…昔ならそんなことできるかと地面を叩き割っていたが。
周りの人間が私を見て何かを口々に言っているようだが気にしない。
私を前にして道をあけてくれるのでそのまま歩き続ける。
人間の前を堂々と歩くというのは普段からなれている。
こうやって何かを言われるものまた、なれている。
ヴァンパイアとして今まで散々畏怖と軽蔑の意味で人間達から言われてきたからね。
だが彼らはどうやら悪いことを言っているわけじゃないらしいが…いちいち聞く暇もない。
それ以上に優先すべきことがあるのだから。
そうやって歩いていると…見つけた。
門から歩いてくる見慣れた姿。
あの時は彼一人だけだったから気づかなかったがこうして回りに他人がいるとよくわかる。
違う。
何か、口では言い表すことのできないものが。
異質で、異端で、異常な何かが。
それでも嫌なものじゃない。
嫌いたいと思うわけじゃない。
アヤカのように突き飛ばしてでも離れたいとは思わないそれ。
逆に吸い込まれそうな、闇のような…。
「ユウタ!」
私は手を上げて名をか呼んで彼の元へと歩き出した。
「ん?…あ」
一瞬私の姿を見て固まるユウタ。
…?どうしたのだろうか。
何か思いついたというよりも…私の姿を見てどうかしたようだ。
何かあったのだろうか?
それとも私自身が変だとか?
しかしそうではないことにすぐに気づいた。
「…黒崎、あの金髪ドレス誰だ?」
そういったのはユウタの隣にいた青年。
少しばかり茶色がかった髪が特徴的だ。
歳、身長はユウタと同じだろう、片手に何か木でできた棒を持っている。
城でデュラハンが稽古で使う木剣に似ているね。
それをユウタにゆっくり向け、突きつけている。
脅しをかけるように。
「だ、誰でしょう…?」
上ずった声で言って目を背けるユウタ。
その言葉を聞いて理解する。
どうやら彼には知られたくなかったようだ。
しまった、あまりにも早く会いたかったから来てしまったよ。
一人になるところを待っていたほうがよかったね。
「知らないのかよ?お前のこと呼んでたじゃねえか、下の名前で」
「よ、呼んでたっけ?」
とりあえず話をあわせることにしよう。
「呼んでないさ。まったくこれっぽっちも」
私は何食わぬ顔でそういった。
どうも長く生きているとこうした場面で平然と振舞うことができるようになってしまった。
「彼とはこれっぽっちもなにも知らない赤の他人さ」
「ほら、クレマンティーヌもそう言ってることだし」
「今お前が呼んだな」
「は!しまった!!」
自ら墓穴を掘っているよ、ユウタ…。
「おいおいおい…彼女いない暦=年齢委員会副委員長、何とんでもないことやってるんですか、ええ?」
「やめろ、校外でそれを言うな委員長」
「ええ?おい、先に作るなんてなんつー裏切りだよ。制裁が必要か?」
「木刀を向けるな木刀で叩くな痛いんだよ!」
「おい、黒崎今日貸した奴返せ」
「は?まだあれ見てないのにか!?」
「彼女いるんなら別にいいだうが!」
ユウタの友達らしき彼はそういった。
彼女…。
なんと言うか…その、正面からそんなことを言われては…その…。
て、照れてしまうよ。
「いや、別にそんな関係じゃねーよ!」
…。
…そんなに大慌てで否定されるのは傷つくね。
別にそこまで必死になって否定しなくてもいいじゃないか。
「そうだろ?クレマンティーヌ」
ユウタのそんな言葉に私は応えた。
少しばかり意地の悪い感情を乗せて。
「そうだね―

―他人には絶対に言えない秘密の関係だね」

「てめぇぇぇえええええ!!」
「クレマンティーヌ!?」
そのまま彼に殴られるユウタ。
少しばかりかわいそうだがまぁ仕方ない。
そんな風にそっけないのがいけないのだよ。
私だって一応女ということさ。
「あんた!」
そんな風に思っていると急に声が掛かった。
ユウタの友達からだ。
「なんだい?」
「見ろ!これが黒崎が今日俺から借りた本だ!」
「テメェ!馬鹿!そんなもん女性に見せるんじゃねーよ!」
「は!知るか!これでも見られて軽蔑されろ!嫌われてろ薄情者が!」
そう言って彼は私に何か薄い本を手渡してきた。
その手で。
私の手に無理やり。
手に、触れた。
刹那。

