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昔の事。 |
昔むかぁし。 まだ魔物やら妖怪やらが今のように変体していなかった頃のこと。 とある四勢力からなる島国ににて狐と狸が「化かしあいをしよう!」と張り切っていたそうな。 「おい、狐の! ここはお互いの種族の頂上に腰を据える者同士…いっちょ勝負をしないか?」 「ふふん♪ 乗ったぞっ、狸の。それはいいが…どうするんだ?」 「何、簡単なことさっ!! この国には殿様が心底大事にしている奥方や側室がいるのは知っているな?」 森の奥地にある開けた場所にて岩に腰掛けるのは、まだ現魔王の影響を受ける前の狸の化生と狐の化生が一匹ずつ。 狐は妖気の質が禍々しいので…妖狐と思われる。 「馬鹿にするなよ狸の! …ははぁん、読めたぞ?」 「察しがいいねぇ! そうさ、一日バレないでいた方が勝ちってことさっ!」 「ほほぅ、狸のっ! そいつぁすまないが俺ら狐の勝ちだな…ふっ!」 岩に器用に足を組んで座っていた妖狐が飛び降りると、自信満々な笑みを未だに岩の上で胡坐をかいている狸の方へ向けた。 「はんっ! ならば、こうしようっ! お前さんも私もさっき言ったようにこの島国のそれぞれの頂点だ。ならばこの勝負、勝った方の種族が立場を上とするってぇのはどうだぃ?」 「いいねっ! 乗ったっ! …よし、勝負の日付はどうする、狸の?」 「ならば明日の朝日が昇って日が沈み…またお天道様が顔を出したところ迄、っでどうだい?」 妖狐は尻尾を振って「よし、ならば明日…見ていろよ? 狸の?」と台詞を残して新緑生い茂る森の奥へと優雅に歩き去って行ったのだ。 その様子を見ていた狸の口元は…笑みで歪んでいたが…? その翌日、約束通り妖狐は日の出前にこの国の殿が居を構える城の中へとまんまと侵入し化けて代わる女子を物色している最中であった。 「むぅ…ドレもコレも見栄えがあまり変わらぬではないか…ぬ?」 天井裏をコテコテと音を立てずに移動しつつのぞいていた穴からふと気になった人物を発見する。 「あれは…殿か? ふむぅ…ん? 何やら抱き着かれているのは…おぉ! あの女子っ! 中々の上玉と見たっ! よし、あやつに化けようっ!」 そこでは一つの布団にて同衾している男女がおり、男の方はまさしくこの国の頂上人である『近達守 元親(きんだちのかみ もとちか)』その人。 いくら獣といえど妖狐は四国中のキツネに関する種族の頂点、情報はしっかりと持っていた。 ただ殿の隣の女性に関してはまったく見たことがない、というより人間の雌になんら興味はなかった為にほとんどわからずじまいだのに…白く透き通るような絹の如き肌、赤く熟れた林檎を彷彿とする薄い紅を塗った唇、黒く長い扇状に広がる艶やかな黒髪、閉じていながらも柔らかな人格を連想させる緩やかな線の目に泣き黒子。 妖狐はこの『他者と一線をきす美しさをもつ者』に狙いをつけて化けることにしたようだ。 …のちにそれが失敗の原因のその一とも知らずに。 布団から起き上がって身支度をして二人が出て行ったのを見計らった妖狐はその部屋へと降り立ち、尻尾の毛に隠してあった葉を一枚取り出して何かを唱える。 するとどうだ。 二本足で立っていた妖狐の姿が段々と霞がかっていき…十を数えるころにはもう妖狐の姿がどこにもない。 かわりに… 「…ふむ? こんなものか?」 「…? 静(しず)様? いらっしゃいますか?」 「っ?! うm…はい、何かございましたか?」 まさに先ほどまでここにいたであろう人物が、人間の女性がそこにいたのである。 しかもご丁寧に服も同じものを着て。 