―彼の姿が吹っ飛んだ。

そのまま吹っ飛び、木に叩きつけられる彼。
「あ」
「あ…」
いけない、やってしまった。
思わず触れたからやってしまった。
男性に触れられない私が、男性に触れるとしてしまうこと。
突き飛ばして、離れようとしてしまう。
あまりの不快感に。
あまりの嫌悪感に。
それほど男性を嫌いというわけじゃないがそれでも、触れられるのは耐えられないのだ。
ヴァンパイアの力で突き飛ばせばどうなるか。
私の怪力で人間を突き飛ばせばどうなるか。
それは簡単なこと。
無事で済むわけがない。
だから今まで男性との触れ合うことを避けてきたのだが…。
やってしまった。
おもわず頭を抱えたくなった。
ユウタは彼に歩み寄り、様子を伺う。
「…無事か?」
「…何とか。爺の竹刀に比べりゃまだ平気だ」
どうやら生きてはいるらしい。
よかった。
「ちっ」
「…なんだその舌打ちは」
そんな会話を交わしてユウタは隣へ戻ってくる。
何もなかったかのように平然と。
まるでユウタの父親と同じような、よく似ている姿。
彼と親子というのもよくわかる。
「それじゃあ行こうか、クレマンティーヌ」
「あ、ああ…」
そうは言うものの…彼は平気なのだろうか?
「あれは気にしなくてもいいって。あいつ、けっこう頑丈だからから」
「そう、なのか…」
「それじゃあ行こ」
「ちょっと待ってくれ」
歩き出そうとするユウタに向かって声を掛ける。
ユウタは不思議そうな顔をして私を見た。
そんなユウタに私は見えるようにそれをだした。
それ。
先ほど少しばかり見てしまったが…えっと…まぁ…その…。
「これは…どうすればいいかい?」
「…」
私は女性の裸が大量に載っている本をユウタに差し出した。




「本当にこの世界は不思議だね。あそこまで生き写しのようにそっくりな絵があるとは思わなかった」
「…」
「えっと…そう、気に病むことではないと思うよ。男性なら誰だってそういうものに興味があるさ」
「…」
「おかしいことなんて何もない」
「…」
あれからユウタは一言もしゃべってない。
世界が終わったかのように落ち込み、俯いている。
ただし、顔は真っ赤で。
耳まで真っ赤で今にも爆発してしまいそうなぐらいだ。
「ユ、ユウタ?別にそこまで気にするようなことじゃないだろう?」
「…」
「あれに載っていたのがユウタの好みだとしても一向にかまわないと思うよ」
「…」
「別に…人前では見せられないような透けた服を着ているのが好きだとかしてもそれは好みだからね」
「…やめろ」
そこでようやくユウタは口を開いた。
ただし、ドスの利いた声で。
低く、恐ろしげに。
まるで地獄の底で唸るように。
「それ以上何か言ってみろ…泣くことになるぞ………………………………オレが」
「…君が泣くのか」
それは少しばかり興味があるというか…見てみたい気もする。
だがこれ以上言えばユウタもただじゃ済みそうにないので断念しよう。
少々残念なのだが、まぁ仕方ない。
気を改めユウタは顔を上げた。
「それよりもどうしたんだよ、クレマンティーヌ。てっきり家に来るもんだと思ってたんだけど」
「いや…たまには趣向を変えてみようかと思ってね」
無論、それは嘘である。
ユウタのお姉さんであるアヤカ。
それから師である彼女。
あの二人に会いたくないからだ。
「ふぅん?」
怪訝そうな声で返事をし、ユウタは前を向き直る。
特に聞く気はないようだ。
もしかしたら触れてはいけないと思ったのかもしれない。
そのまま私は隣で歩き続けた。
「そんじゃどっか座れるところでも行くか」
そう言ってどこかへ向かうユウタと並んで。
ユウタは大して気にも留めていないだろうが…やはりそれは。
私に血をくれるということは…また自分を傷つける。
わかってはいても…やはりいい気はしない。
それに、それは一方的なものだ。
私の我侭だ。
私が欲しいままにユウタの血を欲し、求めるままに啜ってる。
そんなものに彼をつき合わせているというのは…忍びない。
「…ユウタ」
「うん?何」
「何か、私にできることはないだろうか?」
「はい?」
「私ばかりユウタから血を受け取っていて忍びないのだよ。だから私からも何かできないだろうか」
その言葉にユウタは笑った。
軽快にからからと、それで手を振って。
「別にいいって。それにオレはお礼をしてもらいたいから血をやってるわけじゃないんだぞ」
それはわかっている。
ユウタがそんなことを求めずにしてくれていることは良くわかっている。
でも、だからこそ。
一方的にユウタの温情を受けていてはいたたまれない。
ユウタの優しさに甘えているばかりではいけない。
「そうは言ってもね…私としても何かしてあげたいのだよ」
「別に対して気にすることじゃないだろ?」
「気にするのだよ。私が出来ることなら何でもしよう」
「女性がそんな言葉をこんな高校生に言うんじゃありません」
「そうは言ってもね」
こう、なんとかしてあげたいというか。
良心の呵責が…というか。
そわそわしてしまうのだよ。
仕事を私に押し付けて一日中のうのうと旦那と愛し合っている親友とは違うのだよ。
「例えば…えっと

―その…先ほどの本のようにいやらしいポーズをするとか」

「何でさっきの話を蒸し返すんだよ!!」
ユウタがいきなり顔を真っ赤にして喚いた。
やはり先ほどのあれは触れては欲しいものじゃなかったらしい。
誰だろうとそうなのだろうけど。
「しかしね、私にできることと言ったらこれくらいだ。君に触れたところで先ほどの二の舞になってしまうかもしれない。ならやはり視覚的なもので満足してもらおうかと」
「そういう気遣いいらねーよ!なんでそっち方面にいくかなぁ!?」
私自身発言して驚いたよ。
これはきっとあれだ。
親友の影響を受けてしまっているね。
皆が彼女の影響を受けてそっちのほうに積極的になっていることは否めない。
うすうす感づいていたが…それは私自身も同じことらしい。
ここまで男性に接したことはなかったからだろう。
きっと親しくなったからだろう。
ユウタにはそういうことができてしまう。
「先ほどの本では胸の大きな女性が多く出ていたね。もしかしてユウタはああいうのが好みだったりするのかい?」
「やめろよ!個人の好みに口だすなよ!」
「いや、否定しているわけじゃない。ただの確認だよ。私自身これでも大きいと言われたからね」
そう言ったのはハリエットなのだけど。
「ユウタのためにこの肌を晒すというのもやぶさかでは無い。その気になればこの場だけ魔法で空間を周りと断絶できるからね」
「そりゃすごいけどそんなこと望んでないからな!」
「ならばそこのポールでダンスでも」
「それポールじゃなくて『止まれ』の標識だから!」
そこでユウタはあ、と声を上げた。
何か思いついたように。
「それなら頼もうかな」
「脱ぐのをかい?」
「頼まねーよ。ってかなんでそんな恥ないでいられるの?」
「恥なんてものはね、親友の娘にまで結婚を抜かれたときに捨ててしまったよ」
最も、ここまでできるのは相手がユウタだからというのだけどね。
「貴族だろ?そんなすごい悲しい事実暴露しなくていいから」
「貴族といえど…行き遅れさ」
「…どう返せばいいんだよ」
まったく、そう言ってユウタは私の前に立つ。
頼むといっても何を頼むのだろう?
「そんじゃあちょっと―


―付き合ってくれる?」


その一言はあまりにも艶かしく。
まるで誘っているかのように呟かれた。


「…こういうことか」
「こういうこと」
で、結局のところ。
まさかとは思っていたがやはりそちらのほうではなかった。
付き合うなんて捉え方はいくらでもあるからね…。
誰しもが…そういう意味を込めて発言するわけじゃあないからね…。
私の手に握られたそれ。
握られたというか、握ると潰れてしまうので注意しないといけない。
ヴァンパイアの怪力を差し引いたところでそれは潰れやすいのだから。
それ。
一風変わった包みに入っている…卵である。
「いやぁ、お一人様一点限りは今日だけだからさ」
「…」
確かに私の出来ることはなんでもするつもりだったが…これは。
こんなものが来るとは思わなかった。
貴族だったため買い物に付き合うことも勿論なかったし。
いい経験になったといえばそうなのだけど。
というかユウタ、何気に主夫の様なことをするね。