外からの呼びかけに一瞬焦った妖狐だが、化けられた本人と殿との会話を思い出してその通りのしゃべり方と口調によって難を逃れたのだった。 「…行ったか。 しかしこの女子…静と申すか…」 人の足音が遠ざかり一つ安堵の溜息。 妖狐はマジマジと自分自身の袖や髪などをいじって確認したらば…その一時のやり取りで慢心したようだ。 この一日の妖狐を追うと… 「…腹が減ったな」 「あれ? 静様? 」 「ごきげんよう。皆、きちんと精をおだしなさいな」 腹が減っては台所へ足を運んで上品に振る舞いながらも飯をたかる。 「あぁ〜あづい゛…」 「あぁぁ!? な、なりませぬぞっっ!!?」 「ん? どうかしましたか?」 涼みたいと思えば城内の水辺に足をのばして水浴びしそうなところを女中に止められる。 「…ふん!」 「おぉ…み、見事な手前でございます…静殿」 「(人間どもの真似事だったが…いや、これは…中々…♪)」 暇だと言っては修練場にて着物のままで弓矢で遊ぶ。 「ングッ…ングッ…ングッ…ぷはぁぁ♪」 「うぇい!? し、ししし、静様っっっ!!?!?」 「っ! な、なんでもないっ! なんでもないぞっ!!」 喉が渇いたと言えば井戸ではなく雨水をためる甕に顔を突っ込み飲む。 「(お! 酒か…おぉ♪ この匂いからして大吟醸に違いないっ!)」 「…あれ? ここにあった酒樽は???」 「(失敬、失敬♪)」 挙句には…酒を目ざとく見つけて飲みだしたのだ。 ざるな妖狐はがふがぶと水を飲むが如く勢いで飲み続け、とうとう樽一つ空けてしまった。 そして飲み終えてすぐに妖狐は心地よい酩酊気分の中転寝をしてすこし長めの昼寝をする。 …これが後の失敗の原因その二である。 やがて夜になり城の者たちが夕餉の支度を終わらせる頃にやっと目が覚めた妖狐。 「…んぁ? あぁ、寝ちまったのか」 「誰だっ!」 「っ! (やべっ! 見つかったっ!?)」 誰もいない客間と思われる部屋で寝ていた妖狐の独り言が聞こえてしまったらしく襖の向こうから芯の通った野太い男の声がして、妖狐は全身の毛が逆立った。 「入るっ!」 「(やっべぇっ!!!??)」 「…ん? なんだ、静か。ここで何をしているんだ?」 しかし襖を強引に開けた男が妖狐の姿を見た瞬間、角ばった声が一気に親愛の情をこめた丸みを帯びた。 しかも妖狐を見たときの呼び方…まさか、と妖狐が顔を確認すれば… 「も、元親様…」 「…? どうかしたのか? 静?」 「(マジかよっ!?)」 なんと殿様だったのだ。 さらに妖狐の不幸は続き… 「はい? お呼びになら…れ…」 「…ぬ?! 静が二人っ!!??」 「(うぁぁぁぁ!! 逃げ道なくなったぁぁぁぁ!!)」 妖狐、終了のお知らせ。勿論、命の方でっ! 「いかがなされた? 元親殿?」 「お、おぉ、弘法様…いえ、どうやら狸か狐に化かされたようでして…」 「(げぇっ!? 坊さんもいんのかよっっ!!??)」 妖狐、色々オワタ! 「むぅ…どちらが本物だ?」 「わ、私ですっ!」 「な、い、いいえ! 私ですっ!」 必死に主張する妖狐につられて本物も主張をしだすことで平行線をたどる、かに思われたが… 「ん? …クンクン…おやおや…ふふふっ」 「ぬ? 如何なされた? 弘法様?」 「いえ、ね? とても簡単に見分ける方法を思いつきましたよ。元親殿…コショコショコショ…」 坊主がそんな空気の中でなにやら鼻をひくつかせてある人物に視線を向けたとたん、ぐずるわが子を笑う親のような温かみのある微笑みを見せて殿様の耳元で何かを囁いた。 「…そんなことでよろしいのですか?」 「えぇ、すぐにお分かりになりますよ」 「では…これっ! 