私達はスーパーというところで買い物を済ませて、二人並んでそこにいた。
ユウタが探していた座れるところ。
ところどころに遊具があり、また走り回れるほど十分に広い。
夜も近いからだろう、本来いるであろう子供の姿はない。
そこは公園だった。
公園のブランコに私とユウタは並んで腰掛けている。
公園のブランコに並んで座るヴァンパイアと人間。
ユウタは初めて会ったとき同様にあの黒い服。
対する私はドレスだ。
傍から見たらどれほどおかしい光景なのだろう。
ユウタは隣で先ほど買った物の中から何か探しているようだった。
上に詰めこまれたパンが目立つ。
表面に張ってある赤と黄色の札が特に。
そういえばユウタはこのようなものをよく買っていたね。
札には30、50、それからこの世界の字が書かれているが…この字の意味は…。
「ユウタ、そのパンにある数字は何だい?」
「うんこれ?割引のやつだよ」
…わかってはいたけど何というか…。
…聞くと悲しくなるね。
「それでオレの今夜の夕食」
「…」
「ちなみにこっちがあやか…双子の姉の奴」
そう言って指し示したのは袋のそこに詰め込まれたパスタ。
これもまた変わった容器に入っている。
しかし、札は付いていない。
飲食店で出されてもおかしくないそれ。
見た目からしてもユウタにとって安いものではないのだろうと思えた。
これが…あのお姉さん、アヤカのか。
「君と同じ…ではないのだね」
「あいつが食べたいっていうからさ。今日も姉ちゃん、両親共にいないから」
「…それで君はパンか」
「無駄遣いできないからね。こういうとこで削るんだよ」
「…」
あれ?なぜだろう。
なぜだか涙が出てきそうだ。
ここまで悲しくなったことなんてないのに。
貴族だからそんなものとは無関係だった私にとってそれはあまりにも悲しい。
というか、悲しい以外に何があるだろう。
ユウタがここまで我が身を犠牲にしていたとは…知らなかった。
「苦労しているのだね」
「仕方ないさ。弟だから」
「…」
本気で泣けそうになる台詞だった。
ユウタが私に対して自分を傷つけるのに躊躇わない理由がよくわかる。
これはもうあれだ。
躊躇う以前に当然と思っているんだ。
自分が苦労することが前提なんだ。
…涙を誘うね。
先ほどユウタは泣くと喚いていたが…私が泣きそうだよ。
「ねぇ、ユウタ。もし君がよければ今度私の屋敷に来ないかい?」
「うん?なんで?」
「なんというか…せめて食事くらい十分なものを食べさせたくなって」
「平気。これくらいで足りるから」
「血の礼だと思って来て欲しいのだが」
「そんなことしたら絶対あやかも付いてくるぞ?」
「…」
それは勘弁してもらいたいね。
またあのようなことをされるのは嫌だし。
でもそれではユウタが…。
「っと」
ユウタはお目当てのものを袋の中から探り当て、それを手に取った。
カップの形をしたそれ。
表面は茶色を中心としたデザインであり、この世界の字で何か書かれている。
ユウタが先ほど一つだけ買っていたものだ。
「それは?」
「ああ、これをコップの代わりにしようと思ってさ。ちなみに中身はココア」
「…」
ユウタは意外と…子供っぽいのを好むのだね。
ふふ、微笑ましいよ。
というか、可愛らしい。
「…甘いものが好きで悪いかよ」
そう言ってユウタは唇を尖らせた。
どうやら本人も自覚しているようだ。
まったく、思わず笑みがこぼれるよ。
ストローをそれに突き刺し、そのまま喉を上下させて飲んでいく。
…。
なんというか、あれだね。
他人が飲んでいるのを見ると…欲しくなってしまうね。
隣の芝生は青く見えるというように。
隣でこのようなことをされてはどうも望ましく映る。
「…飲みたい?」
私の視線に気づいたユウタはストローから口を離してそういった。
いけない、顔に出ていただろうか?
「…いる?」
差し出されたそれを前に私は。
「…それでは、頂こうかな」
そう言って受け取る。
自然に、そのまま。
不思議と初めて血をもらったときのようにビクつくことはない。
手は触れなくとも、あのときよりもずっと近くに手を添えて。
それを受け取った。
受け取って思う。
ユウタはやはり優しいと。
優しく気配りができる男だなと。
だがその反面、どこか大切なところが抜けている。
私に血をくれることしかり、そしてこの手にあるものしかり。
わかっているかい、ユウタ。
私にくれることを考えていたならストローは一本じゃ足りないだろう?
そのまま私はストローに口をつけ、ココアを味わうことにした。

ユウタからもらったそれは、思った以上に甘い味がした。




「思うにさ、やっぱ初めは慣れからだろ」
「…慣れか」
あの後ユウタから血をもらい、ユウタに治療薬を使って傷を治してあげたその後。
流石に私が塗ることも出来ないのでそこは任せたのだが驚いていた。
塗っただけで傷が治ったどころか以前の傷まで消えていることに。
それくらいこっちの世界なら普通のことなのだけどね。
やはり別世界となれば互いに驚くべきところが沢山あって面白いよ。
そんなこんなで、そのまま薬はユウタに(断ろうとしたところを無理やり)押し付け今に至る。
隣でブランコの鎖に背を預けこちらを見ている。
「そ。ちっさい事でもいいからしてみること。たとえば…そうだな、服越しに触れることから慣れてくとか?」
「服越し…か」
確かにそれならいけるかもしれない。
一枚とはいえ布を通しているんだ、直接出なければいけるだろう。
「そこから指、腕、肩…なんて感じで触れる面積を増やしていったり?」
「それなら…さっきのようなことにならずに済むかもしれないね」
「んで、実はもう一つ考えがあるんだよ」
「もう一つ?」
「そ」
前後に揺れていたブランコを止め、ユウタは立ち上がった。
そのままどこかへ行くのかと思いきや目の前の黄色い柵に座る。
私の正面で、私を見据えるようにして。
「もう一つはあの夜みたいに『本能』に訴えかけること。あの夜みたいにとんでもなく餓えてる状態ならそう嫌なんていえないだろうし、体も嫌がるようなことはしないんじゃないの?」
「まぁ…」
それはあの夜経験しているからよくわかる。
腹をすかせ、魔力が切れかけたあの餓えた状態で。
私はユウタに触れていた。
触れるどころか押し倒してそのまま跨っていた。
あの時は血を吸うことに必死だったからね。
迷っている暇もなかったよ。
「ただ…もう一度再現するのはいくらかきついものがあるね」
「だろうな…。食欲とか、欲求に訴えかけるのはいい考えだと思ったんだけど…上手くいくもんじゃないか…」
…欲求か。
そういえば三大欲求なんてものがあったね。
食欲、睡眠欲、それから性欲。
生きるために必要不可欠な欲求だ。
本能といってもいいだろう。
食、睡眠、性。
食欲なら首に噛み付くときに触れるだろう。
睡眠で触れられるものだろうか?
性欲は…。
「…」
「…何か変なこと考えてない?」
「…いや何も」
これは…いけるかもしれないと思ってしまった。
昔ならそう欲求も湧き上がるほどではなかったが今は違う。
多少なりとも魔王の影響を受けている今なら。
目の前にいるのがまったく知らないわけじゃない、私を受け入れてくれる彼がいるのなら―