枡で酒を2つもてぃ!!」 女中を呼び寄せた殿は何を思ったかそう言ってしばらく、枡八分目まで注がれた酒を女中から受け取ると… 「これ、静達。これを呷った後にこの廊下を端から端まで歩くがよい」 「は、はぁ…殿のお言葉であれば…」 「ま、まぁ…そ、それでは失礼いたします…」 それぞれ枡を受け取った静らはゆっくりとそれを飲み干すとほぼ同時、隣同士に廊下を歩み始める。 ただ…歩くたびに片側の静からは黄色い【何か】が調子よく振られている? 「…ぬぅぅ! ? コヤツ…狐かっ!」 「なっ!?」 「…えっ!?」 正体見たり、枯れ柳っ! すでに出来上がった妖狐は気が緩み過ぎて…馬脚ならぬ、尻尾を上機嫌に揺らしながら歩いてしまったのだっっ!! 言われた妖狐、化かされた静、憤怒の表情の殿…妖狐の中で命の灯が消えたと思った、その瞬間。 「まぁまぁ元親殿? そんなに腹を立ててはなりませぬぞ?」 「し、しかし弘法殿…っっ!」 「確かに化かした方が悪いですが化かされて気づかなかった我々にも多少は非があるかと…」 ぐぬぬ、と唸る殿を他所にもう化けている意味がないと悟った妖狐が本来の四つ足に直り、観念したのか廊下のそこで腰を落として最後の審判でも待つようなどんよりとした表情をしている。 傍目からみてもしょんぼりした黄色い大きな猫のようなそれを鼻息を少し荒くした静が見ているところに割入るように影が遮って…妖狐に声をかけたのは意外にも坊主であった。 「しかし化かしたのは悪いことであり、流石にこのままお咎めなしにするのも元親殿の評価を落とすことになりかねません。故に…こういう罰はいかがでしょうか?」 「…? 弘法殿? その筆は一体…?」 「さらさらりっ、と…あとは…」 懐からお札のようなものを取り出し『橋以外渡るべからず』と達筆な梵語と漢字で白い札を埋め尽くし、不意に筆を止めて沓脱岩を降りて庭先の土を少しつまんで札にかける。 そうしてできた不思議な札を妖狐の背中に張り付けると…なんと不思議なことに札が妖狐の中へと溶けていったのだ! 「では…妖狐よ。おぬしは明日の朝よりこの四国から眷属共々追放するものとする。」 「…え?」 「まぁ、橋でもかかったら戻ってきてもよいがな? ふふっ…」 いきなり言われた妖狐は先ほどまで張られた札の行先を気にして首やら体を動かしていたが坊主のその言葉で一切の動作をやめてしまう。 その言葉で本当の意味であいた口が塞がらない妖狐は顔はそのままで全身脱力して意識が遠のいた。 …まぁ、人間であっても『君、左遷。もうここに戻ってこれないから♪』と言われたら固まるだろう。 「あ、あの…お狐さん…抱いてもいいですか?」 「ぇ…ぁ…勝手にしろぃ…」 「…はぁ〜…もふもふっ♪」 そんな妖狐の脇では変化を解いてからずっとあつい視線を向けていた静がおずおずとお願いをして上の空の妖狐が投げやりに返した返事をもってすぐさま歩み寄り猫を抱くようにして妖狐の耳周辺をほおずりするのであった…。 「…あ」 「ん? どうかなさいました? お狐さん?」 「え、あ、いや…なんでもない…」 そういえば狸はどこだろう? と思う妖狐だが…結局その晩は静が全く妖狐を離さないがために静と妖狐とムスッとした顔の殿が川の字で一緒に寝たのは余談。 で、狸はというと? 「ふぅ、これでいいですか? 狸さん?」 「はい、上出来すぎですよ…弘法様っ!」 「いえいえ…では…この『激うまっ! そば打ち秘伝書』はちゃんといただいて行きますね?」 おぉきにぃ! とはどこかの一室での会話だそうな♪ …狸は策士だったっ!! そして翌朝、日の出前の暗いうちに起きた妖狐は一人とてとてと日が昇るであろう方角にある縁側にて腰を下ろしていた。 