―それも…ありかもしれない。

「…一応言っとくけど性欲なんてものは考えてないからな?」
「おや、何で?」
「何でも。そういうことは大切な相手に頼むもんだろ。こんなどうでもいい高校生に頼むんじゃありません」
「どうでもいいわけではないのだが…」
「女性なんだから自分を大切にしなさい」
「でも興味はあるのだろう?あんな本を持っていたのだから」
「…そこまでしてオレを泣かせたいか?」
そう言ってユウタは私の隣のブランコに戻ってきた。
ふむ、ユウタ自身私のように異性が苦手というわけではないだろう。
むしろ興味があるはずだ。
それでもこの態度。
ユウタにとっても魅力的な提案をしたところで断るその意志の固いこと。
まったくもって違う。
私の思い描いていた男性のイメージとはかけ離れている。
礼儀正しく、相手を思いやる。
これがユウタらしいということだろう。
…同時に自分を軽んじているところも。
それが私のためだというのは嬉しいものがある。
私のためにここまでしてくれることも。
だが、それでも
それでもだ。
血を分けてもらっているのにここまでしてもらうというのは…あまりにも甘えすぎている。
自分自身、ユウタに頼りすぎていると思う。
今までこのようなことがなかったので仕方ないといえばそうだが…それでも。
ここのところずっとユウタに頼りっぱなしだ。
ヴァンパイアの矜持を忘れるほどに。
大貴族なんて名が廃るほどに。
「なんだか…君に頼りすぎてしまって申し訳ないのだが」
「いいじゃん。頼れば。ひとりよがりになるよりもずっといいと思うけど」
「それでもなのだよ。思えば私ばかり得をしている」
「損得で物事を考えるもんじゃないだろ?」
「これでも貴族であって領主でもあるからね。そうなってしまうのだよ」
「ふぅん…」
困ったように頷きながらユウタは足を上げた。
耳障りな金属音と共にブランコが揺れる。
そのまま何も言わない。
私からも、何も言えない。
こういうときはどうすべきか。
貴族であったせいで、対応の仕方がわからない。
なんともおかしな話だ。
ヴァンパイアが人間のためにここまで悩むなんてね。
親友に話したら笑われたか、からかわれでもしただろう。
既に時間も夜。
真夜中というには早いだろうが辺りは闇に包まれている。
公園に備え付けられた一つだけの明かりが私達を照らす。
ユウタの下には影ができても、私の下には影はできずに。
彼が人間で私がヴァンパイアだという事実を映し出して。
「じゃ、こうしよう」
ユウタは静かな闇の中で呟いた。
「そこまで言うならクレマンティーヌが無事、それを克服できたときにでも返してもらおうか」
「返す?」
「そ、なんでもいいから」
…あまりにも漠然としている。
それではあやふや過ぎてわからない。
何が欲しいか、どうしてもらいたいかを言ってくれれば楽なのだけど。
それでも。
ようやく彼に答えられるのだ。
それをわからないで返すべきじゃないだろう?
ここまでされては貴族の名折れさ。
「ユウタがそういってくれるなら、喜んで」
私は笑みを浮かべてそう応えた。




「そんじゃ、今日はここら辺で」
そう言ったユウタはブランコから立ち上がり買い物袋を手に持つ。
先ほどユウタから血をもらった容器は公園にあったゴミ箱に捨て置いた。
手首も治療薬で治療した。
不審に思われたところで証拠はないからお姉さんに気づかれないだろう。
…きっと。
「そんじゃ、また」
「ああ、また」
そう言ってユウタは私に背を向けて歩き出した。
…結局、気づいてくれなかった。
私が普段と違うドレスを着ていたことに。
やっぱりどこか抜けているね。
それがユウタらしさなのだろうけど…少しばかり残念だよ。
苦笑を浮かべつつ私も去ろうとして背から翼を生やした。
それを広げて、飛び立とうとしたそのとき。
「そーいや」
ユウタから声をかけられた。
それで振り返り、私を見据える。
どうしたのだろう?
忘れ物は…あるわけないだろうが。
「どうしたんだい?」
「いや、そのドレスすごい似合ってると思って」
「!」
そう言って私のドレスを指差した。
ハリエットに選んでもらったドレス。
露出の多さは変わらず、細かなデザインが変わっただけのものだ。
「やっぱ美人は何着ても似合うよな」
「びじっ!?」
美人。
そんなこと正面から言われたことなんてなかった。
元が元でいいので誰もそんなこと当然とばかりに口にしない。
親友が王になって周りの魔物に影響したところで同じだ。
皆が皆容姿がよくなって当然とでもなってしまった。
それ以上にヴァンパイアにそんなことを気安く言ってくるものなどいなかった。
「それだけ言いたかっただけだから。そんじゃ、また」
そう言ってユウタは手をひらひらさせて去っていった。
…。
…。
…。
君って奴は…不意打ち、過ぎるよ…。
11/11/10 20:49更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
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■作者メッセージ
ということでした!
前半での不幸の分だけ後半ではいちゃラブしていこうじゃありませんか!
ということで黒崎ゆうたのクレマンティーヌ男性接触克服教室始まりです!
気が利いているのかそれとも天然なのか、よくわからないゆうたでしたw

そして次回は教材としてにんにくを使用しますw
どうなっちゃうかな〜w

今回ようやく出てきた親友
登場早々災難でしたw
あれが彼にゴムを上げたり大人なDVDを貸していた輩ですw
もしかしたら後々彼主人公の話もでるかも…

では、次回もよろしくお願いします!!

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