あと数刻しないでこの島ともお別れ、としみじみ思いに耽っているところへ… 「お狐さぁん! 」 「むぎゅぅ!? ぇぁ!? し、静ではないか! えぇぇい! 離さんかっ!」 「いいえ! 離しませぬっ! もっとお狐さんをふかふかもふもふしたいんですっ!」 どんっ、と音が聞こえそうな程の勢いで飛込んで抱きつきをしてきた静に目を白黒させる妖狐。 抱き心地がそうとう良かったのか…。 「…おい、狐」 「ぁん? なんだ殿…」 その静を追ってきてか殿様も静より遅れてそこに現れ、妖狐へ声をかけた…のだが! 妖狐が振り返った瞬間に不意に何かが宙を横切ったその刹那、妖狐の左耳から何かが落ちて…血が噴き出したのだっ! 「うぐっ!? と、殿…っ、て、てめぇ…」 「あ、ぁぁ! お狐さんの耳がぁ!」 「…これで今回の悪事は勘弁してやる」 帯刀から放たれた銀色の軌跡は妖狐の左耳半分、黄色と黒に色分けされているその場所を横切り妖狐の左耳を横一文字に切り裂いた。 しかし思いの外出血はしなかった…よほどの名刀であろう。 あわてる静に怒りを表す妖狐、妖狐の切り落とされた耳の一部を床から拾ってムスっとする殿は静、妖狐と順に二人を見た後にこんな言葉を投げかけた。 「まぁ…静があまりにもお前を気に入ったみたいだから…この耳をさっさと取り返しに来い。そして静にも挨拶していけよ? 妖狐よっ!」 「…へっ! なんだいそりゃ? …まぁ、気が向いたら取り返しに来てやってもいいぜ?」 「お狐さん…」 元々が斬り殺されてもおかしくない行為を左耳を切られただけで済んだ、と自分を納得させた妖狐に対してコレである。 もうすぐ本州へと飛ばされる今際になってのこの言葉、妖狐も馬鹿じゃないから殿のほのかな優しさに気づいてもそ知らぬふりを貫いた。 静はというと嬉しかったのか少し涙ぐんでいる…。 そのやり取りの数秒後、その時はやってきて…。 「む? 体が光りだした?」 「あぁ、約束の時間ってやつか?」 「お狐さん…っ!」 日が強くなるにつれて薄くなっていく体をまじまじと見ている妖狐に殿と静は静かに見守っていたが、静が動き出そうとして殿がそれを止める。 「…おい、殿様」 「…なんだ?」 「…今度来たときは…墓ん中か?」 縁起でもない言葉を吐いた妖狐と殿にはもう陰鬱な空気はなく互いに微笑み合っていた。 「おう、そうかもな…本州のうまい酒を頼む。…また来いよ、狐」 「はん! テメェで買いやがれ…おぅ、ちっくら出かけてくるわ」 「お狐さん…名前…聞いてもいいですか?」 今さらになって静が名前を聞いてきたのを呆気にとられた妖狐だがすぐさま向き直って… 「わりぃな、名前ねぇんだわ」 「なら…梅香(ばいか)、などは? …お元気で」 「…ははっ、悪くないね…いいよ! 今からおらぁ梅香だ…じゃあな、静」 自分に化けていた妖狐を咎めもしなかった静は妖狐へ素敵な名前を送った…。 そして妖狐…梅香が静へと別れを告げたその瞬間、ひときわ強く光って二人の目を閉じさせたその強烈な光がやんだ先に妖狐はいなかった…。 「…梅香、さん」 静の囁きは遠くに行かんとする鳥たちの羽ばたきの音によってかき消された… その後、妖狐が本州へ飛ばされた間際に魔物から魔物娘への転換期が発生し… 戦乱の世も終わりを告げ… いつしか魔物…妖怪と人が手を取り合い争いごとを知らない平和を謳歌する世代の時代が訪れ… 四国にはいつしか大きな…とても大きな吊り橋がかかって両島の行き来を気軽なものとした… そしてその大吊り橋【セイト大橋】ができて幾年か経ち… 今、約束を果たすために…再び妖狐はその地に足を運んだ… 【続】 |